庚申待
若き僧綱(そうごう)・有職(ゆうそく)などが庚申して遊けるに、うへの童(わらは)のいとにくさげなるが、瓶子などしありける(宇治拾遺物語)、
に
庚申して、
とあるのは、
庚申待、
の意で、
庚申の夜、語り明かす行事、
とある(中島悦次校注『宇治拾遺物語』)。「庚申」は、十干十二支の組合せの一つで、
かのえさる、
の日で、60日または60年…
生きるとは 位置を見つけることだ あるいは 位置を踏み出すことだ そして 位置をつくりだすことだ
位置は一生分だ 長い呻吟の果てに たどりついた位置だ その位置を さらにずらすことは 生涯を賭すことだ それでもなおその賭けに 釣り合う 未来はあるか