2022年04月16日
ただむき
われに勝(まさ)りたる忠の者あらじと、臂(ただむき)を振るふ輩(ともがら)多き中に(太平記)、
と、
臂(ただむき)を振るふ、
とあるのは、
腕を揮う、
の、
手腕を発揮する、
とちょっと重なる、
威勢をふるう、
という意味になり(兵藤裕己校注『太平記』)、「ただむき」は、和名類聚抄(平安中期)に、
腕、太々無岐(ただむき)、一云宇天(うで)、
とあるように、
腕、
とも当てる(広辞苑・岩波古語辞典)、
肘から手首までの間、
を指し、
肩から肘までの、
かいな、
に対する(日本語源大辞典)。「かいな」は、また、
二の腕、
ともいう。「二の腕」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/453113046.html)で触れたように、
一の腕、
を、
手首から肘まで、
つまり、
ただむき、
を言ったのに対して、「二の腕」といったものらしい(日本語源広辞典)。
ひじで折れ曲がるので、これを2部に分け、上半を上腕upper arm、下半を前腕forearmといい、上腕は俗に〈二の腕〉といわれる。腕は脚に相当する部分であるが、人間では脚より小さく、運動の自由度は大きい、
とある(世界大百科事典)ので、手首側から、一の腕、二の腕と数えたということだろう。
「腕」(ワン)の字は、
中国では主に手首のつけね。まるく曲がるところなので、ワンという、
とあり(漢字源)、
てくび、
臂の下端、掌の付け根の所、
を指し(字源)、
腕骨(わんこつ)、
は、「手首の骨」をさす(仝上)。
腕は、(日本)釈名に「腕宛也、言可、宛曲なり」、急就篇注に、「腕、手臂之節也」とありて、今云ふ、ウデクビなり、されば、ウデは、元来、折手(ヲデ)の転(現(うつつ)、うつ、叫喚(うめ)く、をめく)。折れ揺く意にて(腕(たぶさ)も手節(たぶし)なり)、ウデクビなるが、臂(ただむき)と混じたるなるべし、
とある(大言海)ように、
「てくび」を「ただむき」と混同、
つまり、
肘、
と混同したため位置が動き、本来、「うで」は、
肘と手首の間、
を指し、「かいな」は、
肩から肘までの間、
であったが、
後に「うで」と混用、
され(岩波古語辞典)、一の腕、二の腕を含めて、
腕、
と呼び、肘から上を、
上腕、
肘から下を、
前腕、
と称するようになったとみられる(日本語源大辞典)。こうした、
肩から手首、
を「腕」とするのは、わが国独自の用法になる(漢字源)。この用法が、「腕」に、
腕前、
腕の見せ所、
のような、
物事をする能力、技量、
の意で使う意味の範囲へ広げたのではないか。「腕」の語源を見ると、
ウテ(上手)の義(類聚名物考・和訓栞・国語の語幹とその分類=大島正健)、
ウテ(打手)の義(日本釈名・和句解)、
ヲテ(小手)の転(言元梯)、
ヲデ(折手)の転(名語記・大言海)、
「腕」の別音WutがWuteと転じた(日本語原学=与謝野寛)、
と、位置がばらばら、「腕」が今日、
肘と手首の間、
肩口から手首まで、
と、多義的に使われている訳である(http://ppnetwork.seesaa.net/article/453113046.html)。
ところで、「ただむき」は、
手手向(タタムキ)の義、両掌に合はすれば、両臂相向ふ、股(もも)を向股(むかもも)と云ふが如し。説文(中国最古(後漢・許慎)の字書『説文解字』)「臂、手上也。肱(かひな)、臂上也、肘(ひじ)臂節也」、(日本)釈名「腕、宛也」、宛は屈すべきものにて、ウデクビなれど、通ずるなるべし、
とあり(大言海)、
左右が向かい合っているところからタタムキ(手手向)の義(柴門和語類集・日本語源=賀茂百樹)、
テテムカヒ(手手向)の義(名言通)、
手向の義(和訓栞)、
なども同趣のようである。
「かいな」は、「二の腕」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/453113046.html)で触れたように、
腕、
肱、
とあて、
抱(かか)への根(ね)の約転か。胛をカイガネと云ふも舁(かき)が根の音便なるべし。説文「臂(ただむき)、手ノ上也。肱(かひな)、臂ノ上也」(大言海)、
カイ(支ひ)+ナ(もの)(日本語源広辞典)、
カヒネ(胛)の転(言元梯)、
カヒは抱き上げるという意のカカフルのカを一つ省いたカフルの変化したもの(国語の語幹とその分類=大島正健)、
女の臂のカヨワイことから(俗語考)、
カヒナギ(腕木)の意(雅言考・俗語考)、
カタヒジナカ(肩肘中)の略(柴門和語類集)、
カキナギ(掻長)の義(名言通)、
等々諸説あるが、「抱える」と関わることが、いちばん説得力があるような気がする。
ちなみに、「小手(こて)」は、
手首、
あるいは、
肘と手首の間、
を指すが、
手の腕頸より先。小手先。「小手返し」「小手調べ」「小手投げ」。これに対して、腕・肱を、高手(たかて)と云ふ。人を、高手小手(たかてこて)に縛ると云ふは、後ろ手にして、高手、小手、頸に、縄をかけて、縛りあぐるなり、
とあり(大言海)、いわゆる鎧や防具にいう、
籠手、
は、この「小手」から来ていて、
肘、臂の全体をおおうもの、
であり、「腕頸」とは、
手首、
の意で、
たぶし、
たぶさ(手房)、
こうで(小腕)、
ともいい、
腕と肘との関節、曲り揺く所、
とある(仝上)が、これもけっこう曖昧で、
手首をさす語として、上代より、タブサという語が使用されていたが、語義が不安定であったため、中世より、ウデクビが使われだした。その後、一四、五世紀あたりに、テクビという語が成立し、中世後期からは、テクビの方が優勢となる、
とあり、
たぶさ→うでうび→てくび、
と転化したようだ(精選版日本国語大辞典)。
「臂」(ヒ)は、
会意兼形声。「肉+音符辟(ヘキ 平らに開く)」で、腕の外側の平らな部分。足の外股を髀(ヒ)という。ともに胴体の外壁に当たり、うすく平らに肉が付着しているからこのようにいう、
とあり(漢字源)、
肩から手首にいたる腕全体の部分、人体の外側の壁に当たる部分、
とあり、幅が広く、日本語で「うで」という部分に重なる。「ひじ」の意があるが、「肘」と区別する場合は、腕の上腕を指す、とある(仝上)。説文解字に、
臂、手上也。肱(かひな)、臂上也、肘(ひじ)臂節也、
とある(大言海)のは、その意味だと思うが、「ひじ」と訓ませる、「肱」(コウ)は、
会意兼形声。∠は、∠型にひじを張り出したさま、右側は、「手のカタチ+∠」の会意文字でひじのこと。肱はそれを音符として、肉を添えた字、
とあり(仝上)、
曲肱枕之(肱を曲げてこれを枕とす)、
と(論語)、
外に向けて∠型にはりだしたひじ、
の意である。「肱」を「かいな」に当てているのは、漢字の意味からは外れている。これも「ひじ」と訓ませる「肘」(チュウ)は、
会意文字。肘は「肉+寸(手)」・もと丑(チュウ)がうでを曲げたさまを示す字であったが、十二支に転用され、たため「肉+丑」(ひじ)の字が作られた。肘はそれと同じ、
とあり(仝上)、まさに、
うでの中ほどの部分、曲げて張り出したり、曲げて物を抱え込んだりする部分(仝上)、
腕の関節(字源)、
で、
ひじ、
の意になる(漢字源)
「腕」(ワン)は、
会意兼形声。宛(エン)の字は、宀(屋根)の下に、二人の人がまるくかがむさま。腕は「肉+音符宛」で、まるく曲がる手首、
とある(漢字源)が、別に、
形声。肉と、音符宛(ヱン)→(ワン)とから成る。手を曲げて動かす部分、「うで」の意を表す、
とも(角川新字源)、
会意形声。「肉」+音符「宛」、「宛」は「宀」(屋内)で、「夗」(体を丸め集う)の意。「丸い、曲がった」の意があり、「椀・椀(丸い器)」等が同系。手首など、四肢の曲がる部位、
とも(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%85%95)、
会意兼形声文字です(月(肉)+宛)。「切った肉」の象形と「屋根・家屋の象形と月の半ば見える象形とひざまずく人の象形」(屋内で身をくつろぎ曲げ休む事から「曲げる」の意味)から、自由に曲げる事の肉体の部分、「うで」を意味する「腕」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji288.html)。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95