2022年05月21日

にいなめ


「にいなめ(にひなめ)」は、

新嘗、

とあて、

にひなへの転、

とあり(岩波古語辞典・広辞苑)、

新饗(にひのあへ)の約轉、口に嘗(な)むる意と紛ふべからず、嘗(シャウ)は、支那の秋祭りの名なるを借りれるなり、

ともある(大言海)。中国最古の字書『爾雅(じが)』(秦・漢初頃)釋天篇に、

春祭曰祠(シ)、夏祭曰礿(ヤク)、秋祭曰嘗(シャウ)、冬祭曰蒸(ジョウ)、

とあり、注に、

嘗、嘗新穀也、

とあり、また、班固編『白虎通』(後漢 正しくは『白虎通義』)には、

嘗者、新穀熟而嘗之、

とある(仝上)。「にいなめ」は、

にひなへ、
にはなひ、

ともいい(仝上・岩波古語辞典)、また、「新嘗」を、

シンジョウ、

とも訓ますが、

宮中にて行はせらるる神事、古へは陰暦十一月、下の卯の日(三卯のあるときは中の卯の日 今は陽暦、十一月二十三日)に、其年の新稲を始めて神に奉らせたまひ、主上、御躬(みずから)も聞し召す、

とあり(大言海・精選版日本国語大辞典)、宮中神嘉殿(しんかでん 平安大内裏の中和院(ちゅうかいん)の正殿の称。天皇が神をまつるところ)にて行われるこの儀式を、

新嘗祭(にいなめさい・にいなめまつり・しんじょうさい・しんじょうえ)、

といい、

當年の新稲を以て酒撰を作り、天照大神を始め奉り、普く天神地祇に饗(あ)へ給ひ、天皇御躬らも聞し食し、諸臣にも賜る式典、

で(大言海)、

稲の収穫を祝い、翌年の豊穣を祈願する祭儀、

である(仝上)。なお、天皇の即位の年、一代一度行うのを、

大嘗祭(だいじょうさい・おおにえまつり・おおなめまつり・おおんべのまつり)、

といい、

天皇は新しく造られた大嘗宮の悠紀殿ついで主基殿(東(左)を悠紀(ゆき)、西(右)を主基(すき)という)、

で行う(精選版日本国語大辞典・広辞苑)。一世一度の新嘗であるから、

大新嘗(おおにいなめ)、

ともいう(仝上)。

「にいなめ」は、

古へは、朝家のみならず、民間にもせし饗(あへ)なり、いたく斎み謹みて、神に祭るを主(むね)として、其餘の人にも饗へ、自らも食したるなり。後世、九月日待と云ひ、村村にて鎮守の神の縁日に祝ひ饗することあるは、其遺風なり、

とある(大言海)。

新粟(にひしね 新米)の初嘗(なへ)して、家内諱忌(ものいみ)せり(常陸風土記)、

とあり、

新粟嘗(にひなへ)、

と訓ます(仝上)。

「にいなめ(新嘗)」の語源を、

ニヒ(新設)ノ(助詞)アヘ(饗)の約、新穀を差し上げる神事(岩波古語辞典)、
新饗(にひのあへ)の約轉(大言海・広辞苑)、
ニイナアヘ(新肴饗)の約(日本古語大辞典=松岡静雄)、

と、

にひのあへに関する考証が多く、ニヒが体言を修飾するとき、ノを介さないのが普通だから、

アヘはナヘのnが脱落したとする説(山口佳紀「古代日本語分謗の成立の研究」)、

もある(日本語源大辞典)。「あ(饗)ふ」は、

遭ふの他動詞、待遇の意、

とあり(大言海)、

食物を作ってもてなす、

意であり、その名詞形、

あへ(饗)、

は、新撰字鏡(898~901)に、

佐客、饗於他、

とあり、

饗応、

の意である(岩波古語辞典)

いずれも、多少の差があっても、本居宣長が、

にひのあへ、それを約めてにひなへ、

としたところに由来があるが、万葉集の、

誰ぞ此の、屋の戸押(お)そぶる爾布奈末に、吾が背を遣りて齋(いは)ふ此の戸を、

とあるのには、

爾布奈末(にふなみ)、

とある。だから、柳田國男は、

『書紀』神代巻でも、「新嘗」の文字を用いつつも、天照大神当時新嘗時を、ニハナへきこしめす時と訓ませ、またその新宮をニハナヘノミヤと訓ませていた。『古事記伝』巻八などには、『日本紀』の全巻を通じて、爾波那比、爾波能阿比、爾波那閇、爾波比、爾波閇などの読法があることを列記しながら、独り「爾波那閇」をもって正とし、他はみな正しからずと決定せられたのは、いささか専断のきらいがあった。『書紀』の振仮名はもとより一度に成ったものではなく、歴代の教師の口伝が積り溜まったものであろうが、この数々の不一致こそはむしろ意味があり、後久しからずして公けにも、シンジョウの音読を認められたのも、多分は言葉の本義が夙く失われて、家々の伝えが区々になった結果ともみられる。つまりは本居氏が是をニヒナメの一つに統一せられたのは何の詮もなく、いわば後代の研究者のために、なお発見の喜びを遺されたものと言ってもよい。(『海上の道』「稲の産屋」)、

と批判している。常陸風土記の

初嘗(なへ)して、

で、「嘗」一字で、

にひなめ、

の意となっており、また、『釋日本紀』の私記に、

爾波奈比は嘗也、之を爾波と謂ふなり、

ともあり、「新嘗」の「嘗」の字自体、

新たなる穀物を食べ試みる意味をはじめから持っていた、

とし、

(「新」の字を当てた)ニヒがはたしてその宛て字のごとく、単純なる形容詞の語根であったならば、是にノをつけてニヒノアヘ、それを約(つづ)めてニヒナヘとし、またニヒナメとしたという本居説は、いよいよもってこころもとない……、

としている。『書紀』神武紀には、

天皇、其の厳瓮(いつへ)の粮(おしもの)を嘗(にひなへ)したまひて、兵を勒(ととの)へて出でたまふ。

とあり、「嘗」を、

たてまつる、
なむ、

と訓むこともできるのは確かだが、「嘗(にひなへ)」とみると、

にひなへ、

の「にひ」を「新」とみるのは意味が重複することになってしまう。そこで、柳田は、

にひ、
には、
にふ、

を、折口信夫の、

稲村、
稲積、

と関わらせる説から、

ニホ、
ニオ、

の「ニオ(ニホ)」の転訛を提唱している。「稲積」は、

いなづみ、

とも訓むが、

ニオ、

とも訓ませる。その是非はともかく、「稲積」は、

刈取った稲束を円錐形に積上げたもの、

で、

イナムラ、
イネコズミ、
イナコヅミ、
ホヅミ、
ニゴ、
ミゴ、
ニュウ、
ニョー、
ニョウ、
スズキ、
ツブラ、
ススキ、

等々全国さまざまな異名があり(ブリタニカ国際大百科事典・世界大百科事典)、

今日では脱穀したのちわら束を積上げるワラニオが普通であるが、昔は穂のついたままの穂稲を積み、必要に応じて脱穀したものである。ニオの頂上にはわら帽子をつくっておおう習慣があり、本来ここが稲の収穫を祝う祭場であったらしい、

とある(仝上)。沖縄ではニオを、

シラ、

といい、それがまた産屋(うぶや)とつながることを「稲の産屋」で展開しているが、

刈ったばかりの稲穂のついたままの束を積み上げた場所は、そのまま田の神をまつる祭場、

と考えられ、

ニオ場、

とも呼び、

翌年の穀種が生育するという信仰があった、

とみられ(柳田・前掲書)、「ニオ」は、

新嘗(にひなめ)のニヒ、ニフのほか、ニエすなわち贄の語とも関連する、

ともある(仝上)ので、

神霊に捧げる供物、

という意味があり、頂に、

ワラトベ、
トツワラ、
トビ、

等々と呼ぶわら製の笠形の飾りや屋根をのせる(仝上)。これは、種俵の前後に取り付ける、

桟俵(さんだわら)、

つまり、

俵の両端の口に当てる直径30センチメートルくらいの円形の藁蓋(わらぶた)、

ともつながるように見え(柳田・前掲書)、

物の貴さを標示する一種の徽章、

ではないか、と柳田はみる(仝上)。こうした稲を収穫した後の農民のさまざまな振舞い、思いを背景に考えると、

にひのなへ説、

は、

新嘗、

と当てた漢字の言葉面だけをなぞった軽薄な説だということが見えてくる気がする。

「嘗」 漢字.gif


「嘗」(漢音ショウ、呉音ジョウ)は、

会意兼形声。嘗は「旨(うまいあじ)+音符尚(のせる)」で、食べ物を舌の上にのせて味をみること、転じて、試してみる意となり、さらにやってみた経験が以前にあるという意の副詞となった、

とある(漢字源)。「嘗烝(蒸)」という言葉があるが、これは前出の『爾雅(じが)』にある、

春祭曰祠、夏祭曰礿、秋祭曰嘗(シャウ)、冬祭曰蒸、

で、

春の祠、夏の礿、秋の嘗、冬の烝

を、

四祭(しさい)、
四時祭、

という(精選版日本国語大辞典)。別に、「嘗」を、

形声文字です(尚+旨)。「神の気配の象形と屋内で祈る象形」(「請い願う」の意味だが、ここでは、「当(當)」に通じ(同じ読みを持つ「当(當)」と同じ意味を持つようになって)、「当てる」の意味)と「さじの象形と口の象形」(さじで口に食物を流し込む事から、「うまい」の意味)から、「旨い物を舌に当てる」、「味わう」を意味する「嘗」という漢字が成り立ちました、

との解釈もあるhttps://okjiten.jp/kanji2401.html。漢字の、

新嘗(しんじょう)、

は、

野露及新嘗(杜甫)、

とあるように、

新穀を廟にすすめて神をまつる、

意である(字源)。「にいなめ」に当てたのは、この故であろう。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2022年05月22日

ゆかし


又ぐしたてまつりたりしかば、なりはてんやうゆかしくて、思もかけず(宇治拾遺物語)、

にある、

ゆかし、

は、

知りたい、

という意味になる(中島悦次校注『宇治拾遺物語』拾遺)。「ゆかし」は、口語の、

ゆかしい、

で、

床しい、
懐しい、

等々と当てるが、当て字である。「ゆかし」は、

行か+し、

で(日本語源広辞典)、

行(ゆ)くの形容詞形、

であり、

良いことが期待される(岩波古語辞典)、
心が行きたい状態になる(日本語源広辞典)、
心、往かむとする意(大言海・本朝辞源=宇田甘冥)、
ゆか(往)しき義(名言通)、
ゆかまほしの略(志不可起)、
ユカシムルの義(日本語源=賀茂百樹)、

等々と、

心の中の~したいという思いの表現、

とされ、

海づらもゆかしくて出で給ふ(源氏物語)、

と、

どんな様子か見たい、
逢いたい、

あるいは、

藤壺のまかで給へる三条の宮に、御有様もゆかしうて参り給へれば(仝上)、

と、

どんな様子か、誰であるか、知りたい、

等々、

見たい、
聞きたい、
知りたい、
逢いたい、

等々の、

何となく知らまほし、

という心情表現から、

見えぬものに心をやる、

という心の動きの、

奥ゆかし、
心ゆかし、

という(大言海)価値表現へと変じた、とみえる。色葉字類抄(1177~81)には、

色、ゆかし、

とあるのは、そんな微妙な心情表現ではないか。

しのびて寄する車どものゆかしきを、それか、かれかなど思ひよすれば(徒然草)、

の、

好奇心を持つ、

は、隣接した意味だし、今日、

ゆかしい人柄、

などと使うのも、奥ゆかしさという価値表現につながる。それは、

山路来て何やらゆかしすみれ草(芭蕉)、

の、

何となく懐かしい、
何となく慕わしい、
何となく心が引かれる、

などともつながる価値表現になる。

「牀」 漢字.gif



「床」 漢字.gif

(「床」 https://kakijun.jp/page/0780200.htmlより)

「床」(慣用ショウ、漢音ソウ、呉音ジョウ)は、

会意文字。「广(いえ)+木」で、木でつくった家の台や家具を表す。もと細長い板を並べて張ったベッドや細長い板の台のこと。牀と同じ、

とある(漢字源)が、

「牀(シヤウ 板に足を付けたベンチ上の寝台)」の俗字、

のようである(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%BA%8A・角川新字源)。日本の「ゆか」の意が強く「寝床(ねどこ)」「床屋」「床の間」などと異なり、「病床」のように、寝台や腰かけの意で使われる。別に、

会意兼形声文字です(广(爿)+木)。「屋根」の象形と「寝台を立てて横から見た象形と大地を覆う木」の象形(「ねだい」の意味)から、「ねだい」を意味する「床」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1179.html

「懷」 漢字.gif



「懐」 漢字.gif

(「懐」 https://kakijun.jp/page/1624200.htmlより)

「懷(懐)」(漢音カイ、呉音エ)は、

会意兼形声。褱(カイ)は「目からたれる涙+衣」の会意文字で、涙を衣で囲んで隠すさま。ふところに入れて囲む意を含む。懷は、それを音符とし、心を加えた字で、胸中やふところに入れて囲む、中に囲んで大切に温める気持ちをあらわす、

とある(漢字源・角川新字源・https://okjiten.jp/kanji1539.html)が、「懷」の字源には、

会意兼形声あるいは形声。「心」+音符「褱 /*KUJ/」。{懷 /*gruuj/}(思う、懐かしむ)を表す字、

とする上記説以外に、

音符の「褱」は形声文字、「衣」+音符「眔 /*KUJ/」。{懷 /*gruuj/}(いだく、つつむ)を表す字、

とする説もあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%87%B7

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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ラベル:ゆかし
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2022年05月23日

人屋


もとはいみじき悪人にて、人屋(ひとや)に七度ぞ入りたりける(宇治拾遺物語)、

の、

人屋、

は、

牢屋、

の意味(中島悦次校注『宇治拾遺物語』)とある。

「人屋」は、

じんおく、

と訓ませると、

京中には辻風おびたたしう吹て、人屋多く転倒す(平家物語)、

と、

人の住む家屋、

の意となる(広辞苑)が、

ひとや、

と訓ませると、

獄、
囚獄、

とも当て、

罪人を捕らえて閉じ込めておく屋舎、
牢屋、
牢獄、

の意となる(仝上)。和名類聚抄(931~38年)には、

獄、牢、囹圄、比度夜、牢罪人所也、

とある。また、霊異記(平安初期)の訓釋には、

囹圄、ヒトヤ、

とある。「囹圄」は、

れいご、

と訓ませる(「圄」の呉音)が、漢語では、

れいぎょ、

とも訓み(字源・大言海)、

牢屋、

の意で、

囹圉(レイギョ・レイゴ)、

ともいう(漢字源)。「囹」(漢音レイ、呉音リョウ)は、

領、

圄(漢音ギョ、呉音ゴ)は、

禦、

の意(唐代『初学記』)で、

囚徒を領録して禁禦する、

とある(字源・大言海)。前漢の経書『禮記(らいき)』月令篇に、

司に命じて、囹圄を省き、桎梏を去り、肆掠(しりやく)すること毋(な)く、獄を止めしむ、

とある(大言海・精選版日本国語大辞典)。

「人」 漢字.gif

(「人」 https://kakijun.jp/page/0206200.htmlより)

「ひと」http://ppnetwork.seesaa.net/article/483976614.html?1651364003で触れたように、「人」(漢音ジン、呉音ニン)は、

象形。人の立った姿を描いたもので、もと身近な同族や隣人仲間を意味した、

とあり、その範囲を、

四海同胞、

にまで広げ、それを仁と呼んだ(漢字源)、とある。

立っている姿には違いないが、

人が立って身体を屈伸させるさまを横から見た形にかたどる(角川新字源)、
人が立っている姿の側面を描いたものhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%BA%BA

ともある。

「屋」 漢字.gif

(「屋」 https://kakijun.jp/page/0948200.htmlより)

「屋」(オク)は、

会意文字。「おおって垂れた布+至(いきづまり)」で、上からおおい隠して、出入りをとめた意をあらわす。至は室(いきづまりの部屋)・窒(ふさぐ)と同類の意味を含む。この尸印は尸(シ しかばね)ではない。覆い隠す屋根、屋根で覆った家のこと、

とあり(漢字源)、

テント状の建物が原義、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B1%8Bが、

尸(居の省略形。すまい)と、至(矢がとどく所)とから成る。居住する場所を求めて矢を放つことから、住居の意を表す(角川新字源)、

会意文字です(尸+至)。「屋根」の象形(「家屋」の意味)と「矢が地面に突き刺さった」象形(「至(いた)る」の意味)から、人がいたる「いえ・すみか」を意味する「屋」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji464.html

ともある。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
簡野道明『字源』(角川書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2022年05月24日

みづち


「みづち(みずち)」は、

虬、
虯、
蛟、
蜃、
蜄、
鲛、
鮫、
螭、

等々、様々に当てられるようだhttps://kanji.jitenon.jp/yomi/914751.htmlが、当て方は、

虬 33.3%
蛟 33.3%
大虬 11.1%
水蛇 11.1%

とあるhttps://furigana.info/r/%E3%81%BF%E3%81%A5%E3%81%A1。手元の辞書では、

蛟、虬、虯、螭、彲(字源)、
蛟、虬、虯、螭(広辞苑・デジタル大辞泉)、
蛟、虬、蛟龍(岩波古語辞典)、
蛟、虬、虯(大言海)、

と当てているが、後述のように、

「虬」(キュウ、ケ)は、「虯」(キュウ、ケ)に同じ、
「彲」(チ)は、「螭」(チ)に同じ、

とある(字源)ので、つまるところ、漢字は、

蛟、虯、螭、

ということになる。

「くちなわ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/488045482.html?1652552920で触れたように、「みづち」は、古くは、

みつち、

と清音、和名類聚抄(平安中期)に、

蛟、美豆知(みつち)、龍属也、

類聚名義抄(11~12世紀)に、

蛟、大蛇、みつち、

天治字鏡(平安中期)に、

蛟、龍名、美止知、

とある(岩波古語辞典)。仁徳紀67年西暦(379)10月に、

是歳、於吉備中國川鳴河渡、有大虬(みつち)、令苦人、

という記事があり、

県守(あがたもり 笠臣(かさのおみ、笠国造)の祖)が、瓠(ヒサゴ)(瓢箪)を三つ浮かべ、大虬にむかって、そのヒサゴを沈めてみせよと挑戦し、もし出来れば撤退するが、出来ねば斬って成敗すると豪語した。すると魔物は鹿に化けてヒサゴを沈めようとしたがかなわず、男はこれを切り捨て、淵の底の洞穴にひそむその類族を悉く斬りはらったので、淵は鮮血に染まり、以後、そこは「県守淵(あがたもりのふち)」と呼ばれるようになった、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9B%9F。万葉集にも、

虎に乗り、古屋(ふるや)をこえて、青淵に、鮫(ミツチ 鮫は蛟なり)取り來(こ)む、剣太刀もが(境部王)、

とある(大言海)。

ミズチに向かう県守.jpg

(ミズチに向かう県守(『前賢故實』) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9B%9Fより)

「みづち」は、

想像上の動物、蛇に似て四足をもち、毒気を吐いて、人を害する、

とあり(広辞苑)、

龍の角なきものを虬(みづち)と云ふ(大言海)、
虬竜(きゅうりゅう)(広辞苑)、

などとという付記は、後述のように漢字からの、誤伝も含めた、影響とみえる。

「みづち」の語源は、

ミは水、ツは助詞、チは靈で、水の霊(広辞苑)、
水神の義(類聚名物考)、
ミツチ(水之神)の義(琅玗記=新村出)、

と、「水の霊」ないし「水の神」とするものと、

チはヲロチ(大蛇)のチに同じ、威力あるものの意、朝鮮語mirï(龍)と同源(岩波古語辞典)、
ミは蛇の古称、ツチは尊称、蛇の主の義(蛇に関する民俗と伝説=南方熊楠)、
ミはヘミ(蛇)にて、ツは之なり、或は云ふ、合して水なり、チは靈の異称(大言海・国語の語根とその分類=大島正健)、

と、「蛇」に拘らせるものに大別される。

「チ」は、「をろち」http://ppnetwork.seesaa.net/article/469001407.html、「ち(血)」http://ppnetwork.seesaa.net/article/465705576.html?1557945045、「いのち」http://ppnetwork.seesaa.net/article/465724789.html、等々で触れたように、

いかづち(厳(いか)つ霊(ち)。つは連体助詞。雷)、
をろち(尾呂霊。ヲは峰(あるいは尾)、ロは助詞、チは激しい勢いあるもの。大蛇)、
のつち(野之霊。野槌。野つ霊(チ)。野の精霊)、
いのち(イは息、チは勢力、息の勢い。命)、

と重なり、「ち(霊)」は、

原始的な霊格の一。自然物のもつはげしい力・威力をあらわす語。複合語に用いられる、

とされ(岩波古語辞典)、

神、人の霊(タマ)、又、徳を称へ賛(ほ)めて云ふ語。野之霊(ノツチ、野槌)、尾呂霊(ヲロチ、蛇)などの類の如し。チの轉じて、ミとなることあり、海之霊(ワタツミ、海神)の如し。又、轉じて、ビとなることあり、高皇産霊(タカミムスビ)、神皇産霊(カムミムスビ)の如し、

とある(大言海)ので、「チ」は、

霊、

とみるか、

神、

と見るかであり、「み」を、

水、

とみるか、

蛇、

とみるかも、ヤマタノオロチもそうだが、水の神は、多く、

龍、

か、

蛇、

に擬せられたり、

大雨を降らすなどの伝承が多く、水神もしくは水神の使わしめ、

と考えられ、たとえば、

水神は女神で水底で機(はた)を織っているという機織淵(はたおりぶち)などの伝説がある。民間伝承では水神を蛇体と伝えている例が多く、そのほかウナギ、タニシなどを水の主(ぬし)としている所もある。河童(かっぱ)は水神の零落した姿、

とされている(日本大百科全書)。ただ、柳田國男は、

ミヅチは蛟と書き又虬と書いている。だから蛇類ではないかという人もあろうが、それに答えては中国ではそう思っているというより他はない。日本のミヅチという語には水中の霊という以外に、何の内容も暗示されておらぬ、

という(『妖怪談義』)。つまり、その姿形は、「みづち」に当てた漢字のイメージが強いが、国内的には想定する史料がない、ということらしい。しかし、南方熊楠は、

わが邦でも水辺に住んで人に怖れらるる諸蛇を水の主というほどの意でミヅチと呼んだらしくそれに蛟虬等の漢字 を充てたはこれらも各支那の水怪の号故だ。現今ミヅシ(加能)、メドチ(南部)、ミンツチ(蝦夷)など呼ぶは河童なれど、最上川と佐渡の水蛇能く人を殺すといえば(『善庵随筆』)、支那の蛟同様水の主たる蛇が人に化けて兇行するものをもとミヅチと呼びしが、後世その変形たる河童が専らミヅシの名を擅にし、御本体の蛇は池の主淵の主で通れどミヅチの称を失うたらしい。かく蛇を霊怪視した号なるミヅチを、十二支の巳に当て略してミと呼んだは同じく十二支の子をネズミの略ネ、卯を兎の略ウで呼ぶに等し。また『和名抄』に蛇 和名 倍美(へみ)、蝮 和名 波美(はみ)とあれば蛇類の最も古い総称がミで、宣長の説にツチは尊称だそうだから、ミヅチは蛇の主の義ちょうど支那で蟒を王蛇と呼ぶ(『爾雅』)と同例だろう、

と(十二支考・蛇に関する民俗と伝説)し、「へび」の古名「へみ」、「蝮」の古名「はみ」の「み」から、「蛇」のイメージがあったと推測している。結局、

水の主、
すなわち、
蛇の主、

ということになりそうであるが、「蛇の主」にしろ「水の主」のいずれにしても、

水の神、

ということになる。因みに、蛇の古名である「へみ」「はみ」については、「くちなわ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/488045482.html?1652552920で触れた。

中国でいう「みづち」は、

蛟竜(こうりょう・こうりゅう)、

といい、

蛟龍は常に保深淵之中。若遊浅渚、有漁網釣者之愁(太平記)、

と、

「神龍忽ち釣者の網にかかる」http://ppnetwork.seesaa.net/article/485851423.html?1651386479で触れたように、

まだ龍にならない蛟(みずち)。水中にひそみ、雲雨に会して天に上り龍になるとされる、

とあり(広辞苑・精選版日本国語大辞典)、

姿が変態する竜種の幼生(成長の過程の幼齢期・未成期)、

だとされるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9B%9F%E7%AB%9C

蛟図(中国の蛟).png

(蛟図(中国の蛟) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9B%9F%E7%AB%9Cより)

積水の淵を成さば蛟龍生ず(『荀子』勧学篇)、

とある一方、

蛟龍は淵に伏寝するも、その卵は陵(おか)において割(さ)ける(『淮南子』暴族訓)、

ともあるが、

水にすむ虺(き)は五百年で蛟となり、蛟は千年で龍となり、龍は五百年で角龍、千年で應龍となる、

とある(志怪小説『述異記』)。想像上の動物なので実体ははっきりしない。「蛟」の字は、

その眉が交生するから(『述異記』)、

とある(仝上)。

「蛟」 漢字.gif

(「蛟」 https://kakijun.jp/page/E580200.htmlより)

「蛟」(漢音コウ、呉音キョウ)は、

会意兼形声。「虫+音符交(よじれる)」、

で、

みずち、想像上の動物の名、竜の一種、蛇に似て、からだがよじれ、四足をもつという。水を好み、大水を起こす、

とある(漢字源)。

蛟の眉相交わる、故に交に从(したが)ふ、

とある(字源)。

蛟蛇(こうだ)、
蛟螭(こうち)、

でも、

みずち、

の意であり、

蛟龍得雲雨(こうりょう、うんうをう)、

は、

劉備非久屈為人用者、恐蛟龍得雲雨、終非池中物也(呉史・周瑜傳)、

と、

英雄が一旦時に逢えば忽ち覇業を為す、

に喩える(字源)とある。別に、

蛟龍得水、

ともいう(仝上)。

「虬」 漢字.gif


「虯」 漢字.gif


「虬」(キュウ、ケ)は、「虯」(キュウ、ケ)に同じだが、

虬は角ある龍、螭は角なき龍、

とあり(字源)、

虯龍(キュウリョウ)、

でも、

有角曰虯龍(虬龍)(埤雅)、

と、

角のある龍、

の意となる(仝上)。また、

虯髯(キュウゼン)、

有勇力虯髯善射(五代史・皇甫遇傳)、

と、

みずちのごとく曲がれるほほひげ、

の意とされる。

「螭」  漢字.gif


「螭」(チ)は、

みずち、

の意だが、

龍の角なきもの、

の意である(仝上)。また、

一説に黄色の龍、
龍の雌、

ともある(仝上)。

蛟螭(コウチ)、
虯螭(キュウチ)、

ともいう。

「彲」(チ)は、螭に同じとあり、

龍に似て黄色、

とある(仝上)。なお「龍」には、

鱗あるを蛟龍、
翼あるを應龍、
角あるを虯龍(虬龍)、
角なきを螭龍、
未だ天に昇らざるを蟠龍、

とがある(仝上)、とされる。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
南方熊楠.『南方熊楠作品集』(Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
簡野道明『字源』(角川書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2022年05月25日

非時


南の京の永超僧は、魚なきかぎりは、時・非時もすべてくはざりけり(宇治拾遺物語)
道心、社僧となりて、……糧料など乏しくて、……心ざし有る人にたよりて、斎(とき)・非時を乞い侍る(曽呂利物語)、

などとある、

時(とき)、

は、

斎(とき)、

で、

仏家で、午前中に取る食事、午後は食しないと戒律で定めている、

とあり(広辞苑)、

斎食(さいじき)、
時食(じしょく)、

ともいい(広辞苑)、

食すべき時の食事、

の意で、

インド以来の戒律により午前中に食べるのを正時、

とし、午後は食すべき時ではない時刻の食の意で、

非時(ひじ)、

とある(デジタル大辞泉)が、正確には、

日中から後夜(ごや)までは食事をとってはならない定めだった、

ので、

非時者、従日中至後夜後分、名為非時、……従日中至後夜後分、明轉滅没、故名非時(薩婆多毘婆沙)、

と、

非時、

といい、この間に取る食事を、

佛經戒比丘非時食、蓋其法過午則不食也、西蜀僧招客暮食、謂之非時(老学庵筆記)、

と、

非時食(ひじじき)、

あるいは、

非食(ひじき)、

といった(字源・岩波古語辞典・広辞苑)。因みに、「後夜」は、仏語で、一日を昼夜六つ、

晨朝、日中、日没、初夜、中夜、後夜、

に分けた、夜間の後の時分、

夜半から朝までの間、

をいう(精選版日本国語大辞典)。

「非時」については、

鑑真和尚、日本へ渡り給ひたりし昔は、寺寺はただ一食にて、朝食一度しけり(鎌倉後期の仏教説話集『雑談集』)、

とあり、続けて、

次第に器量弱くして、非時と名づけて、日中に食し、後には山も奈良も三度食す(仝上)、

ということで、

非時食、

という矛盾したものが生まれ、

正午過ぎの食事、

となる(大言海)。

つまり、

斎(とき)⇔非時、

の対となる。

在家でも、

特に八斎戒をまもる斎日には、正午を過ぎてからは食事をしない、

とある(精選版日本国語大辞典)。「八斎戒」とは、「六斎日(ろくさいにち)」(特に身をつつしみ持戒清浄であるべき日と定められた六日)などに、

在家信者が一昼夜の間だけ守ると誓って受ける八つの戒律、

つまり、

生き物を殺さない、
他人のものを盗まない、
嘘をつかない、
酒を飲まない、
性交をしない、
午後は食事をとらない、
花飾りや香料を身につけず、また歌舞音曲を見たり聞いたりしない、
地上に敷いた床にだけ寝て、高脚のりっぱなベッドを用いない、

の八戒。おもに原始仏教と部派仏教で行われた(仝上)、とある。

なお、

食すべき時の意、

の「斎(とき)」http://ppnetwork.seesaa.net/article/460543513.htmlについては触れた。

「非」 漢字.gif

(「非」 https://kakijun.jp/page/hi200.htmlより)

「非」(ヒ)は、「非想非々想天」http://ppnetwork.seesaa.net/article/485982512.htmlで触れたように、

象形。羽が左と右とに背いたさまを描いたもの。左右に払いのけるという拒否の意味をあらわす、

とある(漢字源)。「羽」(ウ)の

二枚のはねをならべおいたもの、

と比べると、その意味が納得できる(仝上)。

「時」 漢字.gif


「時」(漢音シ、呉音ジ)は、「とき」http://ppnetwork.seesaa.net/article/460526964.htmlで触れたように、

会意兼形声。之(シ 止)は、足の形を描いた象形文字。寺は「寸(て)+音符之(あし)」の会意兼形声文字で、手足を働かせて仕事をすること。時は「日+音符寺」で、日が進行すること。之(行く)と同系で、足が直進することを之といい、ときが直進することを時という、

とあり(漢字源)、日の移り変わり、季節、時期などの意を表すに至る(角川新字源)。別に、

会意兼形声文字です(止+日)。「立ち止まる足の象形と出発線を示す横一線」(出発線から今にも一歩踏み出して「ゆく」の意味)と「太陽」の象形(「日」の意味)から「すすみゆく日、とき」を意味する漢字が成り立ちました。のちに、「止」は「寺」に変化して、「時」という漢字が成り立ちました(「寺」は「之」に通じ、「ゆく」の意味を表します)、

とありhttps://okjiten.jp/kanji145.html、結果としては、同じになる。

「斎」 漢字.gif


「齋」 漢字.gif

(「齋」 https://kakijun.jp/page/sai200.htmlより)

「齋」(漢音セイ、呉音セ)は、「齋(斎)」(とき)http://ppnetwork.seesaa.net/article/460543513.htmlで触れたが、

会意兼形声。「示+音符齊(きちんとそろえる)の略体」。神を祭るとき、心身を清めととのえる意を表す、

とある(漢字源・角川新字源)。別に、

会意兼形声文字です(斉+示)。「穀物の穂が伸びて生え揃っている」象形(「整える」の意味)と「神にいけにえを捧げる台」の象形(「祖先神」の意味)から、「心身を清め整えて神につかえる」、「物忌みする(飲食や行いをつつしんでけがれを去り、心身を清める)」を意味する「斎」という漢字が成り立ちました、

とあるhttps://okjiten.jp/kanji1829.html

なお、「時(とき)」http://ppnetwork.seesaa.net/article/460526964.htmlについては触れた。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
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2022年05月26日

着想の祖型


柳田國男『妖怪談義』を読む。

妖怪談義.jpg


本書は、

妖怪談義、
かはたれ時、
妖怪古意、
おばけの声、

の、

妖怪論、

のほか、

川童、
ザシキワラシ、
小豆洗い、

といった個々の妖怪論、

山姥奇聞、
入らず山、
山男の家庭、
山の神のチンコロ、
大人弥五郎、
じんだら沼記事、

等々といった、後に、

山の人生、

に集約されることになる、

山人、

に関するもの、

一つ目小僧、
一眼一足の怪、
片足神、

等々といった、後に、

一つ目小僧、

に集約されるものが収録されている。ただ、この「一つ目小僧」は、

一本ダタラ、

と呼ばれたり、「一眼一足」の、

山鬼(さんき)・山父(やまちち)、

と呼ばれたりして、

ダイダラボッチ、

山人、

ともつながるところがあり、「山の人生」と「一目小僧」とは通底しているともいえる。

本書は、ある意味、こうした、

柳田國男の着眼の在り方、

の見本市のように見える。

面白いのは、いくつか定義をして見せていることだ。それは、取り上げるものの分野を決めていく、つまり混同しないという厳密化の試みにも見える。

たとえば、ひとつは、

オバケ、



幽霊、

の区別。「オバケ」は、

出現する場処がたいていは決まっていた。避けてそのあたりを通らぬことにすれば、一生出くわさずにすますこともできた、

し、

相手をえらばず、むしろ平々凡々の多数に向かって、交渉を開こうとしていたかに見える、

のに対して、「幽霊」は、

足がないという説もあるにもかかわらず、てくてくと向こうからやって来た。かれに狙われたら、百里も遠くへ逃げていても追い掛けられる、

し、

ただこれぞと思う者だけに思いを知らせようとする、

とし、「幽霊」は、

丑みつの鐘が陰にこもって響く頃、

出るが、「オバケ」は、

都合のよさそうなのは宵と暁の薄明かり、

になる。

人に見られて怖がられるためには、少なくとも夜ふけて草木も眠るという暗闇の中へ、出かけてみた所が商売にはならない、

から、もし、

たまたま真っ暗な野路などをあるいていて、出やしないかとびくびくする人は、もしも恨まれるような事をした覚えがないとすれば、それはやはり二種の名称を混同しているのである、

と(妖怪談義)。だから、

たそがれ(誰ぞ彼)、
かはたれ(彼は誰)、

の時分を、

おおまがとき(大禍時)、
おもあんどき(おもわぬ時)、

などと、黄昏の薄暗き時刻を、

怪あり、

と、警戒したのではないか。なお、逢魔が時http://ppnetwork.seesaa.net/article/433587603.html、「たそがれ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/479991859.htmlについては、触れた。

河童が水の神から妖怪に零落したように、

妖怪とは神が零落したもの、

つまり、

前代信仰の零落した末期現象、

が「妖怪」なのだが、小山聡子『もののけの日本史』http://ppnetwork.seesaa.net/article/480217461.htmlでは、

モノノケ、

と、

幽霊、
怨霊、
妖怪、

を区別していた。古代、モノノケは、

物気(もののけ)、

と表記し、多くの場合、

正体が定かではない死霊(しりょう)の気配、もしくは死霊、

を指し、

生前に怨念をいだいた人間に近寄り病気にさせ、時には死をもたらすと考えられていた、

のである。少なくとも、中世までは、モノノケは、

病をもたらす恐ろしい存在であった、

が、幽霊は、

死者や死体そのものも幽霊であり、人間に祟る性質は持たなかった、

とされた。しかし、近世、

幽霊はモノノケと混同される、

ようになり、祟る性質を持つようになる。そして、近世になると、モノノケ、幽霊、怨霊、妖怪、化物が混淆して捉えられ、前代のようには恐れられなくなり、その結果、モノノケは、

物気、

ではなく、

物怪、

と表記されるようになり、

妖怪、

を「もののけ」と訓ませたりするようになる。柳田國男の区別とは、少し異同があるが、「モノノケ」が「物の怪」となり、「幽霊」が人に祟るようになった近世以降の区別、と考えると、江戸初期の怪異譚を集大成した『江戸怪談集』http://ppnetwork.seesaa.net/article/487589740.htmlを想い合わせると、納得できる気がする。

なお、「オバケ」の名称の特徴を、第一に、

ガゴ・ガモ、
ガモンジ、
カゴ、
ガンゴ、

等々、

ガ行の物すごい音からなっている音声系、第二に、

タンゴウスル、
ベッカッコウ、
ガンゴメ、

等々おばけの顔の表現系、第三に、

ガモン、
カガモ、
ガモチ、

等々「咬もう」と出現したことに由来する音声系とがある(おばけの声)という整理は面白い。

もうひとつ、伝説と昔話の区別を、

昔話はどうせ現世の事でないと思っているから、できるだけ奇抜な又心地よい形にして伝えようとしているのに反し、伝説は今でも若干は信ずる者があるので、怪異をありそうな区域に制限する。従うて時代時代の知能と感覚はこれに干渉し、しばしば改造を加えて古い空想を排除する、

と(妖怪談義)、整理しているのも重要に思う。「伝説」においては、河童も、だいだらぼっちも、おしらさまも、まだフィクションではなく、現実に存在しているのである。

なお、「山の人生」については、『遠野物語・山の人生』http://ppnetwork.seesaa.net/article/488108139.htmlで触れた。

参考文献;
柳田國男『妖怪談義』(講談社学術文庫)
小山聡子『もののけの日本史―死霊、幽霊、妖怪の1000年』(中公新書)

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2022年05月27日

わりご


北のおとどよりわざとがましく集めたる鬚箱(ひげこ)ども、わりごなど奉れ給へり(源氏物語)、
破籠やうの物取り開き、舟人にも食はせなんどし給ふ(伽婢子)、

などの、

「わりご」は、

中にしきりのある箱、弁当箱、

とある(中島悦次校注『宇治拾遺物語』)。因みに、「鬚箱(ひげこ)」は、

竹や針金などで作った籠で、編み残した端が鬚(ひげ)のようにでているもの(広辞苑)、
竹をもって籠をつくり、其編みあまりを長く残しおくもの、残れるが恰も髭の如し、端午の幟の頭などに用ゐ、又は贈物などを入る(大言海)、

と、

竹編みの籠、

を言う。

破子.jpg

(「破子」 和漢三才図絵より)

「わりご」は、

破子、
破籠、
割籠、
割子、
樏、

等々と当て(広辞苑)、当て方を見ると、

割籠 71.4%
破子 14.3%
割子 7.1%
破籠 3.6%
食籠 3.6%

https://furigana.info/r/%E3%82%8F%E3%82%8A%E3%81%94

食籠、

とも当てるようだが、平安時代から、

ヒノキの薄い白木で折箱のように造り、内部に仕切りを設けて、同じ深さの蓋(かぶせぶた)をした弁当箱、

の意、また、それを換喩に、

なしまの丈六堂にて、ひるわりこくふに、弟子ひとり近邊の在家にて、魚をこひてすすめたりけり(宇治拾遺物語)、

と、

中に入れた食物、

も指す(仝上・岩波古語辞典)。

円形、三角形、四角形、扇形などさまざまな形につくり、その日限りに使い捨てた、

という(日本大百科全書)。古くは、

携行食には餉(かれいい)、すなわち干した飯を用い、その容器を餉器(かれいけ)、

といったが、『和漢三才図会』には、

わり子は和名加礼比計(かれいけ)、今は破子という、

とある(ブリタニカ国際大百科事典)。後世、

弁当容器としてメンツウ、メンパ、ワッパなどとよばれるヒノキの曲物(まげもの)をサクラの樹皮で留めたもの、

や、

メシゴウリなどとよばれるタケ、ヤナギの行李(こうり)、

が用いられ、これらを両手に持って開いたとき、蓋と身(み)がほぼ同形で二つに破(わ)った格好になるので、これを、

破子、

ともよんでいる(日本大百科全書)、とある。

蓋と身がちょうど同じ深さであるところから(思ひの儘の記)、
ワリケ(別笥)の義(言元梯)、

も同趣旨だが、別に、

器内に隔あれば、割子なり(大言海・嬉遊笑覧)、

と、器内の分割からきているとする説もある。あるいは、

ふたは一枚板かかぶせぶた、

ともあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A0%B4%E7%B1%A0ので、当初は、

器内を分けていた、

ことから、その名が由来したが、後の、

メンパ、
ワッパ

などから、

ほぼ同形で二つに破(わ)った格好、

からくる「破子」の意味に転じたということも考えられる。『和漢三才図絵』の、

わり子は和名加礼比計(かれいけ)、今は破子という、

とは、その意味のようだ。和名類聚抄(平安中期)にも、

樏子、破子、和利古、有障之器也、

とある。

わりご弁当.jpg


因みに、現在も、平安時代由来の「わりご」を使っているのは、

小豆島わりご弁当

だけhttps://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/warigo_bentou_kagawa.htmlらしい。

「樏」 漢字.gif


「樏」(ルイ)は、

山道を行くときに用いる道具、人を乗せて運ぶかご、

の意で、

禹が山行に乗りし処のもの、

とある(字源)。しかし、わが国では、

雪中を行くに踏込まざるやうに編見て作りし履物、

つまり、

かんじき、

の意で使い(字源)。

わりご、

にも当てたらしい。旁の「累」(ルイ)は、

会意兼形声。「纍」の略体、

とありhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%B4%AF

「纍」は「糸」+音符「畾」(ルイ・ライ)、「畾」はものが積みあがった様子を示す象形又は会意で、積み上がったものを連ねるの意、

とあり(仝上)、「纍」は、

畾を音符とし、糸を加えたのが原字で、糸でつなぐように、次々とつらなって、重なる意、

となる(漢字源)。その意味で、「木」で、

重ねる、
つなげる、

意から、

わりご、

かんじき、

に当てたものではないかという気がする。

「破」 漢字.gif


「破」(ハ)は、

形声(意味を表す部分と音を表す部分を組み合わせて作られた文字)。「石+音符皮」。皮(曲線をなしてかぶせたかわ)とは直接関係はない、

とあり(漢字源)、

石が「やぶれる」こと、石で「やぶる」ことhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%A0%B4
石が裂けくだける、ひいて、くだきやぶる意を表す(角川新字源)、

ともある。別に、

形声文字です(石+皮)。「崖の下に落ちている石」の象形(「石」の意味)と「獣の皮を手ではぎとる」象形(「皮」の意味だが、ここでは「波」に通じ(「波」と同じ意味を持つようになって)、「波(なみ)」の意味)から、
くだける波のように石が「くだける」を意味する「破」という漢字が成り立ちました、

との解釈もありhttps://okjiten.jp/kanji847.html、「皮」と関連づけている。

「割」 漢字.gif

(「割」 https://kakijun.jp/page/1207200.htmlより)

「割」(漢音カツ、呉音カチ)は、

形声。害(ガイ)は、かご状のふたを口の上にかぶせることを示し、遏(アツ)と同じくふさぎ止めること。割は「刀+音符害」で害の原義とは関係ない、

とある(漢字源)が、

形声。刀と、音符(カイ)→(カツ)とから成る。切り分ける意を表す(角川新字源)、

とも、

会意兼形声文字です(害+刂(刀))。「刀」の象形と「屋根の象形ときざみつける象形と口の象形」(祈りの言葉を切り刻むさまから、「傷つける・殺す・断ち切る」の意味)から、刀で「たちきる」を意味する「割」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji982.html

ともある。

「子」 漢字.gif

(「子」 https://kakijun.jp/page/0323200.htmlより)

「子」(漢音呉音シ、唐音ス)は、

象形。子の原字に二つあり、一つは、小さい子供を描いたもの。もう一つは、子供の頭髪がどんどん伸びるさまを示し、おもに十二支の子(シ)の場合に用いた。のちこの二つは混同して子と書かれる、

とある(漢字源)が、見た限りでは、

象形。こどもが手を挙げている形にかたどり、おさなご、ひいて、若者の意を表す。借りて、十二支の第一位に用いる(角川新字源)、

象形文字。「頭部が大きく手・足のなよやかな乳児」の象形から「子」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji29.html

と「子ども」の象形説のみである。

「籠」 漢字.gif


「籠(篭)」(漢音ロウ、呉音ル)は、

会意形声。「竹」+音符「龍」、「龍」は丸く細長いものを意味し、竹でそのように編んだかごに当てた(藤堂明保)、

と、

壟(小高い丘)に通じ、土を運ぶもっこの意。又は、「寵」に通じ、抱え込むの意、

の二説があるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%B1%A0とされるが、

会意兼形声。「竹+音符龍(ロウ 円筒状で長い)」。大蛇のように細長い竹かご(漢字源)、
形声。竹と、音符龍(ロウ)とから成る。竹製の「かご」の意を表す(角川新字源)、
会意兼形声文字です(竹+龍)。「竹」の象形と「龍」の象形(「龍」の意味だが、ここでは、「つめこむ」の意味)から、「土を詰め込む竹かご(もっこ)」を意味する「籠」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji1369.html

等々、前者の説しか見えなかった。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2022年05月28日

万八


「千三(せんみつ)」という言葉がある。

真実なのは千のうちわずか三つだけ、

という意で、

今は千といふ事三つもまことなしとて千三といふ男あり(西鶴「本朝桜陰比事」)、

と、

うそつき、
ほらふき、

さらに、単に、

嘘、

の意でも使う(広辞苑・大言海)。先後は分からないが、

千三屋、

という言葉があり、

千口の中、僅か三口だけ、相談が調ふ、

という意で、

地所の売買、
貸金、

等々の周旋を業とする人、

を指す(仝上)。「千三屋」とは、

地所の売買、又は貸金その他の周旋を業とするもの。千口の中にて相談纏り口銭でも取り得るものはただの三個位に過ぎぬとの意なり。その人をいふ、

とある(隠語大辞典)。

千三、

と同義の言葉に、

万のうちで、真実なのはわずかに八つだけという意で、

世に万八といふ事はこの男より始まりける(浄瑠璃「神霊矢口渡」)、

と、

万八(まんぱち)、

という言葉がある。これは、「千三」が、上述の『本朝桜陰比事』が元禄二年(1689)刊で使われていたが、

万八、

は、

明和・安永(1764~1780)の頃の流行語、

とあり(江戸語大辞典)、

いつはりうそといふを、江戸尾張辺上野にて万八といふ、近年のはやり詞也、

とある(安永四年(1775)刊の「物類称呼」)。ただ、

江戸両国の萬屋八郎兵衛の略字に起こる、

ともある(大言海)。これは、文化十四年(1817)3月23日に、

両国柳橋の萬屋八郎兵衛の料理店「萬八楼」で大酒大食大会が開かれた、

という記録の「萬屋八郎兵衛」とつながりそうである。その記録では、酒組では、

小田原町堺屋忠蔵(68歳):三升入り盃三杯、
芝口の鯉屋利兵衛(30歳):三升入り盃六杯半、
小石川天掘屋七右衛門(73歳):五升入り丼鉢を一杯半飲み、

菓子組では、

神田丸屋勘右衛門(56歳):饅頭50、羊羹7棹、薄皮餅30、茶19杯、
八丁堀伊予屋清兵衛(65歳):饅頭30、鶯餅80、松風煎餅30、沢庵漬5本、

飯組(万年味噌の茶漬け)では、

和泉屋吉蔵(73歳):54杯と唐辛子58、
小日向上総屋茂左衛門(49歳):47杯、
三河島の三右衛門(41歳):68杯と醤油二合、

蕎麦組(二八蕎麦並盛り)では、

新吉原桐屋惣左衛門(42歳):57杯、
浅草鍵屋長介(49歳):49杯、
池之端山口屋吉兵衛(38歳):68杯、

となっているとか(兎園小説、http://denmira.jp/?p=8630)。しかし、これと、

万八、

という言葉の流行とはつながらない。ただ、柳橋「万八楼」は、

書画会、

を開き、即売会をやったとされていたことで知られていたhttps://tukitodora.exblog.jp/13885579/らしく、この大食い大会は、

「千住酒合戦」(文化十二年(1815)10月21日)の二年後、

に開かれたと、滝沢馬琴の『兎園小説』に出てくる話なのだが、これ自体、

馬琴が当時の文人たちに呼びかけ、毎月1回、身辺で見聞きした珍談・奇談を披露し合う「兎園会」で出たおもしろ話をまとめたもの、

http://www.jlogos.com/d013/14625122.html

明らかに他のものから「書き写した」記録、

も多く、

この大食い大会の話は、

浜町小笠原家の家臣某が実見した、

というの添え書きのある、

仲間の一人関思亮(海棠庵)が披露したもの、

とされるhttps://tukitodora.exblog.jp/13885579/。話半分としても、その飲食量は半端ではない。

どうやら「作り話」のようなのです、

とあり(仝上)、

他の話と違って名前の知れた人が一人も出てこないところが「作り話」と言われる所以なんでしょう、

としている(仝上)。あるいは、ここから、

万八、

という言葉が出たのかもしれない。因みに、「千住酒合戦」は、文化十二年(1815)10月21日、

日光街道千住宿の中屋六右衛門が自らの還暦を祝って開催した酒合戦、

で、

参加者それぞれの酒量に応じ、江ノ島盆(五合)、鎌倉盆(七合)、万寿無量盆(一升五合)、緑毛亀盃(二升五合)、丹頂鶴盆(三升)の盃が用意され飲むというもので、酒肴としてカラスミ・花塩・さざれ梅、蟹と鶉(うずら)の焼き鳥、羹として鯉にハタ子をそえたものが添えられ、これも半端ない量だが、

