「屈強(くっきょう)」は、
強情で、人に屈しないこと、
であるが、
倔強、
とも当てる。
きわめて力が強いこと、
頑丈なさま、
の意である(デジタル大辞泉)。漢書・匈奴伝に、
楊信、為人剛直屈強、
とあり、
剛直の貌、
従順ならざる貌、
とあり(字源)、
檜曰、此老倔強猶昔(宋史)、
と、
倔強、
とも、
孟知祥倔彊於蜀(五代史)、
と、
倔彊、
とも、
迺欲以新造未集之越屈彊於此(史記)、
と、
屈彊、
とも当て、
崛彊、
とも同じとある(字源)。原意は、ただ、
強い、
頑丈、
というよりは、
頑強、
強情、
の含意が強い気がする。「くっきょう」は、
究竟、
とも当て、
六千余騎こそこもれけり、もとより究竟の城郭なり(太平記)、
と、
きわめて力の強いこと、
堅固、
の意で使い、
この場合は、
屈強、
とも当てる。しかし、本来、「究竟」は、
くきょう、
と訓ませ、
くっきょう、
は、
その急呼(促音化)、
とある(広辞苑・大言海)。「究竟(くきょう)」は、
クは呉音、
とある(仝上)。これも漢語のようであり、「究竟」は、漢音では、
キュウキョウ、
と訓ませ、
流覧徧照、殫變極態、上下究竟(後漢書・馬融伝)、
とあり、
つまるところ、
の意で、
畢竟、
究極、
窮竟、
と同義である(字源)。室町時代の意義分類体の辞書『下學集』にも、確かに、
究竟(クキャウ)、必竟之義也、
とあり、「必竟」は、
畢竟(ひっきょう)、
の意で、
梵語atyantaの訳。「畢」も「竟」も終わる意、
とあり(精選版日本国語大辞典)、
つまるところ、
の意だが、
究竟は理即にひとし、大欲は無欲に似たり(徒然草)、
と、
物の究極に達したところ、
の意でも使われ、日葡辞書(1603~04)には、
クッキャウノジャウズ、
と載り、
極めて優れていること、
の意で、
金武と云ふ放免あり、究竟の大力(源平盛衰記)、
とも使われる。憶測だが、仏語で、
一切の法を悟りつくした境地、
天台宗でいう六即の最高位、
の意で、
究竟即、
といい、その略として、
究竟、
を使ったため、その転化として、
主従三騎究竟の逸物どもにて(平治物語)、
と、
卓越していること、
の意で使われ、音が、
クキョウ→クッキョウ、
と転訛し、音が重なる、
倔強、
屈強、
の、
きわめて力が強いこと、
の意と重なったのではあるまいか。
「退屈」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/484531850.html?1637784119)で触れたように、「屈」(漢音クツ、呉音クチ)は、
会意。「尸(しり)+出」で、からだをまげて尻を後ろにつき出すことを示す。尻をだせばからだ全体はくぼんで曲がることから、かがんで小さくなる、の意ともなる。出を音符と考える説もあるが、従い難い、
とある(漢字源)。しかし、
形声。意符尾(しっぽ。尸は省略形)と、音符出(シユツ)→(クツ)とから成る。短いしっぽ、転じて、くじく意を表す、
とか(角川新字源)、
会意文字です(尸(尾)+出)。「獣のしりが変形したもの」と「毛がはえている」象形と「くぼみの象形が変形したもの」から、くぼみに尾を入れるさまを表し、そこから、「かがむ」、「かがめる」を意味する「屈」という漢字が成り立ちました、
とする解釈もある(https://okjiten.jp/kanji1192.html)。
「倔」(漢音クツ、呉音ゴチ)は、
会意兼形声。屈は、伸の反対で、曲がって低くかがむの意を含む。倔は「人+音符屈」で、かがんでいるが底力のあること、
とある(漢字源)。「ずんぐりして芯の強いさま」の意で、「倔強」と使う。
「究」(漢音キュウ、呉音グ)は、
会意兼形声。九は、手が奥に届いて曲がったさま。十進法の序数のうち、最後の行き詰まりの数を示すのに用いる。究は「宀(あな)+音符九」で、穴の奥底の行き詰まるところまで探ることを示す、
とあり(仝上)、「究奥義」と、「きわめる」意である。
(「究」 説文解字・漢 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%A9%B6より)
別に、
会意兼形声文字です(穴+九)。「穴居生活の住居」の象形と「屈曲して尽きる」象形(「尽きる」、「きわまる」の意味)から穴を「つきる・きわめる」を意味する「究」という漢字が成り立ちました、
との解釈もある(https://okjiten.jp/kanji472.html)。
「彊」(漢音キョウ、呉音コウ、ゴウ、キョウ)は、
会意兼形声。右側の字(キョウ)は、田の間にくっきりと一線で境界を付けることを示し、かたく張ってけじめの明らかな意を含む。彊はそれを音符とし、弓を加えた字で、もと弓が堅く張ったこと。転じて、広く丈夫で堅い意に用いる、
とある(漢字源)。「強弓」の意(字源)とあり、丈夫で力がこもっている、意とある(漢字源)。「強」と同義である。
「強(强)」(漢音キョウ、呉音ゴウ)は、
会意兼形声。彊(キョウ)はがっちりとかたく丈夫な弓、〇印はまるい虫の姿。強は「〇印の下に虫+音符彊の略体」で、もとがっちりしたからをかぶった甲虫のこと。強は彊に通じて、かたく丈夫な意に用いる、
とある(漢字源)。中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)には、
強、蚚也、从虫弘聲……
とあり、「蚚」は、
コクゾウムシという、固い殻をかぶった昆虫の一種を表す漢字だ、とされています。つまり、「強」とは本来、コクゾウムシを表す漢字であって、その殻が固いことから、「つよい」という意味へと変化してきた、
とあり(https://kanjibunka.com/kanji-faq/mean/q0435/)、
会意兼形声文字です。「弓」の象形と「小さく取り囲む文字と頭が大きくてグロテスクなまむし」の象形(「硬い殻を持つコクゾウムシ、つよい、かたい」の意味)から、「つよい」を意味する「強」という漢字が成り立ちました、
とある(https://okjiten.jp/kanji205.html)のは、その流れである。
しかし、白川静『字統』(平凡社)によれば、
「強」に含まれる「虫」はおそらく蚕(かいこ)のことで、この漢字は本来、蚕から取った糸を張った弓のことを表していた、その弓の強さから転じて「つよい」という意味になった
とある(https://kanjibunka.com/kanji-faq/mean/q0435/)。だから、「強」については、
会意。「弘」+「虫」で、ある種類の虫の名が、「彊」(強い弓)を音が共通であるため音を仮借した(説文解字他)、
または、
会意。「弘」は弓の弦をはずした様で、ひいては弓の弦を意味し、蚕からとった強い弦を意味する(白川)、
と、上記(漢字源)の、
会意形声説:。「弘」は「彊」(キョウ)の略体で、「虫」をつけ甲虫の硬い頭部等を意味した(藤堂)、
と諸説がわかれることになる(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%BC%B7#%E5%AD%97%E6%BA%90)。
(「強(强)」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji205.htmlより)
「竟」(漢音キョウ、呉音ケイ)は、
会意。「音+人」で、音楽の終り、楽章の最後を示す、
とある(漢字源)。
不肯竟學(あへて学を竟(お)へず)、
とある(史記)ように、「竟日」(きょうじつ 終日)と、「最後の最後までとどく」「しまいまでやりとげる」意である。
(「竟」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%AB%9Fより)
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95