用心の最中、なまばうたる人の疲れ乞ひするは、夜討ち強盗の案内見る者か(太平記)、
にある、
なまばうたる、
は、
うさんくさい、
と注記がある(兵藤裕己校注『太平記』)。
生ばうたる、
と当てる、
生ばむ、
の転訛である。「生ばむ」は、
なんとなく怪しく見える、
どことなくうさんくさい、
意である(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。あまり用例がなく、太平記の上記がよく使われる。
「生ばむ」は、
生+ばむ、
である。「ばむ」は、
黄ばむ、
気色ばむ、
のように、
物の性質や状態を表わすような名詞、またはこれに準ずる動詞連用形や形容詞語幹などに付き、これを動詞化する。そのような性質をすこしそなえてくる、また、そのような状態に近づいてくるの意を添える、
とあり(精選版日本国語大辞典)、
…のようすが現れる、
…のようすを帯びる、
などの意を表すが、古くは、
鼻の先は赤みて、穴のめぐりいたく濡ればみたるは(今昔物語)、
なよらかにをかしばめる事を、好ましからずおぼす人は(源氏物語)、
などと、
動詞の連用形、形容詞の語幹の下にも付いて動詞を作り、そのような性質を少し帯びる、そのような状態に近づいてくる、という意を表す、
とある(デジタル大辞泉・広辞苑)。
「なま」は、「なま」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/484932208.html)で触れたように、
生兵法、
なま女房、
なま侍、
なま道心、
なま聞き、
などと接頭語で使うときは、
未熟、不完全、いい加減、の意、それらの状態に対して好感をもたない場合に使うことが多い、
とある(岩波古語辞典)。今日、
生放送、
と使うのは、名詞「なま」の、
生野菜、
というときの、
動植物を採取したままで、煮たり、焼いたり、乾かしたりしないもの、
つまり、
そのままの状態、
の意から来ていると思われる。「なまじっか」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/441764979.html)の「なまじひ(い)」も、
ナマは中途半端の意。シヒは気持ちの進みや事の進行、物事の道理に逆らう力を加える意。近世の初期まで、ナマジヒ・ナマシヒの両形あった。近世ではナマジとも、
とある(岩波古語辞典)し、
なまなか(生半)、
も、
中途半端、
の意になる。
なまめく、
は、
生めく、
艷めく、
と当てるが、この場合は、
ナマは未熟・不十分の意。あらわに表現されず、ほのかで不十分な状態・行動であるように見えるが、実は十分に心用意があり、成熟しているさまが感じとられる意。男女の気持のやり取りや、物の美しさなどにいう。従って、花やかさ、けばけばしさなどとは反対の概念。漢文訓読系の文章では、「婀娜」「艷」「窈窕」「嬋娟」などをナマメク・ナマメイタと訓み、仮名文学系での用法と多少ずれて、しなやか、あでやかな美の意。中世以降ナマメクは、主として漢文訓読系の意味の流れを受けている、
とあり(岩波古語辞典)、「なまめく」は、本来は、ちょっと「奥ゆかしい」ほのかに見える含意である。
「なま」を、副詞として、
御調度どもをいと古体になれたるが、昔様にてうるはしきを、なま、物のゆゑ知らんと思へる人、さる物要(えう)じて(源氏物語)、
と使う場合も、
未熟で中途はんぱである意を表わし、なまじっか、すこしばかり、
の意で使うし、「なま」を、名詞で使う場合も、
なまなる物熟したる物が目前にあまるほどあり(「古活字本荘子抄(1620頃)」)、
と、
植物や動物が生きて生活していた時と同じであること。それらの加工していない状態をいう。また、そのもの。成熟していない状態にもいう、
とあり、おそらくそれをメタファに、
くちばしも翼もなくて、なまの天狗なるべし(御伽物語)、
と、
技術や経験・物事の程度などが不十分でいい加減であるさま、
をいう(精選版日本国語大辞典)のに使ったり、
やい、与三、なま言ふなえ言ふなえ(与話情浮名横櫛)、
と、
生意気、
の意では使うが、「なま」には、
なまばむ、
の、
怪しくみえる、
うさんくさい、
意味はない。強いて言えば、「なま」のもつ、
未熟、
中途半端、
いい加減、
の意の延長で、
いかがわしい、
意はあり得るし、例えば、「なまぐさし(生臭し・腥し)」で、
洞の内なまぐさき事かぎりなし(今昔物語)、
と、
あやしげな臭気がある、
意で使う(岩波古語辞典)のからみて、
正体の定かでない、
まっとうでない、
という意味と見ていい。
「なま」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/484932208.html)でふれたように、
「生」(漢音セイ、呉音ショウ)は、
会意。「若芽の形+土」で、地上に若芽の生えたさまを示す。生き生きとして新しい意を含む、
とある(漢字源)。ただ、中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)には、
土の上に生え出た草木に象る、
とあり、現代の漢語多功能字庫(香港中文大學・2016年)には、
屮(草の象形)+一(地面の象形)で、草のはえ出る形、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%94%9F)ため、
象形説。草のはえ出る形(白川静説)、
会意説。草のはえ出る形+土(藤堂明保説)、
と別れるが、
象形。地上にめばえる草木のさまにかたどり、「うまれる」「いきる」「いのち」などの意を表す(角川新字源)、
象形。「草・木が地上に生じてきた」象形から「はえる」、「いきる」を意味する「生」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji33.html)、
とする説が目についた。甲骨文字を見る限り、どちらとも取れる。
(「生」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%94%9Fより)
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95