2022年08月01日

現象学的分析


エドムント・フッサール(立松弘孝訳)『内的時間意識の現象学』を読む。

内的時間意識の現象学 (2).jpg


本書は、二部に分かれる。

「第一部は『現象学および認識論の主要部』と題して1904、05年の冬学期にゲッチンゲンで行われた週四時間講義の最後の部分を収録している。(中略)この講義では《もっとも根底的な知的作用、すなわち、知覚、想像、心象意識、記憶、時間直観》が研究されることになっていた。第二部は講義の補遺と1910年までになされた新しい補足的研究から成り立っている。」(編者・序)

本書ではじめて、

時間を主観的に、

つまり、

主観的な時間意識や内在的な意識体験の時間性、

について、

現象学的に、

つまり、

直接与えられた意識(知覚直観、純粋経験・意識)を整理することなく、できるだけ言葉に置き換えて記述していく、

ことで、

意識内部の時間意識、

の道筋を明らかにしようとしているのは。確かだとしても、しかし、それにしても、本書は難解である。

「一般に難解な彼の著作の中でも最も難解を嘆ぜしめるもの」

といわれる(訳者あとがき 高橋里美「フッセルにおける時間と意識流」)。論旨の難解さももちろんあるが、次々と説明抜きで繰り出される「概念」が、とても追尾不能のせいもある。たとえば、

「勿論われわれの誰もが時間とは何であるかを知っている。時間はもっともよく知られたものである。しかしいったんわれわれが自分自身に時間意識について論明し、客観的時間と主観的時間とを正当な相互関係に置いて、そしてどのようにして時間的客観性が、つまり個体的客観性一般が主観的時間意識の内部で構成されるかを意識しようと試みるならば、それどころか、純粋に主観的な時間意識、すなわち時間体験の現象学的内実を分析しようと試みるだけでも、忽ちわれわれは稀有の困難、矛盾、混乱にまきこまれてしまう。」

とある(「序論」)だけでも、「時間」だけで、

時間性格、
客観的時間、
主観的時間、
時間的客観性、
個体的時間性、
主観的時間意識、
時間体験、

等々と繰り出される。文脈で理解できるものもあるが、微妙な含意差は、推測していくほかはない。

たとえば、メロディを聞いている時、

「内在的・時間的客観が恒常的な流れの中でどのように《現出》し、どのように与えられているか」

という、

内的時間意識の現出様式、

を、次のように記述する。

「音が鳴り始め鳴り終わる全過程の統一は、それが鳴り終わったあと次第に遠い過去へ《後退する》。このような沈退の中で私はなおもその音を《把持》し、それを《過去把持》のうちに所持している。そして過去把持が存続する限り、その音はそれ自身の時間性を保持し、同じ音でありつづけるのであり、その持続も変わることがない。私はその音の所与存在の様式に注意を向けることができる。その音とその音が充たしている持続は《諸様式》の連続する中で、《恒常的な流れ》の中で意識されているのである。そしてこの流れの一位相をなす一点が《鳴り始めた音の意識》と言われ、そこでは音の持続の最初の時点が今という様式で意識されている。その音は所与であり、いまとして意識されている。しかしそれがいまとして意識されるのは、その音の諸位相のどれか一つがいまとして意識されている《限り》でのことである。しかし(音の持続の一時点に対応する)時間位相のどれかが顕在的な今であるとすれば(ただし出発点の位相は例外である)、一連の位相は《以前》として意識され、また出発点から今の時点までの時間的持続の広がり全体は経過した持続として意識される。……」

と、明らかに自分の個人的体験とは齟齬のある部分はあるが、フッサール自身が、

「このような記述を行う場合われわれはすでに多少の観念的虚構を用いて操作している。」

と言っているし、

「音が絶対に変わることなく持続するというのは一つの虚構である。」

といっているので、免責されるようだが、そうだろうか。音の持続を前提に立てている構造そのものが、疑わしくなってくるのではないのか。

正直「現象学」による分析の価値を云々する力はないか、少し齧った認知心理学からいうなら、本書が追求する、

知覚、
記憶、
想像、
想起、
心象、

等々は、正に認知心理学の領域であり、たとえば、「記憶」を、「記憶」一言で片づけるのは、いささか問題があり、たとえば、記憶は、

「意味記憶」(知っている Knowには、Knowing ThatとKnowing Howがある)、
「エピソード記憶」(覚えている rememberは、いつ、どこでが記憶された個人的経験)、
「手続き記憶」(できる skillは、認知的なもの、感覚・運動的なもの、生活上の慣習等々の処理プロセスの記憶)、

があるとされるが、「メロディ」の記憶を、

意味記憶、

でみるか、

エピソード記憶、

で見るかでは、その主観的時間意識には差があるはずで、主観的な意識記述は、今日、認知心理学の知見と照合さるべきなのではないか。いかに主観とはいえ、「虚構」の記述に意味があるとは思えない。

参考文献;
エドムント・フッサール(立松弘孝訳)『内的時間意識の現象学』(みすず書房)
J・R・アンダーソン『認知心理学概論』(誠信書房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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2022年08月02日

むかばき


こんのあを(襖)きたるが、夏毛のむかばきをはきて、葦毛の馬に乗りてなむ來(く)べき(宇治拾遺物語)、

にある、

むかばき、

は、

行縢、
行騰、

と当て(広辞苑)、

鹿・熊・虎・豹等の毛皮を用ゐ、長さ三尺六寸、一片に製して、腰に着け、両の股脚、袴の前面に垂れ被うふもの、

で(大言海)、

奈良時代には短甲に付属し、平安初期には鷹飼が用い、平安末期から武士が狩猟・旅行に当たって騎馬の際に着用した、

とある(広辞苑)。現在も、

流鏑馬(ヤブサメ)、

の装束に用いている(大辞林)。

むかばき.jpg

(「むかばき」 広辞苑より)

袴をはいていても、乗馬していばらの道を通れば足を痛めることが多いので、武士はこれをはくことによって、その災いから逃がれることができた、

とある(日本大百科全書)。「夏毛」は、

特に鹿の夏の毛、

をいい、

夏の半ば以後、暗褐色から黄色に変わり、白斑が鮮やかに出る。その毛は、筆、毛皮は行縢によいとされた、

とある(岩波古語辞典)。

因みに、「短甲」は、

平安初期頃まで行われた甲よろいの代表的な形式。鉄板を革紐や鉄鋲でとじつけて作り、胴部をおおう短いもの、

の意である(仝上)。

短甲.bmp

(短甲 大辞林より)

「したうづ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/488529163.htmlで触れたように、

隋・唐の制を参考に、大宝(たいほう)の衣服令(りょう)で、朝服に加えて礼服を制定し、養老(ようろう)の衣服令によって改修され(有職故実図典)、

即位、大嘗祭(だいじょうさい)、元日朝賀等の重要な儀式に着用した、

礼服(らいふく)、

の、武官の礼服は、

礼冠、緌(老懸 おいかけ)、位襖(いおう 「襖」は、わきを縫い合わせない上衣)、裲襠(うちかけ・りょうとう 長方形の錦(にしき)の中央にある穴に頭を入れ、胸部と背部に当てて着る貫頭衣)、白袴、行縢(むかばき 袴(はかま)の上から着装)、大刀(たち)、腰帯、靴(かのくつ)、

と規定されていた(広辞苑・有職故実図典・精選版日本国語大辞典他)。

むかばき.bmp

(「むかばき」 精選版日本国語大辞典より)

「むかばき」は、

向脛(むかはぎ)にはく意(広辞苑)、
ムカ(向)ハク(穿)の意(岩波古語辞典・小学館古語大辞典)、
向脛巾(ムカハバキ)の約、向着の義、向は、向股の如し(大言海)、
両股に着くので、ハハキはハキハキ(脛着)の義(東雅)、
向股佩の義(類聚名物考)、
股佩の義(古今要覧稿)、

等々ある。多少の違いはあるが、多く、

脛(はぎ)、

に関わらせた説である。

向脛(むかはぎ)、

というのは、

脛の前面、

つまり、

むこうづね、

を指し(広辞苑)、

向は、両脛相向かふなり、向股(むかもも)の如し、

とある(大言海)。字鏡(平安後期頃)に、

骹(コウ、脛)、脛骨也、脛也、疾也、牟加波支、

とある。

はばき.bmp

(はばき 大辞林より)


はばき 現物.jpg

(「はばき」 広辞苑より)

「脛巾(はばき)」は、

行纏、
脛衣、

とも当て、

古く、旅行・外出のときなどに、すねに巻きつけ、紐で結んで、動きやすくしたもの。藁や布で作られ、後世の脚絆(きゃはん)にあたる、

とある(広辞苑・大辞林)。「はばき」も、

ハギハキ(脛穿・脛佩)の義(大言海・箋注和名抄・和句解)、
脛巾裳(はばきも)の略(日本国語大辞典)、
ハキマキ(脛巻)の義(言元梯)、

などとされる。位置から見ると、

膝より下の、足首から上、

を指す、

脛(はぎ)、

ではなく、

膝から上、股までの部分、

である、

股(もも 腿)、

ではないかという気がするが、諸説から見ると、

向脛巾(ムカハバキ)の約、

あるいは、

向脛(むかはぎ)にはく、

というのが実態に叶う気がする。

「縢」 漢字.gif


「縢」(漢音トウ、呉音ドウ)は、

形声。糸をのぞいた部分が音をあらわす、

とある(漢字源)。

なわ、ひも、おび、

など、

互い違いによじりあわせたひも、

の意で、
縢(かが)る、

と訓ませ、

糸などでからげて縫い合わせる、
糸を組んで編み合わせる、

意で使う(精選版日本国語大辞典)。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

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2022年08月03日

注連縄


さらば此御祭の御きよめするなりとて、四目(しめ)引きめぐらして、いかにもいかにも人なよせ給ひそ(宇治拾遺物語)、

にある

四目、

は、

注連(しめ)、

の当て字、

注連縄、

の意で、

聖場の標とするためにひきめぐらす縄、

とある(中島悦次校注『宇治拾遺物語』)。

「注連」は、

標、

とも当て、

動詞「占む」の連用形の名詞化、

で、

物の所有や土地への立ち入り禁止が、社会的に承認されるように、物に何かを結いつけたり、木の枝をその土地に刺したりする意、

とあり(岩波古語辞典)、

大伴の遠(とお)つ神祖(かむおや)の於久都奇(奥津城 おくつき=墓所)はしるく之米(標 シメ)立て人の知るべく(万葉集)、

と、

神の居る地域、また、特定の人間の領有する土地であるため、立入りを禁ずることを示すしるし、

とあり、

木を立てたり、縄を張ったり、草を結んだりする、

が、

双葉(ふたば)よりわが標(し)めゆひし撫子の花のさかりを人に折らすな(後撰集)、

と、

恋の相手を独占する気持や、恋の相手が手のとどかないところにいることなどを、比喩的に表現するのにも用いる、

とある(日本国語大辞典)。で、「しめ(標)」は、

標刺(さ)す 所有しているしるしをたてる。目じるしをつける、
標の内(うち)  神あるいは特定の人間が領有するため立入りを禁じている地域の内。神社の境内、宮中など、
標の内人(うちびと) 神社、または、神事に奉仕する人。宮中に仕える人、
標の外(ほか) 神あるいは特定の人間が領有する地域の外。神社の境内、内裏などの外。転じて、比喩的な意味で男女の間が隔たっていること、相手が手のとどかないところにいることなどにも用いる、
標結(ゆ)う 占有、道標のしるしとして草などを結ぶ。縄などを張って立入りを禁ずる。また、反対に、出て行くのを止める意にも用いる、

などと使う(仝上)。この「しめ」は、

シメ(閉)の義(大言海)、
シメ(締)の義(国語の語根とその分類=大島正健)、
自分が占めたことを標す義(国語溯原=大矢徹)、
これを張って出入りをイマシメるところから(和句解・柴門和語類集・日本釈名)、

等々の説があるが、

シメクリナハの約であるシメナハの略(東雅・大言海)、

とし、

元、縄を結び付けて、標(しるし)せし故に(即ち、しめなは)、結ふと云ふ、

と、

しめなわ(注連縄)の略、

としても使う(大言海・日本国語大辞典・広辞苑)。

注連縄(広辞苑).jpg

(注連縄 広辞苑より)


注連縄(『学研全訳古語辞典』).jpg

(注連縄 学研全訳古語辞典より)

「しめくりなは」は、

注連縄、
尻久米縄、
端出縄、

などと当て、

「しめなは」の古語、

で(広辞苑)、

布刀玉(ふとだま)の命、尻久米(クメ 此の二字は音を以ゐよ)縄を其の御後方(みしりえ)に控(ひ)き度(わた)して白言(まを)ししく(古事記)、

と、

端(しり)を切りそろえず、組みっぱなしにした縄、

の意である(仝上)。『日本書紀』七段本書に、

端出之縄、

とあり、注記に、

縄、亦云く、左縄(ひたりなは)の端出(はしいたす)といふ。此には斯梨俱梅儺波(しりくめなは)と云ふ、

と記す(精選版日本国語大辞典)。「くめ」は、多く、

「組む」の意、

と取る(評釈その他)が、

「籠」の意と取る説(次田新講)、
「出す意の下二段他動詞クムの連用形」と取る説(新編全集)、
「籠(こめ)」で、わらのしりを切り捨てないでそのままこめ置いたなわの意(日本国語大辞典)、

もあるhttp://kojiki.kokugakuin.ac.jp/kojiki/%E5%A4%A9%E3%81%AE%E7%9F%B3%E5%B1%8B%E2%91%A2/。確かに、「籠(こめ)」よりは、「組む」の、

藁の端を出したままにした縄を組む、

の方が実態に叶う気はする。やはり、

上代、縄を引き渡して、内側にはいることを禁じ、清浄な地を区画する標としたもの、

どあり、

後、神前に引き、また、新年の時などの飾り、

とした、

しめなわ、

である。

注連縄.jpg

(注連縄 デジタル大辞泉より)

「しめなは(わ)」は、

標縄、
注連縄、
七五三縄、
〆縄、

などと当て、

祝部(はふり)らが斎(いは)ふ社の黄葉(もみぢば)もしめなは越えて散るといふものを(万葉集)

と、

神前または神事の場に不浄なものの侵入を禁ずる印として張る縄、

の意だが、一般には、新年に門戸に、また、神棚に張り、

左捻よりを定式とし、三筋・五筋・七筋と、順次に藁の茎を捻り放して垂れ、その間々に紙垂(かみしで)を下げる。輪じめ(輪飾り)は、これを結んだ形である、

とある(広辞苑・https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%A8%E9%80%A3%E7%B8%84)。ただし、出雲大社では、本殿内の客座五神の位置などから左方を上位とする習わしがあり、右綯いの縄(左方が綯い始めになっている縄)が用いられている(仝上)。

しめ(標)、
章断(しとだち)、

ともいう。

出雲大社の注連縄.JPG

(出雲大社の注連縄は一般的な注連縄とは逆に左から綯い始めている https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%A8%E9%80%A3%E7%B8%84より)

古神道においては、神域はすなわち常世(とこよ)であり、俗世は現実社会を意味する現世(うつしよ)であり、注連縄はこの二つの世界の端境や結界を表し、場所によっては禁足地の印にもなる、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%A8%E9%80%A3%E7%B8%84。また、

御霊代(みたましろ)、
依り代(よりしろ)、

として神がここに宿る印ともされ、巨石、巨樹、滝などにも注連縄は張られる。また日本の正月に、家々の門や、玄関や、出入り口、また、車や自転車などにする注連飾りも、注連縄の一形態であり、厄や禍を祓う結界の意味を持つ、とある(仝上)。この起源は、古事記で、

天照大神が天岩戸から出た際に二度と天岩戸に入れないよう岩戸に注連縄を張った、

とされる(仝上)のによる。

天岩戸神話の天照大御神(春斎年昌).jpg

(天岩戸神話の天照大御神(春斎年昌) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%B2%A9%E6%88%B8より)

なお、「ぬさ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/488951898.htmlで触れたが、「しで」は、祓具として、

玉串、
祓串、
御幣、

につける他に、注連縄に垂らして神域・祭場に用いる場合は、

聖域、

を表すhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%99%E5%9E%82。もともと、串に挿む紙垂は、

四角形の紙、

を用いたが、のちに、その下方両側に、紙を裁って折った紙垂を付すようになり、さらに後世には紙垂を直接串に挿むようになった(日本大百科全書)が、その断ち方・折り方にはいくつかの流派・形式があり、主なものに吉田流・白川流・伊勢流がある、とされる(仝上)。この形の由来については、

無限大の神威説(白い紙を交互に切り割くことによって、無限大を表わす)、

雷説(雷(稲妻)を表わしている)、

があるとされる(仝上)。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
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2022年08月04日

しわぶ


男、しわびて、我身は、さは観音にこそありけれ、ここは法師になりなんと思ひて(宇治拾遺物語)、
いみじくほうけて、物もおぼえぬやうにてありければ、しわびて法師になりてけり(仝上)、

とある、

しわぶ、

は、

当惑して、
途方に暮れて、

などの意とある(中島悦次校注『宇治拾遺物語』)。

「しわぶ」は、

為侘ぶ、

と当て、

どうしてよいか始末に苦しむ、
途方に暮れる、
しあぐむ、

の意とある(広辞苑)。

「しわぶ」は、

為(す)+わぶ(侘)、

「わぶ」(上二段活用、口語「わびる」は、上一段活用)は、

失意・失望・困惑の情を動作・態度にあらわす意、

とあり(岩波古語辞典)、

うらわぶ(心侘)の略、

とある(大言海)。「わぶ」は、

ちりひぢ(塵泥)の数にもあらぬ我ゆゑに思ひわぶらむ妹がかなしさ(万葉集)、

と、

気落ちした様子を外に示す、
がっくりする、

意や、

国の司、民つかれ国滅びぬべしとなむわぶると聞し召して(大和物語)、

と、

困りきる、
迷惑がる、

意や、

男五条わたりなりける女を得ずなりにけることとわびたりける人の返りごとに(伊勢物語)、

と、

恨みかこつ、
悲観して嘆く、

意や、

さ夜中に友呼ぶ千鳥物思ふとわび居る時に鳴きつつもとな(万葉集)、

と、

気力を失って沈みこむ、
淋しく心細い思いをする、

意や、

古は奢れりしかどわびぬれば舎人が衣も今は着つべし(拾遺和歌集物名)、

と、

失意の境遇にいる、
零落している、

意や、

その御薬、まづ一度の芸、一つ勤むるほどたまはりてよ…としきりにわぶる(福富長者物語)、

と、

(助けてくれるよう)嘆願する、

意や、

我幼少より少しの業をしたこともない、偏へに御免を蒙れ、とわぶれども各々憤り深うして(天草本伊曾保物語)、

と、

(「詫びる」と書く)(困惑のさまを示して)過失の許しを求める、
あやまる、
謝罪する、

意や、

此の須磨の浦に心あらん人は、わざともわびてこそ住むべけれ(謡曲・松風)、

と、

閑静な地で生活する、
俗事から遠ざかる、

意などで使うが、他に、

里遠み恋ひわびにけりまそ鏡面影さらず夢(いめ)に見えこそ(万葉集)、

と、

(動詞連用形に付いて)その動作や行為をなかなかしきれないで困る、

の意を表し、

…する気力を失う、
…しかねて困惑する、
…しあぐむ、

意で使う。日葡辞書(1603~04)に、

ヒトヲタヅネワブル、
マチワブル、

とあるが、

待ち侘びる、
恋ひわぶる、

などと使う。「しわぶ」(しわびる)の、

す(為)の連用形+わぶ、

の、「す」(口語する)は、

「ある」が存在性を叙述するのに対して、「する」は最も基本的に作用性・活動性を叙述すると見られる、

とあり(精選版日本国語大辞典)、活用は、

未然形-(口語)し、せ、さ(文語)せ
連用形-(口語・文語共に)し
終止形-(口語)する、(文語)す
連体形-(口語・文語共に)する
仮定形-(口語・文語共に)すれ
命令形-(口語)しろ、せよ(文語)せよ

https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%82%BA

・口語の未然形には、打消の「ず」「ぬ」が付くときの形「せ」のほか、打消の「ない」が付くときの形「し」がある。また、使役や受身が付くとき、多く「させる」「される」となるが、その「さ」も未然形として扱うことが多い。
・打消の「ず」が付くとき、「せ」でなく「し」となる場合もある(の「軽躁な者は軽躁な事を為まいと思ったとて、なかなか為(シ)ずにはをられまい」(二葉亭四迷「浮雲」)、
・命令形は、古くから「せよ」が使われて今日に至っているが、室町時代ごろから「せい」が、江戸時代以降は「しろ」が使われるようになる。また、これらの命令形は、放任の意にも用いられることがある。→せよ・しろ、
・過去の助動詞「き」へ続ける場合は変則で、終止形「き」には連用形の「し」から、連体形「し」および已然形「しか」には未然形の「せ」から続く。すなわち、「しき」「せし」「せしか」となる、

とある(精選版日本国語大辞典)。

なお、「わび・さび」http://ppnetwork.seesaa.net/article/471270345.htmlについては触れた。

「爲」 漢字.gif



「為」 漢字.gif



「為」 甲骨文字・殷.png

(「為」 甲骨文字・殷 https://kakijun.jp/page/ta08200.htmlより)


「為」 金文・西周.png

(「為」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%82%BAより)

「為」(イ)は、

会意文字。爲の原字ば「手+象」で、象に手を加えて手なずけ、調教するさま。人手を加えて、うまく仕上げるの意。転じて、作為を加える→するの意となる。また原形をかえて何かになる意を生じた、

とある(漢字源)。

「侘」  漢字.gif

(「侘」 https://kakijun.jp/page/ta08200.htmlより)

「侘」(漢音タ、呉音チャ)は、

会意兼形声。「人+音符宅(タク じっとどまる)」、

で、

たちどまる、
がっかりして立ち尽くす、

意である(漢字源)。我が国では、

わぶ、

と訓ませ、

俗事からとおざかり、静寂な風情をたのしむ、
その目的がなかなか達せられず、迷っている(「待ち侘びる」など)、
わび(「わび」「さび」のわび)、

の意で使い、しかも、「佗」(漢音タ、呉音ダ)を、「侘」の訓を誤ってこちらに当てたため、「佗」も、「侘」と同じ意味で使う(仝上)。

「佗」  漢字.gif

(「佗」 https://kakijun.jp/page/ta07200.htmlより)

「侘」(漢音タ、呉音ダ)は、

会意兼形声。它(タ)は、蛇を描いた象形文字。蛇の害を受けるような変事の意から、変わった、見慣れないなどの意となり、六朝時代から後、よその人、他人、彼の意となる。侘は「人+音符它(タ)」。它で代用することが多い、

とある(漢字源)。「他」は「侘」の俗字である。別に、

会意兼形声文字です(人+也・它)。「横から見た人」の象形と「へび」の象形(「蛇(へび)、人類でない変わったもの」の意味)から、「見知らない人、たにん」を意味する「他」という漢字が成り立ちました。(「佗」は俗字です。)、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji248.html。「他」は、

古くは「佗」、(他の)「也」は蠍の象形であり、しばしば「它」と混用されたため「侘」を「他」と書くようになった、

とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%BB%96・漢字源)。「侘」で触れたように、我が国では、「侘」の訓を誤って当てたため、「侘住居(わびずまい)」などと、「わび」の意で用いている。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:しわぶ 為侘ぶ
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2022年08月05日

晡時


晡時になりて、油、灯心、抹香を携へ、仏前形(かた)ばかり飾り、看経(かんきん 経文の黙読)やうやう時移れば(宿直草)、

とある、

哺時(ほじ)、

は、

通常、

晡時、

と当てる。

申(さる)の刻、午後四時頃の日暮れ時、

の意である(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。転じて、

日暮時、
夕方、

の意でも使う。

「晡時」は、

餔時、

とも当てる(日本国語大辞典)。

「餔」 漢字.gif

(「餔」 https://kakijun.jp/page/E94F200.htmlより)

「餔」(漢音ホ、呉音フ・ブ)は、

会意兼形声。「食+音符甫(平らにのばしてあてがう)」。敷(平らにのばす)と同系で、粉を薄くのばして焼いただんご。また、補(あてがう)と同系で、ひもじさをおさえるおやつ、

とある(漢字源)。

餔其糟(屈原・漁夫)、

とあり、

くらう、

意であるが、

又一に、哺に作る、

とあり(字源)、

古、哺と通ず、

とある(仝上)。また、

ゆうげ、

の意味もあり、

申の刻(午後四時頃)の食事、

の意味もある(仝上)。

餔時、

は、上記から、

餔(ゆうめし)の時、七ッ時、即ち午後四時(淮南子)、

とある(仝上)。

「哺」  漢字.gif

(「哺」 https://kakijun.jp/page/ho10200.htmlより)

「哺」(漢音ホ、呉音フ)は、

形声。「口+音符甫」で、口中にぱくりととらえて、ほほやくちびるでおさえること、

とある(漢字源)。別に、

会意兼形声文字です(口+甫)。「口」の象形と「草の芽の象形と耕地(田畑)の象形」(「広い、しき広げる」の意味)から、「口中に食物を広げる、含む、食う」を意味する「哺」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji2147.htmlが、いずれにしても、「口に含む」意で、音から「晡」「餔」と通字となったものかと推測される。

「晡」 漢字.gif


「晡」(ホ)は、

餔に通ず、

とあるが、解字は何処にも載らないので、勝手な解釈だが、

日+音符甫、

だが、「甫」(漢尾ホ、呉音フ)は、

会意。「屮(芽ばえ)+田」で、苗を育てる畑。つまり苗代(ナワシロ)のこと、平らに広がる意を含む、

とあり(漢字源)、陽が、

広く平らに広がる、

傾いた頃を指している会意文字ではないか、と憶測する。

晡、

自体で、

申の刻、今の午後四時、

の意で、さらに、

朝晡頒餅餌、寒暑賜衣装(白居易)、

と、

ゆうべ、
暮方、

の意もある。で、

晡下(ほか)、

で、

七つ下がり、午後四時過ぎ、

を意味し、

晡時(ほじ)、

で、

日至於悲谷、是謂晡時(淮南子)、

と、

午後四時、

を指し、

晡夕(ほせき)、

で、

晡夕之後、精神恍惚、若有所喜(宋玉・神女賦)、

と、

薄暮、

を意味する(字源)。つまり、

哺時、

は、

餔時、

に通じ、

晡時、

と同義ということになる。で、「晡」を、

ゆうがた、

と訓ませるとするものもあるhttps://kanji.club/k/%E6%99%A1

参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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ラベル:晡時 哺時 ほじ 餔時
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2022年08月06日

一殺多生


さりながら興隆仏法のため、一殺多生の善とはこれらをや申すべき。退治し給へ申さん(宿直草)、

とある、

一殺多生、

は、

仏教で一人を殺すことによって多くの人を助けること、

と注記がある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。

「一殺多生」は、

いっせつたしょう、

あるいは、

いっさつたしょう、

と訓ませる(日本国語大辞典)。元は大乗仏教経典の一つ、

瑜伽師地論、

の漢訳文に記された四字熟語であった。

瑜伽師地論(ゆがしじろん)、

は、

ヨーガ行者の階梯についての論、

の意で、

唐・玄奘漢訳(全100巻)、

は、

瑜伽行(ゆがぎょう)派(唯識(ゆいしき)学派)の主要文献の一つ、

とされ、

瑜伽行者の境(きょう)・行(ぎょう)・果(か)を17地に分けて説明する本地分(ほんじぶん 漢訳1~50巻)、
その要義を解明する摂決択分(しょうけっちゃくぶん 同51~80巻)、

など五部に分かれ、阿頼耶識(あらやしき)、三性説(さんしょうせつ)、その他あらゆる問題を詳細に論究している、

いわば、

大乗仏教の百科全書、

とされる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%91%9C%E4%BC%BD%E5%B8%AB%E5%9C%B0%E8%AB%96・日本大百科全書)。

謡曲『鵜飼(うかい)』に、

ある夜忍び上って鵜を使ふ。狙ふ人々ばっと寄り、一殺多生の理にまかせ、かれを殺せと言ひあへり、

とあるのは、

一人を殺して多くの鮎を助くる意、

とある(大言海)。本来、仏教において殺生(せっしょう)は罪悪であるが、出典では、

菩薩が大盗賊を殺す事例、

をあげて功徳を説いている(新明解四字熟語辞典)。しかし、日本では戦前の右翼団体「血盟団」の指導者である井上日召が、

一人一殺、

を説き、「一殺多生の大慈大慈の心に通ずる」と、テロ正当化に使ったために、ひどくイメージが悪い。

危険思想につながりかねないので現代では疑問視される、

とある(世界宗教用語大事典)。

「一」 漢字.gif


「一」(漢音イツ、呉音イチ)は、「一業所感」http://ppnetwork.seesaa.net/article/485653172.htmlで触れたように、

指事。一本の横線で、一つを示す意のほか、全部をひとまとめにする、一杯に詰めるなどの意を含む。壱(イチ)の原字壹は、壺に一杯詰めて口をくびったたま、

とある(漢字源)。

「殺」  「殺」の旧字.gif



「殺」  漢字.gif



「殺」 甲骨文字.gif

(「殺」甲骨文字 https://asia-allinone.blogspot.com/2021/05/p152.htmlより)

「殺」(漢音サツ・サイ、呉音セツ・セチ・セイ、慣用サツ)は、

会意文字。「乂(刃物で刈り取る)+朮(もちあわ)+殳(動詞の記号 行為)」で、もちあわの穂を刈り取り、その実を殺ぎ取ることを示す、

とある(漢字源・https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%AE%BA・角川新字源)。別に、

会意文字です。「猪(いのしし)などの獣」の象形と「手に木の杖を持つ」象形から「ころす・いけにえ」を意味する「殺」という漢字が成り立ちました、

ともhttps://okjiten.jp/kanji201.html

会意 㣇(たたり)をなす獣の形と殳(しゅ)とを組み合わせた形。殳は杖(つえ)のように長い戈(ほこ)。㣇をひきおこす獣を戈で殴(う)って殺す形で、これによって祟(たたり)を殺(そ)ぎ(へらし)、無効とする行為を殺といい、減殺(げんさい・へらすこと)がもとの意味である。「殺」の左偏の小点は㣇をなす獣の耳の形。甲骨文字と金文はその獣の形だけをかき、のちの蔡(さい・ころす)の字にあたる用法である。殺は「ころす」の意味に用いた、

ともhttps://jyouyoukanji.stars.ne.jp/j/4/4-075-satsu-korosu.htmlあり、

甲骨文の当時は、単に木の枝をとってくるだけのものであったが、次第に祭祀を伴う殺戮を示すようになりそれと共に字形も複雑さを増すようになったが、現代中国の漢字の簡体化で「杀」となり、甲骨文字の字形に接近してきました、

とあるhttps://asia-allinone.blogspot.com/2021/05/p152.html

「多」 漢字.gif

(「多」 https://kakijun.jp/page/0660200.htmlより)


「多」 甲骨文字・殷.png

(「多」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A4%9Aより)

「多」(タ)は、

会意文字。夕、または肉を重ねて、たっぷりと存在することを示す、

とある(漢字源)。つまり、

会意文字。夕の字を二つ重ねて、日数が積もり重なる、ひいて「おおい」意を表す、

説(https://okjiten.jp/kanji156.htmlhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A4%9A・角川新字源)と、

象形で、二切れの肉を並べた形にかたどり、物が多くある意を表す、

説とがある(角川新字源・https://okjiten.jp/kanji156.html)。

「生」  漢字.gif

(「生」 https://kakijun.jp/page/0589200.htmlより)

「生」(漢音セイ、呉音ショウ)は、「なま」http://ppnetwork.seesaa.net/article/484932208.htmlで触れたように、

会意。「若芽の形+土」で、地上に若芽の生えたさまを示す。生き生きとして新しい意を含む、

とある(漢字源)。

ただ、中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)には、

土の上に生え出た草木に象る、

とあり、現代の漢語多功能字庫(香港中文大學・2016年)には、

屮(草の象形)+一(地面の象形)で、草のはえ出る形、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%94%9Fため、

象形説。草のはえ出る形(白川静説)、
会意説。草のはえ出る形+土(藤堂明保説)、

と別れるが、

象形。地上にめばえる草木のさまにかたどり、「うまれる」「いきる」「いのち」などの意を表す(角川新字源)、
象形。「草・木が地上に生じてきた」象形から「はえる」、「いきる」を意味する「生」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji33.html

とする説が目についた。甲骨文字を見る限り、どちらとも取れる。

「生」 甲骨文字・殷.png

(「生」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%94%9Fより)

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2022年08月07日

殊勝


如何様(いかさま)にも闍維(しゃゆい)の規式(荼毘の作法)にて来たる。殊勝(すしょう)に覚えしに、さはなくて堂内に来たり(宿直草)、

とある、

殊勝、

は、

おごさかなさま、

の意とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。普通は、

しゅしょう、

と訓ます。

「殊勝」は、漢語であり、

「殊」は「とくに」、「勝」は「すぐれる」、

という意味になりhttps://imikaisetu.goldencelebration168.com/archives/6421

天然殊勝、不關風露冰雪(朱熹・梅花詞)、

と、

とりわけすぐれる、

意で(字源)、仏教語として、文字通り、

殊に勝れていること、

として使い、仏の威徳を、

殊勝にして希有なり(無量寿経)、

と表現し、阿弥陀仏がかつて菩薩の時に立てた一切衆生を救う誓願を、

無上殊勝の願を超発せり、

と称讃している。また、仏の教法を、

殊勝の法をききまいらせ候ことのありがたさ(蓮如『御文(おふみ)』)といい、仏のすぐれた智慧を、

殊勝智、

と呼んで讃嘆(さんたん)する、とある(https://www.otani.ac.jp/yomu_page/b_yougo/nab3mq0000000rvf.html・大言海)。そこから、場の雰囲気が甚だ厳粛なことを、

殊勝の気、

と表現したりする(仝上)。日葡辞書(1603~04)では「殊勝」を、

Cotoni sugururu(殊に勝るる)、

とし、

すぐれたことをほめるのに用いる語、

として、イエズス会の宣教師は、

説教や、神聖なこと、信心に関することに用いる、

と説明している(仝上)。

まずは、したがって、

その後の法厳、法花の功徳殊勝なる事をしりて(今昔物語)、

と、

特にすぐれていること、
ひじょうに立派なこと、
格別、

の意で使い、その派生で、

いつ参てもしんしんと致いた殊勝な御前で御ざる(虎寛本狂言・因幡堂)、

と、

神々しいこと、
おごそかであること、
心うたれること、

の意で使い、客体から主体に転じて、

今お取越とて、殊勝にお文をいただき(浮・西鶴諸国はなし)、

と、

心がけがしっかりしていること、
けなげなさま、
神妙なようす、
感心、

の心情表現に転じ、

殊勝な心がけ、

といったふうに使い、さらには、

いかな九文きなかでも勘忍ばしめさるなと真顔にいひしもしゅせうなり(浄・五十年忌歌念仏)、

と、

もっともらしいさま、
とってつけたようなようす、

の意でも使う(日本国語大辞典)。

殊勝顔(殊勝らしい顔つき)、
殊勝ごかし(殊勝なふりをして相手をだますこと)、

等々という言い方もする。

「殊」  漢字.gif


「殊」(漢音シュ、呉音ズ・ジュ)は、

会意兼形声。朱は、木を-印で切断するさまを示す指事文字(形で表すことが難しい物事を点画の組み合わせによって表して作られた文字)で、切り株のこと。殊は「歹(死ぬ)+音符朱」で、株を切るように切断して殺すこと。特別の極刑であることから、特殊の意となった。誅(チュウ 胴切りにして殺す)と同系、

とある(漢字源)が、この解釈は、

甲骨文字や金文などの資料と一致していない記述が含まれていたり根拠のない憶測に基づいていたりするためコンセンサスを得られていない、

ともあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%AE%8A。別に、

形声。「歹」(「死」の略体)+音符「朱 /*TO/」。「死ぬ」を意味する漢語{殊 /*do/}を表す字、

とする説もある(仝上)。

「勝」 漢字.gif

(「勝」 https://kakijun.jp/page/1211200.htmlより)

「勝」(ショウ)は、

会意文字。朕(チン)は「舟+両手で持ち上げる姿」の会意文字で、舟を水上に持ち上げる浮力。上に上げる意を含む。勝は「力+朕(持ち上げる)」で、力を入れて重さに耐え、物を持ち上げること。「たえる」意と「上に出る」意とを含む。たえ抜いて他のものの上に出るのがかつことである、

とある(漢字源)。別に、

会意兼形声文字です(朕+力)。「渡し舟の象形と上に向かって物を押し上げる象形」(「上に向かって上げる」の意味)と「力強い腕の象形」(「力」の意味)から、「力を入れて上げ、持ち堪(こた)える」を意味する「勝」という漢字が成り立ちました。転じて(派生して・新しい意味が分かれ出て)、「かつ、まさる」の意味も表すようになりました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji207.html

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:殊勝 しゅしょう
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2022年08月08日

慮外


某(それがし)は御身上おぼつかなく、慮外にも御馬に乗り参り候と云ふ(宿直草)、

とある、

慮外、

は、

異常な、
一風変わった、

と注記がある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。

「慮外」は、漢語である。文字通り、「意外」、「考慮の外」あるいは「思慮の外」と訓めば、

事乖慮外(事、慮外に乖(そむ)く(暗殺された))(晉書・毛璩傳)

と、

意外、
思いがけぬ、

の意味になる(字通・字源)。日本でも、

慮外の事により、遠国にまかり向ふ(小右記)、

と、

思いのほか、
思いがけない、

の意でも使い、その意味の外延で、

「身共がついで遣らふ」「是は慮外に御座るが、其儀成らば一つつがせられて被下い」(虎寛本狂言「素袍落(すおうおとし)」)、

と、

(思いがけないありがたいことの意から)主に、話しことばに用いて、ありがたい、かたじけない、恐縮だなど、感謝の意を表す、

意でも使う(日本国語大辞典・精選版日本国語大辞典)が、ほとんど、

一年(ひととせ)の慮外馬咎め射殺し候ひし男の子の小さき男こそ殿に候ふなれ(今昔物語)、
仏法興隆のところに、度々りょぐゎいして罪作るこそ心得ね(義経記)、

などと、

思いもよらない不法・不当な態度や行為について、

いい、

もってのほか、
不心得なこと、
不躾、
無礼、
不埒なこと、

などの意で使う(岩波古語辞典・大言海・字源・広辞苑)。

慮外な振舞い、
慮外千万(せんばん)、
慮外者、

等々という使い方をし、さらに、その意味の延長線上で、

慮外ながらこしをかけまらする(虎明本狂言・鎧)、
慮外ながら申し上げます、

などと、

(「ながら」「なれど」を伴って)無礼をわびる、

意を表し、

失礼ですが、
おそれいりますが、

の意で、

不躾ながら、
卒爾ながら、

と同義で使う(仝上)。これは、漢語にはない意味である(「卒爾」http://ppnetwork.seesaa.net/article/444309990.htmlについては触れた)。

思いがけない→思いがけなくありがたい→おもいもよらぬこと→不躾、無礼、

といった意味の変化と見られ、意味の筋を辿れなくもないが、本来の、

慮外、

の、

思いがけない、
意外、

の意を大きく外していった。

「慮」 漢字.gif

(「慮」 https://kakijun.jp/page/1533200.htmlより)

「慮」(漢音リョ、呉音ロ)は、

形声、「心+音符盧の略体」で、次々と関連したことをつらねて考えること、

とある(漢字源)。別に、

会意兼形声文字です。「虎(とら)の頭の象形と小児の脳の象形」(「考えをめぐらす」の意味)と「心臓」の象形から、「心をめぐらせる」、「深く考える」を意味する「慮」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1171.html

「外」 漢字.gif

(「外」 https://kakijun.jp/page/0549200.htmlより)

「外」(漢音ガイ、呉音ゲ、唐音ウイ)は、「象外(しょうがい)」http://ppnetwork.seesaa.net/article/487489631.htmlで触れたように、

会意、「夕」(肉)+「卜」(占)で、亀甲占で、カメの甲羅が体の外にあることから、

とする「龜甲」占い由来とする説と、

「卜」+音符「夕」で、占で、月の欠け残った部分を指した会意形声とも(藤堂明保)、

とする「月」占い説とがあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A4%96

会意兼形声。月(ゲツ)は、缺(ケツ 欠ける)の意を含む。外は「卜(うらなう)+音符月」で、月の欠け方を見て占うことを示す。月が欠けて残った部分、つまり外側の部分のこと。龜卜(キボク)に用いた骨の外側だという解説もあるが従えない、

とか(漢字源)、

会意。夕(ゆうべ)と、卜(ぼく うらない)とから成る。通常は昼間に行ううらないを夜にすることから、「そと」「ほか」「よそ」、また、「はずれる」意を表す、

とか(角川新字源)は、「月」占い説、

形声文字です(夕(月)+卜)。「月の変形」(「刖(ゲツ)に通じ、「かいて取る」の意味)と「占いの為に亀の甲羅や牛の骨を焼いて得られた割れ目の象形」から、占いの為に亀の甲羅の中の肉をかいて取る様子を表し、そこから、「はずす」を意味する「外」という漢字が成り立ちました、

あるhttps://okjiten.jp/kanji235.htmlのは、「龜甲」占い説になる。ただ、甲骨文字と金文(青銅器に刻まれた文字)とでは、かたちが異なり、途中で変じたのかもしれない。

「外」 甲骨文字・殷.png

(「外」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A4%96より)

「外」 金文・西周.png

(「外」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A4%96より)

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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ラベル:慮外
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2022年08月09日

円居


某(なにがし)の沙門、ただかりそめに座を立ちて帰らず。円居の僧不審して、寺へ戻りしかと人やりて見するに居ず(宿直草)、

にある、

円居、

は、

まどい、

と訓ませるが、

同席の、

の意とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。

団居、

とも当て(広辞苑)、

連聲(レンジヤウ)に。まどゐ、

とあり(大言海)、

近世初期ごろまで「まとい」、

と清音であった(日本国語大辞典)。

円(マト)居(ヰ)の意、

とある(大辞林・岩波古語辞典)が、

纏居(まとゐる)にて、纏わり居(を)る意、

ともある(大言海)。

思ふどちまどゐせる夜は唐錦たたまく惜しき物にぞありける(古今集)、

と、

輪になって座ること、
くるまざ、
団欒、

の意であり、また、

この院にかかるまどゐあるべしと聞き伝へて(源氏物語)、

と、

(楽しみの)会合、
ひと所に集まり会すること、特に、親しい者同士の楽しい集まり、

の意でも使う(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)。これを動詞化して、

まどゐる、

は、

円居る、
団居る、

と当て、

氏人のまどゐる今日は春日野の松にも藤の花ぞ咲くらし(宇津保物語)、
春ながら年はくれつつよろづ世を君とまどゐば物も思はじ(仝上)、

などと、

集まり居る、
車座になる、
団欒する、
親密な者同士が集まり居る、

などの意で使う(精選版日本国語大辞典・大言海・日本国語大辞典)。これも、

まとゐる、

と清音で、

連聲(レンジヤウ)に、まどゐる、

とある(大言海)。

円居、
団居、

は和製漢語で、漢語で、

まどゐ、

の意は、

大盆盛酒、圓坐相酌(晉書・阮籍(げんせき)傳)、

と、

圓坐(エンザ)、

と表記し、

車座に坐す、

意である(字源)。

「圓」 漢字.gif

(「圓」 https://kakijun.jp/page/en13200.htmlより)


「円」 漢字.gif

(「円」 https://kakijun.jp/page/0422200.htmlより)

「圓」(エン)の字は、「まる(円・丸)」http://ppnetwork.seesaa.net/article/461823271.htmlで触れたように、

会意兼形声。員(イン・ウン)は、「○印+鼎(かなえ)」の会意文字で、まるい形の容器を示す。圓は「囗(囲い)+音符員」で、まるいかこい、

とあり(漢字源)、「まる」の意であり、そこから欠けたところがない全き様の意で使う。我が国では、金銭の単位の他、「一円」と、その地域一帯の意で使う。別に、

会意兼形声文字です(囗+員)。「丸い口の象形と古代中国製の器(鼎-かなえ)の象形」(「口の丸い鼎」の意味)と「周
意味)から、「まるい」を意味する「円」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji194.html

「円」は、「圓」の略体。明治初期は、中の「員」を「|」で表したものを手書きしていた。時代が下るにつれ、下の横棒が上に上がっていき、新字体採用時の終戦直後頃には字体の中ほどまで上がっていた、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%86%86

「居」  漢字.gif

(「居」 https://kakijun.jp/page/0871200.htmlより)


「居」 金文・春秋時代.png

(「居」 金文・春秋時代 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B1%85より)

「居」(漢音キョ、呉音コ)は、

会意兼形声。「尸(しり)+音符古(=固。固定させる、すえる)」で、台上にしりを乗せて、腰を落ち着けること。踞(キョ しりをおろして構える)の原字、

とある(漢字源)。

「團」  漢字.gif


「団」 漢字.gif

(「団」 https://kakijun.jp/page/0655200.htmlより)

「團(団)」(漢音タン、呉音ダン、唐音トン)は、

会意兼形声。專(セン=専)の原字は、円形の石をひもでつるした紡錘の重りを描いた象形文字で、甎(セン)や磚
(セン 円形の石や瓦)の原字。團は「囗(かこむ)+音符專」で、円形に囲んだ物の意を示す、

とある(漢字源)が、丸めたもの、ひいて「かたまり」の意を表す(角川新字源)ともある。別に、

会意兼形声文字です(囗+寸(專))。「周辺を取り巻く線」(「めぐる」の意味)と「糸巻きと右手の象形」(「糸を糸巻きに巻きつける」の意味)から、まるくなるようにころがす、すなわち、「まるい」、「集まり」を意味する「団」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji866.html

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
簡野道明『字源』(角川書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2022年08月10日

夫子


慕虎馮河して死すとも悔ゆる事なき者は与せじ、と夫子(ふうし)の戒めしもひとりこの人の爲にや(宿直草)、

にある、

夫子、

は、

孔子、

を指す(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。ちなみに、「慕虎馮河」は、ただしくは、

暴虎馮河、死而無悔者、吾不与也(論語・述而篇)、

である(仝上)。

「夫子」は、

孤實貪以禍夫子、夫子何罪(左伝)、

と、

先生、長者の尊称、

として使ったり、

夫子温良恭謙譲(論語)、

と、

師を尊び称す、単に子と云ふに同じ、

意に使ったり、

勖哉夫子(書・秦誓)、

と、

将士を指して云ふ、

意に使ったり、

信乎夫子不言不笑不取乎(論語)、

と、

大夫の位に在る者を呼ぶ敬称、

の意や、

必敬必戒、無違夫子(孟子)、

と、

妻、その夫を指す、

意など、意味の幅がある(字源)。我が国でもそれに準じた使い方になるが、

夫子自身、

という言い方で、

僕の事を丸行灯(まるあんどん)だといつたが、夫子自身は偉大な暗闇(クラヤミ)だ(夏目漱石・三四郎)、

と、

あなた・あの方などの意で、その当人をさす語、

としても使う。しかし、

夫(フウ)子とよめば孔子にまぎれてわるいぞ(「土井本周易抄(1477)」)、

とあるように、冒頭に上げた例もそうだが、

孔子の敬称、

として使われることが多い。

ところで「夫子」を、我が国では、

せこ、

とも訓ませ、

兄子、
背子、

とも当てる(広辞苑)。

コは親愛の情を表す接尾語、

とある(岩波古語辞典)。「せ」は、

兄、
夫、
背、

等々と当て(仝上)、

いも(妹)の対、

で(仝上)、

兄(エ)の転か、朝鮮語にもセと云ふ(大言海・和訓栞)、
セ(背)の高いところから(名言通)、
セ(兄)はエ(甲)の義、セ(夫)はテ(手)の義(言元梯)、

など、諸説あるが、「背」だとすれば、「背」の語源は、

ソ(背)の転(岩波古語辞典)、
反(ソレ)の約、背(ソ)と通ず(大言海)、

とあり、

本来「せ」は外側、工法を意味する「そ」の転じたもので、身長とは結びつかなかった。ところが、今昔物語に、「身の勢、極て大き也」とあるように、身体つき・体格を意味する「勢(せい)」が存在するところから、音韻上の近似によって、「せ(背)」と「せい(勢)」とが混同するようになった、

とある(日本語源大辞典)のが注目される。「せこ」に、

吾が勢(セコ)を大和へ遣るとさ夜深けて暁露に吾が立ち濡れし(万葉集)
我が勢故(セコ)が来べき宵なり(書紀)、

と、

女性が夫、兄弟、恋人など広く男性を親しんでいう語、

として使うとき、

勢、

を当てている(日本国語大辞典・精選版日本国語大辞典)。「せ」は、この、

身体つき・体格、

を意味する、

勢(せい)、

由来なのではないか、という気がする。勿論憶説だが。このいみの「せこ」は、

せな、
せなな、
せのきみ、
せろ、

等々という言い方もする。ただ、対の、

いも、

が、中古以降、

いもうと、

に変化したのに対応して、

せうと、

に変化し、

せ、

単独では使われなくなった(日本語源大辞典)、とある。「せこ」は、

沖つ波辺波立つともわが世故(セコ)が御船(みふね)の泊り波立ためやも(万葉集)、

と、

男性が他の親しい男性に対して用いる語、

としても使う(仝上)。

背子(はいし).jpg

(「背子(はいし)」 デジタル大辞泉より)

ちなみに「背子」を、

はいし、

と訓ませると、

奈良時代から平安時代初期に着用された女子朝服の内衣で、冬期に袍(ほう 朝服の上衣)の下、衣(きぬ)の上に着た袖(そで)なしの短衣。しかし袍はほとんど用いられなかったため、背子が最上衣として使われた、

とある(日本大百科全書)。

唐衣.jpg

(「唐衣」 デジタル大辞泉より)

唐衣(からぎぬ)の前身、

であるため、

唐衣の異称、

の意もある(デジタル大辞泉)。「唐衣」は、背子(はいし)が変化し、

十二単(じゅうにひとえ)の最も外側に裳(も)とともに着用した袖(そで)幅の狭い短衣、

で、

袖が大きく、丈が長くて、上前・下前を深く合わせて着る、

とある(仝上)。

「夫」 漢字.gif

(「夫」 https://kakijun.jp/page/0442200.htmlより)


「夫」 甲骨文字・殷.png

(「夫」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A4%ABより)

「夫」(漢音呉音フ、慣用フウ)は、

象形。大の字に立った人の頭に、まげ、または冠のしるしをつけた姿を描いたもので、成年に達した男をあらわす、

とある(漢字源)。別に、

象形。髷に簪を挿した人の姿https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A4%AB

象形。頭部にかんざしをさして、正面を向いて立った人の形にかたどる。一人まえの男の意を表す。借りて、助字に用いる(角川新字源)、

とあるが、

指事文字です。「成人を表す象形に冠のかんざしを表す「一」を付けて、「成人の男子、おっと」を意味する「夫」という漢字が成り立ちました、

とあるので、意味が分かるhttps://okjiten.jp/kanji41.html

「子」 漢字.gif

(「子」 https://kakijun.jp/page/0323200.htmlより)


「子」 甲骨文字・殷.png

(「子」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%AD%90より)


「子」 金文・西周.png

(「子」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%AD%90より)

「子」(漢音・呉音シ、唐音ス)は、

象形。子の原字に二つあり、一つは、小さい子どもを描いたもの、もう一つは子どもの頭髪がどんどん伸びるさまを示し、おもに十二支の子(シ)の場合に用いた。後この二つは混同して子と書かれる、

とある(漢字源)。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
簡野道明『字源』(角川書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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ラベル:夫子 ふうし
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2022年08月11日

まけ


されば心に懸からぬ怪異(けい)は更にその難無きものをや。なう、お目のまけを取り給へ、空には花は咲き候まじ(宿直草)

にある、

まけ、

は、

目に白いもやがかかっているように見えるのを指す、

とあり(高田衛編・校注『江戸怪談集』)、

目気、

とも当て、転じて、

膜、

とある(仝上)。ここでは、

まけ、

は、

比喩として使っている。

「まけ」は、

眚、
瞙、

などと当て(広辞苑)、

目気の意(広辞苑)、
マ(目)ケ(気)の意(岩波古語辞典)、
目気の義、脚(きゃく)の気と同趣(大言海)、

で、

眼病の一種、そこひ(広辞苑)、
ひ、眼の病、そこひ、外障眼(ウハヒ)(大言海)、

とある。「そこひ」は、

底翳、
内障、

と当て、

眼内ないし視神経より中枢側の原因で視力障害(翳=くもり)を起こす状態、

をいい、

で、こんにちの、

黑内障(「黒そこひ」といった)、
白内障(「白そこひ」といった)、
緑内障(「青そこひ」といった)、

等々の総称である(広辞苑・デジタル大辞泉)。この対が、

うわひ(上翳・外内障)、

で、

ひとみの上に曇りができて物が見えなくなる眼病、

を指す(仝上)。

さて、「まけ」は、色葉字類抄(1177~81)

瞙、まけ、目病也、

天治字鏡(平安中期)に、

眚、目生翳也、麻介、又、目暗、

とある。華厳音義私記(奈良時代末)に、

瞙、麻気(まけ)、

とあり、古くから知られていた。日葡辞書(1603~04)には、

マケヲワヅラウ、

とあり、醒睡笑(江戸前期)に、

一度させばかすみはるる、二度させばまけも切る、

とある(仝上)

また、「まけ」は、別に、

ひ(目翳)、

ともいい、

隔、
重、
曾、

などと当て(大言海・日本国語大辞典)、

物を隔てるもの、
また、
事の重なること、

の意の、

ひ、

の語意に通じる(大言海)とし、

目翳、氷、をヒと云ひ、曾祖父(ヒオホヂ)、曾祖母(ヒオホバ)、孫(ヒコ)、曾孫(ヒヒコ)など云ふヒも是なり、

とあり(仝上)、

眼晴の上に、蠅翅の如きものを生じて物を隔て、明らかに見えぬもの、

を指し、和名類聚抄(平安中期)に、

目翳、比、目膚眼精上有物、如蠅翅是也、

と、

ひとみに翳(くもり)が生じ目が見えなくなる、

としている。「蠅翅」で、目に膜のかかった状態を言っているようである。

「目」 漢字.gif

(「目」 https://kakijun.jp/page/0588200.htmlより)

「目」(漢音ボク、呉音モク)は、「尻目」http://ppnetwork.seesaa.net/article/486290088.htmlで触れたように、

象形。めを描いたもの、

であり(漢字源)、

のち、これを縦にして、「め」、ひいて、みる意を表す。転じて、小分けの意に用いる、

ともある(角川新字源)。

「氣」  漢字.gif

(「氣」 https://kakijun.jp/page/ke10200.htmlより)

「気」http://ppnetwork.seesaa.net/article/412309183.htmlでも触れたが、「氣(気)」(漢音キ、呉音ケ)は、

会意兼形声。气(キ)は、息が屈折しながら出て来るさま。氣は「米+音符气」で、米をふかすとき出る蒸気のこと、

とあり(漢字源)、

食物・まぐさなどを他人に贈る意を表す。「餼(キ)」の原字。転じて、气の意に用いられる、

とある(角川新字源)。

「氣」は「气」の代用字、

とあるのはその意味であるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%B0%97。別に、

会意兼形声文字です(米+气)。「湧き上がる雲」の象形(「湧き上がる上昇気流」の意味)と「穀物の穂の枝の部分とその実」の象形(「米粒のように小さい物」の意味)から「蒸気・水蒸気」を意味する「気」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji98.html。「气」(漢音キ、呉音ケ)は、

象形。乙形に屈曲しつつ、いきや雲気の上ってくるさまを描いたもの。氣(米をふかして出る蒸気)や汽(ふかして出る蒸気)の原字。また語尾がつまれば乞(キツ のどを屈曲させて、切ない息を出す)ということばとなる、

とあり(漢字源)、

後世「氣」となったが、簡体字化の際に元に戻された。乞はその入声で、同字源だが一画少ない字、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%B0%94

「气」 金文・戦国時代.png

(「气」 金文・春秋時代 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%B0%94より)

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:まけ 目気
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2022年08月12日

むさと


むさと物事機をかけまじき事なり。惣じて小事は身のたしなみ、心の納め様にも依るべし(宿直草)、

にある、

むさと、

は、

むやみに、

の意とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。「むさと」は、

むざと、

ともある(広辞苑)が、

近世初期までは「むさと」と清音、

であった(精選版日本国語大辞典)。

人の国をむさと欲しがる者は、必ず悪しきぞ(「三略鈔(1534)」)、

と、

貪るように強く、

の意や、

矢ごろ矢たけと云ふ事。むさと云まじき事也(「弓張記(1450~1500頃)」)、
Musato(ムサト)シタコトヲユウ(「日葡辞書(1603~04)」)、

と、

とるべき態度・守るべき節度をわきまえず、無分別・不注意であるさまを表わす語、

として、

軽はずみに、思慮もなく、うっかりと、

の意や、

古今ぢゃと云うて、むさと秘すべきにあらず(「耳底記(1598~1602)」)、
其村々ににくきもの在之とて、御検地などむさとあしく仕まじく候(「島津家文書(1594)」)、

などと、

正当な理由もなく、または、いいかげんに事を行なうさまを表わす語、

として、

みだりに、むやみに、やたらに、

の意や、

我らがやうな尊き知識などが、何とて、むさとしたる所へ寄るものか(咄本「昨日は今日の物語(1614~24頃)」)、

と、

あまりれっきとしたものでないさま、ちゃんとしていないさまを表わす語、

として、

らちもない、取るに足らない、いいかげん、

の意で、

物をきかじ見じと云心、然どもむさとしては叶まい(「古文真宝彦龍抄(1490頃)」)、
Musato(ムサト)シテイル(「日葡辞書(1603~04)」)、

と、

とりとめなく、無為に過ごすさまを表わす語として、

とりとめなく、漫然と、

の意や、

薄紅の一枚をむざと許りに肩より投げ懸けて(夏目漱石「薤露行(1905)」)、

と、

あっさりとむぞうさに事を行なうさまを表わす語、

として、

無造作に、

の意で使うなど、「むさと」の意味の幅はかなり広い(精選版日本国語大辞典・日本国語大辞典)。それは、「むさと」の語源を、

「むさ」は「むさい」の「むさ」と同じ(日本国語大辞典)、
まざまざのまざの転(大言海)、
ムサボル・ムサシと同根(岩波古語辞典)、

と見るのと関わる。ただ、「まざまざ」は、

正正、

と当て、

ありありと目に見えるさま、

の意で、「むさと」とは意味がずれすぎるのではあるまいか。「むさし(むさい)」は、

もとより礼儀をつかうて身を立つる人には心むさければ(「甲陽軍鑑(1632)」)、

と、

貪り欲する心が強い、また欲望意地などが強すぎてきたない、

といった意であり、そこから、

岳が胸中は定て泥と塵とが一斛(=石 さか)ばかりあるべきぞ、むさい胸襟ぞ(「四河入海(1534)」)、

と、外観の、

きたならしい、きたなくて気味が悪い、不潔である、

意で使う。「むさぼる」は、

ムサはムツト・ムサシ・ムサムサのムサと同じ、ホルは欲る意(岩波古語辞典)、
ムサとホル(欲)の意(大言海)、
ムサトホル・ムサムサホリス(欲)の義(和訓栞・国語の語根とその分類=大島正健)、
「むさ」は「むさい」「むさ」などの「むさ」か。「ぼる」は「欲る」の意(日本国語大辞典)、

とあり、「むさ」「むさむさ」とつながる。「むさむさ」も、

むさむさとした心もさっと晴れやかになったぞ(「四河入海(1534)」)、

と、

むさぼり欲する心が強いさま、また、心が満たされず、いらいらとおちつかないさま、

の意や、

下種(げす)しく荒くふとふとと聞こえ、むさむさと聞こゆる也(十問最秘抄(1383~1386)」)、

と、

せま苦しい、窮屈なさまを表す語、

として、

むさくるしいさま、

の意や、

詞もつたなく、風情もなくて、ことごとしく具足おほく、むさむさと俗なる連歌が付にくき也(「九州問答(1376)」)、

と、

ごちゃごちゃとして、きたならしいさまを表す語、

として、

汚らしい、

意や、

つくものごとくなる髪、むさむさとたばね(仮名草子「東海道名所記(1659)」)、

と、

毛などが多くて、乱れているさまを表す語、

として、

むしゃむしゃ、もさもさ、

といった意で使うほかに、

むさむさと物をくひ(「役者論語・あやめ草(1776)」)、

と、

節度をわきまえず、無分別、不注意であるさまを表す語、

として、

うっかり、

の意や、

Musamusato(ムサムサト)ヒヲクラス(「日葡辞書(1603~04)」)、

と、

いいかげんにするさま、また、物事をするのに熱心さのないさまを表す語、

として、

無為に、

の意でも使う(日本国語大辞典・精選版日本国語大辞典・広辞苑)。こうみると、

むさと、
むさし、
むさむさ、
むさぼる、

の「むさ」には、

欲心にのめり込む、

意とともに、

そのことで心がお留守になる、

意の両面がある気がする。その意味で、

「みずからを省みて恥じないこと」を表わす「無慙(むざん)」との意味の重なりから、「むざと」や「むざむざ」の語形が生じたと考えられる。明治以降「むざと」はほとんど使われなくなり、「むざむざ」のみが残る、

とある(精選版日本国語大辞典)のは意味があるのではないか。今日、

むざむざ、

は、

この蛸むざむざと喰ふも無慚のことなり(仮名草子「一休咄(1668)」)、

と、

価値あるものが不用意に、あるいは無造作に失われるさまなどを、無念に思い惜しむ気持を込めて表す語、

として、

惜しげもなく、
無造作に、

の意だけで使うが、清音の、

むさむさ、

は、上述したように、日葡辞書(1603~04)に、

むさむさと日を暮らす、

とあるように、

物事をいい加減にするさま、または、興味も持たず、熱心さもなく物事とをするさま、

の意で、

何もしないで、あるいはたとえ何かしていてもいい加減にして、時を過ごす、

意の使い方をしていた。

しかし、今日でも、

あんな結構なものをむざむざ食うものではない(堺利彦「私の父」)、

と、

むしゃむしゃ、

と、

貪り喰う、

という含意がある(擬音語・擬態語辞典)。やはり、

むさ、

は、

貪るさま、

の擬態語からきているからではないか、という気がする。

「貪」  漢字.gif


「貪」(漢音タン、呉音トン、慣用ドン)は、「慳貪」http://ppnetwork.seesaa.net/article/490034144.html?1658600957でふれたように、

会意文字。今は「ふたで囲んで押さえたしるし+-印」の会意文字で、物を封じ込めるさまを示す。貪は「貝+今」で、財貨を奥深くため込むことをあらわす、

とある(漢字源)。財貨を欲ばる意(角川新字源)ともある。別に、

会意文字です(今+貝)。「ある物をすっぽり覆い含む」象形(「含」の一部で、「含む」の意味)と「子安貝(貨幣)」の象形から「金品を含み込む」、「むさぼる」、「欲張る」、「欲張り」を意味する「貪」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji2202.html

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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ラベル:むさと むざと
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2022年08月13日

雁股の矢


弓取り直し素引き(弦だけを引き試みること)さして、豬(い)の目透かせる雁股(かりまた)の矢を取り(宿直草)、

とある、

豬の目透かせる雁股の矢、

は、

心臓形の猪の目の透かし彫りを施し、鏃の先を二股に作って内側に刃を付けたものを取り付けた矢、狩猟用、

とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。

雁股.bmp

(雁股 精選版日本国語大辞典より)

「鏑矢」http://ppnetwork.seesaa.net/article/450205572.htmlで触れたように、「雁股」は、

狩股、

とも当て、

箭を放つ、鹿の右の腹より彼方に鷹胯(かりまた)を射通しつ(今昔物語)、

と、

鷹胯(かりまた)、

と当てたりする(精選版日本国語大辞典)。

先が叉(また)の形に開き、その内側に刃のある鏃。飛ぶ鳥や走っている獣の足を射切るのに用いる、

とある(精選版日本国語大辞典・広辞苑)。「雁股の矢」は、「雁股」の鏃をつけた矢のことだが、

かぶら矢のなりかぶらにつけるが、ふつうの矢につけるものもある、

とあり(精選版日本国語大辞典)、

羽は旋回して飛ばないように四立てとする、

とある(仝上)。「四立(よつだて)」とは、

四立羽(よたてば)、

ともいい、矢羽の数による矧(は)ぎ方の一種で、

幅の広い鷲などの大羽を茎から割いて左右に、幅の狭い山鳥などの小羽を前後に添えて、回転せずに飛ぶようにした矢羽(やばね)の矧ぎ方、

をいい、雁股(かりまた)や扁平な平根(ひらね)の鏃(やじり)に用いる(精選版日本国語大辞典)。「平根」とは、

身幅が広く扁平で、重ねも薄い形状の鏃、

を指すhttps://www.touken-world.jp/search-bow/art0012450/。平根の鏃は、

射切ることを目的とし、主に狩猟などに用いられた、

が鏃としては大型で先端が鋭くないため、遠くまで飛んで刺さるという矢の役割には不適だったとされる(仝上)、とある。なお、「矧ぐ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/489305692.htmlについては触れた。

鏑矢.bmp

(鏑矢の雁股 精選版日本国語大辞典より)

雁股箆(かりまたがら)、
雁股矢、

ともいい(仝上)、

燕尾箭(えんびや)、

ともいう(大言海)。

字鏡(平安後期頃)には、

鴈胯(かりまた)、

とある。

鏃の種類.jpg

(「鏃の種類」 デジタル大辞泉より)

雁股の中でも、U字のように股が広いものは、

平雁股、

と呼ばれ、股が狭く浅いものは、

鯖尾(さばお)、

と呼ばれるhttps://www.touken-world.jp/search-bow/art0012451/とある。

「雁股」の由来は、

かりまた如何。鴈俣也。かりのとびたる称にて、さきのひろごれる故になづくる歟(名語記)
蛙股(カヘルマタ)の略転と云ふ(あへしらふ、あしらふ。あるく、ありく)、形、開きたる蛙の股の如し(大言海・貞丈雑記)、
雁の足の指に似ているところから(本朝軍器考)、

等々とされるが、はっきりしない。形からいえば、「蛙股」だが、「雁行」も、狩猟用を考えると、捨てがたい。

雁行.jpg


なお、「弓矢」http://ppnetwork.seesaa.net/article/450350603.html、「はず」http://ppnetwork.seesaa.net/article/450205572.htmlについては触れた。

「鴈」 漢字.gif



「雁」 漢字.gif


「鴈(鳫)」(漢音ガン、呉音ゲン)は、

会意兼形声。厂(ガン)は、厂型に形の整ったさまを描いた字。鴈は「鳥+人+音符厂」。厂型に整った列を組んで渡っていく鳥。礼儀正しいことから人が例物として用いたので、「人」を添えた。「雁」と同じ、

とあり(漢字源)、「雁」(漢音ガン、呉音ゲン)は、

会意兼形声。厂(ガン)は、かぎ形、直角になったことをあらわす。雁は「隹(とり)+人+音符厂」。きちんと直角に並んで飛ぶ鳥で、規則正しいことから、人に会う時に礼物に用いられる鳥の意を表す、

とある(仝上・角川新字源)。別に、

会意兼形声文字です(厂+人+隹)。「並び飛ぶ」象形と「横から見た人」の象形と「尾の短いずんぐりした(太っていて背が低い)小鳥」の象形から「かりが並び飛ぶ」事を意味し、そこから、「かり」を意味する「雁」という漢字が成り立ちました。(「横から見た人」の象形は、人が高級食材として贈る事から付けられました。現在、日本ではたくさん捕り過ぎて数が減った為、狩猟は禁止されています。)、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji2779.html

「股」 漢字.gif


「股」 説文解字・漢.png

(「股」 説文解字・漢 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%82%A1より)

「股」(漢音コ、呉音ク)は、

形声。肉と、音符殳(シユ)→(コ)とから成る(角川新字源)、

字で、

もも、

の意で、

またぐとき∧型に開く、膝から上の内またの部分、

を指す(漢字源)。別に、

形声文字です(月(肉)+殳)。「切った肉」の象形と「手に木のつえを持つ」象形(「矛」の意味だが、ここでは、「胯(コ)」に通じ(「胯」と同じ意味を持つようになって)、「また」の意味)から、「また」を意味する「股」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji2090.html

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2022年08月14日

冥加


此の礫打たれし家主も自然と機にもかけざるは、理の常を得し冥加ならんか(宿直草)、

の、

冥加、

は、

冥賀人に勝れて、道俗・男女・宗と敬て、肩を並ぶる輩无し(今昔物語)、

と、

冥賀、

と当てたりするが、

孝衡曰、加護二種有、一、顕如、謂現身語、讃印其所作、二、冥加、謂潜垂覆摂、不現身語(鹽尻)、

と、

冥々のうちに受ける神仏の加護、
知らないうちに受ける神仏の恵み、

の意であり(日本国語大辞典)、

自他ともに知らざるを冥と云ふ、

とある(大言海)。また、

命冥加、

というように、

偶然の幸いや利益を神仏の賜うものとしてもいう。

以佛神力、増菩薩智慧、隠密難見、故曰冥加(大蔵法數)、
被冥加、汝不知恩(法華玄義)、

と、仏教語であり(字源)、

冥助(みようじよ)、
冥利(みようり)、

とも言う。「冥利」は、

神仏の助け、

の意であるが、

運、
幸せ、

の意もある(仝上)。同じく、「冥加」も、

男のみょうがに一度いつてみてへ(廻覧奇談深淵情)、

と、

神仏の目に見えぬ加護、

の意が転じて、

甲斐、、
しるし、

の意で使っている(江戸語大辞典)。本来、

神仏の目に見えぬ加護、

の意なのだから、

こは冥加(ミャウガ)なるおん詞、ありがたきまでにおぼへはんべり(読本「昔話稲妻表紙(1806)」)、

と、

ありがたくもったいないさま、
冥加に余るさま、

の意で使い、そうした意味で、

冥加涙(冥加のありがたさに出る涙)、

とか、

冥加に余(あま)る(冥加を過分に受けて、まことにありがたい)、

とか、

冥加に尽(つ)きる(神仏の加護から見放される、逆に冥加に余ると同義でも)、

とか、

冥加無し、

と、

兄に向つて弓を引かんが冥加なきとはことわりなり(保元物語)

神仏の冥加をこうむることがない、神仏から見放される、

意や、

さやうに冥加なきこと、何とてか申すぞ(御伽草子「文正草子」)、

と、

神仏の加護をないがしろにする、おそれおおい、

意や、

竹は悦び、アヽ冥加もない、有難い(浄瑠璃「夕霧阿波鳴渡」)、

と、

(「無し」が意味を失い、「冥加なり」を強めた言い方に転じて)冥加に余る、ありがたい、

意で使ったりする。また、

代物をつつませられ被下候間、各為冥加候間、代を被下候を斟酌申候へば(「実悟記(1580)」)、
今日吉日なれば薬代を冥加のためにつかはしたし(日本永代蔵)、

と、

神仏などの加護・恩恵に対してするお礼、報恩、

の意に広げて使い、

あの君七代まで太夫冥加(メウガ)あれ(「好色一代男(1682)」)、
吾妻を見込んで頼むとは、いとしらしい婆さん傾城めうが聞気でごんす(浄瑠璃「寿の門松」)、

と、

身分、また職業を表わす語の下に付けて自誓のことばとして用いる。その者として違約や悪事をしたら神仏の加護が尽きることがあっても仕方ない、

の意で使ったりする。「神の加護」の意が、それを受ける側の都合に合わせて、重宝にプラスにもマイナスにも当てはめられている、という感じで、江戸時代の気質をよく示している気がする。

冥加の為に奉納す、

と、

「冥加」には、「神の加護」の御礼を形にする、

神仏の利益(りやく)にあずかろうとして、また、あずかったお礼として、社寺に奉納する金銭、

としての、

冥加金(冥加銭)、

の意があり、

冥加永、

ともいう(「永」は、永楽銭のこと)が、略して、

ヤアさっきに渡した此銀を、ヲヲ表向で請取たりゃ事は済む。改めて尼御へ布施せめて娘が冥加(メウガ)じゃはいのふ(浄瑠璃「新版歌祭文(お染久松)(1780)」)、

と、

冥加、

ともいい、その同じ名を借りて、

運上と云も冥加と云も同様といへども、急度定りたる物を運上と云(「地方凡例録(1794)」)、

と、

本来は商・工・漁業その他の営業者が幕府または藩主から営業を許され、あるいは特殊な保護を受けたことに対する献金、

を、

冥加金(冥加銭)、

略して、

冥加、

と名づけ、のちには、幕府の財政補給のため、

営業者に対して、年々、率を定めて課税し、上納させた金銭、

になり(日本国語大辞典・精選版日本国語大辞典)、運上と一括して取り扱われる例が多いとされる(仝上)。江戸時代の田制、税制についての代表的な手引書「地方凡例録(じかたはんれいろく)」によると、各種の運上と並んで、

醬油屋冥加永、
質屋冥加永、
旅籠屋(はたごや)冥加永、

があり、醬油屋冥加は、

その醸造高に応じて年々賦課、
質屋は軒別に賦課、
旅籠屋冥加は飯盛女を置く宿屋に対して年々賦課、

という(精選版日本国語大辞典・世界大百科事典)。本来は各種営業に対する課税の中で、一定の税率を定めて納めさせるものを、

運上、

と称し、免許を許されて営業する者が、その利益の一部を上納するものを、

冥加(みようが)、

と呼んで区別していた。前者は小物成(こものなり 雑税)に属し、後者は献金に属するが、現実には運上も冥加も同一の意味に混同して使われる場合が多い、とある(仝上)。

「冥」 漢字.gif


「冥」(漢音メイ、呉音ミョウ)は、

会意。「冖(おおう)+日+六(入の字の変型)」で、日がはいり、何かにおおわれて光のないことを示す。また冖(ベキ おおう)はその入声(つまり音 ミャウ)にあたるから、冖を音符と考えてもよい、

とある(漢字源)。別に、

会意。「冖」(覆う)+「日」+「六」(穴の象形)を合わせて、日が沈んで「くらい」こと、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%86%A5

会意。冖と、日(ひ、明かり)と、(六は変わった形。両手)とから成る。両手で明かりをおおうことから、「くらい」意を表す、

とも(角川新字源)、

会意兼形声文字です(冖+日(口)+六(廾))。「おおい」の象形と「場所を示す文字」と「両手でささげる」象形から、ある場所におおいを両手でかける事を意味し、そこから、「くらい(光がなくてくらい、道理にくらい)」を意味する「冥」という漢字が成り立ちました、

ともhttps://okjiten.jp/kanji1619.htmlあり、「六」の解釈が分かれる。

「加」 漢字.gif

(「加」 https://kakijun.jp/page/0521200.htmlより)

「加」(漢音カ、呉音ケ)は、

会意。「力+口」。手に口を添えて勢いを助ける意を示す、

とある(漢字源)。

会意。力と、口(くち、ことば)とから成る。ことばを重ねて人をそしる意。転じて、「くわえる」意に用いる、

が、意味をよく伝える(角川新字源)が、さらに、

会意文字です(力+口)。「力強い腕」の象形(「力」の意味)と「口」の象形(「祈りの言葉」の意味)から、力と祈りの言葉である作用を「くわえる」を意味する「加」という漢字が成り立ちました、

との解釈もあるhttps://okjiten.jp/kanji679.html

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
簡野道明『字源』(角川書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2022年08月15日

昴星


天漢(天の川)恣(ほしいまま)に横たはりて、昴星(ぼうせい)うつべき露なし(宿直草)、

にある、

昴星、

は、和名、

すばる星、

である(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。「すばる」は、

二十八宿の西方第四宿で昴(ぼう)、

をいい、

おうし座にある散開星団プレアデスの和名、

で、

距離四〇八光年。肉眼で見えるのは六個で、六連星(むつらぼし)、

ともいい、古くから、

王者の象徴、農耕の星、

として尊重された。

九曜の星、
すばるぼし、
すまる、
すまるぼし、
大梁、

等々とも呼ぶ(精選版日本国語大辞典)。「大梁」(たいりょう)は、

古代中国で、天の赤道を十二次に区分した一つ。ほぼ黄道十二宮の金牛宮にあたる。二十八宿の胃・昴・畢にあたる。中心はすばる星、

とあり(精選版日本国語大辞典)、

昴星(すばるぼし)のこと、

とされる(日本国語大辞典)。

「昴(ぼう)」は、

嘒彼小星、惟參與昴(召南)、

と、

二十八宿の一つ、西方第四宿、

の、

昴宿(ぼうしゅく)、

を指す。「二十八宿(にじゅうはっしゅく)」は、周代初期(前1100頃)中国で、

月・太陽・春分点・冬至点などの位置を示すために黄道付近の星座を二八個定め、これを宿と呼んだもの、

で(精選版日本国語大辞典)、

二八という数は月の恒星月二七・三日から考えられた、

といわれ、中国では、

蒼龍=東、
玄武=北、
白虎=西、
朱雀=南、

の四宮に分け、それをさらに七分した(仝上)。

二十八舎(にじゅうはっしゃ)、

ともいうhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E5%8D%81%E5%85%AB%E5%AE%BF

二十八宿圖.png


角宿(東方青龍七宿の第一宿。距星はおとめ座α星(スピカ))を起宿として天球を西から東に不均等分割したもので、均等区分の十二次と共に天体の位置を表示する経度方向の座標として用いられた、

とある(仝上)。二十八宿は、

角(かく すぼし)、
亢(こう あみぼし)、
氐(てい ともぼし)、
房(ぼう そいぼし)、
心(しん なかごぼし)、
尾(び あしたれぼし)、
箕(き みぼし)、
斗(と ひきつぼし)、
牛(ぎゅう いなみぼし)、
女(じょ うるきぼし)、
虚(きょ とみてぼし)、
危(き うみやめぼし)、
室(しつ はついぼし)、
壁(へき なまめぼし)、
奎(けい とかきぼし)、
婁(ろう たたらぼし)、
胃(い えきえぼし)、
昴(ぼう すばるぼし)、
畢(ひつ あめふりぼし)、
觜(し とろきぼし)、
参(しん からすきぼし)、
井(せい ちちりぼし)、
鬼(き たまおのほし)、
柳(りゅう ぬりこぼし)、
星(せい ほとおりぼし)、
張(ちょう ちりこぼし)、
翼(よく たすきぼし)、
軫(しん みつかけぼし)、

となる(仝上)。

二十八宿図.jpg

(「二十八宿図」(『安部晴明簠簋内傳圖解(1912年)』) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E5%8D%81%E5%85%AB%E5%AE%BFより)

「すばる」の由来は、

とうに忘れられてきたが、江戸の国文学者狩谷棭斎、平直方などの考証により、これは〈統(す)べる星〉の意味で、六星が糸で統べたように集まったもの、

とするのが定説となっている(世界大百科事典)らしい。『古事記』に、

五百津之美須麻流之珠(いおつのみすまるのたま)、

『万葉集』に、

須売流玉(すまるのたま)、

『日本紀竟宴和歌』(延喜六(906)年)に、

儒波窶(すばる)の玉、

などと、上代人の髪や手首の玉飾を、この星団に名づけたもので、

すまる、

が転じて、

すばる、

となったとみられる(仝上)、とある。和名類聚抄(平安中期)に、

昴星、六星、火神也、須八流、

とある。ただ、

一所により合って統べ括られたような形である、

と、

すべる、

から来たとする見方(名語記・箋注和名抄・和訓栞・嬉遊笑覧・日本語源広辞典)のほかに、

御統(ミスマル)に似たれば云ふかと云ふ(大言海)、

とする、

御統(ミスマル)、

由来とする説もあり、「御統(ミスマル)」

は、

天なるや弟棚機(おとたなばた)の項(うな)がせる玉の美須麻流(ミスマル)美須麻流(ミスマル)に穴玉はや(古事記)、

と、

多くの勾玉・管玉を一本の緒に貫いて環状にしたもの。上代、首または腕にまいて飾りとした、

とあり(仝上)、

みすまろ、

ともいい、

「み」は接頭語、「すまる」は「すばる(統)」に同じ、

とある(精選版日本国語大辞典)。要は、

御統(ミスマル)、

そのものに見立てるか、

糸で統べる、

を採るかの差である。

「昴」 漢字.gif


「昴」(漢音ボウ、呉音ミョウ)は、

形声。「日(ほし)+音符卯(バウ)」。卯は、おし開く意を含むが、すばるをなぜボウと呼ぶかは不明、

とある(漢字源)。別に、

会意兼形声文字です(日+卯)。「太陽」の象形と「左右に開いた門」の象形(すべてのものが冬の門から飛び出す「陰暦の2月」の意味)から、冬一番早く東(卯)の空から上がってくる星「すばる」を意味する「昴」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji2482.html

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2022年08月16日

万里一空


宮本武蔵『五輪書』を読む。

五輪書.jpg


「武士の兵法を行ふ道は、何事に於ても人にすぐるゝ所を本とし、或は一身の切合に勝ち、或は数人の戦に勝ち、主君の為、名をあげ身をたてんと思ふ。是兵法の徳を以てなり。又世の中に、兵法の道をならひても、実の時の役にはたつまじきと思ふ心あるべし。其儀に於ては、何時にても、役にたつやうに稽古し、万事に至り、役にたつやうにおしゆる事、是兵法の実の道也。」

とあるように、武蔵の兵法は、徹頭徹尾相手に勝つこと、端的に言えば、

皆人をきらん爲也、

を目指す。だから、

「剣術一通の理、さだかに見分け、一人の敵に自由に勝つ時は、世界の人に皆勝つ所也。一人に勝つと云い心は千万の敵にも同意也。将たるものの兵法、ちいさきを大きになす事、尺のかたを以て大仏をたつるに同じ。」

と、

一人と一人との戦ひも、万と万とのたたかひも同じ道なり、

と言い切り

一対一の戦い(小分の兵法)、

多数の合戦(大分の兵法)、

も同じこととして展開する。この姿勢は、いわゆる、

兵法者、

とは少し異なる気がする。それは、武蔵が、

山水三千世界を万里一空に入れ、満天地とも挈(と)る、

という心を題として、

乾坤を其儘庭に見る時は、我は天地の外にこそ住め、

と、仏者や禅者の謂いとは異なる、

天地を俯瞰する、

かの如き境地と無縁ではない(鎌田茂雄『五輪書』)。本書で、武蔵は、兵法に、

我に師なし、

と言い切るように、本書も、

「今此書を作るといへども、仏法・儒道の古語をもからず、軍記・軍法の古きことをもちひず、此一流の見たて、実の心を顕す事、天道と観世音を鏡として、十月十日の夜寅の一てんに、筆をとって書初るもの也。」

と、自分の言葉で書いたと宣言しているのである。ここにも、武蔵の強い意志がある。

本書は、

五つの道をわかつ、

ため、

地、
水、
火、
風、
空、

の五巻に別つ。地の巻では、

「兵法の道の大躰、我が一流の見立、剣術一通りにしては、誠の道を得がたし。大きなる所よりちいさき所を知り、浅きより深きに至る。直なる道の地形を引きならすによって、初を地の巻と名付く也。」

水の巻では、

「水を本として、心を水になる也。水は方円のうつわものに随ひ、一滴となり、滄海となる。水に碧潭の色あり、清き所をもちひて、一流の事を此巻に書顕す也。剣術一通の理、さだかに見分け、一人の敵に自由に勝つ時は、世界の人に皆勝つ所也。一人に勝つと云い心は千万の敵にも同意也。将たるものの兵法、ちいさきを大きになす事、尺のかたを以て大仏をたつるに同じ。か様の儀、こまやかには書分けがたし。一を以て万と知る事、兵法の利也。一流の事、此水の巻に書記す也。」

火の巻では、

「戦ひの事を書記す也。火は大小となり、けやけき心なるによって、合戦の事を書く也。合戦の道、一人と一人との戦ひも、万と万との戦も、同じ道也。心を大きなる事になし、心をちいさくなして、能く吟味して見るべし。大きなる所は見えやすし、ちいさき所は見えがたし。其仔細、大人数の事は即坐にもとをりがたし。一人の事は心一つにて変る事はやきによつて、ちいさき所しる事得がたし。此火の巻の事、はやき間の事なるによつて、日々に手馴れ、常のごとく思ひ、心のかはらぬ所、兵法の肝要也。然るによつて、戦ひ勝負の所を火の巻に書顕す也。」

風の巻は、

「風の巻としるす事、我一流の事にはあらず、世中の兵法、其流々の事を書のする所也。風といふに於ては、昔の風、今の風、其家々の風などとあれば、世間の兵法、其流々のしわざを、さだかに書顕はす、是風の巻也。他の事を能く知らずしては、自らのわきまへ成りがたし。道々事々をおこなふに、外道と云ふ心あり。日々に其道を勤むるといふとも、心のそむけば、其身はよき道と思ふとも、直ぐ成る所より見れば、実の道にはあらず。実の道を極めざれば、始めし心のゆがみに付けて、後には大きにゆがむもの也。吟味すべし。他の兵法、剣術ばかりと世に思ふ事、尤也。我兵法の利わざに於ても、各別の儀也。世間の兵法を知らしめん為に、風の巻として、他流の事を書顕す也。」

空の巻では、

「空と云出すよりしては、何をか奥と云ひ、何をか口といはん。道理を得ては道理をはなれ、兵法の道に、おのれと自由有りて、おのれと奇特を得、時にあひては拍子を知り、おのづから打ち、おのづからあたる、是皆空の道也。おのれと実の道に入る事を、空の巻にして書きとゞむるもの也。」

吉川英治の『宮本武蔵』の影響で、武蔵にも、

剣禅一如、

のイメージが強いが、実像はちょっと違う。柳生宗矩などに禅の臭みが伴うが、武蔵にはない。たとえば、火の巻、

けんをふむと云ふ事、

に、

「敵の打出す太刀は、足にてふみ付くる心にして、打出す所を勝ち、二度目を敵の打得ざるやうにすべし。踏むと云ふは、足には限るべからず、身にても踏み、心にても踏み、勿論太刀にて踏み付けて、二のめを敵によくさせざるやうに心得べし。是則ち物毎の先の心也。」

という一節がある。ここでは、

身にても踏み、心にても踏み、勿論太刀にて踏み付けて、

とあり、まるで、

身心一如、

と、

心と体と刀が一体化した動きを強調して、相手が、

二度目の打出す、

のを妨げようとしている。ここにあるのは、実利的な考えである。本書でも、随所にあるには、いかにして、

相手との流れを崩すか、

を、徹頭徹尾説く、

先手を取る、
拍子を崩す、
間合いを変ずる、
相手の心を乱す、
変調する、

など、諸々の具体的工夫は、武蔵が、

十三歳にして初而勝負、

をして以来、

廿八、九迄、

「国々所々に至り、諸流の兵法者に行合ひ、六十余度まで勝負をすといへども、一度も其利をうしなはず。」

という命がけの実践の中で、いかにして勝つか、のみに収斂させた結果に見える。

参考文献;
宮本武蔵『五輪書』(Kindle版)
鎌田茂雄『五輪書』(講談社学術文庫)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2022年08月17日

一葉の舟


只かき乱したる心も解(ほど)けて、己が糸筋素直ならば、一葉の舟の例(ため)しにも乗らなん(宿直草)、

とある、

一葉の舟、

は、

舟の起源は、中国の貨狄(かてき)が蜘蛛が柳の一葉から作った舟を皇帝に献じたことからであるとする伝説。謡曲『自然居士』など、

とあり(高田衛編・校注『江戸怪談集』)、

こがくれに浮べる秋の一葉舟(ヒトハブネ)さそふあらしを川をさにして(「廻国雑記(1487)」)、

と、

一葉の舟、

で、

ひとはのぶね、

と訓ませ、

一艘の舟、

意である(精選版日本国語大辞典)。

「一葉」は、

きりのひと葉、

の意で、

見一葉落、知歳之将暮(淮南子)、
一葉落知天下秋(文禄)、

と(『書言故事』(宋・胡継宗撰)註に、「一葉者、梧桐也」とあり、「一葉草(ひとはぐさ)」は桐の異称である)、

梧桐の一葉の落つるを見て秋の來るを知る、事物のきざしを見て大勢を察すべきに喩ふ、

と使う(字源)が、

駕一葉之扁舟(赤壁賦)、

と、

小舟に喩ふ、

とある(仝上)。

蚩尤.gif



謡曲『自然居士』のあらすじは、

放下僧(ほうかぞう 大道芸の一種である放下を僧形で演ずる遊芸人)である自然居士は、ある少女が美しい着物と供養を願う書付を差し出すのを目にします。書付には両親の供養のために着物を捧げるとありました。そこへ男たちがやってきて少女を連れ去ります。着物は、少女が身を売って得たものだったのです。居士は少女が連れ去られたと聞き、説法を中止して跡を追い、舟の出る大津に急行します。居士は、着物と引き替えに少女を返すよう求めると、一度買い取った者は返さぬ掟があると断られますが、こちらにも身を売った者を見殺しにできぬ掟があり、自分も少女といっしょに行くしかないと言って舟から下りず、男たちを屈服させます。男たちは腹いせに、評判の舟の曲舞(くせまい)、ささら舞(ささらという和楽器を使った舞)、羯鼓(かっこ 鼓(つづみ)を横にしたような雅楽の打楽器「羯鼓」を身に付けて撥(ばち)で打ちながらの舞)と、次々に芸を見せることを要求しますが、居士は少女のために拒むことなく演じて見せ、ついに少女を連れ戻すことに成功します、

というものだがhttp://www5.plala.or.jp/obara123/u1205jinen.htm、「舟」の起源を語る部分は、

黄帝(こうてい)が烏江(おうこう)を隔てて攻めあぐねているとき、臣下の貨狄(かてき)が、庭の池の上に柳の葉が落ち、それに蜘蛛が乗っているのを見て舟を考案し、これによって烏江を渡って蚩尤を滅ぼしたという概要で、謡曲では、次のように語られる。

シテ さあらば舟の起を語って聞かせ申し候べし。
サシ上 ここに又蚩尤(しいう)といへる逆臣(げきしん)あり。
地謡上 彼を亡ぼさんとし給ふに。烏江(おおがう)といふ海を隔てゝ。攻むべき様もなかりしに。
クセ下 黄帝の臣下に。貨狄と云へる士卒あり。ある時貨狄・庭上(ていしやう)の。
    池の面(おもて)を見渡せば。折節秋の末なるに。
    寒き嵐に散る柳の一葉(ひとは)水に浮みに。又蜘蛛といふ虫。
    これも虚空に落ちけるが其一葉の上に乗りつゝ。
    次第々々にさゝがにのいとはかなくも柳の葉を。吹きくる風に誘はれ。
    汀(みぎは)(に寄りし秋霧)の。
    立ちくる蜘蛛の振舞げにもと思ひそめしよりたくみて舟を造れり。
    黄帝これに召されて。烏江を漕ぎ渡りて蚩尤を安く亡ぼし。
    御代を治め給ふ事。一万八千歳(いちまんはつせんざい)かや。
シテ上 然れば舟のせんの字(舩)を。
地謡上 きみにすすむと書きたり。
    さて又天子の御舸(おんか)を龍舸(りようか)と名づけ奉り。
    舟を一葉と云ふ事此御宇より始まれり。又君の御座舟を。
    龍頭鷁首(りようどうげきしゆ)と申すも此御代(みよ)より起れり。
ワキ  我等が舟を龍頭鷁首と御祝ひ祝着申して候。
    とてものことにさゝらを摺つて御(おん)見せ候へ。

とあるhttp://www5.plala.or.jp/obara123/u1205jinen.htm。因みに、「クセ」とは、

能の一曲は、いくつもの小段(しょうだん)が連なって構成されている。「クセ」はその小段の名称のひとつ。シテに関する物語などが、主に地謡(じうたい)によって謡われ、一曲の中心的な重要部分をなしている。主にクセの中ほどから後半で、節目の一句か二句をシテやツレなどが謡うことが多く、これを「上ゲ端〔上羽〕(あげは)」と呼ぶ。この上ゲ端が2回出てくる長いものを二段グセ、上ゲ端のないものを片グセと呼ぶ。また、シテが舞台中央に座したまま進行するものを「居グセ」、シテが立って舞を舞うものを「舞グセ」と呼んでいる。中世に流行した「曲舞(くせまい)」という芸能を取り入れたものといわれ、名称もそこからきているという、

とありhttps://db2.the-noh.com/jdic/2008/07/post_24.html、「さし」とは、

能・狂言の型のひとつ。扇や手で前方を指す型で頻繁に用いられる。具体的に何かを指し示す場合と、特に対象を明示せず型として行う場合がある。足の動きを加えたり、左右の手を使うなど応用の型も多く、サシをしながら数足前に出る「サシコミ/シカケ」、右手に持った扇を身体の前で大きく回してから正面にサス「巻ザシ」、左前方を左手でサシた後に右手でサシ、その右手を横一直線に線を引くように身体の向きを右前方に変える「サシ分ケ」など様々なヴァリエーションがある、

とあるhttps://db2.the-noh.com/jdic/2021/06/post_545.html。ついでに、「シテ」は、

仕手、
為手、

とあて、

能の主役、

であり、

一曲のなかで絶対的な重さをもつ演者であると同時に、演出、監督の権限を有する。つねに現実の男性の役であるワキに対し、シテは女・老人・神・鬼・霊などにも扮し、能面をつける特権をもつ。前後2段に分かれ、シテがいったん楽屋などに退場(中入)する能では、中入前を前シテ、中入後を後(のち)ジテとよぶ、

とある(日本大百科全書)。伝説では、

舟を一葉といふこと、この御宇より始まり、

とあるが、蚩尤は黄帝から王座を奪わんと乱を起こし、

兄弟の他に無数の魑魅魍魎を味方にし、風・雨・煙・霧などを巻き起こして黄帝と涿鹿の野で戦った(涿鹿の戦い)。濃霧を起こして視界を悪くしたり魑魅魍魎たちを駆使して黄帝の軍勢を苦しめたが、黄帝は指南車を使って方位を示して霧を突破し、妖怪たちのおそれる龍の鳴き声に似た音を角笛などを使って響かせてひるませ、軍を押し進めて遂にこれを捕え殺した、

とありhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9A%A9%E5%B0%A4、また、中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)では、

篆形作「□(金文文字)」、船也。象形、

と字様説明し、注釈書『大徐本(986)』も、

「□(金文文字)」、舩(船)也。古者共鼓、貨狄刳木為舟、剡木為楫、以濟不通。象形。凡舟之屬皆从舟。(職流切)、

『段注本(1815)』も、

「□(金文文字)」、船也。古者共(鼓)、貨狄刳木為舟、剡木為楫、以濟不通。象形。凡舟之屬皆从舟。(職流切)、

とあり(「□」の部分は、後述の「舟」の金文(青銅器の表面に鋳込む、乃至刻まれた文字)文字が入る)、『自然居士』の伝説とは異なるようだ。

「葉」 漢字.gif

(「葉」 https://kakijun.jp/page/1257200.htmlより)

「葉」(ヨウ・ショウ)は、

会意兼形声。枼(エフ 木にはがしげるさま)は、三枚の葉が木の上にある姿を描いた象形文字。葉はそれを音符とし、艸を加えた字で、薄く平らな葉っぱのこと、薄っぺらなの意を含む、

とあり(漢字源)、蝶、牒、喋、諜の同系語https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%91%89とある。原字は「世」で木に新しい葉が3枚のびている様子(「sh-」音が共通)、「枼」はそれが木から伸びることを示したもの(仝上)、とある。だから、借りて、よ(世)の意に用いる(角川新字源)ということになる。

「舟」 漢字.gif


「舟」 甲骨文字・殷.png

(「舟」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%88%9Fより)


「舟」 甲骨文字・殷 .png

(「舟」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%88%9Fより)

「舟」(漢音シュウ、呉音シュ)は、

象形。中国の小舟は長方形の形で、その姿を描いたものが舟。周・週と同系のことばで、まわりをとりまいたふね。服・兪・朕・前・朝などの月印は、舟の変形したもの、

とある(漢字源)。

「船」 漢字.gif



「舩」 漢字.gif


「船」(漢音セン、呉音ゼン)は、

会意兼形声。㕣(エン)は、「ハ(水が流れる)+口(あな)」からなり、くぼみにそって水が流れるさま。船はそれを音符とし、舟を加えた字で、水流にしたがって進むふね、

とある(漢字源)。なお、「舩」は「船」の俗字。別に、

会意形声。「舟」+音符「㕣」。「㕣(エン)」は「ハ(水が流れる様)」+「口(穴)」で水が穴に向かって流れる様で「沿(水流に沿う)」や「鉛(柔らかく流れる金属)」の同系語で、舟が水の流れに従うことを言う、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%88%B9

会意兼形声文字です(舟+㕣)。「渡し舟」の象形と「2つに分かれている物の象形と谷の口の象形」(「川が低い所に流れる」の意味)から、川に沿って下る「ふね」を意味する「船」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji187.html

「舟」と「船」の区別は、「ふね」http://ppnetwork.seesaa.net/article/463391028.htmlで触れたように、

小形のふねを「舟」、やや大型のふねを「船」、

とするが、「船」と「舟」の違いは、あまりなく、

千鈞得船則浮(千鈞も船を得ればすなはち浮かぶ)(韓非子)、

と、

漢代には、東方では舟、西方では船といった、

とある(漢字源)。今日は、

動力を用いる大型のものを「船」、手で漕ぐ小型のものを「舟」、

と表記するhttp://gogen-allguide.com/hu/fune.htmlとし、

「舟」や「艇」は、いかだ以外の水上を移動する手漕ぎの乗り物を指し、「船」は「舟」よりも大きく手漕ぎ以外の移動力を備えたものを指す。「船舶」は船全般を指す。「艦」は軍艦の意味である。(中略)つまり、民生用のフネは「船」、軍事用のフネは「艦」、小型のフネは「艇」または「舟」の字、

を当てるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%B9とある。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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2022年08月18日

果報


身も逸(はや)らば、心の外(ほか)に越度(おつど)もあるべし。思案して五輪を切らざるは、ああ果報人かな(宿直草)、

とある、

果報人、

は、

幸運な人、

の意とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。「果報」には、

此の所にて皆死すべき果報にてこそ有るらめ(太平記)、

と、

因果応報、

つまり、

前世での善悪さまざまの所為が原因となって、現世でその結果として受ける種々の報い、

という仏語の意味と、

この道に、二の果報あり。声と身形也(風姿花伝)、

と、

報いがよいこと、

つまり、

幸福なさま、
幸運、

の意とがある(広辞苑・日本国語大辞典)。前者は、「一業所感」http://ppnetwork.seesaa.net/article/485653172.htmlで触れた、サンスクリット語のカルマンkarmanの訳語である、

業(ごう)、

である。

一つの行為は、原因がなければおこらないし、また、いったんおこった行為は、かならずなにかの結果を残し、さらにその結果は次の行為に大きく影響する。その原因・行為・結果・影響(この系列はどこまでも続く)を総称して、業という、

とある(日本大百科全書)、後者の「幸運」の意には、

前世の善行によるこの世でのしあわせ、

そういう含意もある(岩波古語辞典)。

「果報」http://ppnetwork.seesaa.net/article/444397156.htmlでも触れたが、「果報」は、

因縁の応報(むくい)。結果。多くは、善きに云ふ、

とあり(大言海)、

仏教で言う「因縁」と深いつながりがあります。あらゆるものが成り立つには、必ずそうあらしめる要因があり、これを因縁と言います。因とは、ものが成立する直接的原因、縁とは、それを育てるさまざまな条件のことです。例えば、花が咲くには、種がなければなりません。それが花の因です。しかし、種があっただけでは、花は咲きません。土や水、光や気候、その他さまざま、花を咲かせるのにふさわしい条件が整った時に咲くのです。因と縁が実ると、それに合った結果が出ます。その結果のことを果報と言います、

とあるhttp://www.tendai.or.jp/houwashuu/kiji.php?nid=53。「因縁(インエン・インネン)」は、

譬へば、穀(もみ)を地に植うれば、稻を生ず。穀は因なり、地は縁なり、稲は果なり。然して、これを行ふことを業(ごふ)と云ふ。因りて、因縁、因果、因業など、人事の成立(なりゆき)は、皆因(ちなみ)あり、縁(よ)る所ありて、果(はて)に至ること、予め定まれりとす、

とある(大言海)。

「果報」は、

サンスクリット語のビパーカvipākaの訳語、

で、

異熟、

とも訳す(ブリタニカ国際大百科事典)。

先に原因となる行為があり、それによって招かれた結果を報いとして得ることをいう。行為は、心に思い、口にいい、身体で行うの3種に分かれ、たとえ身体を動かさなくても行為はあった、と考えられる。この原因と結果とを結ぶものが業(ごう カルマンkarman)で、ときに業がその行為・結果・報いのみをさし、また責任などの全体を含む場合もある、

