2022年04月21日
羅綺
羅綺にだも堪へざるかたち、誠にたをやかに物痛はしげにて、未だ一足も土をば踏まざりける人よと覚えて(太平記)、
にある、
羅綺(らき)にだも堪へざるかたち、
は、
薄絹の衣の重さにも堪えられそうにないさま、
の意とある(兵藤裕己校注『太平記』)。
羅綺に任(た)へえざるがごとし(陳鴻傳『長恨歌傳』)、
に典拠しているらしい(仝上)。
「羅綺」は、
羅(うすもの)と綺(あやぎぬ あや・模様のある絹の布)、
の意で、それをメタファとして、
美しい衣服、
の意でも使うが、上記の引用は、
うすい絹のように軽いもの、
の喩えとして使っている。「羅」は、
本来、鳥網の意味で、経糸を交互にからみ合わせてその中に緯糸を通し、網をすくうようにして織った、目の粗い絹織物のこと、
をいい、「あやぎぬ」は、
細かい綾模様を織り出した綸子の一種で、きらきらする光沢のある紋織物、
を指す(http://www.so-bien.com/kimono/%E7%A8%AE%E9%A1%9E/%E7%B6%BA%E7%BE%85.html)とある。
「羅綺」は、
皆得服綾錦羅綺紈(ガン 白絹)素金銀篩鏤之物(魏史・夏侯尚傳)、
と使う(字源)が、
河北則羅綾紬紗鳳翮葦席(玉海)、
と、
羅綾(らりょう)、
も、
うすぎぬとあやぎぬ、
と、同じ意味になるし、
車乗填街衢、綺羅盈府寺(顔氏家訓)、
と、「羅綺」の逆、
綺羅、
も、
あやぎぬとうすぎぬ、
の意となる(仝上)。「綺羅」は、
隙駟(ゲキシ 月日のたつのが早いこと)追ひがたし、綺羅の三千暗に老いんだり(和漢朗詠集)、
と、
装い飾ること、
はなやかであること、
の意や、
世のおぼえ、時のきら、めでたかりき(平家物語)、
と、
栄花をきわめること、
威光が盛んであること、
寵愛を受けること、
と言った意味でも使う(広辞苑)。
「きら」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/449864898.html)で触れたように、「綺羅」は、
綺羅、星の如く、
と使われ、
綺羅を磨く、
と、
華美を凝らす、
という意で使う。
綺羅星、
は、
綺羅、星の如く、
の意で、
暗夜にきらきらと光る無数の星、
を意味するが、
「綺羅」は美しい衣服のことで、「綺羅、星の如し」は、美しい服の人が居並ぶ様子。「綺羅星」で輝く星とするのは誤解から生じた、
とある(擬音語・擬態語辞典)。
「羅」(ラ)は、
会意。「网(あみ)+維(ひも、つなぐ)」
とあり(漢字源・https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%BE%85)、
网と、維(つなぐ意)とから成り、あみを張りめぐらす意を表す、
ともあり(角川新字源)、また、
会意文字です(罒(网)+維)。「網」の象形と「より糸の象形と尾の短いずんぐりした小鳥と木の棒を手にした象形(のちに省略)」(「鳥をつなぐ」、「一定の道筋につなぎ止める」の意味)から、「鳥を捕える網」を意味する「羅」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji2007.html)。
「綺」(キ)は、「綺ふ」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/484547997.html)で触れたように、
会意兼形声。「糸+音符奇(まっすぐでない、変わった形)」、
とあり(漢字源)、「あや」「あやぎぬ」の意で、別に、
会意兼形声文字です(糸+奇)。「より糸」の象形(「糸」の意味)と「両手両足を広げた人の象形と、口の象形と口の奥の象形(「かぎ型に曲がる」の意味)」(「普通ではない人、優れている人」の意味)から、「目をうばうような美しい模様を織りなした絹」を意味する「綺」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji2359.html)。現存する中国最古の字書『説文解字(100年頃)』には、
綺、文繪(あやぎぬ)也、
とある(大言海)。
参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2022年04月22日
あやめも知らぬ
あやめも知らぬわざは、いかでかあるべきと思ひながら、いわんかたなく(太平記)、
にある、
あやめも知らぬ、
は、
物事の分別もつかない振舞い、
と注記があり(兵藤裕己校注『太平記』)、
郭公(ほととぎす)鳴くやさつきのあやめ草あやめ知らぬ戀もするかな(古今和歌集)、
の用例が引かれているが、
あやめ(文目)もわかぬ(ず)、
あやめもつかぬ、
などという言い方もし、
あやめもつかぬ暗の夜なれば、ここを何処としるよしなけれど(当世書生気質)、
と、文字通り、
暗くて物の模様や区別がはっきりしないさま、
の意から、それをメタファに、
燈燭(ともしび)滅(きえ)て善悪(アヤメ)もわかず(椿説弓張月)、
と、
物事をはっきり識別できない、
物の区別がわからない、
意や、
あらはれていとど浅くも見ゆるかなあやめもわかずなかれける音(ね)の(源氏物語)、
と、
判断力の不足などで、物事を筋道立てて考えられない、
物事の分別がつかない、
意でも使う(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)。「あやめ」は、多く、
文目、
と当てるが、「あやめ」の「あや」は、
文、
と当てると、
水の上に文(あや)織りみだる春の雨や山の緑をなべて染むらむ(新撰万葉集)、
と、
物事の表面のはっきりした線や形の模様、
の意で、それをメタファに、
事物の筋目、
の意でも使うが、この意の場合、
薪を折るに其の木の理(あや)に随ふ(法華経玄賛平安初期点)、
と、
理、
を当てたりする(岩波古語辞典)。また、
沓をだにはかず行けども錦綾(にしきあや)のなかにつつめる斎(いつ)き児も妹にしかめやま(万葉集)、
と、
綾、
と当てると、
綾織物、
の意となり、それをメタファに、
秋来れば野もせに虫のおりみだる声のあやをばたれかきるらむ(後撰和歌集)
と使うと、
表現上の技巧、
の意となる(仝上)。なお、
漢、
も、
あや、
と訓ませるが、
漢人、
の意で、
漢人が文に関することを扱い、文をアヤといったらしい、
とある(仝上)が、
綾の義、古へ、始めて漢土と通じて、職工女を召され、其機織の勝れたるに因りて、遂に其の国名に呼びし語と思はる、秦も、繪(はた)なり、呉(くれ)も、朝鮮語にて、織文の意なり、
とある(大言海)故と思われる。
呉國使将呉所獻手末才伎(タナスヱノテビト)、漢織(アヤハトリ)、呉織(クレハトリ)云々等、泊於住吉津(雄略紀)、
とある、
あやはとり(漢織)、
は、
漢(あや)の繪(はた)織り(ハトリはハタオリの約)、
の約で、
漢の機織女、
の意となる(岩波古語辞典・大言海)。
「あや」は、
合への約(さやぐ、さやぐ。たがへず、たがやす)(大言海)、
アザヤカの略(日本釈名・柴門和語類集)、
アヒヨラス(相寄)の義(名言通)、
感嘆辞のアヤ(和句解・和訓栞・日本語源=賀茂百樹)、
などとあるが、天治字鏡(平安中期)には、
縵、繪无文。阿也奈支太太支奴(アヤナキタケギス)、
とある。「縵」は、「飾りのない絹布」の意なので、「文」の意味は分かるが、「あや」の由来にはつながらない。冗談ではなく、感嘆詞、
あや、
はあるのかもしれない。
手並みの程見しかば、あやと肝を消す、さもあれ手にもたまらぬ人かなと思ひけり(義経記)、
と使う、
感嘆詞「あや」は、古事記の、
阿夜訶志古泥(あやかしこね)、
にも使われている。
因みに、
あやめどり(菖蒲鳥)、
というと、
ほととぎす(杜鵑)の異名、
になる。花の「あやめ」については、「いずれ菖蒲」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/472100786.html)で触れた。
「文」(漢音ブン、呉音モン)は、
象形。土器につけた縄文の模様のひとこまを描いたもので、こまごまと飾り立てた模様のこと。のち、模様式に画いた文字や、生活のかざりである文化などの意となる。紋の原字、
とあり(漢字源)、「あや」「模様」の意から、「かざり」の意などでも使い、中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)には、
類に依り形の象る。故に之を文といふ、
とある(仝上)。別に、
象形。胸に文身(いれずみ)をほどこした人の形にかたどり、「あや」の意を表す。ひいて、文字・文章の意に用いる、
とか(角川新字源)、
象形。衣服の襟を胸元で合わせた形から、紋様、引いては文字や文章を表す、
とか(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%96%87)、
象形文字です。「人の胸を開いてそこに入れ墨の模様を描く」象形から「模様」を意味する「文」という漢字が成り立ちました、
とか(https://okjiten.jp/kanji170.html)、「文身(からだに入墨する)」とする説が目につく。
(「文」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%96%87より)
「目」(漢音ボク、呉音モク)は、「尻目」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/486290088.html?1649013975)で触れたように、
象形。めを描いたもの、
であり(漢字源)、
のち、これを縦にして「目」、ひいて、みる意を表す。転じて、小分けの意に用いる、
ともある(角川新字源)。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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2022年04月23日
曲水の宴
三月には、三日の御燈(帝が北斗七星に燈明を捧げる儀)、曲水(ごくすい)の宴、薬師寺の最勝会(さいしょうえ)、石清水の臨時の祭、東大寺の授戒(太平記)、
とある、
曲水の宴、
は、
詩歌を詠む遊宴、
と注記がある(兵藤裕己校注『太平記』)。「曲水の宴」は、
きょくすいのうたげ(えん)、
ごくすいのうたげ(えん)、
とも訓ませ、
曲水流觴(きょくすいりゅうしょう)、
曲水豊の明かり(めぐりみずのとよのあかり)、
ともいう(広辞苑・精選版日本国語大辞典・字源)。「曲水」は、
庭園または樹林・山麓を曲がり流れる水、
を意味するが、通常、
曲水の宴の略、
の意で用い、
曲宴、
流觴(りゅうしょう)、
巴字盞(はじさん)、
ともいう(広辞苑・デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典)。
庭に曲溝を作り水を引き入れ、公卿がその両側に坐って酒杯を浮かべ、酒杯が上流から流れて来て自分の前を過ぎないうちに詩歌を詠じて酒杯をとって酒を飲む宴、
であり、天平勝宝二年(750)三月三日に、
漢人(からひと)も筏(いかだ)浮かべて遊ぶてふ今日そ我が背子(せこ)花縵(はなかづら)せな(大伴家持)、
と、曲水の宴を詠ったように、
中国の上巳(じょうし)の節句を伝えて、巳(み)の日の祓へとしたが、奈良時代頃から三月三日となり、摂関時代には貴族の邸でも行われた、
とある(岩波古語辞典)。この日の祓いの具として人形を流すことも行われ、
流し雛、
の起源ともされる(https://omatsurijapan.com/blog/kyokusuinoen-yurai-rekishi/)。「上巳」は、
古く中国で、はじめ三月の初めの巳(み)の日を上巳とよび、魏晉以後は三月三日を上巳として、みそぎをして不祥を払う行事が行なわれた、
ことに端を発する(精選版 日本国語大辞典)。ただ、
水上から流れてきた盃が自身の前を流れるまでに歌を詠む、
とする説は、
曲水の宴が行われなくなった室町時代の『公事根源』などの記述が発祥となったとみられ、平安時代の曲水の宴の様子を描いた『御堂関白記』などを見てもこうした事実ではなかったと考えられている、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%B2%E6%B0%B4%E3%81%AE%E5%AE%B4)。因みに、室町時代に書かれた有職故実書『公事根源』(一条兼良)には、曲水宴について、
是は昔、王卿など参りて、御前にて詩を作て、講ぜられけるにや、御溝水(ミカハミヅ)に盃を浮べて、文人以下、これを飲む由、康保の御記に載せられたり、……曲水宴は、周の世より始まりけるにや、文人ども、水の岸に並(な)み居て、水上より盃を流して、我が前を過ぎざるさきに、詩を作て、其の盃を取りて飲みけるなり、
とある(大言海)。これによる説らしい。
中国では、
曲水流觴、
として、
此地有崇山峻嶺茂脩竹、又有清流激湍、映帯左右、引以為流觴曲水(王義之・蘭亭集序)、
と、
晉の永和九年(353)三月三日、王義之、文人を会稽山陰の蘭亭にあつめ此の遊びを為す、
とある(字源)のが有名である。
曲折せる水流に盃を泛べて飲む、
とあり(字源)、
盃を水に流して宴を行う(流觴曲水=盃を曲水に流す)、
意である。
その際に詠じられた漢詩集の序文草稿が王羲之の書、
蘭亭序、
である(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%B2%E6%B0%B4%E3%81%AE%E5%AE%B4)。ここから、この宴が起因した、とする説もある(大言海)が、
武帝(司馬炎(しば えん) 西晋初代皇帝)閒三日曲水之義、皙曰、昔周公城洛邑、因流水泛酒、故逸詩云、羽觴曲水、其来已久、蘭亭之會、襲而作此、非創為也、
とある(晉書・東皙傳)。
「曲」(漢音キョク、呉音コク)は、
象形、曲がったものさし描いたもので、曲がって入り組んだ意を含む、
とあり(漢字源)、直の対、邪の類語になる。別に、
象形。木や竹などで作ったまげものの形にかたどり、「まがる」「まげる」意を表す。転じて、変化があることから、楽曲・戯曲の意に用いる、
ともある(角川新字源)。
(「曲」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9B%B2より)
「水」(スイ)は、
象形。水の流れの姿を描いたもの、
である(漢字源)。
(「水」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%B0%B4より)
「宴」(エン)は、
会意兼形声。晏(アン)は、「日+音符安」からなり、日が落ちること。宴は「宀(いえ)+音符晏の略体」で、家の中に落ち着きくつろぐこと。上から下に腰を落としてやすらかに落ち着く意を含む、
とあり(漢字源)、
屋内でくつろぐ、転じて、酒盛りして「たのしむ」意を表す、
とある(角川新字源)。別に、
会意兼形声文字です(宀+妟)。「屋根・家屋」の象形と「太陽」の象形と「両手をしなやかに重ねひざまずく女性」の象形から、おだやかな日に、女性が室内でやすらぐ事を意味し、そこから、「やすらか」、「くつろぐ」を意味する「宴」という漢字が成り立ちました、
との解釈もある(https://okjiten.jp/kanji1518.html)。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2022年04月24日
衆合叫喚
ただ衆合叫喚(しゅごうきょうかん)の罪人も、かくやと覚えてあはれなり(太平記)、
にある、
衆合叫喚、
は、
八熱地獄のうち、相対する鉄山が両方から崩れて罪人を圧殺する衆合地獄と、熱湯や猛火の鉄室に入れられた罪人が泣き叫ぶ叫喚地獄、
をさす(兵藤裕己校注『太平記』)。
「八熱(はちねつ)地獄」は、
八大地獄、
の別称で、
八大奈落、
ともいい、仏教で、
殺生、偸盗、邪淫、飲酒、妄語などを行なった者が死後におもむく、
といわれ(ブリタニカ国際大百科事典・精選版日本国語大辞典・広辞苑)、
焔熱によって苦を受ける、
八種の地獄、
とされ(広辞苑)、経典により異動があり、大智度論では、
活大地獄、黒縄地獄、合會地獄、叫喚地獄、大叫喚地獄、大熱地獄、大熱大地獄、阿鼻大地獄、
とあり、
是等種々八大地獄周圍其外、後有十六小地獄、
とあり(大言海)、倶舎論では、
衆生が住む閻浮提の下、4万由旬を過ぎて、最下層に無間地獄(むけんじごく)があり、その縦・広さ・深さは各2万由旬ある。その上の1万9千由旬の中に、下から大焦熱・焦熱・大叫喚・叫喚・衆合・黒縄・等活の7つの地獄が重層し、総称して八大(八熱)地獄という、
とあり、原始仏教の経典、長阿含経(じょうあごんきょう)では、階層構造ではなく、十地獄ともども世界をぐるりと取り囲む形で配置され、第一地獄から順に、
想地獄(等活地獄)、
黒縄地獄、
堆圧地獄、
叫喚地獄、
大叫喚地獄、
焼炙(しょうしゃ)地獄(焦熱)、
大焼炙(だいしょうしゃ)地獄(大焦熱)、
無間地獄、
とされる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E5%A4%A7%E5%9C%B0%E7%8D%84)が、一般には、
等活(とうかつ)、
黒縄(こくじょう)、
衆合(しゅごう)、
叫喚(きょうかん)、
大叫喚、
焦熱(しょうねつ)、
大焦熱、
阿鼻(あび)、
か(ブリタニカ国際大百科事典)、
等活(とうかつ)、
黒縄(こくじょう)、
衆合(しゅごう)、
叫喚(きょうかん)、
大叫喚、
焦熱(しょうねつ)、
大焦熱、
無間(むげん)、
とされる(広辞苑・精選版日本国語大辞典・大言海)が、阿鼻と無間の違いは訳語の違い。その詳細は「八大地獄」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E5%A4%A7%E5%9C%B0%E7%8D%84)に譲るが、八大地獄の第一の「等活地獄」は、
殺生罪を犯した者が堕ちるといわれ、五体を裂かれて粉砕されるが、涼風が吹いて元の身体となり、再び咲かれる苦しみを繰り返す、殺されても前と等しく何度も活きかえされるのでこの名がある、
とある(広辞苑)。黒縄地獄の下に位置する八大地獄の第三の「衆合地獄」は、その10倍の苦を受け、
堆圧地獄、
の別名を持ち(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E5%A4%A7%E5%9C%B0%E7%8D%84)、
殺生、偸盗、邪淫を犯したものの落ちるところ。鉄山におしつぶされたり、落ちてくる大石につぶされたり、臼の中でつかれたりする苦を受け、また、十六の別所(小地獄)で、さまざまな苦しみを受ける、
という(精選版日本国語大辞典)。その下の第四番目の「叫喚地獄」は、その10倍の苦を受け、
熱湯の大釜(大鍋)の中で煮られたり、猛火の鉄室に入れられて号泣、叫喚する、
とある(仝上)。地獄の最下層に位置する八番目の「無間地獄」は、
阿鼻(あび)地獄、
とも言うが、これは、「阿鼻」が、
梵語avīciの音訳、
で、それを、
無間(むけん)、
と漢訳したための違い。
現世で五逆・謗法などの最悪の大罪を犯した者が落ちる、地獄の中で最も苦しみの激しい所、
とされ(精選版日本国語大辞典・広辞苑)、
間断なく剣樹・刀山・鑊湯(かくとう 「鑊」は釜の意、釜の中の湯)などの苦しみを受ける、
とあり(広辞苑)、
大きさは前の7つの地獄よりも大きく、縦横高さそれぞれ2万由旬(8万由旬とする説もある)。最下層ゆえ、この地獄に到達するには、真っ逆さまに(自由落下速度で)落ち続けて2000年かかる、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E5%A4%A7%E5%9C%B0%E7%8D%84)。
(「六道絵」(閻魔王庁図・阿鼻地獄図・等活地獄図・人道不浄相図十五幅の一部)鎌倉時代 聖衆来迎寺 https://intojapanwaraku.com/art/2105/より)
衆合叫喚、
が、
衆合地獄と叫喚地獄、
を指すとするなら、
阿鼻叫喚、
は、
阿鼻地獄と叫喚地獄、
を取り合わせた謂いで、
阿鼻地獄の苦に堪えられないで泣き叫ぶさま、
を言うが、それをメタファに、
きわめてはなはだしい惨状を形容する語、
としても使う(広辞苑)。また、他にも、
今生より焦熱大焦熱の、炎に身を焦がしける(善悪報ばなし)、
というように、
焦熱地獄と大焦熱地獄、
を重ねて使うが、「焦熱地獄」は、
八大地獄の第六、殺生、偸盗、邪婬、妄語、飲酒、邪見の者がおちる地獄。罪人は熱鉄や鉄のかまの上に置かれて身をやかれ苦しめられる、
といい(精選版日本国語大辞典・広辞苑)、
きわめて暑いことのたとえ、
としても使い、「大焦熱地獄」の「大焦熱」は、
pratāpanaの訳語、
で、八大地獄の第七番目。焦熱地獄の下、無間地獄の上にあり、罪人は炎熱で焼かれ、その苦は他の地獄の十倍といわれる。殺生・偸盗・邪婬・妄語・邪見などの罪を犯したものが、無量億千歳にわたって苦を受ける、
といい(仝上)、
焦熱大焦熱、
と重ねることで、その恨みの炎の暑さとすさまじさを強調している。
因みに、地獄には、
熱地獄、
のほかに、
寒地獄、
孤地獄、
の三種がある(http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E9%98%BF%E9%BC%BB%E5%8F%AB%E5%96%9A)らしい。
「地」(漢音チ、呉音ジ)は、
会意兼形声。也(ヤ)は、うすいからだののびたサソリを描いた象形文字。地は「土+音符也」で、平らに伸びた土地を示す、
とあり(漢字源・https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%9C%B0)、別に、
会意兼形声文字です(土+也)。「土の神を祭る為に柱状に固めた土」の象形(「土」の意味)と「蛇」の象形(「うねうねしたさま」を表す)から、「うねうねと連なる土地」)を意味する「地」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji81.html)。
(「地」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%9C%B0より)
「獄」(漢音ギョク、呉音ゴク)は、
会意。「犬+犬+言(角立てて言う)」で、二匹の犬が争うようにいがみ合って言い合うことを示す。かたくとげとげしいの意を含む、
とある(漢字源・https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%8D%84)。別に、
会意。㹜(ぎん=犾 あらそう)と、言(ことば)とからなり、うったえ争う、ひいて「ひとや」の意を表す、
とも(角川新字源)、
会意文字です(犭(犬)+言+犬)。「耳を立てた犬の象形×2」(「二犬が争うまたは、二犬が見張るまたは、いけにえの犬」の意味)と「取っ手のある刃物と口」の象形(「誓いの言葉または、うったえ争う」の意味)から、「人に威圧感を与える場所(地獄)」を意味する「獄」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji1310.html)。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
2022年04月25日
会笏
ただ、めでたき歌どもにて候へと、会笏せぬ人はなかりけり(太平記)、
敵の村立(むらだ)つたる中へ、会笏もなく懸け入らんとす(仝上)、
其時此老僧、会釈して(仝上)、
などとある、
会笏、
は、
会釈、
の当て字、最初の「会笏」は、
お世辞、
の意、
次の「会笏」は、
名乗り、
の意とある(兵藤裕己校注『太平記』)。最後の「会釈」は、
挨拶、
お辞儀、
の意と思われる。
「会釈」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/467504382.html)で触れたように、「会釈(ゑしゃく)」は、
凡そ諸経論の文は、人の信により、意楽(いげふ)によって、様々の会釈(ヱシャク)をのぶる者也(「真如観(鎌倉初)」)、
とあるように、
(仏語)和会(わえ)通釈の意。前後相違してみえる内容を互いに照合し、意義の通じるようにすること(広辞苑)、
仏教用語「和会通釈(わえつうしゃく)」の略である。和会通釈とは、一見矛盾する教義どうしを照合し、根本にある共通する真実の意味を明らかにすることである(語源由来辞典)、
(「和会(わえ)通釈」の意)仏語。一見矛盾しているように思われる異義、異説の相違点を掘り下げて、その根本にある、実は矛盾しない真実の意味を明らかにすること(精選版日本国語大辞典)、
中国語の「仏法を会得し解釈する」が本来の語源(日本語源広辞典)、
等々諸書、
和会通釈(わえつうしゃく)、
を由来とする。確かに、
会得して、心の中に釈然と解き得ること、
の意ではある(大言海)が、また、
相会ひて、打ち解け語らふこと、
の意ともある(大言海)。
「釋(釈)」(漢音シャク、呉音セキ)の字をみると、
会意兼形声。睪(エキ)は「目+幸(刑具)」から成り、手かせをはめた罪人を、ひとりつずつ並べて面通しすること。釋はそれを音符とし、釆(ばらばらにわける)を加えた字で、しこりをばらばらにほぐし、ひとつずつにわけて、一本の線に連ねること。釈は、音符を尺に換えた略字、
とある(漢字源)。「釋」は、「とく」意で、
しめて固めたものを、ひとつひとつ解きほぐす、分からない部分やしこりをときほぐす、
意で、「釈然(しこりがとけてさっぱりする)」「氷釈(氷がとけるようにほぐれる)」等々と使い、そこから、「保釈」といった「いましめをとく」意に転じ、「堅持不釈」と、「すてる」意となる。
「會(会)」(漢音カイ、呉音エ・ケ)の字は、
会意。「△印(あわせる)+會(増の略体 ふえる)」で、多くの人が寄り集まって話をすること、
とある(漢字源)。「会合」「会見」の「あう」とか、「機会」のようなめぐりあわせ、あるいは物事に「であう」意、「会心」の思い当たる意でもある(仝上)。
これらを考えると、「会釈」は、一般には、たしかに、
和会通釈(わえつうしゃく)
由来とされるが、もともと、
会得して、心の中に釈然と解き得ること、
あるいは、
打ちとけ語らふこと、
の意味があった(大言海)ものと思われる。だから、
一言会釈、一坐飲酒(説法明眼論)、
と、
仏教にては、法門の難儀を会得解釈すること、
に転用したのではあるまいか。勿論憶説ではあるが。
和会通釈(わえつうしゃく)、
は、
会通(えつう)、
和会、
融会(ゆうえ)、
ともいい、一般には、
一見矛盾しているように思われる異義、異説の相違点を掘り下げて、その根本にある、実は矛盾しない真実の意味を明らかにする、
意とされ、転じて、
義云。……未知、与此条若為会釈(「令集解(868)」)、
あまりに会釈すぎたり(成簣堂本沙石集)、
と、
あれこれ思い合わせて、納得できるような解釈を加えること
となり、転じて、
大納言の、其の心を会釈せらるるにや(無名抄)。
と、
前後の事情をのみこんで理会する、
意や、
人の心情けなくゑしゃく少なきところも、かかる世界におはせんも恐ろしう(「浜松中納言(11世紀中)」)、
と、
一方的でなくいろいろな方面に気を配ること、
あれこれの事情を考慮に入れること、
つまり、
遠慮会釈なく、
というように、
配慮、
斟酌、
心づかい、
の意になり、
又一定(いちじょう)をとはんをりは、両方に会尺(ゑしゃく)をまうくる由の案どもにて(「愚管抄(1220)」)、
と、
あれこれとやむを得ない事情を説明すること、
言いわけ、
申し開き、
の意から、
入道の弔ひ、当座の会釈とおぼえたり(源平盛衰記)、
と、
相手の心をおしはかって応対すること、
応接のもてなし、
の意や、
大矢の左衛門尉致経、あまたの兵(つはもの)を具してあへり。国司会尺する間致経がいはく(「宇治拾遺(1221頃)」)、
と、
儀礼にかなった応対、
儀礼的な口上を述べること、
あいさつ、
の意に転ずる。それが
Yexacuno(エシャクノ) ヨイヒト(「日葡辞書(1603~04)」)、
の、
好意を示す応対、
態度、
愛想、
の意となり、
えしゃくこぼす(愛敬ある様子をする)、
えしゃくこぼる(愛敬が顔に現われる)、
と使われ、江戸期になって、
役目なれば罷通ると、会釈(ヱシャク)もなく上座に着ば(「浄瑠璃・仮名手本忠臣蔵(1748)」)、
と、
えさく、
とも訛り、
ちょっと頭を下げて礼をすること、
軽いお辞儀、
一礼、
の意となる(精選版日本国語大辞典)。江戸語大辞典には、
軽くお辞儀する、
の意の外に、
しばしゑしやくせしが(「契情買虎之巻(安永七年(1778))」)、
と、
差し控える、遠慮する、
意でも使って、両者の距離の確認に代わっている。この意味は、
遠慮会釈もなく、
にわずかにその含意が残っている以外、今日は、
軽くお辞儀する、
にこやかにうなずく、
一礼する、
といった意になっている。因みに、「会釈」は、
あしらひ(い)、
と訓ませると、能楽で、
能楽の型の一つ。相手役の方に体を向けて、互いに気持を通わせること、
能の囃子でリズムにはっきりと合わせず伴奏すること、
拍子に合わない謡に、大、小の鼓または大、小の鼓と太鼓でする伴奏、
大、小の鼓または大、小の鼓と太鼓の囃子とは独立した、拍子に合わない笛の伴奏、
シテ、ワキなどの登場、退場の時に奏する伴奏、あしらい出し、あしらい込み、
シテの物着(ものぎ)の間に演奏する物着あしらい、また、シテが橋掛りから舞台に入る時演奏する歩みのあしらいなど、
狂言で、
伴奏すること、リズムに合わせても、色どり程度の伴奏なのでこう呼ぶ、
囃子事の総称。狂言会釈(きょうげんあしらい)とも呼ぶ、
相手に体を向けて適当に応対をすること(「長刀会釈(なぎなたあしらい)」という成句もある)、
俳諧で、
支考の付句論。連句において付け心の分類の1つ「七名(しちみょう)」の内の1つ。打越(うちこし 付句の前々句のこと。付句をする場合、この句と題材、趣向が似ることを嫌う)の難しいときなどに、前句の人の容姿や周辺の器材などをもって程よくその場をあしらってゆく方法、
長唄で、
自由な形で即興演奏する手法、
等々様々な意味で使われる(広辞苑・精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)。
(「會(会)」 https://kakijun.jp/page/kai13200.htmlより)
「會(会)」(漢音カイ、呉音エ)の字は、
会意。「△印(あわせる)+會(増の略体 ふえる)」で、多くの人が寄り集まって話をすること、
とした(漢字源)が、異説があり、
ふたのある鍋を象り、いろいろなものを集め煮炊きする様を言う、
という象形説(白川静)と、上記、
「亼」(集める)+「曾」(「増」の元字)多くの人が寄り集まることを意味する、
とする会意説(藤堂明保)とがあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9C%83)、
(「會」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9C%83より)
会意。曾(こしき)にふたをかぶせるさまにより、「あう」、ひいて「あつまる」意を表す。教育用漢字は省略形の俗字による(角川新字源)、
象形文字です。「米などを蒸す為の土器(こしき)に蓋(ふた)をした」象形から土器と蓋(ふた)が、うまく「あう」を意味する「会」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji257.html)、
曾(こしき)説、
の方が目につく。
「釋(釈)」(漢音シャク、呉音セキ)の字も、上記(漢字源)の、
会意兼形声。睪(エキ)は「目+幸(刑具)」から成り、手かせをはめた罪人を、ひとりつずつ並べて面通しすること。釋はそれを音符とし、釆(ばらばらにわける)を加えた字で、しこりをばらばらにほぐし、ひとつずつにわけて、一本の線に連ねること。釈は、音符を尺に換えた略字、
とする説以外に、
形声。釆と、音符睪(エキ)→(セキ)とから成る。種子をよりわける、ひいて、解き分ける、はなつなどの意を表す。常用漢字は俗字による、
とか(角川新字源)、
形声文字です(釆+尺(睪))。「獣の指のわかれている」象形(「分ける」の意味)と「人の目の象形と手かせの象形」(「罪人を次々と面通しする」意味だが、ここでは、「斁(エキ)」に通じ(同じ読みを持つ「斁」と同じ意味を持つようになって)、「固まりを分解する」の意味)から、「分解する」を意味する「釈」という漢字が成り立ちました。
とか(https://okjiten.jp/kanji1361.html)、
形成(意味を表す部分と音を表す部分を組み合わせて作られた)文字説、
が目につく。
「笏」(慣用シャク、漢音コツ、呉音コチ)は、
形成、「竹+音符勿(モツ・コツ)」、
で(漢字源)、
「笏」の本来の読みは「コツ」であるが、「骨」に通じるのを忌み、また日本で用いた笏の長さが一尺だったので「尺」の音を借りたもの、
とある(仝上)。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
2022年04月26日
輪宝
この時、虚空より輪宝(りんぽう)下り、剣戟(剣と鉾)降って、修羅の輩(ともがら)を分々(つだつだ)に裂き切ると見えたり(太平記)、
にある、
輪宝、
は、
りんぼう、
とも訓み(広辞苑・精選版日本国語大辞典)、
聖天子の転輪聖王(てんりんじょうおう)が持つ宝器、これが自転して王を先導して四方を征服・教化する、
とある(兵藤裕己校注『太平記』)。
(転輪聖王の石レリーフ、アショーカ王と思われる(紀元前1世紀) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%A2%E8%BC%AA%E8%81%96%E7%8E%8Bより)
「転輪聖王(てんりんじょうおう)」とは、
従此洲、人壽無量歳、乃至八萬有、転輪王生、……此王由輪旋轉、應導威伏一切、名轉輪王(俱舎論)、
と、
転輪王、
ともいい、
チャクラヴァルティラージャン(cakravartiraajan)あるいは、チャクラヴァルティン(cakravartin)の訳語、
で、
チャクラは「輪」、ヴァルティンは「動かすもの」、
の意味とされ、
古代インドの思想における理想的な王を指す概念、
とあり(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%A2%E8%BC%AA%E8%81%96%E7%8E%8B)、
世界は繁栄と衰退の循環を繰り返し、繁栄の時には人間の寿命は8万年であるが、人間の徳が失われるにつれて寿命は短くなり、全ての善が失われた暗黒の時代には10年となる。その後、人間の徳は回復し、再び8万年の寿命がある繁栄の時代を迎える。転輪聖王が出るのはこの繁栄の時代であり、彼は前世における善行の結果転輪聖王として現れる、
とあり(仝上)、転輪聖王は、
四天下を統一して正法をもって世を治める王。輪宝を転じて敵対するものを降伏させるところからこの名がある、
が、輪宝の種類(金・銀・銅・鉄)によって、
金輪王、
銀輪王、
銅輪王、
鉄輪王、
の4種があり、
鉄輪王は鉄の輪宝を持ち、(古代インドの世界観で地球上に4つあるとされた大陸のうち)1つの大陸、
を支配し、
銅輪王は銅の輪宝を持ち、2つの大陸、
を支配し、
銀輪王は銀の輪宝を持ち、3つの大陸、
を支配する。そして最上の転輪聖王である金輪王は、
金の輪宝を持ち、4つの大陸全てを支配する、
とある(仝上)。また、
若以三十二相、観如来者、轉輪聖王則是如来(金剛経)、
と、
輪宝のほかに六宝を有し、身に三十二相をそなえ、
出世間(解脱)の仏と対比される。これらの王が出現するときは、
金輪王は人間の寿命が無量から八万歳の間に出現し、鉄輪王は人寿百歳のとき、他はその間で一定しない、
という(仝上・精選版日本国語大辞典)。
この「転輪聖王」の「輪」とは、
聖王の感得せる輪宝、
の意であり(大言海)、「輪宝」は、
転輪聖王の感得する七宝の一つ、
で(広辞苑)、
車輪の形して、八方に鋒端を出す、これを用ゐて加持すれば、旋轉應導して、一切を威伏す、又、轉輪王の位に即く時、天より感得せしと云ふ宝器、
とある(大言海)。
(輪宝 精選版日本国語大辞典より)
転輪聖王遊行(ゆぎょう)の時、必ず先行して、四方を制する、
とある(仝上)。ちなみに、「七宝(しちほう)」とは
輪宝(チャッカラタナ cakkaratana) 四方に転がり、王に大地を平定させる、
象宝(ハッティラタナ hatthiratana) 空をも飛ぶ純白の象、
馬宝(アッサラタナ assaratana) 空をも飛ぶ純白の馬、
珠宝(マニラタナ maniratana) 発する光明が1由旬にも達する宝石、
女宝(イッティラタナ itthiratana) 美貌と芳香を持つ従順かつ貞節な王妃、
居士宝(ガハパティラタナ gahapatiratana) 国を支える財力ある市民、
将軍宝(パリナーヤカラタナ parinayakaratana) 賢明さ、有能さ、練達を備えた智将、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%A2%E8%BC%AA%E8%81%96%E7%8E%8B)。
また「輪宝」が、転輪王の所持する宝器であるところから、「輪宝」は、
転輪王、
転輪聖王、
の意ともされる(精選版日本国語大辞典)。
「輪」(リン)は、
会意兼形声。侖は、順序よく並ぶ意を含む。輪は「車+音符侖(リン)」で、軸の周りに整然と輻(や)が配列され、組み立てられたわのこと、
とある(漢字源)。ひいては、まるいものの意に用いる(角川新字源)。別に、
会意兼形声文字です(車+侖)。「車」の象形と「3線が合う事を示す文字と文字を書く為にヒモで結んだふだの象形」(「すじ道をたて考えをまとめる」の意味)から車のタイヤが放射状に秩序だって並んでいる、すなわち、「わ(車輪)」を意味する「輪」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji673.html)。
「寶(宝)」(慣用ホ、漢音呉音ホウ)は、
形声。「宀」+「玉」+「貝」+音符「缶 /*PU/」。音符を除いた部分は、宝石や貝貨といった貴重品が建物に収蔵された様子。{寶 /*puuʔ/}を表す字、
とする説と、
会意。「宀(建物)」に「玉」、「缶」、「貝」といった財貨を集めた様。「缶」は音を表す、
とする説があり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%AF%B6)、似ているようだが、
後者については、甲骨文字や金文などの資料と一致していない記述が含まれていたり根拠のない憶測に基づいていたりするためコンセンサスを得られていない、
ともある(仝上)が、
会意。「宀(かこう)+珠+缶(ほとぎ)+貝(かいのかね)」で、玉や土器や財貨などを屋根の下に入れ、大切に保管する意を示す(漢字源)、
会意形声。宀と、王(=玉)と、貝(貨幣)と、缶(フウ)→(ホウ 酒つぼ)とから成る。玉などをつぼに入れて家の中にたいせつにしまっておく、ひいて、財宝の意を表す(角川新字源)、
会意兼形声文字です(宀+玉+缶+貝)。「屋根・家屋」の象形と「3つ玉を縦ひもで貫き通した」象形と「酒などの飲み物を入れる腹部の膨らんだ土器」の象形と「子安貝(貨幣)」の象形から、屋内に宝石と貨幣と土器がある事を意味し、そこから、「たから」を意味する「宝」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1067.html)、
とほぼ前者の説である。
(「寶」 甲骨文字 http://jiagumima.cn/html/jiaguwenzidian_3485.htmlより)
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
2022年04月27日
三熱
あら熱や、堪へ難や。いで三熱の炎を醒まさんとて、閼伽井(あかい)の井の中へ蜚(と)びおりたければ(太平記)、
にある、
三熱、
は、「天人五衰」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/431420217.html)で触れたように、仏語で、
竜・蛇などのうける三つの苦悩、熱風・熱沙に身を焼かれること、悪風が吹いて住居・衣服を奪われること、金翅鳥(こんじちょう)に(子を)捕食されること、
を指す、とあり(広辞苑・精選版日本国語大辞典)、
三患、
ともいう。因みに、金翅鳥は、
迦楼羅者、是金翅鳥(倶舎論)、
とあるように、
迦楼羅(かるら)、
に同じであり、迦楼羅は、
梵語garuḍaの音写、
金翅鳥は、
garuḍaの訳語、
である(仝上)
「迦楼羅炎」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/486022291.html)で触れたように、金翅鳥は、
インド神話における巨鳥で、龍を常食にする、
とある(広辞苑)が、
インド神話において人々に恐れられる蛇・竜のたぐい(ナーガ族)と敵対関係にあり、それらを退治する聖鳥として崇拝されている。……単に鷲の姿で描かれたり、人間に翼が生えた姿で描かれたりもするが、基本的には人間の胴体と鷲の頭部・嘴・翼・爪を持つ、翼は赤く全身は黄金色に輝く巨大な鳥として描かれる、
とあり(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%AB%E3%83%80)、仏教に入って、
八部衆の一つ迦楼羅(かるら)とは別のものであったが、同一視され天竜八部衆の一として、仏法の守護神とされる。翼は金色、頭には如意珠がおり、常に口から火焔を吐くという。日本で言う天狗はこの変形を伝えたものとも言う、
とある(仝上)。
また、「閼伽井(あかい)」は、
仏に供える水を汲む井戸、
とある(兵藤裕己校注『太平記』)が、「閼伽」は、
梵語アルガarghaの音訳、
で、
阿伽、
遏伽、
とも表記する。
器、
功徳(くどく)水、
水、
と訳す。
価値あるもの、
の意で、
客人を接待するにもっとも必要な水を意味し、転じて神に供える捧(ささ)げ物の意となり、それを盛る容器の総称、
となったが、仏教では、
仏菩薩に献ずる聖水、
をさし、密教では、
仏や諸尊に捧げる六種供養(閼伽、塗香(ずこう)、華鬘(けまん)、焼香(しょうこう)、飲食(おんじき)、灯明(とうみょう))の一として、煩悩(ぼんのう)の垢(あか)を洗うもの、
とされる。一般には、
仏前や墓前などに供える神聖な水、
を、
閼伽水、
とし、この浄水をくむ井戸を、
閼伽井、
という(日本大百科全書・精選版日本国語大辞典)。ために、「閼伽」のみでも、
仏前に供える水を入れる器、
の意とする(仝上)。
「三」(サン)は、「三会」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/484736964.html)で触れたように、
指事。三本の横線で三を示す。また、参加の參(サン)と通じていて、いくつも混じること。また杉(サン)、衫(サン)などの音符彡(サン)の原形で、いくつも並んで模様を成すの意も含む、
とある(漢字源)。また、
一をみっつ積み上げて、数詞の「みつ」、ひいて、多い意を表す、
ともある(角川新字源)。
「熱」(漢音ゼツ、呉音ネツ・ネチ)は、
形声。埶は、人がすわって植物を植え、育てるさま。その発音を借りて、音符としたものが熱の字(セイ→ゼツ)。もと火が燃えて熱いこと。燃の語尾がつまったことば、
とある(漢字源・角川新字源)。別に、
形声文字です(埶+灬(火)。「人が植木を持つ」象形(「植える」の意味だが、ここでは「然」に通じ(「然」と同じ意味を持つようになって)、「火で焼く」の意味)と「燃え立つ炎」の象形から、「あつい」を意味する「熱」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji655.html)。
参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
2022年04月28日
探竿影草
城の背(うし)ろの深山(みやま)より、這う這う忍び寄りて、薄(すすき)、刈萱(かるかや)、篠竹(しのだけ)などを切って、鎧の札頭(さねがしら)、兜の鉢付(はちつけ 錣(しころ)の最上部)の板(いた)にひしひしと差して、探竿影草(たんかんようそう)に身を隠し(太平記)、
にある、
探竿影草(たんかんようそう)、
は、臨済宗では、
たんかんようぞう、
と訓ますようだが、臨済宗の禅語で、
身を隠す道具のこと、
と注記がある(兵藤裕己校注『太平記』)。いわゆる
師便すなわち喝(かつ)す、
における、
臨済喝、
つまり、
臨済四喝(しかつ)、
の一つとされる。「四喝」は、『臨済録』の「勘弁」第二十一則、
に
師問僧:「有時一喝、如金剛王宝剣;有時一喝、如踞地金毛獅子;有時一喝、如探竿影草;有時一喝、不作一喝用。汝作麼生会」僧擬議、師便喝、
とあり、
師、僧に問う、「有る時の一喝は、金剛王宝剣の如く、有る時の一喝は、踞地金毛の獅子の如く、有る時の一喝は、探竿影草の如く、有る時の一喝は、一喝の用(ゆう)を作(な)さず。汝作麼生(そもさん)か会す」と。僧議せんと擬(ほっ)するや、師便(すなわち)ち喝す、
とある(呉進幹「臨済禅の南伝と臨済宗の形成)。
「金剛王宝剣の如く」とは、
「金剛王宝剣」とは名刀の中の名刀のこと。この一喝で私たちの煩悩を初め、是非(ぜひ)善悪(ぜんあく)等一切の分別心を截断して、本来の自己に立ち返らせる働き、
で、その一喝を「金剛王宝剣の如し」という(http://www.rinnou.net/cont_04/zengo/080101.html)とある。「踞地(こじ)金毛の獅子の如く」とは、
「踞地」は、大地にうずくまること、「獅子」が今にも獲物に向かって飛びかかろうとする瞬間、目をらんらんと輝かせて、四方八方に細心の注意を払って、内に百雷の威力を秘めて大地に踞(こ)す姿に喩たとえて、「踞地金毛の獅子」という、
とあり(仝上)、この一喝は如何いかなる英雄でも肝をつぶすほどすさまじいと言わる。「探竿影草(たんかんようぞう)の如く」とは、
「探竿影草」は、漁師が草の下に魚がいるかいないのか棒で探ることです。この一喝で、出てきた修行者が聖(しょう)か凡(ぼん)か、真(しん)か偽(ぎ)かを探り照らして、その力量を見抜く一喝の故に、「探竿影草の如し」という、
とある。上記兵藤裕己校注『太平記』の注は、その「探竿影草」を、文脈から、迷彩服やカモフラージュに草などを身につけるのと同じ意で「身を隠す道具」と注記したものと思われるが、「探竿影草」は、文字通り、
水の深さをさぐる竿のようなはたらきである
の意になる(http://one-zen-temple.blogspot.com/2016/05/blog-post_13.html)。ただ、これには、
水の深さを測るとか、
魚をとらえる罠とか、
隠れ蓑を着るとか、
等々、様々な解釈があり(https://www.engakuji.or.jp/blog/29692/)、
わざわざ世間に出ていき、悩み苦しんでいる人のところにいって、その人が今、どういう問題で苦しんでいるのか、それを一つ一ついっしょになって感じていく働きです、
ともある(仝上)ので、「身を隠して」それをするという含意なのかもしれない。
「一喝の用(ゆう)を作(な)さず」とは、
前述の三喝のような働きをしない喝、
という意であり、
修行者が修行に修行を重ねて、十年、二十年、練りに練り、鍛えに鍛えて、もはや修するに修するの道なく、学ぶに学ぶの法なきところに至って、一切のアカの抜け切った任運(にんぬん)自在(じざい)、心の欲する所に従って、しかも矩(のり)を踰(こ)えざる大自在(だいじざい)、遊戯(ゆげ)三昧(ざんまい)の境界から発する一喝が、この一喝、
とあり(仝上)、この一喝は、
必ずしも「喝」の形相を取りません。日常茶飯事の一挙手一投足がすべてこれ一喝でなければなりません。「一喝の用を作なさざる一喝」は他の三喝の根源であり、他の三喝を包括もの、
とあり、故に、厳密にいえば、すべての喝はこの、
一喝の用を作さざる一喝、
でなければならないとする(仝上)。この流れは、
第一の金剛王宝剣は、外の世界、誘惑などを断ち切る。これは、仏教の修行の上で言えば、戒・定・慧(三学 悪を止める戒、心の平静を得る定、真実を悟る慧)の戒にあたる。心から湧いてくる憎しみや怒りや貪りを断ち切る。そうして、踞地(こじ)金毛の獅子の、獅子がぐっと構えているようにじっとしている。これは、禅定(心を一点に集中し、雑念を退け、絶対の境地に達するための瞑想の姿)です。禅定の力を得たならば、次は、探竿影草(たんかんようぞう)、外の世界に働いていくことです。今、どういう状況にあるのかを判断する。今、自分がどういう状況にあるか、外に向かって能動的に心を働かせていく。ここまでの三つの喝で、戒・定・慧がきちんとそろっている。最後は、「一喝の用(ゆう)を作(な)さず」。坐っている姿勢であるとか、こういう語録の言葉であるとか、様々な決まり事などにとらわれずに、自在に働いていく。これは、慈悲行として働いていくわけです、
とあるのがわかりやすい(https://www.engakuji.or.jp/blog/29877/・精選版日本国語大辞典)。つまり、この「臨済四喝」には、きちんと、
戒・定・慧と慈悲行の実践がよく説かれている、
つまり修行のプロセスが示されている(仝上)。「四喝」を、
金剛王宝剣(仁王の刀)、
踞地金毛(獅子のねらい)、
探竿影草(魚をさそう)、
不作一喝(声をださぬ喝)
と整理するものもある(世界大百科事典)。
『臨済録』では、「一喝の用(ゆう)を作(な)さず」の後、
汝作麼生(そもさん)か会すと。僧議せんと擬(ほっ)するや、師便(すなわ)ち喝す、
とつづく。
「今挙げた四喝、汝はどう、わかったのか?」という臨済の問いに、この僧、わからず擬議します。臨済則ち喝す!
つまり、
喝、
を食らったのである(呉進幹・前掲書)。
作麼生、
は、
主に禅問答の際にかける言葉で、問題を出題する側が用いる表現。「さあどうだ」といった意味合いである、
が(実用日本語表現辞典)。「そもさん」に対し、問題を出題される側は、
せっぱ(説破)、
と応えるのが一般的である(仝上)。
「うけてたとう」「さあ、こい」、
といった意味合いである(仝上)。
最初に喝を放ったのは、
馬祖(ばそ)道一(どういつ)禅師だといわれています。その弟子である百丈(ひゃくじょう)禅師(749~814)は後に述懐しています。
「我れ当時(そのかみ)、馬祖に一喝(いっかつ)せられて、直(じき)に三日耳聾するを得たる」
という凄まじいものであったらしい(http://www.rinnou.net/cont_04/zengo/080101.html)。しかし、
通行本『臨済録』に収録されている「四喝」は、円覚宗演が黄龍慧南校訂『四家録』(約1066年前後)中の『臨済録』を重刊(1120)した時に増補した八則のうちの一則であった。これが『続開古尊宿語要』(1238)、『古尊宿語録』(1267)に引き継がれ、単行本化されて江戸時代の通行本(18 世紀)に至るのである。したがって『臨済録』テキストの二系統のうち、「古尊宿系」に見えるもので、「四家録系」には見えない、
とある(呉進幹・前掲書)。「四喝」は、
『景徳伝灯録』及び『天聖広灯録』によれば、「喝」を発するということは確かに臨済宗の宗風として早くから受け止められていた。しかし、それと同時に、それが安易に模倣されるいわゆる「胡喝乱喝」の現象も現われていた。そこで、「胡喝乱喝」を避けるために「喝」の分類(すなわち「四喝」)が提起された、
と考えられている(仝上)とある。
胡喝乱喝、
つまり、形式化したり様式化したものを厳格化したということなのだろう。
因みに「喝」は、
人を叱咤(しった)する声、またその声を発すること。禅宗では中国唐代以降、種々の意味をもって使用され、師が言詮(ごんせん 言語をもって仏法を説き明かすこと)の及ばぬ禅の極意を弟子に示すための方便として盛んに用いられた。その始まりは馬祖道一(ばそどういつ)・百丈懐海(ひゃくじょうえかい)の師資(師弟)間に行われたとされ、「黄檗希運(おうばくきうん)の棒」「臨済義玄(りんざいぎげん)の喝」と並び称され、言語、思慮を超えた悟境を示す手段とされた、
とあり(日本大百科全書)、とくに臨済宗門下では、「臨済四喝」とよばれる機関(指導の手段)としてまとめられ、修行の指標とされ、のちには葬儀の際の引導にも用いられる(仝上)。
「喝(喝)」(漢音カツ、呉音カチ)は、
会意兼形声。曷(カツ)は口ではっとどなって、人をおしとどめる意。喝は「口+音符曷」。その語尾のtが脱落したのが呵(カ)で、意味はきわめて近い、
とある(漢字源)。別に、
旧字は、形声。口と、音符曷(カツ)とから成る。のどがかわいて水をほしがる意を表す。借りて「しかる」意に用いる。常用漢字は省略形による、
とも(角川新字源)、
会意兼形声文字です(口+曷)。「口」の象形と「口と呼気の象形と死者の前で人が死者のよみがえる事を請い求める象形)(「高々と言う」の意味)から、「声を高くして、しかる」、「怒鳴りつける」、「さけぶ」を意味する「喝」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji1622.html)。
(「喝」 小篆(説文解字・漢) https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%96%9Dより)
なお無門慧開の『無門関』(http://ppnetwork.seesaa.net/article/473155387.html)については触れた。
参考文献;
呉進幹「臨済禅の南伝と臨済宗の形成―五代宋初臨済禅の一考察」
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
ラベル:探竿影草
2022年04月29日
秋刑
召人(めしうど)京都に着きければ、皆黒衣を脱がせ、法名を元の名に替へて、一人ずつ大名に預けらる。その秋刑を待つ程に(太平記)、
にある、
秋刑、
とは、
処刑。秋は草木を枯らすことから、古代中国では秋官が刑罰を司るとされた(周礼)、
とある(兵藤裕己校注『太平記』)。
「秋官」は、
秋官、其属六十、掌邦刑(周禮)、
とある、
中国、周代の六官(りくかん)の一つ。訴訟、刑罰をつかさどった司法官、
とあり(広辞苑・精選版日本国語大辞典)、この「秋」は、
秋は、粛殺を主(つかさどる)る故に云ふ(大言海・字源)、
秋が草木を枯らすように、きびしいことから(広辞苑)、
の故であり、「秋刑」の「秋」も、
秋の気は万物を粛殺するところから、「周礼」で秋官が刑罰をつかさどるのによる(精選版日本国語大辞典)、
秋は、草木の凋落するなれば、刑に譬えて云ふ(大言海)、
となる。
周代の「六官(りくかん)」は、
中央政府の官吏を天官・地官・春官・夏官・秋官・冬官の六つに分け、それぞれ、治・教・礼・兵・刑・事を分掌させた、その六つの官の総称、
どあり(精選版日本国語大辞典)、天官(てんかん)は、
国政を総轄し、宮中事務をつかさどる官の総称、
「地官(ちかん)」は、
司徒の職で教育・土地・人事などをつかさどる、
「春官(しゅんかん)」は、
王を補佐して祭典や礼法をつかさどる、
「夏官(かかん)」は、
司馬の職で、軍政をつかさどる、
「冬官(とうかん)」は、
司空(しくう)の職で、土木工作の事をつかさどる
もので、この「六官(りっかん)」の長が、それぞれ、
冢宰(ちょうさい)、
司徒、
宗伯、
司馬、
司寇(しこう)、
司空、
となる。「秋官」の長は、
秋官司冦刑官之属(周禮)、
と、
司寇、
となる。この六官の長を、
六卿(りくけい、りっけい)、
といい、
冢宰(ちょさい・ちょうさい)、
が、
六官の長で天子を補佐し、百官を統御した官、
とある(仝上)。
司空・司馬・司徒、
は、
三公の一つ、
とされ、
天子を補佐する三人、
とされる(仝上)。
(「龝(秋)」 https://kakijun.jp/page/aki21200.htmlより)
「秋(龝・穐)」(漢音シュウ、呉音シュ)は、「秋」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/466853732.html)で触れたように、
会意。もと「禾(作物)+束(たばねる)」の会意文字で、作物を集めて束ね、おさめること。龝は、「禾+龜+火」で、「龜(カメ)」を日でかわかすと収縮するように、作物を火や太陽でかわかして収縮させることを示す。収縮する意を含む、
とあり(漢字源)、似た趣旨で、
会意兼形声文字です(禾+火+龜)。「穂の先が茎の先端に垂れかかる」象形(「稲」の意味)と「燃え立つ炎」の象形(「火」の意味)と「かめ」の象形(「亀(かめ)」の意味)から、カメの甲羅に火をつけて占いを行う事を表し、そのカメの収穫時期が「あき」だった事と、穀物の収穫時期が「あき」だった事から「あき」を意味する「秋」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji92.html)が、
(「龝」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%A7%8Bより)
(「龝」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%A7%8Bより)
別に、
元の字を「龝」+「灬」につくり、穀物につく「龜」(カメではなくイナゴ)を焼き殺す季節の意(白川静)、
とも(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%A7%8B)、
形声。禾と、音符「『龝』+『灬』から成る字」、音符(セウ)→(シウ 龜・火は省略形)とから成る。いねの実りを集める、ひいて、その時期「あき」の意を表す、
とも(角川新字源)あり、殷時代の文字を見る限り、龜とは見えない。
「龝」+「灬」につくり、穀物につく「龜」(カメではなくイナゴ)を焼き殺す季節の意、
が正確なのではあるまいか。
「刑」(漢音ケイ、呉音ギョウ)は、
会意兼形声。左側の形は、もと井。井(ケイ)は、四角いわくを示す。刑は「刀+音符井」。わくの中へ閉じ込める意を含み、刀で体刑を加えてこらしめる意を示すため、刀印を加えた、
とあり(漢字源)、同趣旨の、
会意形声。「刀」+音符「井」、「井」は「型枠」、罪人を桎梏など型枠にはめ懲らしめること、更に「刀」を添えて体刑の意を加える。同系字に「形」「型」、
とも(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%88%91)、
会意兼形声文字です。「わく・かた」の象形と「刀」の象形から、刀や手かせや・足かせを使って「罰を加える」、「しおき」を意味する「刑」という漢字が成り立ちました、
とも(https://okjiten.jp/kanji1635.html)あるが、別に、
形声。刀と、音符幵(ケン)→(ケイ)(开は省略形)とから成る。㓝は、会意形声で、刀と、井(セイ)→(ケイ わく、きまり)とから成る。「のり」、転じて、のりに照らしてつみする意を表す、
とあり(角川新字源)、この説の方が自然な気がする。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
ラベル:秋刑
2022年04月30日
大樹
大樹(たいじゅ)の位に居して、武備の守りを全くせん事は、げにも朝家(ちょうか)のために、人の嘲りを忘れたるに似たり(太平記)、
兄弟一時(いっし)に相並んで大樹の武将に備はる事、古今(こきん)未だその例を聞かず(仝上)、
などとある、
大樹、
は、
大樹将軍の略、
征夷大将軍の異称、
とある(兵藤裕己校注『太平記』)。「大樹」は、文字通り、
大きな樹、大木、
の意で、
高山之巓無美木、傷於多陽成、大樹之下無美草、傷於多陰也(説苑・説叢)、
の、
大樹之下無美草(たいじゅのもとにはびそうなし)、
と、
賢路のふさがれるところには人材の出でざる、
意で使うが、また、
寄らば大樹の陰、
などと、
大きくてしっかりしたもののたとえ、
にもいう(広辞苑)が、この場合は、
大樹将軍の略、
で、
征夷大将軍、
を指し、わが国でも、
大樹公、
大樹、
などと、将軍の意で使った。この由来は、
異為人謙退不伐、……諸将竝坐論功、異常獨屛樹下、軍中號曰大樹将軍(異、人となり謙退にして伐(ほこ)らず、諸将並び坐して功を論ず、異、常に樹下に屛(しりぞ)く、軍中号して大樹将軍と曰う)(後漢書・馮異傳)、
にある(大言海・字源)、
諸将が功を誇る中、馮異(ふうい)一人が大樹の下に退いて誇らなかった、
という故事から、本来、
大樹将軍、
は、
後漢の将軍馮異の敬称、
であり、転じて、
将軍、
または、
征夷大将軍、
の異称となった(広辞苑)ものである。
「大」(漢音タイ・タ、呉音ダイ・ダ)は、
象形。人間が手足を広げて、大の字に立った姿を描いたもので、おおきく、たっぷりとゆとりがある意。達(タツ ゆとりがある)はその入声(ニッショウ つまり音)に当たる、
とある(漢字源)。
(「大」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A4%A7より)
「樹」(漢音シュ、呉音ジュ)の字源には、諸説あり、
甲骨文字の「权」は木を植える様子を象る象形文字。「植える」を意味する漢語{樹 /*dos/}を表す字。「权」に音符「豆 /*TO/」を加えて「尌」となり、「尌」に「木」を加えて「樹」となった、
とか、
会意形声、「木」+ 音符「尌」。「尌」は「壴」(太鼓の象形)と「寸」(手を広げた様子の象形)を合わせた字で、太鼓を台に「たてる」こと。これに「木」を合わせて、「立ち木」や、木のように物事を「うちたてる」こと、
とかあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%A8%B9)、
(「樹」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%A8%B9より)
(「樹」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%A8%B9より)
会意兼形声。尌は太鼓または豆(たかつき)を直立させたさまに寸を加えて、⊥型にたてる動作を示す。樹はそれを音符とし、木を添えた字で、立った木のこと、
とか(漢字源)、
会意兼形声文字です(木+尌)。「大地を覆う木」の象形と「たいこの象形と右手の手首に親指をあて脈をはかる象形」(「安定して立てる」の意味)から、樹木や農作物を手で立てて安定させる事を意味し、そこから、「うえる」、「たてる」を意味する「樹」という漢字が成り立ちました、
とかとある(https://okjiten.jp/kanji942.html)のは、後者の説に当たるが、
この記述は甲骨文字や金文などの資料と一致していない記述が含まれていたり根拠のない憶測に基づいていたりするためコンセンサスを得られていない、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%A8%B9)。
会意形声。木と、尌(シユ、ジユ 立てる)とから成る。立ち木の総称(角川新字源)、
は前者に当たる。甲骨文字は、「太鼓」には見えないが、金文文字(青銅器の表面に刻まれた文字)では、
根拠のない憶測、
とまでは言い切れない、微妙なものがある気がする。「樹」の俗字に、
𣗳、
という字があるのも、気にかかる(字源)。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
簡野道明『字源』(角川書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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ラベル:大樹