あやめも知らぬわざは、いかでかあるべきと思ひながら、いわんかたなく(太平記)、
にある、
あやめも知らぬ、
は、
物事の分別もつかない振舞い、
と注記があり(兵藤裕己校注『太平記』)、
郭公(ほととぎす)鳴くやさつきのあやめ草あやめ知らぬ戀もするかな(古今和歌集)、
の用例が引かれているが、
あやめ(文目)もわかぬ(ず)、
あやめもつかぬ、
などという言い方もし、
あやめもつかぬ暗の夜なれば、ここを何処としるよしなけれど(当世書生気質)、
と、文字通り、
暗くて物の模様や区別がはっきりしないさま、
の意から、それをメタファに、
燈燭(ともしび)滅(きえ)て善悪(アヤメ)もわかず(椿説弓張月)、
と、
物事をはっきり識別できない、
物の区別がわからない、
意や、
あらはれていとど浅くも見ゆるかなあやめもわかずなかれける音(ね)の(源氏物語)、
と、
判断力の不足などで、物事を筋道立てて考えられない、
物事の分別がつかない、
意でも使う(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)。「あやめ」は、多く、
文目、
と当てるが、「あやめ」の「あや」は、
文、
と当てると、
水の上に文(あや)織りみだる春の雨や山の緑をなべて染むらむ(新撰万葉集)、
と、
物事の表面のはっきりした線や形の模様、
の意で、それをメタファに、
事物の筋目、
の意でも使うが、この意の場合、
薪を折るに其の木の理(あや)に随ふ(法華経玄賛平安初期点)、
と、
理、
を当てたりする(岩波古語辞典)。また、
沓をだにはかず行けども錦綾(にしきあや)のなかにつつめる斎(いつ)き児も妹にしかめやま(万葉集)、
と、
綾、
と当てると、
綾織物、
の意となり、それをメタファに、
秋来れば野もせに虫のおりみだる声のあやをばたれかきるらむ(後撰和歌集)
と使うと、
表現上の技巧、
の意となる(仝上)。なお、
漢、
も、
あや、
と訓ませるが、
漢人、
の意で、
漢人が文に関することを扱い、文をアヤといったらしい、
とある(仝上)が、
綾の義、古へ、始めて漢土と通じて、職工女を召され、其機織の勝れたるに因りて、遂に其の国名に呼びし語と思はる、秦も、繪(はた)なり、呉(くれ)も、朝鮮語にて、織文の意なり、
とある(大言海)故と思われる。
呉國使将呉所獻手末才伎(タナスヱノテビト)、漢織(アヤハトリ)、呉織(クレハトリ)云々等、泊於住吉津(雄略紀)、
とある、
あやはとり(漢織)、
は、
漢(あや)の繪(はた)織り(ハトリはハタオリの約)、
の約で、
漢の機織女、
の意となる(岩波古語辞典・大言海)。
「あや」は、
合への約(さやぐ、さやぐ。たがへず、たがやす)(大言海)、
アザヤカの略(日本釈名・柴門和語類集)、
アヒヨラス(相寄)の義(名言通)、
感嘆辞のアヤ(和句解・和訓栞・日本語源=賀茂百樹)、
などとあるが、天治字鏡(平安中期)には、
縵、繪无文。阿也奈支太太支奴(アヤナキタケギス)、
とある。「縵」は、「飾りのない絹布」の意なので、「文」の意味は分かるが、「あや」の由来にはつながらない。冗談ではなく、感嘆詞、
あや、
はあるのかもしれない。
手並みの程見しかば、あやと肝を消す、さもあれ手にもたまらぬ人かなと思ひけり(義経記)、
と使う、
感嘆詞「あや」は、古事記の、
阿夜訶志古泥(あやかしこね)、
にも使われている。
因みに、
あやめどり(菖蒲鳥)、
というと、
ほととぎす(杜鵑)の異名、
になる。花の「あやめ」については、「いずれ菖蒲」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/472100786.html)で触れた。
「文」(漢音ブン、呉音モン)は、
象形。土器につけた縄文の模様のひとこまを描いたもので、こまごまと飾り立てた模様のこと。のち、模様式に画いた文字や、生活のかざりである文化などの意となる。紋の原字、
とあり(漢字源)、「あや」「模様」の意から、「かざり」の意などでも使い、中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)には、
類に依り形の象る。故に之を文といふ、
とある(仝上)。別に、
象形。胸に文身(いれずみ)をほどこした人の形にかたどり、「あや」の意を表す。ひいて、文字・文章の意に用いる、
とか(角川新字源)、
象形。衣服の襟を胸元で合わせた形から、紋様、引いては文字や文章を表す、
とか(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%96%87)、
象形文字です。「人の胸を開いてそこに入れ墨の模様を描く」象形から「模様」を意味する「文」という漢字が成り立ちました、
とか(https://okjiten.jp/kanji170.html)、「文身(からだに入墨する)」とする説が目につく。
(「文」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%96%87より)
「目」(漢音ボク、呉音モク)は、「尻目」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/486290088.html?1649013975)で触れたように、
象形。めを描いたもの、
であり(漢字源)、
のち、これを縦にして「目」、ひいて、みる意を表す。転じて、小分けの意に用いる、
ともある(角川新字源)。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95