2022年05月08日

やませ


勝ち負けの弓のやませに散花をまとゐの外の人も見よかし(「弁乳母集(11世紀)」)、

とある、

「やませ」は、

山背、

と当て、

山風の名、近江にていふ(「俚言集覧(1797頃)」)、
山背風の略(広辞苑)、
山の背より吹けば云ふ(大言海)、
山を越えて吹き下ろす風(日本の言葉=山本健吉)、
山から吹く風・山の風の義(風位考=柳田國男)、

など、

山の向こうから吹いてくる風、

の意で、

六月から八月頃吹くことが多い、

とされ(風と雲のことば辞典)、

山瀬風、

とも当てる(仝上)。

「やませ」の「せ」は、

ヤマ(山)+セ・チ・ジ(風)、

とある(日本語源広辞典)ように、

セはシとともに風の意で、ハヤテ(疾風)、オヒテ(追風)などのテ、コチ(東風)のチと同源(風位考=柳田國男)、

とみられる。

海ではそれぞれの風の性質が、風の名となっているのだが、内陸では専ら方角を問題にするが故に、それを地方的に意味を限定して使い、従っていたる処少しずつ内容の差が生じている。たとえばヤマセは山の方から吹いてくる風である。それ故に江差松前では今もって東北風がヤマゼであり、瀬戸内海の北岸では四国の方からくる南風をそういう処もある(柳田國男「海上の道」)、

し、

やまぜ。南にて西へよる風の名、大悪風也(大坂繁花風土記(1814))、
其靡く向を見て、何月は山背(ヤマセ)(東風)なれど何月はクダリ(南風)なり(「風俗画報152号(1897)」)、
出雲では山が南にあるから南風、
函館では東風、
静岡では、陸から沖に吹く風、やまで、
瀬戸内海の北岸では、四国の方からくる南風をそういう処もある(柳田國男・前掲書)、

等々、地方によって風向きや付随する意味もさまざまである。しかし、この風を、

山を背にして吹くから〈やませ〉というのは漢字表記にとらわれ過ぎた解釈、

とあり(風と雲のことば辞典)、

この語が風の中でも比較的有名なのは、方言の分布地域の広さのほか、この風の東北地方の太平洋側での実態による、

との考えがある(日本語源大辞典)。つまり、

夏の東北地方に冷害をもたらす、

やませ、

は、

三陸沖のオホーツク高気圧から吹く、

海風、

で、「やませ」は、

闇風(やみかぜ)の転訛、

とする説がある(風と雲のことば辞典)。

オホーツク海高気圧や三陸高気圧から北日本、東日本に吹いてくる東寄りの風は夏でも湿っていて低温だ。東北地方では、冷害を運んでくる、

凶作風、
餓死風、

と恐れ、ケカジ(飢饉)は海からくると意味嫌った(仝上)、とある。その意味で「やませ」は、

沖の闇のように暗い空から吹き出してくる、

とする(日本大百科全書)、「闇風(やみかぜ)」という実感に由来するのかもしれない。

逆に、

日本海側では出港のために好ましい風とされる地域もある(日本国語大辞典)、
上方(かみがた)に米などの荷を積み出すのに好都合なところから、船頭衆にはむしろ順風として喜ばれた(日本大百科全書)、

と、地域や職掌によっては意味が変わってくる。

「やませ」は、東北では、

北東風、
東風、

だが、この「東風」を、

あゆ、

あるいは、

あゆのかぜ、

と訓ませると、

東風(あゆのかぜ)いたく吹くらし奈呉(なご)の海士(あま)の釣りする小舟(おぶね)漕ぎ隠るみゆ(万葉集)、

に、「東風」に注記して、

越(こし)の俗語(くにことば)に東風を安由乃可是(あゆのかぜ)と謂へり、

とあり(奈呉は今の富山県高岡市近辺の海岸)、

越前・越後地方で、

東風、

を指していた(風と雲のことば辞典)。今日、

あい、

あるいは、

あいのかぜ、

と転訛しているが、これが北前船によって、中央にも広まった。当然ながら、地方によっては、

北風、
北西風、

を指し、富山県の海岸でも、

方角によって能登アイと、宮崎(越後境)との二つのアイの風がある、

とし(柳田國男・前掲書)、「あゆのかぜ」は、柳田國男は、

海岸に向かってまともに吹いてくる風、すなわち数々の渡海の船を安らかに港入りさせ、またはくさぐさの珍らかなる物を、渚に向かって吹き寄せる風のこと、

とし(仝上)、「あゆ」は、風向きではないのではないかとし、

今日は半ば死語に属し、辛うじて字引と地方語の中に存留するのみであるが、果実のよく熟して樹から堕ちるのをアエルといい、またはアユ、アユル、アエモノ等の語の古くからあるように、人を悦ばせ、おのずから人の望みに応ずるというような楽しい状態を表示するために、夙(はや)く生まれていた単語ではなかったろうか。饗宴もしくは食物の供与を、アヘと謂っていたのも別の語ではないのかもしれぬ、

と(仝上)、

饗(あえ)の風、

とした(風と雲のことば辞典)。しかし、

山陰道、北陸道、羽前、羽後、陸奥にて、北風、又は、東北風、

を「あいのかぜ」というとある(大言海)ので、

アは雨、ユは由、雨気の風の義か(歌林樸樕(かりんぼくそく))、
アユはウ(卯)の延言、卯(東)の方の風(和訓集説)、
アヤという間に吹く意か(日本語源=賀茂百樹)、

と、諸説はあるが、あるいは、

語原異なるか、

とする(大言海)のもありえる。

北國にて、東風を、あゆの風と云ふ、北風を、ひとつあゆと云ひ、東北の風を、ぢあゆと云ひ、丑(北北東)の方より吹く風を、まあゆという(地(ヂ)、真(マ)なるか、安永年間(1772~81)までは、此の如し)、

とある(物類称呼)ので、「あゆ」は、方角ではない可能性はある。

また、

東風、

というと、

東風吹かばにほひおこせよ梅の花あるじなしとて春な忘れそ(菅原道真)、

の、

こち、

がある。これは、

春が近づき西高東低の冬型の気圧配置がくずれると、太平洋上から大陸に向かってゆるやかな東風又は北東風が吹くようになる、

のを呼んだ(風と雲のことば辞典)。この風は、

雨をともない寒さが緩む、

が、漁業者には、

時化をもたらす、

ものとして恐れられ、

初東風(はつこち)、
節東風(せちこち)、
雲雀東風(ひばりこち)、
鰆東風(さわらこち)、
梅東風、
桜東風、
朝東風、
夕東風、
伊勢ごち、
丑寅(北東)ごち、

等々土地ごとの生活暦と結びついた使われ方をしてきた(仝上)。この「こち」の「ち」は、

コチ、ハヤチ(疾風)のチと同じ、風の意、

で(岩波古語辞典)、

ツムジ(廻風)、アラシ(荒風)、トマキ(風卷)、

などと使われる、

風の古名、



の転じたものである(大言海)。「やませ」の「せ」も、

シの転訛、

である。「こち」の語源は、こうした経緯から見ると、

小風(こち)の義、春風の柔らかき意(大言海)、

ではなかろうか。

「山」 漢字.gif

(「山」 https://kakijun.jp/page/0326200.htmlより)

「山」(漢音サン、呉音セン)は、

象形。△型の山を描いたもので、△型をなした分水嶺のこと、

とある(漢字源)が、

「連なったやま」の象形から「山」という漢字が成り立ちました、

との解釈もあるhttps://okjiten.jp/kanji77.html

「山」 甲骨文字・殷.png

(「山」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B1%B1より)

「背」(漢音ハイ、呉音へ・ハイ、ベ・バイ)は、「背向(そがい)」http://ppnetwork.seesaa.net/article/482178677.htmlで触れたように、

会意兼形声。北(ホク)は、二人のひとが背中を向けあったさま。背は「肉+音符北」で、背中、背中を向けるの意、

とある(漢字源)。「北」は(寒くていつも)背中を向ける方角、とある(「北」は「背く」意がある)。また「背」の対は、「腹背」というように腹だが、また「背」は「そむく」意があり、「向背」(従うか背くか)というように「向」(=従)が対となる(仝上)。別に、

「背」 漢字.gif


会意形声。「肉」+音符「北」、「北」は、二人が背中を合わせる様の象形。「北」が太陽に背を向けるの意から「きた」を意味するようになったのにともない、(切った)「肉」をつけて「せ」「せなか」「そむく」を意味するようになった、

ともあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%83%8C

「風」(漢音ホウ、呉音フウ・フ)は、

会意兼形声。風の字は大鳥の姿。鳳の字は大鳥が羽ばたいて揺れ動くさまを示す。鳳(おおとり)と風の原字は全く同じ。中国ではおおとりを風の使い(風師)と考えた。風はのち「虫(動物の代表)+音符凡(ハン・ボン)」。凡は広く張った帆の象形。はためきゆれる帆のように揺れ動いて、動物に刺激を与える風をあらわす、

とあり(漢字源)、また、

古代には、鳳がかぜの神と信じられていたことから、

ともある(角川新字源)。

のち、鳳の鳥の部分が虫に変わって、風の字形となった、

とする(仝上)のは同じである。別に、

「風」 漢字.gif


形声。「虫」(蛇、竜)+音符「凡」を合わせた字で、「かぜ」を起こすと見なされた蛇が原義(「虹」も同様で意符が「虫」)。「凡」は「盤」の原字で、盥盤の側面の象形。「虫」に代えて「鳥」を用いた文字が「鳳」であり、両方とも「かぜ」の使いとされた。古くは頭子音 pl- をもち、l の残った語が嵐である、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%A2%A8

会意兼形声文字です(虫+凡)。甲骨文では「風をはらむ(受ける)帆」の象形(「かぜ」の意味)でしたが、後に、「風に乗る、たつ(辰)」の象形が追加され、「かぜ」を意味する「風」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%A2%A8のは、「虫」に転じて以降の解釈である。

「風」 甲骨文字・殷.png

(「風」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%A2%A8より)

「風」 ・簡牘(かんどく)文字.png

(「風」 ・簡牘(かんどく)文字(「簡」は竹の札、「牘」は木の札に書いた)・戦国時代 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%A2%A8より)

参考文献;
倉嶋厚監修『風と雲のことば辞典』(講談社学術文庫)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
柳田國男『海上の道』(岩波文庫)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 03:25| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする