「みずら(みづら)」は、
角髪、
角子、
鬟、
髻、
などと当て(広辞苑)、
美豆羅、
美豆良、
とも書く(日本大百科全書)、
大和時代に始まる男子の髪型、
である(ブリタニカ国際大百科事典)。
男子の成人に達したもの、
が結った(岩波古語辞典)。和名類聚抄(平安中期)に、
鬟、美豆良、屈髪也、
とある。
(「みずら」 デジタル大辞泉より)
髪(みぐし)を結(あ)げてみづらに為し(神代紀)、
御髪を解きて御みづらに纏(ま)き(仝上)、
などと、
頭の額の中央から左右に分けて、耳のところで一結びしてから、その残りを8字形に結んだもの。その8の形が、耳の中央より上か下かによって「上げみずら」「下げみずら」とよぶ。この姿は、6世紀に盛行した人物埴輪(はにわ)から知られるが、中国漢代の画像石のなかに、その髪形をした人物がみられるので、おそらくはその源は中国文化の伝来によるものであろう、
とある(日本大百科全書)。そして、
奈良時代には少年の髪型となる(広辞苑)、
平安時代以後、少年の型(岩波古語辞典)、
平安期に至りて、十四五歳の童子の髪風となる(大言海)、
と各説に時間差があるが、
当初は12歳以上の男子の髪型であったが、奈良時代には元服以前の少年用となり、さらに平安時代以降は皇族の少年用に限られるようになって名称も総角(あげまき)と変った、
ということのようである(ブリタニカ国際大百科事典)。
なまって、
びんずら、
びずら、
ともいう。
(角髪(年中行事絵巻) 精選版日本国語大辞典より)
髪を上げて巻く、
ところから、後に、
あげまき(総角・揚巻)、
と呼ばれるのは、この変形とされ(仝上)、
古の俗、年少児の年、十五六の間は束髪於額(ひさごはな)す。十七八の間は、分けて、総角にす(書紀)、
と、
髫髪(うなゐ)にしていた童子の髪を十三、四を過ぎてから、両分し、頭上の左右にあげて巻き、輪を作ったもの。はなりとも、
とある(岩波古語辞典)。
髪を中央から左右に分け、両耳の上に巻いて輪をつくり、角のように突き出したもの。成人男子の「みづら」と似ているが、「みづら」は耳のあたりに垂らしたもの、
とある(精選版日本国語大辞典)のがわかりやすい。「髫髪(うなゐ)」は、
ウナは項(うなじ)、ヰは率(ゐ)、髪がうなじにまとめられている意で、十二三歳まで、子供の髪を垂らしてうなじにまとめた形、
を言い(岩波古語辞典)、「束髪於額(ひさごはな)」は、
厩戸皇子、束髪於額(ヒサコハナ)して(書紀)、
とあり、辞書には載らず、はっきりしないが、「ヒサゴバナ(瓠花・瓢花)の項に、
上代の一五、六歳の少年の髪型の一つ。瓠の花の形にかたどって、額で束ねたもの、
とある(日本国語大辞典)。ただ、
ひさご花は後世に伝わっていない、
という(文政二年(1819)「北辺随筆」)、
という。つまり、よくわからないようだ。
(「揚巻」 デジタル大辞泉より)
唐輪(からわ)、
という、
鎌倉時代の武家の若党や、元服前の近侍の童児の髪形、
とされる、
髻(もとどり)から上を二つに分けて、頂で二つの輪に作る髪型、
も(精選版日本国語大辞典)、
其の遺風なり、
とある(大言海)。ただ、
年の程十五六ばかりなる小児(こちご)の、髪唐輪に挙げたるが、麹塵(きじん 麹黴(こうじかび)のようなくすんだ黄緑色)の胴丸に袴のそば高く取り、金(こがね)作りの小太刀を抜いて(太平記)、
あるように、
垂髪を行動しやすいように頭上に束ね、輪にして巻きこめた髪型、
とある(兵藤裕己校注『太平記』)ので、もっと実戦的な理由だったのかもしれない。
(唐輪 兵藤裕己校注『太平記』より)
唐輪髷(からわまげ・からわわげ)、
ともいい、後に、
その婦は出て草をとるほどに髪をからわにまげて(「玉塵抄(1563)」)、
と、
女性の髪形の一つ、
となり、
頭上で髪の輪を作り、その根を余りの髪で巻きつけるもの。輪は二つから四つに作るのが普通、
という、
唐輪髷、
となる(精選版日本国語大辞典)。
(唐輪髷(『歴世女装考』) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%90%E8%BC%AAより)
「みずら」は、
ミミツラ(耳鬘)の約(大言海・広辞苑・日本語源広辞典)、
ミミツラ(耳連)の約(日本古語大辞典=松岡静雄)、
マツラ(両鬘)の転(大言海)、
マヅラ(両列)の義(松屋筆記)、
とされるのは、髪型の位置からきている。
ミ(耳)+ツラ(鬘)、
は、
カ(頭)+ツラ(鬘)、
と対とする説明(日本語源広辞典)は説得力があるが、
「美面」の意で、ミは美称である、
とする説(筑波大学教授・増田精一説)もある。お下げ遊牧民であるモンゴル人が、おさげをクク、あるいはケクといったが、これは「いい面」の意味で、後代、中近世に広まった丁髷が大陸南方文化に多いのに対し、角髪(みずら)のようなお下げ文化は大陸の北方文化にみられる、
とする(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A7%92%E9%AB%AA)。
(埴輪男子 古墳時代(6世紀末) https://www.kyohaku.go.jp/jp/dictio/kouko/211.htmlより)
なお、人物埴輪の美豆良の形に、
結んだ下端が肩まで垂れた〈下げ美豆良〉と、耳のあたりに小さくまとめた〈上げ美豆良〉とがある。上げ美豆良は農夫像などに見いだされる。下げ美豆良は労働には不適当であるから、この相違は身分の上下と関連するものであろう、
とある(世界大百科事典)。
「みづら(みずら)」の転訛、
びんづら(びんずら)、
も、
角髪、
と当てるが、
中世、少年の髪風となり、総角(あげまき)とも云ふ。鬟(みづら)を頭上に束ね結ふをあげびんづらと云ひ、左右に結ひ垂るをさげびんづらと云ふ、
とある(大言海)。平安時代後期の有職故実書『江家次第(ごうけしだい)』に、
幼主之時、垂鬢頬、
とある(仝上)。「あげびんずら(上鬘)」は、
髪を中央から分けて、左右それぞれを輪にし、総角(あげまき)という髪形にして、夾形(はさみがた)という紙で結んだ、
とあり、「さげびんずら(下鬘)」は、
左右の鬢(びん)の髪を結んで耳の上まで垂れ下げたもの、
とある(精選版日本国語大辞典)。当然、
あげみづら、
さげみづら、
と同じである。
「唐輪(からわ)」の語源は、
絡(から)げ綰(さ)げの義(大言海)、
髪をからめて輪にするのでカラワ(搦輪)の義(筆の御霊・松屋筆記)、
と、その結い方に因るようである。
「総角(あげまき)」の語源は、
髪を結ふをアグと云ふ。結(あ)げ巻くいなるべし、
とある(大言海)。「あげまき」に当てた、
総角、
は、漢語、
総角(ソウカク)、
を当てたものといっていい。
婉兮孌兮、総角丱兮(齊風)、
と、
小児の髪をすべて集めて頭の両側に角の形に結ぶもの、
の意で、転じて、
小児、
の義となる(字源)、とある。紐の結び方の、
総角、
揚巻、
から来たとする説は、先後逆なのではあるまいか。
「角」(カク)は、
象形。角は∧型の角を描いたもので、外側がかたく中空であるつの、
とある(漢字源)。
(「角」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%A7%92より)
「髮(髪)」(漢音ハッ、呉音ホチ)は、
会意兼形声。犮(ハツ)は、はねる、ばらばらにひらくの意を含む。髮はそれを音符とし、髟(かみの毛)を加えた字で、発散するようにひらくかみの毛、
とある(漢字源)。
(「髪」旧字 https://kakijun.jp/page/kami15200.htmlより)
別に、
会意兼形声文字です。「長髪の人」の象形と「長く流れる豊かでつややかな髪」の象形と「犬をはりつけにした」象形(犬をはりつけにして、いけにえを神に捧げ、災害を「取り除く」の意味)から、長くなったらはさみで取り除かなければならない「かみ」、「草木」を意味する「髪」という漢字が成り立ちました、
との解釈もある(https://okjiten.jp/kanji293.html)。
(「髪」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji293.htmlより)
「鬟」(漢音カン、呉音ゲン)は、
会意兼形声。下部の字(カン)は、まるい、とりまくの意を含む。鬟はそれを音符とし、髟(かみの毛)を加えた字、
とある(漢字源)。髪を束ねて丸く輪にした意、である。
「髻」(漢音ケイ・キツ、呉音キ・キチ)は、
会意兼形声。「髟(かみの毛)+音符吉(結、ぐっとむすぶ)」
で、「もとどり」「たぶさ」の意である。
「鬢」(慣用ビン、漢音呉音ヒン)は、
会意兼形声。賓は、すれすれにくっつく意を含む。鬢は「髟(かみの毛)+音符賓」で、髪の末端、ほほとすれすれのきわにはえた毛、
とある(漢字源)。「びんずら」の意を持つ。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95