ねたむ

「ねたむ」は、 妬む、 嫉む、 と当てる(大辞泉・大言海)。「妬む」「嫉む」の「妬」「嫉」の字は、 そねむ、 とも訓ませ(広辞苑)、「妬」の字は、また、 うらやむ、 とも訓ませる(大言海)し、 妬く、 で、 やく、 とも訓ませる(広辞苑)。「ねたむ」は、 女は、今の方にいま少し心寄せまさりてぞ侍りける。それにねたみて、終に今…

続きを読む

区々

「区々」は、 くく、 とも、 まちまち、 とも訓ませる(広辞苑)。色葉字類抄(1177~81)に、 區區、クク、 とあり、類聚名義抄(11~12世紀)に、 區、マチマチ、 とある。 意見が区々(くく)に分かれる、 と まちまちであること、 の意と、 悲むらくは、公の、ただ古人の糟粕を甘んじて、空しく一生を、區々の中…

続きを読む

鍔目

せっかく今の時世にはやらぬ化物の話をしようという人も、鍔目があわぬと嘲られるのは厭だから、つい足のところは略してしまうようなことになる(柳田國男「一目小僧その他」)、 と、 鍔目が合わぬ、 という言い回しがあるらしい。ただし、この言葉では辞書には載らない。「鍔」は、 鐔、 とも当て、 刀剣の柄(つか)と刀身との境目に挟み、柄を握る手を防護するもの。平たくて…

続きを読む

てづつ

「てづつ」は、 手筒、 と当て、 片手であつかえる鉄砲、短銃(広辞苑・大辞林)、 片手に持って撃つ小銃、ピストルの大形のもの(大辞泉)、 等々とあり、 短筒(たんづつ)、 という言い方もあり、 銃身の短い火縄銃、 を指す(デジタル大辞泉・https://www.seiyudo.com/2252.htm)。 (短筒 https://j…

続きを読む

もどる

「もどる」は、 戻(戾)る、 と当てる(広辞苑)が、 帰る、 とも当てる(大言海)ように、意味は、大きく二つのようだ。ひとつは、 筑紫舟恨みをつみてもどるには葦辺に寝てもしらねをぞする(平安末期の私家集「散木奇(さんぼくき)歌集」)、 と、 ある場所からいったん移ったものが、もとへかえる、 意と、 また水に戻るも早し初氷(「俳諧古選付録(…

続きを読む

しのぶもじずり

陸奥(みちのく)のしのぶもぢずり誰(たれ)ゆゑに乱れそめにし我ならなくに(古今集)、 とある、 「しのぶもじ(ぢ)ずり」は、 忍綟摺り、 信夫綟摺り、 と当てる(大言海・学研全訳古語辞典)が、 信夫文字摺、 とも当てたりする(柳田國男「女性と民間伝承」)。 しのぶずり(忍摺・信夫摺)、 あるいは、 もじずり(捩摺)、 とも言い(広…

続きを読む

神話への隘路

柳田國男「桃太郎の誕生(柳田国男全集10)」を読む。 本書は、 桃太郎の誕生、 の他、 女性と民間伝承、 竜王と水の神、 が所収されている。片や、桃太郎という「小さ子」説話から、昔話、伝説を縦横に遡り、古代の水の神信仰へとたどり着き、片や全国にちらばる和泉式部由来という伝承の地の比較検討から、その話を全国に持ち歩いた女性を通して、「歌占人」へと至り着く…

続きを読む

しとぎ

「しとぎ」は、 粢、 糈、 と当て、 神前に供える餅の名、 とある(広辞苑)が、「山神祭文」に、 今日山に入らず、明日山に入らずとも、幸ひ持ちし割子を、一神の君に参らせん。かしきのうごく、白き粢の物をきこしめせとてささげ奉る、 とある(柳田國男「山の人生」)。 古くは水に浸した生米をつき砕いて、種々の形に固めた食物。後世は、糯米(もちごめ)を蒸し、…

続きを読む

もの狂い

世の中になほいと心憂きものは、人ににくまれんことこそあるべけれ。誰てふもの狂ひか、我、人にさ思はれんとは思はん(枕草子)、 にある、 もの狂ひ、 は、 物狂ひ、 と当て、古くは、 ものくるい、 と清音(大辞泉)、 正気でなくなること、 何かの原因で正常な判断ができなくなること、 の意で、 「もの(=霊・魂)」がついて、正気が狂う(…

続きを読む

さえの神

これも今はむかし、筑紫にたうさかのさへと申す斎(さい)の神まします(宇治拾遺物語)、 とある、 さへ、 は、 塞(斎)の神、 とある(中島悦次校注『宇治拾遺物語』)。 道祖神(だうそじん・どうそじん)、 のことである(仝上)。訛って、 道陸神(どうろくじん)、 ともいい、 さいのかみ、 さえのかみ、 と訓ませ、 道の神…

続きを読む

うはなりうち

松坂屋甚太夫が女房、うはなりうちの事(諸国百物語)、 にある、 「うはなりうち(うわなりうち)」とは、 後妻打(ち)、 と当て、 あさましや、六条の御息所(ミヤスドコロ)ほどのおん身にて、うはなりうちの御ふるまひ(謡曲「葵上」)、 と、 本妻や先妻が後妻をねたんで打つ、 意味で、 室町時代、妻を離縁して後妻をめとった時、先妻が意趣を晴らそ…

続きを読む

鼻の下くう殿建立

かまどのけむり賑々と立鼻の下建立の場と打見へて(雑俳「雲鼓評万句合(1745)」)、 人道の道徳のと云うが頭巾を取れば皆鼻の下喰う殿(でん)の建立だ(内田魯庵「社会百面相(1902)」)、 などとある、 鼻の下くう殿建立(でんこんりゅう)、 は、 鼻の下の建立、 鼻下建立(はなのしたのこんりゅう)、 ともいい、「鼻の下」は、 口、 の謂いだが、そ…

続きを読む

歌占

「歌占(うたうら)」は、 巫女(みこ)や男巫(おとこみこ)が神慮を和歌で告げること、また、その歌による吉凶判断、 とあり(大辞泉)、 恵心僧都、巫女に心中の所願を占へとありければ、歌占に和讃を唱へて、「十万億の国国は、海山隔てて遠けれど、心の道だに直(なほ)ければ、つとめて至るとこそ聞け」と占ひたりければ(鎌倉初期の説話集『古事談』)、 と、 巫女などの口から出…

続きを読む

影向の松

「影向(ようごう)の松」という名の松が、今日、 影向のマツ 善養寺(江戸川区東小岩)境内に生育している樹齢は600年以上のクロマツの巨木、 影向の松 善福院(三重県伊賀市)境内に生育している松(現在三代目)、 影向の松 春日大社(奈良県奈良市)境内に生育しているクロマツ(平成に入って枯れたため現在後継樹を育成)、 影向の松 不洗観音寺(岡山県倉敷市)境内に生育している推定樹齢20…

続きを読む

きっちょむ話

「きっちょむ話」は、 吉四六話、 と当て、 大分県中南部に伝承されている笑い話、とんちばなし、 で、 「きっちょむ」は吉右衛門の転訛(広辞苑・大辞泉)、 「きっちょむ」という名は「きちえもん」が豊後弁によって転訛したもの(デジタル大辞泉)、 とされるように、 地元では、明暦から元禄(1655~1704)の頃酒造業を営み、豊後国野津院(現在の大分県臼…

続きを読む

ほほえむ

「ほほえむ」は、 微笑む、 頬笑む、 と当てる(広辞苑)が、正確には、「頬」と「頰」とがあり、 微笑む、 頰笑む、 頬笑む、 となる(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E3%81%BB%E3%81%BB%E3%81%88%E3%82%80)。さらに、 忍笑、 とも当てる(大言海)。 御手は、いとをかしうのみなりまさ…

続きを読む

腰折れ

「腰折(こしを)れ」は、 奈良坂のさがしき道をいかにして腰折れどもの越えて来つらん(古今著聞集)、 と、文字通り、 年老いて腰の折れかがむこと、 また、 その人、 の謂いだが、それをメタファに、 今めきつつ、こしをれ哥好ましげに、若やぐ気色どもは(源氏物語)、 のように、 腰折れ歌、 の、 和歌の第三句(腰の句)の詠み方に欠点…

続きを読む

へったくれ

「へったくれ」は、 規則もへったくれもあるか、 というように、 多く「…も―も」の形で、下に否定の語を伴う文脈でいうことが多い、 使い方で(広辞苑・大辞林)、 取るに足りないと思うものをののしっていう語、 であり(仝上)、 つまらないと思う、 価値を認めない、 軽んじる気持ち、 を表す語である(仝上・大辞泉)。古語辞典の類には載らないが、江…

続きを読む

語源のもつ意味

柳田國男『不幸なる芸術・笑の本願』を読む。 本書には、 笑の本願、 不幸なる芸術、 の二著が収められており、「笑の本願」は、 笑の文学の起源、 笑の本願、 戯作者の伝統、 吉右会記事、 笑の教育、 女の咲顔、 が、「不幸なる芸術」には、 不幸なる芸術、 ウソと子供、 ウソと文学の関係、 たくらた考、 馬鹿考異説、 烏滸の文学、…

続きを読む

佯狂して奴となる

「佯狂(ようきょう)して奴(ど)と為(な)る」は、 狂人を装って下僕となった、 という意味である。 「佯狂」は、 箕子(きし)被髪佯狂而為奴(史記・宋世家)、 と、 イツワリキョウス、 と読ませ、 狂人のふりをする、 意であり(「被髪」は束ねずに乱れた髪の毛の意)、 陽狂不識駿(後漢書・丁鴻傳)、 と、 陽狂、 あ…

続きを読む