囊沙(のうしゃ)背水の謀(はかりごと)、一たび成って、大いに敵を破ることを得たり(太平記)、
これを名づけて、韓信が囊沙背水の謀と申すなり(仝上)、
とある、
囊沙背水の謀、
とは、何れも韓信の試みた兵法、
囊沙の計、
背水の陣、
のことである。「囊沙の計」は、
囊沙之計、
とも表記する四字熟語になっている(字源)が、「囊沙」とは、
土嚢、
のことで、
濰水(いすい)の戦い、
で、
土嚢を使って川の上流で水をせき止め、敵が川を渡るのを見計らい土嚢を外し、下流に一気に水を流して、多くの敵を倒したという策略
とある(史記・淮陰侯列伝、兵藤裕己校注『太平記』)のは、
漢の高祖四年(紀元前203)11月、韓信は斉の首府であった臨淄城を攻め落とし、斉王を追って高密城を包囲した。斉は楚に救援を求め、項羽は将軍龍且(りゅうしょ)と副将周蘭(しゅうらん)に命じて20万の軍勢を派遣させた。龍且は周蘭から持久戦を進言されたが、韓信を侮って決戦を挑んだ。韓信も龍且は勇猛であるから決戦を選ぶだろうと読み、広いが浅い濰水(いすい)という河が流れる場所を戦場に選んで迎え撃った。韓信は決戦の前夜に濰水の上流に土嚢を落とし込んで臨時の堰を作らせ、流れを塞き止めさせていた。韓信は敗走を装って龍且軍をおびき出し、楚軍が半ば渡河した所で堰を切らせた。怒涛の如く押し寄せた奔流に龍且の20万の軍勢は押し流され、龍且は灌嬰の軍勢に討ち取られ、周蘭も曹参(そうしん)の捕虜となった、
という経緯である(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%93%E4%BF%A1)。
「背水の陣」は、「敗軍の将は以て勇を言るべからず」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/486383116.html)で触れたように、その翌年、紀元前204年10月の、
井陘(せいけい)の戦い、
で、韓信が取った兵法。史記に、
謂軍吏曰、趙已先據便地爲壁、且、彼未見吾大将旗鼓、未肯撃前行、恐吾至阻険而還、信(韓信)乃使萬人先行出、背水陳、趙軍望而大笑(淮陰侯傳)、
とある(大言海・https://kanbun.info/koji/haisui.html)ように、背水の陣は、武経七書のひとつ、中国戦国時代の、兵法書『尉繚子』(うつりょうし 尉繚)に、
背水陣為絶地、向阪陣為廃軍(尉繚子・天官篇)
とあり(大言海・字源)、
川などを背後にひかえて、陣を立てる、
のは、趙軍が「大笑」したというように、
兵法では自軍に不利とされ、自ら進んで行うものではなかった、
とされる。しかし、20万の趙軍を、狭隘な地形と兵たちの死力を利用して防衛し、その隙に別働隊で城砦を占拠、更に落城による動揺の隙を突いた、別働隊と本隊による挟撃で趙軍を打ち破った、
のである(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%93%E4%BF%A1)。
(淮陰(わいいん)公韓信(『晩笑堂竹荘畫傳』より) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%93%E4%BF%A1より)
なお、「背水の陣」の「陣」(漢音チン、呉音ジン)は、
会意文字。陳(チン)の原字ば「東(袋の形)二つ+攴(動詞の記号)」の会意文字。その東一つを略して、阜(土盛り)→防禦用の砦)を加えたものが陳の本字。陣はその俗字、
とあり(漢字源)、正しくは、
背水の陳、
ということになる。
(「囊」 説文解字(小篆)・漢 https://xn--ja-pd8c.wiktionary.org/wiki/%E5%9B%8Aより)
「囊(嚢)」(漢音ドウ、呉音ノウ)は、
会意兼形声。嚢の上の部分は、芯に棒を通し、両端と中央とをひもで縛った袋らを描いた象形文字で、東(芯を通したふくろ)の原字。嚢は「ふくろ+音符襄(ニョウ・ジョウ 中に入れ込む)の略体」、
とある(漢字源)。
(「東」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9D%B1より)
「沙」(漢音サ、呉音シャ)は、
会意文字。「水+少(小さい)」で、水に洗われてちいさくばらばらになった砂、
とある(漢字源)。別に、
象形。川べりに砂のあるさまにかたどる。水べの砂地、みぎわの意を表す、
とも(角川新字源)ある。
参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)
尚学図書編『故事ことわざの辞典』(小学館)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95