新吉原の伊勢屋言慶(62歳):三升五合余、
千住の松勘:全ての酒を飲み干した、
下野小山の左兵衛:七升五合、
料理人の太助:終日茶碗酒をあおった上で丹頂鶴盆(三升)飲み干す、
五郎左衛門妻の天満屋みよ女:万寿無量盆(一升五合)で酔った顔も見せず、
菊屋おすみ:緑毛亀盃(二升五合)、

等々の記録が、大田南畝の観戦記録(『後水鳥記』)に著されhttp://denmira.jp/?p=8630、江戸食文化史に名高い。この、

「後水鳥記」がもてはやされたので、その二番煎じをねらった、

のではないか、というhttps://tukitodora.exblog.jp/13885579/のは当たっているのかもしれない。

江戸高名会亭尽柳ばし夜景万八.jpg

(柳橋夜景 万八(歌川広重「江戸高名会亭尽」) 「狂句合万八の二階夏とハうそのやう」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E9%AB%98%E5%90%8D%E4%BC%9A%E4%BA%AD%E5%B0%BDより)

なお、大食い大会とは関係ないのかもしれないが、

万八、

は、

酒の異称、

とあり(広辞苑)、

満鉢の義、マンは満を引くのまん、はちは鉢にて、肴の意と云ふ、

とあり(大言海)、

しこみぬる、酒のかはるは、ういこんだ(男だての気ちがひくわうまん八がすきだと見えた)、種彦云、まん八とは酒の事なり、下に見えたる百韵の末の詞書に、吉田なにがし、……酒鉢とれば、まんはちをまくらふべき事をなん思ふ、……とあるに合わせてみるべし、

とある(足薪翁記(柳亭種彦)・奴とは)。「満を引く」は、

皆引満挙白(さかづき)(漢書)、

と、

酒をなみなみとついだ杯をとって飲む、

意となる(広辞苑)。

「万」 漢字.gif

(「万」 https://kakijun.jp/page/0305200.htmlより)

「万(萬)」(慣用マン、漢音バン、呉音モン)は、

象形。萬(マン)は、もと、大きなはさみを持ち、猛毒のあるさそりを描いたもの。のち、さそりは萬の下に虫を加えて別の字となり、萬は音を利用して、長く長く続く数の意に当てた。「万」は卍の変形で、古くから萬の通用字として用いられている、

とあり(漢字源)、

「万」の異字体は「萬」、

とされたり、

「萬」は「万」の旧字、

とされたりするが、「万」は、

古くから「萬」に通ずるが、「萬」との関係は必ずしも明らかでない、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B8%87

「万」はもとの字は「萬」に作る(白川静)、
「万」と「萬」とは別字で、「万」は浮き草の象形(新潮日本語漢字辞典・大漢語林。「万」と「萬」が古くから通用していることは認めている)、
「卍」が字源(大漢和辞典 西域では萬の數を表はすに卍を用ひる。万の字はその變形である)、
象形、蠆(さそり)の形。後に、数の一万の意味に借りられるようになった。現在でも、「万」の大字として使用される(角川新字源・漢字源)、
象形。もと、うき草の形にかたどる。古くからの略字として用いられていた(角川新字源)、

等々と諸説あり(仝上・https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%90%AC)、「中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)は、

「萬」を「蟲なり」とするが、虫の名前は挙げず、説文解字注(段注)はサソリの形に似ているからその字であろう、

というが、白川静は「声義ともに異なる」と指摘する(仝上)。しかし、

「萬」が蠍の象形で、10000の意味は音の仮借、

という立場は、藤堂明保『学研 新漢和大字典』、諸橋轍次『大漢和辞典』、『大漢語林』、『新潮日本語漢字辞典』等々多くの辞典が支持する(仝上)、とある。数字の万としての用法はすでに卜文にみえる(白川)ようである(仝上)。

「萬」 漢字.gif


「萬」 甲骨文字・殷.png

(「萬」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%90%ACより)

「八入」http://ppnetwork.seesaa.net/article/484945522.htmlで触れたように、「八」(漢音ハツ、呉音ハチ)は、

指事。左右二つにわけたさまを示す(漢字源)、

指事。たがいに背き合っている二本の線で、わかれる意を表す。借りて、数詞の「やつ」の意に用いる(角川新字源)、

象形文字です。「二つに分かれている物」の象形から「わかれる」を意味する「八」という漢字が成り立ち、借りて、数の「やっつ」の意味も表すようになりましたhttps://okjiten.jp/kanji130.html

などと説明される。

「八」 漢字.gif

(「八」 https://kakijun.jp/page/0208200.htmlより)

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2022年05月29日

つとめて


みづからは、渡りたまはむこと明日とての、まだつとめておはしたり(源氏物語)、

の、

つとめて、

は、名詞で、

早朝、

の意であり、また、

つとめて少し寝過ぐしたまひて、日さし出づる程に出でたまふ(源氏物語)、
つとめて、さても昨日いみじくしたる物かなといひて、いざまたおしよせんといひて(宇治拾遺物語)、

と、

(前夜、事のあった)その翌朝、

の意でも使う(岩波古語辞典)。「夙に」http://ppnetwork.seesaa.net/article/485537261.htmlで触れたように、平安時代の漢和辞典『新撰字鏡』(898~901)にも、

暾、日初出時也、明也、豆止女天(つとめて)、又阿志太(あした)

とある(「暾」(カン)は、日の出の意。暾将出兮東方(暾トシテマサニ東方ニ出ントス (楚辞))。

ツトは夙の意、早朝の意から翌朝の意となった、

とあり(岩波古語辞典)、また、

「つとむ(勤・務・努)」の「ツト」もツトニ(夙に)のツトと同根、

とある(仝上)。ついでながら、「つとむ」は、

ツト(夙)を活用した語、

で、

早朝からコトを行う意、

となり(日本古語大辞典=松岡静雄・大言海・日本語の年輪=大野晋・岩波古語辞典)、

磯城島(しきしま)の大和(やまと)の国に明(あき)らけき名に負ふ伴(とも)の緒(を)心つとめよ(大伴家持)、

と、

気を励まして行う、
精を出してする、
努力する、

という意で使われるのにつながる(岩波古語辞典・大言海)。

「あした」http://ppnetwork.seesaa.net/article/447333561.htmlで触れたように、「あした」は、

上代には昼を中心とした時間の言い方と、夜を中心にした時間の言い方とがあり、アシタは夜を中心にした時間区分のユフベ→ヨヒ→ヨナカ→アカツキ→アシタの最後の部分の名。昼の時間区分(アサ→ヒル→ユフ)の最初の名であるアサと同じ時間を指した。ただ「夜が明けて」という気持ちが常についている点でアサと相違する。夜が中心であるから、夜中に何か事があっての明けの朝という意に多く使う。従ってアルクアシタ(翌朝)ということが多く、そこから中世以後に、アシタは明日の意味へと変化しはじめた、

とあり、上代の時間の言い方は、

昼を中心にした時間の区分、アサ→ヒル→ユフ、
夜を中心にした時間の区分、ユフベ→ヨヒ→ヨナカ→アカツキ→アシタ、

と分けられている。そこで、「アサ」→「アシタ(翌朝)」が同じ「朝(あした)」なのと、「つとめて」の、

早朝→翌朝、

という変化は重なっている。類聚名義抄(11~12世紀)は、

旦、ツトメテ、アシタ、アケヌ、
朝、ツトメテ、
夙、ツトメテ、アシタ、ハヤク、

平安後期の漢和辞書『字鏡』(じきょう)は、

朝、ツトメテ、
夙、ツトメテ、アシタ、ハヤク、

としている。つまり、

早朝を表す「つと(夙)」から派生した語、

のようである(日本語源大辞典)。

冬はつとめて、雪の降りたるは言ふべくもあらず、霜のいと白きも、またさらでも、いと寒きに、火など急ぎ熾して、炭もて渡るも、いとつきづきし(枕草子)、
雨うち降りたるつとめてなどは、世になう心あるさまにをかし(仝上)、
男、いとかなしくて、寝ずなりにけり、つとめて、いぶかしけれど(伊勢物語)、

などと、

「夙に」が漢文訓読調であるのに対して、「つとめて」は平安朝の和文に多く用いられている、

とある(日本語源大辞典)。

ただ、「夙に」http://ppnetwork.seesaa.net/article/485537261.htmlで触れたように、

つとに、
と、
つとめて、
と、
つとむ、

の「ツト」が同根なのはわかるが、「ツト」そのものの語源は、

ツトはハツトキ(初時)の上下略(和訓栞・言葉の根しらべの=鈴木潔子)、
ハツド(初時)ニの略(大言海)、
直ちにの意のツから(国語の語根とその分類=大島正健)、
ツトは日出の意の韓語ツタと同語(日本古語大辞典=松岡静雄)、

等々があるものの、限定できない。新撰字鏡(898~901)のいう、

暾、日初出時成り、明也、豆止女天(つとめて)、又阿志太(あした)、

という説明から、

日初出時、

の、

初時、

特に、「初」とつなげたくなるが、断定は難しい。「つとめて」は、

つとに→つとむ→(つとめる)→つとめて、

といった転訛なのではあるまいか。

「夙」 漢字.gif


「夙に」http://ppnetwork.seesaa.net/article/485537261.htmlで触れたように、「夙」(漢音シュク、呉音スク)は、

会意。もと「月+両手で働くしるし」で、月の出る夜もいそいで夜なべすることを示す、

とあり(漢字源)、「夙昔(シュクセキ)」と「昔から」の意、「夙興夜寝、朝夕臨政」(夙に興き夜に寝て、朝夕政に臨む)と、「朝早く」の意である(仝上)。「早朝」の意の「つとめて」に当てたわけである。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:つとめて
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2022年05月30日

かん日


神佛によし、かん日、くゑ日など書きたりけるが、やうやうすゑざまになりて(宇治拾遺物語)、

にある、

神佛によし、
かん日、
くゑ日、

は、

いずれも、

暦注にある事項、

で、「暦注」とは、内田正男『暦と日本人』http://ppnetwork.seesaa.net/article/481941578.htmlで触れたように、

古暦の日付の下に付した注記、

つまり、

日時、方角の吉凶禍福に関する事項、

のことで、

暦本に記される事項、天象、七曜(木・火・土・金・水の五惑星と太陽と月)、干支、朔望、潮汐、二十四節気、

といった科学的・天文学的な事項や年中行事のほか、注記は二段に分かれ、

中段、

は、

北斗七星の星の動きを吉凶判断に用いた十二直(建・除・満・平・定・執・破・危・成・納・開・閉)、

下段は、

選日(十干十二支の組合せによってその日の吉凶を占う)・二十八宿(月・太陽・春分点・冬至点などの位置を示すために黄道付近の星座を二八個定め、これを宿と呼んだもの)・九星(一白・二黒・三碧・四緑・五黄・六白・七赤・八白・九紫)、

と、日の吉凶に関する諸事項を記した(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9A%A6%E6%B3%A8・広辞苑他)。「十二直(じゅうにちょく)」は、古代中国で、

北斗七星の指す方角を月別に表示した一二の語、

で、

建(たつ)・除(のぞく)・満(みつ)・平(たいら)・定(さだん)・執(とる)・破(やぶる)・危(あやう)・成(なる)・納(おさん)・開(ひらく)・閉(とず)、

の12を言い、

のちに暦家がこの語を利用して一二日ごとに循環するものとし、干支と合わせてそれによって日の吉凶をいうようになり、

建除(けんじょ)十二神、

と呼んだが、日本では、古く奈良・平安時代の具注暦に見え、室町・江戸時代の仮名暦では、

十二直、
十二客(かく)、

と呼んでその吉凶を暦の中段に記入し大いに流行した(精選版日本国語大辞典)、とある。因みに、「仮名暦」は、漢字で書いた真名暦・具注暦に対して女子用のものとして発生した、が、のち暦の主流を占め、版暦として流布した(仝上)とある。

貞享暦.jpg

(「貞享暦」(享保14(1729)年版) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%9E%E4%BA%AB%E6%9A%A6より)

「神仏によし」とは、

神事、仏事によし、

の意で、神事は、

神社にお参りしたり、神道の行事をおこなうこと、

仏事は、

お寺にお参りしたり、仏教の行事をおこなうこと、

で、

それらをするのに良い日、

という意味になるhttps://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11196377716

「かん日」は、

坎日、

と当て、

かんにち、
とも
かんのひ、

とも訓ませ、

正月一日、坎日なりければ、若宮の御戴餅(いただきもちい)のこと停まりぬ(紫式部日記)、

と、

諸事に凶であるとして外出を忌む日、

とされる(広辞苑)。

九坎日、

ともいい、

1月の辰(たつ)、2月の丑(うし)、3月の戌(いぬ)、4月の未(ひつじ)、5月の卯(う)、6月の子(ね)、7月の酉(とり)、8月の午(うま)、9月の寅(とら)、10月の亥(い)、11月の申(さる)、12月の巳(み)の日、

をさす(ブリタニカ国際大百科事典)。

因みに、「坎」とは、

八卦の一つ、

卦の形は☵であり、初爻は陰、第2爻は陽、第3爻は陰で構成される。または六十四卦の一つであり、坎為水。坎下坎上で構成される、

とあり、

実際の占断で坎の卦がでると病勢は重症か、かなりの困難を考えなければいけない、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%8E

「くゑ日」は、

凶会日、

と当て、

くえにち、
とも、
くえび、

とも訓み、

凶会(くえ)、

ともいい、

ことに人に知られぬもの、凶会日。人の女親の老いにたる(枕草子)、

と、

陰陽相克して、万事に凶である日、

とされる(広辞苑)。「くゑ日」は、

宣明暦(中国暦の一つ。正式には長慶宣明暦(ちょうけいせんみょうれき)。日本においては中世を通じて823年間継続して使用された)時代には、一年に82回も頻出した暦法で、貞享暦(渋川春海によって編纂された初めての和暦。貞享二年(1685)に宣明暦から改暦、宝暦四年(1755)までの70年間使用された)になって整理されたとはいうものの、なお年間70回も顔を出す。凶会を注する日は、月毎に特定の干支の日として定められている。貞享暦の場合、正月は辛卯(かのとう、しんぼう)、甲寅甲寅(きのえとら、こういん)、二月は、己卯己卯(つちのとう、きぼう)・乙卯乙卯(きのとう、いつぼう)・辛酉辛酉(かのととり、しんゆう)……というようになっている……。『仮名暦略註』には、「倭暦に註する所の惡日なり。華本(中国暦)にいまだ其名目を考へず。然れども大抵吉事に用ふべからず」としている。悪事の集まる凶日ということであろう、

とある(広瀬秀雄『日本史小百科 暦』)。

最後の正規の暦.jpg

(明治五年の暦(最後の正規の旧暦) 内田正男『暦と日本人』より)

下段に載るその他の吉凶暦注には、

受死日(じゅしにち じゅしび)、●をつけるので、俗に黒日(くろび)、辷日(まろぶひ)とも、大悪日、
十死日(じゅうしにち)、本来は天殺日(てんさつび)と書く。受死日に次ぐ惡日、
五墓日(ごむにち ごむび)、五墓とは五行の墓の意、土を動かす、地固め、開店、葬送、墓を作る、種まき、旅行、祈祷は、凶、
帰忌日(きこにち、きこび)、旅行先からの帰宅、里帰り、貸し出した物の返却、移転、金銭の貸し出し、嫁取りなどは凶、
血忌日(ちいみにちちいみび)、鍼灸、手術、死刑執行、狩猟、魚獣を殺すなど血を見ることや、奉公人の雇い入れは凶、
重日(じゅうにち、じゅうび)、巳の日(陽が重なる日)と亥の日(陰が重なる日)に当たり、吉事は良いが凶事には用いてはいけない、

等々約22箇条ある(仝上・https://saijigoyomi.com/kadan/)。

内田正男『暦と日本人』http://ppnetwork.seesaa.net/article/481941578.htmlで触れたように、暦注の大半は、暦ともに中国から伝来した、陰陽五行説、十干十二支(干支)に基づいたものであるが、特に最後の改暦となった、

明治五年の改暦、

以後、旧暦が廃止され、東京天文台も研究対象としていないので、それまでは、曲がりなりにも、天文方とかかわりがあり、たとえば江戸時代は、

暦を立てるのに必要な、二十四節気や、朔、あるいは日食・月食などの天文学的計算は幕府の天文方で行い、これを京都の幸徳井家(土御門の次席のような立場にある)に送って暦注を付け、これを再び天文方が検査して、京都の大経師が彫刻し刷上げた写本暦を幕府から領主・奉行を経て暦屋に渡し、各地の暦屋でそれぞれ実用上の板木をほり、それを天文方が検閲する、

という手続きを毎年とっていた。その肝心の官許の暦法すら、江戸中期の、有職故実家・伊勢貞丈は、

吉日、凶日、日に吉凶はなきことなり。吉日にも悪事をすれば刑罰免れがたし、凶日にも善事を行へば、褒賞せらる。(中略)是にて考うべし、暦に日の吉凶を記すは、吉凶もなき日に、強いて吉凶を付けたるなり、

といい、江戸後期の儒家・中井竹山は、

世に中段と称する、建徐(たつ・のぞく 十二直)の名は暦法に古く見へたることなれども、是又甚だの曲説にて、その外、下段と称する吉日、凶日、みな言ふに足らざることどもとす、

といい、以後旧暦を廃することになった明治五年改暦の布告で、

特に中下段ニ掲ル所ノ如キハ率(オオム)ネ妄誕無稽ニ属シ、人知ノ開達ヲ妨ルモノ少シトセズ、

と、消されたはずの「旧暦」が、明治十年代後半から、一枚刷りの暦などに、六曜(先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口)が載り始めた、とある。

六曜は、本家中国では六百年も前に暦書から消えたもので、江戸時代もほとんど載らなかった代物である。この決め方は、

六曜は旧暦の月日で決まる。正月は先勝で始まるから、毎年元日はかならず先勝、七月一日も必ず先勝である。あとは二日友引、三日先負、四日仏滅、五日大安、六日赤口、そして七日はまた先勝である、

となる。この順を晦日まで続けて行けばいい。しかし、

晦日というのは旧暦では、小の月なら二九日、大の月なら三〇日のことで、その月が二九日か三〇日かどちらであるかは毎年計算によって決まるから暦を見ないと分からない、

うえに、

いずれにしても正月は毎年五日、一一……がよい日(大安)で、よい日の前日は必ず悪い日(仏滅)だということになってあまり面白味はない、

もので、江戸時代にはやらなかったはずである。旧暦だと、毎年、同じ月日の下に同じ六曜が載ることになるが、今日の六曜は、太陽暦のカレンダーにつけられている。

(上述の順で)割り当ててあると、旧暦の月替りの所で順序が狂うのが、しろうとには分からなくなるから迷信に神秘性を与える上でつごうがよい、

らしいのである(内田正男・前掲書)。迷信の迷信たる代表のような六曜にしてこれである。今日神社でもらう「神社暦」に、頁数を割いている「九星」は、本来、昔の暦注には載らず、暦注解説書にも説明されていないものらしく、

星といっても、これも天文学とは何の関係もない、

もので、縦・横・斜めの総和が15になる、いわゆる「魔方陣」の、

九つの星を年によってぐるぐる回しして、どの星の生れはどのうのと、大いに技巧をこらしたもの、

で、ある意味、「数字のおあそびに理窟をこじつけたもの」でしかない(内田正男・前掲書)。ぐるぐる回すだけで、運否占うのは確かに滑稽である。

なお、暦、暦注については、

渡邊敏夫『暦のすべて―その歴史と文化』http://ppnetwork.seesaa.net/article/482927759.html
広瀬秀雄『暦(日本史小百科)』http://ppnetwork.seesaa.net/article/482349187.html

でも触れた。また、北斗七星の斗柄が、十二支のいずれかの方角を指す。陰暦の正月は寅の方角を指し、二月は卯を指し、順次一年間に十二支の方角を指す「建(をざ)す」http://ppnetwork.seesaa.net/article/481844249.htmlについても触れた。

「坎」 漢字.gif


「坎」(漢音カン、呉音コン)は、

会意兼形声。欠(ケン)は、人がからだをくぼませたさまを描いた象形文字。坎は「土+音符欠」。土にくぼんだ穴を掘ること、

とあり(漢字源)、

「坎穽(カンセイ)」は、「陥穽」「と、陥」に書きかえられるものがある、

https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%9D%8E、「陥」と同系である。

参考文献;
内田正男『暦と日本人』(雄山閣)
広瀬秀雄『暦(日本史小百科)』(近藤出版社)
渡邊敏夫『暦のすべて―その歴史と文化』(雄山閣)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2022年05月31日

無下


無下(むげ)に候し時も、御あと(御あとべ 御床の傍)にふせさせおはしまして、夜中暁、大つぼ(大坪 便器)まゐらせなどし候しその時は(宇治拾遺物語)、

にある、

無下(むげ)に候し時、

は、

病気のひどかった時、

とある(中島悦次校注『宇治拾遺物語』)。この

無下、

は、

無気、

とも当てる(日本語源大辞典)、平安末期『色葉字類抄』に、

「無気、ムケナリ、無下同」と「無気」「無下」の字をあてているが、共に同じ意味のことばであるかどうか明らかでない、

が、

中世以降の文献で漢字で書かれる場合、意味の自然さからか、「無下」の表記が普通である、

とある(精選版日本国語大辞典)。多くは、

「むげの」の形で連体修飾、

に用いられ(仝上)、

それよりは下は無し、との意か、或は云ふ、無碍の音、或は云ふ、一向(ヒトムケ)の意と、さらば、ケは清音なり、

とあり(大言海)、

一向(ひたふる)なること、
これより下の無きこと、
一概、
いと、わりなきことのかぎりを云ふ、

とある(仝上)ので、たとえば、

今はむげの親ざまにもてなして扱ひ聞こえ給ふ(源氏物語)、

と、

まったくそうであること、
一向、
ひたすら、

の意や、

天下の物の上手といへども、始めは不堪のきこえもあり、むげの瑕瑾もありき(徒然草)、

と、

まったくひどいこと、
何とも言いようのないこと、

の意や、

故院の御時に、大后の、坊の初めての女御にて、いきまき給ひしかど、むげの末に参り給へりし入道の宮に、しばしは圧され給ひにきかし(源氏物語)、

と、

論外、
問題にならないこと、

の意や、

むげの者は手をすりて拝む(宇治拾遺物語)、

と、

はなはだしく身分の低いこと、
きわめていやしいこと、

の意や、

今迄心をむげにした恨みもつらみも許してたも(近松「重井筒」)、

と、

無駄、
むなしいこと、

の意でも使う(岩波古語辞典・広辞苑・デジタル大辞泉)。「むげ」は、上記の、

それよりは下は無し、との意か、或は云ふ、無碍の音、或は云ふ、一向(ヒトムケ)の意と、さらば、ケは清音なり(大言海)、
一向はひたすらの意であるところからムケ(向)の意か(雅言考)、

とされるが、この名詞「むげ」を、

無下に、
無下の、

と、副詞として使う場合、

むげに今日明日(会いたいと)おぼすに、女がたも……人知れず待ち聞え給ひけり(源氏物語)、

と、

むやみに、
ひたすら、

の意と、

むげに絶えて御いらへ聞え給はざらむもうたてとあれば(仝上)、

と、

すっかり、
まったく、

の意と、

射落とさむことはむげに易けれども(保元物語)、

と、

問題なく、
論外に、

の意と、

むげに世を思ひ知らぬやうにおぼほれ給ふなむ、いとつらき(仝上)、

と、

全然、
ちっとも、

の意と、さらに、

むげに断るわけにもいかない、

と、今日の、

一概に、
通り一遍に、

の意と使われるが、こうした使い方を見てみると、

「無碍に」の意、無下は当て字、否定表現、また否定的な意味の語を修飾して、全然、まるでの意味で使う、

とある(岩波古語辞典)ように、

無下、

と当てる用法には、

下は無し、との意、

あるいは、

一向(ヒトムケ)の意、

のように(大言海)、

一向(ひたふる)なること、

の意で、「ひたぶる(頓・一向)」(古くは「ひたふる」か)の、

態度が一途で、しゃにむに積極的に、あたりかまわず振舞うさまをいうのが原義。後に広く使われて、一途の意、

の(岩波古語辞典)、

親ののたまふことをひたふるにいなび申さむ事のいとほしさに(竹取物語)、

と、

もっぱらそのことに集中するさま、
いちず、
ひたすら、

の意や、

大菩提に於て永(ヒタフルニ)退転せじ(守護国界主陀羅尼経平安中期点)、

と、

完全にその状態であるさま、
すっかり、
まったく、

の意と重なる部分がある(精選版日本国語大辞典・仝上)ことは確かだが、「むげ」に、

無碍、
無礙、

と当て(明末の漢字字典『正字通(せいじつう)』には、碍、俗礙字、とある)、

無障礙、

ともいう仏教用語の、

障りや妨げが無く自由自在であること。融通無礙。阿弥陀仏がもつ十二の光の功徳(十二光)に無礙光がある。また諸仏の智慧を無礙智、理解力を無礙解、弁舌力を無礙弁といい、各々それを法・義・辞・楽説の四つに細分する(法無礙智・義無礙智・辞無礙智・楽説無礙智の如く。これを四無礙智(仏・菩薩のもつ4種の自由自在な理解能力と表現能力を智慧の面から示した言葉。法無礙智は教えに精通している、義無礙智は教えの表す意味内容に精通している、辞無礙智はいろいろの言語に精通している、この3種をもって自在に説く楽説無礙智)という)、

とある(世界宗教用語大事典)、

無碍、

意味の影があり、

無下、

は当て字で、

無碍、

をとり、副詞、

無下に、

も、

無下は当て字、

で、

無碍に、

を正とし(岩波古語辞典)、

「無下」は和製漢字、

で、

とらわれることなく自由である、という意味を表す仏語「無碍」が語源、

とする説もあり(日本語源大辞典・精選版日本国語大辞典)、「無碍」の音から「無下」を当てたということはありえ、

とらわれることなく自由である→問題ない→まったく→いちず→ひどい、

と、意味を野放図に広げているようにも見える。ま、憶説だが、「無下」の意味に「無碍」の意味の翳がある。ただ、とはいえ、

融通無碍、

は、

融通無下、

とは表記できないので、

無下、

無碍、

には、今日でも、

無下にする、
無下に扱う、
無下に突き放す、
無下に断る、

の、

手ひどく、
そっけなく、
通り一遍に、

といった意と、

自由無碍、
闊達無碍、

の、

考えや行いにとらわれずに、思うがままにすること、

といった意との意味の差は厳然としてある。

なお「むげ」に、

無価、

と当て、

むか、

とも訓ませるのは、

無価の香を焚きて、もろもろの世尊に供養じ奉る(栄花物語)、

と、

価値をもってはかることができないほど貴重なこと、

の意であり、仏教用語である。転じて、

無価の大宝、

というように、

莫大、
至大、

の意でも使う(広辞苑・大言海)。

「無」 漢字.gif

(「無」 https://kakijun.jp/page/mu200.htmlより)

「無」(漢音ブ、呉音ム)は、「無作の大善」http://ppnetwork.seesaa.net/article/485585699.htmlで触れたように、

无、

とも書き、

形声。原字は、人が両手で飾りを持って舞うさまで、のちの舞(ブ・ム)の原字。無は「亡(ない)+音符舞の略体」。古典では无の字で無をあらわすことが多く、今の中国の簡体字でも无を用いる、

とあり(漢字源)、

音を仮借したものhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%84%A1
もと、舞(ブ)に同じ。借りて「ない」意に用いる。のち舞とは字形が分化し、さらに省略されて無の字形となった(角川新字源)、
「人の舞う姿」の象形から「まい」を意味していましたが、借りて(同じ読みの部分に当て字として使って)、「ない」を意味する「無」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji730.html

等々とあり、「舞」を略して借字したということのようだ。

「下」 漢字.gif

(「下」 https://kakijun.jp/page/0301200.htmlより)

「下」(漢音カ、呉音ゲ)は、「下火(あこ)」http://ppnetwork.seesaa.net/article/485809024.htmlで触れたように、

指事。おおいの下にものがあることを示す。した、したになる意を表す、上の字の反対の形、

とある(漢字源)が、

指事。高さの基準を示す横線の下に短い一線(のちに縦線となり、さらに縦線と点とを合わせた形となる)を書いて、ものの下方、また、「くだる」の意を表す、

ともある(角川新字源・https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B8%8B)。

「碍」 漢字.gif


「碍」(漢音ガイ、呉音ゲ)は、

会意。「石+得(みつかる)の略体」で、行く手をさえぎるように見える意志を表す、

とあり(漢字源)、

「礙」の俗字、

とある(字源)。

「礙」 漢字.gif


「礙」(漢音ガイ、呉音ゲ)は、

会意兼形声。疑はためらって足を止めること。礙は「石+音符疑」で、石が邪魔して足を止めること、

とある(仝上)。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:無下 無気 無碍 無礙
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