仁和寺に志一房とて外法成就の人ありけるに、咜祇尼天(だぎにてん)の法を習ひて、三七(さんひち)日行ひけるに(太平記)、
と、「咜祇尼天」とあるのは、
荼枳尼天(だきにてん)、
の意で、
人の死を六ヶ月前に知ってその心臓を食い、その法を修する者に自在の通力を得させるという夜叉神、
と注する(兵藤裕己校注『太平記』)。
以術召請荼枳尼而訶責之、猶汝常噉(=喰)人、故我今當食汝、
とあり(大日経疏)、
荼枳尼は、通力自在の夜叉神なれば、此の法を修すれば、その人、亦、通力を得と云ふ、故に印度の外道、吾が朝の真言密教にては、荼枳尼法と云ひて、盛んに之を行ふ、
とある(大言海)。
「荼枳尼天」は、
梵語のダーキニー(Ḍākinī)を音訳、
で、
荼吉尼、
陀祇尼、
拏吉尼、
吒祇尼、
吒枳尼、
などとも写す(日本大百科全書)とあるが、
荼吉尼天、
吒枳尼天、
と、「天」をつけるのは、わが国特有で、
中国の仏典では“天”が付くことはなく荼枳尼とのみ記される、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%BC%E6%9E%B3%E5%B0%BC%E5%A4%A9)。サンスクリット語ダーキニーDākinīは、
大母神カーリーの使婢たる鬼霊。幻力(マーヤー)を有し、夜間尸林(しりん 墓所)に集会し、肉を食い飲酒し、奏楽乱舞し、性的放縦を伴う狂宴を現出する。人を害する鬼女として恐れられるが、手段を講じてなだめれば非常な恩恵をもたらす。タントラ仏教では彼女ら(〈母〉たち、現実には、特殊な魔術的能力を有するとされる低賤カーストの女性たち)のグループ(荼枳尼網)を、世界の究極的実在としての女性原理であり、悟りを生む知恵でもある〈般若波羅蜜〉とみなし、それと性的に瑜伽(ヨーガ 合一)することによって即身成仏の実現を期する、
とある(世界大百科事典)。ダーキニーの起源は明らかでないが、ヒンドゥー教もしくはベンガル地方の土着信仰から仏教に導入された(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%BC%E6%9E%B3%E5%B0%BC%E5%A4%A9)と考えられ、ダーキニーは、
もともと集団や種族を指す名であるが、日本の荼枳尼天は一個の尊格を表すようになった、
とされる(仝上)。で、密教では、
胎蔵界曼陀羅外金剛部院に配される女性の悪鬼、
とされ、
六ヶ月前に人の死を知り、その心臓を食う、
という(広辞苑)。日本では、その本体は、
此れは狐を云ふ、曼荼羅の中では、夜叉と云ふもの也、業通自在にして、速疾身を自由にせり、我が朝の飯綱(いづな)の神と云ふと同類なるべし、
と(真俗仏事編「陀羅尼」の注)、
狐の精、
とされ、白い狐がシンボルになっている、
稲荷大明神、
飯縄(いづな)権現、
と同一視する(広辞苑)。これは、「野干」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/485021299.html)で触れたたように、日本の密教では、閻魔天の眷属の女鬼・荼枳尼(だきに)が、
野干の化身であると解釈され、平安時代以後、野干=狐にまたがる姿の荼枳尼天となる。この日本独特の荼枳尼天の解釈はやがて豊饒や福徳をもたらすという利益の面や狐(野干)に乗っているという点から稲荷神と習合したり、天狗信仰と結び付いて飯綱権現や秋葉権現、狗賓などが誕生した、
ことによる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E5%B9%B2)。因みに、「狗賓」(ぐひん)は、
天狗の一種。狼の姿をしており、犬の口を持つとされる、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%97%E8%B3%93)。
(荼枳尼天(剣と宝珠を持つ)仏像図彙(1783年) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%BC%E6%9E%B3%E5%B0%BC%E5%A4%A9より)
「夜叉」も、
梵語yakkhaの音写、
で、
インド古代から知られる半神半鬼。もとは光のように速い者、祀(まつ)られる者を意味し、神聖な超自然的存在とみられたらしい。しばしば悪鬼羅刹とも同一視される、
とあり(日本大百科全書)、
夜叉には男と女があり、男はヤクシャ(Yaksa)、女はヤクシーもしくはヤクシニーと呼ばれる。財宝の神クベーラ(毘沙門天)の眷属と言われ、その性格は仏教に取り入れられてからも変わらなかったが、一方で人を食らう鬼神の性格も併せ持った。ヤクシャは鬼神である反面、人間に恩恵をもたらす存在と考えられていた。森林に棲む神霊であり、樹木に関係するため、聖樹と共に絵図化されることも多い。バラモン教の精舎の前門には一対の夜叉像を置き、これを守護させていたといい、現在の金剛力士像はその名残であるともいう、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9C%E5%8F%89)。したがって、のちに仏教では、
クベーラ神(毘沙門天)の従者として、仏法を守護する八部衆(はちぶしゅう)の一つに位置づけられた。人に恩恵を与える寛大さと殺害する凶暴さとをあわせもつ性格から、その信仰には強い祈願と慰撫の儀礼を伴う場合が多い、
とある(日本大百科全書)。
「荼」(慣用ダ・タ、漢音ト、呉音ド・ジャ)は、
会意兼形声。「艸+音符余(のびる、ゆるやかにする)」。からだのしこりをのばす薬効のある植物のこと。後一画を省いて茶と書き、荼(にがな)と区別するようになった、
とある(漢字源)。
(「荼」 小篆・説文・漢 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%8D%BCより)
「枳」(シ・キ)は、
会意兼形声。「木+音符只(シ 小さい)」。小さい実のなる木、
とあり(漢字源)、「からたち」の意である。
「尼」(漢音ジ・デイ、呉音ニ、ネイ)は、
会意。「尸(ひとのからだ)+比(ならぶ)の略体」で、人が相並び親しむさまを示す。もと人(ニン 親しみ合う)と同系。のち、「あま」の意に転用されたが、尼の原義は昵懇の昵の字に保存された、
とある(漢字源)。別に、
会意文字です(尸+匕)。「死んで手足を伸ばした人」の象形と「人」の象形から、「人が近づき親しむ」、「ちかづく」を意味する「尼」という漢字が成り立ちました。(また、梵語を漢訳した「比丘尼(びくに)」の略称、「あま」の意味も表します)、
とも解釈される(https://okjiten.jp/kanji1385.html)。
(「尼」 小篆・説文・漢 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B0%BCより)
参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
ラベル:荼枳尼天