2021年12月26日

一炊の夢


覚めて枕の上の眠(ねぶ)りを思へば、わづか午炊一黄粱の間を過ぎざりけり。客、ここに、人間百年の楽しみも、枕頭片時の夢なることを悟りて(太平記)、

を、

楊亀山が日月を謝する詩に曰く、
少年より学に勧(つと)めて志須(すべか)らく張(ちょう)すべし、
得失由来一夢長し、
試みに問ふ邯鄲枕を欹(そばだ)つる客、
人間幾度(いくたび)か黄粱を熟する(「勉謝自明」)、
これを、邯鄲午炊の夢とは申すなり(仝上)、

と表現するのは、

邯鄲の枕
邯鄲の夢、
邯鄲の夢枕、
黄粱の夢、
黄梁一炊の夢、
盧生の夢、

等々、さまざまに言われる、唐の沈既済撰(李泌(りひつ)作)『枕中記』(ちんちゅうき)の、

官吏登用試験に落第した盧生という青年が、趙の邯鄲で、道士呂翁から栄華が意のままになるという不思議な枕を借りて寝たところ、次第に立身して富貴を極めたが、目覚めると枕頭の黄粱(こうりょう)がまだ煮えないほどの短い間の夢であった、

という故事に由来する(広辞苑)。その夢は、たとえば、

みるみる出世し嫁も貰い、時には冤罪で投獄され、名声を求めたことを後悔して自殺しようとしたり、運よく処罰を免れたり、冤罪が晴らされ信義を取り戻したりしながら栄旺栄華を極め、国王にも就き賢臣の誉れを恣にするに至る。子や孫にも恵まれ、幸福な生活を送った。しかし年齢には勝てず、多くの人々に惜しまれながら眠るように死んだ、ふと目覚めると、

とかhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%82%AF%E9%84%B2%E3%81%AE%E6%9E%95

仕官して、貶せられ、又、徴(め)されて、終に、官、中書令に陞(のぼ)り、燕國公に封ぜられ、子あり、孫あり、八十余年にして終はると見て、夢覚むれば、

とか(大言海)、そして、目覚めると、

盧生欠伸而寤。見方偃於邸中、顧呂翁在傍。主人蒸黄粱尚未熟。触類如故。蹶然而興曰、豈其夢寐耶。翁笑謂曰、人世之事亦猶是。生然之。良久謝曰、夫寵辱之数、得喪之理、生死之情、尽知之矣。此先生所以窒吾欲也、敢不受教。再拝而去(盧生欠伸(けんしん)して寤(さ)む。見れば方(まさ)に邸中(ていちゅう)に偃(ふ)し、顧みれば呂翁(りょおう)傍らに在り。主人黄粱(こうりょう)を蒸して尚(な)お未(いま)だ熟せず。触類(しょくるい)故(もと)の如(ごと)し。蹶然(けつぜん)として興(お)きて曰(いわ)く、豈(あ)にそれ夢寐(むび)なるか、と。翁笑いて謂いて曰く、人世の事も亦た猶お是くのごとし、と。生、これを然(しか)りとす。良(やや)久しくして謝して曰く、夫(か)の寵辱(ちょうじょく)の数(すう)、得喪(とくそう)の理、生死の情、尽(ことごと)くこれを知れり。これ先生の吾が欲を塞(ふさ)ぐ所以(ゆえん)なり、敢て教えをうけざらんや、と。再拝して去る)

https://dictionary.sanseido-publ.co.jp/column/kotowaza34

うたた寝をする間に、50余年の富貴を極めた一生の夢、

を見たことになる。だから、

人生の栄枯盛衰のはかないことの喩え、

として使われる(広辞苑)。

黄粱一炊図:渡辺崋山の絶筆.jpg

(黄粱一炊図(渡辺崋山の絶筆) https://j-art.hix05.com/32.2.kazan/kazan21.koryo.htmlより)

南柯(なんか)の夢、

とも言われるが、これは、唐の李公佐の小説「南柯太守伝」の、

淳于棼(じゅんうふん)が、酔って邸内の槐(えんじゅ)の下で眠り、大槐安(だいかいあん)国からの使者に導かれて穴の中へ入り、大槐安国へ至り、国王の娘を娶り、国王から南柯郡(「柯」とは、枝という意味)の長官に封ぜられ、それから二〇年を過ごした夢を見る。目が覚めて、槐の木の下を見ると、蟻の穴が二つあり、その一つには大蟻が王として住み、もう一つは、槐の木の南に向いた枝へと通じていて、それが南柯郡であった、

による(故事ことわざの辞典・広辞苑)が、

淳于棼家居廣陵、宅南有古槐樹、棼醉臥其下、夢、二使者曰、槐安國王奉、棼随使人穴中、見榜、曰大槐安國、其王曰、吾南柯郡政事不理、屈卿、為守理之、棼至郡凡二十載、使送歸、遂覚、因尋古槐下穴、洞然明朗、可容一榻、有一大蟻、乃王也、又、尋一穴、直上南柯、即棼所守之郡也、

とあり(異聞集)、詳細は、陳翰「大槐宮記」にある、とある(大言海)。いずれにせよ、「盧生の夢」と似た話である。

南柯の一夢、
南柯の一睡、

ともいう(故事ことわざの辞典)。人の一生の儚さを、

天上の五衰、人間(じんかん)の一炊、ただ夢とのみぞ覚えたるに(太平記)、

と、天上と対比する言い方もある。

五衰、

とは、

天人が死に臨んで現わす衰相、

と注記され(兵藤裕己校注『太平記』)、

六道最高位の天界にいる天人が、長寿の末に迎える死の直前に現れる5つの兆し、

ともあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E4%BA%BA%E4%BA%94%E8%A1%B0が、天界の神々である天人(デーバdeva)の命が終ろうとするとき、

その身体に五つの衰えが表れる、

のをいい、経説によって差異があり、涅槃経では、

衣服垢穢(いふくくえ 衣服が垢で汚れる)、
頭上華萎(ずじょうけい 頭にかぶっている華(はな)の冠がしおれる)、
身体臭穢(しゅうえ 身体が臭くなる)、
腋下汗流(えきけかんる 腋(わき)の下から汗が流れる)、
不楽本座(ふらくほんざ 自らの位置を楽しまなくなる)、

の五つとされるが、増一阿含経では、

華冠自萎、
衣裳垢、
腋下流汗、
不楽本位、
王女違叛、

仏本行集経では、

頭上花萎、
腋下汗出、
衣裳垢膩、
身失威光、
不楽本座、

と、微妙に異なる(日本大百科全書・デジタル大辞泉)。

時移り、事去りて、世の代はり行く有様は、天人の五衰に異ならず(平家物語)、

と、世の変化に兆しをみる。

参考文献;
尚学図書編『故事ことわざの辞典』(小学館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 05:06| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする