山科の石田の社の皇神(すめかみ)に奴左(ヌサ)取り向けて吾れは越えゆく相坂山を(万葉集)、
このたびは幣(ぬさ)も取りあへず手向(たむけ)山紅葉(もみぢ)の錦神のまにまに(菅原道真)、
とある、
「ぬさ」は、
幣、
と当て、
麻・木綿・帛または紙などでつくって、神に祈る時に供え、または祓(はらえ)にささげ持つもの、
の意で、
みてぐら、
にぎて、
ともいい、共に、
幣、
とも当てる。「ぬさ」は、
祈總(ねぎふさ)の約略なれと云ふ、總は麻なり、或は云ふ、抜麻(ぬきそ)の略轉かと(大言海)、
とあり、「ねぎふさ」に、
祈總(ねぎふさ)を当てるもの(国語の語根とその分類=大島正健・日本語源広辞典)、
と
抜麻(ねぎふさ)を当てるもの(雅言考)、
があり、「抜麻」を、
抜麻(ねぎあさ)と訓ませるもの(日本語源広辞典・河海抄・槻の落葉信濃漫録・名言通・和訓栞・本朝辞源=宇田甘冥)、
があり、その他、
ヌはなよらかに垂れる物の意。サはソ(麻)に通じる(神遊考)、
抜き出してささげる物の義(本朝辞源=宇田甘冥)、
ユウアサ(結麻)の略(関秘録)、
等々、その由来から、「ぬさ」が、元々、
神に祈る時に捧げる供え物、
の意であり、また、
祓(ハラエ)の料とするもの、
の意、古くは、
麻・木綿(ユウ)などを用い、のちには織った布や帛(はく)も用い、或は紙に代えても用いた、
とあり(大言海・精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉他)、
旅に出る時は、種々の絹布、麻、あるいは紙を四角に細かく切ってぬさぶくろに入れて持参し、道祖神の神前でまき散らしてたむけた、
ともある(精選版日本国語大辞典)。後世、
紙を切って棒につけたものを用いるようになる、
とある(仝上)。
(幣 精選版日本国語大辞典より)
「にぎて」は、
下枝に白丹寸手(にきて)、青丹寸手を取り垂(し)でて(古事記)、
と、
にきて、
と清音、
平安以降ニギテと濁音、
とあり(岩波古語辞典)、
和幣、
幣帛、
幣、
と当て(広辞苑・大言海)、
にきたへ(和栲・和布・和妙)の約(広辞苑・大言海・和訓栞・神遊考)、
テは接尾語で、手で添える物の意、あるいはタヘ(栲)の転か(岩波古語辞典)、
ニキは和の意。テはアサテ・ヒラデ・クボデなどのテと同じく「……なるもの」の意(小学館古語大辞典)、
ニキは和の義、テは、是を執って神に見せる義(東雅)、
ニギは和、テは手の義(日本語源=賀茂百樹)、
とある。「にきたへ」(和栲)は、
片手には木綿(ゆふ)取り持ち、片手には和栲(にきたへ)まつり平(たひら)けくま幸(さき)くいませと天地(あめつち)の神を祈(こ)ひ祷(の)みまつり(万葉集)、
と、
「荒稲(あらしね)」の対、平安時代以後はニギタヘと濁音、
打って柔らかくした布、神に手向ける、
意である(岩波古語辞典)が
たへ→て、
の音韻変化は考えにくく、
「くぼて」「ながて」の「て」と同様に「……なるもの」の意、
と見るべきとされ(日本語源大辞典)、「にき」は、
和魂(にきたま)、
の、
やわらかい、
おだやか、
という意になる(広辞苑)。斎部(いんべ)氏の由緒記『古語拾遺』(807)に、
和幣、古語、爾伎底、
神衣、所謂和衣、古語、爾伎多倍、
と別けて記している(大言海)。「にぎて」は、
木綿(ゆふ)の布、麻の布を神に供ふる時の称、後に、絹、又、後に布の代わりに紙を用ゐる。
とあり(仝上・岩波古語辞典)、
白和幣(しらにぎて 白幣)は木綿の糸似て作り、色白ければ云ひ、青和幣(あをにぎて 青幣)は麻の糸にて作り、稍、青みれば云ふ、古語拾遺に穀(カヂ)を植えて白和幣を造り、麻を植えて青和幣を作る、
とある(仝上)。「にきて」は、神代紀に、
枝下懸青和幣、
とある注に、
和幣此云、尼枳底、
とあるように、
榊の枝などに取り懸けて神をまつるしるしとする、
とあり(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)、
棒につけたものを用いるようになる、
と「ぬさ」と変わらなくなる。
「みてぐら」は、
幣、
幣帛、
などと当てる。古くは、
みてくら、
と清音、その由来は、
御手座の意(本居宣長・広辞苑・岩波古語辞典・デジタル大辞泉・日本釈名・東雅・日本語源=賀茂百樹・日本の祭=柳田國男)、
御手座の義、置座(おきぐら)に手向ける義、或は云ふ、御栲座(みたへぐら)の約、或は云ふ、充座の義とか、いかがか(大言海)、
ミテ(充)クラ(座)、たくさんの供物を案上に置いて献上すること。クラとは、物をのせたり、物をつける台となるものをいう(賀茂真淵)、
ミ(御)タヘ(栲)クラ(台)の約、ミは接頭語、タヘは古代に用いられた織物の総称で、タヘがテとなった(敷田年治)、
御手向クラの義(箋注和名抄)、
マテクラ(真手座)の義(類聚名物考・名言通)、
ミテは天王の御手の意、クラは神にクレ(遣)るの意(雅言考)、
等々とされ、
元来は神が宿る依代(よりしろ)として手に持つ採物(とりもの)、
を指し(百科事典マイペディア)、
祭人が手に持って舞うことにより、神がそこに降臨すると信ぜられた神座をいう。それが祭場に常に用意されるところから、神への供物と考えられるようになった、
とあり(岩波古語辞典)、
神に奉納する物の総称、
として、
布帛・紙・玉・兵器・貨幣・器物・獣類、
のちには、
御幣(ごへい)、
をもいうようになる(岩波古語辞典・デジタル大辞泉)。それは、「みてぐら」に、
幣の字を当てたため、幣帛(にぎて)と混用される、
に至ったもののようである。だから、「みてぐら」は、
絹布などを串に挟みて奉るを云ふ、後には、紙にも代ふ、木綿(ゆふ)の布の遺なるべし。今は、紙を長く段々に切りたるを、みてぐら、又、幣帛(へいはく)と云ひ、紙をたたみて、水竹に挟みたるを、幣束(へいそく)、又御幣(ごへい)とも云ふ、切りたるは御衣(みけし)に裁ちたる意、切らぬは裁たず、たたみながら獻ずる意と云ふ、
とあり(大言海)、これでは、
ぬさ、
も
にぎて、
も、
幣帛(へいはく)、
も
幣束、
も、
御幣、
も、
ほぼ同義になってしまっている。
(幣 広辞苑より)
因みに、「幣」は、
稚(わか)ければ道行き知らじ幣(末比 まひ)は為(せ)む黄泉(したへ)の使負(つかひお)ひて通(とほ)らせ(万葉集)、
と、
まひ(まひ)、
と訓ませ、
神への供え物、
という「ぬさ」などの意味を広げて、
謝礼として奉るもの、
贈り物、
まいない、
といった意味でも使っている(デジタル大辞泉)。
念のため、
幣帛、
幣束、
御幣、
の意味を確認しておくが、「幣」は、
麻(麻布)、
「帛」は、
絹(白絹、絹布)、
を意味し、両者は捧げ物の代表的な事物であることから、本来、「幣帛」は、
神々への捧げ物の「総称」、
を意味する(広辞苑・https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E5%B9%A3)。古代では貴重だった布帛が神への捧げ物の中心だったからである。『延喜式』の祝詞の条に、幣帛として、
布帛、衣服、武具、神酒、神饌、
などがある。しかし、幣帛は、同時に、
神の依り代、
とも考えられていたため、
串の先に紙垂を挟んだ依り代や祓具としての幣束・御幣、
なども「幣帛」と呼ぶ(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%A3%E5%B8%9B)とある。で、結局、「幣帛」は、
みてぐら、
にぎて、
ぬさ、
と同義になり(大言海)、
充座(みてぐら)、
礼代(いやじり)、
ともいい(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E5%B9%A3)、
宇豆乃幣帛(うずのみてぐら)、
布刀御幣(ふとごへい)、
大(おお)幣帛、伊都(いつの)幣帛、
安(やす)幣帛、
足(たる)幣帛、
豊(とよ)幣帛
等々と、「幣帛」を「みてぐら」と訓ませ、「みてぐら」の美称として使われて、結局、
布帛をさしたり、あるいは、紙垂(しで)を串(くし)に刺した幣束、
をいうようになり、
御幣(ごへい)、
ということなる(日本大百科全書)。
「幣束」は、
神に捧げるもの、
の意で、
ほぼ「にきて」、「ぬさ」と区別がつかないが、今日、
裂いた麻や畳んで切った紙を、細長い木に挟んで垂らしたもの、
をいい(広辞苑)、
御祓に用い、又、神体とするも、是は誤れるなり。其大なるものを、
はらひぬさ(祓幣)、
という(大言海)。「みてぐら」で
紙をたたみて、水竹に挟みたるを、幣束(へいそく)、又御幣(ごへい)とも云ふ、
とあった(大言海)とおり、「御幣」は、
幣束の尊敬語、
である。
白色、または金銀、五色の紙を幣串に挟んだもの、
であり(広辞苑)、
捧げ物としての御幣の中心は、両側に長く折り下げられた部位(紙垂)ではなく、串に挿(はさ)まれた部分、そのものにある、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E5%B9%A3)。
折り畳んだ布を串(=「幣挿木」(へいはさむき))に挿んで捧げる形式、
が登場するのは、奈良時代後半から平安時代前期にかけてで、これが、結局、
御幣、
につながることになる。幣挿木が神々への捧げ物だと示すため、捧げ物本体である「幣帛」とともに、神聖性を表現する「木の皮の繊維(これを「木綿」という)や麻」を、串に挿んで垂らした、
ので、ある意味では、「幣」が「木」に挟まれてからは、御幣への一本道になる。
(幣串(へいぐし)を担いだ大工の棟梁を先頭に町を練り歩く「棟梁送り」(歌川広重『名所江戸百景』「大伝馬町呉服店」) 幣串は上棟式の際に飾られる祝い柱で、昔は3mほどあった。柱の先端に鏡と日の丸の扇、御幣を付け、その下に櫛、手絡、かもじと五色の布を飾ったもので、髪結い道具は古代に若い女性を人柱にした習わしを象徴しているという https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E5%B9%A3より)
「木綿・麻」の代わりに、細長く折り下げた紙を両側に垂らす形式、
が見られるようにもなるのが中世(13世紀末頃)。これが、
紙垂(しで)、
である。
榊(玉串・真榊)の他、神前に御幣を捧げる形、
が普及・定着化したのは、室町時代から江戸時代にかけて、中世以降の御幣は、
捧げ物本体である「幣紙」(へいし)
と
神聖性を示す「紙垂」(しで)
と
それらを挿む「幣串」(へいぐし)
から成るようになる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E5%B9%A3)。なお、長い棒や竹の先端に幣束を何本か取付けたもののことを、特に、
梵天(ぼんてん)、
という(仝上)らしい。
いまでは、
紙垂、
が御幣の象徴として認識されているが、元来の捧げ物としては、その中心である、
幣帛、
である。だから、柳田國男をして、
「ヌサまたは捧げ物は、出来るかぎり清く汚れなくして、元は最も神の御座に近く進(まい)らせんとして、時としては眼に見えぬ零体の所在を標示する樹枝や斎串(いわいぐし)の木に、直接結(ゆ)わえつける習わしがあった……。花や芒の葉のような自然物を、しでで目じるしとする場合はそうであるまいが、木綿(ゆう)・麻・帛・白紙の類を用いるときは、シデとヌサを混同し、また時としては兼用せられた。紙などは近世得やすくなったので、細く長く翦って垂れて、もっぱらシデの用に供することになったのに、なお二つの境を明らかにし得ず、ゴヘイというような新しい日本語が生まれて、……殊に迷惑というべきは特殊のミテグラ、すなわち幣帛を取り付けたる斎串が珍重せられて、それをトヨミテグラ、ウズノミテグラなどと呼んだのが原因となってか、『日本書紀』の傍訓が幣帛をミテグラと読ましめた……。」
と嘆かしめることになる。しかし、この混同、同一化は、実に古い歴史がある。
因みに、「しで」は、
垂、
紙垂、
四手、
などと当て、
「垂づ(しづ)」の連用形、「しだれる」と同根である(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%99%E5%9E%82)、
垂ヅの義(大言海)、
シヅル(垂)・シズム(沈)のシヅと同根、シダル(垂)の他動詞形から(岩波古語辞典)、
シダレ(垂)の反(類聚名物考・嬉遊笑覧)、
など、動詞、
しづ(垂)、
からきているとあるように、
玉串、注連(しめなは)などに、垂(し)でかくるもの、古へ、多くは、木綿(ゆふ)を用ゐ、木綿四手など云ふ、紙を切りて用ゐるを紙四手と云ふ、
とある(大言海)。
(しで 広辞苑より)
神に捧げるヌサの一種、
とある(岩波古語辞典)ように、「しで」の初出は、前出の、
天の香山の五百津真賢木(いほつまさかき)を根こじにこじて、上枝に八尺の勾玉の五百津の御すまる(美須麻流)の玉を取り著け、 中枝に八尺鏡を取り繋け、下枝には白丹寸手、青丹寸手を取り垂でて(古事記)、
と、岩戸の前で賢木の枝に下げた、
白丹寸手(しらにきて)、
青丹寸手(あをにきて)、
つまり「にぎて」で触れた、
白和幣(しらにぎて 白幣)は木綿の糸似て作り、色白ければ云ひ、青和幣(あをにぎて 青幣)は麻の糸にて作り、稍、青みれば云ふ、
である(大言海)。ここで、すでに、「にぎて」と「しで」は、区別が曖昧になっている。
「しで」は、祓具として、
玉串、
祓串、
御幣、
につける他に、注連縄に垂らして神域・祭場に用いる場合は、
聖域、
を表す(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%99%E5%9E%82)。もともと、串に挿む紙垂は、
四角形の紙、
を用いたが、のちに、その下方両側に、紙を裁って折った紙垂を付すようになり、さらに後世には紙垂を直接串に挿むようになった(日本大百科全書)が、その断ち方・折り方にはいくつかの流派・形式があり、主なものに吉田流・白川流・伊勢流がある、とされる(仝上)。この形の由来については、
無限大の神威説(白い紙を交互に切り割くことによって、無限大を表わす)、
と
雷説(雷(稲妻)を表わしている)、
があるとされる(仝上)。
「幣」(漢音ヘイ、呉音ベ)は、
会意兼形声。敝の左側は「巾(ぬの)+八印二つ」の会意文字で、八印は左右両側に分ける意を含む。切り分けた布のこと。敝(ヘイ)は、破って切り分ける意。幣は「巾(ぬの)+音符敝」で、所用に応じて左右にわけて垂らし、または、二枚に切り分けた布のこと、
とある(漢字源)。別に、
形声。巾と、音符敝(ヘイ)とから成る。祭りや贈り物用の布、ひいて、礼物、また礼物の帛(はく)・玉などの財物に代えて銭が用いられるようになったことから、「ぜに」の意を表す、
とも(角川新字源)、
形声文字です(敝+巾)。「破れた衣服の象形とボクっという音を表す擬声語と右手の象形」(「破れる」の意味だが、ここでは、「拝」に通じ(「拝」と同じ意味を持つようになって)、「おがむ」の意味)と「頭に巻く布きれにひもを付けて、帯にさしこむ」象形(「布きれ」の意味)から、「神に拝み捧げる布」を意味する「幣」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji2025.html)。「幣帛」(神にささげる白絹)として使われる。「ぬさ」「みてぐら」に当てたのは字義にかなっている。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95