2022年03月01日

なまばむ


用心の最中、なまばうたる人の疲れ乞ひするは、夜討ち強盗の案内見る者か(太平記)、

にある、

なまばうたる、

は、

うさんくさい、

と注記がある(兵藤裕己校注『太平記』)。

生ばうたる、

と当てる、

生ばむ、

の転訛である。「生ばむ」は、

なんとなく怪しく見える、
どことなくうさんくさい、

意である(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。あまり用例がなく、太平記の上記がよく使われる。

「生ばむ」は、

生+ばむ、

である。「ばむ」は、

黄ばむ、
気色ばむ、

のように、

物の性質や状態を表わすような名詞、またはこれに準ずる動詞連用形や形容詞語幹などに付き、これを動詞化する。そのような性質をすこしそなえてくる、また、そのような状態に近づいてくるの意を添える、

とあり(精選版日本国語大辞典)、

…のようすが現れる、
…のようすを帯びる、

などの意を表すが、古くは、

鼻の先は赤みて、穴のめぐりいたく濡ればみたるは(今昔物語)、
なよらかにをかしばめる事を、好ましからずおぼす人は(源氏物語)、

などと、

動詞の連用形、形容詞の語幹の下にも付いて動詞を作り、そのような性質を少し帯びる、そのような状態に近づいてくる、という意を表す、

とある(デジタル大辞泉・広辞苑)。

「なま」は、「なま」http://ppnetwork.seesaa.net/article/484932208.htmlで触れたように、

生兵法、
なま女房、
なま侍、
なま道心、
なま聞き、

などと接頭語で使うときは、

未熟、不完全、いい加減、の意、それらの状態に対して好感をもたない場合に使うことが多い、

とある(岩波古語辞典)。今日、

生放送、

と使うのは、名詞「なま」の、

生野菜、

というときの、

動植物を採取したままで、煮たり、焼いたり、乾かしたりしないもの、

つまり、

そのままの状態、

の意から来ていると思われる。「なまじっか」http://ppnetwork.seesaa.net/article/441764979.htmlの「なまじひ(い)」も、

ナマは中途半端の意。シヒは気持ちの進みや事の進行、物事の道理に逆らう力を加える意。近世の初期まで、ナマジヒ・ナマシヒの両形あった。近世ではナマジとも、

とある(岩波古語辞典)し、

なまなか(生半)、

も、

中途半端、

の意になる。

なまめく、

は、

生めく、
艷めく、

と当てるが、この場合は、

ナマは未熟・不十分の意。あらわに表現されず、ほのかで不十分な状態・行動であるように見えるが、実は十分に心用意があり、成熟しているさまが感じとられる意。男女の気持のやり取りや、物の美しさなどにいう。従って、花やかさ、けばけばしさなどとは反対の概念。漢文訓読系の文章では、「婀娜」「艷」「窈窕」「嬋娟」などをナマメク・ナマメイタと訓み、仮名文学系での用法と多少ずれて、しなやか、あでやかな美の意。中世以降ナマメクは、主として漢文訓読系の意味の流れを受けている、

とあり(岩波古語辞典)、「なまめく」は、本来は、ちょっと「奥ゆかしい」ほのかに見える含意である。

「なま」を、副詞として、

御調度どもをいと古体になれたるが、昔様にてうるはしきを、なま、物のゆゑ知らんと思へる人、さる物要(えう)じて(源氏物語)、

と使う場合も、

未熟で中途はんぱである意を表わし、なまじっか、すこしばかり、

の意で使うし、「なま」を、名詞で使う場合も、

なまなる物熟したる物が目前にあまるほどあり(「古活字本荘子抄(1620頃)」)、

と、

植物や動物が生きて生活していた時と同じであること。それらの加工していない状態をいう。また、そのもの。成熟していない状態にもいう、

とあり、おそらくそれをメタファに、

くちばしも翼もなくて、なまの天狗なるべし(御伽物語)、

と、

技術や経験・物事の程度などが不十分でいい加減であるさま、

をいう(精選版日本国語大辞典)のに使ったり、

やい、与三、なま言ふなえ言ふなえ(与話情浮名横櫛)、

と、

生意気、

の意では使うが、「なま」には、

なまばむ、

の、

怪しくみえる、
うさんくさい、

意味はない。強いて言えば、「なま」のもつ、

未熟、
中途半端、
いい加減、

の意の延長で、

いかがわしい、

意はあり得るし、例えば、「なまぐさし(生臭し・腥し)」で、

洞の内なまぐさき事かぎりなし(今昔物語)、

と、

あやしげな臭気がある、

意で使う(岩波古語辞典)のからみて、

正体の定かでない、
まっとうでない、

という意味と見ていい。

「生」 漢字.gif

(「生」 https://kakijun.jp/page/0589200.htmlより)

「なま」http://ppnetwork.seesaa.net/article/484932208.htmlでふれたように、

「生」(漢音セイ、呉音ショウ)は、

会意。「若芽の形+土」で、地上に若芽の生えたさまを示す。生き生きとして新しい意を含む、

とある(漢字源)。ただ、中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)には、

土の上に生え出た草木に象る、

とあり、現代の漢語多功能字庫(香港中文大學・2016年)には、

屮(草の象形)+一(地面の象形)で、草のはえ出る形、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%94%9Fため、

象形説。草のはえ出る形(白川静説)、
会意説。草のはえ出る形+土(藤堂明保説)、

と別れるが、

象形。地上にめばえる草木のさまにかたどり、「うまれる」「いきる」「いのち」などの意を表す(角川新字源)、
象形。「草・木が地上に生じてきた」象形から「はえる」、「いきる」を意味する「生」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji33.html

とする説が目についた。甲骨文字を見る限り、どちらとも取れる。

「生」 甲骨文字・殷.png

(「生」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%94%9Fより)

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:なまばむ 生ばむ
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2022年03月02日

下火(あこ)


「下火」は、

したび、

と訓むと、

火勢の衰えること、

の意(広辞苑)だが、

等持寺の長老別源、葬礼を取り営みて、下火の仏事をし給ひける(太平記)、

とか、

近き里の僧、比丘尼、その数を知らず群集し給ひて、下火念誦して、荼毘の次第悉く取り行ひければ(仝上)、

とか、

中一日あつて、等持院に(足利尊氏を)葬り奉る。鎖龕(さがん 遺骸を納め棺の蓋を閉じる儀式)は、天龍寺の龍山和尚、起龕(きがん 棺を墓所へ送り出す儀式)は、南禅寺の平田和尚、奠茶(てんちゃ 霊前に茶を供える儀式)は、建仁寺の無徳和尚、奠湯(てんとう 霊前に湯を供える儀式)は、東福寺の監翁和尚、下火は、等持院の東陵和尚にてぞおはしける(仝上)、

とかの、

下火、

は、

あこ、

と訓ませ、

火葬の時に、導師が遺骸に点火する儀式、

あるいは、

禅宗で火葬の時に偈を唱える作法、

あるいは、

火葬の火を点ずる儀式、

などと注記される(兵藤裕己校注『太平記』)。「下火」は、

下炬、

とも当てる。

唐音(広辞苑・精選版日本国語大辞典)、

あるいは、

宋音(大言海)、

とある。

火を下す義、下三連(あさんれん)、火鈴(カリン)、行火(あんこ)、

とある(仝上)ところを見ると、

下(あ)火(こ)、

ともに唐音ということだろう。室町時代の辞書『下学集』に、

下火(あこ)、二字、共、唐音也、禅家葬儀之法事也、火字、或作炬字、

とある。また「下火」は、

秉炬(ひんこ・へいこ)、

ともいう(広辞苑)。

禅宗にて、火葬の時、火をつくる所作、導師の役目、

であるが、後には、

偈を唱へて、点火の態をなすのみ、麻幹を束ねて、炬(たいまつ)に擬し、圓相ヲ空に畫く、

とある(大言海)。つまり、形式化し、

偈 (げ) を唱えて火をつけるしぐさを示すだけになった、

ようである(精選版日本国語大辞典)。いわゆる、

引導の儀式、

である。インドでは、火葬をして身を清めるという考え方があり、ヒンドゥー教でも、魂が煙となって天に昇っていくという考え方があり、お釈迦様も火葬でしたので、仏教ではそれにならって、火葬が主流といわれるが、禅宗で、上記のように、

引導法語とよばれる法語、偈頌(げじゅ)などを唱え、「喝(かつ)」などと大声を発する、

のは、中国唐代中期の禅僧黄檗希運(おうばくきうん)が溺死した母のために法語を唱え、荼毘の火を投じたことに由来するといわれ(日本大百科全書)。それは、禅師が、

得悟するまで、情にひかれるのを避けるため、故郷の母に安否を知らせなかった。母はわが子希運の安否を何としても知りたい一心で、福清渡という河の渡しで旅籠を始め、旅人の足を洗うことにした。目の悪かった母は足を洗う時、希運の足にあった大きなこぶ(一説にはあざ)を手がかりに、わが子を見つけるつもりであった。百丈のもとで得悟した希運は故郷に至り、なつかしい母に会った。しかし、こぶのない片足を二度出して洗ってもらい、名も告げず旅籠をあとにした。後でその僧がわが子と知った母は希運を追いかけたが、目の悪かった母は誤って河に落ち溺死した。それを知った希運は船上から母を探し、「一子出家すれば九族天に生ず。もし天に生ぜずんば、諸仏の妄言なり」と唱え、炬火を擲げて燃やす。両岸の人々は皆、その母が火炎の中で男子の身となって大光明に乗じて夜魔天宮に上生するのを見た。後になって官司(役人)が福清渡を改めて大義渡となした、

というhttp://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E4%B8%8B%E7%82%AC。この故事は『韻府群玉』(1307)にあるが、その出典は明らかではない、とある(仝上)。『百通切紙』(『浄土顕要鈔』。延宝九年(1681)成立)に、

黄檗禅師、母を引導してより禅家に引導す。禅家の引導を見て他宗も意を以て引導すと見えたり、

と記し、禅宗の作法に他宗が倣ならったようである(仝上)。

黄檗希運.gif


浄土宗でも、引導のことを、

引導下炬(いんどうあこ)、

といい、

僧侶が松明に見立てたものを2本とり、1本を捨てます。これは、煩悩のあるこの世を離れることを意味しています。そして、もう1本の松明で円を描きながら、法語を唱え、松明を捨てます。これは、浄土への思いを表しています、

とあるhttps://www.e-sogi.com/guide/1927/#i-2

「下」 漢字.gif

(「下」 https://kakijun.jp/page/0301200.htmlより)

「下」(漢音カ、呉音ゲ)は、

指事。おおいの下にものがあることを示す。した、したになる意を表す、上の字の反対の形、

とある(漢字源)が、

指事。高さの基準を示す横線の下に短い一線(のちに縦線となり、さらに縦線と点とを合わせた形となる)を書いて、ものの下方、また、「くだる」の意を表す、

ともある(角川新字源・https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B8%8B)。

「下」 金文・西周.png

(「下」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B8%8Bより)

「火」(漢音呉音カ、唐音コ)は、

象形。火が燃えるさまを描いたもの、

である(漢字源)。

「火」 漢字.gif

(「火」 https://kakijun.jp/page/0468200.htmlより)

象形。燃え上がるほのおの形にかたどる、

も同じだ(角川新字源)が、

象形。燃える火の形を表した象形字。転じて「燃える」、「焼く」こと。更に転じて「火災」のこと、

ともあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%81%AB

「火」 甲骨文字・殷.png

(「火」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%81%ABより)

「炬」(漢音キョ、呉音ゴ、慣用コ)は、

会意兼形声。巨(キョ)は、工印のものさしにコ型の手て持つところのついた形を描いた象形文字。上の一線と下の一線とが隔たっている。距離の距(間がへだたる)と同系のことば。炬は「火+音符巨」で、長い束の先端に火をつけてもやし、ずっと隔たった下方を手に持つたいまつ、

とある(漢字源)。これだとわかりにくいが、「巨」(漢音キョ、呉音ゴ、慣用コ)は、

「炬」 漢字.gif


象形。I型の角定規に、手で持つための取手のついた姿を描いたもの。規矩の距(ク 角定規)の原字。のち両端が隔たった意味から、巨大の意に転用された(漢字源)、

とある。

「巨」 成り立ち.gif

(「巨」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji1142.htmlより)

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2022年03月03日

莅む


「のぞむ」は、

望む、

と当てるが、

臨む、

とも当てる。それとほぼ同義で、

肩瀬、腰越を打ち廻って、極楽寺坂へ打ち莅み給ふ(太平記)、

と、

莅む、

とも当てる。「望む」は、

朕(われ)、高台(たかとの)に登りて遠に望(み)に、烟気(けふり)、城(くに)の中(うち)に起(た)たず(日本書紀)、
南を望めば海漫漫として、雲の波煙深く(平家物語)、

などと、

遠くから眺めやる、
遠くを見やる、

意で(広辞苑・精選版日本国語大辞典・大言海)、

一辺に望みて見れば、大樹あり(金光明最勝王経平安初期点)、

と、

物事を求めて遥か遠くまで見やる、

意でも使い、そこから、

後見望む気色漏らし申しけれど(源氏物語)、

と、

願う、
希望する、
待望する、

意で使うに至る(岩波古語辞典・広辞苑)。今日、専らこの意で使う。

「臨む」は、

漢字「臨」をノゾムと訓読した、

ことから、

これより大きなる恥に臨まぬさきに、世をのがれなむと思う給へたちぬる(源氏物語)、

と、

むかう、
事の局にあたる、
直面する、

の意で使い(岩波古語辞典)、

(幼帝を)母后抱いて朝に臨むと見えたりけり(平家物語)、

と、

臨席する、

意でも使う(仝上)。

「のぞむ」は、

「臨む」「望む」同語源(デジタル大辞泉)、
(臨む・望むともに)ノゾク(覗く)と同根、
ノゾム(望・臨)はノゾク(覗・臨)と同源(続上代特殊仮名音義=森重敏)、

とされ、「臨む」を、

ノゾ(あるものに対す)+む(動詞化)、

「望む」を、

ノゾ(距離を置いて対す)+ム、

と区別する(日本語源広辞典)説もある。「のぞく」は、

覗く、
覘く、
臨く、

と当て、

物のはざまよりのぞけば、此の男の顔見し心地す(源氏物語)、

と、

相手に知られないように、相手の様子をうかがい見る、

意や、

伊勢の国をのぞきたる事もなうて、いくたびも参宮したるよしはなす者あり(伊勢物語)、

と、

ちょっと立ち寄ってみる、
わずかに一部分だけ見る、

意で使う。特に、「臨」を当てる「のぞく」は、やはり、

漢字臨をノゾクと訓読したことから、

当てたものとされ(岩波古語辞典)、

人人渡殿より出たる泉に臨(のぞ)きゐて酒飲む(源氏物語)、

と、

上から見下ろす、

意で使う。あるいは、

それに向かって見えやすい位置を占める、

意で使う(日本語源大辞典)。これは、今日、

谷底をのぞく、

という使い方と同じである。

「のぞく」と「のぞむ」は、使われる意味が少し異なるように見える。しかし、字鏡(平安後期頃)には、

闚(うかがう)、宇加加不、乃曾无、

とあり、

頫(ふす・みる)、見也、観也、乃曾牟、

とあり、「臨(のぞ)む」と「臨(のぞ)く」の差はあまりない。だから「のぞく」の語源を、

のぞむ(望)の義(言元梯)、
ノゾム(望)と同源(小学館古語大辞典)、
ノゾ(臨む)+ク(動詞化)、都合の良いところに臨んで見る意、

とすることになる。漢字を当て分ける前は、「のぞむ」の意味の幅が、たとえば、「みる」が、

目と同根、

で、

眼の力によって物の存在や相違を知る(岩波古語辞典)、
自分の目で実際に確かめる、転じて自分の判断で処理する(広辞苑)、
目射るの義、目を転じて活用す(大言海)、

と、「知覚」としての「見る」機能なのに対して、「のぞむ」「のぞく」は、

見る位置、
あるいは、
見ようとする姿勢、

に力点があるように見える。その意味で、「うかがう(窺・伺)」も、

他人に知られないように周囲に気を配りながら、相手の真意や事の真相を掴もうとする意(岩波古語辞典)、
のぞいて様子を見る、そっと様子をさぐる(広辞苑・大言海)、

と、ほぼ「のぞく」と意味が重なるので、上述の字鏡の、

闚(うかがう)、宇加加不、乃曾无、

とつながることになる。

「のぞむ」意の漢字は、

望、高きをのぞみ、遠きを望むなり。又人に仰ぎて、見上げられるにも用ふ。人望・名望の類なり。詩経「萬民所望」、また、高遠を望むより、心に不満に思ひてうらむ義にも転用す。怨望・觖望(けつぼう)の如し、
臨、高きより見下ろすなり、詩経「戦戦兢兢(恐恐)、如臨深淵」、また、身分の尊き人が卑しき人にのぞむにも用ふ、君臨、臨政、
莅、臨と同義にして狭し、孟子「莅中国而撫四夷」、
眺、遠くをながめ望むなり、可以遠眺望の類、

とある(字源)。

「望」 漢字.gif


「望」(漢音ボウ、呉音モウ)は、

会意兼形声。原字𦣠は「臣(目の形)+人が伸びあがって立つさま」の会意文字。望はそれに月と音符亡(ボウ・モウ)を加えたもので、遠くの月を待ち望むさまを示す。見えない所を見ようとする意を含む、

とある(漢字源)。別に、

もと、𦣠と書き、象形で、目を大きく開いて、背のびした人が遠くをのぞむさまにかたどる。借りて、満月の意を表した。のち、会意形声で、月が加えられて朢(バウ)となり、さらに臣にかえて音符亡(バウ)が加わり、望の字形になった、

とあり(角川新字源)、また、同趣旨で、

会意兼形声文字です(月+壬+亡)。甲骨文では「背伸びした人の上に強調した目のある」象形で「遠くをのぞむ」を意味する「望」という漢字が成り立ちました。(金文から、「月」が付されるようになり、「満月」の意味も表すようになりました)、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji685.html

「望」 成り立ち.gif

(「望」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji685.htmlより)

「臨」(リン)は、

会意。臣は、下に伏せてうつむいた目を描いた象形文字。臨は「臣(ふせ目)+人+いろいろな品」で、人が高いところから下方の物を見下ろすことを示す、

とある(漢字源)。別に、

「臨」 漢字.gif

(「臨」 https://kakijun.jp/page/1828200.htmlより)

形声。意符臥(ふせる)と、音符品(ヒム)→(リム)とから成る。物をよく見定める意を表す。転じて「のぞむ」意に用いる、

とも(角川新字源)、

会意文字です(臥+品)。「しっかり見開いた目」の象形と「のぞきこむ人」の象形と「とりどりの個性を持つ品」の象形から、とりどりの個性を持つ品をのぞき込む事を意味し、そこから、「のぞむ」、「みおろす」を意味する「臨」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1072.html

「臨」 成り立ち.gif

(「臨」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji1072.htmlより)

「莅」(リ)は、

会意。「艸(草で編んだ)+位(座席)」。座席やポストについて仕事をてきぱきと処理することをあらわす、

とあり(漢字源)、「身分の高いものがその場に出る」という意で、上述の、

臨と同義にして狭し、

と重なる。

「莅」 漢字.gif

(「莅」 https://kakijun.jp/page/E4AC200.htmlより)

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2022年03月04日

奈利


隔生則忘http://ppnetwork.seesaa.net/article/485335998.html?1642968617でも触れた、

隔生則忘とは申しながら、また一年五百生(しょう)、懸念無量劫の業なれば、奈利(ないり)八万の底までも、同じ思ひの炎にや沈みぬらんとあわれなり(太平記)、

に、

奈利(ないり)、

とあるのは、日葡辞書(1603~04)辞書にも、

ナイリノソコニシヅム、

とある、

泥犂(ないり)、

とも当て、

なつり、

とも訓ませる(大言海)、

地獄、

の意で、その広さが、

八万由旬、

という(兵藤裕己校注『太平記』)。「由旬(ゆじゅん)」とは、

諸声聞衆、身光一尋、菩薩光明、照百由旬(「往生要集(984~85)」)、

とあるように、

サンスクリット名ヨージャナ(yojana)の音訳、

で、

踰繕那(ゆぜんな)、

ともいい、古代インドにおける長さの単位、

約七マイル(約11.2キロメートル)あるいは九マイル、

という。

「くびきにつける」の意で、牛に車をつけて1日引かせる行程のこと(岩波仏教辞典)、
牛車の1日の行程(デジタル大辞泉)、

とも、

帝王の軍隊が一日に進む行程(精選版日本国語大辞典)、

ともある。

「泥犂」は、

泥梨、

とも当て、

サンスクリットのナラカnarakaまたはニラヤniraya、

の音訳、

地下にある牢獄、

を意味し、「金輪際」http://ppnetwork.seesaa.net/article/482019842.htmlで触れた、

贍部洲(せんぶしゆう 衆生の住む大陸)、

の地下に種々の地獄がある、

となっている。「贍部洲」は、

閻浮提(えんぶだい)、

ともいい、

衆生が住む閻浮提の下、4万由旬を過ぎて、最下層に無間地獄(むけんじごく)があり、その縦・広さ・深さは各2万由旬ある。そこへの落下に二千年も要し、四方八方火炎に包まれた、一番苦痛の激しい地獄である。(中略)その上の1万9千由旬の中に、大焦熱・焦熱・大叫喚・叫喚・衆合・黒縄・等活の7つの地獄が重層しているという。これを総称して八大(八熱)地獄という、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E7%8D%84_%28%E4%BB%8F%E6%95%99%29

また、観念的には、

仏教における世界観の1つで最下層に位置する世界、

であり、

欲界(上は六欲天から中は人界の四大州、下は八大地獄に至る)・六道(天道・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道)、また十界(六道+声聞・縁覚・菩薩・仏)の最下層、

となる(仝上)。

「ナラカnaraka」は、

奈落迦、那落迦、捺落迦、那羅柯、

などとも音写され、奈落迦が転訛したのが、

奈落(ならく 那落)、

である(仝上)。「ニラヤniraya」が音訳されたのが、

泥犂、
泥黎耶、

になる(仝上)。音写語の文字の、

落・泥・夜・黎・犂からも知られるように、地下の世界、冥界、不可楽な闇の世界、無幸処、

という意味を持たされているhttp://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E5%9C%B0%E7%8D%84。釈尊はそれを、

無記、

として直接説かなかったようだが、当時流布していた地獄思想が方便として利用され、

釈尊の死後、仏教の中にインド古来の業思想や輪廻思想が入り、地獄思想が導入されることにより独自の他界観、死後の様相が発達していった

という(仝上)。その特徴は、

地獄は有限の世界、

としたことで、

一番短い場所で一兆六千二百億年、

という。そこには、

必ずそこに救いがあり最終的には地獄を脱し成仏できるとする、

とする考え方があるようである(仝上)。七世紀の玄應音義(一切経音義)には、

泥犂、或言泥梨耶、又言泥梨架、此云無可楽、

「泥」 漢字.gif


「泥」(漢音デイ、呉音ナイ)は、

会意兼形声。尼(ニ)は、人と人とがからだを寄せてくっついたさまを示す会意文字。泥は「水+音符尼」で、ねちねちとくっつくどろ、

とある(漢字源)。音符尼(ヂ)→(デイ)と変化した(角川新字源)ようである。別に、

会意兼形声文字です(氵(水)+尼)。「流れる水」の象形と「人の象形と人の象形」(「人と人とが近づき親しむ」の意味)から、「ねばりつくどろ」を意味する「泥」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1992.html

「犂」 漢字.gif


「犂(犁)」(漢音レイ・リ、呉音リ)の字は、「犂牛」http://ppnetwork.seesaa.net/article/485135369.htmlで触れたように、

会意兼形声。「牛+音符利(リ よくきれる)」。牛にひかせ、土を切り開くすき、

とあり(漢字源)、

牛に引かせて土を起こす農具、

つまり、

からすき、

の意であるが、そこから、

耕作に使うまだらうし、

をも指す。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2022年03月05日

神龍忽ち釣者の網にかかる


いづくより射るとも知らぬ流れ矢、主上(光厳帝)の御肱に立ちにけり、陶山(すやま)備中守、急ぎ馬より下り、矢を抜いて御疵を吸ふに、流るる血、雪の御膚(おんはだえ)を染めて、見まゐらするに目も当てられず、忝くも万乗の主、いやしき匹夫の矢先に傷(いた)められて、神龍忽ちに釣者(ちょうしゃ)の苦(あみ)にかかれる事、あさましき世の中なり(太平記)、

にある、

神龍忽ちに釣者の苦(あみ)にかかれる、

は、

神龍忽ち釣者の網にかかる、

といい、

尊貴な人(龍)が卑しい者(釣り人)の手にかかる喩え、

と注記がある(兵藤裕己校注『太平記』)が、

白竜が魚に化して漁者予且(よしょ)にその目を射られた、

という故事(予且の患い)などによる、とある(故事ことわざの辞典)。前漢の劉向撰編の故事・説話集『説苑』(ぜいえん)が出典らしい。

「神龍」(しんりょう)とは、

昨日は雲の上に雨をくだす神龍(シンレウ)たりき(平家物語)、

と、

神通力のある龍、
霊妙不思議な龍、

とある(精選版日本国語大辞典)。そんな龍が、釣り人の網にかかるとは、油断もさることながら、まさに、

あさましき事、

である。「あさまし」http://ppnetwork.seesaa.net/article/464317809.htmlは、

見下げる意の動詞アサムの形容詞形。あまりのことにあきれ、嫌悪し不快になる気持、

であり、転じて、

驚くようなすばらしさにいい、副詞的には甚だしいという程度をあらわす、

とある(岩波古語辞典)。意味の流れは、

意外である、驚くべきさまである(「思はずにあさましくて」)、

(あきれるほどに)甚だしい(「あさましく恐ろし」)、

興ざめである、あまりのことにあきれる(「つつみなく言ひたるは、あさましきわざなり」)、

なさけない、みじめである、見苦しい(「あさましく老いさらぼひて」)、

さもしい、こころがいやしい(「根性が浅ましい」)、

(あさましくなるの形で)亡くなる(「つひにいとあさましくならせ給ひぬ」)、

と、驚くべき状態の状態表現から、その状態への価値表現へと転じたとみれば、驚くより、

呆れ果てた、
見苦しい、

という含意がいいのかもしれない。

神龍忽ち釣者の網にかかる、

と、似た言い回しに、

蚊龍(こうりょう)は深淵の中に保つ。若し浅渚(せんしょ)に遊ぶ則(とき)は、漁網釣者(ちょうじゃ)の愁(うれ)へ有り(太平記)、

とある、

蚊龍は深淵の中に保つ云々、

は、上述の、

神龍忽ち釣者の網にかかる、

と同じく『説苑』(ぜいえん)出典で、

水中の龍は普段深淵の中におり、浅瀬に遊ぶと、網にかかったり釣り上げられたりする、

という意になる。

すぐれた人物も、油断すると思わぬ失敗をする、

意で使う(兵藤裕己校注『太平記』)。

蛟竜(こうりょう・こうりゅう)、

は、

中国古代の想像上の動物、まだ龍にならない蛟(みずち)。水中にひそみ、雲雨に会して天に上り龍になるとされる、

とある(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。これが上述の、

予且の患い、

あるいは、

白竜魚服(はくりょうぎょふく)、

ともいう故事で、

白竜が普通の魚の姿に化けて泳いでいたところを漁師予且に射られた、

というのによる。「白竜」は、

白い龍、

だが、

夫白竜、天帝之貴畜也(説苑)、

と、

天帝の使い、

とされる。ために、

白竜は天帝に訴えたが、天帝は人が魚を射るのは当然であり、非は魚の姿をして予且の前に出た白竜にあるとして、予且を咎めなかった、

とされる(故事ことわざの辞典)。そこから、

呉王欲従民飲酒。伍子胥諫曰、不可。昔白竜下清令之淵、化為魚、漁者予且射中其目。……今棄万乗之位、而従布衣之士飲酒、臣恐其有予且之患矣。王乃止、

と、

戦国時代の呉王がしのび歩きをしようとするのを、伍子胥が諫めてその危険の喩えにし、呉王を諫めた故事から、

貴人の微行、
または、
貴人がお忍びで外出して災難にあうこと、

の意味となった(仝上・広辞苑)。「魚服」は、

魚の服装をするという意味から、身分の高い人がみすぼらしい格好をすること、

のたとえである(仝上)。「万乗」は、

1万台の兵車、

の意だが、

古代中国の天子は一万輌の兵車を有した、

ために言う(兵藤裕己校注『太平記』)。中国、周の制度では、戦時、天子はその直轄領から兵車1万台を出すことになっていたので、転じて、

万乗の君、
万乗の主、

などと、

天子の称、

となった。

万乗の国、

は兵車1万台を出せる大国を意味し、「千乗」は、

兵車1000台を出せる大諸侯、

を、その国を「千乗の国」とよび、

百乗の家、

は、

兵車100台を出せる卿(きょう)、大夫の地位にある者、

をいった(日本大百科全書)。「万乗」は、日本では、冒頭引用の、

忝くも万乗の主(太平記)、

のように、

天皇の称、

として用いられ、「一天万乗の君」「万乗の位」などと用いられる(仝上)。

「龍」 漢字.gif

(「龍」 https://kakijun.jp/page/ryuu200.htmlより)

「亢龍悔い有り」http://ppnetwork.seesaa.net/article/484356729.htmlで触れたように、「龍」(漢音リョウ、呉音リュウ、慣用ロウ)は、

象形。もと、頭に冠をかぶり、胴をくねらせた大蛇の形を描いたもの。それにいろいろな模様を添えて、龍の字となった、

とある(漢字源)。別に、

象形。もとは、冠をかぶった蛇の姿で、「竜」が原字に近い。揚子江近辺の鰐を象ったものとも言われる。さまざまな模様・装飾を加えられ、「龍」となった。意符としての基本義は「うねる」。同系字は「瀧」、「壟」。古声母は pl- だった。pが残ったものは「龐」などになった、

ともあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%BE%8D

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2022年03月06日

霓裳(げいしょう)


敵三方より寄せ懸けりたれば、武士東西に馳せ違い、貴賤山野に逃げ迷ふ。霓裳一曲の声の中(うち)に、漁陽(ぎょよう)の鼙鼓(へいこ 軍鼓)地を動かして来たり(太平記)、

にある、

霓裳一曲、

とは、玄宗皇帝が、

夢に天人の舞を見て作った、

とされる、

霓裳羽衣の曲(げいしょうういのきょく)、

を指す(兵藤裕己校注『太平記』)、とある。これは、

霓裳一曲を奏しているとき、安禄山が漁陽から軍鼓を打って攻めてきた、

という故事に依っている(仝上)。漁陽は、

隋代に置かれた郡および県名。現在の河北省薊県の地で北京の東北方に当たる。唐代、安祿山が反乱の兵を挙げた所、

である。白居易の「長恨歌」にも、

漁陽鼙鼓動地來(漁陽の鼙鼓(へいこ)地を動(どよ)もして来たり)、
驚破霓裳羽衣曲(驚破(けいは)す霓裳羽衣の曲)、

と詠われている。

壁画中の楊貴妃.jpg


「霓裳羽衣の曲」は、

唐の玄宗が楊玉環(楊貴妃)のために作ったとされる曲、

とも、

玄宗が婆羅門系の音楽をアレンジした曲、

とも言われるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%93%E8%A3%B3%E7%BE%BD%E8%A1%A3%E3%81%AE%E6%9B%B2。鎌倉中期の教訓説話集『十訓抄』(じっきんしょう、じっくんしょう)にも、

古き目録にも、霓裳羽衣は、壹越調の樂なり、本の名をば、壹越婆羅門といひけるを、同じ帝のとき、天寶年中に、もとの名を改めて、霓裳羽衣となづく、

とある。しかし、宋代初期の伝奇小説『楊太真外伝』によると、

玄宗が三郷駅に登り、女几山を望んだ時に作曲したものである説、
と、
玄宗が、仙人の羅公遠に連れられ、月宮に行き、仙女が舞っていた曲の調べをおぼえて作らせた説、

の二説が記されている(仝上)。

八月望日、唐明皇(玄宗皇帝)、與申天師、遊月宮、寒気逼人、霜露霑衣、過一大門、作玉光中、見一大府、榜曰廣寒清虚之府、少前見素蛾十余人、皓(白)衣乗白鸞、笑舞於廣庭大桂樹下、楽音清麗、上皇帰、製霓裳羽衣局(龍神禄)、

とある(大言海)ところを見ると、既に伝説化しているようである。

安史の乱(あんしのらん 安禄山の乱)以後、国を傾けた不祥の曲であると忌まれ、楽譜も散逸したが、南唐の後主である李煜により復元された(仝上)、とある。

「霓裳」の「霓」は、

虹、

を指し、

虹のように美しく裾を引いたもすそ、転じて、天人、仙女などの衣、

の意(精選版日本国語大辞典・広辞苑)。

「霓」 漢字.gif

(「霓」 https://kakijun.jp/page/E8BD200.htmlより)

「霓」(漢音ゲイ・ゲツ、呉音ゲ・ゲチ)は、

会意兼形声。「雨+音符兒(ゲイ 小さい子供)」、

とあり、「にじ」、転じて「五色」の意(漢字源)で、

雨が降った後に現れる小物体、

という意味らしいhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%9C%93。「にじ」を、

蛇、
または、
竜、

とみなし、

虹(コウ)、

を「雄」、

霓(ゲイ)、

を「雌」とし(漢字源)、「霓」は、

小形の細いにじ、

とされた(仝上)。

「裳」 漢字.gif

(「裳」 https://kakijun.jp/page/mo14200.htmlより)

「裳」(漢音ショウ、呉音ジョウ)は、

会意兼形声。尚(ショウ)は、向(空気抜きの窓)から、空気が長く立ち上る事を示す会意文字。裳は「衣+音符尚」で、長い布で作った長いスカート、

とある(漢字源)が、別に、

形声文字です(尚+衣)。「神の気配の象形と屋内で祈る象形」(「強く願う」の意味だが、ここでは「長(ジョウ)」に通じ(同じ読みを持つ「長」と同じ意味を持つようになって)、「長い」の意味)と身体に纏(まつ)わる衣服の襟元(えりもと)」の象形(「衣服」の意味)から「腰から下を覆う長い衣服」を意味する「裳」という漢字が成り立ちました、

との解釈もあるhttps://okjiten.jp/kanji2730.html

「裳」 簡帛文字・戦国時代.png

(「裳」 簡帛文字・戦国時代 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%A3%B3より)

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2022年03月07日

薩埵


善女(ぜんにょ)龍王独り、守敏(しゅびん 僧都 空海と祈雨を争った)よりも上位の薩埵(さった)にてありける間、守敏の請ひに随はずして(太平記)、

にある、

薩埵(さった)、

は、

菩薩、

の意とある(兵藤裕己校注『太平記』)。「薩埵」は、

梵語sattvaの音訳、

で、

薩埵婆(さったば)の下略、

とあり(大言海)、

有情(うじょう)、衆生(しゅじょう)、およそ生命あるもののすべての称、

の意とある(広辞苑・ブリタニカ国際大百科)が、さらに、

梵語bodhisattvaの音訳、

で、

菩提薩埵(ぼだいさった)の略、

であり、仏教において、

菩提(bodhi、悟り)を求める衆生(薩埵、sattva)、

の意味とされhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%A9%E8%96%A9、元来は、

仏教の創始者釈尊の成道(じょうどう 悟りを完成する)以前の修行の姿をさしている、

とされる(日本大百科全書)。だから、釈迦の死後百年から数百年の間の仏教の原始教団が分裂した諸派仏教の時代、『ジャータカ』(本生譚 ほんじょうたん)は、釈尊の前世の修行の姿を、

菩薩、

の名で示し、釈尊は他者に対する慈悲(じひ)行(菩薩行)を繰り返し為したために今世で特別に仏陀になりえたことを強調した(仝上)。故に、この時代、

菩薩はつねに単数、

で示され、成仏(じょうぶつ)以前の修行中の釈尊だけを意味した(仝上)。だから、たとえば、「薩埵」も、

釈迦の前身と伝えられる薩埵王子、

を指し、

わが身は竹の林にあらねどもさたがころもをぬぎかける哉、

とある(宇治拾遺物語)「さた」は、

薩埵脱衣、長為虎食(「三教指帰(797頃)」)、

の意で、

釈迦の前生だった薩埵太子が竹林に身の衣装を脱ぎかけて餓虎を救うために身を捨てた、

という故事(中島悦次校注『宇治拾遺物語』)で、法隆寺玉虫厨子の蜜陀絵にも見える(仝上)。しかし、西暦紀元前後におこった大乗仏教は、『ジャータカ』の慈悲行を行う釈尊(菩薩)を自らのモデルとし、

自らも「仏陀」になること、

を目ざした。で、

菩薩は複数、

となり、大乗仏教の修行者はすべて菩薩といわれるようになり(日本大百科全書)、大乗経典は、

観音、
弥勒、
普賢、
勢至、
文殊、

など多くの菩薩を立て、歴史的にも竜樹や世親らに菩薩を付すに至る(百科事典マイペディア)。で、仏陀を目ざして修行する菩薩が複数であれば、過去においてもすでに多くの仏陀が誕生しているとされ、薬師、阿弥陀、阿閦(あしゅく)などの、

多仏思想、

が生じ、大乗仏教は、

菩薩乗、

もいわれる(仝上)。宋代(1143年)の梵漢辞典『翻訳名義集』(ほんやくみょうぎしゅう)には、「薩埵」の項に、

薩埵、秦言大心衆生、有大心、入仏道、名菩提薩埵、……菩提名仏道、薩埵名成衆生、……薩埵此曰衆生以智上求菩提、用悲下救衆生、

とあり、もとの「薩埵」の意味を伝えている。日本では、「菩薩」を、

菩薩出家。為薬師寺僧一。読瑜伽論唯識論等了。知奥義

と(「日本往生極楽記(983~987頃)」行基菩薩)、

朝廷から碩徳の高僧に賜わった号、

としても使い(精選版日本国語大辞典・広辞苑)、また、転じて、

一般に高僧を敬まっていう語、

としても使う(仝上)。

「薩」 漢字.gif


「薩」(漢音サツ、呉音サチ)は、

梵語の音訳に当てた字で、もと薛(セツ・セチ)と書いたが、のち、薩と書くようになった、

とあり(漢字源)、「遍く衆生を救う」とある。「薛」(漢音セツ、呉音セチ)は、

会意。「艸+阜の字の上部(積重ねる)+辛(刃物で切る)」。束ね重ねて切る「よもぎ」を表す、

とある(仝上)。

「薛」 漢字.gif

(「薛」 https://kakijun.jp/page/E54C200.htmlより)

別に、「薩」の字源を、

形声。意符阜(ふ)(=阝。おか)と、音符𦸰(サン)→(サツ)とから成る、

とある(角川新字源)のとかすかに重なる。さらに、

会意兼形声文字です。「並び生えた草」の象形と「段のついた土でできた山の象形と草・木が地上に生えてきた象形(「生まれる」の意味)と人の胸を開いてそこに入れ墨の模様を書く象形と険しい崖の象形と艶(つや)やか髪の象形(「険しい崖から得た鉱物性顔料(着色料)」の意味)」(生まれたばかりの子に顔料を塗る習慣があった事から、「産む」の意味)から、煩悩(人間の心身の苦しみを生み出す精神(心)の働き。欲望・怒り・悲しみ等)をなくして正しい物事の道筋を自分のものにする為の気持ちを芽生えさせる「救う」を意味する「薩」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji2717.html

「薩」 成り立ち.gif

(「薩」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji2717.htmlより)

「埵」(タ)は、

かたきつち(堅土)、

と載るのみである(字源)。

「埵」 漢字.gif


参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:薩埵 さった 菩薩
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2022年03月08日

定力(じょうりき)


不退の行学(ぎょうがく)を妨げんとしけれども、上人の定力堅固なりければ、間(ひま)を伺ふ事を得ず(太平記)、

とある、

定力、

は、

じょうりき、

と訓まし、

禅定(無念無想の境地)によって生じる能力、

と注記がある(兵藤裕己校注『太平記』)。

禅定によって精神が安定し、悟りが得られるとともに、さまざまの神秘的な能力が得られる、

とある(広辞苑)が正確ではない。涅槃(煩悩の火が消え、智慧が完成する悟りの境地)に到達するための三七種類の実践修行を、

三十七道品(さんじゅうしちどうほん)、

あるいは、

三十七分法、
三十七菩提分法、

ともいい、

四念処、
四正道、
四如意足、
五根、
五力、
七寛支、
八正道、

をいう(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%8D%81%E4%B8%83%E9%81%93%E5%93%81に詳しい)。小乗仏教ではこれを正道とし、大乗仏教では助道としている(精選版日本国語大辞典)が、その一つ、

諸悪をしりぞける五つの力、

つまり、

五力(ごりき)、

を、

信力、
精進力、
念力、
定力、
慧力、

とし、「定力」は、この一つであり、

禅定(ぜんじょう)にそなわる悪不善を断ずるはたらきのこと、

を指す(仝上)。「禅定」は、

dhyānaを音訳した「禅那」を略した「禅」を、samādhiの訳語「定」と合成したもので、心を一つの対象に注いで、心の散乱をしずめるのが「定」、その上で、対象を正しくはっきりとらえて考えるのが「禅」、

とも(精選版日本国語大辞典)、

「禅」は、梵dhyānaの音写「禅那」の略。「定」はその訳、

とも(広辞苑・デジタル大辞泉)あり、

通常時にひとつの対象に定まっていない心をひとつの対象に完全に集中すること(禅定)、

で、

悪不善を断ずるはたらき(定力)、

をすることができるということになる。「定力」は、

禅定をそのはたらきの面からとらえたもの、

とある(精選版日本国語大辞典)のは、そういう意味のようである。

禅定に入る、

などと言う言い方をし、

思いを静め、心を明らかにして真正の理を悟るための修行法、

であり、

1つの対象に定まったときや心が対象に集中し乱されないとき、

を、

三昧(サマーディ)、

というので、

精神を集中し、三昧(さんまい)に入り、寂静の心境に達すること、

でもある(仝上)。

六波羅蜜(ろくはらみつ)の一、
三学(さんがく)の一、

とされる。「六波羅蜜」は、

サンスクリット語のパーラミター pāramitāの音写、

で、

大乗仏教の求道者が実践すべき6種の完全な徳目のこと、

を指し、

布施波羅蜜(施しという完全な徳)、
持戒波羅蜜(戒律を守るという完全な徳)、
忍辱波羅蜜(忍耐という完全な徳)、
精進波羅蜜(努力を行うという完全な徳)、
禅定波羅蜜(精神統一という完全な徳)、
般若波羅蜜(仏教の究極目的である悟りの智慧という完全な徳)、

とある(https://www.rokuhara.or.jp/rokuharamitsu/・精選版日本国語大辞典)。「三学」は、

仏道の修行者が必ず修めなくてはならない最も基本的な修行、

で、

戒学(悪を止め、善を修し、戒律を守って規律ある生活を保つこと)、
定学(心の散乱を鎮め、心を落ち着かせること)、
慧学(戒学と定学とに基づいて真理を知見し、智慧を獲得すること)、

をいうhttp://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E4%B8%89%E5%AD%A6

「定」 漢字.gif

(「定」 https://kakijun.jp/page/0869200.htmlより)

「定」(漢音テイ、呉音ジョウ)は、

会意兼形声。「宀(やね)+音符正」で、足をまっすぐ家の中に立ててとまるさまを示す。ひと所に落ち着いて動かないこと、

とある(漢字源)が、

形声。宀と、音符正(セイ)→(テイ)(𤴓は誤り伝わった形)とから成り、物を整えて落ち着かせる、ひいて「さだめる」意を表す、

とも(角川新字源)、

会意形声。「宀」+音符「正」、「正」は「一」+「止(=足)」で目標に向け進むこと、それが、屋内にとどまるの意。「亭」「停」「鼎」「釘」と同系、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%AE%9A

会意兼形声文字です(宀+正)。「屋根・家屋」の象形と「国や村の象形と立ち止まる足の象形」(敵国へまっすぐ突き進むさまから、「まっすぐ」の意味)から、家屋がまっすぐ建つ、すなわち、「さだまる」を意味する「定」という漢字が成り立ちました、

ともhttps://okjiten.jp/kanji520.htmlある。

「定」 成り立ち.gif

(「定」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji520.htmlより)

「力」 漢字.gif

(「力」 https://kakijun.jp/page/0210200.htmlより)

「力」(漢音リョク、呉音リキ)は、象形だが、

腕の筋肉(説文解字)、

すきの形(白川静)、

の二説ありhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%8A%9B

象形。手の筋肉を筋ばらせてがんばるさまを画いたもの(漢字源)、
象形文字です。「力強い腕」の象形からhttps://okjiten.jp/kanji192.html

と、「筋肉」系の説と、

象形。農具のすきの形にかたどる。すきを使うことから、転じて、ちからをこめてする、また、「ちから」の意に用いる、

とする説(角川新字源)とに分かれる。

「力」 甲骨文字・殷.png

(「力」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%8A%9Bより)

参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2022年03月09日

中陰


やがて御息所、御心地煩ひて、御中陰(ちゅういん)の日数未だ終らざる前(さき)に、はかなくならせ給ひにけり(太平記)、

に、

中陰(ちゅういん)、

とあるのは、

人の死後の行き先が決まるまでの四十九日間、

と注記(兵藤裕己校注『太平記』)がある。

死んでから次の生を受けるまでの中間期における存在、

の意で、

サンスクリット語アンタラー・ババantarā-bhavaの音訳、

中有(ちゅうう)、

とも訳し(日本大百科全書)、

四有の一、

であり、仏教では、生物の存在様式の一サイクルを四段階、

四有(しう)、

に分け、

中有(ちゅうう)、
生有(しょうう 受精の瞬間)、
本有(ほんう・ほんぬ いわゆる一生)、
死有(しう 死の瞬間)、

とし、中有は、

死有と生有の中間の存在、

の意である(仝上・広辞苑)。中有は、七日刻みに七段階に分かれ、

死後七日を一期としてまた生を受ける、

といい(精選版日本国語大辞典)、

極悪・極善の者は死後直ちに次の生を受けるが、それ以外の者は、もし七日の終わりにまだ生縁を得なければさらに七日、第二七日の終わりに生を受ける。このようにして最も長い者は第七期に至り、第七期の終わりには必ずどこかに生ずる、

という(仝上)。つまり、遅くとも、

七七日(四十九日 しじゅうくにち)、

までにはすべての生物が生有に至るとされている。だから、遺族はこの間、七日ごとに供養を行い、四十九日目には、

満中陰(まんちゅういん)、

の法事を行う。この四十九日という時間は、死体の腐敗しきる期間に関連するとみられる(日本大百科全書)、とある。

此(ここ)に死して彼(かれ)に生ずる中間に於いて受くる陰形の義。……陰は五陰(蘊)陰なり、

とある(大言海)。「五陰(ごおん 「おん」は「陰」の呉音)」は、

五蘊(ごうん)、

ともいう(精選版日本国語大辞典)。「蘊(うん)」(「陰(おん)」)は集まりの意味で、

サンスクリット語のスカンダskandhaの音訳、

仏教では、いっさいの存在を五つのものの集まりと解釈し、五つとは、

色蘊(しきうん 五根、五境など物質的なもののことで、人間についてみれば、身体ならびに環境にあたる)、
受蘊(じゅうん 対象に対して事物を感受する心の作用のこと)、
想蘊(そううん 対象に対して事物の像をとる作用のこと)、
行蘊(ぎょううん 対象に対する意志やその他の心の作用のこと)、
識蘊(しきうん 具体的に対象をそれぞれ区別して認識する働き)、

をいい、この五つも、やはりそれぞれ集まりからなる、とする、

色―客観的なもの、
受・想・行・識―主観的なもの、

に分類する考え方である(日本大百科全書)。仏教では、あらゆる因縁に応じて五蘊がかりに集って、すべての事物が成立している(ブリタニカ国際大百科事典)とする。「陰形」とは、その意味で、

五蘊がかりに集った、

形になるが、「色」はないので、

生を受けるまでの時期における幽体とでもいうべきもの、

ということになるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E9%99%B0のだろうか。

此色身死後、未不托生前、名為中陰(大蔵法數)、
死生ニ有中、五蘊名中有(俱舎識)、
生後死前名為本有、兩身之閒所受陰形、名為中有(大乗義章)、

などとある(字源・大言海)。

「中」 漢字.gif

(「中」 https://kakijun.jp/page/0404200.htmlより)

「中」(チュウ)は、

指事。縦棒の中間点に○印をつけたもの。{中 /trung/}を表す字。甲骨文字や金文の「𠁩」は旗竿を象った字(一説に{幢 /droong/}を表す字)と組み合わさったもの、

とする説と、

象形。旗ざおを枠に突き通した様、

の二説があるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B8%ADようだが、

象形。もとの字は、旗ざおを枠の真ん中につきとおした姿を描いたもので、真ん中の意をあらわす。また、真ん中を突きとおす意をも含む。仲(チュウ)・衷(チュウ)の音符となる(漢字源)、

指事文字です。「軍の中央に立てる旗」の象形からhttps://okjiten.jp/kanji121.html

は後者、

指事。もと金文の字、甲骨文字の字とを区別したが、のちに合して中の一字となる。中は、物(口)の内部を一線でつらぬき、「うち」の意を示す。金文の字は、軍の中心に立てる旗で、ひいて、中央の意を示す(角川新字源)、

とする説が「中」に至る経緯をよく説明している。要は、「金文」の字と甲骨の字とは区別していたことから生じている。

「中」 金文・殷.png

(「中」 金文・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B8%ADより)

「中」 甲骨文字・殷.png

(「中」 甲骨文字・陰 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B8%ADより)

「陰」(漢音イン、呉音オン)は、

会意兼形声。侌(イム くらい)は、「云(くも)+音符今(含 とじこもる、かくれる)」の会意兼形声文字。湿気がこもってうっとおしいこと。陰はそれを音符とし、阜を加えた字で、陽(日の当たる丘)の反対、つまり日の当たらないかげ地のこと。中にとじこめてふさぐ意を含む、

とあり(漢字源・角川新字源・https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%99%B0)、

丘の日陰側が原義、

となる(仝上)。別に、

「陰」 漢字.gif

(「陰」 https://kakijun.jp/page/1172200.htmlより)

会意兼形声文字です(阝+侌)。「段のついた土山」の象形(「丘」の意味)と「ある物をすっぽり覆いふくむ事を表した文字と雲の回転するさまを表す文字」(「雲が太陽を覆い含みこむ」の意味」)から、「かげ」、「くもり」を意味する「陰」という漢字が成り立ちました、

とあるhttps://okjiten.jp/kanji1279.htmlのも趣旨は同じである。

「有」 漢字.gif

(「有」 https://kakijun.jp/page/0693200.htmlより)

「有」(漢音ユウ、呉音ウ)は、

会意兼形声。又(ユウ)は、手で枠を構えたさま。有は「肉+音符又」で、わくを構えた手に肉をかかえこむさま。空間中に一定の形を画することから、事物が形をなしていることや、わくの中に抱え込むことを意味する、

とある(漢字源)。別に、

会意形声。肉と、又(イウ 変わった形。すすめる)とから成り、ごちそうをすすめる意を表す。「侑」(イウ)の原字。転じて、又(イウ ある、もつ、また)の意に用いる、

とも(角川新字源)、

会意兼形声文字です(月(肉)+又)。「右手」の象形と「肉」の象形から肉を「もつ」、「ある」を意味する「有」という漢字が成り立ちました。甲骨文では「右手」だけでしたが、金文になり、「肉」がつきました、

ともありhttps://okjiten.jp/kanji545.html、「有」に「月(肉)」が加わった由来がわかる。

「有」 甲骨・殷.png

(「有」 甲骨・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9C%89より)

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
簡野道明『字源』(角川書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2022年03月10日

童女


「童女」は、

どうじょ、

と訓ませると、

女児、
幼女、

の意味だが、

大甡(おおにえ)の祭(大嘗會)を行はるる程に、悠紀(ゆうき)・主基(すき)に風俗の歌を唱へて帝徳を称じ、童女(いむこ)の者ども、稲舂歌(いなつきうた)を歌ひて神饌を奉る(太平記)、

と、

いむこ、
あるいは、
いんご、

と訓ますと、

清浄な童女、

と注記(兵藤裕己校注『太平記』)されるが、

斎子、
忌子、

とも当て、

斎戒して神の祭に奉仕する未婚の少女、

の意であり、

大嘗祭、
賀茂の齋院に奉仕する、

とある(広辞苑)。上記の引用との関係でいうと、

斎子八女(いむこやめ)、

というと、

大嘗会のいなのみの翁、いんこや女とかや。色々のものの装束の衣、色々のそめ草、花、くれなゐなど参らせたり(「中務内侍(1292頃)」)、

と、

大嘗祭の時、稲舂(いねつき)歌を詠う八人の童女、

の意で、

いむこやおとめ、

とも訓む(広辞苑)。「いむこ」は、

いみこの音便、

である(大言海)。色葉字類抄(1177~81)には、

忌子、イムコ、大嘗會供奉人名也、

とあり、齋院司式には、

給兩社禰宜祝及斎子等禄、

とある(仝上)。「斎子」を、

いつきこ、

とも訓ませ、「いむこ」と同様、

神の祭に奉仕する清浄な童女。特に即位や大嘗会(だいじょうえ)の時に奉仕する女子の司(つかさ)。また、賀茂別雷神社に奉仕する童女、

の意でもある。また「斎子」を、

いわいこ、

と訓ませても、

錦綾の中に裹(つつ)める斎児(いはひこ)も妹に及(し)かめや(万葉集)、

と、

大事にかしずき育てる子、

の意味もあるが、

けがれをきよめ、仮に神にささげる子、

の意味となり、

いつきこ、

と訓ませると、平安末期『色葉字類抄』に、

松尾、……本朝文集云、大宝元秦都理始建立神殿、立阿礼居斉子供奉、

とあり、やはり、

神に奉仕する少女、

を指し、特に、松尾神社でいい、

斎女(いつきめ)、

ともいう(精選版日本国語大辞典)。

「いはふ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/482573356.html、「いむ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/463067059.htmlで触れたように、

忌む、
齋む、

と当てる「いむ」は、

齋(イ)を活用、

した語であり、「齋」(い)は、

神聖であること、

の意であり、

ユユシなどのユの母音交替形、

である。「いむ」も、本来、

凶穢(けがれ)を浄め、慎む。神に事ふるに云ふ、

の、

齋(い)む、

が先で、それ故、

禁忌(タブー)、

の意から、

忌む、

の、

穢れを避け、嫌う、

意になった(大言海)。

神聖なもの・死・穢れたものなど、古代人にとって、はげしい威力をもつ触れてはならないもの、

となった(岩波古語辞典)のである。だからこそ、

汚さぬように潔斎して、これを護り奉仕する、

必要があるのである。

「童」 漢字.gif


「おおわらわ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/484158438.htmlで触れたように、「童」(慣用ドウ、漢音トウ、呉音スウ)は、

会意兼形声。東(トウ 心棒を突き抜けた袋、太陽が突き抜けてくる方角)はつきぬく意を含む。「里」の部分は、「東+土」。重や動の左側の部分と同じで、土(地面)つきぬくように↓型に動作や重みがること。童は「辛(鋭い刃物)+目+音符東+土」で、刃物で目を突きぬいて盲人にした男のこと、

とあり(漢字源)、「刃物々目を突きぬいて盲人にした奴隷」の意とあり、僕と同類で、「童僕」(男の奴隷や召使)と使うが、「童子」というように「わらべ」の意もある。別に、

形声。意符辛(入れ墨の針。立は省略形)と、音符重(チヨウ)→(トウ)(里は変わった形)とから成る。目の上(ひたい)に入れ墨をされた男子の罪人の意を表す。借りて「わらべ」の意に用いる、

ともあり(角川新字源)、

会意兼形声文字です(辛+目+重)。「入れ墨をする為の針」の象形と「人の目」の象形と「重い袋」の象形から、目の上に入れ墨をされ重い袋を背負わされた「どれい」を意味する「童」という漢字が成り立ちました。転じて(派生して・新しい意味が分かれ出て)、「未成年者(児童)」の意味も表すようになりました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji530.html

「斎」 漢字.gif


「齋(斎)」(とき)http://ppnetwork.seesaa.net/article/460543513.htmlで触れたが、「齋」(漢音セイ、呉音セ)は、

会意兼形声。「示+音符齊(きちんとそろえる)の略体」。祭のために身心をきちんと整えること、

とある(漢字源)。別に、

会意兼形声文字です(斉+示)。「穀物の穂が伸びて生え揃っている」象形(「整える」の意味)と「神にいけにえを捧げる台」の象形(「祖先神」の意味)から、「心身を清め整えて神につかえる」、「物忌みする(飲食や行いをつつしんでけがれを去り、心身を清める)」を意味する「斎」という
漢字が成り立ちました、

とあるhttps://okjiten.jp/kanji1829.html

「忌」 漢字.gif


「忌」(漢音キ、呉音ゴ)は、

会意兼形声。己(キ)は、はっと目立って注意を引く目印の形で「起」(はっと立つ)の原字。忌は「心+音符己」で、心中にはっと抵抗が起きて、素直に受け入れないこと、

とあり(漢字源)、「忌嫌」(きけん)というように、「嫌」「厭」と類義である。そこから「忌憚」というように「はばかる」意になる。別に、

形声。心と、音符己(キ)とから成る。にくむ、うらむ意を表す(角川新字源)、

会意兼形声文字です(己+心)。「三本の横の平行線を持つ糸すじを整える糸巻き」の象形(「糸すじを整える」の意味)と「心臓」の象形から、心を整える事を意味し、「かしこまる」、「いむ」を意味する「忌」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji1499.html

とする解釈もある。

「忌」 成り立ち.gif

(「忌」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji1499.htmlより)

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2022年03月11日

応作


両所権現(りゃうしょごんげん)は、これ伊弉諾(いざなぎ)、伊弉(いざなみ)の応作(ヲウサ)なり(太平記)、
玲々たる鈴の声は垂迹(すいしゃく)五能の応化(ヲウクヮ)をも助くらんとぞ聞へける(仝上)、

などとある、

応作(おうさ)、

は、

降迹應化、為一老父(西域記)、

と、

応化(おうげ・おうけ)、

と同義で、

応現(おうげん)、

ともいい、

仏・菩薩が衆生を救うためにいろいろに姿を変えて出現すること、

とある(広辞苑)が、

応現の働(精選版日本国語大辞典)、
応現、変化の謂い(大言海)、

の意とあるので、

阿彌陀仏五濁(ごぢょく)の凡愚をあはれみて、釈迦牟尼仏としめしてぞ、迦耶城(かやじゃ)には応現する(「三帖和讚」(1248~60頃)・諸経讃)、
舟より道に下れば老公見えず。其舟忽に失せぬ。乃ち疑はくは、観音の応化なることを(「霊異記(810~824)」)、

などと、

仏、菩薩などが衆生に応じた姿を現わす、その働き、

という意味がわかりやすいように思える(仝上)。上記の、

迦耶城(かやじゃう・がやじょう)、

の、迦耶は、

梵名ガヤー(Gayā)の音写、

で、

釈尊在世の頃の中インドにあったマガダ国の都城、ブラフマ・ガヤー(Brahma-gayā)、

をいい、聖典で迦耶城といわれる場合は、

釈尊成道の地ブッダ・ガヤー、

を指すことが多いhttp://labo.wikidharma.org/index.php/%E8%BF%A6%E8%80%B6%E5%9F%8Eとあるが、「和讃」の解説には、

阿弥陀仏が釈迦牟尼仏となって現れ、人類の光となってくださった、

とし、迦耶城を、

浄飯(じょうぼん)大王(釈迦の実父)のわたらせたまいし所、

としているhttps://zenkyu3.exblog.jp/29044578/。つまり生誕地としているようだ。

「応化」は、

おうか、

とも訓ませるが、「おうか」と訓む場合は、

時世の変化に従って、それに適するように変わること、その結果、

の意で、

適応、
順応、

の同義となり(精選版日本国語大辞典)、

生物が環境の変化に応じて、自己の組織や機能を変えてゆく作用。また、この作用によって変化した状態、

の意でも使う(仝上)。

第六天の魔王集って、……応化(ヲウゲ)利(リ)生を妨げんとす(太平記)、

とある、

応化利生(おうげりしょう)、

の、

利生、

は、

利益衆生、

の意で、

仏、菩薩が衆生を救うために、それぞれの人に応じた姿に身を変えて説法、教化し、衆生に利益(りやく)を与えること、

となる(仝上)。

「應」 漢字.gif

(「應」 https://kakijun.jp/page/ou17200.htmlより)

「いらふ(答・應)」http://ppnetwork.seesaa.net/article/484667446.htmlで触れたように、「応(應)」(漢音ヨウ、呉音オウ)は、

会意兼形声。雁は「广(おおい)+人+隹(とり)」からなり、人が胸に鳥を受け止めたさま。應はそれを音符とし、心を加えた字で、心でしっかり受け止めることで、先方からくるものを受け止める意を含む、

とあり(漢字源)、「応答」「応召」などと「答える」意で使い、「応募」「内応」などと、求めに応じる意、「応報」と報いの意もある。別に、

「應」の略体。 旧字体は、「心」+音符「䧹(説文解字では𤸰)」の会意形声文字、「䧹・𤸰」は「鷹」の原字で、人が大型の鳥をしっかりと抱きかかえる(擁)様で、しっかり受け止めるの意、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%BF%9C

「作」 漢字.gif

(「作」 https://kakijun.jp/page/0709200.htmlより)

「無作の大善」http://ppnetwork.seesaa.net/article/485585699.htmlで触れたように、「作」(サク・サ)は、

会意兼形声。乍(サク)は、刀で素材に切れ目を入れるさまを描いた象形文字。急激な動作であることから、たちまちの意の副詞に専用するようになったため、作の字で人為を加える、動作をするの意をあらわすようになった。作は「人+乍(サ)」、

とある(漢字源)。同趣旨で、

会意形声。「人」+音符「乍」。「乍」は、ものに刃物を入れる様を象ったもの。ものに刃物を入れ作ることを意味したが、「たちまち」の意の副詞として用いられるようになったため、意味を明確にするため「人」を添え、人為であることを明確にした。「做」(サ)と同音同系、

とありhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%BD%9C、別に、

会意兼形声文字です(人+乍)。「横から見た人の象形」と「木の小枝を刃物で取り除く象形」から人が「つくる」を意味する「作」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji365.html

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2022年03月12日

六道能化


はじめ三日の本尊には、来迎の阿彌陀の三尊、六道のうけの地蔵菩薩(曾我物語)、
われはかの入道(結城上野介入道道忠)が今度上洛せし時、鎧の袖に書きたりし六道能化(ろくどうのうげ)の主(あるじ)、地蔵薩埵にて候なり(太平記)、

などとある、

六道のうけ、
六道能化の主、

とあるのは、

六道衆生を能く教化する地蔵菩薩、

の意で、地蔵は、

釈迦入滅後、弥勒菩薩がこの世に現れるまでの無仏世界の救世主とされる、

と注記される(兵藤裕己校注『太平記』)が、

六道能化、

自体が、

六道にあって衆生を教化する者、

の意、つまり、

地蔵菩薩の異称、

とされ(広辞苑)、

五濁(ごじょく)の悪世において救済活動を行う菩薩、

である。

地蔵菩薩.bmp

(地蔵菩薩 精選版日本国語大辞典より)

地蔵菩薩(じぞうぼさつ)は、

忉利天(忉利天(とうりてん、三十三天 須弥山の上にある)に在って釈迦仏の付属を受け、釈迦の入滅後、5億7600万年後か56億7000万年後に弥勒菩薩が出現するまでの間、現世に仏が不在となってしまうため、その間、六道すべての世界(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道)に現れて衆生を救う菩薩、

であるとされるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E8%94%B5%E8%8F%A9%E8%96%A9

忉利天.jpg

(須弥山の上に位置する忉利天 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%89%E5%88%A9%E5%A4%A9より)

「地蔵」は、

サンスクリット語クシティ・ガルバKiti-garbha、大地を母胎とするもの、

の意で、

一切衆生(いっさいしゅじょう)に仏性(ぶっしょう)があるという如来蔵(にょらいぞう)思想と関連し、大乗仏教の比較的後期に現れた、

とされ、『地蔵菩薩本願経(ほんがんきょう)』に、

仏になることを延期して、菩薩の状態にとどまり、衆生の罪苦の除去に携わることを本願とした、

とある。

しばしば比丘(びく 修行者)の姿をとり、剃髪(ていはつ)し、錫杖(しゃくじょう)と宝珠(ほうしゅ)を持つ。天上から救済活動を行う他の仏、菩薩と違い、自ら六道を巡る菩薩、

である(日本大百科全書)。地蔵信仰は、

平安朝末から中世にかけて民間信仰として普及し、堂宇に祀(まつ)るだけでなく、道の辻、橋のたもとなどに石像を立てて祀るようになった、

とされ、今日民間における地蔵信仰では、

子育て地蔵、子安(こやす)地蔵、夜泣き地蔵、乳貰(もら)い地蔵、田植地蔵、鼻取り地蔵、いぼ取り地蔵(縛り地蔵)、雨降り地蔵、雨止(や)み地蔵、親子地蔵、腹帯地蔵、雨降地蔵、お初地蔵、とげぬき地蔵、勝軍地蔵、延命地蔵、

等々、何々地蔵とよばれるものが100以上にも及ぶといい(仝上)、各地にある、

六地蔵、

は、上述の六道の衆生を済度するというのに因み、六道のそれぞれにあって、典籍によって名称は異なるが、

檀陀(だんだ 地獄道を教化する)、
宝珠(ほうじゅ 餓鬼道を教化する)、
宝印(ほういん 畜生道を教化する)、
持地(じじ 阿修羅道を教化する)、
除蓋障(じょがいしょう 人間道を教化する)、
日光(にっこう 天道を教化する)、

の六種の地蔵をいう、とある(広辞苑・精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)。

六地蔵.jpg


「能化」(のうげ・のうけ)は、

我及諸子若不時出。必為所焼者。我譬能化仏、諸子譬所化衆生(法華義疏)、

と、

他を教化できる者、

の意だが、主として、

仏・菩薩、

をさす(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。

「六道」は、「六道の辻」http://ppnetwork.seesaa.net/article/475321240.htmlで触れたように、

天道(てんどう、天上道、天界道とも) 天人が住まう世界である。
人間道(にんげんどう) 人間が住む世界である。唯一自力で仏教に出会え、解脱し仏になりうる世界、
修羅道(しゅらどう) 阿修羅の住まう世界である。修羅は終始戦い、争うとされる、
畜生道(ちくしょうどう) 畜生の世界である。自力で仏の教えを得ることの出来ない、救いの少ない世界、
餓鬼道(がきどう) 餓鬼の世界である。食べ物を口に入れようとすると火となってしまい餓えと渇きに悩まされる、
地獄道(じごくどう) 罪を償わせるための世界である、

だが、

六道の辻、

あるいは、

六道の巷(たまた)、

といい、

六道の辻へ罷出、ぎんみして、よきざい人を、ぢごくへおとさばやと存候(虎明本狂言「朝比奈(室町末~近世初)」)、

と、

六道へ通じる分かれ道、

を指し、日本では死後の世界を六道とするため、墓地を、

六道原、

というところがあり、京都東山の鳥辺野葬場の入口も、

六道の辻、

といい、

愛宕の寺も打過ぎぬ、六道の辻とかや、実おそろしや此道は、冥途に通ふなる物を(光悦本謡曲「熊野(1505頃)」)、

と、通称「六道さん」と呼ばれる、

六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ、ろくどうちんこうじ)、

の付近が「六道の辻」であるとされるのは、この寺の所在地付近が、

平安京の火葬地であった鳥部野(鳥辺野)の入口にあたり、現世と他界の境、

にあたると考えられるからである。

因みに、

六道錢、

というのは、

仏葬に、死者を葬る時、棺中に入るる錢六文、

を言う(大言海)。

六道能化の地蔵への賽銭、

の意とも、

三途の川の渡錢、

ともいう(仝上)。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2022年03月13日

非想非々想天


その声天に響いて、非想非々想天(ひそうひひそうてん)までも聞こえやすらんとおびただし(太平記)、

とある、

非想非々想天、

は、

猛火(みょうか)雲を焦がして翻る色は、非想天の上までも昇り(仝上)、

と、略して、

非想天、

ともいい、

無色界の第四天で、三界(欲界・色界・無色界)の諸天の最頂部にある天の名、

とある(兵藤裕己校注『太平記』)。

非想非非想処、
非想、
非非想天、
非有想非無想天、

などともいう(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。

三界の中で最上の場所である無色界の最高天、

つまり、

全ての世界の中で最上の場所にある(頂点に有る)、

という意味で、「摩醯修羅(まけいしゅら)」http://ppnetwork.seesaa.net/article/485376769.html?1643227808で触れたように、三界は有(う)ともよばれるので、その頂上にあるこの天は、

有頂天(うちょうてん)、

ともいうhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%89%E9%A0%82%E5%A4%A9が、「摩醯首羅」は、

ヒンドゥー教の、世界を創造し支配する最高神シヴァの別名、イーシュヴァラで、万物創造の最高神、

とされ(広辞苑・https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%87%AA%E5%9C%A8%E5%A4%A9)、

色究竟天(しきくきょうてん・しきくぎょうてん)、

に在す、とある(仝上)。「色究竟天」は、

阿迦尼吒天(あかにだてん)、

ともいい、

三界(無色界・色界・欲界の3つの世界)のうち、色界の最上位に位置する、

とされ(仝上)、鳩摩羅什漢訳の『法華経』序品では、

無色界の最上位である非想非非想天ではなく、この色究竟天が有頂天であると位置づけられている、

ともある(仝上)ので、この意味から、「有頂天」には、

色界(しきかい)の中で最も高い天である色究竟天(しきくきょうてん)、

とする説、

色界の上にある無色界の中で、最上天である非想非非想天(ひそうひひそうてん)

とする説の二説がある(広辞苑)ことになる。

「無色界」は、

無色天(むしきてん)、

ともいい、色界より上位の世界で、

空無辺処(くうむへんしょ 無量空処 第一天。物質的存在がまったく無い空間の無限性についての三昧の境地)、
識無辺処(しきむへんしょ 第二天。認識作用の無辺性についての三昧の境地)、
無処有処(むしょうしょ 第三天。いかなるものもそこに存在しない三昧の境地)、
非想非非想処(ひそうひひそうしょ 第四天。三界の中で最上の場所である無色界の最高天)、

の四天からなり、「非想非々想天」に生まれるものは、

粗(あら)い想念の煩悩がないから、

非想、
または、
非有想、

というが、

微細なものが残っているから、

非々想、
非無想、

という(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%89%E9%A0%82%E5%A4%A9・広辞苑)、とある。

なお、仏教以外のインド宗教では、「非想非々想天」は、

解脱の境地、

とされたが、仏教では、

釈迦がこれからさらに解脱したところに真の涅槃を見出した、

とされ(精選版日本国語大辞典)、いまだ、「非想非々想天」は、

迷いの境地、

とされる(広辞苑)。

四天.jpg

(四天の位置 http://tobifudo.jp/newmon/betusekai/ten.htmlより)

因みに、無色界の四天の下は、色界の、

第四禅天、
第三禅天、
第二禅天、
初禅天、

欲界の、

空居天(くうごてん)、
地居天(じごてん)、

と続くhttp://tobifudo.jp/newmon/betusekai/ten.htmlが、色界の第四禅天には、

色究竟天(しきくきょうてん)、
善現天(ぜんげんてん)、
善見天(ぜんけんてん)、
無熱天(むねつてん)、
無煩天(むぼんてん)、
無想天(むそうてん)、
広果天(こうかてん)、
福生天(ふくしょうてん)、
無雲天(むうんてん)、

とあり(仝上)、その頂点にあるのか、

色究竟天(しきくきょうてん)、

で、これを、

有頂天、

とする説があるとしたのは上記の通りである。

「非」 漢字.gif

(「非」 https://kakijun.jp/page/hi200.htmlより)

「非」(ヒ)は、

象形。羽が左と右とに背いたさまを描いたもの。左右に払いのけるという拒否の意味をあらわす、

とある(漢字源)。「羽」(ウ)の、

二枚のはねをならべおいたもの、

という「羽」の字と比べると、その意味が納得できる(仝上)。

「非」 甲骨文字・殷.png

(「非」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%9D%9Eより)

「羽」 金文・西周.png

(「羽」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%BE%BDより)

「想」(慣用ソ、漢音ショウ、呉音ソウ)は、

会意兼形声。相は「木+目」からなり、向こうにある木を対象として見ることを示す。ある対象に向かって対する意を含む。想は「心+音符相」で、ある対象に向かって心で考えること、

とある(漢字源)。

「想」 漢字.gif

(「想」 https://kakijun.jp/page/1348200.htmlより)

形声。心と、音符相(シヤウ、サウ)とから成る。こいねがう気持ち、ひいて、かんがえる意を表す、

とも(角川新字源)、

会意兼形声文字です(相+心)。「大地を覆う木の象形と目の象形」(事物の姿を「みる」の意味)と「心臓の象形」から、心にものの姿をみる、「おもう」を意味する「想」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji436.html

「想」 成り立ち.gif

(「想」 https://kakijun.jp/page/1348200.htmlより)

形声。心と、音符相(シヤウ、サウ)とから成る。こいねがう気持ち、ひいて、かんがえる意を表す、

とも(角川新字源)、

会意兼形声文字です(相+心)。「大地を覆う木の象形と目の象形」(事物の姿を「みる」の意味)と「心臓の象形」から、心にものの姿をみる、「おもう」を意味する「想」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji436.html

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2022年03月14日

ほかゐ


三種の神器を足付けたる行器(ほかい)に入れて、物詣でする人の、破籠(わりご 弁当箱)なんど入れて持たせたるやうに見せて(太平記)、

とある、

行器(ほかゐ)、

は、

外居、

とも当て、

ほっかい、

とも訓ませ(日本語源大辞典)、

旅行の際に食料を入れて背中や肩に負う脚付(で蓋付き)の木製の容器、

とあり(兵藤裕己校注『太平記』)、平安時代以来用いられ、多くは、曲物で、

円筒形、

で、外側に反り返った三本の脚がつき、

杉の白木製から精巧な漆蒔絵(うるしまきえ)、

まである(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。

ほかい.bmp

(行器(ほかゐ) 春日権現記絵より)

「ほかゐ」の由来は、

外行に居(す)うる義(大言海)、
ホカユク(外行)の義(日本釈名)、
旅行など外で食べる時用いる意か(筆の御霊)、
ホカヒ(外居)する食器を入れたところから(先祖の話=柳田国男)、
強飯をよそに出す器であるから、外食の義か(和句解)、

と、その利用形態から、外食とか旅行用とか、「外」の意からとする説が大半である。別に、

ホカヒ(穂器)の意か、ホカヒ(穂穎)の意か(俗語考)、

とあるが、古く、

さて、とりあつめて、ほかゐに入れ、瓶子に酒入れなどして(「古本説話集(1130頃)」)、

と、

ほかゐ、

と表記している以上、「ひ」から語源を考えていくのはどうだろう。「ゐ」から考えると、

居、

が妥当なのではあるまいか。

居(ゐ)、

は、

坐、

とも当て、

立つの対、すわる意、類義語ヲル(居)は、居る動作を持続しつづける意で、自己の動作ならば、卑下謙遜、他人の動作ならば軽蔑の意がこもっている、

とある(岩波古語辞典)。「外(ほか)」は、

カはアリカ・スミカに同じで場所の意。ホカは中心点からはずれた端の方の所の意。奈良・平安時代には類義語ヨソは、自分とは距離のある、無関係、無縁な位置関係をいう。また、ト(外)は、ここまでが自分の領域だとする区切りの向こうの場所をいう。奈良・平安時代にはウチ(内)・トが対義語であったが、トが衰亡するとウチ・ホカという対立関係が成立した。近世に入って、ソト(外)という語が確立するとウチ・ホカに代わって、ウチ・ソトが対義語になった、

とある(仝上)。そうみると、

見る人もなき山里の桜花ほかの散りなむ後ぞ咲かまし(古今集)、

と、

別のところ、

の意と考えれば、

別の所でい(坐)る、

意と見ることができる。勝手な憶説だが、

行器、

は、当て字ではあるまいか。室町時代の意義分類体の辞書『下學集』に、

外居、ホカヰ、或作行器、

とあるのはその意味ではなかろうか。

ほかゐ.jpg

(行器 兵藤裕己校注『太平記』より)

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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2022年03月15日

こたつ



「こたつ」は、

炬燵、
火燵、

と当てる(広辞苑)が、

火闥 コタツ(「黒本本節用集(室町)」)、
火榻 コタツ(「文明本節用集(室町中期)」)、
火燵 コタツ(「運歩色葉集(天文17年[1548])」)、
火燵 コタツ(「易林本節用集(慶長二年[1597])」)、
火踏 コタツ(「書言字考(江戸中期)」)、
脚爐 コタツ(仝上)、

などとも当てられ(日本国語大辞典・大言海・岩波古語辞典)、室町時代には、

火闥・火踏・火燵、

江戸時代には、

火燵・巨燵、

などと表記されたhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%82%AC%E7%87%B5。なお、「燵」は、

形成、「火+音符達」、

で(漢字源)、

達の音を借りて、火偏を付けたる字なり、

という(大言海)、和製漢字である。

こたつ.bmp

(炬燵 (西鶴織留) 精選版日本国語大辞典より)

こそでのだいには、こたつのやうなる物にて候。くろくぬり候て、かな物などあるものにて候(「よめむかへの事(1521頃)」)、

とある。「こたつ」の由来は、

「火榻子」の唐宋音に由来する、

という説が有力で、

火榻子(クワタフシ)の宋音(行火(アンコ)、火鈴(コリン))、禅家より起これる語。火爐の牀なり、慧林一切経音義「考聲云、土榻安火曰炕」、是れ、朝鮮にて云ふ、温突(おんどる)なり(大言海)、
クワタフシ(火榻子)の唐宋音、禅家から生じた語(国語の中に於ける漢語の研究=山田孝雄)、

などとある。「脚立」は、

脚榻、

とも当て、

脚榻子(キャクタフシ)の宋音、火榻子(コタツ)もあり、禅家の語、……唐韻(751年)「榻(タフ)、土孟切」、説文解字(100年)「牀(ゆか)也」、

とあり(大言海)、ともに禅家由来である。その意味で、「こたつ」の由来を、

ケタツ(踏台)、キャタツから分化したもの。もとは爐を腰かけとしてつかっていたのであろう(火の昔=柳田國男)、

も、まんざら的を外しているわけではないようだ。

「榻」 漢字.gif


「榻」(トウ)は、

会意兼形声。旁の字(トウ)は、かぶさる、上に載せる意を含む。榻はそれを音符とし、木を添えた字、

で(漢字源)、

そのうえにからだをのせる長椅子、
や、
寝台、

掛布、

の意だが、わが国では、

ジジ、

と訓ませ、

牛車から牛をはなしたとき、ながえのくびきを支えたり、また乗り降りの際の踏み台、

の意で使う(仝上)。「こたつ」が、火榻子に由来するとみられるのは、

牛車の乗り降りに利用する踏み台である「榻(しじ)」の形に似ていることによる命名、

らしいのである(日本語源大辞典)。当初の「こたつ」は、室町時代、

椅子用の炬燵として、囲炉裏の上に低い櫓で囲った足炙り、

であったらしくhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%82%AC%E7%87%B5、最初は、

囲炉裏の火が「おき」になったときなどに上に櫓をかけ、紙子(かみこ)などをかぶせて、櫓に足をのせて暖めていた、

とされ(世界大百科事典)、このため櫓も低く、形も櫓の上面が格子でなく簀の子になっていた。やがて、布団を懸け、足先だけを入れるのではなく、四方から膝まで、時には腰まで入れるものに改良され、現在の櫓の高さになったのは江戸時代からである(仝上)。

高い櫓のこたつは、とくに高(たか)ごたつなどといわれ、置きごたつから広まっていった(日本大百科全書)が、囲炉裏を床より下げ、床と同じ高さと蒲団を置く上段との二段の櫓を組んだ足を入れられる、

掘り炬燵、

と、更に囲炉裏の周囲まで床より下げ、現在の掘り炬燵の座れる構造の、

腰掛け炬燵、

ができ(世界大百科事典)、どうやら、掘りごたつは、

囲炉裏、

から、置きごたつは、

火鉢、

から発達したとみられ(仝上)、元禄(1688~1704)頃、

土火鉢という瓦製の安物の火鉢があり、こわれやすいために木箱に入れて使っていたが、これを櫓に変えて布団をかけるようにしたもの、

になる(仝上)。

こたつ 江戸中期.jpg

(江戸中期、炬燵であやとりをする少女と女性(鈴木春信) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%82%AC%E7%87%B5より)

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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2022年03月16日

迦楼羅炎


(高野の衆徒)御廟を掘り破つてこれを見るに、上人(覚鑁〈かくばん〉)、不動明王の形象(ぎょうぞう)にて、伽縷羅煙(かるらえん)の内に座し給へり(太平記)、

とある、

伽縷羅煙、

は、当て字で、正しくは、

迦楼羅炎(かるらえん)、

と表記、

不動明王の光背、仏法保護の鳥カルラが羽を広げた形に似るから、

とも(兵藤裕己校注『太平記』・広辞苑)、

迦楼羅の吐く炎、または迦楼羅そのものの姿、

ともhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%A6%E6%A5%BC%E7%BE%85

迦楼羅天の吐く炎そのものの姿http://fukagawafudou.jugem.jp/?eid=768

ともあるが、

迦楼羅の吐く炎、

なのではないか。

不動明王.jpg

(不動明王 (醍醐寺) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E5%8B%95%E6%98%8E%E7%8E%8Bより)

「伽縷羅(かるら)」とは、

梵語ガルダ(Garuḍa)、

で、

インド神話における巨鳥で、龍を常食にする、

とある(広辞苑)が、

インド神話において人々に恐れられる蛇・竜のたぐい(ナーガ族)と敵対関係にあり、それらを退治する聖鳥として崇拝されている。……単に鷲の姿で描かれたり、人間に翼が生えた姿で描かれたりもするが、基本的には人間の胴体と鷲の頭部・嘴・翼・爪を持つ、翼は赤く全身は黄金色に輝く巨大な鳥として描かれる、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%AB%E3%83%80

ガルダの像.jpg


それが、仏教に入って、

天竜八部衆、

のちに、

二十八部衆、

の一として、

仏法の守護神、

とされる(広辞苑)。

迦楼羅天.jpg

(迦楼羅天 http://fukagawafudou.jugem.jp/?eid=768より)

翼は赤く全身は黄金色に輝き、つねに口から火焔を吐く、

とされ、

翼を広げると336万里にも達し、鳥頭人身の二臂と四臂があり、龍や蛇を踏みつけている姿の像容、

もあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%A6%E6%A5%BC%E7%BE%85。仏教において、

毒蛇は雨風を起こす悪龍とされ、煩悩の象徴といわれる為、龍(毒蛇)を常食としている迦楼羅は、毒蛇から人を守り、龍蛇を喰らうように衆生の煩悩(三毒)を喰らう霊鳥、

とされている(仝上)

日本の、

天狗、

は、この変形を伝えたもの(仝上)とされる。「迦楼羅」はパーリ語ガルラ(Garuḷa)音写で、

迦楼羅天、
迦楼羅王、

あるいは、

食吐悲苦鳥(じきとひくちょう)、

と漢訳されhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%A6%E6%A5%BC%E7%BE%85

迦楼羅者、是金翅鳥(「法華義疏(7世紀)」)、

と、

金翅(こんじ)鳥、

ともいう(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。なお、「八部衆」、「二十八部衆」については、

八部衆https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E9%83%A8%E8%A1%86
二十八部衆https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E5%8D%81%E5%85%AB%E9%83%A8%E8%A1%86

に詳しい。

迦楼羅王(仏像図彙).png

(迦楼羅王(仏像図彙) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%A6%E6%A5%BC%E7%BE%85より)

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ラベル:迦楼羅炎
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2022年03月17日

那羅延


或る若大衆(だいしゅう)一人(いちにん)走り寄つて、これを引つ立てんとするに、その身盤石の如くにして、那羅延(ならえん)が力も動かし難(かた)し(太平記)、

とある、

那羅延(ならえん)、

は、

帝釈天の眷属で、仏法守護の大力の神、密迹(みっしゃく)と対で、二王(仁王)といわれる、

とあり(兵藤裕己校注『太平記』)、

那羅延金剛(ならえんこんごう)、
あるいは、
那羅延天(ならえんてん)、

の略であり(広辞苑・精選版日本国語大辞典)、「那羅延(Nārāyaṇa)」は、

バラモン教・ヒンドゥー教の神ヴィシュヌが、仏教に取り入れられ護法善神とされたもの、「那羅延」とはヴィシュヌの異名「ナーラーヤナ」の音写、ヴィシュヌの音写として毘瑟笯(びしぬ)、毘紐[(びちゅう、びにゅう)、毘紐天(びちゅうてん、びにゅうてん)、

とも表記されhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%82%A3%E7%BE%85%E5%BB%B6%E5%A4%A9、大力があるとして、

勝力、

と訳され(仝上)、その大力を、

餠を作りて三宝に供養すれば、金剛那羅延の力を得云々といへり(「日本霊異記(810~824)」)、

と、

那羅延力、

という(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。その大力の故に、

釣鎖力士、

とも称す(大言海)、とある。唐代の密教の要義約百条を解説した『秘蔵記』には、

那羅延天、三面、靑黄色、右手持輪、乗迦楼羅鳥、

とある。「迦楼羅鳥」は「迦楼羅炎(かるらえん)」http://ppnetwork.seesaa.net/article/486022291.html?1647372366で触れたように、

両翼をのばすと三三六万里あり、金色で、口から火を吐き龍を取って食う

という神話的な鳥である。

那羅延天(『諸尊図像鈔』より).jpg

(那羅延天(『諸尊図像鈔』) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%82%A3%E7%BE%85%E5%BB%B6%E5%A4%A9より)

「密迹(みつしゃく)」は、サンスクリットの、

ヴァジュラパーニ(Vajrapāni)、
または、
ヴァジュラダラ(Vajradhara)、

の漢訳、

金剛杵(こんごうしょ 仏敵を退散させる武器)を持つもの、

の意味https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%89%9B%E5%8A%9B%E5%A3%ABで、「密迹(みつしゃく)」は、

常に仏に侍して、其秘密の事跡を憶持する意、

とあり(大言海)、

密迹力士、
金剛密迹(密迹金剛 みっしゃくこんごう)、
執金剛神(しゆうこんごうじん・しゆこんごうしん)、
跋闍羅波膩(ばじゃらぱに)、
伐折羅陀羅(ばざらだら)、
金剛手(こんごうしゅ)
持金剛(じこんごう)、

等々とも呼ばれる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%89%9B%E5%8A%9B%E5%A3%AB・精選版日本国語大辞典)。これを、「金剛を持つもの」の意から、

金剛力士、

とし、

開口の阿形(あぎょう)像と、口を結んだ吽形(うんぎょう)像の2体を一対として、寺院の表門などに安置することが多い。寺院の門に配される際には仁王(におう、二王)の名で呼ばれる、

とあり(仝上)、

半裸の力士形に作られ、寺門の左右に安置されるもの(執金剛神)は、普通、仁王(二王)と呼ばれる、

ともあり(広辞苑)、「密迹金剛」の二体がおかれるように読めるが、「金剛力士」の、

其一を、金剛密迹天と云ひ、其一を、那羅延天、又那羅延金剛と云ふ、共に金剛神、又金剛手(こんごうしゅ)とも称し、其力量、非常なりと云ふ。此の二神を、二王尊とも称し、巨大なる立像を作り、寺門の両脇に安置したるを二王門と云ふ、各、裸体にて、腰に布を纏ひ、顔面、手足、勇猛なる相をなす、閒に向かひて、右方に金剛密迹を置く、金剛杵を執りて、口を開く、左方に那羅延を置く、口を閉づ、開閉は阿吽の二音を表す、

とあり(大言海)、

本光寺の阿形像は「那羅延金剛」(ならえんこんごう)、吽形像は「密迹金剛」(みっしゃくこんごう)です、

とあるhttps://www.honkouji.com/butsujin/niouzou。阿形の仁王像は金剛杵を持ち、

密迹金剛力士の当初の性格を示す、

とある(世界大百科事典)。だから、「仁王」像は、

「金剛」をもつ「密迹金剛」二体、
なのか、
右に密迹金剛、左に那羅延金剛、

なのか、ちょっと分からないところがある。普通に考えれば、対の、

密迹金剛と那羅延金剛、

だが、金剛をもつから、

金剛力士、

というのなら、

密迹金剛、

が並んでいるという見方も可能である。金剛杵を持つ執金剛神(しゆうこんごうじん・しゆこんごうしん)は、

金剛力士、密迹力士(みつじゃくりきし)、密迹金剛力士などの称があり、金剛杵を執ってつねに釈尊を守る神であるから、仁王の本来の尊像と同一のものである、

とするの(仝上)は、故なくはない。なお、「密迹金剛」は、

中国の竜門や雲岡の諸像の中に鎧を着た武将像として表現され、日本の古代の作例の中にも東大寺三月堂の須弥壇上にある乾漆造仁王像(奈良時代)や法隆寺蔵橘夫人厨子扉絵の像、東大寺三月堂の執金剛神像(奈良時代)は鎧で武装した像であり、中国の像の形式を伝える、

とある(仝上)。因みに、「阿吽」は、

サンスクリット語のア・フームa-hūの音写、

で、密教では、

「阿」は口を開いて発音する最初の音声で、すべての字音は阿を本源とし、「吽」は口を閉じて発音する音声で、字音の終末とする、

とされるが、

阿は呼気、吽は吸気であるとともに、それらは万有の始源と究極とを象徴する、

とか、

阿字には不生(ふしょう)、吽字には摧破(さいは)の意がある、

等々とされ、

菩提心と涅槃などに当てる、

とされる(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)。

向かって右が口を開き、左が口を閉じ、

阿吽を表している。

金剛力士像・阿形.jpg


金剛力士・吽形.jpg


参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2022年03月18日

金剛の杵


その身盤石の如くにして、那羅延(ならえん)が力も動かし難(かた)し。金剛の杵(しょ)も砕き難くぞ見えたりける(太平記)、

とある、

金剛の杵(しょ)、

は、

仏の知恵を表し、煩悩を打ち砕く密教の法具、

とある(兵藤裕己校注『太平記』)。「那羅延(ならえん)」http://ppnetwork.seesaa.net/article/486035712.html?1647459272については、別に触れた。

「杵」 漢字.gif


「杵」(ショ)は、

会意兼形声。午は、きねを描いた象形文字。杵は「木+音符午」。午が十二支の午(うま)に用いられたため、区別するために音符木を加えて、午の原義を表すようになった。午は、交差する意を含み、交互に上下するきねをあらわした、

とある(漢字源)。

断木為杵、掘地為臼(木を断りて杵と為し、地を掘りて臼と為す)(易経)、

とあるように、

臼の中に入れた穀物などを搗く道具、

の意である。

「金剛杵(こんごうしょ)」は、

サンスクリット語ヴァジュラvajra、

が、

手杵(てぎね)の如し、

ということで名づけられた(大言海)。

中央部が取っ手で両端に刃がついている。堅固であらゆるものを打ち砕く、

ところから、

金剛、

の名を冠し、

金剛杵、

といい、

跋折羅(ばさら・ばざら)、

ともいう(大言海・広辞苑)。

雷をかたどったもの、

といわれ、

インド神話でインドラ(帝釈天)の下す雷電、

を指し、本来は、

雷霆(らいてい)神インドラの所持物、

である(世界大百科事典)が、のち仏教では、

この武器を持った神(執金剛神)がいつも影のように仏につき従い、仏を守護していた、

と考えられた(仝上・https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%89%9B%E6%9D%B5)。

ヴァジュラと剣を持つインドラ.jpg

(ヴァジュラ(金剛杵)と剣を持つインドラ(帝釈天) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%89%9B%E6%9D%B5より)

密教の法具としての金剛杵は、この武器が堅固であらゆるものを摧破(さいは)するところから、

至青龍寺、随阿闍梨法全、重受灌頂、学胎蔵界法、尽其殊旨、阿闍梨以金剛杵并義䡄(軌)法門等、付属宗叡(「三代実録~元慶八年(884)」三月二六日)、

と、

煩悩を破る悟りの智慧の象徴として採り入れられた(仝上・精選版日本国語大辞典)。

両端の刃先の形によって、

1本だけ鋭くとがった刃先の独鈷(独股 とっこ・とこ・どっこ)、
刃先に両側から勾(かぎ)形に湾曲した刃を2本備えた三鈷(さんこ 三股)、
四方から4本備えた五鈷(ごこ 五股)、

等々ある(仝上)。合類節用集(延宝八年(1680))に、

三鈷杵、鈷、本字、股、盖(ふた)、三枝之義、

とあり、「鈷」は、

股の義、

で、独鈷は、

一股杵の略、

で、

三股をなすを三鈷、
五股をなすを五鈷、

という(大言海)が、さらに、

二鈷(にこ)、四鈷(しこ)、九鈷(きゅうこ)、人形杵、羯磨(かつま)杵、塔杵、宝杵、

等々、その種類は多いが、上記三種がもっとも一般に用いられていて(日本大百科全書)、独鈷、三鈷、五鈷は、それぞれ、

一真如・三密三身・五智五仏の義、

を表わす(精選版日本国語大辞典)、とある。

独鈷杵・三鈷杵・五鈷杵.png

(上から、独鈷杵(どっこしょ)・三鈷杵(さんこしょ)・五鈷杵(ごこしょ) https://www.kongohin.or.jp/mikkyohogu.htmlより)

密教法具は当初、

最澄、空海、常暁、円行、円仁、恵運、円珍、宗叡の入唐八家によって請来されたが、おのおのに若干の異同があり、大別すると金剛杵(こんごうしよ)と金剛鈴(こんごうれい)が主流をなし、異種に独鈷(どつこ)杵の端に宝珠をつけた金錍(こんべい)があり、そのほか輪宝(りんぼう)、羯磨(かつま)、四橛(しけつ)、盤子(ばんし) 金剛盤)、閼伽盞(あかさん)、護摩(ごま)炉、護摩杓などがあるが、供養具まで完備するには至っていない。やがて、壇上に火舎(かしや 香炉)を中心に六器(ろつき)、花瓶(けびよう)、飯食器(おんじきき)などをそろえた一面器、さらに四面器を配するなど、密法法具の整備拡充が進む、

とある(世界大百科事典)。

帝釈天(たいしゃくてん)は、仏教の守護神である天部の一つ。

天主帝釈、
天帝、
天皇、

ともいい、バラモン教の、

インドラ(indra)と同一の神、

であり、

雷霆神(らいていしん)、

であり、

武神、

である(日本大百科全書)。仏教では、世界を守護する12種の天神、

十二天の一つ、

で、

八方天の一つ、

として東方を守る。十二天とは、

八方天と上下の天と日月とからなる。

東方の帝釈天(たいしゃくてん インドラIndra)、
南方の焔魔天(えんまてん ヤマYama)、
西方の水天(バルナVaruna)、
北方の毘沙門天(びしゃもんてん バイシュラバナVaiśravaa、クベーラKuvera)、
東南方の火天(アグニAgni)、
西南方の羅刹天(らせつてん ラークシャサRākasa)、
西北方の風天(バーユVāyu)、
東北方の伊舎那天(いしゃなてん イーシャーナĪśāna)、
上方の梵天(ぼんてん ブラフマーBrahmā)、
下方の地天(ちてん プリティビーPthivī)、
日天(にってん スーリヤSūrya)、
月天(がってん チャンドラCandra)、

で、特に八方(東西南北の四方と東北・東南・西北・西南)を護る諸尊を、

八方天、
あるいは
護世八方天、

という

須弥山(しゅみせん)の頂上にある忉利天(とうりてん)の善見城(ぜんけんじょう)に住して、四天王を統率し、人間界をも監視する、

とされる(仝上)。仏教では、四王天を、

持国天(じこくてん 東方の勝身(しょうしん)州)、
増長(ぞうちょう)天(南方の瞻部(えんぶ)州)、
広目(こうもく)天(西方の牛貨(ごか)州)、
多聞(たもん)天(毘沙門(びしゃもん)天。北方の瞿盧(くる)州)、

をいう(日本大百科全書)。

忉利天.jpg

(須弥山の上に位置する忉利天 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%89%E5%88%A9%E5%A4%A9より)

像形は一定でないが、古くは、

高髻で、唐時代の貴顕の服飾を着け、また外衣の下に鎧を着けるものもあるが、平安初期以降は密教とともに天冠をいただき、金剛杵(こんごうしょ)を持ち、象に乗る姿が普及した、

とあり、彫刻では京都東寺(教王護国寺)講堂の白象に乗る半跏像(はんかぞう)、奈良唐招提寺(とうしょうだいじ)金堂の立像、

が著名である(精選版日本国語大辞典)。

東寺講堂の帝釈天半跏像.jpg

(東寺講堂の帝釈天半跏像 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%9D%E9%87%88%E5%A4%A9より)

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2022年03月19日

あだし心


世は皆夢の幻(うつつ)とこそ思ひ捨つる事なるに、こはそも何事のあだし心ぞや(太平記)、

の、

あだし心、

は、

徒し心、

と当てたりする(岩波古語辞典)が、

浮ついた心、

とある(兵藤裕己校注『太平記』)。ただ、あだし、

には、

徒し、

のほか、

空し、
敵し、
仇し、
他し、
異し、

等々とも当て、意味を異にする。いずれも、古くは、

あたし、

であった(広辞苑・岩波古語辞典)。

君に逢へる夜霍公鳥(ほととぎす)他(あたし)時ゆ今こそ鳴かめ(万葉集)、

と、

他し、
異し、

と当てる意は、

異なっている、
別である、

になる。類聚名義抄(11~12世紀)に、

他、アタシ、

とある(広辞苑・岩波古語辞典)。

殿の御前の御聲は、あまたにまじらせたまはず、徒しう聞こえたり(栄花物語)
の、

徒し、
空し、

と当てる意は、

空しい、
不実である、

になり(仝上)、

徒を活用せしむ語(眞(まこと)しき、大人しき)、あだし契、あだし世、などと云ふは、終止形を名詞に接しむる用法にて、厳(いか)し矛(ほこ)、空し車、同例なり、

とあり(大言海)、

意味上はアダ(不実)の形容詞形と考えられるが、常に名詞と複合した形で使われる。アダシ(他)とアダ(不実)との意味と形の近似による混交の結果生じた語であろう。中世以後の例が多い、

とある(岩波古語辞典)。「あだし心」はその典型例になる。

王は外道に党(かたちは)へり(味方した)。それ敵(あだ)すべけむや(大唐西域記)、

と、

仇し、
敵し、

と当てる意は、

敵対する、
はむかう、

になり(広辞苑・岩波古語辞典)、類聚名義抄(11~12世紀)には、

敵、アタル、カタキ、アタ、

とある。だから、

アタは仇、

とある(仝上)。

「あだ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/456168855.htmlで触れたことだが、

徒し、
空し、
敵し、
仇し、
他し、
異し、

とあてる「あだし」の語幹「あだ」は、いずれも古くは、

あた、

と、清音だが、

徒・空、
他・異、
仇・敵、

の三通りがある。「徒」は、

無用の意を言うアヒダ(閒)の約(大言海・名言通)、
アダシ(他し)の語根(大言海)、
アナタ(彼方)の約言(和訓集説・萍(うきくさ)の跡)、

など諸説あるが、「他」との関係について、「他」は、

徒(あだ)の、実なき意の、我ならぬ意に移りたる語にもあるか、

と、

他(異)し、

徒(空)し、

を繋げている(大言海)。有名な、

君をおきてあだし心をわが持たば末の松山波も越えなむ(古今集)、

を、

徒し、

ではなく、

他し、

と当てている(岩波古語辞典)のを、

アダシ(他)とアダ(不実)との意味と形の近似による混交の結果生じた語であろう。中世以後の例が多い、

とする(仝上)のは、意味の近さからではないか。

他し心、

は、

他に心を移している、

意であり、

徒し心、

は、それゆえの、

不実な心、

ということになる。もともと「あだし心」は、

異なる、他のものに心を移す、

という状態表現にすぎなかったが、そのこと自体に意味を持たせた価値表現へと転じ、

徒し心、

へとシフトしたのかもしれない。

「仇し」については、「あだ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/456168855.htmlで触れたように、

語源についてはいまだ確定的なものはない。『万葉集』の表記に始まって平安朝の古辞書における訓、中世のキリシタン資料の表記はすべてアタと清音になっており、江戸中期の文献あたりでは、いまだ清音表記が主流である。二葉亭四迷の『浮雲』を始め近代の作品ではアダと濁音化しているので、江戸後期から明治にかけて濁音化が進んだとみられる、

とあり(日本語源大辞典)、

當(あた)るの語根、名義抄「敵、アタル、カタキ、アタ」、日本釈名(元禄)「アタは、當る也、我と相當る也、敵當の意なり」(大言海)、
「アタ(当たるの語幹)の変化」です。アタンスル(寇にする)が方言に残っています。アダと濁音になったのは憎む意の加わったものです(日本語源広辞典)、

と、「仇きに同じ」として、

憎むに因りて濁らするか(浅〔あさ〕む、あざむ。淡〔あは〕む、あばむ)、

と、その意味から濁点化したとみている(大言海)。もともと、

びたりと向き合って敵対するものの意、

と(岩波古語辞典)いう状態表現であったものが、「憎む」価値表現を加味したということかもしれない。

「徒」 漢字.gif

(「徒」 https://kakijun.jp/page/1067200.htmlより)

「徒」(漢音ト、呉音ズ・ド)は、

形成。「止(あし)+彳(いく)+音符土」で、陸地を一歩一歩とあゆむことで、ポーズをおいて、一つ一つ進む意を含む、

とある(漢字源)が、別に、

「辵」と「土」を合わせた漢字。「辵」は歩くことを意味し、「土」は地面、同時に音(ト)を示す。「徒」は地面を踏みしめ歩くことである、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%BE%92

会意兼形声文字です(彳+土+止)。「十字路の左半分」の象形(「道を行く」の意味)と「土地の神を祭る為に柱状に固めた土」の象形(「土」の意味)と「立ち止まる足」の象形(「足」の意味)から、道を行く時に乗物に乗らず、土を踏んで「あるく」を意味する「徒」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji593.html

参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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ラベル:あだし心 徒し心
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2022年03月20日

つらつら


倩(つらつら)これを思ふに、惡の彼に在ると、義の我に在ると、天下の治乱、山上の安危に孰れぞ(太平記)、

とある、

つらつらは、

倩々、
熟、
熟々、

等々とも当て、

つらつら思へば、誉れを愛する人は、人の聞(きき)をよろこぶなり(徒然草)、

というように、

つくづく、
よくよく、

の意で使う(広辞苑)。類聚名義抄(11~12世紀)には、

熟、ツラツラ、コマヤカナリ、クハシ、

とあり、さらに、

倩、ツラツラ、

ともある。また、「つらつら」は、

御涙にぞむせびつつ、つらつら返事もましまさず(浄瑠璃「むらまつ」)、

と、

すらすら、

の意でも使うが、これは、

滑々、

と当てる、

なめらかなさま、
つるつる、

の意となる。

倩、
熟、

と当てる「つらつら」は、

「と」を伴って用いることもある。古くは「に」を伴うこともあった、

とされ、

物ごとを念を入れてするさまを表わす語、

なので、

つくづく、
よくよく、
念入りに、

の意で使われるが、詳しく見ると、

巨勢(こせ)山の列々(つらつら)椿都良々々(ツラツラ)に見つつしのはな巨勢の春野を(万葉集)、

と、

じっと見つめるさま、熟視するさま、

の意、

伝燈の良匠にあらずして、強ひて訂(ツラツラ)この事をかへりみる(「霊異記(810~824)」)、

と、

物事を深く考えるさま、
熟考するさま、

の意、

つらつらと歎き居たり(「今昔物語(1120頃)」)、

と、

深く嘆き、また反省するさま、

の意と、

男も草臥て、つらつら寝入ければ(仮名草子「東海道名所記(1659~61頃)」)、

と、

よく寝入るさま、
ぐっすり、

の意と、単純に「よくよく」「つくづく」には置き換えられない含意の幅があり(精選版日本国語大辞典)、また当てた字も違うものもあるようである。

で、「つらつら」の語源を見ると、

絶えず続きての意(大言海)、
不断の意から転じた(日本古語大辞典=松岡静雄)、

として、

連連(つらつら)の義、

とするもの、あるいは、

連ね連ねの約(日本語源広辞典)、
ツラはツレア(連顕)の約(国語本義)、

と、「連」と絡める説が多いが、これは、上記万葉集の、

巨勢(こせ)山の列々(つらつら)椿都良々々(ツラツラ)に見つつ思(しの)はな巨勢の春野を、

を、

連連(つらつら)の意、

とする説(万葉集略解・万葉集古義)からきているようだ(精選版日本国語大辞典)。しかし、

つらつら椿、

の、

つらつら、

は、確かに、

列々、

と使っているように、

連なっている、

意で、

連連、

の意でいいが、

都良々々(ツラツラ)、

は、別の字を当てており、

連連、

とは区別していると見るべきではないか。

他の語源説には、

ツヅラ(蔓)から派生した語(国語溯原=大矢徹)、

と、どちらかというと、

連連、

と、似た発想になる。さらに、

ツラは、ツヨシ(強)のツヨ、ツユ(露)、ツラ(頬・面)と同根(続上代特殊仮名音義=森重敏)、

とする説もある。いずれの語源説も、

よくよく、
念入り、

という意味とのつながりは見えてこない。「つら」は、上記でも、

列々(つらつら)椿、

と当てているように、

連、
列、

と当て、

連なる、
ならぶ、

意である。これが、

途絶えず続く意味から転じ、じっと見つめたり、深く考えるさまを表すようになったと考えられている、

とされる(語源由来辞典)が、

つらなる、

ことが、

よくよく、
念入り、

の意へと意味の外延としては繋がりにくい気がするが、ただ「連連」の、

空間的な連続、

が、

時間的な連続、

へと意味を転化させたということは、他の語の例でもよくあるので十分あり得る。そうみれば、

連連、

にも根拠はある。

なお、「つらつら」を、

熟、

と当てるのは、

「熱」は「熟考」や「熟視」など、「十分に」「よくよく」といった意味からの当て字、

とされ(語源由来辞典)、

倩、

と当てるのは、中世、

記録資料をはじめ、「平家物語」など記録体の影響を受けた文学作品に、「倩」の表記が見られる、

とある。冒頭の「太平記」の例もそれであるが、「倩」は、

漢籍では美しく笑うさま、あるいは、男子の美称であり、この「つらつら」との結び付きの由来はわからない、

とある(精選版日本国語大辞典)。

「倩」 漢字.gif


「倩」(漢音呉音セン、漢音セイ、呉音ショウ)は、

会意兼形声。「人+音符青(靑 セイ)」で、清らかに澄んだ人のこと、

とあり(漢字源)、「妹婿」(マイセン)と、すっきりした男、転じて婿、あるいは、笑ったとき口元がすっきりと美しいさま、の意で、「巧笑倩兮(巧笑倩たり)」(詩経)とある。

「熟」 漢字.gif

(「熟」 https://kakijun.jp/page/1562200.htmlより)

「熟」(漢音シュク、呉音ジュク・ズク)は、

会意。享は、郭の字の左側の部分で、南北に通じた城郭の形。つき通る意を含む。熟の左上は、享の字の下部に羊印を加えた会意文字で、羊肉にしんを通すことを示す。熟は丸(人が手で動作するさま。動詞の記号)と火を加えた字で、しんに通るまで軟らかく煮ること、

とある(漢字源)が、わかりにくい。ただ「熟」は「孰」の後にできた字のようである(角川新字源)。ただ、別に、

会意兼形声文字です(孰+灬(火))。「基礎となる台の上に建っている先祖を祭る場所の象形と人が両手で物を持つ象形」(「食べ物を持って煮て人をもてなす」の意味)と「燃え立つ炎」の象形から、「よく煮込む」を意味する「熟」という漢字が成り立ちました、

ともありhttps://okjiten.jp/kanji971.html、さらに、

形声。「火」+音符「孰 /*TUK/」。{熟 /*duk/}を表す字、
会意形声。「火」+音符「孰」、「孰」は「享」+「丸(←丮)」の会意。「享(古体:亯)」は「郭」の原字で、城郭の象形、「丮」は、両手で工事するさま。「孰」は城郭に付属して建物を意味していたが、音を仮借し、「いずれ、だれ」の意に用いるようになったため、元の意は「土」を付し「塾」に引き継がれた。古体は「𦏧」であり、「羊」が加えられており食物に関連。「享」が献上物をとおして、「饗」と通じていたことから、饗応のための食物をよく煮にる意となったか。藤堂明保は、「享」に関して、城郭を突き抜けるさまに似る金文の形態及び「亨」の意義などから、城郭を「すらりと通る」ことを原義としていることから、熱をよく通すことと解している。なお、「亨」に「火」を加えた「烹」も「煮にる」の意を有するhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%86%9F

と、異説が併記されているので、諸説あることがわかる。漢字源は、藤堂説である。

「孰」 漢字.gif


ついでに、「孰」(漢音シュク、呉音ジュク)は、

会意文字。「享(築き固めた城)+手のかたち」。塾(ジュク ついじ)・熟(奈河までく煮る)などの原字。また、その音を借りて、選択を求める疑問詞(孰れ)に用いる、

とある(漢字源)が、

形声。「享(建物)」+音符「丮 /*TUK/」。{塾 /*duk/}を表す字。のち仮借して{孰 /*duk/}に用い、「いずれ、だれ」の意味を表す、
会意。「享」+「丸(←丮)」の会意。「享(古体:亯)」は「郭」の原字で、城郭の象形、「丮」は、両手で工事するさま。城郭に付属した建物を意味していたが、音を仮借し、「いずれ、だれ」の意に用いるようになったため、元の意は「土」を付し「塾」に引き継がれた。説文解字の親字には採用されてはおらず、「熟」の原字である「𦏧」が採られている。また、「𦎫」には「孰也」との記載がある、

と諸説併記であるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%AD%B0

「孰」 漢字.png

(「孰」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%AD%B0より)

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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