2021年12月30日

向かひ城


脇屋左京太夫(さきょうのだいぶ)義助(よしすけ 新田義貞弟)の兵五千騎、志賀の炎魔堂の辺りにありける敵の向かひ城、五百余ヶ所に火を懸けて(太平記)、

とある、「向かひ城(むかいじろ)」は、

向ひ城、
向城、
対城、

などとも表記するが、

対(たいの)城、

ともいい、戦国期には、多く、

三木城へ取懸けるが名城なるにより一旦に攻上るに事難かるべしとて、四方に附城を丈夫に拵へ秀吉卿に御渡有て、八月十六日には信忠卿惣人数卒して打納給ふ(信長記)、

と、

付城(つけじろ、つけしろ)、

とも呼び、

城攻めのとき、敵の城に相対して築く城、

の意である(兵藤裕己校注『太平記』)。

三木城攻めでは、40以上の付城を築き、三木城南側には付城と付城の間に土塁を設けて、三木城を包囲して兵糧攻めにし、

(毛利の将)西国の住人生石(おいし)中務大輔(なかつかさたいふ)、平島一介、幷(ならび)に紀州(雑賀)の住人土橋平丞、渡辺藤左衛門尉、魁(さきがけ)となり、数万騎案内者を乞い、裡(うら)の手を廻り、大村坂を越え、未明に堀柵(ほりさく)を切り崩し、嶮難を凌ぐところに、三木の士卒懸け合わせ、先づ、兵粮を入れず、谷大膳亮(衛好)が付城(つけじろ)に攻め上り、数剋防戦、火花を散らし、既に外構へに乗り入れ、終に大膳を討つ。秀吉、早々に懸着(かけつ)けらるべきところに、敵一手に働くべきにあらず。北方の襲(おそい)にて南方の行(てだて)あらんと、少し見合はせらるヽ間に、此(かく)の如き註進(ちゅうしん)あり。風に随ふ旗先は敵陣に差し向かい、一刻に懸け渡し、声を同じうして懸かりたり、敵も名ある侍にて、左右(そう)なく太刀場を取られずと、二、三度鑓を合はすと雖も、精兵に突き立てられ、潴(たま)らずして敗北す。然れども、外構へを乗つ取る輩(ともがら)二、三百、出張(でばり)を打ちて支えたり。秀吉、軍兵を二手に分けて、一方は、城を乗つ取るの返りを攻め、片時が間に討ち果たす。又一方の軍兵、麓に至りて追つて行く。其こにて取つて引き返し、鑓前(やりさき)に死する者五、六百。其の中の別所甚太夫、同三太夫、同左近将監、光枝(みつえだ)小太郎、同道夕、櫛橋弥五三、高橋平左衛門、三宅与兵次、小野権左衛門、砥堀(とぼり)孫太夫、以上大将分、此の外、藝州、紀州の諸侍七、八百、首塚を積み上げ置かれたり(播磨別所記)、

と、別所側は兵糧を入れるのに失敗し、

三木の干殺し、

と呼ばれ、数千人の餓死者を出した、といわれる。

平井山ノ上付城跡.jpg


「向かふ」は、

向キ合フの約。互いに正面に向き合う意。相手を目ざして正面から進んでいく意、

とある(岩波古語辞典)。「付く」は、

二つ以上のものがぴたりと一つになって離れず、一体化する意。類義語ヨル(寄)は近づく動きそのものに主点を置いていうに対して、ツクは一体化する結果に観念の濃い用法が多い、

とある(仝上)。攻城の、向かい側という意識よりは、より近くという含意になるが、対抗する意よりは、包囲を主眼にすることによって、付城という言い方になったのかもしれない。

付城、

は、

陣城(じんしろ・じんじろ)、

と重なる。「陣城」は、

戦場で、臨時の城を造ること、

だが、

敵城に対して城攻めのために陣城を築く、

と、

付城、

になる(西ヶ谷恭弘『城郭』)。また、

城中より多勢を出してもたやすく曳とりかたし、また寄手よりも多勢をもってせめかかるべき地形ならず。先仕よりをつけ、埋め草をもつて城を一重づつ取るべきとの議定也(信長記)、

とある、

仕寄(しより)、

は、

攻撃する時に、敵に身体を晒して被害が出ぬように濠を掘り、あるいは前線における横の通路としたり、また濠から弓矢や鉄炮で攻撃し、敵の騎馬隊の突撃を防ぐための装置のこと、

とあり(笹間良彦『図説 日本戦陣作法事典』)、濠だけではなく、

竹束・盾・井楼(櫓)を組み、柵を結ぶなどして敵城に接近する法、

を指し、

竹などを大きな束にしたもの、

の意で用いることもある(精選版日本国語大辞典)。この敵城への攻め口をも、

仕寄、

と言い、

寄口(よせぐち)、

とも言い、

濠を掘ったり、矢弾よけの盾・竹束を並べたり、……井楼をつめて攻城の態勢にすることを、

仕寄を付ける、

という(笹間良彦『武家戦陣資料事典』)。つまり、城攻めの第一段階が、

付城を築く、

ことで、第二段階は、城に接近する行動である、

仕寄(しよ)る、

ための構築物を、

仕寄(しより)、

「仕寄」を城の近くに接近させることを、

仕寄を付ける、

といった(世界大百科事典)。

「向」 漢字.gif

(「向」 https://kakijun.jp/page/0647200.htmlより)

「背向(そがい)」http://ppnetwork.seesaa.net/article/482178677.htmlで触れたように、「向」(漢音コウ、呉音キョウ)は、

会意。「宀(屋根)+口(あな)」で、家屋の北壁にあけた通気口を示す。通風窓から空気が出ていくように、気体や物がある方向に進行すること、

とある(漢字源)。別に、

会意。「宀」(屋根)+「口」(窓 又は 窓に供えた神器)、

ともありhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%90%91、さらに、

「向」 甲骨文字.png

(「向」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%90%91より)

象形文字です。「家の北側に付いている窓」の象形から「たかまど」を意味する「向」という漢字が成り立ちました。「卿(キョウ)」に通じ、「むく」という意味も表すようになりました、

との解釈もあるhttps://okjiten.jp/kanji487.html

「城」 漢字.gif

(「城」 https://kakijun.jp/page/0932200.htmlより)

「城」(漢音せい、呉音ジョウ)は、

会意兼形声。成は「戈(ほこ)+音符丁(打って固める)」の会意兼形声文字で、とんとんたたいて、固める意を含む。城は「土+音符成」で、住民全体をまとめて防壁の中に入れるため、土を盛って固めた城のこと。『説文解字』(後漢・許慎)には、

城とは民を盛るもの、

とある(漢字源・角川新字源・https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%9F%8E)。ただ、

「城」 金文・西周.png

(「城」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%9F%8Eより)

会意兼形声文字です(土+成)。金文では、土の部分が「望楼(遠くを見渡すだけに作られた背の高い建物)」の象形でした。のちに、「土地の神を祭る為に柱状に固めた土」の象形(「土」の意味)と「斧のような刃のついた矛の象形と釘の頭からみた象形」(「まさかりで敵を平定する・安定させる」の意味)から、土を盛り上げ、人を入れて安定させる事を意味し、そこから、「しろ」、「きずく」を意味する「城」という漢字が成り立ちました、

との解釈もあるhttps://okjiten.jp/kanji1029.html)。

「城」 成り立ち.gif

(「城」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji1029.htmlより)

参考文献;
西ヶ谷恭弘『城郭』(近藤出版社)
笹間良彦『図説 日本戦陣作法事典』(柏書房)
笹間良彦『武家戦陣資料事典』(第一書房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 05:14| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする