「根機」は、
根器、
根気、
とも当て(岩波古語辞典)、本来、仏教用語で、
衆生の、教法を受けるべき性質・能力、
の意で、
人の根機下される故なり(沙石集)、
と、
仏の教化を受けるとき発動することができる能力または資質、
という意味であり(精選版日本国語大辞典)、
機根、
とも、
機、
とも言われる(仝上)が、その意味を広く取って、
楠、いよいよ猛き心を振るひ、根機を尽くして、左に打って懸かり(太平記)、
と、
忍耐する気力、
気根、
の意でも使う。
「機根」は、
気根、
とも当て、やはり仏教用語で、
その機根をはからひて、上人もかくすすめけるにや(十訓抄)、
と、
仏の教えを聞いて修行しえる能力のこと、また、仏の教えを理解する度量・器のことで、さらには衆生の各人の性格をいう(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A9%9F%E6%A0%B9)、
とか、
一般の人々に潜在的に存在し、仏教にふれて活動しはじめる一種の潜在的能力のこと(ブリタニカ国際大百科事典)、
の意であり、仏教においては、
弟子や衆生のこの機根を見極めて説法することが肝要で、非常に大事である、
とされ(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A9%9F%E6%A0%B9)、各種経典において、
利根(りこん) - 素直に仏の教えを受け入れ理解する人
鈍根(どんこん) - 素直に仏の教えを受け入れず理解しにくい人
などとも説かれている(仝上)、とある。
「機根」は、「根機」同様に、
かの亡者は生得(しやうとく)機根の弱気人(ロザリオの経)、
と、
気力、
根性、
の意でも使い、一般にいう
根性、
は、この機根に由来する言葉である(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A9%9F%E6%A0%B9)とされ、
根性の根とは能力、あるいはそれを生み出す力・能生(のうしょう)のこと、性とは、その人の生まれついた性質のことを意味する、
とある(仝上)。さらには、
ちと機根の落つる御薬を、申し請けたきよし申せば(咄「昨日は今日」)、
と、
精力、性欲、
の意にまで使う。用例から見ると、
時代機根に相萌して、因果業報の時至るゆゑなり(太平記)、
と、もっとひろく、
時勢と気運、
の意でも使われる(兵藤裕己校注『太平記』)。
「機微」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/403855330.html)で触れたように、「機」自体が、類聚名義抄(11~12世紀)に、
機、アヤツリ、
とあり、
千鈞の弩(いしゆみ)は蹊鼠(けいそ)の為に機を発せず(太平記)、
と、
弩のばね、転じて、しかけ、からくり、
の意で使われるだけではなく、
迷悟(凡夫と佛)機ことなり、感応一に非ず(性霊集)、
と、
縁に触れて発動される神的な能力、
素質、
機根、
の意や、
一足も引かず、戦って機已に疲れければ(太平記)、
と、
気力、
元気、
の意でも使われている(岩波古語辞典)。「機」は、
縁に遇えば発動する可能性をもつもの、
の意(http://labo.wikidharma.org/index.php/%E6%A9%9F)とあり、
仏の教法を受け、その教化をこうむる者の素質能力。また教化の対象となる衆生、
をいい、これを法または教と連称して機法、機教という(仝上)、とあり、『法華玄義』に、機の語義を、
微(仏の教化によって発動する微かな善を内にもっている)、
関(仏が衆生の素質能力に応じてなす教化、即ち仏の応と相関関係にある)、
宜(仏の教化に宜しくかなう)、
の三義を挙げる(仝上)、とある。
機は必ず何らかの根性(根本となる性質、資質)をもつ、
から機根或いは根機といわれるというわけである(仝上)。さらに、
機の語が表われる場面には一つの法則がある。それは仏(あるいは菩薩)と衆生という関係において、機と法(仏のはたらき)の相応関係が論ぜられる場合、
とある(https://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/DD/0013/DD00130R025.pdf)。まさに、
機縁、
つまり、
仏の教えを受ける衆生の能力と仏との関係(縁)、
である。「機」に、
御方(みかた)の疲れたる小勢を以て敵の機に乗ったる大勢に懸け合って(仝上)、
と、
物事のきっかけ、
はずみ、
時機、
の意で使う所以はある。
「根」もまた、
根気、
性根、
と使うように、仏教用語の、
能力や知覚をもった器官、
を指し(日本大百科全書)、
サンスクリット語のインドリヤindriyaの漢訳で、原語は能力、機能、器官などの意。植物の根が、成長発展せしめる能力をもっていて枝、幹などを生じるところから根の字が当てられた、
とあり(仝上)、外界の対象をとらえて、心の中に認識作用をおこさせる感覚器官としての、
目、耳、鼻、舌、身、
また、悟りの境地を得るために優れた働きがある能力、
信(しん)、精進(しょうじん)、念(ねん)、定(じょう)、慧(え)、
を、
五根(ごこん)、
という(広辞苑・仝上)。因みに、目、耳、鼻、舌、身に意根(心)を加えると、
六根、
となる(精選版日本国語大辞典)。
「根」(コン)は、
会意兼形声。艮(コン)は「目+匕(ナイフ)」の会意文字で、頭蓋骨の目の穴をナイフでえぐったことを示す。目の穴のように、一定のところにとまって取れない意を含む。眼(目の玉の入る穴)の原字。根は「木+音符艮」で、とまって抜けない木の根、
とある(漢字源)が、
木のねもと、ひいて、物事のもとの意を表す、
ともある(角川新字源)。別に、
会意形声。「木」+音符「艮」。艮はとどまるの意味。木を土に留める「ね」の意味となった、
とも(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%A0%B9)、
会意兼形声文字です(木+艮)。「大地を覆う木の象形」と「人の目を強調した象形」(「とどまる」の意味)から植物の地中にとどまるもの、すなわち「ね」を意味する「根」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji420.html)。
(「根」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji420.htmlより)
「機分」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/484789500.html?1639339910)で触れたように、漢字「機」(漢音キ、呉音ケ)は
会意兼形声。幾(キ)は、「幺二つ(細かい糸、わずか)+戈(ほこ)+人」の会意文字で、人の首に武器を近づけて、もうわずかで届きそうなさま。わずかである、細かいという意を含む。「機」は、「木+音符幾」で、木製の仕掛けの細かい部品、僅かな接触で噛み合う装置のこと、
とあり(漢字源)、漢字「機」には、
はた、機織り機、「機杼」、
部品を組み立ててできた複雑な仕掛け、「機械」、
物事の細かい仕組み、「機構」「枢機(かなめ)」、
きざし、事が起こる細かいかみあい、「機会」「契機」「投機」、
人にはわからない細かい事柄、秘密、「機密」「軍機」、
勘の良さ、細かい心の動き、「機知」「機転」、
といった意味があり(仝上)、和語「機」が、強く漢字の意味の影響を承けていることがわかる。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95