2022年04月28日

探竿影草


城の背(うし)ろの深山(みやま)より、這う這う忍び寄りて、薄(すすき)、刈萱(かるかや)、篠竹(しのだけ)などを切って、鎧の札頭(さねがしら)、兜の鉢付(はちつけ 錣(しころ)の最上部)の板(いた)にひしひしと差して、探竿影草(たんかんようそう)に身を隠し(太平記)、

にある、

探竿影草(たんかんようそう)、

は、臨済宗では、

たんかんようぞう、

と訓ますようだが、臨済宗の禅語で、

身を隠す道具のこと、

と注記がある(兵藤裕己校注『太平記』)。いわゆる

師便すなわち喝(かつ)す、

における、

臨済喝、

つまり、

臨済四喝(しかつ)、

の一つとされる。「四喝」は、『臨済録』の「勘弁」第二十一則、



師問僧:「有時一喝、如金剛王宝剣;有時一喝、如踞地金毛獅子;有時一喝、如探竿影草;有時一喝、不作一喝用。汝作麼生会」僧擬議、師便喝、

とあり、

師、僧に問う、「有る時の一喝は、金剛王宝剣の如く、有る時の一喝は、踞地金毛の獅子の如く、有る時の一喝は、探竿影草の如く、有る時の一喝は、一喝の用(ゆう)を作(な)さず。汝作麼生(そもさん)か会す」と。僧議せんと擬(ほっ)するや、師便(すなわち)ち喝す、

とある(呉進幹「臨済禅の南伝と臨済宗の形成)。

「金剛王宝剣の如く」とは、

「金剛王宝剣」とは名刀の中の名刀のこと。この一喝で私たちの煩悩を初め、是非(ぜひ)善悪(ぜんあく)等一切の分別心を截断して、本来の自己に立ち返らせる働き、

で、その一喝を「金剛王宝剣の如し」というhttp://www.rinnou.net/cont_04/zengo/080101.htmlとある。「踞地(こじ)金毛の獅子の如く」とは、

「踞地」は、大地にうずくまること、「獅子」が今にも獲物に向かって飛びかかろうとする瞬間、目をらんらんと輝かせて、四方八方に細心の注意を払って、内に百雷の威力を秘めて大地に踞(こ)す姿に喩たとえて、「踞地金毛の獅子」という、

とあり(仝上)、この一喝は如何いかなる英雄でも肝をつぶすほどすさまじいと言わる。「探竿影草(たんかんようぞう)の如く」とは、

「探竿影草」は、漁師が草の下に魚がいるかいないのか棒で探ることです。この一喝で、出てきた修行者が聖(しょう)か凡(ぼん)か、真(しん)か偽(ぎ)かを探り照らして、その力量を見抜く一喝の故に、「探竿影草の如し」という、

とある。上記兵藤裕己校注『太平記』の注は、その「探竿影草」を、文脈から、迷彩服やカモフラージュに草などを身につけるのと同じ意で「身を隠す道具」と注記したものと思われるが、「探竿影草」は、文字通り、

水の深さをさぐる竿のようなはたらきである

の意になるhttp://one-zen-temple.blogspot.com/2016/05/blog-post_13.html。ただ、これには、

水の深さを測るとか、
魚をとらえる罠とか、
隠れ蓑を着るとか、

等々、様々な解釈がありhttps://www.engakuji.or.jp/blog/29692/

わざわざ世間に出ていき、悩み苦しんでいる人のところにいって、その人が今、どういう問題で苦しんでいるのか、それを一つ一ついっしょになって感じていく働きです、

ともある(仝上)ので、「身を隠して」それをするという含意なのかもしれない。

「一喝の用(ゆう)を作(な)さず」とは、

前述の三喝のような働きをしない喝、

という意であり、

修行者が修行に修行を重ねて、十年、二十年、練りに練り、鍛えに鍛えて、もはや修するに修するの道なく、学ぶに学ぶの法なきところに至って、一切のアカの抜け切った任運(にんぬん)自在(じざい)、心の欲する所に従って、しかも矩(のり)を踰(こ)えざる大自在(だいじざい)、遊戯(ゆげ)三昧(ざんまい)の境界から発する一喝が、この一喝、

とあり(仝上)、この一喝は、

必ずしも「喝」の形相を取りません。日常茶飯事の一挙手一投足がすべてこれ一喝でなければなりません。「一喝の用を作なさざる一喝」は他の三喝の根源であり、他の三喝を包括もの、

とあり、故に、厳密にいえば、すべての喝はこの、

一喝の用を作さざる一喝、

でなければならないとする(仝上)。この流れは、

第一の金剛王宝剣は、外の世界、誘惑などを断ち切る。これは、仏教の修行の上で言えば、戒・定・慧(三学 悪を止める戒、心の平静を得る定、真実を悟る慧)の戒にあたる。心から湧いてくる憎しみや怒りや貪りを断ち切る。そうして、踞地(こじ)金毛の獅子の、獅子がぐっと構えているようにじっとしている。これは、禅定(心を一点に集中し、雑念を退け、絶対の境地に達するための瞑想の姿)です。禅定の力を得たならば、次は、探竿影草(たんかんようぞう)、外の世界に働いていくことです。今、どういう状況にあるのかを判断する。今、自分がどういう状況にあるか、外に向かって能動的に心を働かせていく。ここまでの三つの喝で、戒・定・慧がきちんとそろっている。最後は、「一喝の用(ゆう)を作(な)さず」。坐っている姿勢であるとか、こういう語録の言葉であるとか、様々な決まり事などにとらわれずに、自在に働いていく。これは、慈悲行として働いていくわけです、

とあるのがわかりやすい(https://www.engakuji.or.jp/blog/29877/・精選版日本国語大辞典)。つまり、この「臨済四喝」には、きちんと、

戒・定・慧と慈悲行の実践がよく説かれている、

つまり修行のプロセスが示されている(仝上)。「四喝」を、

金剛王宝剣(仁王の刀)、
踞地金毛(獅子のねらい)、
探竿影草(魚をさそう)、
不作一喝(声をださぬ喝)

と整理するものもある(世界大百科事典)。

『臨済録』では、「一喝の用(ゆう)を作(な)さず」の後、

汝作麼生(そもさん)か会すと。僧議せんと擬(ほっ)するや、師便(すなわ)ち喝す、

とつづく。

「今挙げた四喝、汝はどう、わかったのか?」という臨済の問いに、この僧、わからず擬議します。臨済則ち喝す!

つまり、

喝、

を食らったのである(呉進幹・前掲書)。

作麼生、

は、

主に禅問答の際にかける言葉で、問題を出題する側が用いる表現。「さあどうだ」といった意味合いである、

が(実用日本語表現辞典)。「そもさん」に対し、問題を出題される側は、

せっぱ(説破)、

と応えるのが一般的である(仝上)。

「うけてたとう」「さあ、こい」、

といった意味合いである(仝上)。

最初に喝を放ったのは、

馬祖(ばそ)道一(どういつ)禅師だといわれています。その弟子である百丈(ひゃくじょう)禅師(749~814)は後に述懐しています。
「我れ当時(そのかみ)、馬祖に一喝(いっかつ)せられて、直(じき)に三日耳聾するを得たる」

という凄まじいものであったらしいhttp://www.rinnou.net/cont_04/zengo/080101.html。しかし、

通行本『臨済録』に収録されている「四喝」は、円覚宗演が黄龍慧南校訂『四家録』(約1066年前後)中の『臨済録』を重刊(1120)した時に増補した八則のうちの一則であった。これが『続開古尊宿語要』(1238)、『古尊宿語録』(1267)に引き継がれ、単行本化されて江戸時代の通行本(18 世紀)に至るのである。したがって『臨済録』テキストの二系統のうち、「古尊宿系」に見えるもので、「四家録系」には見えない、

とある(呉進幹・前掲書)。「四喝」は、

『景徳伝灯録』及び『天聖広灯録』によれば、「喝」を発するということは確かに臨済宗の宗風として早くから受け止められていた。しかし、それと同時に、それが安易に模倣されるいわゆる「胡喝乱喝」の現象も現われていた。そこで、「胡喝乱喝」を避けるために「喝」の分類(すなわち「四喝」)が提起された、

と考えられている(仝上)とある。

胡喝乱喝、

つまり、形式化したり様式化したものを厳格化したということなのだろう。

因みに「喝」は、

人を叱咤(しった)する声、またその声を発すること。禅宗では中国唐代以降、種々の意味をもって使用され、師が言詮(ごんせん 言語をもって仏法を説き明かすこと)の及ばぬ禅の極意を弟子に示すための方便として盛んに用いられた。その始まりは馬祖道一(ばそどういつ)・百丈懐海(ひゃくじょうえかい)の師資(師弟)間に行われたとされ、「黄檗希運(おうばくきうん)の棒」「臨済義玄(りんざいぎげん)の喝」と並び称され、言語、思慮を超えた悟境を示す手段とされた、

とあり(日本大百科全書)、とくに臨済宗門下では、「臨済四喝」とよばれる機関(指導の手段)としてまとめられ、修行の指標とされ、のちには葬儀の際の引導にも用いられる(仝上)。

「喝」 漢字.gif

(「喝」 https://kakijun.jp/page/1116200.htmlより)

「喝(喝)」(漢音カツ、呉音カチ)は、

会意兼形声。曷(カツ)は口ではっとどなって、人をおしとどめる意。喝は「口+音符曷」。その語尾のtが脱落したのが呵(カ)で、意味はきわめて近い、

とある(漢字源)。別に、

旧字は、形声。口と、音符曷(カツ)とから成る。のどがかわいて水をほしがる意を表す。借りて「しかる」意に用いる。常用漢字は省略形による、

とも(角川新字源)、

会意兼形声文字です(口+曷)。「口」の象形と「口と呼気の象形と死者の前で人が死者のよみがえる事を請い求める象形)(「高々と言う」の意味)から、「声を高くして、しかる」、「怒鳴りつける」、「さけぶ」を意味する「喝」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1622.html

「喝」 小篆(説文解字・漢.png

(「喝」 小篆(説文解字・漢) https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%96%9Dより)

なお無門慧開の『無門関』http://ppnetwork.seesaa.net/article/473155387.htmlについては触れた。

参考文献;
呉進幹「臨済禅の南伝と臨済宗の形成―五代宋初臨済禅の一考察」
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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posted by Toshi at 03:57| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする