なまばむ

用心の最中、なまばうたる人の疲れ乞ひするは、夜討ち強盗の案内見る者か(太平記)、 にある、 なまばうたる、 は、 うさんくさい、 と注記がある(兵藤裕己校注『太平記』)。 生ばうたる、 と当てる、 生ばむ、 の転訛である。「生ばむ」は、 なんとなく怪しく見える、 どことなくうさんくさい、 意である(岩波古語辞典・精選版日本国…

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下火(あこ)

「下火」は、 したび、 と訓むと、 火勢の衰えること、 の意(広辞苑)だが、 等持寺の長老別源、葬礼を取り営みて、下火の仏事をし給ひける(太平記)、 とか、 近き里の僧、比丘尼、その数を知らず群集し給ひて、下火念誦して、荼毘の次第悉く取り行ひければ(仝上)、 とか、 中一日あつて、等持院に(足利尊氏を)葬り奉る。鎖龕(さがん 遺骸を納め棺…

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莅む

「のぞむ」は、 望む、 と当てるが、 臨む、 とも当てる。それとほぼ同義で、 肩瀬、腰越を打ち廻って、極楽寺坂へ打ち莅み給ふ(太平記)、 と、 莅む、 とも当てる。「望む」は、 朕(われ)、高台(たかとの)に登りて遠に望(み)に、烟気(けふり)、城(くに)の中(うち)に起(た)たず(日本書紀)、 南を望めば海漫漫として、雲の波煙深く(平…

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奈利

隔生則忘(http://ppnetwork.seesaa.net/article/485335998.html?1642968617)でも触れた、 隔生則忘とは申しながら、また一年五百生(しょう)、懸念無量劫の業なれば、奈利(ないり)八万の底までも、同じ思ひの炎にや沈みぬらんとあわれなり(太平記)、 に、 奈利(ないり)、 とあるのは、日葡辞書(1603~04)辞書に…

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神龍忽ち釣者の網にかかる

いづくより射るとも知らぬ流れ矢、主上(光厳帝)の御肱に立ちにけり、陶山(すやま)備中守、急ぎ馬より下り、矢を抜いて御疵を吸ふに、流るる血、雪の御膚(おんはだえ)を染めて、見まゐらするに目も当てられず、忝くも万乗の主、いやしき匹夫の矢先に傷(いた)められて、神龍忽ちに釣者(ちょうしゃ)の苦(あみ)にかかれる事、あさましき世の中なり(太平記)、 にある、 神龍忽ちに釣者の苦(あみ)に…

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霓裳(げいしょう)

敵三方より寄せ懸けりたれば、武士東西に馳せ違い、貴賤山野に逃げ迷ふ。霓裳一曲の声の中(うち)に、漁陽(ぎょよう)の鼙鼓(へいこ 軍鼓)地を動かして来たり(太平記)、 にある、 霓裳一曲、 とは、玄宗皇帝が、 夢に天人の舞を見て作った、 とされる、 霓裳羽衣の曲(げいしょうういのきょく)、 を指す(兵藤裕己校注『太平記』)、とある。これは、 霓裳…

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薩埵

善女(ぜんにょ)龍王独り、守敏(しゅびん 僧都 空海と祈雨を争った)よりも上位の薩埵(さった)にてありける間、守敏の請ひに随はずして(太平記)、 にある、 薩埵(さった)、 は、 菩薩、 の意とある(兵藤裕己校注『太平記』)。「薩埵」は、 梵語sattvaの音訳、 で、 薩埵婆(さったば)の下略、 とあり(大言海)、 有情(うじょう…

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定力(じょうりき)

不退の行学(ぎょうがく)を妨げんとしけれども、上人の定力堅固なりければ、間(ひま)を伺ふ事を得ず(太平記)、 とある、 定力、 は、 じょうりき、 と訓まし、 禅定(無念無想の境地)によって生じる能力、 と注記がある(兵藤裕己校注『太平記』)。 禅定によって精神が安定し、悟りが得られるとともに、さまざまの神秘的な能力が得られる、 とある(…

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中陰

やがて御息所、御心地煩ひて、御中陰(ちゅういん)の日数未だ終らざる前(さき)に、はかなくならせ給ひにけり(太平記)、 に、 中陰(ちゅういん)、 とあるのは、 人の死後の行き先が決まるまでの四十九日間、 と注記(兵藤裕己校注『太平記』)がある。 死んでから次の生を受けるまでの中間期における存在、 の意で、 サンスクリット語アンタラー・ババant…

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童女

「童女」は、 どうじょ、 と訓ませると、 女児、 幼女、 の意味だが、 大甡(おおにえ)の祭(大嘗會)を行はるる程に、悠紀(ゆうき)・主基(すき)に風俗の歌を唱へて帝徳を称じ、童女(いむこ)の者ども、稲舂歌(いなつきうた)を歌ひて神饌を奉る(太平記)、 と、 いむこ、 あるいは、 いんご、 と訓ますと、 清浄な童女、 と注記(…

