神佛によし、かん日、くゑ日など書きたりけるが、やうやうすゑざまになりて(宇治拾遺物語)、
にある、
神佛によし、
かん日、
くゑ日、
は、
いずれも、
暦注にある事項、
で、「暦注」とは、内田正男『暦と日本人』(http://ppnetwork.seesaa.net/article/481941578.html)で触れたように、
古暦の日付の下に付した注記、
つまり、
日時、方角の吉凶禍福に関する事項、
のことで、
暦本に記される事項、天象、七曜(木・火・土・金・水の五惑星と太陽と月)、干支、朔望、潮汐、二十四節気、
といった科学的・天文学的な事項や年中行事のほか、注記は二段に分かれ、
中段、
は、
北斗七星の星の動きを吉凶判断に用いた十二直(建・除・満・平・定・執・破・危・成・納・開・閉)、
下段は、
選日(十干十二支の組合せによってその日の吉凶を占う)・二十八宿(月・太陽・春分点・冬至点などの位置を示すために黄道付近の星座を二八個定め、これを宿と呼んだもの)・九星(一白・二黒・三碧・四緑・五黄・六白・七赤・八白・九紫)、
と、日の吉凶に関する諸事項を記した(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9A%A6%E6%B3%A8・広辞苑他)。「十二直(じゅうにちょく)」は、古代中国で、
北斗七星の指す方角を月別に表示した一二の語、
で、
建(たつ)・除(のぞく)・満(みつ)・平(たいら)・定(さだん)・執(とる)・破(やぶる)・危(あやう)・成(なる)・納(おさん)・開(ひらく)・閉(とず)、
の12を言い、
のちに暦家がこの語を利用して一二日ごとに循環するものとし、干支と合わせてそれによって日の吉凶をいうようになり、
建除(けんじょ)十二神、
と呼んだが、日本では、古く奈良・平安時代の具注暦に見え、室町・江戸時代の仮名暦では、
十二直、
十二客(かく)、
と呼んでその吉凶を暦の中段に記入し大いに流行した(精選版日本国語大辞典)、とある。因みに、「仮名暦」は、漢字で書いた真名暦・具注暦に対して女子用のものとして発生した、が、のち暦の主流を占め、版暦として流布した(仝上)とある。
(「貞享暦」(享保14(1729)年版) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%9E%E4%BA%AB%E6%9A%A6より)
「神仏によし」とは、
神事、仏事によし、
の意で、神事は、
神社にお参りしたり、神道の行事をおこなうこと、
仏事は、
お寺にお参りしたり、仏教の行事をおこなうこと、
で、
それらをするのに良い日、
という意味になる(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11196377716)。
「かん日」は、
坎日、
と当て、
かんにち、
とも
かんのひ、
とも訓ませ、
正月一日、坎日なりければ、若宮の御戴餅(いただきもちい)のこと停まりぬ(紫式部日記)、
と、
諸事に凶であるとして外出を忌む日、
とされる(広辞苑)。
九坎日、
ともいい、
1月の辰(たつ)、2月の丑(うし)、3月の戌(いぬ)、4月の未(ひつじ)、5月の卯(う)、6月の子(ね)、7月の酉(とり)、8月の午(うま)、9月の寅(とら)、10月の亥(い)、11月の申(さる)、12月の巳(み)の日、
をさす(ブリタニカ国際大百科事典)。
因みに、「坎」とは、
八卦の一つ、
卦の形は☵であり、初爻は陰、第2爻は陽、第3爻は陰で構成される。または六十四卦の一つであり、坎為水。坎下坎上で構成される、
とあり、
実際の占断で坎の卦がでると病勢は重症か、かなりの困難を考えなければいけない、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%8E)。
「くゑ日」は、
凶会日、
と当て、
くえにち、
とも、
くえび、
とも訓み、
凶会(くえ)、
ともいい、
ことに人に知られぬもの、凶会日。人の女親の老いにたる(枕草子)、
と、
陰陽相克して、万事に凶である日、
とされる(広辞苑)。「くゑ日」は、
宣明暦(中国暦の一つ。正式には長慶宣明暦(ちょうけいせんみょうれき)。日本においては中世を通じて823年間継続して使用された)時代には、一年に82回も頻出した暦法で、貞享暦(渋川春海によって編纂された初めての和暦。貞享二年(1685)に宣明暦から改暦、宝暦四年(1755)までの70年間使用された)になって整理されたとはいうものの、なお年間70回も顔を出す。凶会を注する日は、月毎に特定の干支の日として定められている。貞享暦の場合、正月は辛卯(かのとう、しんぼう)、甲寅甲寅(きのえとら、こういん)、二月は、己卯己卯(つちのとう、きぼう)・乙卯乙卯(きのとう、いつぼう)・辛酉辛酉(かのととり、しんゆう)……というようになっている……。『仮名暦略註』には、「倭暦に註する所の惡日なり。華本(中国暦)にいまだ其名目を考へず。然れども大抵吉事に用ふべからず」としている。悪事の集まる凶日ということであろう、
とある(広瀬秀雄『日本史小百科 暦』)。
(明治五年の暦(最後の正規の旧暦) 内田正男『暦と日本人』より)
下段に載るその他の吉凶暦注には、
受死日(じゅしにち じゅしび)、●をつけるので、俗に黒日(くろび)、辷日(まろぶひ)とも、大悪日、
十死日(じゅうしにち)、本来は天殺日(てんさつび)と書く。受死日に次ぐ惡日、
五墓日(ごむにち ごむび)、五墓とは五行の墓の意、土を動かす、地固め、開店、葬送、墓を作る、種まき、旅行、祈祷は、凶、
