「伽縷羅煙」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/486022291.html)で触れた、
伽縷羅(かるら)、
は、梵語Garuḍaで、
インド神話における巨鳥で、龍を常食にする、
とある(広辞苑)が、
インド神話において人々に恐れられる蛇・竜のたぐい(ナーガ族)と敵対関係にあり、それらを退治する聖鳥として崇拝されている。……単に鷲の姿で描かれたり、人間に翼が生えた姿で描かれたりもするが、基本的には、
人間の胴体と鷲の頭部・嘴・翼・爪を持つ、翼は赤く全身は黄金色に輝く巨大な鳥、
として描かれ(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%AB%E3%83%80)、それが、仏教に入って、
天竜八部衆の一として、仏法の守護神、
とされ(広辞苑)、
翼は金色、頭には如意珠があり、つねに口から火焔を吐く、
が、日本の、
天狗、
は、この変形を伝えたもの(仝上)とされる。
確かに、曹洞宗 大雄山最乗寺にある、
道了尊・天狗化身像、
や、
大天狗、
小天狗、
を見ると、ガルダの像と似ていなくもない。道了尊は、
了庵慧明禅師の弟子だった道了尊者は、師匠の了庵慧明禅師が最乗寺を建立することを聞いて、近江の三井寺から天狗の姿になって飛んできて、神通力を使って谷を埋めたり、岩を持ち上げて砕いたりして寺の建設を手伝いました。そして了庵慧明禅師が75歳でこの世を去ると、寺を永久に護るために天狗の姿に化身して舞い上がり、山中深くに飛び去ったといわれ、以来、寺の守護神として祀られています、
とあり(https://daiyuuzan.or.jp/plan/tengu/)、特に、小天狗は、
インドの神話の巨鳥が烏天狗として表された。烏のような嘴をもった顔、黒い羽毛に覆われた体を持ち、自在に飛翔することができる、
とある(仝上)。
(道了尊 天狗化身像 五大誓願文を唱え、火炎を背負い、右手には拄状(しゅじょう)左手に縄を持ち、両手両足に幸運の使いの蛇を従え天狗に化身し、白狐の背に立ち、天地鳴動して山中に身を隠された、という伝説がある https://daiyuuzan.or.jp/plan/tengu/より)
(小天狗 別名烏天狗。 https://daiyuuzan.or.jp/plan/tengu/より)
「天狗(てんぐ)」は、古くは、
てんぐう、
とも訓んだらしいが、
(この山伏は)天狗にこそと思ふより、怖ろしきこと限りなし(古今著聞集)、
天狗・木魅などやうの物の、あざむき率(ゐ)てたてまつりたりけるにや(源氏物語)、
などと、
空を自由に飛び回る想像上の山獣。後には、深山で宗教的生活を営む行者、特に山伏に擬せられ、大男で顔赤く、鼻高く、翼あって神通力を持つものと考えられた。高慢な者、または、この世に恨みを残して死んだ人がなる(岩波古語辞典)、
とか、
山中に住むといわれる妖怪。日本では仏教を、当初は山岳仏教として受け入れ、在来の信仰と結び付いた修験道(しゅげんどう)を発達させたが、日本の天狗には修験道の修行者(=山伏)の姿が色濃く投影している。一般に考えられている天狗の姿は、赤ら顔で鼻が高く、眼光鋭く、鳥のような嘴をもっているか、あるいは山伏姿で羽根をつけていたり、羽団扇(はうちわ)を持っていて自由に空を飛べるといったりする。手足の爪が長く、金剛杖(づえ)や太刀(たち)を持っていて神通力があるともいう。これらの姿は、深山で修行する山伏に、ワシ、タカ、トビなど猛禽の印象を重ね合わせたものである(日本大百科全書)
とか、
天上や深山に住むという妖怪。山の神の霊威を母胎とし、怨霊、御霊など浮遊霊の信仰を合わせ、また、修験者に仮託して幻影を具体化したもの。山伏姿で、顔が赤く、鼻が高く、翼があって、手足の爪が長く、金剛杖・太刀・うちわをもち、神通力があり、飛行自在という。中国で、流星・山獣の一種と解し、仏教で夜叉・悪魔と解されたものが、日本にはいって修験道と結びついて想像されたもの。中世以降、通常、次の三種を考え、第一種は鞍馬山僧正坊、愛宕山太郎坊、秋葉山三尺坊のように勧善懲悪・仏法守護を行なう山神、第二種は増上慢の結果、堕落した僧侶などの変じたもの、第三種は現世に怨恨や憤怒を感じて堕落して変じたものという。大天狗、小天狗、烏天狗などの別がある。天狗を悪魔、いたずらものと解するときはこの第二・第三種のものである(精選版日本国語大辞典)、
とか、
深山に生息するという想像上の妖怪の一つ。一般に天空を飛び、通力をもって仏法の妨げをするといわれる。中国の古書『山海経』や『地蔵経』の夜叉天狗などの説が、日本古来の異霊、幽鬼、物怪(怨霊)などの信仰と習合したものと思われる。初期には異霊やコダマ(木霊)、変化、憑物の類なども天狗とされていたが、中世以後は山伏姿の赤ら顔で、鼻が高く、口は鳥のくちばしのようで、羽うちわをたずさえ、羽翼をたくわえて自由に空中を飛び回り、人に禍福を授ける霊神として祀られるようになった。天狗はまた、ぐひん、山の神、大人、山人とも呼ばれ、山に対する神秘観と信仰の現れでもある。大天狗、小天狗、からす天狗、木の葉天狗などの別があり、鞍馬、愛宕、比叡、大山、彦山、大峰、秋葉の各山々に住むとされ、武術の擁護者、讃岐金毘羅さんの使者ともされる(ブリタニカ国際大百科事典)、
等々と説明があるが、平安時代までは、
流星、
とび、
のように、人に憑いたり未来を予言する物の怪と考えられ、鎌倉時代以降、
山伏、
にたとえられるようになる(日本昔話事典)。今日の、
山伏姿で、顔が赤くて鼻が高く、背に翼があり、手には羽団扇はうちわ・太刀・金剛杖を持つ、
姿は、中世以降に確立した。「天狗」は、各地で、
狗賓(ぐひん)、
山人、
大人(おおひと)、
山の神、
とも呼ばれ(仝上・日本昔話事典)、
天狗をグヒンというに至った原因もまだ不明だが、地方によってはこれを山の神といい、または大人山人ともいって、山男と同一視するところもある、
とし(柳田國男「山の人生」)、その性格、行状ともに、
山の神、
と密接に繋がっている(日本昔話事典)。柳田國男も、
自由な森林の中にいるという者に至っては、僧徒らしい気分などは微塵もなく、ただ非凡なる怪力と強烈なる感情、極端に清浄を愛して叨(みだ)りに俗衆の近づくを憎み、ことに隠形自在にして恩讎ともに常人の意表に出でた故に、畏れ崇められていたので、この点はむしろ日本固有の山野の神に近かった、
と指摘している(柳田國男・前掲書)。
(「天狗」(歌川国芳) 「競(くらぶ)れば、長し短し、むつかしや。我慢の鼻のを(置)き所なし」と記す https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%8B%97より)
大天狗、
は、顔が赤く鼻高く、
鞍馬山の僧正坊、愛宕山の太郎坊、比叡山の次郎坊、飯綱山(いづなさん)の三郎坊、大山の伯耆坊、彦山の豊前坊、白峯の相模坊、大峰の前鬼、
などが大天狗とされる(大言海)。
小天狗、
は、烏天狗ともいい、烏様の顔をしている(日本伝奇伝説大辞典)。ただ、小天狗の小さきを、
烏天狗、
木の葉天狗、
という(大言海)ともある。『沙石集(鎌倉時代中期)』で、無住は、
天狗ト云事ハ日本ニ申伝付タリ、聖教に慥ナル文証ナシ。先徳ノ釋ニ魔鬼ト云ヘルゾ是ニヤト覚エ侍ル。大旨ハ鬼類ニコソ。真実ノ智恵ナクテ、執心偏執、我相驕慢等アル者有相ノ行徳アルハ皆此道ニ入也、
として、
善天狗、
惡天狗、
があるとする(仝上)。
極楽に行くために修行を積んだため、法力はあるが、しかしながら、慢心や邪心などから悟ることができない。そんな人間が天狗道に落ち、天狗になると信じられるようになった、
ものらしい(https://hetappi.info/fantasy/zentengu.html)。「天狗道」とは、
怪しや我天狗道に落ちぬるか、落ちぬるか(太平記)、
と、
天狗の住む天界・鬼道、
を、仏教の六道(天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道)にならっていい、
増上慢や怨恨憤怒によって堕落した者の落ちる魔道、
をもいう(精選版日本国語大辞典)とある。
「天狗」は漢語で、
流星の聲を発するもの、
とされる(字源)。
落下の際、音響を発するもの、
の意で、大気圏を突入し、地表近くまで落下した火球がしばしば空中で爆発、大音響を発する現象を言っていい、
天狗、状如犬、奔星有聲、其下止地類狗(史記)、
といい、
天狗星、
ともいう。転じて、
陰山有獣焉、其状如狸而白首、名曰天狗、其音如橊橊可以禦凶(山海経)、
と、
狸、
の如きものとされる(大言海・字源)。
(「天狗」(山海経) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%8B%97より)
日本でも天狗の初見は、日本書紀・欽明天皇九年(637)で、
雷に似た大音を発し、東西に流れた流星、
を指し、
あまつきつね(天狗)、
と呼んでおり、当初は、伝来そのままの呼称であったと思われ、
天狗流星、
は、
大乱ノ可起ヲ天予メ示サレケルカ(応仁紀)、
と、
大乱・兵乱の兆し、
と記している。柳田國男ではないが、
時代により地方によって、名は同じでも物が知らぬまに変わっている、
ような「天狗」については、
かつては天狗に関する古来の文献を、集めて比較しようとした人がおりおりあったがこれは失望せねばならぬ労作であった。資料を古く弘く求めてみればみるほど輪廓は次第に茫漠となるのは、最初から名称以外にたくさんの一致がなかった結果である、
と述べている(山の人生)のが正直、妥当なところなのかもしれない。たとえば、
山中にサトリという怪物がいる話はよく方々の田舎で聴くことである。人の腹で思うことをすぐ覚って、遁げようと思っているななどといいあてるので、怖しくてどうにもこうにもならぬ。それが桶屋とか杉の皮を剥く者とかと対談している際に、不意に手がすべって杉の皮なり竹の輪の端が強く相手を打つと、人間という者は思わぬことをするから油断がならぬといって、逃げ去ったというのが昔話である。それを四国などでは山爺の話として伝え、木葉の衣を着て出てきたともいえば、中部日本では天狗様が遣ってきて、桶屋の竹に高い鼻を弾かれたなどと語っている、
と(仝上)、同じ話題が、サトリにも、山爺にも、天狗にもなる。その区別はつかないのである。それが文字や絵の話ではなく、現実の里での話なのである。
さて、漢字「天」(テン)は、「天知る」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/484881068.html)で触れたように、
指事。大の字に立った人間の頭の上部の高く平らな部分を一印で示したもの。もと、巓(テン 頂)と同じ。頭上高く広がる大空もテンという。高く平らに広がる意を含む、
とある(漢字源)。
別に、
象形。人間の頭を強調した形から(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A4%A9)、
指事文字。「人の頭部を大きく強調して示した文字」から「うえ・そら」を意味する「天」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji97.html)、
指事。大(人の正面の形)の頭部を強調して大きく書き、頭頂の意を表す。転じて、頭上に広がる空、自然の意に用いる(角川新字源)、
等々ともある。
「狗」(漢音コウ、呉音ク)は、「狡兎死して」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/485426752.html)で触れたように、
会意兼形声。「犬+音符句(小さくかがむ)」
で、愛玩用の小犬を指すが、後世には、犬の総称となったが、
走狗、
のように、いやしいものの喩えとして用いることがある(漢字源)。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
乾克己他編『日本伝奇伝説大辞典』(角川書店)
稲田浩二他編『日本昔話事典』(弘文堂)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
柳田國男『遠野物語・山の人生』(岩波文庫)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95