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応作

両所権現(りゃうしょごんげん)は、これ伊弉諾(いざなぎ)、伊弉(いざなみ)の応作(ヲウサ)なり(太平記)、 玲々たる鈴の声は垂迹(すいしゃく)五能の応化(ヲウクヮ)をも助くらんとぞ聞へける(仝上)、 などとある、 応作(おうさ)、 は、 降迹應化、為一老父(西域記)、 と、 応化(おうげ・おうけ)、 と同義で、 応現(おうげん)、 とも…

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六道能化

はじめ三日の本尊には、来迎の阿彌陀の三尊、六道のうけの地蔵菩薩(曾我物語)、 われはかの入道(結城上野介入道道忠)が今度上洛せし時、鎧の袖に書きたりし六道能化(ろくどうのうげ)の主(あるじ)、地蔵薩埵にて候なり(太平記)、 などとある、 六道のうけ、 六道能化の主、 とあるのは、 六道衆生を能く教化する地蔵菩薩、 の意で、地蔵は、 釈迦入滅後、弥勒菩薩…

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非想非々想天

その声天に響いて、非想非々想天(ひそうひひそうてん)までも聞こえやすらんとおびただし(太平記)、 とある、 非想非々想天、 は、 猛火(みょうか)雲を焦がして翻る色は、非想天の上までも昇り(仝上)、 と、略して、 非想天、 ともいい、 無色界の第四天で、三界(欲界・色界・無色界)の諸天の最頂部にある天の名、 とある(兵藤裕己校注『太平記』…

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ほかゐ

三種の神器を足付けたる行器(ほかい)に入れて、物詣でする人の、破籠(わりご 弁当箱)なんど入れて持たせたるやうに見せて(太平記)、 とある、 行器(ほかゐ)、 は、 外居、 とも当て、 ほっかい、 とも訓ませ(日本語源大辞典)、 旅行の際に食料を入れて背中や肩に負う脚付(で蓋付き)の木製の容器、 とあり(兵藤裕己校注『太平記』)、平安時代…

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こたつ

「こたつ」は、 炬燵、 火燵、 と当てる(広辞苑)が、 火闥 コタツ(「黒本本節用集(室町)」)、 火榻 コタツ(「文明本節用集(室町中期)」)、 火燵 コタツ(「運歩色葉集(天文17年[1548])」)、 火燵 コタツ(「易林本節用集(慶長二年[1597])」)、 火踏 コタツ(「書言字考(江戸中期)」)、 脚爐 コタツ(仝上)、 などとも当てられ(…

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迦楼羅炎

(高野の衆徒)御廟を掘り破つてこれを見るに、上人(覚鑁〈かくばん〉)、不動明王の形象(ぎょうぞう)にて、伽縷羅煙(かるらえん)の内に座し給へり(太平記)、 とある、 伽縷羅煙、 は、当て字で、正しくは、 迦楼羅炎(かるらえん)、 と表記、 不動明王の光背、仏法保護の鳥カルラが羽を広げた形に似るから、 とも(兵藤裕己校注『太平記』・広辞苑)、 迦…

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那羅延

或る若大衆(だいしゅう)一人(いちにん)走り寄つて、これを引つ立てんとするに、その身盤石の如くにして、那羅延(ならえん)が力も動かし難(かた)し(太平記)、 とある、 那羅延(ならえん)、 は、 帝釈天の眷属で、仏法守護の大力の神、密迹(みっしゃく)と対で、二王(仁王)といわれる、 とあり(兵藤裕己校注『太平記』)、 那羅延金剛(ならえんこんごう)、 あ…

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金剛の杵

その身盤石の如くにして、那羅延(ならえん)が力も動かし難(かた)し。金剛の杵(しょ)も砕き難くぞ見えたりける(太平記)、 とある、 金剛の杵(しょ)、 は、 仏の知恵を表し、煩悩を打ち砕く密教の法具、 とある(兵藤裕己校注『太平記』)。「那羅延(ならえん)」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/486035712.html?1…

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あだし心

世は皆夢の幻(うつつ)とこそ思ひ捨つる事なるに、こはそも何事のあだし心ぞや(太平記)、 の、 あだし心、 は、 徒し心、 と当てたりする(岩波古語辞典)が、 浮ついた心、 とある(兵藤裕己校注『太平記』)。ただ、あだし、 には、 徒し、 のほか、 空し、 敵し、 仇し、 他し、 異し、 等々とも当て、意味を異にす…

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つらつら

倩(つらつら)これを思ふに、惡の彼に在ると、義の我に在ると、天下の治乱、山上の安危に孰れぞ(太平記)、 とある、 つらつらは、 倩々、 熟、 熟々、 等々とも当て、 つらつら思へば、誉れを愛する人は、人の聞(きき)をよろこぶなり(徒然草)、 というように、 つくづく、 よくよく、 の意で使う(広辞苑)。類聚名義抄(11~12世紀)には、 …

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