帰忌日(きこにち、きこび)、旅行先からの帰宅、里帰り、貸し出した物の返却、移転、金銭の貸し出し、嫁取りなどは凶、
血忌日(ちいみにちちいみび)、鍼灸、手術、死刑執行、狩猟、魚獣を殺すなど血を見ることや、奉公人の雇い入れは凶、
重日(じゅうにち、じゅうび)、巳の日(陽が重なる日)と亥の日(陰が重なる日)に当たり、吉事は良いが凶事には用いてはいけない、
等々約22箇条ある(仝上・https://saijigoyomi.com/kadan/)。
内田正男『暦と日本人』(http://ppnetwork.seesaa.net/article/481941578.html)で触れたように、暦注の大半は、暦ともに中国から伝来した、陰陽五行説、十干十二支(干支)に基づいたものであるが、特に最後の改暦となった、
明治五年の改暦、
以後、旧暦が廃止され、東京天文台も研究対象としていないので、それまでは、曲がりなりにも、天文方とかかわりがあり、たとえば江戸時代は、
暦を立てるのに必要な、二十四節気や、朔、あるいは日食・月食などの天文学的計算は幕府の天文方で行い、これを京都の幸徳井家(土御門の次席のような立場にある)に送って暦注を付け、これを再び天文方が検査して、京都の大経師が彫刻し刷上げた写本暦を幕府から領主・奉行を経て暦屋に渡し、各地の暦屋でそれぞれ実用上の板木をほり、それを天文方が検閲する、
という手続きを毎年とっていた。その肝心の官許の暦法すら、江戸中期の、有職故実家・伊勢貞丈は、
吉日、凶日、日に吉凶はなきことなり。吉日にも悪事をすれば刑罰免れがたし、凶日にも善事を行へば、褒賞せらる。(中略)是にて考うべし、暦に日の吉凶を記すは、吉凶もなき日に、強いて吉凶を付けたるなり、
といい、江戸後期の儒家・中井竹山は、
世に中段と称する、建徐(たつ・のぞく 十二直)の名は暦法に古く見へたることなれども、是又甚だの曲説にて、その外、下段と称する吉日、凶日、みな言ふに足らざることどもとす、
といい、以後旧暦を廃することになった明治五年改暦の布告で、
特に中下段ニ掲ル所ノ如キハ率(オオム)ネ妄誕無稽ニ属シ、人知ノ開達ヲ妨ルモノ少シトセズ、
と、消されたはずの「旧暦」が、明治十年代後半から、一枚刷りの暦などに、六曜(先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口)が載り始めた、とある。
六曜は、本家中国では六百年も前に暦書から消えたもので、江戸時代もほとんど載らなかった代物である。この決め方は、
六曜は旧暦の月日で決まる。正月は先勝で始まるから、毎年元日はかならず先勝、七月一日も必ず先勝である。あとは二日友引、三日先負、四日仏滅、五日大安、六日赤口、そして七日はまた先勝である、
となる。この順を晦日まで続けて行けばいい。しかし、
晦日というのは旧暦では、小の月なら二九日、大の月なら三〇日のことで、その月が二九日か三〇日かどちらであるかは毎年計算によって決まるから暦を見ないと分からない、
うえに、
いずれにしても正月は毎年五日、一一……がよい日(大安)で、よい日の前日は必ず悪い日(仏滅)だということになってあまり面白味はない、
もので、江戸時代にはやらなかったはずである。旧暦だと、毎年、同じ月日の下に同じ六曜が載ることになるが、今日の六曜は、太陽暦のカレンダーにつけられている。
(上述の順で)割り当ててあると、旧暦の月替りの所で順序が狂うのが、しろうとには分からなくなるから迷信に神秘性を与える上でつごうがよい、
らしいのである(内田正男・前掲書)。迷信の迷信たる代表のような六曜にしてこれである。今日神社でもらう「神社暦」に、頁数を割いている「九星」は、本来、昔の暦注には載らず、暦注解説書にも説明されていないものらしく、
星といっても、これも天文学とは何の関係もない、
もので、縦・横・斜めの総和が15になる、いわゆる「魔方陣」の、
九つの星を年によってぐるぐる回しして、どの星の生れはどのうのと、大いに技巧をこらしたもの、
で、ある意味、「数字のおあそびに理窟をこじつけたもの」でしかない(内田正男・前掲書)。ぐるぐる回すだけで、運否占うのは確かに滑稽である。
なお、暦、暦注については、
渡邊敏夫『暦のすべて―その歴史と文化』(http://ppnetwork.seesaa.net/article/482927759.html)、
広瀬秀雄『暦(日本史小百科)』(http://ppnetwork.seesaa.net/article/482349187.html)、
でも触れた。また、北斗七星の斗柄が、十二支のいずれかの方角を指す。陰暦の正月は寅の方角を指し、二月は卯を指し、順次一年間に十二支の方角を指す「建(をざ)す」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/481844249.html)についても触れた。
「坎」(漢音カン、呉音コン)は、
会意兼形声。欠(ケン)は、人がからだをくぼませたさまを描いた象形文字。坎は「土+音符欠」。土にくぼんだ穴を掘ること、
とあり(漢字源)、
「坎穽(カンセイ)」は、「陥穽」「と、陥」に書きかえられるものがある、
と(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%9D%8E)、「陥」と同系である。
参考文献;
内田正男『暦と日本人』(雄山閣)
広瀬秀雄『暦(日本史小百科)』(近藤出版社)
渡邊敏夫『暦のすべて―その歴史と文化』(雄山閣)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95