2022年01月03日

深見草


「深見草」(ふかみぐさ)は、

ぼたん(牡丹)の異名、

とされ、

たそかれ時の夕顔の花、観るに思ひの深見草、色々様々の花どもを(太平記)、
鉄炮取り直し、真正中(まっただなか)を撃つに、右の手に是を取り、深見草の唇に爾乎(にこ)と笑めるありさま、なを凄くぞ有りける(宿直草)、

等々と使われる。確かに、和名類聚抄(平安中期)に、

牡丹、布加美久佐、

本草和名(ほんぞうわみょう)(918年編纂)に、

牡丹、和名布加美久佐、一名、也末多加知波奈(やまたちばな)、

などとある。しかし、箋注和名抄(江戸後期)は、

この「牡丹」はもともとの「本草」では「藪立花」「藪柑子」のことで、観賞用の牡丹とは別物であるのに、「和名抄」が誤って花に挙げたために、以後すべて「ふかみぐさ」は観賞用の牡丹として歌に詠まれるようになった、

とする(精選版日本国語大辞典)。確かに、「深見草」は、

植物「やぶこうじ(藪柑子)」の異名、

でもある。しかし出雲風土記(733年)意宇郡に、

諸山野所在草木、……牡丹(ふかみくさ)、

と訓じている(大言海)ので、確かなことはわからないが、色葉字類抄(1177~81)は、

牡丹、ボタン、

とある。しかし、

牡丹、

より、

深見草、

の方が、和風のニュアンスがあうのだろうか、和歌では、

人知れず思ふ心は深見草花咲きてこそ色に出でけれ(千載集)、
きみをわがおもふこころのふかみくさ花のさかりにくる人もなし(帥大納言集)、

などと、

「思ふ心」や「なげき」が「深まる」意を掛け、また「籬(まがき)」や「庭」とともに詠まれることが多い、

とある(精選版日本国語大辞典・大言海)。

ヤブコウジ.JPG


「ヤブコウジ」は、

藪柑子、

と当て、

アカダマノキ、
ヤブタチバナ、
ヤマタチバナ、
シシクハズ、
深見草、

と呼ばれ、漢名は、

紫金牛、

とある(広辞苑)。別名、

十両、

で、

万両(マンリョウ)、
百両(ヒャクリョウ)、

とともに、サクラソウ科の常緑低木である(千両(センリョウ)はセンリョウ科)。

ヤブコウジの実.JPG


「牡丹」は、別名、

山橘、
富貴草、
富貴花、
百花王、
花王、
花神、
花中の王、
百花の王、
天香国色、
名取草、
深見草、
二十日草(廿日草)、
忘れ草、
鎧草、
木芍薬、
ぼうたん、
ぼうたんぐさ、

等々、様々に呼ばれる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%82%BF%E3%83%B3_(%E6%A4%8D%E7%89%A9・広辞苑)。

「牡丹」の項で、大言海は、まず、

本草に云へるは、古名、ヤマタチバナ、フカミグサ。即ち今のヤブコウジ。関西にヤブタチバナ、この草、深く林叢中に生じ、葉、実、冬を凌ぐ。故に深見草、山橘の名あり。…木芍薬(牡丹の意)を深見草と云ふは誤れり、

と記し、それと項を改めて、別に、

高さ二三尺、春葉を生じ、夏の初、花を開く、花の径、六七寸に至る、重辨、単辨、紅、白、紫等、形、色、種類、甚だ多し、人家に培養して、花を賞す。花中の最も艷なるものなれば、花王の称あり。……音便に延べて、ボウタン。叉、ハツカグサ。ナトリグサ。富貴草。富貴花。木芍薬、

と書く見識を示す。

箋注和名抄には、

亦名百両金、

というともある(大言海)。

露台に植ゑられたりけるぼうたんの、唐めきをかしき事など宣ふ(枕草子)、

と、

長音化、

した言い方もした(広辞苑)。

安時代に宮廷や寺院で観賞用に栽培され、菊や葵(あおい)につぐ権威ある紋章として多く使われた。江戸時代には栽培が普及し、元禄時代(1688~1704)に出版された《花壇地錦抄》には339品種が記録されている、

とある(世界大百科事典)。

牡丹.jpg


牡丹、

は、漢名。

牡丹自漢以前、無有称賞、僅謝康楽集中、有竹閒水際多牡丹之語、此是花王第一知己也(五雜俎)、

とあり、

花王、

も漢名と知れる(字源)。併せ、

洛陽花、
木芍薬、

も同じとある(仝上)。「牡丹」の由来は、漢語なのだが、

ギリシャ語Botānēを、古代中国で音訳したもの(国語に於ける漢語の研究=山田孝雄)、

とする説しか載らない(日本語源大辞典)。しかし、原産地は、

中国西北部、

とされるhttps://www.yuushien.com/botan-flower/。ギリシャ語由来というのは妙である。おそらく音から訳したのには違いない。箋注和名抄に、

出漢剣南、土人謂之牡丹、

とある。「剣南」は、

唐の時代、郡をやめ州とし、その上に道、その下に県を設けた。初めは十道(河北道、河南道、関内道、隴右道、淮南道、河南道、山南道、江南道、剣南道、嶺南道)、玄宗の時代には十五道とした、

とされる「剣南道」を指すと思われる。場所は、蜀を含む四川省北西部と推測される。この記述が正しければ、現地で、「ボタン」と呼んでいたものを当て字したことになる。

「吉助の牡丹」.jpg

(牡丹栽培は元禄時代から盛んになり、幕末期、高津西坂下の植木屋百花園松井吉助の「吉助の牡丹」は名所に数えられた https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%82%BF%E3%83%B3_%28%E6%A4%8D%E7%89%A9%29より)

「牡」(慣用ボ、漢音ボウ、呉音」・モ)は、

会意。牡の旁は、土に誤ってきたが、もとは士であった。士は男性の性器のたったさま。のち、男・オスを意味するようになった。牡(ボウ)は「牛+士(おす)」で、おすがめすの陰門をおかすことに着目したことば、

とある(漢字源)。

「牡」 漢字.gif


会意文字です(牜(牛)+土)む。「角のある牛」の象形と「おすの性器」の象形から「牛のおす」の意味を表し、そこから「おす」を意味する「牡」という漢字が成り立ちました、

との説明も同じ意味になるhttps://okjiten.jp/kanji2583.html

「牡」 成り立ち.gif

(「牡」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji2583.htmlより)

「丹」(タン)は、

会意。土中に掘った井型の枠の中から、赤い丹砂が現れるさまを示すもので、赤いものが現れ出ることを表す。旃(セン 赤い旗)の音符となる、

とある(漢字源)。

「丹」 漢字.gif

(「丹」 https://kakijun.jp/page/0405200.htmlより)

会意。「井」+「丶」、木枠で囲んだ穴(丹井)から赤い丹砂が掘り出される様、

https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B8%B9

象形。採掘坑からほりだされた丹砂(朱色の鉱物)の形にかたどる。丹砂、ひいて、あかい色や顔料の意を表す、

も(角川新字源)、

象形文字です。「丹砂(水銀と硫黄が化合した赤色の鉱石)を採掘する井戸」の象形から、「丹砂」、「赤色の土」、「濃い赤色」を意味する「丹」という漢字が成り立ちました。

https://okjiten.jp/kanji1213.html、解釈は同じだか、象形と見るか会意文字と見るかが異なる。

「丹」 甲骨文字・殷.png

(「丹」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B8%B9より)

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 05:12| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする