2022年05月20日

海上の異郷


柳田國男『海上の道』を読む。

海上の道 (岩波文庫 ).jpg


名も知らぬ 
遠き島より
流れ寄る 
椰子の実一つ

で知られる島崎藤村の「椰子の実」が、柳田國男が伊良湖岬(いらごみさき)での体験が元になっていることは、夙に有名だが、日本の海岸に流れ着く椰子の実から、日本列島への、

海上の道、

を構想したところが、本書の冒頭にある「海上の道」である。

「あらゆる穀作にも通じて言えることだが、稲にはことに年久しい観察に養われた、口伝とも加減とも名づくべき技芸が備わっていた。籾種ばかりを只ひょいと手渡しされたところで第一に食べてみることすらできない。単に栽培者が自ら携えてきたという以上に、父祖伝来の経験が集積調和して、これを教訓の形をもって引き継がれなかったら、この作物の次々の改良はさておき、外部の色々の障碍にすらも、対抗することができなかったろう。すなわち最初から、少なくとも或る程度の技術とともに、或いはそれ以外に米というものの重要性の認識とともに、自ら種実を携えて、渡って来たのが日本人であったと、考えずにはおられぬ理由である。」

と鋭い指摘をし、

「私の謂う海上の道、潮がどのように岐れ走り、風がどの方角へ強く吹くかを、もっと確実に突き留めてからでないと断定し難いが、稲を最初からの大切な携帯品と見る限りにおいては、南から北へ、小さな低い平たい島から、大きな高い島の方へ進み近よったという方が少しは考えやすい。」

と、島伝いの伝播を想定した。しかし、今日の考古学の知見では、弥生時代の水田耕作は、たとえば板付遺跡のように、

「農耕具や土木技術などのハードウエアから、豊穣を祈るためのまつりなどのソフトウエアにいたるまで、水田耕作を行うための一式を保持」

して(藤尾慎一郎『日本の先史時代』)、

完成形が突然出現する、

ようにして始まっており(仝上)漸近的に伝わってきたのではないのは、柳田の指摘する通り、水田耕作は一式セットのものだからだ。これは、弥生時代に水田農耕技術をもった弥生人が大挙して渡来してきたことをうかがわせる。溝口優司『アフリカで誕生した人類が日本人になるまで』http://ppnetwork.seesaa.net/article/484577228.htmlで触れたように、

「縄文時代、日本には縄文人が広く分布していましたが、ユーラシアでは、バイカル湖からアルタイ山脈あたりにいた北方アジア系の遊牧民が、中央アジアや北東アジアへ拡散し始めました。そして弥生時代頃になると、彼らの子孫たちが中国北東部や朝鮮半島でも暮らすようになり、その中の一部の人々が西日本に渡来してきた」

ものだと推測される。

ただ日本最古の人類の化石は、沖縄で見つかったとされる、約4万年前のものになる。

「琉球諸島は約20万年前から1万8000年前までの間のかなりの間、台湾を含む細長い陸橋で大陸と地続きになっていたらしいので、東南アジア、あるいは中国南部にいた人々がその陸橋を通って北上してきた」

可能性がある。ただ、この沖縄の化石と、1万6000年くらいから始まる縄文人とはつながらないようである。そして、沖縄本島で見つかった、2万3000~1万8000年前の、

港川人、

と呼ばれる化石は、

「額が狭く、頬骨が横に張り出し、鼻の根元が窪んで、幅広の彫の深い顔立ち」

とされ、

縄文人、

に似ており、「縄文人」は、

「それ以前に日本列島にやってきた旧石器時代人の子孫が主体をなしていた」

と目される。その縄文人に最も似ていたのは、

オーストラリア南東部で見つかった化石、

とされるのは、ユーラシアの端で南と北へ分かれたホモ・サピエンスの一部が、確かに、島伝いに、日本列島にまで到達したということではある。確かに、

海上の道、

はあったが、それは、列島への七つのルート、

朝鮮半島経由、
サハリン島経由、
カムチャッカ半島経由、
台湾、琉球列島経由、
中国南東部から東シナ海経由、
沿海州から日本海経由、

の一つと考えられ(斎藤成也編『図解 人類の進化』)、

旧石器時代人、

は確かに、島伝いに北上したことは間違いはない。

しかし、本書の魅力は、そうした、

海上の道、

ではなく、

海上の仙郷、

の分布の分析ではないか。「竜宮」http://ppnetwork.seesaa.net/article/488132230.html?1652812023で触れたように、本土では、

根の国、
常世の国、

ともいい、

奄美や沖縄などの南島諸島では、海の向こうにあるとされる異世界、

ニライカナイ、

ともいう、

海のかなたの異郷、

の、北から南までの分布の広さは、中国の伝説の、

蓬莱山、

を、

トコヨノクニ、

と訓ませることとも重なり、さらには、

みろくの船、

という、

弥勒出世、

ともからめ、

海上の浄土、

ともつながる奥行きの深さに、圧倒される。そこには、列島の北から南まで共通の、海の方に仙郷をみるという共通の心性、精神構造がある。そこには南から北だけではなく、北から南へも、相互に影響し合う、海上の道があるように見える。

参考文献;
柳田國男『海上の道』(岩波文庫)
溝口優司『アフリカで誕生した人類が日本人になるまで』(SB新書Kindle版)
斎藤成也編『図解 人類の進化―猿人から原人、旧人、現生人類へ』(ブルーバックス)
藤尾慎一郎『日本の先史時代―旧石器・縄文・弥生・古墳時代を読みなおす』(中公新書)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 03:46| Comment(0) | 書評 | 更新情報をチェックする