とされ(日本大百科全書)、仏教では一般に、

善因には善果が、あるいは心の満足という楽果が、また悪因には悪果が、あるいは後ろめたい心という苦果が伴う、

とし(仝上)、

人間として生れたことを、

総報、

男女、貧富などの差別を受ける果を、

別報、

という(ブリタニカ国際大百科事典)とある。またこの世で行なった行為が、この世で報いとなることを、

(順)現報、

次の世に結果が現れることを、

(順)生報、

未来世以後に受けるものを、

(順)後報、

という(仝上)ともある。

「果報」http://ppnetwork.seesaa.net/article/444397156.htmlで触れたことだが、「果報」をこう見てみると、

予め定まれりとす(大言海)、

という意味が重い。だから、

果報は寝て待て、

という諺は、

幸運は自然とやってくるのを気長に待つべきだ、焦らないで、待てばいつかは必ずやってくる、ということ(ことわざ辞典)、

という意味でも、

幸運は人力ではどうすることもできないから、焦らないで静かに時機のくるのを待(広辞苑)て、

という意味でもない。

果報とは、仏語で前世での行いの結果として現世で受ける報いのこと。転じて、運に恵まれて幸福なことをいう。「寝て待て」といっても、怠けていれば良いという意ではなく、人事を尽くした後は気長に良い知らせを待つしかないということhttp://kotowaza-allguide.com/ka/kahouwanetemate.html

という意味も少し違う。

自分の努力だけではどうにもならない因縁に寄るのだから、じたばたしても仕方がない、

つまりは、

寝て待つしかない、

という含意ではないか。俗に、運のよいことを、

果報、

それを受けた者を、

果報者、

とよび、逆に、不幸なことを、

因果(いんが)、

不幸な者を、

因果者、

と称する(日本大百科全書)。また、

運があまりよすぎて、かえって不測のわざわいを受けること、

を、

果報負(かほうまけ)、

といい、また

果報焼(かほうやけ)、

ともいう(日本国語大辞典・広辞苑)。

「果」 漢字.gif


「果」(カ)は、

象形。木の上に丸い実がなったさまを描いたもので、丸い木の実のこと、

とあり(漢字源)、中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)にも、

木實也。从木、象果形在木之上、

とあるが、別に、

会意、「木」と「田」(農地)を合わせて、農地たる木からの産物「くだもの」のこと、

とする説もあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9E%9C。また、「菓(クワ)」の原字。借りて、思いきりがよい、また、「はたす」意に用いる(角川新字源)ともある。

「報」  漢字.gif

(「報」 https://kakijun.jp/page/1229200.htmlより)

「報」(漢音ホウ、呉音ホ・ホウ)は、

会意。「手かせの形+ひざまずいた人+て」で、罪人を手で捕まえてすわらせ、手かせをはめて、罪に相当する仕返しを与える意を表わす。転じて、広く、仕返す、お返しの意となる、

とある(漢字源)。別に、

会意。「㚔」+「𠬝」。「㚔」は手械(てかせ)の象形、「𠬝」は「服」の原字で「平げる」「服従させる」こと。手械で服従させ、刑罰で「むくいる」ことhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A0%B1

会意形声。幸(刑具)と、𠬝(フク)→(ホウ 王命のしるしを手に持つ)とから成り、罪人に罰を加える意を表し、ひいて「むくいる」意に用いる(角川新字源)、

会意文字です。「手かせ」の象形と「右手とひざまず人の象形」(「従う」の意味)から、罪人を刑に従わせる、「さばく」を意味する「報」という漢字が成り立ちました。(転じて(派生して・新しい意味が分かれ出て)、「むくいる」、「しらせる」の意味も表すようになりました。)https://okjiten.jp/kanji857.html

等々ともある。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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ラベル:果報 因果応報
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2022年08月19日


血気の袖どち群れつつ話す(宿直草)、
肝太き袖は顔眺めらるるわざよ(仝上)、

などにある、

袖、

は、

血気さかんな若者たち、
肝太き人、

と、

「袖」は「人」の意、

とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。「袖」に人の意はないので、ここでは、

袖、

で、例えば、

着物、

をいえば、換喩になり、象徴的に

人、

をいえば、提喩になる。慣行的にそういう言い回しがあったのかもしれないが、よくわからない。確かに、「袖」は、

袖摺り合うも他生の縁、

とか、

袖にする、

とか、

袖の下、

とか、

袖を絞る、

とか、メタファとして使うケースが多いが、「袖」を「人」とする例はあまり見ない気がするのだが。

「そで」は、

衣の左右の手を入るる所の総名、上代の下民は筒袖(つつそで 袂(たもと)がなく、筒のような形をした袖)なり、肱(かひな)に當る所をたもととす、

とある(大言海)。和名類聚抄(平安中期)に、

袖、曾天、所以受手也、

字鏡(平安後期頃)に、

袂、袖末也、曾氐、

類聚名義抄(11~12世紀)に、

袂、ソデ、タモト、

とある。続日本紀(しょくにほんぎ 延暦16年(797年)完成)に、

和銅元年閏八月「制、自今以後、衣襟口(ソデグチ)、闊八寸已上、一尺已下、随人大小為之、

とある。「そで」は、

衣手(ころもで)、
衣袖(いしゅう)、

ともいう。

「そで」の由来は、

衣手(そて)の義、或は衣出(そいで)の義(大言海)、
ソ(衣)テ(手)の意、奈良時代にはソテ・ソデの両形がある(岩波古語辞典)、
ソデ(衣手)説(東雅・安斎随筆・燕石雑志・箋注和名抄・筆の御霊・言元梯・名言通・和訓栞・弁正衣服考)、

と、

衣の左右に出た部分をいうところからソデ(衣出)説(日本釈名・関秘録・守貞謾稿・柴門和語類集・上代衣服考=豊田長敦)、

の二説が大勢で、その他、

ソトデ(外出)の義、またシモタレ(下垂)の反(名語記)、
ソはスボマルの意、テは手(槙のいた屋)、
外手(そで)(日本大百科全書)、

などもある。ただ、「ソテ(衣手)」説は、

上代特殊仮名遣では、「そ(衣)」は乙類音で、「そで」の「そ」は甲類音であるから疑問、

とされる(日本語源大辞典・精選版日本国語大辞典)。確かに、それは、

難点だが、他に適した説が見つかりません、

と(日本語源広辞典)、承知の上で、

ソ(衣)+手、

説を採るものもある。音韻的難があるとしても、意味的には、

そて(衣手)、
か、
そで(衣出)、

しか有力な説はないようである。ただ、

衣服の身頃(みごろ)の外にあって腕を覆う部分をいい、別に袂(たもと)ともいう。たもとは元来、手元(たもと)からきている。また袖の字は、通す意味の抽(ぬく)からきており、衣の手を通す部分の意、袂の夬(けつ)はひらく意からきており、衣の口のひらいているところの意味とされる、

とあり(日本大百科全書)、

そで(衣出)、
そで(外手)、

なのかもしれない。

袖の歴史(古墳時代~近世).jpg

(袖の歴史(古墳時代~近世) 日本大百科全書より)


和服の袖の種類(現代).jpg

(和服の袖の種類(現代) 日本大百科全書より)

和服では、

袂(たもと)の長さや形によって、大袖、小袖、広袖、丸袖、角袖、削(そぎ)袖、巻袖、元祿袖、振袖、留袖、筒袖などの種類があり、袂を含んでいうことがある、

が、洋服では、

長短により長袖、七分袖、半袖などの別があり、袖付や形によっても種々の名称がある、

牛車の袖.bmp

(牛車の袖 精選版日本国語大辞典より)

なお、「袖」は、衣の袖をメタファに、いろんなものを袖と呼ぶ。たとえば、

その車の有様言へばおろかなり。……そでには置口にて蒔絵をしたり(栄花物語)、

と、

牛車の部分、

を、

袖、

と呼ぶ。

牛車(ぎっしゃ)の部分の箱の出入り口の左右にあって、前方または後方に張り出した部分。前方にあるのを前袖、後方にあるのを後袖(あとそで)、また、表面を袖表(そでおもて)、あるいは外(そと)、内面を裏、あるいは内(うち)と呼ぶ、

とある(精選版日本国語大辞典)。また、

義盛之所射箭、中于国衡訖、其箭孔者、甲射向之袖二三枚之程、定在之歟(吾妻鏡)、

と、

鎧の袖、

とも使い、

鎧袖一触、

という言い方もある。

鎧袖(がいしゅう).bmp

(鎧袖 精選版日本国語大辞典より)

通常、

袖の緒(お)で胴に結びとめる。左を射向(いむけ)の袖、右を馬手(めて)の袖という。その大小、形状により、大袖、中袖、小袖、広袖、壺袖(つぼそで)、丸袖、置袖、最上袖(もがみそで)などの種類がある、

とある。また、

文書(もんじょ)や書巻の初めの端の余白となっている部分、

を、

袖、

といい、後の端の部分を、

奥、

という(仝上)。また、建物などの、

主要部のわきに付属する小型のもの、

を、

袖石、
袖柱、
袖塀(そでべい)、
袖垣(そでがき)、

等々と呼んだりもする。舞台の、

両わきの部分、

を、

袖、

と呼ぶのも同じメタファである。

「袖」 漢字.gif


「袖」(漢音シュウ、呉音ジュ)は、

会意兼形声。「衣+音符由(=抽。ぬき出す)」。そこから腕がぬけ出て出入りする衣の部分、つまりそでのこと、

とある(漢字源)。別に、

会意兼形声文字です(衤(衣)+由)。「身体にまつわる衣服のえりもと」の象形と「底の深い酒つぼ」の象形(「穴が深く通じる」の意味)から、人が腕を通す衣服の部分、「そで」を意味する「袖」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji2061.html

「袂」 漢字.gif

(「袂」 https://kakijun.jp/page/E5D4200.htmlより)

「袂」(漢音ベイ、呉音マイ、慣用ヘイ)は、

会意。「衣+夬(切り込みを入れる、一部を切り取る)」。胴の両脇をきりとってつけたたもと、

とある(漢字源)。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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ラベル: そで たもと
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2022年08月20日

六十万決定往生


定めて六十万決定(けつじょう)往生のひとにやと、殊勝の思ひをなす(宿直草)、

にある、

六十万決定往生、

とは、

時宗祖一遍が念仏札に記した言葉、一切衆生が極楽往生できることを示す、

とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。
念仏札.png


この念仏札は、

一遍上人が熊野本宮の証誠殿から受けた神詞「人々の信不信をとはず賦算すべし」によるもので、7.5×2cmほどの板に「南無阿弥陀仏決定往生六十万人」と記されたもの、

で、この札配りを、

賦算(ふさん)、

といい、

御化益(ごけやく)、

ともいう、時宗独特の行事である(広辞苑・デジタル大辞泉)。

念仏よりやさしい、往生のあかしとして始められた、

という。

一遍上人は、北は陸奥国江刺から南は薩摩国・大隅国に至る諸国を遍歴し、

生涯に約250万1千人(25万1千人とも)に配られた、

と記録されているhttp://www.jishu.or.jp/ippensyounin-osie/gohusan、とある。

「六十万人」の意味には、

第一、一遍の偈(『一遍聖絵』第三)、「六字名号一遍法 十界依正一遍体 万行離念一遍証 人中上々妙好華」の四句の首字をとったものと解されている、

第二、『一遍聖絵』第三では、「六」は「南無阿弥陀仏」の六字名号を、「十」は、阿弥陀如来が悟りを開いてからの十劫という長い時間を、「万」は、報身仏である阿弥陀如来の「万徳」(あらゆる徳)を、「人」は、一切衆生が往生して、安楽世界の人となることを意味するとする、

との二つの説がある(『一遍上人全集』)らしいhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B3%A6%E7%AE%97。どちらにしても、60万人というのは象徴的な意味と見ていい。

一遍聖絵②.png

(一遍聖絵 熊野権現に出会う http://www.jishu.or.jp/ippensyounin-osie/8087-2より)


一遍聖絵①.png

(一遍聖絵 一遍上人の臨終 http://www.jishu.or.jp/ippensyounin-osie/8087-2より)

法然の浄土宗では、

念仏をとなえる衆生の努力を重視、

し、親鸞の真宗では、

阿弥陀仏の絶対的な力を説く、

のと異なり、一遍はそうした信仰を、

賦算(ふさん 紙の念仏の札を会う人々にくばること)、
踊念仏(踊りつつ念仏をとなえて法悦の境地を体験すること)、
遊行(ゆぎよう 定住せず各地を修行と布教のために巡り歩くこと)、

という方法によって実践した(世界大百科事典)とされるが、「踊念仏」は、

弘安二年(1279)、信濃国の伴野(佐久市)を訪れたとき、空也の先例にならって踊念仏を催したが、それが予想外の人気を集めたため、その後一遍の赴く所では必ず踊念仏が行われて、数多くの庶民がそれに加わるようになった、

とある(世界大百科事典)ように、

当初、これは、意図的ではなく自然発生的に行われ、しだいに形式化されていった、

と考えられているhttp://www.jishu.or.jp/ippensyounin-osie/8087-2

一遍は、念仏往生の鍵は信心の有無、浄や不浄、貴賤や男女に関係するのではなく、すべてを放下(ほか)し、〈空〉の心境になって、名号(みようごう 念仏)と一体に結縁(けちえん)することにあると説いた。寺を建てたり新しい宗派を開いたりする意志を持たず、一遍は生涯を廻国遊行(ゆぎよう)の旅に過ごし、念仏に結縁した人びとに往生決定の証明として念仏を書いた紙の札を与え(賦算)、彼らに阿弥号をつけた。時衆に〈某阿弥陀仏〉と称する人が多いのはこのためである、

ともある(世界大百科事典)。

「賦」  漢字.gif

(「賦」 https://kakijun.jp/page/E5D4200.htmlより)

「賦」(フ)は、

会意兼形声。武は「止(あし)+戈(ほこ 武器)」の会意文字で、敵を探し求めて、むりに進むの意味を含む。賦は「貝+音符武」で、貧しい財貨を無理に探り求めること、

とあり(漢字源)、「貢賦」「賦役」「賦課」「賦租」等々、徴発の意味である。別に、

形声文字です(貝+武)。「子安貝(貨幣)」の象形と「矛(ほこ)の象形と立ち止まる足の象形」(「矛を持って戦いに行く」の意味だが、ここでは、「莫+手という漢字」に通じ、「さぐり求める」の意味)から、「貨幣を求めてとりたてる」を意味する「賦」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1295.html。「賦算」は、

算(念仏札)を賦(配)る、

意とされるhttp://www.jishu.or.jp/ippensyounin-osie/8087-2が、「賦」の、

布、
敷、
頒、

と類義で、

わかつ、
遍く配る、

という意からきている(漢字源)。

「算」 漢字.gif

(「算」 https://kakijun.jp/page/1479200.htmlより)

「算」(漢音呉音サン、唐音ソン)は、

会意。「竹+具(そろえる)」むで、揃えて数えるの意、

とあり(漢字源)、数取りの竹をそろえて「かぞえる」意を表す(角川新字源)とある。別に、

会意文字。「竹」+「目」+「廾」(両手)を合わせて、目と両手を用い、竹の器具で「かぞえる」こと、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%AE%97

象形と両手の象形」(「両手で備える(準備する)」の意味)から、「竹の棒を両手で揃(そろ)える、数(かぞ)える」を意味する「算」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji229.html

参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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