2022年01月21日
黈纊(とうこう)耳を塞がず
后妃の徳違(たが)はば、四海の鎮まる期(ご)あるべからず。褒姒(ほうじ)周の代(よ)を乱り、西施呉國を傾(かたぶ)けし事、黈纊耳に届かず、君、何ぞ思し召し知らざらん(太平記)、
とある、
黈纊(トウコウ)、
とは、
天子の冠の両脇にたらして耳を塞ぐ綿玉、
をいい(兵藤裕己校注『太平記』)、
黄綿似て作りし耳ふさぎ、
とある(字源)。
「黈」(トウ)は、漢書・東方朔伝に、
黈纊充耳、所以塞聴、
とあり、
みみだま、
みみふさぎ、
とあり(字源)、
黄色の纊(わた)にて作りし珠を、冕(ベン)に懸けて両耳の旁に垂れ、妄りに聞くことを戒むるもの、
とある(仝上)。「冕(ベン)」は、
冠、
の意であり、中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)に、
古黄帝初作冕、
とある(仝上)。
冕冠(ベンカン)、
ともいい、
東アジアの漢字文化圏諸国で皇帝、天皇、国王などが着用した冠、
を指す(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%95%E5%86%A0)。
「冕旒(べんりゅう)」は、
冕(かんむり)の前後に垂れ下げる珠玉。天子の冕は十有二旒、諸侯は九、上大夫は七、下大夫は五旒、
とあり、清・康熙帝勅撰の、漢代『説文解字』以降の字書の集大成として編纂した『康熙字典』(1716年)には、
冕旒以絲縄貫玉、垂冕前後也、
とある(字源)。「纊」(コウ)も、
わた、
新しいわた、
の意である。
黈纊耳を塞がず、
は、
天子の耳に届かないはずはない、
の意となる(兵藤裕己校注『太平記』)。
東方朔・答客難に、
水至清則無魚(水至って清ければ則ち魚無し)、
人至察則無徒(人至って察なれば則ち徒(ト 仲間)無し)、
冕而前旒(冕(べん)して旒(りゅう)を前にするは)、
所以蔽明(明を蔽(おお)う所以なり)、
黈纊充耳(黈纊(とうこう)して耳を充(みた)すは)、
所以塞聰(聡を塞(ふさ)ぐ所以なり)、
明有所不見(明にして見ざる所有り)、
聰有所不聞(聡にして聞かざる所有り)、
擧大德(大徳を挙げ)、
赦小過(小過を赦し)、
無求備於一人之義也(備(そな)わらんことを一人(いちにん)に求むる無きの義なり)、
とあり(https://kanbun.info/koji/mizukiyo.html)、
冕而前旒、
所以蔽明、
黈纊充耳、
所以塞聰、
である。これは、例の、
水清ければ魚棲まず、
の出典でもある。
無求備於一人之(備(そな)わらんことを一人に求むること無かれ)、
は、『論語』微子篇に、
周公謂魯公曰(周公魯公に謂(い)いて曰わく)、
君子不施其親(君子は其の親(しん)を施(す)てず)、
不使大臣怨乎不以(大臣をして以(もち)いられざるを怨ま使(し)めず)、
故旧無大故(故旧(こきゅう)大故(たいこ)無ければ)、
則不棄也(則ち棄(す)てざるなり)、
無求備於一人(一人に備わらんことを求むるなかれ)、
とあり、
一人の人間に完全を求めてはならない、
意とされる(貝塚茂樹訳注『論語』)。万能な人間などいないのだから、一人の人間に完全無欠を要求してはいけないという含意であるが、
備わるを一人に求むるなかれ、
と訓ますこともある(故事ことわざの辞典)。同趣旨は、『書経』に、
居上克明(上に居りては克(よ)く明らかに)、
為下克忠(下(しも)と爲りては克(よ)く忠あり)、
與人不求備(人と與(とも)にするには備わらんことを求めず)、
檢身若不及(身を検(けん)するも及ばざるが若くす)、
とある(https://ats5396.xsrv.jp/5620/)。
参考文献;
簡野道明『字源』(角川書店)
尚学図書編『故事ことわざの辞典』(小学館)
貝塚茂樹訳注『論語』(中公文庫)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95