2022年04月17日
野軍
敵頻りに懸からば、難所に引き入れては返し合はせ、引つ返さば、跡に付いて追つ懸け、野軍(のいくさ)に敵を老(つか)らかひて、雌雄を決すべし(太平記)、
にある、
野軍(のいくさ)、
は、
ゲリラ戦、
と注記がある(兵藤裕己校注『太平記』)。ふつう、「のいくさ」は、
野戦、
と当て、
平野でする戦い、
つまり、漢語の、
我為趙将、有攻城野戦之大功(史記・藺相如伝)、
とある、
攻城、
と対比する、
野戦(やせん)、
の意味で使う(広辞苑)が、ここでは、その前のくだりに、
敵に在所を知られず、前にあるかとせば、後へ抜け、馬に乗るかとすれば、野臥(のぶし)になって、在々所々にて戦はんに、敵頻りに懸らば(太平記)、
とあり、その戦い方は、まさに「ゲリラ戦」である。「野臥」は、
野伏、
野武士、
とも当て、
のぶせり、
とも訓ませるように、文字通り、
野に臥す、
野に伏す、
で、
鎌倉末期から南北朝期に、畿内およびその周辺に起こり、全国的に広がった農民の武装集団をいう。一定の主人を持たず、山野に潜伏し、敗軍の将兵の武具、甲冑、馬などを略奪したり、形勢をうかがって優勢の軍について戦闘に参加したりした。また、戦国時代に、大名が領内の農民を徴発し武装させて徒歩兵力として戦闘に参加させたものもいう、
とある(世界大百科事典・精選版日本国語大辞典)。つまりこの、
野軍、
は、
野伏(のぶし)いくさ、
の意になる。これは、後には、
伏勢(ふせぜい)、
伏兵(ふくへい)、
とも呼ばれるもので、
草、
草調儀、
かまり、
透波、
などと呼ばれる「忍び」活動につながる。「忍び」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/416745079.html)、平山優『戦国の忍び』(http://ppnetwork.seesaa.net/article/484006742.html)で、「忍び」については触れたし、「忍び」の戦いについては盛本昌広『境界争いと戦国諜報戦』(http://ppnetwork.seesaa.net/article/396352544.html)で触れた。
いわゆる「野戦(やせん)」の意味では、
今度(このたび)は、諸方の敵、諜(ちょう)し合はせて大勢にて寄せなば、平場の合戦ばかりにては叶ふまじ(太平記)、
と、
平場合戦、
を使っている(兵藤裕己校注『太平記』)。このほか、
平場蒐合(かかりあい)、
野相合戦、
野合戦、
という言い方をする(武家戦陣資料事典)。
野軍、
をあえて使ったのは、これとの区別のためと思われる。
ちなみに、「いくさ」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/460494548.html)で触れたように、「いくさ」は、
戦、
軍、
兵、
と当て、
イ(射)+クサ(人々)(日本語源広辞典)、
と、「射る」と関わらせる説が多いが、大言海は、
射、
軍、
を別項を立て、「いくさ(射)」は、
イクは、射(いく)ふの語幹。、サは、箭(さ)なり。…箭を射ふ、即ち、射箭(イクヒサ)なり(贖物(あがひもの)、あがもの、馳使部(はせつかひべ)、はせつかべ)。賀茂真淵云ふ「伊久佐は、射合箭(イクハシサ)と云ふことなり」、
とし、「箭(さ)」は、
刺すの語根にもあるべきか、…或は征箭(そま)の約かとも云ふ、いかが。朝鮮語に、矢を、サルと云ふとぞ、箭(や)の古語(仝上)、
矢(や)の古語。朝鮮語salの末尾の子音を落した形(岩波古語辞典)、
とあるので、
矢を射る、
動作を示し、「いくさ(軍)」は、
いくさびと、
とする。どうも、「いくさ」は、はじめ、
矢を射る、
意味であったものと思われる。
イクはイクタチ(生大刀)・イクタマ(生魂)・イクヒ(生日)などのイクに同じ。力の盛んなことをたたえる語。サはサチ(矢)と同根。矢の意。はじめ、武器としての力のある強い矢の意。転じて、その矢を射ること、射る人(兵卒・軍勢)、さらに「軍立ち」などの用例を通じて矢を射交わす戦いの意に展開、
とあり(岩波古語辞典)、
矢を射る(人)→矢を射交わす→戦い、
とシフトしたと思えるが、大言海は、「いくさびと」を、
射人(いくさびと)の義、射(いくさ)、即ち、弓射る人の義。戦争の武器は、弓矢を主としたりき、後世、弓矢取、又弓取などと云ふも、是なり、
とし、「いくさだち」(軍立)も、
射立(いくさだち)の義。タチは役立(えだち)の立に同じ。射(いくさ)、弓矢の役に立つ義なり、イクサとのみ云ふは、下略なり。…イクサと云ひて、戦争の意とするは後世の事にて、古くは見えず、上代にイクサと云ひしは軍人(イクサビト)のことなり。…然るに軍人の義なる語は、夙(はや)くに滅亡して、戦争(いくさ)の意、其称を専らとするに至れり、
と、
イクサビト(軍人)→イクサ(戦)、
と転じたとする。いずれにしても、「矢を射る」ことが戦いのメタファとなり、戦いそのものの意味となったと思える。「いくさ」が、
戦争・戦闘の意で用いられるのは、中世以降、特に、『平家物語』『保元物語』など軍記物語にはこの意でもちいられている、
とある(日本語源大辞典)。
「野(埜)」(漢音呉音ヤ、漢音ショ、呉音ジョ)は、
会意兼形声。予(ヨ)は、□印の物を横に引きずらしたさまを示し、のびる意を含む。野は「里+音符予」で、横にのびた広い田畑、野原のこと、
とある(漢字源)。ただ、
会意形声。「里」+音符「予」(だんだん広がるの意を有する)(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%87%8E)、
と、
形声。里と、音符予(ヨ)→(ヤ)とから成る。郊外の村里、のはらの意を表す(角川新字源)、
とを合わせてやっとわかる解説のように思える。別に、「野」と「埜」を区別し、「野」は、
会意兼形声文字です(里+予)。「区画された耕地の象形と土地の神を祭る為に柱状に固めた土の象形」(耕地・土地の神を祭る為の場所のある「里」の意味)と機織りの横糸を自由に走らせ通す道具の象形(「のびやか」の意味)から広くてのびやか里を意味し、そこから、「郊外」、「の」を意味する「野」という漢字が成り立ちました、
とし、「埜」は、
会意文字です(林+土)。「大地を覆う木」の象形と「土地の神を祭る為に柱状に固めた土の象形」(「土」の意味)から「の」を意味する「埜」という漢字が成り立ちました、
と解釈するものがある(https://okjiten.jp/kanji115.html)。
「軍」(慣用グン、漢呉音クン)は、「六軍」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/486344877.html?1649359041)で触れたように、
会意文字。「車+勹(外側を取り巻く)」で、兵車で円陣を作って取巻くことを示す。古代の戦争は車戦であって、まるく円をえがいて陣取った集団の意、のち軍隊の集団をあらわす、
とあり(漢字源)、「軍団」のように兵士の組織集団をさすが、古代兵制の一軍の意もある。
「勹」は車に立てた旗を象ったもので象形、
とする説もある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%BB%8D)。別に、
会意文字です(冖(勹)+車)。「車」の象形(「戦車」の意味)と「人が手を伸ばして抱きかかえこんでいる」象形(「かこむ」の意味)から、戦車で包囲する、すなわち、「いくさ」を意味する「軍」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji660.html)。
参考文献;
笹間良彦『武家戦陣資料事典』(第一書房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95