2022年01月19日

見たうもなし


ここなる僧の臆病げなる、見たうもなさよ(太平記)、

の「見たうもなさ」は、

見たうもなし、

の名詞化で、

みっともないこと、

の意である。

「みたうもなし」は、

見たうも無し、

とも当てるが、

見たくもなしの音便形、

である。つまり、

心憂(こころう)や、みとうもなや(御伽・新蔵人物語)、

と、

見むことを欲せず、

という意味である。ここでは、既に、

(そのものを)見たくない、見る気がしない、

という、

主体の価値表現(感情表現)、

の意とともに、

我が身の年の寄りてみたうもない事をば、悲しむべき事とも知らずして(三体詩抄)、

と、

(そのものの)みにくさ、外聞の悪さ、

という、現代で使う、

みっともなさ、

のいう、
客体の価値表現、

の意をも含意している。

だから、

見たくもなし→みたうもなし→みとむなし→みともなし→みっともなし→みっともない、

と転訛していくうちに、

見たくない→それが見たくもないほど見苦しい→外聞が悪い、見苦しい、

と意味がシフトしていく。「みともなし」では、まだ、

取りて突退け、見ともない、おかっしゃれ(近松「生玉心中」)、

と、

見たくもない、

意と、

どうやら犬の様で、見ともない、どりゃ放して取らせふ(近松・国姓爺合戦)、

と、

外聞悪し、人目を恥ずべし、

の意とが併用されているが、「みっともなし」となると、

みっともないまねはよせ、

というように、

見るにたえない、
外聞が悪い、

という対象の価値表現へと完全にシフトしてしまっている。

「みっともない」http://ppnetwork.seesaa.net/article/388163583.htmlで触れたように、

中世の「見たくもなし」が、「見たうもない」「見とむない」などを経て、近世後期に「みとむない」「みっともない」となった(日本語源大辞典)、

ものだが、現代だと、

みっともいいものではない、
みっともよくない、

という言い方が生まれている(仝上)。これなどは、完全に対象の価値表現となっている。

「見」(漢音呉音ケン、呉音ゲン)は、

会意。「目+人」で、目立つものを人が目にとめること。また、目立って見える意から、現れるの意ともなる、

とある(漢字源)。別に、

「見」 漢字.gif


会意。目(め)と、儿(じん ひと)とから成る。人が目を大きくみひらいているさまにより、ものを明らかに「みる」意を表す(角川新字源)、

会意(又は、象形)。上部は「目」、下部は「人」を表わし、人が目にとめることを意味するhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%A6%8B

会意文字です(目+儿)。「人の目・人」の象形から成り立っています。「大きな目の人」を意味する文字から、「見」という漢字が成り立ちました。ものをはっきり「見る」という意味を持ちますhttps://okjiten.jp/kanji11.html

など、同じ趣旨乍ら、微妙に異なっているが、目と人の会意文字であることは変わらない。

「見」 甲骨文字・殷.png

(「見」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%A6%8Bより)

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 05:14| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする