2022年01月21日
黈纊(とうこう)耳を塞がず
后妃の徳違(たが)はば、四海の鎮まる期(ご)あるべからず。褒姒(ほうじ)周の代(よ)を乱り、西施呉國を傾(かたぶ)けし事、黈纊耳に届かず、君、何ぞ思し召し知らざらん(太平記)、
とある、
黈纊(トウコウ)、
とは、
天子の冠の両脇にたらして耳を塞ぐ綿玉、
をいい(兵藤裕己校注『太平記』)、
黄綿似て作りし耳ふさぎ、
とある(字源)。
「黈」(トウ)は、漢書・東方朔伝に、
黈纊充耳、所以塞聴、
とあり、
みみだま、
みみふさぎ、
とあり(字源)、
黄色の纊(わた)にて作りし珠を、冕(ベン)に懸けて両耳の旁に垂れ、妄りに聞くことを戒むるもの、
とある(仝上)。「冕(ベン)」は、
冠、
の意であり、中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)に、
古黄帝初作冕、
とある(仝上)。
冕冠(ベンカン)、
ともいい、
東アジアの漢字文化圏諸国で皇帝、天皇、国王などが着用した冠、
を指す(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%95%E5%86%A0)。
「冕旒(べんりゅう)」は、
冕(かんむり)の前後に垂れ下げる珠玉。天子の冕は十有二旒、諸侯は九、上大夫は七、下大夫は五旒、
とあり、清・康熙帝勅撰の、漢代『説文解字』以降の字書の集大成として編纂した『康熙字典』(1716年)には、
冕旒以絲縄貫玉、垂冕前後也、
とある(字源)。「纊」(コウ)も、
わた、
新しいわた、
の意である。
黈纊耳を塞がず、
は、
天子の耳に届かないはずはない、
の意となる(兵藤裕己校注『太平記』)。
東方朔・答客難に、
水至清則無魚(水至って清ければ則ち魚無し)、
人至察則無徒(人至って察なれば則ち徒(ト 仲間)無し)、
冕而前旒(冕(べん)して旒(りゅう)を前にするは)、
所以蔽明(明を蔽(おお)う所以なり)、
黈纊充耳(黈纊(とうこう)して耳を充(みた)すは)、
所以塞聰(聡を塞(ふさ)ぐ所以なり)、
明有所不見(明にして見ざる所有り)、
聰有所不聞(聡にして聞かざる所有り)、
擧大德(大徳を挙げ)、
赦小過(小過を赦し)、
無求備於一人之義也(備(そな)わらんことを一人(いちにん)に求むる無きの義なり)、
とあり(https://kanbun.info/koji/mizukiyo.html)、
冕而前旒、
所以蔽明、
黈纊充耳、
所以塞聰、
である。これは、例の、
水清ければ魚棲まず、
の出典でもある。
無求備於一人之(備(そな)わらんことを一人に求むること無かれ)、
は、『論語』微子篇に、
周公謂魯公曰(周公魯公に謂(い)いて曰わく)、
君子不施其親(君子は其の親(しん)を施(す)てず)、
不使大臣怨乎不以(大臣をして以(もち)いられざるを怨ま使(し)めず)、
故旧無大故(故旧(こきゅう)大故(たいこ)無ければ)、
則不棄也(則ち棄(す)てざるなり)、
無求備於一人(一人に備わらんことを求むるなかれ)、
とあり、
一人の人間に完全を求めてはならない、
意とされる(貝塚茂樹訳注『論語』)。万能な人間などいないのだから、一人の人間に完全無欠を要求してはいけないという含意であるが、
備わるを一人に求むるなかれ、
と訓ますこともある(故事ことわざの辞典)。同趣旨は、『書経』に、
居上克明(上に居りては克(よ)く明らかに)、
為下克忠(下(しも)と爲りては克(よ)く忠あり)、
與人不求備(人と與(とも)にするには備わらんことを求めず)、
檢身若不及(身を検(けん)するも及ばざるが若くす)、
とある(https://ats5396.xsrv.jp/5620/)。
参考文献;
簡野道明『字源』(角川書店)
尚学図書編『故事ことわざの辞典』(小学館)
貝塚茂樹訳注『論語』(中公文庫)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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2022年01月22日
劫
「劫」は、慣用的に、
ゴウ、
とも訓むが、
コウ(コフ)、
が正しい。
呉音、
である。
劫波(こうは)、
劫簸(こうは)、
ともいう(広辞苑)。
「劫」(慣用ゴウ、漢音キョウ、呉音コウ)は、
会意。「力+去(くぼむ、ひっこむ)」で、圧力を加えて相手をあとずさりさせること、
とある(漢字源)。「脅」と同義で、
おびやかす、
力で相手をおじけさせる、
意だが、異字体「刧」とは本来別字ながら、
俗に誤りて、通用す、
とある(字源)。「劫」の字は、
サンスクリット語のカルパ(kalpa)、
に、
劫波(劫簸)、
と、音写した(漢字源)ため、仏教用語として、
一世の称、
また、
極めて長い時間、
を意味する(仝上)。
その後、四所の菩薩、化(け)を助けて、十方より来たり、……その済度利生(さいどりしょう)の区(まちまち)なる徳、百千劫の間に、舌に暢(の)べて説くとも、尽くべからず(太平記)、
は、「長い時間」を強調している。「劫」は、
刹那の反対、
だが、単に、
時間、
または、
世、
の義でも使う(字源)。インドでは、
梵天の一日、
人間の四億三千二百万年、
を、
一劫(いちごう)、
という。ために、仏教では、その長さの喩えとして、
四十四里四方の大石が三年に一度布で拭かれ、摩滅してしまうまで、
方四十里の城にケシを満たして、百年に一度、一粒ずつとり去りケシはなくなっても終わらない長い時間、
などともいわれる(仝上・精選版日本国語大辞典)。『大智度論』には、
1辺4000里の岩を100年に1度布でなで、岩がすり減って完全になくなっても劫に満たない、
とあり(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%AB)、
磐石劫、
と呼ぶ、とか。この故か、囲碁で、
お互いが交互に相手の石を取り、無限に続きうる形、
を、
コウ(劫)、
という(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%82%A6)。
なお、劫には小中大の大きさの段階があり、
上下四方40里の城いっぱいにけしを満たし、3年ごとに1粒ずつけしを取除いて、すっかりけしがなくなってしまう時間、
を、
芥子(けし)劫、
といい、
死して無間地獄に墜ちて、多劫の苦を受け終って、今、人中に生まる(太平記)、
に注記(兵藤裕己校注『太平記』)する、
四十里の城に芥子粒を満たし、百年に一粒ずつ取って一劫はなお終わらない(大智度論)、
とあるのは、これを指すものと思われるが、さらに、
上下四方40里の岩を、天女が天から3年ごとに下ってきて、羽衣でひと触れしているうちについにその岩がすりへってなくなってしまうまでの時間、
を、
磐石劫、
といい、この、
芥子劫、
磐石劫、
を、
小劫、
とし、
上下四方80里の城と岩にたとえる場合、
を、
中劫、
さらに120里にたとえる、
のを、
大劫、
とする場合がある(ブリタニカ国際大百科事典)。また、
三千大千世界を擦って墨汁とし、千の世界に一点だけ下していき、墨汁が尽きるまで下した国全部を粉微塵にし、その一塵を、
塵点劫、
といい、これを多く集めた、
三千塵点劫、
とか
五百塵点劫、
とかの語もある(世界宗教用語大事典)。
四劫(しこう)、
というと、
世界の成立から無にいたるまでの期間を4期に分類したもの、
をいい、
成劫(じょうごう) 山河、大地、草木などの自然界と生き物とが成立する期間。人間の寿命が8万4000歳のときから100年ごとに1歳ずつ減少していって寿命が10歳になるまでの期間を1減とし、10歳のときから100年ごとに1歳ずつ増加していって8万4000歳となるまでの期間を1増というが、この成劫では20増減(20小劫)があるという、
住劫(じゅうごう) 自然界と生き物とが安穏に持続していく期間。20増減がある、
壊劫(えこう) まず生き物が破壊消滅していき、次に自然界が破壊されていく期間。20増減がある、
空劫(くうごう) 破壊しつくされて何もなくなってしまった時期。20増減がある、
とされる(ブリタニカ国際大百科事典・広辞苑・精選版日本国語大辞典)。また、この、
成(じょう)、
住、
壊(え)、
空、
の四劫は、循環するとも説かれる(精選版日本国語大辞典)。
天地すでに分かれて後、第九の減劫(げんこう)、人寿(にんじゅ)二万歳の時、迦葉(かしょう)世尊西天に出世し給ふ時(太平記)、
の、「第九の減劫」とは、
人間の寿命が百年毎に一歳減って八万歳から十歳になるまでを減劫、逆に十歳から八万歳になるまでを増劫という。それ十回ずつ繰り返される間この世が存続する、この九回目で、人の寿命が二万歳だった頃、
と注記(兵藤裕己校注『太平記』)されるのは、上記に基づく。
「劫」の字源については、
会意兼形声文字です(去(盍の省略形)+力)。「物をのせた皿にふたをした象形」(「覆う」の意味)と「力強い腕の象形」(「力」の意味)から、「力で相手をおしふせる」、「おどす」を意味する「劫」という漢字が
成り立ちました、
との説明もある(https://okjiten.jp/kanji2375.html)。
(「劫」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji2375.htmlより)
参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
2022年01月23日
村消え
今は残雪半ば村消(むらぎ)えて、疋馬(ひつば)地を踏むに、蹄を労せざる時分によくなりぬ(太平記)、
の、
村消ゆ、
は、
斑消ゆ、
叢消ゆ、
群消ゆ、
とも当て(広辞苑・大言海・岩波古語辞典)、
(雪などが)あちこちとまばらに消えている、
一方は消え、一方は残る、
意である(広辞苑・岩波古語辞典)。名詞として、
若菜摘む袖とぞ見ゆる春日野の飛火(とぶひ)の野べの雪のむらぎえ(新古今和歌集)、
薄く濃き野辺の緑の若草に跡まで見ゆる雪のむらぎえ(仝上)、
こりつみてまきのすみやくけをぬるみ大原山の雪のむらぎえ(後拾遺・和泉式部)、
などと、
まだらに消え残る、
意でも使う。
「すそご」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/484482055.html)で触れた、縅(おどし)や染色に、
同じ色で、所々に濃い所と薄い所のあるもの、
を、
村濃(むらご)、
というが、これも、
斑濃、
叢濃、
とも当て、紫色を、
紫村濃、
紺色を、
紺村濃、
といい、
むら(斑)、
の意、
ここかしこに叢(むら)をなすこと(大言海)、
つまり、
色の濃淡、物の厚薄などがあって、不揃い、
の意である(広辞苑)。「むら」は、
叢、
羣(群)、
と当てるが、
当て字に多く村と記す、羣(むれ)の転、
とある(大言海)。
俄に激しく降ってくる雨に、
村雨、
は、
叢雨(岩波古語辞典)、
群雨(大言海)、
の意であり、
ときどきさっと強く降って通り過ぎる雨を、
村時雨、
というのも、
叢時雨、
の意であり(岩波古語辞典)、
叢時雨、
群時雨、
とも当てる。
斑霧(むらぎり)、
は、
まばらに立つ霧、
であり、
(黒漆塗村重籐強弓 https://www.touken-world.jp/search-bow/art0007040/より)
村重藤(むらしげとう)、
とは、
重藤弓を斑(むら)に巻いたもの、
を指す(広辞苑)。
「村」(ソン)は、
会意兼形声。寸は、手の指をしばしおし当てること。村は「木+音符寸」で、人々がしばし腰を落ち着けた木のある所をあらわす、
とある(漢字源)が、
会意兼形声文字です(木+寸)。「大地を覆う木」の象形(「木」の意味)と「右手の手首に親指をあて、脈を測(はか)る事を示す文字」(脈を「測る」の意味だが、ここでは、「人」の意味)から、木材・人が多く集まる「むら」を意味する「村」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji173.html)。
(「村」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji173.htmlより)
ただ、「村」の異字体は、
邨、
で、
形声。意符邑(ゆう むら)と、音符屯(トン)→(ソン)とから成る。人が集まり住む「むら」の意を表す。村は形声で、木と、音符寸(ソン)とから成り、もと、木の名を表したが、のち、邨の意に用いる、
とある(角川新字源)ので、
形声。「木」+音符「寸」。「邨」に同音の文字を当て、「むら」の意を仮借、
ということのようである(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9D%91)。当然、「村」には、「斑(むら)」の意はない。
「斑」(漢音ハン、呉音ヘン)は、
会意。二つの王は、玉を二つにわけたさま。斑はそれと文を合わせた字で、分かれて散らばる意を含む、
とある(漢字源)が、
形声。文と、音符辡(ハン・ベン 玨は変わった形)とから成る。まだらもようの意を表す、
とも(角川新字源)、
会意文字です(辡+文)。「入れ墨をする為の針」の象形×2と「人の胸を開いて、入れ墨の模様を書く」象形から、模様に分かれ目がある事を意味し、そこから、「まだら」を意味する「斑」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji2120.html)。
(「斑」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji2120.htmlより)
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
ラベル:村消え
2022年01月24日
隔生則忘
「隔生則忘」(きゃくしょうそくもう)は、
隔生即忘、
とも当てる(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。
そも隔生則忘とて、生死道隔てぬれば、昇沈苦楽悉くに忘れ(源平盛衰記)、
隔生則忘とは申しながら、また一年五百生(しょう)、懸念無量劫の業なれば、奈利(泥犂(ないり) 地獄)八万の底までも、同じ思ひの炎にや沈みぬらんとあわれなり(太平記)、
なと、
普通一般の人は、この世に生まれ変わる時は、前世のことを忘れ去る、
という仏教用語である(仝上)。
「隔生」とは、
「きゃく」は「隔」の呉音、
とあり(精選版日本国語大辞典)、
法門の愛楽隔生にも忘るべからざる歟(「雑談集(1305)」)、
二世の契をたがへず、夫の隔生(ギャクシャウ)を待つと見へたり(浮世草子「当世乙女織(1706)」)、
などと、
生(しょう)を隔てて生まれかわること
の意の仏語である(仝上)。
「隔」(漢音カク、呉音キャク)は、
会意文字。鬲(レキ)は、中国独特の土器を描いた象形文字で、間を仕切って隔てる意を含む。隔は「阜(壁や土盛り)+鬲」で、壁や塀で仕切ることを示す。鬲にはカクの音もあるので、隔の字においては鬲が音符の役割を果たすと見てもよい。そのさいは、「阜+音符鬲」の会意兼形声文字、
とある(漢字源)。ただ、
形声。阜と、音符(レキ、カク 鬲は変わった形)とから成る。わけへだてるものの意を表す、
と、形成と見るのもある(角川新字源)が、
会意兼形声文字です(阝+鬲)。「はしご」の象形と「脚が高く、地上からへだてる鼎(かなえ。古代中国の金属製の器)」の象形から、「へだてる」を意味する「隔」という漢字が成り立ちました、
と、会意兼形声とみるものもある(https://okjiten.jp/kanji1486.html)。
(「隔」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji1486.htmlより)
「へだてる」意の漢字には、いくつかあり、
隔は、中に仕切りをいれるなり、史記「防隔内外」、
障は、隔也。界也。ささへ、へだつる義、禮、月令「毋有障塞」、
阻は、山川道路のへだてるに用ふ。詩、秦風「道阻且長」、又、へだて止むる義にも用ふ。阻諫の如し、
閒は、すきまをこしらへる義。左伝「遠閒親、新閒奮」。また間をへだておく義にも用ふ。閒歳は、一年間を置く意、
とある(字源)。生死の堺の意では、「隔」の字以外にはなさそうである。
「隔生則忘」は、生まれ変わり、つまり、
輪廻転生、
が前提になっている。輪廻転生とは、
六道(ろくどう/りくどう)、
と呼ばれる六つの世界を、
生まれ変わりながら何度も行き来するもの、
と考えられている(https://www.famille-kazokusou.com/magazine/manner/325)。六道は、
地獄(罪を償わせるための世界。地下の世界)、
餓鬼(餓鬼の世界。腹が膨れた姿の鬼になる)、
畜生(鳥・獣・虫など畜生の世界。種類は約34億種[9]で、苦しみを受けて死ぬ)、
修羅(阿修羅が住み、終始戦い争うために苦しみと怒りが絶えない世界)、
人間(人間が住む世界。四苦八苦に悩まされる)、
天上(天人が住まう世界)、
の六つ(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E9%81%93)。で、
六道輪廻、
ともいう。大乗仏教が成立すると、六道に、
声聞(仏陀の教えを聞く者の意で、仏の教えを聞いてさとる者や、教えを聞く修行僧、すなわち仏弟子を指す)、
縁覚(仏の教えによらずに独力で十二因縁を悟り、それを他人に説かない聖者を指す)、
菩薩(一般的には菩提(悟り)を求める衆生(薩埵)を意味する)、
仏(「修行完成者」つまり「悟りを開き、真理に達した者」を意味する)、
を加え、六道と併せて十界を立てるようになった(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BC%AA%E5%BB%BB)、とある。この転生について、仏教の正統的立場は、
この六道に輪廻し転生する生命のあり方を、肯定するのではない。反対に、克服すべき“迷い”の中にある命とみた。地獄は苦痛にみちた無残な世界であり、天上界は幸福にみちた境界であるけれども、その天上界は救いの実現した“浄土”でもなく、善悪の行為に縛られた輪廻転生を超えた“涅槃”の世界でもない。
仏教は生死を解脱する道をこそ求める。はてしない輪廻を肯定し、転生を求めるのではない。輪廻し転生する生命のあり方を、無残な迷いと観るのである。そして輪廻の束縛からの解放を“解脱”として求め、輪廻し転生する生命、すなわち “生死する命”の超越を、“涅槃”として求め続けるのである、
とある(https://www.otani.ac.jp/yomu_page/b_yougo/nab3mq0000000pth.html)。しかし、前世を忘れるとすると、その生命のあり方は、その都度リセットされるのではないか。とすれば、何の意味があるのだろう。
すべての前世の記憶を取り戻す方法が1つだけあります、
という(http://hounokura.houzouin.net/?eid=74)。それは、
極楽浄土に生まれることです。南無阿弥陀佛とお念仏をお称えし、阿弥陀さまのお力によって、極楽浄土にお救い頂くと、宿命通(しゅくみょうつう)という力がそなわります。この力によって、すべての前世の記憶が明らかになります。しかし、極楽浄土以外の世界に生まれ変わると、再びすべてを忘れてしまいます。
と(仝上)、信仰以外ない、という結論になるのだが、ぼくには、
仏教における輪廻とは、
単なる物質には存在しない、認識という働きの移転である。心とは認識のエネルギーの連続に、仮に名付けたものであり、自我とはそこから生じる錯覚にすぎないため、輪廻における、単立常住の主体(霊魂)は否定される。輪廻のプロセスは、生命の死後に認識のエネルギーが消滅したあと、別の場所において新たに類似のエネルギーが生まれる、というものである。このことは科学のエネルギー保存の法則にたとえて説明される場合がある。この消滅したエネルギーと、生まれたエネルギーは別物であるが、流れとしては一貫しているので、意識が断絶することはない。また、このような一つの心が消滅するとその直後に、前の心によく似た新たな心が生み出されるというプロセスは、生命の生存中にも起こっている。それゆえ、仏教における輪廻とは、心がどのように機能するかを説明する概念であり、単なる死後を説く教えの一つではない、
との説明(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BC%AA%E5%BB%BB)が気になる。
自我とはそこから生じる錯覚にすぎない、
となるらしいのだが。
参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
ラベル:隔生則忘 きゃくしょうそくもう
2022年01月25日
モチーフの焦慮
吉本隆明『共同幻想論』を読む。
若い時に読んだときには、あまり気にならないことが、年を経て、気づくこともある。
本書は、
「人間のつくりだした共同幻想という観点から追及するために試みられたものである。ここで共同幻想というのは、おおざっぱにいえば個体としての人間の心的な世界と心的な世界がつくりだした以外のすべての観念世界を意味している。いいかえれば人間が個体としてではなく、なんらかの共同性としてこの世界と関係する観念の在り方のことを指している。」
その試みは、
「やっと原始的なあるいは未開的な共同の幻想の在りかたからはじまって、〈国家〉の起源の形態となった共同の幻想にまでたどりついた」
ところまでが考察されている(後記)。そして、
「ただ個人の幻想とは異なった次元に想定される共同幻想のさまざまな形態としてだけ、(民俗学とか文化人類学とかが対象とする領域の)対象を取り上げようとおもった」
とし(「角川文庫版のための序」)、その拠るべき原点を、「はじめからおわりまで『遠野物語』と『古事記』の二つに限って」、
「人間のうみだす共同幻想の様々な態様が、どのようにして綜合的な視野のうちに包括されるか」
についての方法を具体的に進めていく。そのキーになる概念は、
自己幻想、
対幻想、
共同幻想、
である。言葉だけが独り歩きして、夙に有名になった「共同幻想」だが、「序」で、こう書いている。
「(文学理論、政治思想、経済学といったばらばらに見えていた問題を)統一する視点はなにかといいますと、すべて基本的には幻想領域であるということだとおもうんです。なぜそれでは上部構造というようにいわないのか。上部構造といってもいいんだけれども、上部構造ということばには既成のいろいろな概念が付着していますから、つまり手あかがついていますから、あまり使いたくないし使わないんですけれども、全幻想領域だというふうにつかめると思うんです」
と述べ(「序」)、その「全幻想領域の構造」を解明する軸として、第一に、国家とか法とかという問題になる、
共同幻想、
第二は、家族論の問題であり、セックスの問題、つまり男女関係の問題である、
対幻想、
第三は、芸術理論、文学理論というものである、個体の幻想である、
自己幻想、
に、構造分解して見せたのである。
「共同幻想」と「自己幻想」「対幻想」関係は次のように説かれる。
「共同幻想も人間がこの世界でとりうる態度がつくりだした観念の形態である。〈種族の父〉も〈種族の母〉も〈トーテム〉も、単なる〈習俗〉や〈神話〉も、〈宗教〉や〈法〉や〈国家〉とおなじように共同幻想のある表われ方であるということができよう。人間はしばしばじぶんの存在を圧殺するために、圧殺されることをしりながら、どうすることもできない必然にうながされてさまざまな負担をつくりだすことができる存在である。共同幻想もまたこの種の負担のひとつである。だから人間にとって共同幻想は個体の幻想と逆立する構造をもっている。そして共同幻想のうち男性または女性としての人間がうみだす幻想をここでは特に対幻想とよぶことにした。」
と。「社会の共同性」のなかでは個人が「逆立」するというのは、人が作り出したものであるにもかかわらず、人のための国家、人のための法ではなく、国家のための個、法のための個であるかの如く受け止めざるを得なくなるのを指し、
「単に心的な世界を実在するかのように行使し、身体はただ抽象的な身体一般であるかのように行使するというばかりではなく、人間存在としても桎梏や矛盾や虚偽としてしか〈社会〉の共同性に参加することはできないということを意味している」(個人・家族・社会)
と、
「人間の幻想の世界は共同性として存在するかぎりは、個々の人間の〈心理的〉世界と逆立してしまうのである。」
と、主客が逆転していく。この機制が、
禁制論、
から続く、各論の背骨として通っていく。
禁制論、
では、
タブーは、恐怖の共同性、
として、村落の禁制として生かされていく。
「わたしたちの心の風土で、禁制がうみだされる条件はすくなくともふた色ある。ひとつは、個体がなんらかの理由で入眠状態にあることであり、もうひとつは閉じられた弱小な生活圏にあると無意識のうちでもかんがえていることである。この条件は共同的な幻想についてもかわらない。共同的な幻想もまた入眠とおなじように、現実と理念との区別がうしなわれた心の状態で、たやすく共同的な禁制をうみだすことができる。そしてこの状態のほんとうの生み手は、貧弱な共同社会そのものである。」
憑人論、
では、
「一般的にいってはっきりと確定された共同幻想(たとえば法)は、個々の幻想と逆立する。どこかに逆転する水準をかんがえなければ、それぞれの個人の幻想は共同性の幻想と接続しない。しかし、『遠野物語』の〈予兆〉譚が語っているのは個体の幻想性と共同の幻想性が逆立する契機をもたないままで接続している特異な位相である。」
そういう「せまくつよい村落」のなかに起こっている事情は、
「嫁と姑のいさかいから、他人の家のかまどの奥まで、村民にとってはじぶんを知るように知られている。そういうところでは、個々の村民の〈幻想〉は共同性としてしか疎外されない。個々の幻想は共同性の幻想に〈憑く〉のである。」
つまり、
「個体の異常な幻想がただ伝承的な共同幻想に同致しているだけである。」
巫覡(ふげき)論、
では、狐が女に化けるとか女に憑くという民潭について、
「〈狐〉が〈女〉に化けてまたもとの〈狐〉の姿を現したという『遠野物語拾遺』の民潭は、村落の共同幻想が村民の男女の対幻想になってあらわれ、ふたたび村落の共同幻想に転化するという過程の構造を象徴しているとおもえる。そして一番暗示的なのは〈女〉に象徴される男女の対幻想の共同性は、消滅することで(民潭では女が鉈で殺されることで)しか、共同幻想に転化しないことである。」
つまり、
「村落の男女の対幻想は、あるばあい村落の共同幻想の象徴でありうるが、それにもかかわらず対幻想は消滅することによってしか共同幻想に転化しない。そこに村落の共同幻想にたいして村民の男女の対幻想の共同性がもっている特異の位相がある…。いうまでもなく、これは村落共同体のなかで〈家族〉はどんな本質的な在り方をするかを象徴している。」
巫女論、
では、
「〈巫女〉は、共同幻想を自分の対なる幻想の対象にできるものを意味している。いいかえれば、村落の共同幻想が、巫女にとっては〈性〉的な対象なのだ。巫女にとって、〈性〉行為の対象は、共同幻想が凝縮された象徴物である。〈神〉でも〈ひと〉でも、〈狐〉とか〈犬〉のような動物でも、また〈仏像〉でも、ただ共同幻想の象徴という位相をもつかぎりは巫女にとって〈性〉的な対象でありうるのだ。」
だから、
「『わか』に象徴される日本の口寄せ巫女がシャーマン一般とちがうのは、巫女がもっている能力が、共同幻想をじぶんの〈性〉的な対幻想の対象にできる能力なのに、シャーマンの能力は自己幻想を共同幻想と同化させる力だということだ。巫女がしばしば修行中にも〈性〉的な恍惚を感じられるだろうが、シャーマンでは心的に禁圧された苦痛がしばしば重要な意味をもつだろう。なぜなら本来的には超えがたい自己幻想と共同幻想の逆立した構造をとびこえる能力を意味するからである。」
他界論、
では、人間の〈死〉とは何かを、心的に規定してみるなら、
「人間の自己幻想(または対幻想)が極限のかたちで共同幻想に〈侵蝕〉された状態を〈死〉と呼ぶ……。〈死〉の様式が文化空間のひとつの様式となってあらわれるのはそのためである。たとえば、未開社会では人間の生理的な〈死〉は、自己幻想(または対幻想)が共同幻想にまったくとってかわられるような〈侵蝕〉を意味するために、個体の〈死〉は共同幻想の〈彼岸〉へ投げだされる疎外を意味するにすぎない。近代社会では〈死〉は、大なり小なり自己幻想(または対幻想)自体の消滅を意味するために、共同幻想の〈侵蝕〉は皆無にちかいから、大なり小なり死ねば死にきりという概念が流通するようになる。」
そして本来時間性としてしか存在しない〈他界〉は、
「〈死〉が作為された自己幻想として関係づけられる(たとえば、山の神を邪魔したからといったような)段階を離脱して、対幻想のなかに対幻想の〈作為〉された対象として関係づけられたとき(例えば、死んだ家族が、死後家の入口にいたといったような)、はじめて〈他界〉の概念が(対幻想に侵蝕してくる)空間性として発生する。」
祭儀論、
では、女性が共同幻想として表象されることについて、
「初期の農耕社会……の共同の幻想にとっては、一対の男女の〈性〉的行為が〈子〉を生む結果をもたらすのが重要ではない。女〈性〉だけが〈子〉を分娩するということが重要なのだ。だからこそ女〈性〉はかれらの共同幻想の象徴に変容し、女〈性〉の〈生む〉行為が、農耕社会の共同利害の象徴である穀物の生成と同一視されるのである。(中略)つぎに……もっと高度になった形を想定できる。そこでは一対の男女の〈性〉的な行為から〈子〉がうまれることが、そのままで変容をへず共同幻想にうけいれられ、穀物の生成に結びつく段階がかんがえられる。このばあい〈子〉を受胎し、分娩する女性は、あくまでも対幻想の対象であり、(中略)対幻想そのものが共同幻想に同致される。」
民族的な祭儀では、耕作の土地と、農民の対幻想の基盤である家との間で、たとえば
「穀神が一対の男女神とかんがえられ、その対幻想としての〈性〉的な象徴が、共同幻想の地上的な表象である穀物の生成と関係づけられている」
というような民俗的な農耕祭儀に対して、大嘗祭では、巧みな構成がなされる。
「民俗的な農耕祭儀では、〈田神〉と農民はべつべつであった。世襲大嘗祭では天皇は〈抽象〉された農民であるとともに〈抽象〉された〈田神〉に対する異性〈神〉としてじぶんを二重化させる。だから農耕祭儀では農民は〈田神〉のほうへ貌をむけている。だが世襲大嘗祭では天皇は〈抽象〉された〈田神〉のほうへ貌をむけるとともに、じぶんの半顔を〈抽象〉された〈田神〉の対幻想の対象である異性〈神〉として、農民のほうへむけるのである。祭儀が支配的な規範力に転化する秘密は、この二重化のなかにかくされている。なぜならば、農民たちがついに天皇を〈田神〉と錯覚できる機構ができあがっているからである。」
母性論、
では、
「〈性〉的な行為を、対なる幻想として心的に疎外し、自立させてはじめて、動物と違った共同性(家族)を獲得」
した人間にとって、母系制とは、
「家族の〈対なる幻想〉が部落の〈共同幻想〉と同致している社会」
であり、〈対なる幻想〉の中で、
「〈空間〉的な拡大に耐えられるのは兄弟と姉妹の関係だけである。兄と妹、姉と弟の関係だけは〈空間〉的にどれほど隔たってもほとんど無傷で〈対なる幻想〉としての本質をたもつことができる。」
だから、原始的母系制社会は、アマテラスとスサノオのような、
「兄弟と姉妹のあいだの〈対なる幻想〉が種族の〈共同幻想〉のに同致するところにあり、この同致を媒介するものは共同的な規範を意味する祭儀行為だということが大切なのだ。」
対幻想論、
では、そこから、
「〈対なる幻想〉を〈共同なる幻想〉に同致できるような人物を、血縁から疎外したとき〈家族〉は発生した。そしてこの疎外された人物は、宗教的な権力を集団全体にふるう存在でもありえたし、集団のある局面だけでふるう存在でもありえた。それだから〈家族〉の本質はただ、それが〈対なる幻想〉だということだけである。……また〈対なる幻想〉はそれ自体の構造をもっており、いちどその構造のうちにふみこんでゆけば、集団の共同的な体制とは独立しているといってよい。(中略)そして集団の心と対なる心が、いいかえれば共同体とそのなかの〈家族〉とが、まったくちがった水準に分離したとき、はじめて対なる心(対幻想)のなかの個人の心(自己幻想)の問題が大きく登場するようになったのである。」
そして、
「〈対なる幻想〉が生みだされたことは、人間の〈性〉を、社会の共同性と個人性のはざまに投げだす作用をおよぼした。そのために人間は〈性〉としては男か女であるのに、夫婦とか、親子とか、兄弟姉妹とか、親族とかよばれる系列におかれることになった。いいかえれば、〈家族〉が生みだされたのである。」
罪責論、
では、
「『高天が原』を統治するアマテラスが、神の託宣の世界を支配する〈姉〉という象徴であり、スサノオは農耕社会を現実的に支配する〈弟〉という象徴……の形態は、おそらく神権の優位のもとで〈姉妹〉と〈兄弟〉が宗教的な権力と政治的な権力とを分治するという氏族(または前氏族)的な段階での〈共同幻想〉の制度的な形態を語っている。そしてもうひとつ重要なのは、〈姉妹〉と〈兄弟〉とで〈共同幻想〉の天上的および現世的な分割統治がなされる形をかりて、大和朝廷勢力をわが列島の農耕的社会とむすびつけていることである。」
とし、そこでスサノオが負わされた〈原罪〉は、
「農耕土民の集落的な社会の〈共同幻想〉と、大和朝廷勢力に統一されたのちの部族的な社会の〈共同幻想〉のあいだにうまれた矛盾やあつれきに発祥したのはたしからしくおもえる。もとをただせば、大和朝廷勢力が背負うはずの〈原罪〉だったのに、農耕土民が背負わされたか、または農耕土民が大和朝廷勢力に従属したときに、じぶんたちが土俗神にいだいた負目にしたか、どちらかである。けれど作為的にかあるいは無作為にか混融がおこった。農耕土民たちの〈共同幻想〉は、大和朝廷の支配下での統一的な部族社会の〈共同幻想〉のように装われてしまった。」
規範論、
では、〈規範〉は〈宗教〉からはじまって〈法〉や〈国家〉にまで貫かれてゆくが、
「法的な共同規範は、共同体の〈共同幻想〉が血縁的な社会の集団の水準をいささかでも離脱したときに成立した」
のであり、
「未開な社会では、……〈法〉はまだ、犯罪をおかした人を罰するのか、犯罪行為を罰することで〈人〉そのものを救済しているのか明瞭ではない。そのためおそらく〈清祓〉(はらいきよめ)の義式と罰則の行為とが、未開の段階で〈法〉的な共同規範として並んで成立するのである、〈清祓〉の儀式そのものが〈法〉的対象であり、ハライキヨメによって犯罪行為にたいする罰は代行され〈人〉そのものは罰を追わないとかんがえられる。だが罰則では〈法〉的な対象は〈人〉そのものであり、かれは追放されたり、代償を支払わされたり、体罰をこうむったりする。」
そして、法への変化は、
「経済社会的な構成が、前農耕的な段階から農耕的な段階へ次第に移行していったとき、〈共同幻想〉としての〈法〉的な規範は、ただ前段階にある〈共同幻想〉を、個々の家族的あるいは家族集団的な〈掟〉、〈伝習〉、〈習俗〉、〈家内信仰〉的なものに蹴落とし、封じこめることで、はじめて農耕的な〈共同規範〉を生みだしたのである…。だから〈共同幻想〉の移行は一般的にたんに〈移行〉ではなくて、同時に〈飛躍〉をともなう〈共同幻想〉それ自体の疎外を意味する…。」
のである。
起源論、
では、国家の原始的な形を、
「〈国家〉とよびうるプリミティブな形態は、村落社会の〈共同幻想〉がどんな意味でも、血縁的な共同性から独立にあらわれたものをさしている。この条件がみたされたら村落社会の〈共同幻想〉ははじめて、家族あるいは親族体系の共同性から分離してあらわれる。そのとき〈共同幻想〉は家族形態と親族体系の地平を離脱して、それ自体で独自な水準を確定するようになる。」
この意味から見ると、邪馬臺国や初期大和朝廷の〈法〉の段階は、かなり発達した段階にあり、たとえば、
「おなじ田地の侵犯が世襲的な宗教的王権の内部でかんがえられる〈法〉概念と、政治的な権力の核に想定される〈法〉概念とでは、それぞれ相違していることになるという問題にであう。宗教的な王権の内部では田地の侵犯に類する行為は〈清祓〉の対象であるが、政治権力の次元ではじっさいの刑罰に値する行為である。この同じ〈罪〉が二重性となってあらわれるところに、おそらく邪馬台国的なあるいは初期天皇群的な〈国家〉における〈共同幻想〉の構成の特異さがあらわれている。もちろんこれは、王権の継承が呪術宗教的なもので、現世的な政治権力の掌握と同じことを意味していない初期権力の二重構造に根ざすものであった。」
と、
未開的な共同幻想、
から、
国家の起源レベルの共同幻想、
への大づかみな展開を手繰ってきただけで、前例のない論考だということは論を俟たない。しかし、どこか苛立たしいものがあるのは、引用した文章が「結語」の部分を選んだせいもあるが、極めて断定的に結論づけているのに気づくはずだ。しかし、この断定に至る論理の道筋はあまり示されない。むしろ、
共同幻想、
対幻想、
個人幻想、
という概念が、まずありきで、それが帰納的に定義されることなく、その概念を演繹するように、『古事記』や『遠野物語』から、事例的に抽出され、論旨が展開されていく。ヘーゲルやルカーチなど、様々な引用も、丁度、著者が文芸評論でするように、論旨の正否の素材とされていく。だから、『古事記』や『遠野物語』の分析は、まるで文芸作品の評論のように分析されている。しかし、場違いかもしれないが、
「同じものが自己自身に異なった形を与えたために、成しとげられたことではなく、おなじものが形もなく繰り返されたためであることがわかる。このおなじものは、異なった素材に外から適用されており、(中略)ただ一つの動かぬ形式を、現存するもののあれこれにひきまわし適用する結果、素材はこの静止した場に外からしみこませる結果、内容についての勝手な思いつきと同じで、求められたものを実現することにならないし、充実した内容が自分のなかからあふれでることにもならない。」
という言葉(ヘーゲル(樫山欽四郎訳)『精神現象学』)とシンクロしてしまった。
確かに、著者のいう、
「本書の基本となっているわたしのモチーフは、具体的な場面では、ふたつあった。ひとつは、種々の人間が、共同観念の世界、たとえば政治とか法律とか国家とか宗教とかイデオロギーとかの共同性の場面に登場するときは、それ自体が、相対的には独立した観念の世界として、あつかわなければならないし、また扱いうるということである。そう扱わないことから起こる悲喜劇は、戦争期しこたま体験してきた……。もうひとつのモチーフは、個々の人間の観念が、圧倒的に優勢な共同観念から、強制的に滲入され混和してしまうという、わが国に固有な宿業のようにさえみえる精神の現象は、どう理解されるべきか、ということである。」
というモチーフから見て、共同幻想に取り込まれていくプロセスの不可避的な重要性は、能くわかる。わかるだけに、モチーフの焦燥が逆に目についた、というべきかもしれない。
なお、吉本隆明『言語にとって美とはなにかⅠⅡ』(http://ppnetwork.seesaa.net/article/485160561.html)については、別に触れた。
参考文献;
吉本隆明『共同幻想論』(河出書房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
2022年01月26日
神非礼を受けず
神非礼を享給はずと申に、此大納言非分の大将を祈申されければにや、かかるふしぎもいできにけり(平家物語)、
神非礼を受けず、正直の頭(こうべ)に宿らんことを期(ご)す(太平記)、
神非礼を享け給はざりけるにや、所願空しくして、討死せんとしけるが(太平記)、
などとある、
「神非礼を受けず」とは、
神は礼にそむく祈りはうけない、
意で、
「世俗諺文(せぞくげんぶん)」(1007年、成句ことわざを集めその典拠を示した熟語辞書)、「管蠡抄(かんれいしょう)」(室町末期、格言集)など多くの和製類書の名句名言集にひかれる諺。つづく、「正直の頭にに宿らん……」も、上句と対で中世に広く行われた、
と注記がある(兵藤裕己校注『太平記』)。典拠は、後漢末期から三国時代の魏の儒学者・何晏(かあん)編の『論語』の注釈書、
論語集解(ろんごしっかい)、
にある八佾(はちいつ)篇の包咸(ほうかん 後漢)の注記による(仝上)、とある。該当するのは、
季氏旅於泰山、子謂冉有曰、汝不能救與、對曰、不能、子曰、嗚呼、曾謂泰山不如林放乎、
季氏(きし)泰山に旅(りょ)す。子冉有(ぜんゆう)に謂いて曰く、汝救(と)むる能(あた)わざるかと。對(こた)えて曰く、能わず。子曰く、嗚呼、曾(すなわ)ち泰山は林放(りんぽう)にすら如(し)かずと謂(おも)えるか、
である。
林放(りんぽう)にすら如(し)かず、
といわれているのは、同篇で、
林放問禮之本、子曰、大哉問、禮、與其奢也寧儉、喪與其易也、寧戚。
林放(りんぽう)、禮の本を問う。子曰く、大いなるかな問いや。禮は其の奢(おご)らんよりは寧ろ儉(つつまや)かにせよ、喪(も)は其の易(おろそ)かならんよりは寧ろ戚(いたま)しくせよ。
と、林放が問うているのに比べて、
泰山は林放(りんぽう)にすら如(し)かずと謂(おも)えるか、
つまり、
大山の神が礼に無理解だと思うか、
といっているのである。貝塚注には、
「泰山は、……魯国内の名山であるばかりでなく、西周の時代は天下第一の名山であった。周の盛時、天子が中国を完全に支配していたころは、使いを出し、諸侯をひきいて祭祀をささげた。孔子が魯国に帰った前484年前後のあるとき、李氏の当主李康子が、突如として泰山で大祭を挙行した。天下一の名山としての泰山に対する周王朝の祭は廃絶していたが、この祭祀がもし行われるとしたら、魯国の名山として、魯の哀公がこれを主宰すべきである。李氏がこれをみずから執行したのは、魯公にかわって、君主の地位につこうとする野望をひめていると孔子は見破ったので、弟子で李氏の宰、つまり家臣の上役であった冉有を召して、はげしく責任を追及したのである。そして、大山の山神が、こんな非礼の祭祀を嘉納するはずがないと、皮肉な口調で鋭く問責したのである。」
とある(貝塚茂樹訳注『論語』)。
神非礼を受けず、
とは、この章に対する、包咸の注記である。
これで思い出すのは、子路篇の、孔子の言葉、
名不正則言不順、言不順則事不成、事不成則禮樂不興、禮樂不興則刑罰不中、刑罰不中則民無所措手足、故君子名之必可言也、言之必可行也、君子於其言、無所苟而已矣
名正しからざれば則(すなわ)ち言順(したが)わず、言順わざれば則ち事成らず、事成らざれば則ち礼楽(れいがく)興(おこ)らず、礼楽興らざれば則ち刑罰(けいばつ)中(あた)らず、刑罰中らざれば則ち民手足を措(お)く所なし。故に君子はこれに名づくれば必ず言うべきなり。これを言えば必ず行うべきなり。君子、其の言に於て、苟(いやしく)もする所なきのみ。
である。これは、
子路曰、衞君待子而爲政、子將奚先、子曰、必也正名乎、子路曰、有是哉、子之迂也、奚其正、子曰、野哉由也、君子於其所不知、蓋闕如也、
子路曰わく、衛(えい)の君、子を待ちて政(まつりごと)を為さば、子将に奚(なに)をか先にせん。子曰わく、必ずや名を正さんか。子路が曰わく、是有るかな、子の迂(う)なるや。奚(なん)ぞ其れ正さん。子曰わく、野(や)なるかな、由(ゆう)や。君子は其の知らざる所に於ては、蓋闕如(かつけつじょ 知らないことを黙っていわないさま)たり。
と、子路に対して、「名」つまりことばと「実」つまり実在とが一致しなくてはならない、といったものだ。
『論語』(http://ppnetwork.seesaa.net/article/479597595.html)で触れたように、貝塚氏は、
子路と孔子とのこの対話は、いつ行なわれたか。ここに出てくる衛君が誰をさしているかが問題である。前497年、孔子は魯国を逃げて衛国に亡命した。前493年に衛の霊公が死ぬと、夫人南子(なんし)が公の遺命によるとして、公子郢(えい)を立てようとしたが承諾しない。ついに南子に反対して亡命していた後の荘公蒯聵(かいがい)の子で、霊公の孫にあたる出公(しゅつこう)輒(ちょう)を即位させた。蒯聵は大国の晋の後援を得て要地の戚(せき)の城に潜入し、ここを根拠地として内乱をおこした。……この衛の君は衛の出公をさしている。これにたいして孔子の立場は、荘公蒯聵は亡父霊公から追放されてはいるが、父子の縁はきれていないし、また太子の地位は失っていないから、出公は父である蒯聵に位を譲らねばならないと考えた。「名を正さん」とはこのことをさしている。子路はそんなことを出公が承知するはずはないから、孔子の言は理論としては正しいが、現実的ではないと非難したのである。孔子はしかし、自分の「名を正す」という立場が絶対に正しいことを確信して、子路を説得しようとした。「名」つまりことばと、「実」つまり実在とが一致せねばならないという「名実論」は、これ以後中国の知識論の基本となっている。「名」つまり単語の意味が明確でないと、「言」つまり文章の意味が不明になるという中国の文法論の基礎となり、また論理学の基本となった、
と解説する。孔子が「名実論」をはっきり意識していたかどうかについては「若干疑いがある」にしても、弟子たちにより、「名実論」「大義名分論」の立場で解釈された(貝塚茂樹訳注『論語』)。
因みに、『史記』「孔子世家」と「衛康叔世家」によれば、蒯聵が(姉の子、甥の)孔悝(こうかい)を脅してクーデターを起こした折、子路は、衛の重臣の領地の宰(管理者)をしていた(井波律子『論語入門』)が、
反乱を諫め、「太子には勇気がない。この高殿を放火すれば、太子はきっと孔悝を放逐されるだろう」と言い放ったために、激怒した蒯聵の家臣の石乞と于黶が投げた戈で落命した、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%90%E8%B7%AF)。死の直前、冠の紐を切られた彼は、
君子は死すとも冠を免(ぬ)がず、
と、紐を結び直して絶命した、という。子路の遺体は「醢(かい、ししびしお)」にされた(死体を塩漬けにして、長期間晒しものにする刑罰)。これを聞いた孔子は、
嗟乎(ああ)、由(ゆう、姓は仲、名は由、字子路)や死せり、
と悲しみ(井波・前掲書)、家にあったすべての醢(食用の塩漬け肉)を捨てさせたと伝えられる(仝上)。
「神」(漢音シン、呉音ジン)は、
会意兼形声。申は、稲妻の伸びる姿を描いた象形文字で、神は「示(祭壇)+音符申」で、いなづまのように、不可知な自然力のこと。のち、不思議な力や、目に見えぬ心の働きをもいう、
とあり(漢字源)、
日・月・風・雨・雷など、自然界の不思議な力をもつもの、
をさし、
天のかみ、
の意で、
「地のかみ」である「祇(ギ)」、
「人のたましい」である「鬼(キ)」、
に対する言葉で(仝上)、
広くすべての神の総称、
でもある(字源)が、和語の「かみ」、
祖先のかみ、
天照大神、
の「かみ」とはずいぶん含意を異にする。
(「神」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%A5%9Eより)
なお、和語「カミ」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/436635355.html)については触れた。
参考文献;
尚学図書編『故事ことわざの辞典』(小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
ラベル:神非礼を受けず
2022年01月27日
摩醯修羅
正成、元来(もとより)摩醯修羅(まけいしゅら)の所変(この世のものに姿を変える)にておはせしかば、今帰って欲界の六天に御座ありと云ふ(太平記)、
の、
摩醯修羅(まけいしゅら)、
とあるは当て字で、本来は、
摩醯首羅(まけいしゅら)、
と当てる(兵藤裕己校注『太平記』)。
宇宙(大三千界)を司る神、
であり、
大自在天(だいじざいてん)、
ともいい、
その像は、三目八臂(さんもくはっぴ)で、冠をいただき、白牛にまたがる、
とされる(仝上)が、
今帰って欲界の六天に御座ありと云ふ、
とあるように、しばしば、悪神の、
阿修羅、
第六天魔王、
と、混同・同一視される、とある(仝上)。阿修羅は、
古代インドの神の一族、インドラ神(帝釈天)など天上の神々に戦いを挑む悪神とされる。仏教では、天竜八部衆(天竜八部衆(天(天部)、竜(竜神・竜王)、夜叉(やしゃ 勇健暴悪で空中を飛行する)、乾闥婆(けんだつば 香(こう)を食い、音楽を奏す)、阿修羅、迦楼羅(かるら 金翅鳥で竜を食う)、緊那羅(きんなら 角のある歌神)など仏教を守護する異形の神々)とされる一方、六道(輪廻において、衆生(しゅじょう)がその業(ごう)に従って死後に赴くべき、地獄道、餓鬼道、畜生道、阿修羅道、人間道、天道の六つの世界)のひとつとして、人間以下の存在とされる。絶えず、闘争を好み、地下や海底に住む、
といい、
アスラ、
修羅、
非天、
無酒神、
ともいう(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。第六天魔王は、
欲望が支配する欲界(三界(欲界・色界(しきかい)・無色界の三種の迷いの世界)のひとつ。色欲・食欲など本能的な欲望の世界)に属する六種(四王天・忉利(とうり)天・夜摩(やま)天・兜率(とそつ)天・楽変化(らくへんげ)天・他化自在(たけじざい)天)の天のうち、第六の他化自在(たけじざい)天、
にすみ、
第六天魔王波旬(はじゅん)、
天魔、
天子魔(てんしま)、
他化自在天(たけじざいてん)、
ともいい、
仏道修行を妨げる悪魔、
とされる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E9%AD%94)。あきらかに、
摩醯修羅(まけいしゅら)の所変(この世のものに姿を変える)にておはせしかば、今帰って欲界の六天に御座ありと云ふ(太平記)、
では、
摩醯首羅
と
第六天魔王
を同一視している。
(大自在天 平安時代の仏像図集『図像抄』(十巻抄)「尊像三目八臂騎白牛」とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%87%AA%E5%9C%A8%E5%A4%A9より)
「摩醯首羅」は、
大自在天、
のほか、
摩醯首羅王、
摩醯首羅天、
摩醯首羅天王。
ともいい、
異名は千以上あるといわれる、
ヒンドゥー教の、世界を創造し支配する最高神シヴァの別名、イーシュヴァラで、万物創造の最高神、
とされ(広辞苑・https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%87%AA%E5%9C%A8%E5%A4%A9)、
色究竟天(しきくきょうてん、しきくぎょうてん)、
に在す、とある(仝上)。「色究竟天」は、
阿迦尼吒天(あかにだてん)、
ともいい、
三界(無色界・色界・欲界の3つの世界)のうち、色界色界の最上位に位置する、
とされる(仝上)。『法華経』序品では、
無色界の最上位である非想非非想天ではなく、この色究竟天が有頂天であると位置づけられている、
ともある(仝上)ので、
天上界における最高の天、
とも見られる。ちなみに、「非想非非想天」(ひそうひひそうてん)とは、
三界の中で最上の場所である無色界の最高天、
をいい、
非想非非想天、
が、全ての世界の中で最上の場所にある(頂点に有る)ことから、
有頂天(うちょうてん)、
という(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%89%E9%A0%82%E5%A4%A9)。
もっとも、上記の意味から、「有頂天」には、
色界(しきかい)の中で最も高い天である色究竟天(しきくきょうてん)、
とも、
色界の上にある無色界の中で、最上天である非想非非想天(ひそうひひそうてん)
の二説がある(広辞苑)。
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
ラベル:摩醯修羅 摩醯修羅(まけいしゅら)
2022年01月28日
夜郎自大
「夜郎自大(やろうじだい)」は、
(野郎の王が漢の広大なことを知らず、自らを強大と思って漢の使者と接したことから)自分の力量を知らないで、幅を利かすたとえ、
として言われる(広辞苑)。
野郎大、
とも言うが、類義語に、
「井底之蛙」(せいていのあ 「井の中の蛙大海を知らず」の意)、
「井蛙之見」(せいあのけん 同上)、
「尺沢之鯢」(せきたくのげい 経験が少なく、知識が狭いこと。「尺沢」は小さな池。「鯢」は山椒魚。小さな池に住む山椒魚は、その池の中のことしか知らないということから)、
「遼東之豕」(りょうとうのいのこ 世間を知らず、経験や知識が少ないために、取るに足りないことで得意になること。「遼東」は中国にある遼河という河の東の地方。「豕」は豚。遼東の農家に頭の白い豚が生まれ、農民は特別なものだと思い天子に献上しようとしたが、道中で見かけた豚の群れは皆頭が白く、他の地方ではごく普通のことと知り、自身の無知を恥じて帰ったという故事から)、
「夏虫疑氷」(かちゅうぎひょう 夏虫氷を疑う。夏の季節しか生きることのできない虫は、冬に氷があるということを信じないということから。「夏虫疑冰」とも)、
等々があり(故事ことわざの辞典・https://yoji.jitenon.jp/yojih/3622.html)、似た言い回しに、「管見」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/484894383.html)で触れたことと重なるが、謙遜の意で使うことが多い、
「用管窺天」(ようかんきてん 細い管に目を当てて天を窺い見るということから、視野が狭くて見識が足りない意味)、
「管窺蠡測」(かんきれいそく 管もて窺い蠡もて測る。見識が非常に狭いこと。または、狭い見識で物事の全体を判断すること。「管窺」は管を通して空を見ること。「蠡測」はほら貝の貝殻(「ひさご」とも)で海の水の量を量ること)、
「区聞陬見」(くぶんすうけん 学問や知識の幅が狭くて偏っていること。「区」は細かい、小さいという意味。「陬」は偏っていること)、
「甕裡醯鶏」(おうりけいけい 見識が狭く世間の事情がわからない人のたとえ。「甕裡」は甕(かめ)の中、「醯鶏」は酢や酒にわく小さな羽虫。孔子が老子に面会した後に弟子に向かって「私は甕にわく羽虫のようなものだ。老子が甕の蓋を開いて外に出してくれたおかげで、天地の大全を知ることができた」といった故事による)、
「管中窺豹」(かんちゅうきひょう 管中より豹を窺う。見識が非常に狭いことのたとえ。管を通して動物の豹を見ても、一つの斑文しか見ることが出来ず、全体はわからないという意味)、
「全豹一斑」(ぜんぴょういっぱん 物事のわずかな部分だけを見て、物事の全体を推測したり、批評したりすること。狭い管を覗いて、中から見えた一つの豹の斑文を見て、豹の全体を推測するという意味。中国の晋の王献之が幼い時に、学生たちが博打のようなもので遊んでいるのを見て、とある学生の負けを予想すると、一部分だけを見て狭い見識で全体を判断していると言い返されたという故事から)、
等々もある(仝上)。
唯我独尊、
は、
釈迦が生まれた時に七歩歩いて、
天上天下唯我独尊、
と唱えたとの故事によるが、
自分だけがすぐれているとうぬぼれる、
意でも使う。その他、
「野狐禅」(やこぜん 生禅(なまぜん) 禅の修行者が、まだ悟りきっていないのに悟ったかのようにうぬぼれること。転じて、物事を生かじりして、知ったような顔でうぬぼれること)、
「雪駄の土用干し」(雪駄を干すと反り返るところから、反っくり返り、いばって大道を歩き回る者をあざけっていう)、
「増上慢」(未熟であるのに、仏法の悟りを身につけたと誇ること)、
「道を聞くこと百にして己に若く者莫(な)しと為す」(道をわずか百ばかり聞いただけで、天下に自分以上の者はないと思い上がる)、
等々もある(仝上)。
(紀元前210年、秦帝国と周辺民族 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9C%E9%83%8Eより)
「夜郎自大」の出典は、『史記』西南夷伝に、
西南夷君長、以什数、野郎最大。……滇(てん)王与漢使者言曰、漢孰与我大。及野郎候亦然。以道不通。故各自以為一州主、不知漢広大、
とあるのによる。これによると、西南夷(せいなんい)の一つ、
南越国に隣接する、
とされる(四字熟語を知る辞典)、
雲南省東部の滇池(てんち)周辺にあった滇人による西南夷の国、
である(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BB%87)、
滇王、
も、
漢孰与我大(漢は我が大と孰与(いずれ)ぞ)、
と問うていて、
野郎候亦然(野郎候も亦然り)、
と言っているとあるのに、
滇(てん)、
は故事に残らず、
最大、
とされた、
野郎、
が、後世まで汚名を蒙ることになったようだ。「野郎」国は、
夜郎(やろう)、
とも呼ばれ、
前漢末期まで存在した小国(前523~27年)、
とされ、
夜郎の中心地は現在の貴州省赫章県の可楽イ族ミャオ族郷であった。可楽遺址からは多くの夜郎時代の遺跡・遺物が発掘されている、
とあり、
興將數千人往至亭、從邑君數十人入見立。立數責、因斷頭(漢書・西南夷伝)、
と、
前漢末期に漢の牂牁(そうか 現在の貴州省や雲南省にまたがる地域に設置された郡)太守陳立に夜郎王の興が斬首され、
紀元前27年前後に滅亡したと考えられている(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9C%E9%83%8E)、とある。
夜郎は当時の西南地区における最大の国家であり、(漢の武帝は南越国を征服しようとしていたので)南越国を牽制する目的で唐蒙を使節として派遣、現地に郡県を設置し、夜郎王族を県令に任じることとした、
とある(仝上)。その漢の使者と面会した夜郎王が「漢孰與我大」と尋ねたことになる。
漢による郡県の設置は南越国滅亡後にようやく実施され、夜郎による漢への入朝も行われ、武帝は夜郎王に封じている、
とある(仝上)。しかし、前27年、夜郎王興が反漢の挙兵を起こし、漢軍に撃破され興は斬首され、その直後に滅亡したことになる。滅亡後は郡県が設置され、宋代に至るまでしばしば夜郎県の名称が登場している(仝上)、とある。
この「夜郎自大」と真逆なのが、
況や、粟散国の主としてこの大内(だいだい)を造られたる事、その徳に相応すべからず(太平記)、
と使う、
粟散、
粟散辺地、
粟散辺土、
粟散国、
粟散辺州、
という言い回しである。「粟散」(ぞくさん)は、
粟粒を散らしたように細かく散ること、
の意であり(広辞苑)、「粟散辺地」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/433174213.html)で触れたことと重なるが、「粟散国」は、
粟散卽小國小主散天下、如粟多(楞厳(りょうごん)経會解)、
とあるように、
粟粒を散らしたような小さい国、
という意味で、インドや中国のような大国に対して、日本のことを、へりくだって言った。「粟散辺土」は、
粟散は粟散国(粟のように散在する小国)のこと。「辺地」は最果ての地。特に日本人自身が、日本のことを中国やインドと対照させて、このように表現するときがある、
とある(伊藤聡『神道とはなにか』)。
粟散辺地という言い方は、仏法との絡みで、意識されたようだ。
空間的にも時間的にも仏法より疎外された国、
という意識を、
粟散辺土、
という言葉に表現した自己意識である。この言葉によって見えている世界は、
「仁王経」などによれば、我らの住む南閻浮提(なんえんぶだい 須弥山を取り巻く四大陸のひとつ)は五天竺を中心に、十六の大国、五百の中国、一千の小国、さらにその周囲には無数の「粟散国」があるという。「粟散国」とは粟のごとく散らばった取るに足らぬ国という意味で、日本はそのような辺境群小国のひとつ、
という意識である。事実文明発祥のインド、中国の巨大な影響下にあった、周辺国の一つであることは確かだ。中国由来でないものを探すのは、文字一つとっても、箸ひとつとっても、漆ひとつとっても、至難といっていい。そういう冷静な自己意識であった時代が、我が国では、長かったといっていい。
粟散、
の初見は『聖徳太子伝略(延暦十七年(917))』らしく、以後こういう言い方が定着し、
この国は粟散辺地とて、心うきさかひにてさぶらへば、極楽浄土とて、めでたき処へ具しまゐらせさぶらふとぞ(平家物語)、
と表現される。それと前後して、中国を大国として、
小国辺土、
とも言ったようだ。少なくとも、今日のように、
自己肥大、
した、
夜郎自大、
な風潮よりははるかにましである。
なお、和語「野郎」については、「野郎」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/431378141.html)、「二才野郎」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/434393648.html)で触れた。
参考文献;
伊藤聡『神道とはなにか』(中公新書)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2022年01月29日
素引きの精兵
素引きの精兵、畠水練の言(ことば)に、怖(お)づる人はあらじ(太平記)、
とある、
素引(すび)きの精兵(せいびょう)、
の、「素引き」とは、
矢をつがえずに、弓の強さをためすために弦だけ引き試みること、
で、「素引きの精兵」とは、
素引きだけは(弓の使い手のように)強そうに見えるが、実戦の役に立たない兵(兵藤裕己校注『太平記』・広辞苑)、
あるいは、
理論だけは詳しいが実戦には役に立たないものをあざけって言う(故事ことわざの辞典)、
あるいは、
敵なきに、矢を射ること(大言海)、
などの意で使う。
素引きの精兵、畠水練、
と並ぶ、「畠水練」も同義で、
畑で水練したような、実戦経験のない兵、
の意で(仝上)、
畳の上の水練、
ともいう。似た言い回しに。
砂上の楼閣、
机上の空論、
座上の空論、
絵に描いた餅、
等々がある。「素引き」は、
その後(のち)、百(もも)矢二腰(こし 百本の矢を入れた箙(えびら)をふたつ)取寄て、張替(が)への弓の寸引(すびき)して(太平記)、
と、
寸引き、
あるいは、
白引き、
とも当てる(岩波古語辞典)。「素引き」の意味は、文字通り、
弓に矢をつがえないで弦だけを引く、
意で(故事ことわざの辞典)、
虚控、
空張、
ともいう(武経開宗)らしい(大言海)が、意味に変遷がある。本来は、
安達の野辺の白檀弓(しらまゆみ)、押し張り素引き肩に懸け(義経物語)、
と、
弓弦(ゆづる)を引いて、張り具合を調べる、
意であるが、そこから、
ヒトノココロヲスビイテミル(日葡辞書)、
と、
試す、
試みる、
とか、
かかは彼の銀を取って素引いて見(浮世草子・好色貝合)、
と、
指先で調べる、
意に広がり(岩波古語辞典)、
箱王竹刀素引(スビキ)して(浄瑠璃・伊豆院宣源氏鏡)、
と、
太刀、竹刀(しない)などを振ること、
素振りすること、
の意でも使い(精選版日本国語大辞典)、さらには、
スヂガスビク(日葡辞書)、
と、
筋がひきつる、
意にまで広がり(岩波古語辞典)、
用意の早縄すびきしてずっと寄るを寄付ぬ(浄瑠璃・源平布引滝)、
と、
縄などをしごく、
意でも使う(精選版日本国語大辞典)に至る。
「素」(漢音ソ、呉音ス)は、
会意。「垂(スイ たれる)の略体+糸」で、一筋ずつ離れてたれた原糸、
とあり(漢字源)、「人工を加える前のもと」「生地のまま」の意で、
素以為絢兮(素以て絢(あや)となす)、
と(論語)、生地のままの「白い」(布)の意でもある(仝上)。別に、
会意。古体は「𦃃」。上部は垂の略で、撚り合わせる前の糸を意味する。疏、索と同系、
とか(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%B4%A0)、
形声。糸と、音符𠂹(スイ、サ)→(ソ 変わった形)とから成る。繭から取り出したばかりの生糸、転じて、かざりけがない、「しろい」意を表す、
とか(角川新字源)、
形声文字です(糸+昔の省略形)。「より糸」の象形(「糸」の意味)と「積み重ねた肉片と太陽の象形」(太陽にほした鳥獣の肉の意味だが、ここでは、「初」に通じ(「初」と同じ意味を持つようになって)、「初め」の意味)から、繭(まゆ)からつむぎだしたばかりの白い糸を意味し、そこから、「もと(初め)」、「白い」を意味する「素」という漢字が成り立ちました、
とか(https://okjiten.jp/kanji896.html)の諸解釈があるが、最後の二説が「白」につながる意を絵解きしている。
(「素」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%B4%A0より)
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
尚学図書編『故事ことわざの辞典』(小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
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2022年01月30日
一翳眼にあれば
盛長(大森彦七盛長)これ程の不思議を見つれども、その心なほも動ぜず、一翳(いちえい)眼(まなこ)にあれば、空花(くうげ)乱墜(らんつい)すと云へり。千変百怪、何ぞ驚くに足らん(太平記)、
にある、
一翳眼にあれば空華乱墜す、
は、
目にひとつでも曇りがあると、実際にない花のようなものが見える、
つまり、
煩悩があると、種々の妄想が起き、心が乱れて正しい認識ができないことのたとえ
としていわれる(兵藤裕己校注『太平記』・精選版日本国語大辞典)。出典は、景徳元年(1004)北宋の道原撰の禅僧伝、
景徳伝燈禄、
にみえる、
福州芙蓉山靈訓禪師。初參歸宗問。如何是佛。宗曰。我向汝道汝還信否。師曰。和尚發誠實言何敢不信。宗曰。即汝便是。師曰。如何保任。宗曰。一翳在眼空華亂墜(福州芙蓉山霊訓禅師、初めて帰宗(きす)に参ず、問う、如何なるか是れ仏。宗(す)曰く、我汝に向って道(い)わん。汝、還(かえ)って信ずるや否や。師曰く、和尚、誠実の言を発せば、何ぞ敢えて信ぜざるや。宗曰く、汝に即すれば便(すなわ)ち是(ぜ)なり。師曰く、如何保任(ほにん)せん。宗曰く、一翳眼在れば空華乱墜す)、
の、
一翳在眼、空華乱墜、
による(故事ことわざの辞典)。「保任」は、
いまだまぬがれず保任しきたれるは、即心是仏のみなり(正法眼蔵)、
と、
「保」はたもつ、「任」は背おうの意、
で、
保持して失わないこと、保持してそのものになりきること、
の意である(精選版日本国語大辞典)
一翳在眼、空華乱墜、
は、
目に、なにかくもりがあると、実態のない花のようなものが乱れ落ちるさまが見えるところから、
とか(精選版日本国語大辞典)、
眼病のために、実際には花が無いのにも拘わらず、空中にいろいろな花があるかのごとく見えること、
とか(新版禅学大辞典)、
目に小さい埃が入っただけで、幻の華が宙を舞って乱れ落ちるということ、
とか(https://irakun0371.hatenablog.com/entry/2020/11/22/091034)、
小さい埃一つが眼に入ると眼がチラチラする、
とか(禅林句集)、
眼にちょっとでも病いがあるとまぼろしの花が空中をみだれ飛ぶ、
とか(禅語辞典)等々とある(https://zengo.sk46.com/data/ichieimana.html)ので、そうした目の症状を喩えとして、
心病に陥っている者が、その迷妄の心により、本心がくもりさえぎられ、ものの真相を正しく見ることができないで、虚偽の仮相を見て、それをそのものの実態であるかのように思い誤っていることをいう、
という意味で使ったもののようである(https://zengo.sk46.com/data/ichieimana.html)。
一翳眼にある時は、空花みだれをつ。一妄心にある時、恒沙生滅す(「梵舜本沙石集(1283)」)
である。「恒沙(ごうしゃ)」は、
恒河沙(ごうがしゃ)の略、
で、「恒河」(ごうが)は、
梵語でガンジス川、
の意、「恒河沙」は、
ガンジス川の砂、
の意。
数量が無数であることのたとえ、
としていう(広辞苑・デジタル大辞泉)。
「翳」(漢音エイ、呉音アイ)は、
会意兼形声。殹(エイ)は、矢を箱の中に隠すことをあらわす会意文字。翳はそれを音符とし、羽を添えた字、
とあり(漢字源)、
身分の高い人の姿を隠すために、侍者が持ってかざす羽のおうぎ、
鳥の羽でおおった車の屋根、
といった(仝上)、
かざしの羽、
の意(字源)で、
掩翳(エンエイ)、
というように、
かざして隠す、
という意味で、そこから、
ものに覆われてできた陰、
の意になったもののようである(漢字源)。
「眼」(漢音ガン、呉音ゲン)は、
会意兼形声。艮(コン)は「目+匕首(ヒシュ)の匕(小刀)」の会意文字で、小刀でくまどった目。または、小刀で彫ったような穴にはまった目。一定の座にはまって動かない意を含む。眼は「目+音符艮」で、艮の原義をあらわす、
とあり(漢字源)、「まなこ」、ひいて、目全体の意を表す(角川新字源)。別に、
会意形声。「目」+音符「艮」、「艮」は「匕」(小刀)で目の周りに入墨をする様で、そのように入墨を入れた目、または、小刀でくりぬいた眼窩(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%9C%BC)、
会意兼形声文字です(目+艮)。「人の目」の象形と「人の目を強調した」象形から「眼」という漢字が成り立ちました。「人の目」の象形は、「め」の意味を明らかにする為、のちにつけられました(https://okjiten.jp/kanji12.html)、
などともある。
参考文献;
尚学図書編『故事ことわざの辞典』(小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
2022年01月31日
狡兎死して
「狡兎死して」は、
走狗烹らる、
とつづく。「狡兎」
は、文字通り、
狡知ある兎、
で(大言海)、
素早い兎、
かしこい兎、
の意(広辞苑)で、「走狗」は、
狩猟などで駆け走って人のためにおいつかわれる狗(いぬ)、
の意で、それをメタファに、
権力の走狗、
というように、
他人の手先になって使役される人を軽蔑していう語、
としても使われる(広辞苑)が、
よく走る猟犬、
の意である(字源)。
狡兎死して走狗烹らる、
は、
兎が死ねば猟犬は不用となって煮て食われる、
意で、
敵國が滅びたあとには、軍事に尽くした功臣も邪魔者とされ殺されてしまう、
の喩えとして使う(広辞苑)。ために、
狡兎死して良狗烹らる、
狡兎尽きて良犬烹らる、
などともいう。出典は、『史記』越王勾践世家の、越を去った范蠡(はんれい)が大夫種(しょう)に宛てた手紙で、
范蠡遂去、自齊遣大夫種書曰(范蠡遂去り、齊より大夫種に書を遣わして曰く)、
蜚鳥盡、良弓藏(蜚鳥(ひちょう)盡(つ)きて、良弓(リョウキュウ)藏(おさめ)られ)、
狡兔死、走狗烹(狡兎(コウト)死して、走狗(ソウク)烹(に)らる)、
の、
蜚鳥尽良弓蔵、狡兎死走狗烹、
や、
『史記』淮陰侯列伝に、漢創業に功があった韓信が、高祖(劉邦)に謀反の疑いをかけられたときに引用した諺として、
信曰、果若人言(信曰く、果たして人の言の若し)、
狡兔死、良狗亨(狡兔死して、良狗亨られ)、
高鳥盡、良弓藏(高鳥(コウチョウ)盡きて、良弓藏(おさめ)られ)、
敵國破、謀臣亡(敵國破れて、謀臣亡ぶ)、
天下已定、我固當亨(天下已(すで)に定まる、我固(もと)より當(まさ)に亨(=烹)らるべし)。
の、
狡兔死、良狗亨、
であり(http://fukushima-net.com/sites/meigen/1917)、『韓非子』内儲説の、
狡兎尽則良犬烹、敵国滅則謀臣亡、
などである(故事ことわざの辞典)。「蜚」は、
三年不蜚、蜚将沖天(三年蜚バス、蜚ベバマサニ天ニ沖セントス)(史記)、
とあり、
飛ぶ、
意で、
蜚鳥=飛鳥、
である。
蜚鳥尽良弓蔵、狡兎死走狗烹、
と対比されているように、
蜚鳥尽良弓蔵(飛鳥尽きて良弓蔵(かく)る)、
も、
捕らえるべき鳥がいなくなれば、良い弓は不用となり仕舞われてしまう、
意で、
狡兎死して走狗烹らる、
と同様、
敵國が滅びたあとには、軍事に尽くした功臣も邪魔者とされ殺されてしまう、
という喩えに使われる(故事ことわざの辞典)。
鳥尽弓蔵、
と四文字熟語ともなっている。英語にも、
The nurse is valued till the child has done sucking.(子供が乳を飲んでいる間は乳母も大事にされる)、
When the fish is caught the net is laid aside.(魚が捕らえられると網は捨てられる)、
と似た言い方があるらしい(http://kotowaza-allguide.com/ko/koutoshishitesouku.html)。
なお、「にる」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/481728394.html)で触れたように、「にる」の意の漢字には、
煮、
烹、
煎、
があり、三者は、
「煎」は、火去汁也と註し、汁の乾くまで煮つめる、
「煮」は、煮粥、煮茶などに用ふ。調味せず、ただ煮沸かすなり、
「烹」は、調味してにるなり。烹人は料理人をいふ。左傳「以烹魚肉」、
と、本来は使い分けられ(字源)、漢字からいえば、「にる」は、
狡兎死して走狗烹らる、
のように、「煮る」は「烹る」でなくてはならないが、当初から、「煮る」を用いていた可能性がある(広辞苑・大言海・岩波古語辞典)。なぜなら、
「烹」(漢音ホウ、呉音ヒョウ)は、
会意。亨(キョウ)は、上半の高い家と下半の高い家とが向かい合ったさまで、上下のあい通うことを示す。烹は「火+亨(上下にかよう)」で、火でにて、湯気が上下にかよい、芯まで通ることを意味するにえた物が柔らかく膨れる意を含む、
とあり(漢字源)、「割烹」(切ったりにたり、料理する)と使い、「湯気を立ててにる」意であるが、
会意。「亨」+「火」、「亨」の古い字体は「亯」で高楼を備えた城郭の象形、城郭を「すらりと通る」ことで、熱が物によくとおること(藤堂)。白川静は、「亨」を物を煮る器の象形と説く。ただし、小篆の字形を見ると、「𦎫」(「亨(亯)」+「羊」)であり「chún(同音:純)」と発音する「燉(炖)(音:dùn 語義は「煮る」)」の異体字となっている。説文解字には、「𦎫」は「孰也」即ち「熟」とあり、又、「烹」の異体字に「𤈽」があり、「燉」に近接してはいる、
とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%83%B9)、「烹る」と「煮る」の区別は、後のことらしいのである。
「狡」(漢音キョウ、呉音コウ)は、
会意兼形声。交は、人が足をくねらせて交差させたさまを描いた象形文字。狡は、「犬+音符交」で、犬が身をくねらせて、すばしっこくにげるさま。すばしっこい、ずるい意となる、
とある(漢字源)。
「兎」(漢音ト、呉音ツ)は、
象形。長い耳と短い尾をもつうさぎの形にかたどる(角川新字源)、
象形文字です。「うさぎ」の象形から「うさぎ」、「月の別名(うさぎは月の中に含み持つという伝説に基づく)」を意味する「兎・兔」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji2318.html)、
とある。
(「兎」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji2318.htmlより)
「狗」(漢音コウ、呉音ク)は、
会意兼形声。「犬+音符句(小さくかがむ)」、
とある(漢字源)。
犬は大、狗は小、
とも(字源)、
「狗」の場合は子犬や小型犬、つまり「小さいイヌ」を指す、
ともあり(https://www.docdog.jp/2020/03/magazine-dogs-s-k-2802.html)、
「狗」は、
小犬、
の意だが、
後世には、いぬの総称となった、
とある(漢字源)。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
尚学図書編『故事ことわざの辞典』(小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95