2022年03月22日

たまたま


庶幾(こいねが)ひて聴(きき)を貪る処に、儻(たまたま)、青鳥(せいちょう 使者)を投じて丹心(たんしん 忠義の誠)を竭(つく)さる(太平記)、

にある、

儻(たまたま)、

は、

偶、
適、
会、

等々とも当て、

儻、

と当てるケースは少ないが、「儻」(トウ)は、

会意兼形声。「人+音符黨(トウ)」で、もと大きくこだわらない人の意、

とある(漢字源)が、接続詞として、

儻所謂天道是耶非耶(儻しくはいはゆる天道は是か非か)(史記・伯夷傳)、

と、

もしくは、
ひよっとしたら、
たまたま、

の意で使うところから、

儻(たまたま)心を遂げずは必ず瞋怒を起し国をも毀(そこな)ひ祀をも滅してむ(「大唐西域記(646年)」)、

と、漢文系の用例かと思われる。

「儻」 漢字.gif


「たまたま」は、

予期もしなかったことに偶然出くわすさま。和文脈系には使われることが少ない、

とあり(岩波古語辞典)、意味の幅としては、

たまたま、まゐらせ給ふとものせしかど(「宇津保(970~99)」)、

と、

その場合とか機会とかがまれではあるが何度かあるさまをいう、時おり、ときたま、

の意で、あるいは、

知らぬ世にまとひ侍りしをたまたまおほやけに数まへられたてまつりては(「源氏物語(1001~14)」)、
至りて愚かなる人はたまたま賢なる人を見てこれを憎む(「徒然草(1330~131年)」)、

と、

その場合とか機会とかが偶然であるさまをいう、偶然に。ふと、

の意で、あるいは、

若、偶(タマタマ)音響に中らば、十九首の流なり(「文鏡秘府論保延四年点(1138)」)、
念じわびつつ、さまざまの財物、かたはしより捨つるがごとくすれども、更に目見立つる人なし。たまたま換ふるものは金を軽くし、粟を重くす(「方丈記(1212)」)、

と、

ごくまれではあるが、ひょっとしてそうなるとか、そうなるかもしれないとかいう気持を表わす、ひょっとして、どうかして、もしかして、

の意で、あるいは、

属(タマタマ)有道に逢ふ。時惟(ときこれ)我が皇なり(「大慈恩寺三蔵法師伝承徳三年点(1099)」)、

と、

予期したことが実現するとか、実現してよかったとかいう気持を表わす、折よく、折があって、運よく、

の意と、微妙な意味の幅で使う(精選版日本国語大辞典)。

和文資料では、「宇津保物語」「枕草子」「和泉式部日記」「栄花物語」などに散見するが、「蜻蛉日記」「更級日記」「紫式部日記」などには見えない。また、「方丈記」や「徒然草」では「たまたま」があって「たまさか」がないこと、「源氏物語」では他はすべて「たまさか」が用いられているが、光源氏のことば一例のみが「たまたま」であることなどから、男性語であると考えられる、

ともある(仝上)。「たまさか」http://ppnetwork.seesaa.net/article/441825356.htmlで触れたように、「たまさか」も、

偶、
適、

と当て(広辞苑)、

邂逅、

とも当て(大言海)、

偶然出会うさま。類義語マレは、存在・出現の度数がきわめて少ない意。ユクリカ・ユクリナシは、不意・唐突の意、

とあり(岩波古語辞典)、

ゆくりなし、

とも意味が重なる。「たまさか」の意味の幅は、

玉坂(たまさかに)吾が見し人を如何にあらむ縁(よし)をもちてかまた一目見む(万葉集)、
邂逅(タマサカニ)児有る家に次(やど)り、遂に是の子を得たり(「日本霊異記(810~824)」)、

と、

思いがけないさま、偶然であるさま、

の意と、

よき帯などたまさかにありけるなども、皆大将殿に奉り給ふ(「落窪(10C後)」)、

と、

まれであるさま、その場合とか機会が数少ないさま、

の意と、

若し天竺(てんぢく)にたまさかにもて渡りなば(「竹取物語(9C末~10C初)」)、
たまさかにも、おぼし召しかはらぬやう侍らば……必ず、かずまへさせ給へ(「源氏物語」)、

と、多く、「に」「にも」を伴って副詞的に、

めったにないさま、あまり期待できないが、ひょっとしてそうなるさま、

の意と、その意の幅がある(精選版日本国語大辞典)。

奈良時代の用例は……、平安時代になるとこの意は「たまたま」が担い、「たまさか」は時間的に長い間隔があることを意味する場合と、仮定条件句とともに用いられる意を表わすようになった、

とあり、

女性の手になる作品、たとえば「蜻蛉日記」では「たまさか」は使用されているが「たまたま」は現われない。また、他の女流作品でも「たまたま」は僅少である。一方、男性の手になる「方丈記」や「徒然草」には「たまさか」は見られないという事実から「たまさか」は女性的な用語であったと思われる、

とある(仝上)。「ゆくりなし」http://ppnetwork.seesaa.net/article/441967296.htmlで触れたように、「ゆくりなし」は、

ユクは擬態語。ユクリカと同根(リカは状態を示す接尾語)。気兼ね遠慮なしに事をするさま。相手がそれを突然だと感じるような仕方。リは状態を示す接尾語。ナシは、甚だしい意、

であり(岩波古語辞典)、

ゆくりなくかぜふきて、こげどもこげども、しりへしぞきにしぞきて(「土左日記(935頃)」)、

と、

予想もしないようなさまである、にわかである、不意である、突然である、思いがけない、

意や、

あたら思ひやり深うものし給ふ人のゆくりなくかうやうなる事(源氏物語)、

と、

思慮をめぐらさずに事をなすさまである、かるはずみである、不注意である、

の意の幅がある(精選版日本国語大辞典)。「たまたま」から連想される語に、

たま(偶)に、

あるいは、

たま(偶・適)、

がある。これは、

たまにこととふものとては、みねにこづたふむらざるの(御伽草子「六代(室町時代物語大成所収 室町末)」)、

と、

めったにないこと、まれであること、

の意となる(仝上)。こう見ると、

たまさか、
たまに、
たまたま、
ゆくりなく、

は、かなり意味が重なり、

まれに、

が、

思いがけず、

となり、

偶然に、

となる、という意味の流れはある程度わかる気がする。とくに、

たまに、
たまさか、
たまたま、

は、音韻的なつながりが強いとみていい。そのつながりを、

「ひじょうに希である」という意のイタマレニ(甚稀に)は、省略されてタマニ(偶に)に変じた。これを強めてタマタマ(偶々)という。
 イササカ(聊か)は「ついちょっと。ほんのすこし。わずかばかり」という意の形容動詞である。「めったに会いがたいものがついちょっとあう」という意を表現するとき、ふたつの形容動詞を重ねてタマニイササカ(偶に聊か)といった。語中の三音節を落として「タマサカ(偶)になった。〈わたつみの神のをとめにタマサカニ漕ぎ向かひ〉(万葉・永江浦島)、〈タマサカニわが見し人をいかならむ縁(よし)をもちてかまた一目見む〉(万葉)、

とする説もある(日本語の語源)。「たまさか」http://ppnetwork.seesaa.net/article/441825356.htmlで書いたように、この音韻変化によるならば、元々は、

まれ、

という意であり、それを出会う側が、

不意に、

と受け止めるか、

偶然に、

と受け止めるか、

唐突に、

と受け止めるか、

予期せずに、

と受け止めるかで、微妙な語感の幅になったということなのではあるまいか。

「たまに」と「たまたま」は語原が同一だと思われるが、その「たま」をどう見るか、

タマは形容詞トモシ(乏)の語幹トモと同根、タマタマはこれを重ねたもの(小学館古語大辞典・日本語源広辞典)、
タエマタエマ(絶間絶間)の義(大言海)、
タマタマ(時間時間)の義(日本語原学=林甕臣)、
「たま」は、滅多にないこと、希なことを意味する「たまさか」と同源(語源由来辞典)、

と、諸説あるが、「ともし」は、

トメ(求)と同根、跡をつけたい、求めたいの意。欲するものがあって、それを得たいという欠乏感・羨望感をあらわす、

という意味(岩波古語辞典)から見て、意味が違い過ぎる気がするし、「たえま」「時間」も、時間幅があって、

まれに、
たまに、

の意だと思われるが、どうも後付けの解釈なのではないかという気がする。やはり、上記の、

めったにないこと、

由来と見て、

イタマレニ(甚稀に)→タマニ(偶に)→タマタマ(偶々)

と転訛したとするのが、いまのところ妥当な気がするのだが。

類義語「わくらば」については、「ゆくりなし」http://ppnetwork.seesaa.net/article/441967296.html、「たまさか」http://ppnetwork.seesaa.net/article/441825356.htmlで触れた。

「偶」 漢字.gif

(「偶」 https://kakijun.jp/page/1103200.htmlより)

「たまさか」http://ppnetwork.seesaa.net/article/441825356.htmlで触れたように、「偶」(慣用グウ、呉音グ、漢音ゴウ)は、

会意兼形声。禺は、上部が大きい頭、下部が尾で、大頭のひとまねざるをえがいた象形文字。偶は「人+音符禺」で、人に似た姿をとることから、人形の意となり、本物と並んで対をなすことから、偶数の意図なる、

とあり(漢字源)、

形声。人と、音符禺(グ)→(ゴウ)とから成る。ひとがたの意を表す。耦(グウ)・俱(グ)に通じ、転じて、つれあい、くみの意に用いる、

とも(角川新字源)、

形声文字です(人+禺)。「横から見た人」の象形(「人」の意味)と「大きな頭と尾を持ったサル、おながざる又は、なまけもの」の象形(「おながざる・なまけもの」の意味だが、ここでは、「寓(ぐう)」に通じ(同じ読みを持つ「寓」と同じ意味を持つようになって)、「かりる」の意味)から、木を借りて人の形に似せたもの「人形(ひとがた・でく)」を意味する「偶」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1529.html

参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:たまたま
posted by Toshi at 04:23| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする