「色代」は、
色体、
式体、
とも当て、
しきだい、
と訓むが、
しきたい、
とも訓ませる。
力なく面々に暇を請ひ、色代して、科の浜より引き分けて(太平記)、
と、
あいさつ、
会釈、
の意である。
色代かひがひしく、この節(ふし)違(たが)はぬを賞(め)で感ず(梁塵秘抄口伝集)、
を、
深く頭を下げて挨拶すること、
頭を垂れて礼をすること、
ともあり(広辞苑・精選版日本国語大辞典)、
人に対して互に礼をするを旧記に色体(シキタイ)とあり……礼法を正し辞退して人を先にたて我はあとに退く心なる間式退と云也(「貞丈雑記(1784頃)」)、
とある。単なる会釈よりは、もう少しきちんとした挨拶なのかもしれない。
もともとは、
諸国年来間申請色代、望仏神事期給下文、以色代献之、公用間致事煩(御堂関白記・長和五年(1016)五月二二日)、
と、
他の品物でその代わりとする、
意で(広辞苑)、色代のことはすでに、
永保元年(1081)の若狭守藤原通宗解にみえ、その中で通宗は調絹1疋を代米1石あるいは1石5斗で納入したいと述べている。色代納はこののち室町時代に至るまで行われるが、米穀の代りとして雑穀や絹布またはその他の品を出す場合が多かった。色代納は、納入すべき品目が不足したため行われる場合もあったが、徴収する側あるいは納入する側が本来の品目と代納物との交換比率の高低を利用し利益を得ようとして行われる場合もあった、
とある(世界大百科事典)。
色代錢(しきたいぜに)、
というと、
平安時代、絹布などの物納の代わりに錢で納めさせたもの、
の意であり(仝上)、
色代納(しきたいのう・しきだいのう)、
というと、
中世に、年貢を米で納める代わりに、藁・粟・大豆・小豆・油・綿・布などで納める、
意で、
代納、
ともいい、これを、
いろだいおさめ、
と訓ませると、
江戸時代、米や錢を納めがたい時、藁・筵・糠・粟・綿・竹などいろいろなもので代納すること、中世の色代納(しきだいのう)の転じたもの、
とある(仝上)。ついでながら、「色代」を、
いろだい、
と訓ませると、
色代納(いろだいおさめ)、
の意の他に、「いろだい」の、
「いろ」は喪服の意の忌み詞、
で(精選版日本国語大辞典)、
近親者の香奠、あるいは、近親者が香奠以外に贈る金品、
の意(広辞苑)や、
百年居喰にしても気遣ひのなき身躰を、二流の色代に費やして(浮世草子「好色万金丹(1694)」)
と、
遊女をあげて遊ぶ費用、遊興費、
の意でも使う(仝上)。
「色代」の由来は、
顔色を改めて礼する意(大言海)、
とする説があるが、それは、「あいさつ」の意から考えたもので、元来、
代納、
の意から来たのだとすると、それでは、意味が通らない。
礼法を正し辞退して人を先にたて我はあとに退く心、
からとする、
式退の義(貞丈雑記)、
も、
辞退の訛(志不可起)、
も、「あいさつ」の意やその広がった意味から解釈していて、同じである。「色代」が当て字でないなら、文字通り、
色に代える、
意である。「色」の意味がよく分からない。律令制の、
租庸調、
は、中国の租庸調を基とするが、
租の本色(基本的な納税物)は粟とされていた、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%9F%E5%BA%B8%E8%AA%BF)。租税の、
本色の代用、
の意味で、
色代、
といったのではないか。中国由来の言葉と見たがどうだろう。
さて、
あいさつ、
の意で使われた「色代」は、転じて、
色代にも、御年よりも遥かに若く見え給ふと云ふは、嬉しく、殊の他に老ひてこそ見え給へと言はば、心細く(沙石集)、
と、
追従を言ふこと(大言海)、
つまり、
相手の意を迎えるようなことを言うこと、
の意となる(大言海)。さらに、
御前の出る時、御色代をなされて、大和大納言殿を上座へ上げさせ給ひて、下座へ居替らせ給ふ(三河物語)、
と、
遠慮すること、
辞退すること、
の意でも使う(広辞苑・岩波古語辞典)。
なお、
色体、
と書くときは、
肉体、
の意で、日葡辞書(1603~04)には、
ランタイ、即ち、クサッタシキタイ、
とある(広辞苑)。
「色ふ」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/484562978.html?1637957361)で触れたように、「色」(慣用ショク、漢音ソク、呉音シキ)は、
象形。屈んだ女性と、屈んでその上にのっかった男性とがからだをすりよせて性交するさまを描いたもの、
とあり(漢字源)、「女色」「漁色」など、「男女間の情欲」が原意のようである。そこから「喜色」「失色」と、「顔かたちの様子」、さらに、「秋色」「顔色」のように「外に現われた形や様子」、そして「五色」「月色」と、「いろ」「いろどり」の意に転じていく。ただ、「音色」のような「響き」の意や、「愛人」の意の「イロ」という使い方は、わが国だけである(仝上)。また、
象形。ひざまずいている人の背に、別の人がおおいかぶさる形にかたどる。男女の性行為、転じて、美人、美しい顔色、また、いろどりの意を表す(角川新字源)、
とも、
会意又は象形。「人」+「卩(ひざまずいた人)、人が重なって性交をしている様子。音は「即」等と同系で「くっつく」の意を持つもの。情交から、容貌、顔色を経て、「いろ」一般の意味に至ったもの(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%89%B2)、
とも、
会意文字です(ク(人)+巴)。「ひざまずく人」の象形と「ひざまずく人の上に人がある」象形から男・女の愛する気持ちを意味します。それが転じて、「顔の表情」を意味する「色」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji143.html)、
ともある。
「代」(漢音タイ、呉音ダイ)は、
形声。弋(ヨク)は、くいの形を描いた象形文字で、杙(ヨク 棒ぐい)の原字。代は、「人+音符弋(ヨク)」で、同じポストにはいるべきものが互いに入れ替わること、
とある(漢字源)。「代理」「交代」の「かわる」意である。
音符弋(ヨク)→(タイ)、
と代わったようである(角川新字源)。別に、
会意兼形声文字です(人+弋)。「横から見た人の象形」と「2本の木を交差させて作ったくいの象形」から人がたがいちがいになる、すなわち「かわる」を意味する「代」という漢字が成り立ちました、
との解釈もある(https://okjiten.jp/kanji387.html)。
(「代」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji387.htmlより)
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95