2022年04月01日

尸位


匡正(きょうせい)の忠あって、阿順の従(じゅう)なし。これ良臣の節なり。もし乃ち諫むべきを見て諫めざるは、これを尸位(しい)と謂ふ(太平記)、



尸位(しゐ)、

とあるは、

いたずらに高位におり、職責を果たさないこと、

の意である(兵藤裕己校注『太平記』)。この『太平記』の文章は、

若乃見可諫、即而不諫、謂之尸位、

と、『古文孝経』諫諍章の、孔安国注によっている。この出典は、『書経』五子之歌篇に

太康尸位、以逸豫滅厥徳、黎民咸貮(太康位を尸(つかさど)り、逸豫を以て厥(そ)の德を滅ぼす。黎民(れいみん 人民)咸貳(ふたごころ)あり)、

とあるより出ず、

とある(大言海)。この「太康(たいこう)」は、夏朝の第三代帝。中国の編年体の歴史書『竹書紀年』によれば、

斟鄩に都し、在位年数は4年であった。政治を省みないで狩猟に明け暮れていたという。そのために羿(げい)によって反乱を起こされ、権力を失い、河南(洛水の南側)の陽夏において死亡した、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E5%BA%B7_(%E5%A4%8F)。「尸位」に似た言葉に、

其性寒氷よりも潔し。懐寵、尸位の喩を離れたり(「十訓抄(1252)」)、

とある(『書経』五子之歌が出典)、

懐寵(かいちょう)、

がある。

主君に懐(なづ)き、退くべき時に退かずして、位をぬすむこと、

の意で(懐(なづ)くは、懐(なつ)くとも。馴れ付くの意)、

懐寵尸位、

と並べて使う(仝上)。出典は、同じ、『古文孝経』諫諍章の、孔安国注に、

見可諫而不諫、謂之尸位、見可退而不退、謂之懐寵、懐寵尸位、國之姦人也、

とある。

「尸位」は、多く、

尸位素餐(しいとさん)、

と並べ用いる。「素餐(そさん)」は、

いたずらに食を得ている、

意(四字熟語辞典)だが、「素」は、

むなしい、

意、「餐」は、

御馳走、

の意で、

才能または功績がなく、徒に禄を食むこと、

つまり、

徒食、

である(広辞苑)。王充『論衡』量知篇に、

文吏空胸、無仁義之学、居住食禄、終無以效、所謂、尸位素餐者也、素者空也、空虚無徳餐人禄、故曰素餐、無道藝之業、不暁政治、黙坐朝廷、不能言事、與尸無異、故曰尸位、然則文吏、所謂、尸位素餐者也、

とあり、『漢書』朱雲伝にも、

今朝廷大臣、上不能匡主、下無以益民、皆尸位素餐、

とある、

才徳無きに、位に居り、功労無きに、禄を受く、

意である(大言海)。「尸位素餐(しいとさん)」は、

しいとざん、

とも訓ませる(仝上)。

尸禄素餐(しろくそさん)、
窃位素餐(せついそさん)、
伴食宰相(ばんしょくさいしょう)、
伴食大臣(ばんしょくだいじん)、

も似た言い回しだが、

徒食無為、
無芸大食、

も、また意味の外延には入る(四字熟語)。

「尸」 漢字.gif

(「尸」 https://kakijun.jp/page/si03200.htmlより)

「尸」 金文・殷.png

(「尸」 金文・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B0%B8より)

「尸位」の意味の説明が、微妙に違って、

昔、中国で祖先を祭るとき、人が仮に神の位についたところから(デジタル大辞泉)、
昔、中国で祖先をまつるとき、その血統の者が仮に神の位についたところから(精選版日本国語大辞典)、
昔、中国で祖先をまつるとき、その血統の者が仮に神の位についたところから(日本国語大辞典)、
人が形代(かたしろ)になって神のまつられる高所にいる意(広辞苑)、

などとあるのは、「尸」の字の由来からきている。「尸」(シ)は、

象形。人間がからだを硬直させて横たわった姿を描いたもの。屍(シ)の原字。また、尻(シリ)・尾の字におけるように、ボディを示す音符に用いる。シは矢(まっすぐなや)・雉(チ まっすぐに飛ぶきじ)のように、直線状にぴんとのびた意味を含む、

とあり(漢字源)、

魂去尸長留(魂は去りて尸は長く留まる)、

と(古楽府)、「しかばね」の意味だが、

弟為尸則誰敬(弟、尸となせばすなはち誰をか敬せん)

と(孟子)、

かたしろ、
古代の祭で、神霊の宿る所と考えられた祭主、

の意味で、

孫などの子供をこれに当てて、その前に供物を供えてまつった。のち、肖像や人形でこれに代えるようになった、

とある(仝上)のが、各辞書の意味になる。のちに、

死体のみならず、精神と切り離された肉体そのものを指すようになった、

ともあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B0%B8

「位」 漢字.gif

(「位」 https://kakijun.jp/page/0705200.htmlより)

「位」(イ)は、

会意。立は、人が両足で地上にしっかりたつ姿。位は「立+人」で、人がある位置にしっかりたつさまを示す。もと、円座のこと。まるい座席に座り、また円陣をなして並び、所定のポストを占める意を含む。またのち広く、ポストや定位置などの意に用いられるようになった、

とある(漢字源)。別に、

「位」 甲骨文字・殷.png

(「位」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%BD%8Dより)

会意文字です(人+立)。「横から見た人」の象形と「立った人」の象形から、「人がある位置に立つ」を意味する「位」という漢字が成り立ちました、

とありhttps://okjiten.jp/kanji565.html

金文までは象形文字でした、

とある(仝上)。

「位」 楚系簡帛文字・戦国時代.png

(「位」 楚系簡帛文字・戦国時代 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%BD%8Dより)

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
田部井文雄編『四字熟語辞典』(大修館書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2022年04月02日

づたづた


尊(みこと)、剣を抜いて、大蛇を寸々に切り給ふ(太平記)、



寸々は

づたづた(ずたずた)、

と訓ませ、

細かく乱雑に切り裂かれたさま、
寸断、
きれぎれ、

の意(広辞苑)で、「づたづた」には、「寸々」以外にも、

寸々  36.8%
寸断寸断 21.1%
寸断々々 21.1%
寸断 15.8%
寸裂 5.3%、

と、さまざま漢字を当てるようだhttps://furigana.info/r/%E3%81%9A%E3%81%9F%E3%81%9A%E3%81%9F

「づたづた」は、また、

武乙(ぶいつ 殷の帝、紂王の曾祖父)、河渭(かい 渭水)に猟(かり)し給ひける時、俄に雷(いかずち)落ち懸かり、御身を分々(つだつだ)に引き裂いてぞ捨てたりける(太平記)、

と、

切れ切れになるさま、
ずたずた、

の意で、

つだつだ、

ともいうが、「づたづた」は、

つだつだの転、

で、

づだづだ、

ともいう(岩波古語辞典)とあり、類聚名義抄(11~12世紀)に、

寸、つたつた、つだつだ、きだきだ、

とあり(仝上・大言海)、

日葡辞書(1603~04)には、

ヅダヅダニナル

とある(仝上)ので、

つたつた→つだつだ→づだづだ→づたづた、

といった転訛なのかもしれない。さらに、

悲膓寸々断、何日下生還(「経国集(827)」)、

と、「寸々」を、

づんづん(ずんずん)、

とも訓ませ、

物を細かく切るさま、
きれぎれ、
ずたずた、
ばらばら、

の意で使う。もっとも、「ずんずん」は、

雪がずんずん積もる、

と、

速くはかどる意や、

頭がづんづん痛む、

と、

づきづき、

の意でも使い、これは別由来かもしれないが、「づんづん」には、

一寸ごとに、

の意味もあるようなので(精選版日本国語大辞典)、

空間的なずたずた、

が、

時間的なずたずた、

に転じて、

少しずつ、

となり、

はかどる、

意になったと考えれば、必ずしも別語源とは限らないかもしれない。

「づたづた」の語源説には、

ズタ(破れ 擬態語)の繰り返し(日本語源広辞典)、
つたつたの転じた語スタスタの転(大言海)、
スタスタ(寸断寸断)の義(言元梯)、

などがあるが、類聚名義抄(11~12世紀)に、

段、つたつた、つたきる、

とあり、

細かく切れ切れに、

の意で、

つたつた、

という擬態語があった、と見るのが妥当な気がする。それが、

つたつた→つだつだ→づたづた→づだづだ、

と転訛した。

「寸」 漢字.gif

(「寸」 https://kakijun.jp/page/0324200.htmlより)

「寸」(漢音ソン、呉音ソン)は、

会意。寸は「手のかたち+一印」で、手の指一本の幅のこと。一尺は手尺の一幅で、22.5センチ。指十本の幅がちょうど一尺にあたる。また漢字を組み立てる時には、手、手をちょっとおく、手をつけるなどの意味をあらわす、

とあり(漢字源)、

象形文字。手を当てて物の長短を測る様を象る。手で測れるほど長くないという短さから「みじかい」という意味になった。「尊」の略体。のち仮借して{寸 /*tshuuns/}に用いる、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%AF%B8あるが、別に、

指事。手の象形文字(=又。て)の下部に一点を加えて、手首の脈搏(みやくはく)をはかる意を表す。また、手のひらの付け根から手首の脈までの間を基準にして、長さの単位の一寸とする、

とも(角川新字源)あり、

指事文字です。「右手の手首に親指をあて、脈をはかる事を示す文字」から、脈を「はかる」を意味する「寸」という漢字が成り立ちました。また、親指ほどの長さ、「一尺の十分の一の単位」も表すようになりました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji950.htmlのは、別の解釈である。

「寸」 金文・西周.png

(「寸」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%AF%B8より)

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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2022年04月03日

四神相応


桓武の聖代(せいだい)、この四神相応(しじんそうおう)の地を撰んで、東山に将軍塚を築(つ)かれ、艮(うしとら)の方(鬼門)に天台山(延暦寺)を立てて(太平記)、

に、

四神相応(しじんそうおう)、

とあるのは、

東の青龍(せいりょう)、南の朱雀(すざく)、西の白虎、北の玄武の四神(しじん)に適合する地相、南に沼沢、西に長道、北に丘陵のある地、

と注記がある(兵藤裕己校注『太平記』)。つまり、

地相からみて、天の四神に応じた最良の土地柄、

という意味で、

左方(東)は青龍にふさわしい流水、右方(西)は白虎の大道、前方(南)は朱雀の汚地(おち くぼんだ湿地)、後方(北)は玄武の丘陵を有する、官位・福祿・無病・長寿を合わせ持つ地相、

であり(広辞苑・精選版日本国語大辞典)、

此の地の躰を見るに、左青龍、右白虎、前朱雀、後玄武、四神相応の地也、もっとも帝都を定るに足れり(平家物語)、

と、平安京の地勢はこれにあたるとされる(上記「桓武云々」は、その意味である)。また「四神相応」は、

四地相応(しちそうおう)、

ともいい(仝上)、

四神の中央に黄竜や麒麟を加えたもの、

は、

五神(ごじん)、
五獣、

と呼び、

中央を守護するものとして、五行(木火土金水)と対応するようにしたもの、

とあるhttps://dic.pixiv.net/a/%E4%BA%94%E7%A5%9E。黄竜(こうりゅう、おうりゅう)は、

四神の中心的存在、または、四神の長とも呼ばれている。四神が東西南北の守護獣なのに対し、中央を守るとされる。五行説で黄は土行であり、土行に割り当てられた方角は中央である、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E7%AB%9C

九龍壁の黄竜(紫禁城).jpg

(九龍壁の黄竜(紫禁城) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E7%A5%9E%E7%9B%B8%E5%BF%9Cより)

麒麟(きりん)は、中国神話に現れる伝説上の動物だが、鳥類の長たる鳳凰と比せられ、対に扱われることが多い。戦国時代の『礼記』によれば、王が仁のある政治を行うときに現れる神聖な生き物「瑞獣」とされ、

鳳凰、
霊亀、
応竜、

と共に、

四霊、

と総称されているhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BA%92%E9%BA%9F

麒麟(三才図会).jpg

(「麒麟」(『三才図会(明代)』 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BA%92%E9%BA%9Fより)

なお、「四霊」(しれい)は、

四瑞(しずい)、

ともいい、

麟(りん、麒麟)・鳳(ほう、鳳凰)・亀(き、霊亀)・竜(りゅう、応竜)、

を言うhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E9%9C%8Aが、

四神と通用する(四神を四霊(もしくは天之四霊))、

とあり、あるいは四霊を、

四神、

と呼ぶことがある、とある(仝上)。ついでに、四霊の一種「応竜」(おうりゅう)は、中国神話では、

帝王である黄帝に直属していた竜。4本足で蝙蝠ないし鷹のような翼があり、足には3本の指がある。天地を行き来することができる、

とあり、水を蓄えて雨を降らせる能力があるとされhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%9C%E7%AB%9C、志怪小説『述異記』には、

泥水で育った蝮(まむし)は五百年にして蛟(雨竜)となり、蛟は千年にして竜(成竜)となり、竜は五百年にして角竜(かくりゅう)となり、角竜は千年にして応竜になり、年老いた応竜は黄竜と呼ばれる、

とある(仝上)。

応龍.jpg

(「応龍」(『山海経』) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%9C%E7%AB%9Cより)

さて、「四神」の、東方を守護する「青竜(せいりゅう、せいりょう)は、

長い舌を出した竜の形、

とされ、「靑」は、青山(せいざん)・青林(せいりん)の「靑」で、本来は緑色を指し、青は五行説では東方の色とされるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E7%AB%9C

青龍.bmp

(「靑龍」 精選版日本国語大辞典より)

西方を守護する白虎(びゃっこ)の白は、

細長い体をした白い虎の形、

をし、

四神の中では最も高齢の存在、

とされ(最も若いという説も)、五行説では西方の色とされる。

なお、漢代の文献には西方を白虎としないものもあり、『礼記』では虎のかわりに麒麟を四霊にあげているhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E8%99%8E

白虎(高松塚古墳の壁画).jpg

(白虎(高松塚古墳の壁画) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E8%99%8Eより)

白虎.bmp

(「白虎」 精選版日本国語大辞典より)

南方を守護する「朱雀」(すざく、すじゃく、しゅじゃく、しゅしゃく)は、

長生の神、

とされ、朱は赤であり、五行説では火の象徴で南方の色とされる。「朱雀」は、翼を広げた鳳凰様の鳥形で表されるが、中国古代の想像上の鳥である、

鳳凰、

とは異なる(同一起源とする説もあり、混同もある)。

朱雀.bmp

(「朱雀」 精選版日本国語大辞典より)

北方を守護する「玄武」げんぶ)は、

水神、

であり、玄は黒を意味し、黒は五行説では北方の色とされる。脚の長い亀に蛇が巻き付いた形で描かれることが多いが、古代中国では、亀は「長寿と不死」の象徴、蛇は「生殖と繁殖」の象徴で、後漢末の魏伯陽は「周易参同契」で、

玄武の亀と蛇の合わさった姿を、「玄武は亀蛇、共に寄り添い、もって牡牝(ひんぼ)となし、後につがいとなる、

と、陰陽が合わさる様子に例えているhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%84%E6%AD%A6

玄武.bmp

(「玄武」 精選版日本国語大辞典より)

玄武(高松塚古墳壁画).jpg

(玄武(高松塚古墳壁画) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%84%E6%AD%A6より)

因みに、「鬼門」http://ppnetwork.seesaa.net/article/482333758.htmlでも触れたが、北東(艮=うしとら 丑と寅の間)の方位を、

鬼門(きもん)、

といい、この逆の、南西(坤=ひつじさる 未と申の間)を、

裏鬼門(うらきもん)、

というが、

鬼門・裏鬼門、

を忌むのは日本だけであるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E7%A5%9E%E7%9B%B8%E5%BF%9C

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2022年04月04日

尻目


「尻目」は、

しりめ、

と訓ませ、

後目、

とも当て、

同期を尻目に、彼一人出世していった、
騒ぎを尻目に、悠々と立ち去った、

などというように、

~を…に、

の形で、

~を無視して、かまわず事を行う、
目の隅に置いただけで全く無視する、

意(広辞苑)で使うことが多いが、

ただ一打ちに打ち拉がんと、尻目に敵を睨んで(太平記)、

というように、

横目、

の意(兵藤裕己校注『太平記』)で使ったり、

しりめに見おこせ給ひて(源氏物語)、

と、

顔を動かさず、ひとみだけ動かして、後方を見やること、またその目つき、

の意で、

流し目、

の意でも使う(広辞苑・岩波古語辞典)。「横目」は、

横目づかい、

という言い方をするように、

顔を前に向けたまま横を見ること、
わき目、
ながしめ、

の意であり、その意味で、目の使い方としては、

尻目、

と重なる。しかし、それをメタファに、

その後、思ひかはして、また横目することなくて住みければ(宇治拾遺物語)、

と、

他に心を移すこと、

の意で使い、「尻目」とは意味が離れる。「尻目」は、

しりめ恥ずかしげに見入れつつ(狭衣物語)、

と、

相手を蔑視したり、無視したりする場合にも用いられるが、中古においては、多く女性が打ち解けたときのしぐさとして、また、近世においては、女性の媚を含んだ流し目という意味あいで使われた、

と(精選版日本国語大辞典)、「流し目」の方へシフトしたようである。特に、

尻目に懸く(懸ける)、

という言い方は、

言(こと)にいでて、などて言ひなし給ふと思ふがにくければ、のどやかにしりめにかけて見やりたれば(夜の寝覚)、

と、

人を見下したり無視したりする態度、
さげすむさま、

の意でも使うが、

中将かくとは知らず、しりめにかけ、うちゑみたる気色(きそく)をしてぞ通られける(御伽草子「しぐれ」)

と、

秋波を送る、

意や、

過し所縁(ゆかり)とてもろこしに笑はせ、かほるが尻目に懸られ(好色一代男)、

と、

媚びた目つきをする、
色目を使う、

意で使ったりする(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。

「しり」http://ppnetwork.seesaa.net/article/454328830.htmlで触れたように、かつては、

まへ⇔しりへ

のちには、

まへ⇔うしろ

と対で使われ、「しり」は、

口(くち)と対、うしろの「しろ」と同根、

で、前(さき)・後(しり)と対でもある(岩波古語辞典)。

「尻」 漢字.gif


「しり」http://ppnetwork.seesaa.net/article/454328830.htmlで触れたように、「尻」(コウ)は、

会意兼形声。九は、手のひどく曲がった姿で、曲りくねった末端の意を含む。尻は「尸(しり)+音符九」で、人体の末端で奥まった穴(肛門)のあるしりのこと、

とあり(漢字源)、別に、

会意兼形声文字です(尸+九)。「死んで手足を伸ばした人」の象形と「屈曲して尽きる」象形から、人体のきわまりにある「しり」を意味する「尻」という漢字が成り立ちました、

との解釈もあるhttps://okjiten.jp/kanji2065.html

「尻」 甲骨文字・殷.png

(「尻」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B0%BBより)

「尻」 説文解字・漢.png

(「尻」 説文解字・漢 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B0%BBより)


「目」(漢音ボク、呉音モク)は、

象形。めを描いたもの、

であり(漢字源)、

のち、これを縦にして、「め」、ひいて、みる意を表す。転じて、小分けの意に用いる、

ともある(角川新字源)。

「目」 漢字.gif

(「目」 https://kakijun.jp/page/0588200.htmlより)

「目」 甲骨文字・殷.png

(「目」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%9B%AEより)

「目」 金文・西周.png

(「目」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%9B%AEより)

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2022年04月05日

知識人


丸山眞男『戦中と戦後の間 1936-1957』を読む。

戦中と戦後の間.jpg


本書は、

学生生活の最終学年(1936年)から、戦後、私が肺患による長い療養生活を経て漸く社会復帰するに至るまでのほぼ二十年間に、私が発表した論稿を集めた、

もので(あとがき)、『現代政治の思想と行動』と『日本政治思想史研究』所収の論文はのぞき、ほぼ年代順に並べたものである。「書名」は、ハンナ・アーレントの、

過去と未来の間、

にあやかったもの、とある(仝上)。なお、ハンナ・アーレントは、『イェルサレムのアイヒマン』について「アイヒマン」http://ppnetwork.seesaa.net/article/405979606.htmlで触れた。

本書の巻頭は、学生時代の懸賞論文、ファシズム国家観成立の歴史的経緯を分析した、「政治学における国家の理念」から始まる。その「むすび」で、

今や全体主義国家の観念は世界を風靡してゐる。しかしその核心を極めればそれはそれが表面上排撃しつつある個人主義国家観の究極の発展形態にほかならない。我々の求めるものは個人か国家かのEntweder-Odert(二者択一)の上に立つ個人主義的国家観でもなければ、個人が等族のなかに埋没してしまふ中世的団体主義でもなく、況や両者の奇怪な折衷たるファシズム国家観ではありえない。個人は国家を媒介としてのみ具体的定立をえつつ、しかも絶えず国家に対して否定的独立を保持するごとき関係に立たねばならぬ。しかもさうした関係は市民社会の制約を受けてゐる国家構造からは到底生じえないのである。

と書いた著者の姿勢は一貫している。戦中の、

その後の一切のヨーロッパ思想乃至哲学の摂取の雛型……言ひ換へれば近代日本は一切のヨーロッパ精神を、物質文明を採用すると全く同じ様式で受け取ったのである。受け取られたものは受け取る主体の内側に立ち入って内部から主体を変容する力をもたずに、単に主体に対して外から付加されるにとどまる。内面に沈殿してゐるものは依然それと並んでいはば無関係に存在する(麻生義輝「近代日本哲学史」をよむ)、

秩序を単に外的所与として受取る人間から、秩序に能動的に参与する人間への転換は個人の主体的自由を契機としてのみ成就される。「独立自尊」がなにより個人的自主性を意味するのは当然である。福沢が我が国の伝統的な国民意識に於いてなにより欠けてゐると見たのは自主的人格の精神であった(福沢に於ける秩序と人間)、

敗戦直後には、

漱石の所謂「内発的」な文化をもたぬ我が知識人たちは、時間的に後から登場し來つたものはそれ以前に現はれたものよりすべて進歩的であるかの如き俗流歴史主義の幻想にとり憑かれて、ファシズムの「世界史的」意義の前に頭を垂れた。さうしてとつくに超克された筈の民主主義理念の「世界史的」勝利を前に戸迷いしてゐる。やがて哲学者たちは又もやその「歴史的必然性」について喧しく囀りはじめるだらう。しかしかうしたたぐいの「歴史哲学」によつて歴史が前進したためしはないのである(近代的思惟)、

戦後については、

権力の手段性が意識されないでそれ自身が目的になってしまい、権力を行使する方もされる方も権力それ自身に価値があるように考える傾向が生まれる。ここに権威信仰が発生するのである。(中略)個人が権威信仰の雰囲気の中に没入しているところでは、率先して改革に手をつけるものは雰囲気的統一をやぶるものとしてきらわれる。これがあらゆる保守性の地盤になっている。……しかしいったん変化が起こりはじめると急速に波及する。やはり周囲の雰囲気に同化したい心理からそうなる。しかもその変化も下から起こることは困難だが、権威信仰に結びつくと急速に波及する。(中略)この現実の時勢だから順応するという心理が日本の現在のデモクラシーを規制している(日本人の政治意識)、

と続くが、戦中の論稿との関連でいうと、ファシズム的抑圧の特徴について、

第一に、それがなんらか積極的な建設や理想目標の達成のための「止むをえぬ害悪」として行われるのではなく、むしろ国内外の反対勢力の圧服ということ自体が目的化しており、そこから容易にこうした反革命なり戦争なりの組織が組織自体として絶対化されるというニヒリズムが発酵するという点、第二に、その抑圧の仕方が、単に反対勢力をつぶすだけでなく、およそ市民の自発的活動の拠点やとりでとなるグループ結成を妨げ、こうして社会的紐帯からきり離されて類型化されたバラバラな個人を「マス」に再組織するという行き方を多かれ少なかれ取る点、この二点にとくにその顕著な特色がみられる……(ファシズムの現代的状況)、

とあり、それは、

ファシズムはファシズムの看板では出現できず、却って民主主義とか自由とかの標語を掲げ、

て、

民主的自由や基本的人権の制限や蹂躙がまさに自由とデモクラシーを守るという名の下に大つぴらに行われようとしている、

と述べている(仝上)。これはアメリカに吹き荒れたマッカーシズムを念頭に置いてのそれだが、今日の日本の状況を正確に射抜いている。

デモクラシーとは、素人が専門家を批判することの必要と意義を認めることの上に成り立っている、

との言葉(仝上)はなお重い。マッカーシズムの犠牲となった「E・ハーバートノーマンを悼む」が本書の最後に置かれていることの意味は、今日なおさら重く感じる。

下からの民主的活動の力を欠く、つまり、民主主義の機能しない社会では、

下からの力が公然と組織化、

されることはない(軍国支配者の精神形態)のだが、民主主義が、戦後七十余年経って鍍金が剥げ、結局主体的な、

血肉にならない、

という今日の日本の社会を象徴するのは、戦後の「戦争責任」そのものが曖昧化されたことに起因するように思う。

天皇のウヤムヤな居据わりこそ戦後の「道義頽廃」の第一号であり、やがて日本帝国の神々の恥知らずな復活の先触れをなしたことをわれわれはもつと真剣に考えてみる必要がある(戦争責任論の盲点)、

との言葉は重い。因みに著者は、

天皇の責任のとり方は退位以外にはない、

と断言する。

なお、丸山眞男の、『現代政治の思想と行動』http://ppnetwork.seesaa.net/article/485574016.html、『日本政治思想史研究』http://ppnetwork.seesaa.net/article/481665107.htmlについては触れた。

参考文献;
丸山眞男『戦中と戦後の間 1936-1957』(みすず書房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2022年04月06日

斗藪


諸国の斗藪畢(おわ)りて、禅門、鎌倉に帰り給ひければ(太平記)、
僧を一人御倶(とも)にて、山川斗藪のために立ち出でさせ給ふ(仝上)、

と、

斗藪(とそう)、

とあるのは、

角(かく)て抖擻(トソウ)修業の後再(ふたたび)高雄の辺に居住して(源平盛衰記)、

と、

抖擻、
抖藪、

等々とも当て、

とすう、

とも訓ませ(精選版日本国語大辞典)、

頭陀(づだ)、

の漢訳語であり、

修治(しゅうじ)、
棄除(きじょ)、

とも表記する、

身心を修錬して衣食住に対する欲望をはらいのけること、また、その修行。これに十二種を数える、

意(精選版日本国語大辞典)とあり、つまり、

僧の、旅行して、行く行く食を乞ひ、露宿などして、修行する、

ことだが(大言海)、禅宗では、

行脚(あんぎゃ)、

といい、時宗で、

遊行(ゆぎょう)、

というのもこれに当たる(仝上)、とある。冒頭引用にある「山林斗藪(抖擻)」は、

山林斗藪の苦行、樹下石上の生臥、これみな一機一縁の方便、権者権門の難行なり(「改邪鈔(1337年頃)」)、

と、

山野に寝て、不自由に堪えながら、仏道修行に励む、

意になる(精選版日本国語大辞典)。

「頭陀(ずだ・づだ)」は、

梵語ドゥータ(dhūta)、

の音訳。

頭陀者、漢言抖擻煩悩、離諸滞着(四分律行事鈔)、

と(抖擻はふるい落とす意)、

払い除くの意、

で、

頭陀此應訛也、正言杜多、譯云洮汰、言大灑也、舊云抖擻、一義也(玄應音義)、



杜多、

とも訳す(大言海)。「頭陀」は、

頭陀支(ずだし)、
頭陀行(ずだぎょう)、

とも呼ばれ、

衣食住に対する欲求などの煩悩を取り除く、

意味でhttps://www.jstage.jst.go.jp/article/jeb1947/1980/129/1980_129_L88/_pdf/-char/ja

世尊爾時以此因縁集比丘僧、為諸比丘随順説法、無数方便讃歎頭陀端嚴少欲知足楽出離者(四分律)、

と、仏陀も頭陀行をすることを賞賛していた、とある(仝上)。上記、「十二頭陀」(じゅうにずだ)とは、

仏道修行者が守るべき衣食住に関する一二の基本的規律、

で、

衲衣(納衣 のうえ 人が捨てたぼろを縫って作った袈裟)・但三衣・常乞食・不作余食(次第乞食)・一坐食・一揣食・住阿蘭若処(あらんにゃ)・塚間坐・樹下坐・露地坐・随坐(または中後不飲漿)・常坐不臥、

の十二項目(顕戒論)、

ともされる(精選版日本国語大辞典)が、

十二または十三の実践項目、

とし、

糞掃衣(ふんぞうえ 捨てられた布片を綴りあわせて作られた衣を着用する)、
但三衣(たんざんえ 三衣一鉢(さんえいっぱつ)、大衣・上衣・中着衣の三衣のみを着用する)、
持毳衣(じぜいえ 毛織物で作った衣のみを保持する)、
常乞食(じょうこつじき 托鉢乞食のみによって食物を得る)、
次第(しだい)乞食(行乞時には貧富好悪を選別せず、順次に行乞する)、
一食法(一日一食のみ食する)、
節量食(食を少なく、過食をしない)、
時後不食(食事の後で再び食事・飲み物を摂ってはいけない)、
阿蘭若住(あらんにゃじゅう 人里離れたところを住所とする)、
樹下坐(じゅげざ 樹の下を住所とする)、
露地坐(ろじざ 常に屋外を住所とする)、
塚間住(ちょうけんじゅう 塚墓つまり墓所の中やその近くを住所とする)、
随得敷具(ずいとくしきぐ 与えられたいかなる臥坐具(がざぐ)・住所も厭わず享受する)、
常坐不臥(じょうざふが 常に坐して横臥しない)、

などを挙げているhttp://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E9%A0%AD%E9%99%80。「頭陀支(ずだし)」は、

パーリ(上座部仏教)系では13支、
大乗系では12支、

を立てるとあり(日本大百科全書)、諸部派・大乗の文献で項目や配列に若干の相違があるようである(仝上)。

因みに、頭陀の修行者が常に携行する持ち物を、

頭陀十八物(ずだのじゅうはちもつ)、

といい、持ち物を入れるために首に掛ける袋を、

頭陀袋(ずだぶくろ)、

という(仝上)。これが転じて、死装束の一つとして、

首にかけて、死出の旅路の用具を入れる袋、

つまり、

僧侶の姿になぞらえて浄衣(経帷子きょうかたびら)を着せた遺体に、六文銭などを入れて首に掛ける。三衣袋(さんねぶくろ)と称して、血脈を入れることがある、

を頭陀袋と呼ぶ(仝上・広辞苑)。

「抖」 漢字.gif


「抖」(漢音トウ、呉音ツ)は、

形声、手+斗、

で、

ふるえる、

意であり、

「擻」 漢字.gif


「擻」(ソウ)も、身震いする意である。

「藪」 漢字.gif

(「藪」 https://kakijun.jp/page/yabu200.htmlより)

「藪」(漢音ソウ、呉音ス)は、

会意兼形声。「艸+音符數(ス たくさん、つらなる)、

で、「やぶ」の意で、物事の集まるところ、となる。「抖藪」で、それを振り払う意となる。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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2022年04月07日

有待


秋思亭(しゅうしてい)の月(秋の寂しさを味わう四阿(あずまや)から仰ぐ月)は有待の雲に隠れ(太平記)、

の、

有待(うだい)、

は、

限りある人の身、

と注記がある(兵藤裕己校注『太平記』)が、

他に依存する、

の意で、仏教用語。

人間の身体は、食物、衣服などに依存する(たすけを待って保たれる)から、

という意で、

生滅無常のはかない身、

という意味になり(広辞苑・精選版日本国語大辞典)、

有待の形空しく破れぬ(「妻鑑(1300頃か)」)、

と、

人間の肉体、
凡夫の身、

の意で使われる(岩波古語辞典)。だから、

有待の身を無墓(はかなく)あたなる物と思へり(「康頼宝物集(1179頃)」)、

と、

有待の身(うだいのしん・み)、

という言い方は、少し意味が重複するが、

生滅無常の世に生きるはかない身、
人の身、

という意味になる(精選版日本国語大辞典)。これは、

愛其死以有待也、養其身、以有為也(礼記)、

と、漢語であり、

有待之身(ゆうたいのみ)、

は、

後来事を為さんと時機を待つ身、

つまり、

いつかは事を成そうと時期を待つ身、

という意味になる(字源)。「有為」とは、

将大有為之君、必有所不召之臣(孟子)、

と、

為す所の事あり、

の意であり、更に、

莫戀漁樵與、人生各有為(李白)、

と、

職務がある、

意で使う。

「有待(ゆうたい)」は、仏教語に転用せられ、

初心有待、若得供養、所修事成(法華経)、

と、

有待の身(うだいのしん・み)、

と、

凡夫の身、

の意で使われた(字源)。この転用は、どういう筋道なのかはよくわからない。現代中国語では、動詞としては、

従属する、
他に頼って存在する、

の意であり、これが原意のようであるが、複音節動詞・動詞句・節の形で、

待たねばならない、
…する余地がある、
…する必要がある、

の形で用いられている(白水・中国語辞典)。つまりは、「待たねばならない」は、時機を待つであり、「する必要がある」が、なすべきことがある、という意と繋がっているようだ。

「有」 漢字.gif

(「有」 https://kakijun.jp/page/0693200.htmlより)

「中陰」http://ppnetwork.seesaa.net/article/485912319.htmlで触れたように、「有」(漢音ユウ、呉音ウ)は、

会意兼形声。又(ユウ)は、手で枠を構えたさま。有は「肉+音符又」で、わくを構えた手に肉をかかえこむさま。空間中に一定の形を画することから、事物が形をなしていることや、わくの中に抱え込むことを意味する、

とある(漢字源)。別に、

会意形声。肉と、又(イウ 変わった形。すすめる)とから成り、ごちそうをすすめる意を表す。「侑」(イウ)の原字。転じて、又(イウ ある、もつ、また)の意に用いる、

とも(角川新字源)、

会意兼形声文字です(月(肉)+又)。「右手」の象形と「肉」の象形から肉を「もつ」、「ある」を意味する「有」という漢字が成り立ちました。甲骨文では「右手」だけでしたが、金文になり、「肉」がつきました、

ともありhttps://okjiten.jp/kanji545.html、「有」に「月(肉)」が加わった由来がわかる。

「有」 甲骨文字・殷.png

(「有」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9C%89より)
「有」 金文・西周.png

(「有」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9C%89より)


「待」 漢字.gif

(「待」 https://kakijun.jp/page/0961200.htmlより)

「待」(漢音タイ、呉音ジ)は、

会意兼形声。寺は「寸(手)+音符之(足で進む)」の会意兼形声文字で、手足の動作を示す。待は「彳(おこなう)+音符寺」で、手足を動かして相手をもてなすこと、

とある(漢字源)が、「じっと止まってまつ」という意味としっくり重ならない。別に、

形声。彳と、音符寺(シ)→(タイ)とから成る。道に立ちどまって「まつ」意を表す、

とか(角川新字源)、

形声文字です(彳+寺)。「十字路の左半分」の象形(「道を行く」の意味)と「植物の芽生えの象形(「止」に通じ、「とどまる」の意味)と親指で脈を測る右手の象形」(役人が「とどまる」所の意味)から歩行をやめて「まつ」を意味する「待」という漢字が成り立ちました、

とありhttps://okjiten.jp/kanji514.html、この解釈の方がすっきり納得できる。

「待」 成り立ち.gif

(「待」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji514.htmlより)

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
簡野道明『字源』(角川書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2022年04月08日

六軍



洛中須臾に変化して、六軍翠花(すいか 古代中国で、カワセミの羽で飾った天子の旗)を警固し奉る(太平記)、

にある、

六軍(りくぐん・ろくぐん)、

は、

古代中国で天子の率いた軍、諸侯の軍の対、

と注記される(兵藤裕己校注『太平記』)。

六師(りくし)雷のごとく震ひ(古事記)、

と、

六師(りくし)、

ともいう(広辞苑)。

一軍萬二千五百人、周制天子六軍、諸侯大国三軍(周禮・地官 注)、

とある(字源)ように、

三代の周の制に、一萬二千五百人を一軍とし、其の六箇の軍を、天子の率いる軍とす、

とあり(大言海)、周代の軍制で、天子の統率した六個の軍、

一軍が1万2500人で、合計7万5000人、

の軍隊となる。のち、

晉や唐もこれをまねて、この名称を転用した、

という(精選版日本国語大辞典)。

西周時代の中国.gif

(西周時代の中国 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%A8より)

諸侯の軍は、

凡制軍、萬有二千五百人為軍、王六軍、大国三軍、次国二軍、小国一軍(周禮・夏官)

と定められていた。

『戦争の中国古代史』http://ppnetwork.seesaa.net/article/481322750.htmlで触れたが、西周時代、西の周原、宗周などの王畿に、

西の六師、

がある外に、東の拠点「成周」にも、

成周八師(せいしゅうはっし 殷八師)、

が置かれ、共に正規軍とされ、その他に、服属した国々の兵員から成る、

虎臣、

もあったとされる(佐藤信弥『戦争の中国古代史』)。

東周期の戦車.jpg

(約2500年前の東周期の二輪戦車 https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/4946/より)

諸侯は、

周においては畿外の地に封建、

され、多く、

侯、

に任ぜられたため、諸侯と呼ばれる。もともとは、

辺境防衛のために配置された武官、

とされ、青銅器に鋳刻された金文によれば、周囲の敵と戦うとき、直属の六師、八師が動員された例はほとんどなく、

王臣や諸侯の兵力、

が駆使された、という(仝上)。

「六」 漢字.gif

(「六」 https://kakijun.jp/page/0421200.htmlより)

「六道四生」http://ppnetwork.seesaa.net/article/486172596.html?1648323250で触れたように、

「六」(漢音リク、呉音ロク)は、

象形。おおいをした穴を描いたもの。数詞の六に当てたのは仮借(カシャク 当て字)、

とある(漢字源・https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%85%AD)が、

象形。屋根の形にかたどる。借りて、数詞の「むつ」の意に用いる、

とも(角川新字源)、

象形文字です。「家屋(家)」の象形から、転じて数字の「むつ」を意味する「六」という漢字が成り立ちました、

ともhttps://okjiten.jp/kanji128.htmlあり、「穴」か「家」だが、甲骨文字を見ると、「家」に思える。

「六」 甲骨文字・殷.png

(「六」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%85%ADより)

「軍」(慣用グン、漢呉音クン)は、

会意文字。「車+勹(外側を取り巻く)」で、兵車で円陣を作って取巻くことを示す。古代の戦争は車戦であって、まるく円をえがいて陣取った集団の意、のち軍隊の集団をあらわす、

とあり(漢字源)、「軍団」のように兵士の組織集団をさすが、古代兵制の一軍の意もある。

「軍」 漢字.gif


「勹」は車に立てた旗を象ったもので象形、

とする説もあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%BB%8D。別に、

会意文字です(冖(勹)+車)。「車」の象形(「戦車」の意味)と「人が手を伸ばして抱きかかえこんでいる」象形(「かこむ」の意味)から、戦車で包囲する、すなわち、「いくさ」を意味する「軍」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji660.html

「軍」 成り立ち.gif

(「軍」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji660.htmlより)

参考文献;
佐藤信弥『戦争の中国古代史』(講談社現代新書)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
簡野道明『字源』(角川書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:六軍
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2022年04月09日

尫弱


尫弱の勢かさを見て、大勢の敵などか勇まであるべき(太平記)、

に、

尫弱(おうじゃく)、

とあるのは、

弱弱しい、

という意(兵藤裕己校注『太平記』)だが、

馬允なにがしとかやいひける老者、……尩弱の体にて、物くひてゐたりけるが(「古今著聞集(1254)」)、

と、

尩弱、

とも当てる。

「尫」 漢字.gif


「尫弱」の「尫」(オウ)は、

尩の俗字、

とあり(漢字源)、

尪、

とも表記するhttps://kanji.jitenon.jp/kanjiy/14348.html。原意は、

足や背中が曲がって不自由である(仝上)、
曲がれる脛(曲脛)(字源)、

などとあり、

素尩弱不能騎、宛轉山谷閒、僅達幷州(唐書・裴懷傳)、

と、

尩弱、

とか、

少尩病、形甚短小、而聡敏過人(晉書・山濤傳)、

と、

尩病(おうびょう)、

等々と使う。「尩」は、

尢、

と同じ、とある(仝上)。

「尢」 漢字.gif


「尢」(オウ)は、

象形。足が曲がった人の姿を描いたもの、

とあり(漢字源)、「まがる」「足や背が曲がった人」の意で、「尩」と同義であるが、「弱い」意はない。

「尢」 金文・西周.png

(「尢」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B0%A2より)

「尩弱」は、上記の、

体、体力、気力などが弱いこと、
かよわいこと、

という漢語の意味の外に、和文では、

頼政、尫弱の勢にて固め給ふ(源平盛衰記)、
只近代使庁沙汰、逐日尫弱、偏如鴻毛(吾妻鏡)、
まことに尫弱(ワウジャク)の家に生れ天下一統の功を立給ひし事(「信長記(1622)」)、

などと、

微力、微禄、貧乏など、勢力、能力、財力、威力、影響力などが小さいこと、

の意や、

尫弱たる弓を敵(かたき)のとりもて、……嘲哢(てうろう)せんずるが口惜ければ(平家物語)、

と、

(弓などが)強くないこと、

の意、

月に六日十日は尩弱の事なり(極楽寺殿御消息)、

と、

とるに足りないこと、些細なこと、

の意や、

就尩弱所領、被懸抜群之課役事、難堪之至也(「新札往来(1367)」)、
抑笙筥一合蒔絵摺貝 妙怤持参、……結構之物也、則令買得、其代尫弱也、不慮感得喜悦也(看聞御記)、

などと、

土地からの税の貢納が少ないこと、
物品、金額が少ないこと、

の意や、

牛の事……在所をも不得尋候間、迷惑仕候。彼牛の事、此方よりはわうしゃく之儀なく候由申候へ共(高野山文書)、

と、

弱点、弱味があること、

の意にまで広げて使う(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)

「弱」 漢字.gif

(「弱」 https://kakijun.jp/page/1064200.htmlより)

「弱」(漢音ジャク、呉音ニャク)は、

会意文字。彡印は模様を示す。弱は、「弓二つ+二つの彡印」で、模様や飾りのついた柔らかい弓、

とある(漢字源)。さらに、

装飾的な弓は機能面で劣ることから、「よわい」という意味がでた、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%BC%B1

象形。かざりを付けた弓を二つ並べた形にかたどる。弓を美しく整えることから、しなやか、転じて「よわい」意を表す、

とも(角川新字源)、

会意文字です(弓+彡×2)。「孤を描いた状態の弓(たわむ弓)」の象形と「なよやかな毛」の象形から、「よわい、たわむ」を意味する「弱」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji206.html

「弱」 簡牘文字・戦国時代.png

(「弱」 簡牘(かんどく)文字(「簡」は竹の札、「牘」は木の札)・戦国時代 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%BC%B1より)

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2022年04月10日

禿筆


(細川清氏は)河内国に居たれども、その旧好を慕ひて尋ね来る人も稀なり。ただ秀(ち)びたる筆に喩へられし覇陵の旧将軍に異ならず(太平記)、

の、

秀(ち)び、

は「ちび」http://ppnetwork.seesaa.net/article/464469440.htmlで触れたように、

擦り減る、

意で、

古形ツビ(禿)の転、

とあり(岩波古語辞典)、「つび(禿)」は、

ツビ(粒)の動詞形(つぶ)、

で、

角が取れて丸くなる、

意であり

ちび下駄、
ちび鉛筆、

のそれである。これは、

ツブルと通ずる(和句解・和訓栞)、
キフル(髪斑)の義(言元梯)、

を語源とする「ちび(禿)る」に由来し、

粒、

から来ているとみていい。

「つぶ」は、「つぶら」http://ppnetwork.seesaa.net/article/464485052.htmlで触れたように、

つぶら(圓)の義、

とし(大言海)、

丸、
粒、

とあて(岩波古語辞典)、
ツブシ(腿)・ツブリ・ツブラ(円)・ツブサニと同根(岩波古語辞典)、
ツブラ(円)義(東雅・夏山談義・松屋筆記・箋注和名抄・名言通・国語の語根とその分類=大島正健・大言海)、

などから見て、「粒」の意から出ているとみていい。なお、「ツブシ」が「粒」と関わるのは、「くるぶし」http://ppnetwork.seesaa.net/article/458644074.htmlでも触れた。

禿びた筆、

は、

先のすり切れた筆、

の意で、

戯拈禿筆掃驊騮(カリュウ 名馬の名)歘(タチマチ)見麒麟出来壁(杜甫杜「壁上の韋偃(イエン)の画ける馬に題する歌」)、

と、

禿筆(とくひつ)、

と訓む漢語で、

禿毫冰硯竟無奇(范成大)、

と、

禿毫(とくごう)

ともいう(字源)。また、

敗筆、

ともいい(大言海)、

古くなった筆、

の意の外に、

即使是名家的书法、也不免偶有败笔、

と、

書道の大家であっても、たまの書き損ないは免れない、

弘法も筆のあやまり、

の意で、

(書画・文字・文章などの)できの悪いところ、書き損ない、

の意でも使うhttps://ja.ichacha.net/mzh/%E6%95%97%E7%AD%86.html

「和語」としては、

擦り切れた筆、

の意の外に、

禿筆を呵す(とくひつをかす)、

というように、「呵す」は、

息を吹きかけること、

で、

穂先の擦り切れた筆に息を吹きかけて書く、

の意、転じて、

下手な文章を書く、

と、

自分の文章の謙遜語、

としても使う(デジタル大辞泉)。なお、「禿筆」は、和文脈では、

ちびふで、
かぶろふで、

とも訓ませる(精選版日本国語大辞典)。

また、冒頭引用の、

びたる筆に喩へられし覇陵の旧将軍に異ならず、

にある「覇陵の旧将軍」は、

漢の前将軍李広が、覇陵(陝西省(せんせいしょう)長安県)を通りかかって役人に通行を止められた。李広の従者が名乗ると、現職の将軍でさえ、夜間の通行は禁じられていると言われた(史記・李広将軍列伝)。この故事から、世に力を失った人を、「覇陵の旧将軍」といい、宋の詩人林通(字は達夫)は、李広を「禿筆」に喩えた、

とある(兵藤裕己校注『太平記』)。なお、李広は、司馬遷から、

桃李言わざれども下自ずから蹊(ミチ)を成す(桃や李の木は何も言わないが、その下には自然と人が集まって道ができる)、

とその人柄を評された、とある(仝上・https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E5%BA%83)。

「禿」 漢字.gif


「禿」(トク)は、

会意。「禾(粟が丸く穂を垂れるさま→まるい)+儿(人の足)」。まるぼうずの人をあらわす、

であり(漢字源・https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%A6%BF)、「はげ」とか「筆のすりきれる」意である。

「筆」 漢字.gif


「筆」(漢音ヒツ、呉音ヒチ)は

会意文字。「竹+聿(手で筆を持つさま)」で、毛の束をぐっと引き締めて、竹の柄をつけたふで、

とある(漢字源)が、「聿」(漢音イツ、呉音イチ)は、

筆の原字。ふでを手にもつさまをあらわす。のち、ふでの意味の場合、竹印をそえて筆と書き、聿は、これ、ここなど、リズムを整える助詞をあらわすのに転用された、

とある(仝上)。「聿」は象形文字で、それのみで「ふで」を意味する。「筆」は、竹製であることを強調したものである。

「聿」 甲骨文字・殷.png

(「聿」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%81%BFより)

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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2022年04月11日

敗軍の将は以て勇を言るべからず


越王げにもとや思はれけん、敗軍の将は二度(ふたたび)謀らず、と云へり(太平記)、

にある、

敗軍の将は二度謀らず、

は通常、

敗軍の将は兵を語らず、

などとも言うが、

敗軍の将は以て勇を言(かた)るべからず、

が正確、出典は史記、

廣武君辭曰、臣聞、敗軍之將、不可以言勇、亡國之大夫、不可以圖存、今臣敗亡之虜、何足以大事乎(淮陰侯傳)、

にある、

敗軍之將、不可以言勇、

からきている(字源)。

李牧 (2).jpg


広武君、つまり、

李左車(りさしゃ)、

は、趙の武将。名将李牧の孫。漢の劉邦と敵対した趙は、20万の大軍を擁したが、漢の別働隊の韓信と

井陘(せいけい)の戦い、

で戦い敗れた。

淮陰公韓信.jpg

(淮陰侯(韓信) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%93%E4%BF%A1より)

戦いに臨んで、李左車は宰相の陳余に、

狭い地形を利用して本隊で守りつつ別働隊で韓信を襲うことを献策したが、陳余は却下した。趙に内偵を送っていた韓信は、李左車の策が容れられなかったことを知って大いに喜び、敢然と攻め入った。結果、隘路を越えて背水の陣を採った韓信に趙軍は敗れ、趙王歇と陳余と李左車は捕虜となった、

とありhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E5%B7%A6%E8%BB%8A、その折、韓信は、李左車に、

燕と斉を破る方法を尋ねたのに対して、上記の、

敗軍之将、不可以言勇、

と答えたもの。

敗戦した将は、兵法について語る資格がない、

といった意だが、

背水の陣、

も、史記の、

謂軍吏曰、趙已先據便地爲壁、且、彼未見吾大将旗鼓、未肯撃前行、恐吾至阻険而還、信(韓信)乃使萬人先行出、背水陳、趙軍望而大笑(淮陰侯傳)、

にある(大言海・https://kanbun.info/koji/haisui.html)。この背水の陣は、武経七書のひとつ、中国戦国時代の、兵法書、

『尉繚子』(うつりょうし 尉繚)、

に、

背水陣為絶地、向阪陣為廃軍(尉繚子・天官篇)

とあり(大言海・字源)、

川などを背後にひかえて、陣を立てること、

は、趙軍が「大笑」したというように、

兵法では自軍に不利とされ、自ら進んで行うものではなかった、

とされる。しかし、20万の趙軍を、狭隘な地形と兵たちの死力を利用して防衛し、その隙に別働隊で城砦を占拠、更に落城による動揺の隙を突いた、別働隊と本隊による挟撃で趙軍を打ち破った、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%93%E4%BF%A1。この戦法は、「尉繚子(うつりょうし)」には、

周(しゅう)の武王(ぶおう)が殷(いん)の紂王(ちゅうおう)を破ったとき

の例、「後漢書(ごかんじょ)」銚期(ちょうき)列伝)に、

清陽(せいよう)の博平(はくへい)が銅馬(どうば)の賊を破ったとき、

の例などにみえるhttps://dictionary.sanseido-publ.co.jp/column/kotowaza46。なお、「陣」(漢音チン、呉音ジン)は、

会意文字。陳(チン)の原字ば「東(袋の形)二つ+攴(動詞の記号)」の会意文字。その東一つを略して、阜(土盛り)→防禦用の砦)を加えたものが陳の本字。陣はその俗字、

とあり(漢字源)、正しくは、

背水の陳、

ということになる。この時の故事から、

千慮の一失(絶対に失敗しないと思われた賢明な人でも、失敗することがあるということ)、
愚者一得(愚か者でも、ときには役に立つような知恵を発揮するということのたとえ)、

という故事も生まれている(故事ことわざ辞典)とある。

「敗」 漢字.gif


「敗」(漢音ハイ、呉音ヘ・ベ)は、

会意兼形声。貝(ハイ・バイ)は、二つに割れたかいを描いた象形文字。敗は「攴(動詞の記号)+音符貝」で、まとまった物を二つに割ること、または二つに割れること。六朝時代までは、割ることと割れることの発音に区別があった、

とあり(漢字源)、「敗」は「勝」と対で、

破、
廃、

と類義語になる。なお、

会意形声。「攴」(=撲)+音符「貝」、「貝」は二枚貝の象形であり、貝殻が打たれて二つに分かれることを意味する、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%95%97

形声文字です(貝+攵(攴))。「子安貝」の象形(貝の意味だが、ここでは「敝(へい)」に通じ(「敝」と同じ意味を持つようになって)、「やぶれる」の意味)と「ボクッという音を示す擬声語・右手の象形」(「手で打つ・たたく」
の意味)から「やぶれる」を意味する「敗」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji671.html

「軍」 漢字.gif


「軍」(慣用グン、漢呉音クン)は、「六軍」http://ppnetwork.seesaa.net/article/486344877.html?1649359041で触れたように、

会意文字。「車+勹(外側を取り巻く)」で、兵車で円陣を作って取巻くことを示す。古代の戦争は車戦であって、まるく円をえがいて陣取った集団の意、のち軍隊の集団をあらわす、

とあり(漢字源)、「軍団」のように兵士の組織集団をさすが、古代兵制の一軍の意もある。

「勹」は車に立てた旗を象ったもので象形、

とする説もあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%BB%8D。別に、

会意文字です(冖(勹)+車)。「車」の象形(「戦車」の意味)と「人が手を伸ばして抱きかかえこんでいる」象形(「かこむ」の意味)から、戦車で包囲する、すなわち、「いくさ」を意味する「軍」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji660.html

「将」 漢字.gif


「將(将)」(漢音ショウ、呉音ソウ・ショウ)は、

会意兼形声。爿(ショウ)は長い台をたてに描いた字で、長い意を含む。將は「肉+寸(て)+音符爿」。もと、一番長い指(中指)を将指といった。転じて、手で物を持つ、長となって率いるなどの意味が派生する。また持つ意から、何かでもって処置すること、これから何か動作をしようとする意などを表す助動詞となった。将と同じく「まさに~せんとす」と訓読することばには、且(ショ)がある、

とある(漢字源)。別に、

形声。寸と、音符醬(シヤウ は省略形)とから成る。「ひきいる」、統率する意を表す。借りて、助字に用いる、

とも(角川新字源)、

会意兼形声文字です(爿+月(肉)+寸)。「長い調理台」の象形と「肉」の象形と「右手の手首に親指をあて脈をはかる」象形から、肉を調理して神にささげる人を意味し、そこから、「統率者」、「ささげる」を意味する「将」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1013.html

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2022年04月12日

大名の下には久しく居るべからず


大名(だいめい)の下には、久しく居るべからず、功成り遂げて、身退くは、天の道なり(太平記)、

にある、

大名の下には久しく居るべからず、

は、

『史記』越王句践世家の范蠡(はんれい)の言、

范蠡以為、大名之下難以久居、

による。『明文抄』(鎌倉初期成の漢語の故事金言集)にも引かれる。

大いなる名誉のもとに長くいてはいけない、

の意である(兵藤裕己校注『太平記』)。「大名(だいめい)」は、

諸葛大名照垂宇宙、宗臣遺像肅清高(杜甫)、

と、

すぐれたる誉れ、
大いなる名誉、

の意で、

大名を揚ぐ、

などと使う(大言海)。

范蠡.jpg


名誉をきわめても、その地位に長くとどまるのは他人のねたみをうけてよくない、早く退(ひ)くのが賢明である、

の意(精選版日本国語大辞典)が正確かもしれない。

「狡兎死して」http://ppnetwork.seesaa.net/article/485426752.htmlで触れた、

狡兎死して良狗烹らる、

と同じ出典であり、呉を亡ぼして有頂天になる勾践を見て、越から斉(せい)に去った范蠡(はんれい)が越に残る文種(ぶんしょう)に宛てた手紙で、

范蠡遂去、自齊遣大夫種書曰(范蠡遂去り、齊より大夫種に書を遣わして曰く)、
蜚鳥盡、良弓藏(蜚鳥(ひちょう)盡(つ)きて、良弓(リョウキュウ)藏(おさめ)られ)、
狡兔死、走狗烹(狡兎(コウト)死して、走狗(ソウク)烹(に)らる)、

と言ったのと同じ文脈である。文種に、越王の容貌は、

長頸烏喙(首が長くて口がくちばしのようにとがっている)、

と指摘し、「子よ、何故、越を去らぬ」と書いたが、文種は、病と称して出仕しなくなったが越を去れず、謀反の疑いありと讒言され、勾践は文種に剣を贈り、

「先生は私に呉を倒す7つの秘策があると教えて下さいました。私はそのうちの3つを使って呉を滅ぼしました。残り4つは先生のところにあります。私のために先生は亡くなった父王のもとでその秘策をお試し下さい」と伝え、文種は自殺した、

というhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8C%83%E8%A0%A1

老子.jpg

(伝説では、老子は周を去る際、水牛に乗っていたという https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%80%81%E5%AD%90より)

功成り遂げて、身退くは、天の道なり、

は、

功遂(と)げて身退(しりぞ)くは、天の道なり、

という『老子』の一節に由来する。やはり『明文抄』も引く。

功績をあげて名誉を得たならば、身を引くのが天の道にかなった生き方である、

という意(兵藤裕己校注『太平記』)である。「天の道」は、荘子の、

天道、

あるいは、

天理、

と同義であり、

天、
道、

とも言う、

天地自然の理法、

であり、

人間界と自然界を貫く恒常不変の真理、自然の掟、必然の理法、

の意である(福永光司訳注『老子』)。ふと、

死生有命、富貴在天(論語・顔淵篇)、

を連想したが、

「天命」http://ppnetwork.seesaa.net/article/388163558.html
「天」http://ppnetwork.seesaa.net/article/388163401.html

で触れたように、

天には、「生き死にの定め」「天の与えた運命」の二つが並列されている。つまり、天命には、二つの意味があり、一つは、天の与えた使命、

五十にして天命を知る

の天命である。いまひとつは、天寿と言う場合のように、「死生命有」の寿命である。だから不慮や非業の死は非命という。

しかし、もうひとつ、

彼を是とし又此れを非とすれば、是非一方に偏す
姑(しばら)く是非の心を置け、心虚なれば即ち天を見る(横井小楠)

で言う「天理」のことでもある。ここでの「天道」は、後者を指していると見える。

『老子』九章には、

持而盈之、不如其已(持してこれを盈(み)たすは、その已(や)むるに如かず)。
揣而鋭之、不可長保(揣(う)ちてこれを鋭くすれば、長く保つべからず)。
金玉滿堂、莫之能守(金玉(きんぎょく)堂に満つるも、これを能く守る莫(な)し)。
富貴而驕、自遺其咎(富貴にして驕(おご)れば、自(み)ずからその咎(とが)を遺(のこ)す)。
功遂身退、天之道(功遂(と)げて身退(しりぞ)くは、天の道なり)。

とある(福永光司訳注『老子』)。「揣(た)」は、

捶(た)もしくは鍛(たん)と同義、

で、

打って鍛える、

義である(仝上)。

「功」 漢字.gif

(「功」 https://kakijun.jp/page/0522200.htmlより)

「功」(漢音コウ、呉音ク)は、

会意兼形声。工は、上下両面に穴をあけること。功は、「力+音符工」。穴をあけるのは難しい仕事で努力を要するので、その工夫をこらした仕事とできばえを功という、

とある(漢字源)が、

会意形声。力と、工(コウ つくる)とから成り、はたらき、ひいて「いさお」の意を表す、

とも(角川新字源)、

会意兼形声文字です(工+力)。「のみ(鑿)又はさしがね(工具)の象形」(「作る」の意味)と「力強い腕」の象形から「仕事・手柄」を意味する「功」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji605.html

参考文献;
福永光司訳注『老子』(朝日文庫)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
尚学図書編『故事ことわざの辞典』(小学館)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2022年04月13日

バベルの塔


G・W・F・ヘーゲル(樫山欽四郎訳)『精神現象学』を読む。

ヘーゲル・精神現象学.jpg


「ああいうもの(哲学を指す)を理解するためには語学力とか頭のよさということだけではどうにもならない『何ものか』を必要とするので、二十歳やそこらで読みこなせたらどうかしているのです。(中略)個別科学の知識もなくて哲学が分かるはずがありません」(丸山眞男「勉学についての二、三の助言」)

という誡めにもかかわらず、若い頃、無謀にも、

樫山欽四郎訳の『精神現象学』、

を、それこそ一字一句、文字通りノートに書き写すようにして読んだ記憶がある。その跡は、手元に残る本の、版面外の空白の書き込みに残っている。全体として、意識から精神への螺旋を描くような成長プロセスというイメージ以外、本当に難渋極まる訳文に悪戦苦闘したことくらいしか痕跡を残していないので、二度と読むまいとは思っていたのだが、何のきっかけだか、不意に頁を開き、そのまま、樫山訳を読み出してしまった。しかし、いわゆる読書という行為とはなじまない、人を寄せ付けない文章に辟易して、どうせならと、Kindle版の、

熊野純彦訳の『精神現象学』、

を、併読する形で読み通して見た。それでも、意味不明なのは、ヘーゲル自身が、「まえがき」で、

「(哲学の著作を)理解するだけの素養が当人に備わっていない場合は論外」(長谷川訳『精神現象学』・まえがき)、

と指摘した「論外者」に該当するのだから、仕方がないだろう。で、新訳で評判の、

長谷川宏訳の『精神現象学』、

で再度読み直してみた。他の翻訳が悪文の原著に忠実たらんとしてか、日本語としては何を書いてあるか何度も読み直さないといけない、いや何度読み直しても日本語としての文意すら理解しがたい拙劣な文章であったのに比べて、理解云々はこちらの知性の問題だが、少なくとも何が書いてあるかはすっと頭に入ってくる翻訳であった。ただ、しかし原文に忠実でない分、文意は通じるが、前後の脈絡が見えなくなるという難点が、時々起こる。これは文脈ごとに「ことば」を変えるためかと思われる。たとえば、実体という言葉を、

「文意に応じて、『実体』『本体』『神』『共同体』『秩序』『時代精神』『本領』『土台』『地球』『自然』など、多種多様な訳語を当てた」(長谷川 あとがき)、

というように、文意は通じるが、他との脈絡が取りにくくなったのではないか、と勝手に憶測している。

しかし、そうまでしても、読み終わった後の、徒労感は、凄まじい。何だろう、この巨大な自己完結した虚像は、僕には空しいバベルの塔に見える。

哲学だから、

とは思えない。虚像感が残る。そんなに多く読んだとはいえないが、他の哲学書などでは感じたことのない、読後の空しさなのだ。ただの難解さとは違う。これは何処からくるのだろう。ぼくのような浅学菲才な輩が言うのも口幅ったいが、結局積み上げられている壮大な世界が、空しい「虚像」だからなのではないか、という気がしてならない。

精神現象学 上 (ちくま学芸文庫) Kindle版.jpg


精神現象学 下 (ちくま学芸文庫) Kindle版.jpg


本書は、

意識の経験の学、

と名づけられているように、

意識(感覚的確信→知覚→悟性)→自己意識→理性→精神(精神→宗教→絶対知)、

と、意識の成長プロセスを辿っていく。

「最初に、すなわち、直接的に我々の対象となる知は、それ自身直接的な知、直接的なものまたは存在するものの知にほかならない。われわれもやはり直接的な、つまり受けいれる態度をとるべきであって、現われてくる知を少しも変えてはならないし、把握から概念把握を引き離しておかなくてはならない。」(樫山訳『精神現象学』)

の「感覚的確信」からはじまり、

「精神のこの最後の形態は絶対知である。それは、自らの完全で真なる内容に、同時に自己という形式を与え、このことによって、その概念を実現すると共に、かく実現することにおいて、自己の概念のうちに止まる精神である。これは精神の形態において自らを知る精神である。言いかえれば、概念把握する知である。真理は、自体的に確信と完全に等しいだけでなく、自己自身の確信であるという形態をももっている。言いかえれば、真理は定在となっている、すなわち、知る精神にとって、自己自身の知であるという形式をとっている。(中略)すなわち精神は、意識にとって定在の場に、対象性の形式に、本質そのものであるところのものに、すなわち概念に、なったのである。この定在の場において意識に現われる精神、或はこの場合同じことであるが、意識によってこの場に生み出された精神、これが学である。」(樫山訳仝上)

と、「絶対知」へと至るのである。

このプロセスは、カント『純粋理性批判』http://ppnetwork.seesaa.net/article/473549212.htmlで、知覚したものを、

表象、

と言い、これを現実ではなく、

現象、

と言って、

「つまり我々が認識し得るのは、物自体としての対象ではなくて、感性的直観の対象としての物――換言すれば、現象としての物だけである」(カント(篠田英雄訳)『純粋理性批判』)

から、人の認識プロセスの、

感性→悟性→理性、

の奥行きを徹底的に点検していった、その延長線上に『精神現象学』はある、と見える。(現象としての物と物自体を区別していないヘーゲルは)カントのそれが「表象」に過ぎない、と散々に批判しているが、全体の構造そのものは、僕には同じように見えた。ヘーゲルが、

「実在はそれ自体で存在するものではなく、認識のうちにどうあらわれるかが問題となる。」(ヘーゲル『哲学史講義』)、

と言っているように、所詮、人の認知システムの内部構造を語っているだけなのであり、現実を認知した意識の成長プロセスという、現実を疎外した意識形態そのものを描いているのだから、

「絶対的なものは単純なものではなく、最初の普遍者のこのような自己否定によって生まれる諸契機の体系である。この諸概念の体系もまたそれ自身抽象的なものであって、たんなる概念的な(観念的な)存在の否定、実在性、(自然における)諸区別の独立的実在へと進んでいく。しかしこれもまた同様に一面的であって、全体ではなく一契機にすぎない。このようにして独立的に存在する実在もふたたび自己を止揚して、自己意識、思考する精神のうちで概念の普遍性へ復帰する。思考する精神は、そのうちに概念的存在と観念的存在とを包括して、それらを普遍と特殊のより高い観念的統一としている。このような概念の内在的な自己運動」

なのである(A・シュヴェークラー『西洋哲学史』)。だから、

「ヘーゲルは人間を自己意識と等置しているのであるから―—意識以外の何ものでもなく、ただ疎外という思想に過ぎず、疎外の抽象的な、それゆえ無内容で非現実的な表現、つまり否定にすぎない。したがって、外化の止揚ということもまた、あの無内容な抽象の無内容な止揚、つまり否定の否定にほかならない。それゆえ、内容豊かな、生き生きとした、感覚的な、具体的な自己対象化の活動は自己対象化のたんなる抽象、つまり絶対的否定性となる。すなわち、さらにまた抽象として固定されて、独立的な活動、活動そのものと考えられるような抽象となるのである。」(マルクス(城塚登訳)「ヘーゲル弁証法と哲学一般の批判」)

との指摘は、当たっているのである。あくまで意識にどう取り込まれていくかを描いているのだから、

「自分の外部にその自然をもたない存在は、けっして自然的存在ではなく、自然の存在に関与しない。自分の外部にいかなる対象をももたない存在は、決して対象的な存在ではない。それ自身が第三者にとって対象ではない存在は、いかなる存在をも自分の対象としてもたない。すなわち、対象的に振舞わない。その存在は、けっして対象的なものではないのである。」(仝上)、

というのは当たり前のことだろう。

「思考は存在するものを超えられない」

のである(フォイエルバッハ「ヘーゲル哲学の批判」)。

それにしても、全体が分かりにくいのは、この、

意識の経験の道程、

は、多層な構造になっており、ヘッケルの、

個体発生は系統発生を反復する、

ではないが、

個人の成長史、

であると同時に、

人類文化の精神史、

の側面があり、

西洋史、
キリスト教史、
西洋哲学史、

を直接、あるいはメタファとして、またはアナロジーとして駆使し、

精神の在庫調べ、

の趣があり(加藤尚武編『ヘーゲル「精神現象学」入門』「序にかえて」)、その知識がないとさらに、論旨が辿りにくい上に、その背景になっている、アレゴリカルに取り上げられている、

アンチゴネー、
オイディプス王、
ファウスト、
夜盗、
ドン・キホーテ、
ラモーの甥、

等々の諸作品も、直接言及されず、寓意的、アナロジカルに著述されているために、その知識がないと、一層分かりにくい。しかし、その歴史の選択、作品の選択がどの程度合理的なのかは、疑問で、

「ヘーゲルは、さまざまな宗教・哲学・時代・民族のもっとも突出した差異だけを、しかも上昇する階段的進行においてのみ、固定し、叙述し、共通なもの、等しいもの、同一的なものはすっかり背景に退く。かれの見方と方法そのものの形式は排他的な時間だけで、同時にまた寛容な空間ではない。かれの体系は、従属と継起だけを知るだけで、並列と共存についてはなにも知らない。なるほど、最後の発展段階は、いつも、その他の諸段階を自己のうちに取りいれている体系ではあるが、しかしこの最後の段階そのものが一定の時間的存在であり、そのために特殊性の性格をもっているから、それがその他の諸段階を取り入れることは、これからその独立した生命の精髄を吸い出し、これらがその完全な自由の状態においてのみもっている意味を奪わなければ、不可能である。」(フォイエルバッハ(松村一人・和田楽訳)「ヘーゲル哲学の批判」)

と、目的へと一直線に捨象しつつ螺旋階段を駆け上るその姿にも、バベルの塔のイメージが重なる。

全体は、僕には、

救済史、

をなぞるような、

絶対知、

を目的とする、

歴史主義的な構造、

になっていると思える(救済史については、『世界と世界史』http://ppnetwork.seesaa.net/article/478347758.htmlで触れた。唯物史観はこれをなぞっている)。この全体は、たとえば、

意識の展開や自己形成が同時に学でなければならない、

と、

個人、
人間、
学、

の三つが同時に展開されている(樫山欽四郎)とか、

意識の経験の道程、
人類文化の精神史、
形而上学的演繹と超越論的演繹という二つの課題を一石二鳥で解決するカテゴリー論、

を展開している(加藤尚武)とかの諸説明があるが、この多層な構造は、

古代ギリシャ、
キリスト教の歴史と教義、
フランスの社会と歴史、特に啓蒙思想、フランス革命、
ドイツ観念論、特に、カント、フィヒテ、シェリング、
自然科学についての知識、
ドイツ文学、とくにゲーテとシラー、

というヘーゲルの知的関心をバックボーンとしている(長谷川宏)。それを一々それと言及せずに論述していくのだから、ある種寓意的、メタファ的な部分が多々あるのも、分かりにくさに拍車をかけているように見える。未だに、ヘーゲルが何を指しているかが、論点になったりしているのだから。

しかし、歴史が語られ、自然科学が語られても、あくまで意識の成長プロセスだということを忘れてはならない。つまり、時にマンガチック、ご都合主義な歴史も、またどう見てもおかしい科学知識にしても、あくまで、歴史や科学そのものではなく、意識におけるそれだと考えると、一種免罪符になっているともいえる。

それにしても『精神現象学』は、一種自己完結した世界だと一見思われるが、ラスト、

「精神の完成は、精神が何であるかを、つまり精神の実在を完全に知ることであるから、この知は精神が自分のなかに行くことであり、そのとき精神は自らの定在を捨て、自らの精神を思い出に委ねるのである。精神は、自己のなかに行っているとき、自己意識の夜に沈んでいるが、その消えた定在はその中に保存されている。この廃棄された定在、かつての定在ではあるが、知から新しく生まれた定在は新しい定在であり、新しい精神形態である。この新しい形態のなかで、この直接的な姿でまた無邪気に初めからやり直すべきであり、そこからまた成長していかなければならない。」(樫山訳『精神現象学』)

とある。それは、蓄積された知のレベルは、消えるわけではなく、

「始めるというよりも、一段高い階段に立っているのである」(仝上)

のである。つまり、ゲーテが、

われわれは知っている物しか目に入らない、

といったその認知のレベルが上がっているのである。確かに、マルクスやフォイエルバッハのいうように、ヘーゲルの世界は逆立している。しかし、認識というレベルでいうなら、パラダイム論のT・クーン等新科学哲学派の先駆者N・R・ンソンにならえば、「問題意識を育てる」http://ppnetwork.c.ooco.jp/view04.htmで触れたように、

同じ空を見ていて、ケプラーは、地球が回っていると見、ティコ・ブラーエは、太陽が回っていると見る、

あるいは、同じく、

木から林檎が落ちるのを見て、ニュートンは万有引力を見、他人にはそうは見えない、

のは、われわれは、

知っていることを見ている、

つまり、

知の函数として見る、

からである。そういう知の形成プロセスと考えれば、逆立は当たり前なのである。

では、ヘーゲルより200年近くの後世の我々の、

知のレベル、

はどれだけ上がったのだろうか。頭蓋論についての、

「思想がより拙劣なものであるほど、それだけかえってときとして見わけがたいことがらがある。いったい明確にいえばどこに、その思想の拙劣さが存しているのか、ということだ。それゆえますます困難になるのは、その拙劣さを腑分けすることなのである。というのも、思想が拙劣なものと呼ばれるのは、抽象されたものがより純粋に空虚になるのに応じてのことだからであって、この抽象こそが当の思想にとっては実在として妥当しているものである。」(熊野訳『精神現象学』)

というヘーゲルの言葉は、なかなか皮肉なのである。

G・W・F・ヘーゲル(長谷川宏訳)『精神現象学』.jpg


なお、

I・カント『純粋理性批判』http://ppnetwork.seesaa.net/article/473549212.html
A・シュヴェークラー『西洋哲学史』http://ppnetwork.seesaa.net/article/475045121.html

については触れた。

参考文献;
G・W・F・ヘーゲル(樫山欽四郎訳)『精神現象学(世界の大思想第12巻)』(河出書房)
G・W・F・ヘーゲル(熊野純彦訳)『精神現象学(全2巻)』(ちくま学芸文庫・Kindle版)
G・W・F・ヘーゲル(長谷川宏訳)『精神現象学』(作品社)
G・W・F・ ヘーゲル(長谷川宏訳)『哲学史講義(全4巻)』(河出書房新社)
A・シュヴェークラー(谷川徹三・松村一人訳)『西洋哲学史』(岩波文庫)
フォイエルバッハ(松村一人・和田楽訳)「ヘーゲル哲学の批判」(『将来の哲学の根本問題』)(岩波文庫)
マルクス(城塚登訳)「ヘーゲル弁証法と哲学一般の批判」(マルエン選集1『ヘーゲル批判』)(新潮社)
N・R・ハンソン(野家啓一・渡辺博訳)『知覚と発見』(紀伊国屋書店)
I・カント(篠田英雄訳)『純粋理性批判』(岩波文庫)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2022年04月14日

対峙する力


長谷川宏『ヘーゲル「精神現象学」入門』、
竹田青嗣・西研『完全解読ヘーゲル「精神現象学」』、
竹田青嗣・西研『超解読! はじめてのヘーゲル「精神現象学」』、
加藤尚武編『ヘーゲル「精神現象学」入門』、

を読み比べてみた。

ヘ-ゲル『精神現象学』入門.jpg


正直、僕のような哲学の素人が言うのもおこがましいが、手に入るかぎりの『精神現象学』の「入門」書を読み比べて思ったことは、まるで江戸時代の儒学者が『論語』を読み解こうとしていた姿勢にそっくりの、何だろう、偉大なるヘーゲルの『精神現象学』をどう読みこなすか、しかもどう正確に読解しようとするかに懸命で、それに真正面から、思想として対峙しようとする姿勢がまるきり感じられなかった。それって正しい姿勢なのだろうか、という疑問が湧いた。せめても、長谷川氏が、

「ヘーゲルの作品として『精神現象学』しかなかったとしたら、といった妄想がふと脳裡をかすめる。『精神現象学』は、この一冊だけで十分魅力的な書物だとはやはりいえない気がする。大胆で荒々しい、原鉱のような思考は、同時代の無視・無理解に出会ったあと、後代の注目も理解も得られず、歴史に埋もれてしまった公算が大きい。思考の奇怪さは奇怪さのままでは容易に受け入れがたいものだと思う。」(『ヘーゲル「精神現象学」入門』「思考の奇怪さについて」)

とあるのが、まず真っ当な評価なのではないか。流石『精神現象学』の新訳で世評が高いだけのことはある。他の翻訳が悪文の原著に忠実たらんとしてか、日本語としては何を書いてあるか何度も読み直さないといけない、何度読み直しても日本語として理解しがたい拙劣な文章であったのに比べて、少なくとも、理解云々はこちらの知性の問題だが、少なくとも何が書いてあるかはすっと頭に入ってくる翻訳であった。ただ、しかし原文に忠実でない分、文意は通じるが、前後の脈絡が見えなくなるという難点が、時々起こる。これは文脈ごとに「ことば」を変えるためかと思われる。

「バベルの塔」http://ppnetwork.seesaa.net/article/486413116.html?1649791537で触れたことと重なるが、『精神現象学』は、一応、

意識の成長の旅、

であり、

意識(感覚的確信→知覚→悟性)→自己意識→理性→精神(精神→宗教→絶対知)、

といった、

意識の経験の道程、

さらに、ヘッケルの、

個体発生は系統発生を反復する、

ではないが、

個人としての成長史、

だけではなく、

人類文化の精神史、

の側面があり、

西洋史、
キリスト教史、
西洋哲学史、

を直接、あるいはメタファとして、またはアナロジーとして駆使し、

精神の在庫調べ、

の趣があり(加藤尚武編『ヘーゲル「精神現象学」入門』「序にかえて」)、その知識がないとさらに、論旨が辿りにくいが、そもそも、その背景に、アレゴリカルに取り上げられている、

アンチゴネー、
オイディプス王、
ファウスト、
夜盗、
ドン・キホーテ、
ラモーの甥、

等々は、文脈上、例示として適切なのか。僕のような哲学史や西洋史、キリスト教史等々の門外漢が言ってもナンセンなことは承知の上で言うなら、ヘーゲルの書いている歴史の取り上げ方は、時にマンガチックにすら感じてしまったし、ご都合主義に思える部分も多々あるのだが、それはもちろんメルロ=ポンティのいうような、

小説みたいにおもしろい、

等々と軽々には言えないが、時にマンガチックとしか言いようのない歴史観があり、とてもその時代から見てもおかしな科学観があるのに、

わくわくするような面白さがある、

等々とはとても言えるものではない(仝上)。さらにこの『精神現象学』全体の、まるで、

救済史、

をなぞるような、

絶対知、

を目的とする、

歴史主義的な構造そのもの、

は問題ではないのか(救済史については、『世界と世界史』http://ppnetwork.seesaa.net/article/478347758.htmlで触れた)。そう見ると、『精神現象学』を読解し、後のヘーゲルの著作から意味を読もうとする入門書群と比べると、入門書という位置だから仕方がないのは承知の上でいえば、

「ヘーゲルの精神は、論理的な、確固とした、あえて言うならば、昆虫学的精神である。すなわち、多くの突出した肢と深い切れ目と節をもった身体のうちにのみ、そのふさわしい精神の場所を見いだす精神である(差異にこだわるといいたいらしい)。この精神は、とくにかれの歴史の見方と取り扱いのうちにあらわれている。ヘーゲルは、さまざまな宗教・哲学・時代・民族のもっとも突出した差異だけを、しかも上昇する階段的進行においてのみ、固定し、叙述し、共通なもの、等しいもの、同一なものはすっかり背景に退く。かれの見方と方法そのものの形式は排他的な時間だけで、同時にまた寛容な空間ではない。かれの体系は従属と継起を知るだけで、並列と共存についてはなにも知らない。なるほど、最後の発展段階は、いつも、その他の諸段階を自己のうちに取り入れている全体ではあるが、しかし、この最後の段階そのものが一定の時間的存在であり、そのために特殊性の性格をもっているから、それがその他の諸存在を取り入れることは、これからその独立した生命の精髄を吸い出し、これらがその完全な自由の状態においてのみもっている意味を奪わなければ、不可能である。」(フォイエルバッハ「ヘーゲル哲学の批判」)

とか、あるいは、

「ヘーゲルの『現象学』とその究極的成果とにおいて――運動し算出する原理としての否定性の弁証法において――偉大なるものは、ヘーゲルが人間の自己産出を一つの過程として捉え、対象化することを、対立するものとすること、つまり外在化することとして、そしてこの外在化の止揚として捉えているということ、こうして彼が労働の本質を捉え、対象的な人間すなわち現実的であるゆえに真なる人間を、人間自身の労働の成果として把握しているということに他ならない。(中略)近代国民経済の立場にたっている……ヘーゲルは、労働を人間の本質として捉える。彼は労働の肯定的な側面を見るだけで、その否定的な側面を見ないのである。労働は、人間が外在化の内部で、つまり外在化された人間として、対自化することである。ヘーゲルはそれだけを知り承認している労働というものは、抽象的に精神的な労働である。こうして一般に哲学の本質をなしているもの、自己を知る人間の外在化、あるいは自己を思惟する外在化された学問、これらをヘーゲルは労働の本質として捉えている。だから彼は、過去の哲学に対してその個々の契機を総括し、自分の哲学を本当の哲学として述べることができるのである。」(マルクス「ヘーゲル弁証法と哲学一般の批判」)

など、少なくとも、こう読解した等々と言うことはどうでもいいことで、あるいはどの読解が正しいか、などということは、誰も問題になどしていなくて、それとどう対峙し、どう克服して、その上で、自分は何を論じていくかが問題になっているはずである。

将来の哲学の根本命題(フォイエルバッハ).jpg


ヘーゲル批判(マルクス・エンゲルス選集).jpg


少なくとも、ヘーゲルの影響を受け、それを克服すべく葛藤したフォイエルバッハやマルクスよりも更に後世のわれわれが、いまさらただ『精神現象学』を読解するなどに、意味があるのかどうか、読解はプロセスであって、その後に何をするかが問われているのではないか。自分のような老書生が言うのは噴飯物かもしれないが、読解が正確かどうか、正しいかどうかなどどうでもよく、間違っていようと、どうであろうと、それと対峙してその先に、自らの思想的世界を描かなくては意味がない。ヘーゲル死後(亡くなったのは天保二年(1831)である)何年たっているというのか、今頃読解本が流行っているようでは……明治時代の欧化のはじまりではあるまいし、その先へ、それと対峙した先へ行くべきなのではないか。

完全解読 ヘーゲル『精神現象学』.jpg


超解読! はじめてのヘーゲル『精神現象学』.jpg


僕の散漫な理解力のせいかもしれないが、この『精神現象学』全体は、ヘーゲルの、

思考実験、

ではないか、という印象である。それに似たことを、たとえば、

「思えば、『精神現象学』は、既成の枠組を破って奇怪な動きをする思考の否定力と、それに一定の筋道をつけて書物としてまとまったものにする構成力との、せめぎあいの場であった。書きすすむことが、さながら弁証法の実践だったかに思える。」(長谷川・前掲書)、

とか、あるいは、

「ヘーゲルが、ここで……なしとげた積極的なものは、事前と精神とに対して独立している限定された諸概念、普遍的な固定した思惟諸形式が、人間存在の一般的疎外の、したがってまた人間の思惟の、必然的な成果であるということ、またそれゆえヘーゲルがそれらを抽象過程の諸契機として叙述し総括したということである。例えば、止揚された存在は本質であり、止揚された本質は概念であり、止揚された概念は……絶対的理念である。」(マルクス・前掲書)

とあるように、三十代のヘーゲルの知的チャレンジだと考えれば、難渋で、理解不能な文章も、脈絡のつかない論理の筋も、なんとなく納得できる気がしてしまう。マルクスのいっている、

「ヘーゲルは人間を自己意識と等置しているのであるから―—意識以外の何ものでもなく、ただ疎外という思想に過ぎず、疎外の抽象的な、それゆえ無内容で非現実的な表現、つまり否定にすぎない。したがって、外化の止揚ということもまた、あの無内容な抽象の無内容な止揚、つまり否定の否定にほかならない。」(マルクス(城塚登訳)「ヘーゲル弁証法と哲学一般の批判」)

の、

ただ疎外という思想に過ぎず、

というのは、そういう意味ではないかと思ってしまう。

ヘーゲル「精神現象学」入門 (講談社学術文庫).jpg


さて、読み比べた結果、思想的な俯瞰度からみるなら、

長谷川宏『ヘーゲル「精神現象学」入門』>加藤尚武編『ヘーゲル「精神現象学」入門』>竹田青嗣・西研『完全解読ヘーゲル「精神現象学」』(『超解読! はじめてのヘーゲル「精神現象学」』はこの簡略版になる)、

というところか。やはり、僕は、長谷川宏『ヘーゲル「精神現象学」入門』が一馬身以上離していると思う。読解度でみるなら、

加藤尚武編『ヘーゲル「精神現象学」入門』>竹田青嗣・西研『完全解読ヘーゲル「精神現象学」』>長谷川宏『ヘーゲル「精神現象学」入門』

となる。細部の詳述となると、竹田青嗣・西研『完全解読ヘーゲル「精神現象学」』の方が詳細なのだが、個人的には、詳細にヘーゲルの論旨をなぞればなぞるほど、その筋のマンガチックさが際立ってきて、逆効果だった気がしている。

参考文献;
長谷川宏『ヘーゲル「精神現象学」入門』(講談社選書メチエ)
竹田青嗣・西研『超解読! はじめてのヘーゲル「精神現象学」』(講談社現代新書)
加藤尚武編『ヘーゲル「精神現象学」入門』(講談社学術文庫)
竹田青嗣・西研『完全解読ヘーゲル「精神現象学」』((講談社選書メチエ)
フォイエルバッハ(松村一人・和田楽訳)「ヘーゲル哲学の批判」(『将来の哲学の根本問題』)(岩波文庫)
マルクス(城塚登訳)「ヘーゲル弁証法と哲学一般の批判」(マルエン選集1『ヘーゲル批判』)(新潮社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2022年04月15日

はためく


雷光行く先にひらめいて、雷(いかずち)上に鳴り霆(はた)めく(太平記)、

の、

鳴り霆めく、

は、

鳴りとどろく、

意である(兵藤裕己校注『太平記』)。

「はためく」に、

霆、

を当てる例は少ないが、「霆」には、

いなずま、
いなびかり、
とどろく、

の意があるし、

鳴動、

と当てる(大言海)場合もあるので、外れているわけではない。

「霆」 漢字.gif

(「霆」 https://kakijun.jp/page/E8BB200.htmlより)

「霆」(漢音テイ、呉音ジョウ)は、

会意兼形声。「雨+音符廷(まっすぐのびる、よこにのび)」とあり、挺(テイ まっすぐのびる)と同系、

とある(漢字源)。「いなずま」の意である。「廷」(漢音テイ、呉音ジョウ)は、

会意兼形声。右側の字(テイ)は、人がまっすぐ立つ姿を描き、その伸びたすねの所を一印で示した指事文字(形で表すことが難しい物事を点画の組み合わせによって表して作られた文字)。壬(ジン)とは別字。廴(のばす)を加えた字で、まっすぐな平面が広く伸びた庭、

とある(仝上)。

形声。廴と、音符𡈼(テイ 壬は誤り変わった形)とから成る。宮廷の中庭の意を表す。「庭(テイ)」の原字、

とある(角川新字源)のも、

会意形声。「廴」+音符「𡈼」。「𡈼」はすねを指し示した会意文字で、「廴」とあわせ、長く伸ばすの意を表す、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%BB%B7のも同趣旨だが、

会意兼形声文字です。「庭」の象形と「階段」の象形から、階段の前に突き出た庭を意味し、そこから、「広庭(政事を行う所(朝廷))、訴えを聞き裁判する所(法廷)」を意味する「廷」という漢字が成り立ちました、

とする解釈もあるhttps://okjiten.jp/kanji2206.html

「はためく」は、

(太刀を)打ち合わする音のはためく事(義経記)、
にはかに雷のはためく音して(北条五代記)、

などと、

鳴り響く、
はげしく響き渡る、

意で使うように、

はた、

は、

擬音語(広辞苑・岩波古語辞典)、
音を名とする(大言海)、

と、擬音語由来と見られ、同義の言葉に、

水無月の照りはたたくにも、さはらずきたり(竹取物語)、

と、

はたたく、

という言葉があり、

並外れて激しい音をたてて雷などが鳴る、

意で、

ハタタはハタメクのハタを重ねた語(岩波古語辞典)、

とあるが、

音のハタハタの活用(大言海)、

なのではあるまいか。ただ、

はたはた、

は、今日の語感では、

ごく軽いものが板戸などに連続して当たる静かな音、



薄い物や張った紐などが風をはらんであおられるように動く音、

の意で使い(擬音語・擬態語辞典)、どちらかというと、

儺(な)といふ物こころみるを、まだ昼より、こほこほはたはたとするぞ(蜻蛉日記)、

と、

板戸などをつづけて打ち叩く音、

や、

手をおびただしくはたはたと打つなる(大鏡)、

と、

手を叩く意で使うのが近い。しかし、かつては、

雷がはたはたと鳴り来たれば(周易抄)、

と、

特に、雷が激しくとどろく音、

に使い、

雷も霹靂神にはならず、いかにも静かにどろどろと鳴り(三体詩抄)、

と、

はげしくとどろく雷、

を、特に、

霹靂神(はたはたがみ)、

といい、

はたたがみ、

とも呼んだらしい(岩波古語辞典)。面白いことに、「はたはた」は、

特に、雷が激しくとどろく音、

のみ雷に用い、後は、上記で、

こほこほはたはた(蜻蛉日記)、

と続けたように、静かな叩く音を指す。これのメタファなのか、

とこのまへをきくに、踊騒(ハタメク)こゑあり(観智院本三宝絵)、

に、

揺れ動くように鳴り響く、とどろく、

意でも使う(精選版日本国語大辞典)。「はたはた」は、少し強めて、

ばたばた、

と、少し輕く高い音で、

ぱたぱた、

と、微妙に擬音を使い分けてバリエーションがあるが、こうした「はたはた」の語感のため、「はためく」も、

舌や炎のやうにはためき合ひたり(今昔物語)、

と、

炎や火花が盛んにあがる、炎が勢いよく燃え動く、

と、

ばたばた、

に近い語感(広辞苑)や、

春風にばためく様(洒落本・温海土産)、

のように、濁らせたて、

布や紙などが風に吹かれてはたはたと音をたてて翻る、

と使ったりするが、こうなると、

羽ばたく、

意や、

旗などがはためく、

意と重なってくる。

ちなみに、「ひるがえる(翻る)」「はためく」「ひらめく(閃く)」の違いを、

「ひるがえる」は、

紙や布状のものが風を受けて、空中にある程度広がって位置を占め、動く意。主体が空中にある程度広がって見えている点に重点があり、動きにはさほど重点はない、

「はためく」は、

布や紙が風に吹かれてばたばたと音を立てていることにいう。なお、古くは、炎が勢いよく燃えるとか、雷などが鳴り響くとか、鳥が羽ばたくといった意でも用いた、

「ひらめく」は、

布や紙が風に吹かれてひらひら動く意、

と整理しているものがある(小学館・類語例解辞典)。類義語と比較すると「はためく」の意味が際立つことはある。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:はためく
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2022年04月16日

ただむき


われに勝(まさ)りたる忠の者あらじと、臂(ただむき)を振るふ輩(ともがら)多き中に(太平記)、

と、

臂(ただむき)を振るふ、

とあるのは、

腕を揮う、

の、

手腕を発揮する、

とちょっと重なる、

威勢をふるう、

という意味になり(兵藤裕己校注『太平記』)、「ただむき」は、和名類聚抄(平安中期)に、

腕、太々無岐(ただむき)、一云宇天(うで)、

とあるように、

腕、

とも当てる(広辞苑・岩波古語辞典)、

肘から手首までの間、

を指し、

肩から肘までの、

かいな、

に対する(日本語源大辞典)。「かいな」は、また、

二の腕、

ともいう。「二の腕」http://ppnetwork.seesaa.net/article/453113046.htmlで触れたように、

一の腕、

を、

手首から肘まで、

つまり、

ただむき、

を言ったのに対して、「二の腕」といったものらしい(日本語源広辞典)。

ひじで折れ曲がるので、これを2部に分け、上半を上腕upper arm、下半を前腕forearmといい、上腕は俗に〈二の腕〉といわれる。腕は脚に相当する部分であるが、人間では脚より小さく、運動の自由度は大きい、

とある(世界大百科事典)ので、手首側から、一の腕、二の腕と数えたということだろう。

「腕」(ワン)の字は、

中国では主に手首のつけね。まるく曲がるところなので、ワンという、

とあり(漢字源)、

てくび、
臂の下端、掌の付け根の所、

を指し(字源)、

腕骨(わんこつ)、

は、「手首の骨」をさす(仝上)。

腕は、(日本)釈名に「腕宛也、言可、宛曲なり」、急就篇注に、「腕、手臂之節也」とありて、今云ふ、ウデクビなり、されば、ウデは、元来、折手(ヲデ)の転(現(うつつ)、うつ、叫喚(うめ)く、をめく)。折れ揺く意にて(腕(たぶさ)も手節(たぶし)なり)、ウデクビなるが、臂(ただむき)と混じたるなるべし、

とある(大言海)ように、

「てくび」を「ただむき」と混同、

つまり、

肘、

と混同したため位置が動き、本来、「うで」は、

肘と手首の間、

を指し、「かいな」は、

肩から肘までの間、

であったが、

後に「うで」と混用、

され(岩波古語辞典)、一の腕、二の腕を含めて、

腕、

と呼び、肘から上を、

上腕、

肘から下を、

前腕、

と称するようになったとみられる(日本語源大辞典)。こうした、

肩から手首、

を「腕」とするのは、わが国独自の用法になる(漢字源)。この用法が、「腕」に、

腕前、
腕の見せ所、

のような、

物事をする能力、技量、

の意で使う意味の範囲へ広げたのではないか。「腕」の語源を見ると、

ウテ(上手)の義(類聚名物考・和訓栞・国語の語幹とその分類=大島正健)、
ウテ(打手)の義(日本釈名・和句解)、
ヲテ(小手)の転(言元梯)、
ヲデ(折手)の転(名語記・大言海)、
「腕」の別音WutがWuteと転じた(日本語原学=与謝野寛)、

と、位置がばらばら、「腕」が今日、

肘と手首の間、
肩口から手首まで、

と、多義的に使われている訳であるhttp://ppnetwork.seesaa.net/article/453113046.html

ところで、「ただむき」は、

手手向(タタムキ)の義、両掌に合はすれば、両臂相向ふ、股(もも)を向股(むかもも)と云ふが如し。説文(中国最古(後漢・許慎)の字書『説文解字』)「臂、手上也。肱(かひな)、臂上也、肘(ひじ)臂節也」、(日本)釈名「腕、宛也」、宛は屈すべきものにて、ウデクビなれど、通ずるなるべし、

とあり(大言海)、

左右が向かい合っているところからタタムキ(手手向)の義(柴門和語類集・日本語源=賀茂百樹)、
テテムカヒ(手手向)の義(名言通)、
手向の義(和訓栞)、

なども同趣のようである。

「かいな」は、「二の腕」http://ppnetwork.seesaa.net/article/453113046.htmlで触れたように、

腕、
肱、

とあて、

抱(かか)への根(ね)の約転か。胛をカイガネと云ふも舁(かき)が根の音便なるべし。説文「臂(ただむき)、手ノ上也。肱(かひな)、臂ノ上也」(大言海)、
カイ(支ひ)+ナ(もの)(日本語源広辞典)、
カヒネ(胛)の転(言元梯)、
カヒは抱き上げるという意のカカフルのカを一つ省いたカフルの変化したもの(国語の語幹とその分類=大島正健)、
女の臂のカヨワイことから(俗語考)、
カヒナギ(腕木)の意(雅言考・俗語考)、
カタヒジナカ(肩肘中)の略(柴門和語類集)、
カキナギ(掻長)の義(名言通)、

等々諸説あるが、「抱える」と関わることが、いちばん説得力があるような気がする。

ちなみに、「小手(こて)」は、

手首、
あるいは、
肘と手首の間、

を指すが、

手の腕頸より先。小手先。「小手返し」「小手調べ」「小手投げ」。これに対して、腕・肱を、高手(たかて)と云ふ。人を、高手小手(たかてこて)に縛ると云ふは、後ろ手にして、高手、小手、頸に、縄をかけて、縛りあぐるなり、

とあり(大言海)、いわゆる鎧や防具にいう、

籠手、

は、この「小手」から来ていて、

肘、臂の全体をおおうもの、

であり、「腕頸」とは、

手首、

の意で、

たぶし、
たぶさ(手房)、
こうで(小腕)、

ともいい、

腕と肘との関節、曲り揺く所、

とある(仝上)が、これもけっこう曖昧で、

手首をさす語として、上代より、タブサという語が使用されていたが、語義が不安定であったため、中世より、ウデクビが使われだした。その後、一四、五世紀あたりに、テクビという語が成立し、中世後期からは、テクビの方が優勢となる、

とあり、

たぶさ→うでうび→てくび、

と転化したようだ(精選版日本国語大辞典)。

「臂」 漢字.gif

(「臂」 https://kakijun.jp/page/E45D200.htmlより)

「臂」(ヒ)は、

会意兼形声。「肉+音符辟(ヘキ 平らに開く)」で、腕の外側の平らな部分。足の外股を髀(ヒ)という。ともに胴体の外壁に当たり、うすく平らに肉が付着しているからこのようにいう、

とあり(漢字源)、

肩から手首にいたる腕全体の部分、人体の外側の壁に当たる部分、

とあり、幅が広く、日本語で「うで」という部分に重なる。「ひじ」の意があるが、「肘」と区別する場合は、腕の上腕を指す、とある(仝上)。説文解字に、

臂、手上也。肱(かひな)、臂上也、肘(ひじ)臂節也、

とある(大言海)のは、その意味だと思うが、「ひじ」と訓ませる、「肱」(コウ)は、

会意兼形声。∠は、∠型にひじを張り出したさま、右側は、「手のカタチ+∠」の会意文字でひじのこと。肱はそれを音符として、肉を添えた字、

とあり(仝上)、

曲肱枕之(肱を曲げてこれを枕とす)、

と(論語)、

外に向けて∠型にはりだしたひじ、

の意である。「肱」を「かいな」に当てているのは、漢字の意味からは外れている。これも「ひじ」と訓ませる「肘」(チュウ)は、

会意文字。肘は「肉+寸(手)」・もと丑(チュウ)がうでを曲げたさまを示す字であったが、十二支に転用され、たため「肉+丑」(ひじ)の字が作られた。肘はそれと同じ、

とあり(仝上)、まさに、

うでの中ほどの部分、曲げて張り出したり、曲げて物を抱え込んだりする部分(仝上)、
腕の関節(字源)、

で、

ひじ、

の意になる(漢字源)

「腕」 漢字.gif


「腕」(ワン)は、

会意兼形声。宛(エン)の字は、宀(屋根)の下に、二人の人がまるくかがむさま。腕は「肉+音符宛」で、まるく曲がる手首、

とある(漢字源)が、別に、

形声。肉と、音符宛(ヱン)→(ワン)とから成る。手を曲げて動かす部分、「うで」の意を表す、

とも(角川新字源)、

会意形声。「肉」+音符「宛」、「宛」は「宀」(屋内)で、「夗」(体を丸め集う)の意。「丸い、曲がった」の意があり、「椀・椀(丸い器)」等が同系。手首など、四肢の曲がる部位、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%85%95

会意兼形声文字です(月(肉)+宛)。「切った肉」の象形と「屋根・家屋の象形と月の半ば見える象形とひざまずく人の象形」(屋内で身をくつろぎ曲げ休む事から「曲げる」の意味)から、自由に曲げる事の肉体の部分、「うで」を意味する「腕」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji288.html

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2022年04月17日

野軍


敵頻りに懸からば、難所に引き入れては返し合はせ、引つ返さば、跡に付いて追つ懸け、野軍(のいくさ)に敵を老(つか)らかひて、雌雄を決すべし(太平記)、

にある、

野軍(のいくさ)、

は、

ゲリラ戦、

と注記がある(兵藤裕己校注『太平記』)。ふつう、「のいくさ」は、

野戦、

と当て、

平野でする戦い、

つまり、漢語の、

我為趙将、有攻城野戦之大功(史記・藺相如伝)、

とある、

攻城、

と対比する、

野戦(やせん)、

の意味で使う(広辞苑)が、ここでは、その前のくだりに、

敵に在所を知られず、前にあるかとせば、後へ抜け、馬に乗るかとすれば、野臥(のぶし)になって、在々所々にて戦はんに、敵頻りに懸らば(太平記)、

とあり、その戦い方は、まさに「ゲリラ戦」である。「野臥」は、

野伏、
野武士、

とも当て、

のぶせり、

とも訓ませるように、文字通り、

野に臥す、
野に伏す、

で、

鎌倉末期から南北朝期に、畿内およびその周辺に起こり、全国的に広がった農民の武装集団をいう。一定の主人を持たず、山野に潜伏し、敗軍の将兵の武具、甲冑、馬などを略奪したり、形勢をうかがって優勢の軍について戦闘に参加したりした。また、戦国時代に、大名が領内の農民を徴発し武装させて徒歩兵力として戦闘に参加させたものもいう、

とある(世界大百科事典・精選版日本国語大辞典)。つまりこの、

野軍、

は、

野伏(のぶし)いくさ、

の意になる。これは、後には、

伏勢(ふせぜい)、
伏兵(ふくへい)、

とも呼ばれるもので、

草、
草調儀、
かまり、
透波、

などと呼ばれる「忍び」活動につながる。「忍び」http://ppnetwork.seesaa.net/article/416745079.html、平山優『戦国の忍び』http://ppnetwork.seesaa.net/article/484006742.htmlで、「忍び」については触れたし、「忍び」の戦いについては盛本昌広『境界争いと戦国諜報戦』http://ppnetwork.seesaa.net/article/396352544.htmlで触れた。

いわゆる「野戦(やせん)」の意味では、

今度(このたび)は、諸方の敵、諜(ちょう)し合はせて大勢にて寄せなば、平場の合戦ばかりにては叶ふまじ(太平記)、

と、

平場合戦、

を使っている(兵藤裕己校注『太平記』)。このほか、

平場蒐合(かかりあい)、
野相合戦、
野合戦、

という言い方をする(武家戦陣資料事典)。

野軍、

をあえて使ったのは、これとの区別のためと思われる。

ちなみに、「いくさ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/460494548.htmlで触れたように、「いくさ」は、

戦、
軍、
兵、

と当て、

イ(射)+クサ(人々)(日本語源広辞典)、

と、「射る」と関わらせる説が多いが、大言海は、

射、
軍、

を別項を立て、「いくさ(射)」は、

イクは、射(いく)ふの語幹。、サは、箭(さ)なり。…箭を射ふ、即ち、射箭(イクヒサ)なり(贖物(あがひもの)、あがもの、馳使部(はせつかひべ)、はせつかべ)。賀茂真淵云ふ「伊久佐は、射合箭(イクハシサ)と云ふことなり」、

とし、「箭(さ)」は、

刺すの語根にもあるべきか、…或は征箭(そま)の約かとも云ふ、いかが。朝鮮語に、矢を、サルと云ふとぞ、箭(や)の古語(仝上)、
矢(や)の古語。朝鮮語salの末尾の子音を落した形(岩波古語辞典)、

とあるので、

矢を射る、

動作を示し、「いくさ(軍)」は、

いくさびと、

とする。どうも、「いくさ」は、はじめ、

矢を射る、

意味であったものと思われる。

イクはイクタチ(生大刀)・イクタマ(生魂)・イクヒ(生日)などのイクに同じ。力の盛んなことをたたえる語。サはサチ(矢)と同根。矢の意。はじめ、武器としての力のある強い矢の意。転じて、その矢を射ること、射る人(兵卒・軍勢)、さらに「軍立ち」などの用例を通じて矢を射交わす戦いの意に展開、

とあり(岩波古語辞典)、

矢を射る(人)→矢を射交わす→戦い、

とシフトしたと思えるが、大言海は、「いくさびと」を、

射人(いくさびと)の義、射(いくさ)、即ち、弓射る人の義。戦争の武器は、弓矢を主としたりき、後世、弓矢取、又弓取などと云ふも、是なり、

とし、「いくさだち」(軍立)も、

射立(いくさだち)の義。タチは役立(えだち)の立に同じ。射(いくさ)、弓矢の役に立つ義なり、イクサとのみ云ふは、下略なり。…イクサと云ひて、戦争の意とするは後世の事にて、古くは見えず、上代にイクサと云ひしは軍人(イクサビト)のことなり。…然るに軍人の義なる語は、夙(はや)くに滅亡して、戦争(いくさ)の意、其称を専らとするに至れり、

と、

イクサビト(軍人)→イクサ(戦)、

と転じたとする。いずれにしても、「矢を射る」ことが戦いのメタファとなり、戦いそのものの意味となったと思える。「いくさ」が、

戦争・戦闘の意で用いられるのは、中世以降、特に、『平家物語』『保元物語』など軍記物語にはこの意でもちいられている、

とある(日本語源大辞典)。

「野」 漢字.gif


「野(埜)」(漢音呉音ヤ、漢音ショ、呉音ジョ)は、

会意兼形声。予(ヨ)は、□印の物を横に引きずらしたさまを示し、のびる意を含む。野は「里+音符予」で、横にのびた広い田畑、野原のこと、

とある(漢字源)。ただ、

会意形声。「里」+音符「予」(だんだん広がるの意を有する)https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%87%8E

と、

形声。里と、音符予(ヨ)→(ヤ)とから成る。郊外の村里、のはらの意を表す(角川新字源)、

とを合わせてやっとわかる解説のように思える。別に、「野」と「埜」を区別し、「野」は、

会意兼形声文字です(里+予)。「区画された耕地の象形と土地の神を祭る為に柱状に固めた土の象形」(耕地・土地の神を祭る為の場所のある「里」の意味)と機織りの横糸を自由に走らせ通す道具の象形(「のびやか」の意味)から広くてのびやか里を意味し、そこから、「郊外」、「の」を意味する「野」という漢字が成り立ちました、

とし、「埜」は、

会意文字です(林+土)。「大地を覆う木」の象形と「土地の神を祭る為に柱状に固めた土の象形」(「土」の意味)から「の」を意味する「埜」という漢字が成り立ちました、

と解釈するものがあるhttps://okjiten.jp/kanji115.html

「軍」 漢字.gif


「軍」(慣用グン、漢呉音クン)は、「六軍」http://ppnetwork.seesaa.net/article/486344877.html?1649359041で触れたように、

会意文字。「車+勹(外側を取り巻く)」で、兵車で円陣を作って取巻くことを示す。古代の戦争は車戦であって、まるく円をえがいて陣取った集団の意、のち軍隊の集団をあらわす、

とあり(漢字源)、「軍団」のように兵士の組織集団をさすが、古代兵制の一軍の意もある。

「勹」は車に立てた旗を象ったもので象形、

とする説もあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%BB%8D。別に、

会意文字です(冖(勹)+車)。「車」の象形(「戦車」の意味)と「人が手を伸ばして抱きかかえこんでいる」象形(「かこむ」の意味)から、戦車で包囲する、すなわち、「いくさ」を意味する「軍」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji660.html

参考文献;
笹間良彦『武家戦陣資料事典』(第一書房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2022年04月18日

嬋娟


ただ容色嬋娟(せんけん)の世に勝れたるのみならず、小野小町が弄(もてあそ)びし道を学び(太平記)、

の、

嬋娟、

は、

嬋妍幽艶なる女百人そろへて、紂王に奉つて(仝上)、

と、

嬋妍、

とも表記し、

せんけん、
せんげん、

と訓ませ、

容姿があでやかで美しいこと、
品位があってなまめかしいこと、

といった意味である(広辞苑・精選版日本国語大辞典)が、

秋月復嬋娟(阮籍詩)、

とか、

嬋娟美女(宣和書譜)、

とか、

花嬋娟沃春泉、竹嬋娟籠暁烟、雪嬋娟不長娟、月嬋娟眞可憐(孟浩然詩)、

などと使われる漢語である(字源・大言海)。

娟は、於縁切、エンを正とす、今慣用音に従ふ、

とあり(大言海)、

せんけん、

ではなく、

せんえん、

と訓むのが正しい(字源・仝上)ようである。白楽天の詩にも、

嬋娟雨鬢秋蝉翼
宛轉雙我遠山色
笑随戯伴後園中
此時興君未相識(新楽府・井底引銀瓶)、

とある。

その姿を強調し、

嬋娟窈窕(嬋妍窈窕)、

ともいう。「窈窕」の「窈」は、「奥深し」「静香」「うるわし」、「窕」は、「美しい」「奥ゆかしい」「静か「ふかい」といった意味(漢字源)なので、

窈窕淑女、君子好逑(詩経)、

と、

美しく嫋やかなさま、

の意だが、これは、

云有第三郎、窈窕世無雙(古詩)、

と、

男子のしとやかなるさま、

にもいい(字源)、

既窈窕以尋壑(陶淵明)、

と、

山水などの奥深いさま、

にもいう(仝上)。

「嬋」 漢字.gif


「嬋」(漢音セン、呉音ゼン)は、

会意兼形声。「女+音符單(タン・ゼン ひとえ、かるくひらひらする)」、

で、身のこなしが軽くやわらかなさまの意である(漢字源)。

「嬋」 説文解字・漢.png

(「嬋」 説文解字・漢 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%AC%8Bより)

「娟」(ケン・エン)は、

右の旁(ケン・エン)は、まるくくびれた虫のこと。娟はそれを音符として、女を加えた字で、くねくねとして身ごなしの軽い意を表す、

とあり、うつくしい、身軽でスマートなさま、とある(漢字源)。こうみると、「嬋娟」は、身のこなしの軽さを言い表しているだけだが、

「嬋娟」は、軽やかに身をくねらせるあでやかな女性、転じて、詩では、花・月などの美しさを形容するのに用いる、

とある(仝上)。

「娟」 漢字.gif


「妍」(慣用ケン、漢音・呉音ゲン)は、

会意兼形声。幵(ケン)は、干印を二つ並べて、揃って整ったことを示す。妍は「女+音符幵」で、女性の容姿の磨きのかかった美しさを意味する、

とある(仝上)。

「妍」 漢字.gif


参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2022年04月19日

そこばく


ゆえに、若干(そこばく)の人を殺し、国土を殞(ほろ)ぼしつ(太平記)、
官軍、矢の一つをも射ずして、若干(そこばく)の賊徒を征(たいら)げ候ひき(仝上)、

などとある、

そこばく、

は、

大勢、
多くの、

の意であり(兵藤裕己校注『太平記』)、

廻りける勢に、後陣を破られて、寄手若干(そくばく)討れにければ(仝上)、

と、

そくばく、

とも訓ませる。「そこばく」に当てた、

若干(じゃっかん)、

は、漢語であり、

干は一十に従ふ、一の如く十の如しの意、

とも(字源)、

干は、若一、若十の、一と十とを合わせたたるもの、

ともある(大言海)。「若干」は、

若干者、設數之言也。干、猶箇也、若箇、猶言幾何枚也(「春秋演繁露(宋代)」)

と、

若箇(じゃっこ)、

ともいい

数量がそれほど多くなく、はっきりしないこと、
いくつか、いくらか、
いかほど(幾許)、

の意(漢字源)で、まさに、

一の如く十の如し、

ある。「そこばく」は、漢語「若干」の意の通り、

源氏殿上ゆるされて、御前にめして御覧ず。そこばく選ばれたる人々に劣らず(宇津保物語)、

と、

数量などを明らかにしないで、おおよそのところをいう、いくらか。いくつか、

の意でも使うが、上述の例や、

そこばくの捧げ物を木の枝につけて(伊勢物語)、

と、

数量の多いさま、程度のはなはだしいさまを表わす、

意で使い(精選版日本国語大辞典)、漢語「若干」の意をはみ出している。類聚名義抄(11~12世紀)にあるように、

若干・無限・多・多少、そこばく、

と、その意味の幅の広さを示している。

「そこばく」は、

ソコバに副詞語尾クをつけた、

形で、許多(ここだ)くhttp://ppnetwork.seesaa.net/article/485780752.htmlで触れたように、「そこば」は、

はねかづら今する妹は無かりしをいづれの妹そ幾許(そこば)恋ひたる(万葉集)、

と、

幾許(そこば)、

と当てる。ために、「そこばく」も、

幾許、

とも当てる(精選版日本国語大辞典)。

「そこば」「そこばく」の、

バはイクバク、ココバのバに同じ。量・程度についていう語、

である(岩波古語辞典)が、この、

そこば—そこばく、

は、

ここだ―ここだく、
ここば―ここばく、

の関係に等しい(精選版日本国語大辞典)。平安時代には、

数量の多いさまを表わす語として、「そこら」「ここら」が和文に用いられるのに対して、「そこばく」は「若干」等の訓読語として用いられた。和文では、「ここら」と「そこら」に「こ━そ」の指示領域に関係した使い分けが見られるが、訓読文では「そこばく」が専ら用いられ、多く「そこばくの」という形で連体修飾語となる、

とあり(仝上)。「ここら(幾許)」は、許多(ここだ)くhttp://ppnetwork.seesaa.net/article/485780752.htmlで触れたように、

こんなに数多く、
こんなに甚だしく、

の意の、

夕影に来(き)鳴くひぐらし幾許(ここだ)くも日ごとに聞けど飽かぬ声かも(万葉集)、

と使う「ここだ」(幾許)が、

秋の夜を長みにかあらむ何ぞ許己波(ココバ)寝(い)の寝(ね)らえぬも独り寝(ぬ)ればか(万葉集)、

と使う「ここば(幾許)」に、さらに、

もみぢばのちりてつもれる我やどにたれをまつむしここらなくらん(古今集)、

と「ここら」へと訛り、

ここだ→ここば→ここら、

と転訛したものだが、

平安時代末から中世にかけては、「ここら」「そこら」の用例数は次第に減るが、「そこばく」は引き続き用いられ、「そくばく」「そこそばく」といった形も生じた、

とある(精選版日本国語大辞典)。

ソ、コは其(そ)、此(こ)にて、ソコ、ココなり、バクはばかり(程度の意、そこはか、いくばく、いかばかり、万葉集「わが背子と二人見ませば幾許(いくばく)かこの降る雪のうれしからまし」「幾許(いかばかり)思ひけめかも」)にて、そこら、ここら程の意(今も五十そこそこの年などと云ふ、是なり)、又そこば、そくばく、そこだく、そこだ、そこらく、そこら、そきだく、などと云ふも、或は下略し、或は音轉相通じ、意は多少変はれども、語原は同じ(伐(こ)る、きる。踵(くびす)、きびす。撃(たた)く、はたく。いくだ、いくら。斑斑(はだら)、離散(はらら))。又、ここばくとも云ふも、其(そ)、此(こ)と云ふを、此(こ)、此(こ)と云ふにて、意は同じ。ここば、ここだく、ここだ、ここら、こきばく、こきだく、こきだ、など云ふも、前に云へると同例なり、

とある(大言海)ように、「其」「此」と「指示領域に関係した使い分け」(精選版日本国語大辞典)からきているとするのは一つの考えだが、

ここだ(く)→ここば(く)→ここら、

と、

そこば(く)、
いくばく、

とは明らかに音韻的なつながりがある。とするなら、

これほどまでの、こんなにもの意のカクバカリの語形が変化したもの、

と(語源を探る=田井信之)、音韻変化から、関係性を見るのもまた一つの見識である。そのもとは、

斯く許りすべなきものか世の中の道(山上憶良)、

の、

これほどまでに、
こんなにも、

の、

斯く許り、

で、許多(ここだ)くhttp://ppnetwork.seesaa.net/article/485780752.htmlで触れたように、

バカリ(許り)は「程度・範囲」(ほど、くらい、だけ)、および「限度」(のみ、だけ)を表す副詞である。カリ[k(ar)i]の縮約で、バカリはバキに変化し、さらに、バが子交(子音交替)[bd]をとげてダキ・ダケ(丈)に変化した。「それだけ読めればよい」は程度を示し、「君だけが知っている」は限定を示す用法である。
ばかり(許り)は別に「バ」の子交[bd]でダカリ・ダカレになり、「カレ」の子音が転位してダラケ(接尾語)になった。
カクバカリ(斯く許り)という副詞は、カ[ao]・ク[uo]の母交(母音交替)、カリ[k(ar)i]の縮約でココバキ・ココバク(幾許)になり、さらに語頭の「コ」が子交[ks]をとげてソコバク(許多)に転音した。すへて、「たいそう、はなはだ、たくさん」という意の副詞である。「ココバクのしゅうの御琴など、物にかき合わせて仕うまつる中に」(宇津保物語)、「この山にソコバクの神々集まりて」(更級日記)。
ココバク(幾許)が語尾を落としたココバ(幾許)は、「バ」が子交[bd]をとげてココダ(幾許)になり、さらに子交[dr]をとげてココラに転音した。「などここば寝(い)のねらえぬに独りぬればか」(万葉)、「なにぞこの児のここだ愛(かな)しき」(万葉)、「さが尻をかきいでてここらの公人(おおやけびと)に見せて、恥をみせむ」(竹取)。「幾許」に見られるココバ[ba]・ココダ[da]・ココラ[ra]の子音交替は注目すべきである。
ココダク(幾許)は、語尾の子交[ks]、ダの子交[dr]の結果、ソコラクに転音した。「このくしげ開くな、ゆめとそこらくに堅めしことを」。
ココラは語頭の子交[ks]]でソコラに転音した。「そこらの年頃そこらの黄金給ひて」(竹取)。
スコシバカリ(少し許り)は、「シ」の脱落、カリ[k(ar)i]の縮約で、スコバキ・ソコバキ・ソコバク(若干)に転音した。ソコバク(許多)とは同音異義語である。「いくらか、多少」の意味で、「そこばくの捧物を木の枝につけて」(伊勢)という。
イカバカリ(如何許り)は、カリ[k(ar)i]の縮約でイカバキになり、イカバクを経てイクバク(幾許)に転音した。「どれくらい、何ほど」の意の副詞として「わがせこと二人見ませばいくばくかこの降る雪のうれしからまし」(万葉)という。語尾を落としたイクバは、バの子交[bd]でイクダ(幾許)、さらにダの子交[dr]でイクラ(幾ら)になった。すべて万葉集にみえている、

とみる(日本語の語源)のも注目すべきである。

ラは幾らのラ、ココバの平安時代以後の形、

とされ(岩波古語辞典)、

ここだ(く)→ここば(く)→ここら、

という用例の時代変化と多少の齟齬はあるが、

斯く許り→ココバク(幾許)→ソコバク、ココバ(幾許)→ソコバ、ココダク(幾許)→ソコダク、ココダ(幾許)、
少し許り→スコバキ→ソコバキ→ソコバク(若干)、

といった大まかな音韻転訛の流れをみることができる。こう見ると、「其」「此」は、音韻変化の結果そうなったのであって、語源ではないということになるのだが。

「若」 漢字.gif

(「若」 https://kakijun.jp/page/0896200.htmlより)

「若」(漢音ジャク・ジャ、呉音ニャク・ニャ)は、

象形。手を挙げて祈る巫女を象る物であり、「艸」(草)とは関係ない。髪をとく、体の柔らかい女性を象る(藤明保堂)。手や髪の部分が、草冠のように変形した。後に「口」を添え、「神託」の意を強くした(藤堂)、又は、神器を添えたものとも(白川静)。神託から、「かく」「ごとし」の意が生じる。「わかい」巫女が祈ることから、「わかい」の意を生じたものか。音は、「女」「如」「弱」「茹」等と同系で、「やわらかい」の意を含む、

と、字源説が微妙に違いhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%8B%A5、「巫女」由来は同じだが、

象形。しなやかな髪の毛をとく、からだの柔らかい女性の姿を描いたもの。のち、草冠のように変形し、また口印を加えて、若の字になった。しなやか、柔らかく従う、遠まわしに柔らかく指さす、などの意を表す。のち、汝(ジョ)・如(ジョ)とともに「なんじ」「それ」を指す中称の指示詞に当てて用い、助詞や接続詞にも転用された(漢字源)、

象形。もと、髪をふり乱し、両手を前にさし出した巫女(みこ)の形にかたどり、のち、口(お告げ)が加えられた。神託を受けた者、転じて、かみ(神)、「したがう」の意を表し、借りて、助字に用いる(角川新字源)、

象形文字です。「髪をふりだし我を忘れて神意を聞き取る巫女」の象形から、神意に「したがう」を意味する「若」という漢字が成り立ちました。また、「弱(ジャク)」に通じ(同じ読みを持つ「弱」と同じ意味を持つようになって)、「わかい」の意味も表すようになりましたhttps://okjiten.jp/kanji947.html

と、微妙な解釈の違いがある。

「若」 甲骨文字・殷.png

(「若」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%8B%A5より)

「干」(カン)は、「野干」http://ppnetwork.seesaa.net/article/485021299.htmlで触れたように、

象形。二股の棒をえがいたもの。これで人を突く武器にも、身を守る武具にも用いる。また突き進むのはおかすことであり、身を守るのは盾である。干は、幹(太い棒、みき)、竿(カン 竹の棒)、杆(カン てこ)、桿(カン 木の棒)の原字。乾(ほす、かわく)に当てるのは、仮借である、

とある(漢字源)。別に、

象形。二股に分かれた棒で、攻撃にも防御にも用いる。干を持って突き進みおかす。「幹」「竿」「杆」「桿」の原字。「幹」の意から、「十干」や「肝」の意を生じた。「乾」の意は仮借であり、「旱」「旰」は、それを受けた形声文字https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B9%B2

象形。先にかざりを付けた盾(たて)の形にかたどる。ひいて、「ふせぐ」「おかす」意を表す(角川新字源)、

などの解釈もある。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2022年04月20日

恥しめる


所領の二、三十ヶ国なりとも、替へて賜らでは叶はじとぞ恥(はじ)しめける(太平記)、

にある、

恥しめる、

は、

たしなめる、

意と注記がある(兵藤裕己校注『太平記』)。

「恥しめる」は、

恥ぢしめる、

とも表記する(岩波古語辞典)が、

恥(ぢ)しむ、

は、

令恥(はづかしむ)の転、

であり(大言海)、

身づからを、ほけたり、ひがひがしと宣ひはぢしむるは、ことわりなる事になむ(源氏物語)、

と、

恥ずかしめる、
侮辱する、

意(精選版日本国語大辞典・大言海)で、

貪(むさぼ)る心にひかれて、みづから身をはづかしむるなり(徒然草)、

の、

恥づかしむ、

に同じ(仝上)で、

恥ずかしい思いをさせる、
侮辱する、

意である。この、

人を恥ずかしいという思いにさせる、

という意の延長線上で、

千騎が一騎になるまでも、引くなと互いにはぢしめて(太平記)、
コレホド ココロガ カイナウテワ、ブツダウガ アル モノカ、ナラヌ モノカト ココロニ ココロヲ fagiximete(ハヂシメテ)(「天草本平家(1592)」)、

などと、

(恥を知るように)戒める、
たしなめる、

意にもなる(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)。

「はぢ(じ)」http://ppnetwork.seesaa.net/article/424025452.htmlで触れたように、「はぢ」の語源は、手元では、

端(は)+づ、

とし、

端末にいる劣等感、

とする説(日本語源広辞典)しか見当たらないが、

自分の能力・状態・行為などについて世間並みでないという劣等意識を持つ意、

とする(岩波古語辞典)のと符合しないでもない。

中央から外れている、末端にいる劣等感、

から、

(自分の至らなさ、みっともなさを思って)気が引ける、

となるし、逆に、

(相手を眩しく感じて)気後れする、

となり、結果として、

照れくさい、

という意味になる。「はにかむ」は、

歯+に+噛む、で、遠慮がちに恥ずかしがる様子が、歯に物をかむようなので、はにかむという(日本語源広辞典)、

とする説もあるが、

ハヂカム(恥)の転(大言海・国語の語根とその分類=大島正健)、

とする説の、

恥を知って、恥ずかしがる、

と、

恥、

とつなげた方が、意味の連続性があるのではないか。なお、「はし(橋、端、梯、箸、嘴、階)」http://ppnetwork.seesaa.net/article/473930581.htmlについては触れた。

また、「はじ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/424025452.htmlに当てる漢字には、

恥、はぢ、はづると訓む。心に恥ずかしく思う、論語「行己有恥」、中庸「知恥近乎勇」、
辱、はずかしめ、栄の反。外聞悪しきを言う、転じて賓客応酬の辞となり、かたじけなしと訓む。降屈の義なり拝命之辱とは、貴人の命の降るを拝する義なり、曲禮「孝子不登危、懼辱親也」、
忝、辱に近し。詩経「亡忝爾所生」、
愧、おのれの見苦しきを人に対して恥ずる。醜の字の気味あり、媿に作る。韓文「仰不愧天、俯不愧人、内不愧心」、
慙、慙愧と連用す、愧と同じ。はづると訓むが、はぢとは訓まず。孟子「吾甚慙於孟子」、
怍、はぢて心を動かし、色を変ずるなり。礼記「容母怍」、
羞、はぢてまばゆく、顔の合わせがたきなり、婦女子などの、はづかしげにするなどに多く用ふ、
忸・怩・惡の三字、ともに羞づる貌、
僇(リク)、大辱なり、さらしものになるなり、
赧(タン・ダン)、はぢて赤面するなり、
詬(ク・コウ)、悪口せられてはづる義、言に従ひ、垢の省に従ふ、

等々とある(字源)。別に、

羞は、恥じて心が縮まること、愧は、はずかしくてこころにしこりがあること。「慙愧」と熟してもちいる。辱も柔らかい意を含み、恥じて気後れすること。忸は、心がいじけてきっぱりとしないこと。慙は、心にじわじわと切り込まれた感じ、

とあり(漢字源)、『字源』の説明と微妙にずれる。

「恥」 漢字.gif

(「恥」 https://kakijun.jp/page/1096200.htmlより)

「恥」(チ)は、

会意兼形声。耳(ジ・ニ)は、やわらかいみみ。恥は「心+音符耳」で、心が柔らかくいじけること、

とある(漢字源)が、別に、

会意。「心」+「耳」、恥ずかしくてその様子が耳に出る様。「耳」は音符、かつ、柔らかいことを象徴し、心がなよなよとすることを表わすとも(藤堂)

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%81%A5

会意文字です(耳+心)。「耳」の象形と「心臓」の象形から、はずかしくて耳を赤くする事を意味し、そこから、「はじる」、「はじ」を意味する「恥」という漢字が成り立ちました

ともありhttps://okjiten.jp/kanji1170.html

恥ずかしくてその様子が耳に出る様、

はよく「恥」の体感を言い得ている気がする。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:恥しめる
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