2022年08月21日

ひぐらし


一日(ひくらし)此の寺に参りしに、人目の関の閑有りて、仏前の錢二十文盗みしかば(宿直草)、

にある

一日(ひくらし)、

は、普通、

日暮、

と当て、

ひぐらし、

と訓むが、古くは、

ひくらし、

と清音で(広辞苑)、

つれづれなるままに、日くらし、硯にむかひて、こころにうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば(徒然草)、

と、

朝から夕暮れまでの一日中、

の意である(岩波古語辞典)。

ひねもす、
終日、
日がな、

と同義である。「ひねもす」http://ppnetwork.seesaa.net/article/445249637.html、「日がな」http://ppnetwork.seesaa.net/article/438065587.htmlについては触れた。

また、その意味をメタファに、

その日暮らし、

の意でも使い、日光東照宮の陽明門の異称を、

日の暮れるのも気づかずに見とれてしまうほどの美しい門、

の意で、

日暮の門(ひぐらしのもん)、

といったりする(仝上)。近世初期の上方で、元祿~享保年間(1688~1736)に盛行した、

鉦(かね)を首にかけ、念仏踊、浄瑠璃、説経などの詞章を節を付けて歌い歩いた門付け芸人、

を、

日暮の歌念仏(ひぐらしのうたねんぶつ)、

というのは、「日暮」を、姓のように称し、歌念仏の、

日暮林清、

説経浄瑠璃の、

日暮小太夫などが知られていたから(精選版日本国語大辞典)とある。

歌念仏.bmp

(歌念仏 精選版日本国語大辞典より)

「日暮」に、

蜩、
茅蜩、

と当てると、早朝・夕方および曇天時に「カナカナ」と高い金属音をたてて鳴く、蝉の、

ヒグラシ、

である。和名類聚抄(平安中期)に、

茅蜩、比久良之、

とあり、箋注和名抄(江戸後期)には、

此蟲将暮乃鳴、故有是名、今俗、或呼加奈加奈、

とあるが、

今こんといひて別れしあしたより思ひくらしの音をのみぞなく(古今集)、

と、

日暮らし、

と掛けて使うこともある(日本語源大辞典)。

ヒグラシ.jpg


なお「日暮」を、

ひぐれ(「ひくれ」とも)、
にちぼ、
じつぼ、

などと訓み、

夕暮れ、

の意で使う。

「日」 漢字.gif

(「日」 https://kakijun.jp/page/0459200.htmlより)

「日」http://ppnetwork.seesaa.net/article/463232976.htmlで触れたように、「日」(呉音ニチ、漢音ヅツ)の字は、

太陽の姿を描いた象形文字、

である(漢字源)。

「暮」 漢字.gif

(「暮」 https://kakijun.jp/page/1440200.htmlより)

「暮」(漢音ボ、呉音モ・ム)は、

会意兼形声。莫(マク・バク)は、「艸+日+艸」の会意文字で、草原の草むらに太陽が没するさま、莫が「ない」「見えない」との意の否定詞に専用されるようになったので、日印を加えた暮の字で、莫の原義をあらわすようになった、

とある(漢字源)。「暮」の対は、「初」「朝」「旦」、「暮」の類義語は「夕」「晩」。我が国で、

その日暮らし、

とか、

思案に暮れる、

という使い方をするが、「暮」の原義にはない。別に、

会意兼形声文字です(莫+日)。「草むらの象形と太陽の象形」(太陽が草原に沈むさまから「日暮れ」の意味)と「太陽」の象形から、「日暮れ」を意味する「暮」という漢字が成り立ちました(「莫」が原字でしたが、禁止の助詞として使われるようになった為、「日」を付し、区別しました。)、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1065.html

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2022年08月22日

かなぐる


左の耳を探りて、爰に座頭の耳有りとて、かなぐりて行く。痛しなんども愚かなり(宿直草)、

の、

かなぐりて、

は、

荒々しく取って、引きちぎって、

の意とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。

「かなぐる」は、

抛棄、

と当てたりする(大言海)が、字鏡(平安後期頃)には、

敺(=駆)、カナグル、

とある。

いと愛敬なかりける心もたりける物かなとて、腹だちかなぐりて起くれば、帯刀笑ふ(落窪物語)、

と、

荒々しく払いのける、

意や、

死人の髪をかなぐり抜き取る也けり(今昔物語)、

と、

荒々しく引きぬく、乱暴に奪いとる、ひったくる、

といった意で使い、

激しく動作する、

ことを表現している。

カイ(掻)ナグルの約か、着ているものを無理にはがしたり、離したりする動作が荒々しく行われるに言う(岩波古語辞典)、
掻(カ)き殴(ナグ)るの略(引きさぐ、提(ひさ)ぐ)(大言海)、
カキナゲ(掻投)の義(俚言集覧)、
糸筋の幾本かをつかねて繰り寄せるカナ-繰るが語源か、カナは東北・京都の方言で糸の意(小学館古語大辞典)、
カイノクル(掻退)の義(言元梯)、

等々諸説あるが、「かく(掻く)」は、

月立ちてただ三日月の眉根掻(かき)気(け)長く恋ひし君に逢へるかも(万葉集)、

と、

爪を立て物の表面に食い込ませて引っかいたり、弦に爪の先をひっかけて弾いたりする意、「懸く」と起源的に同一、

とある(岩波古語辞典)ように、

爪を立ててこする、

意である(日本国語大辞典)が、

其の身手を運(カキ)、足を動かし(西大寺本金光明最勝王経平安初期点)、

と、

腕や手首を上下、または左右に動かす、

意や、

朝なぎにい可伎(カキ)渡り(万葉集)、

と、

水を左右へ押し分ける、

意や、

朝寝髪可伎(カキ)もけづらず(万葉集)、

と、

くしけずる、

意や、

琴に作り加岐(カキ)ひくや(古事記)、

と、

琴の弦をこするようにしてひく、

意のように、

手、爪、またはそれに似たもので物の表面をこすったり払ったりする。また、そのような動作をする、

意で使う(仝上)。とすると、「かき」は、動作を示し、「なぐる」は、

殴る、
投ぐ、
退く、

などよりは、

横ざまに払って切る、

意の、

薙ぐ、

に近いのではあるまいか。勿論憶説ではあるが。

「なぐる」は、現代語では、単独での用例はなく、

かなぐり捨てる、

と、複合形で用いるが、古典語では、単独に用いるだけでなく、

かなぐり捨つ、

のほかにも、

かなぐり落とす、
かなぐり散らす、
かなぐり取る、
かなぐり抜く、

などと複合する形もあり、また、

かなぐり付く、
かなぐり見る、

のような、

ひったくる、

といった意の、離脱とは反対の、

接着する行為、

と関わる用法もある(精選版日本国語大辞典)。

「敺」 漢字.gif


「敺」(オウ、ク)は、

為淵敺魚者、獺也(孟子・離婁)、

と使う、

「驅」の古字、

とある(字源)、

「駆」の異体字、

である。

「驅」 漢字.gif

(「驅」 https://kakijun.jp/page/E97B200.htmlより)


「駆」 漢字.gif



「駈」 漢字.gif

(「駈」 https://kakijun.jp/page/ku15200.htmlより)

「驅」(ク)は、

会意兼形声。「馬+音符區(小さくかがむ)」。馬が背をかがめてはやがけすること。まがる、かがむの意をふくむ、

とある(漢字源)。「駈」は異字体である。別に、

形声文字です(馬+区(區))。「馬」の象形と「くぎってかこう象形と多くの品物の象形」(「多くの物を区分けする」意味だが、ここでは、「毆(オウ)」に通じ(同じ読みを持つ「毆」と同じ意味を持つようになって)、「うつ」の意味)から、馬にムチを打って「かる(速く走らせる、追い払う)」を意味する「駆」という漢字が成り立ちました。のちに、「区」が「丘(丘の象形)」に変化して「駈」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1230.html

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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ラベル:かなぐる
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2022年08月23日

麁相


また麁相(そそう)にして、左の耳に文字ひとつも書かずして是をおとす(宿直窟)、

にある、

麁相、

は、

粗相、
疎相、
疏相、

とも当て、

扇なども、賜はせたらんは、そさうにぞあらむかしなど思て、……我絵師にかかせなどしたる人は(「栄花物語(1028~92頃)」)、

と、

そまつなこと、粗略なこと。また、そのさま、

の意であり、

石を袂にひろひ入岩ほの肩によぢのぼれば、かけあがって和藤内いだきとめて、ヤイこりゃそさうすな心てい見付た(浄瑠璃「国性爺合戦(1715)」)、

と、

そそっかしいこと、軽率なふるまいをするさま、

の意で、

粗忽(そこつ)、

と同義なる。その意味の流れから、

傍輩衆(ほうばいしゅう)と狂ひやして、麁相(ソサウ)で柱へ前歯を打つけやして、つい欠(かけ)やした(咄本「都鄙談語(1773)」)、

と、

あやまちをすること、失敗するさま、しくじり、不注意、

の意で使うし、その意味の外延から、

内の首尾を聞合せず案内するも麁相(ソサウ)なりと軒に立寄うかがへば(浄瑠璃「大経師昔暦(1715)」)、

と、

ぶしつけであること、また、そのさま、失礼、非礼、

の意でも使う。「粗忽」「しくじり」の派生としてか、

無念ながらも嬉しかりけりみどり子が我にだかれつささうして(俳諧「新増犬筑波集(1643)」)、

と、

おもらし、

の意でも使う(精選版日本国語大辞典)。また、

粗相火(そそうび)、

というと、

失火の意になる。

「粗相」の語源として、

仏教語の「麁相(そさう」)」、事物の無常な姿をとらえた「生・住・異・滅」の四相にならって、人の「生・住・老・死」を「麁四相」ともいう。無常な姿を表す四相にならったものであることや、人の一生には弱い部分があふれていることから、「麁相」は軽率なさまや過ちなどの意味で使われるようになった(語源由来辞典)、
仏教語の「四相(しそう)」、物事や生物の移り変わる姿を四つの段階、
一、生相(しょうそう) これは事物が生起すること。
一、滅相(めっそう) これは事物が崩壊すること。
一、住相(じゅうそう) これは事物が安住すること。
一、異相(いそう) これは事物が衰退すること。
の「生・住・異・滅」の「四相」を、人の生涯の生・住・老・死の各相に当てはめたものを「麁四相(そしそう)」と言います。人の生涯には無常さがあり、弱きところもあり、軽率な時があったり、間違いも起きます。「麁四相」が「麁相」となり、軽率なさまや過ちなどの意味合いで使われるようになりましたhttps://www.yuraimemo.com/931/
仏教では、この世を「生・住・異・滅」としてとらえたうえで、人間には一生には「生・住・老・死」の四相があるとされ、これを「麁の四相(刹那の四相)」といいます。この「麁」は生きていく人間の煩悩に通じるものがあるとされ、あるいは煩悩ゆえに人間らしい失敗や過ちのことを「麁相」だとして仏様は許してくださるだろうということからこの言葉が広まったとされていますhttps://zatugakuunun.com/yt/kotoba/5353/
仏教語、麁相(荒い形相)、転じてしそこない、不注意、おもらしの意に(日本語源広辞典)、

等々、仏教語「麁の四相」からきているとする説が、

他の説は見当たらず、不注意なあやまちを意味する言葉の中で、大小便を漏らす意味として使われるのは「粗相」ぐらいであることから、人の「生・住・老・死」を意味する言葉を語源と考えるのは妥当と思われる(語源由来辞典)、

等々とされている。確かに、「滅相」http://ppnetwork.seesaa.net/article/437604353.htmlで触れたように、

「麤四相、生相、老相、病相、死相。細四相、生相、住相、異相、滅相」(大乗法數)とみえたり、

とあり(大言海)、「四相」は、

生、老、病、死を一期の四相と云ひ、生、住、異、滅を有為の四相と云ひ、我相、人相、衆生相、壽者相を識境の四相と云ふ。即ち、我相とは、自己の我の実在するを執するもの、人相とは他人の我の実在するを妄執するもの、衆生相とは、衆生界、又は自己心識の作出ものなるを知らずして、以前より実在するものと信ずるもの、壽者相とは、自己の、この世に住する時間の長短に執着するもの、

とある(仝上)。つまり、

事物が出現し消滅していく四つの段階。事物がこの世に出現してくる生相(しようそう)、持続して存在する住相、変化していく異相、消え去っていく滅相、

の「四相」を、人間の一生に当てはめたものを、

生・老・病・死、

衆生が外界に対して実在すると誤解・執着する四つの誤った相を、

我・人・衆生・寿者、

の、

識境の四相、

という(大辞林・大言海)。

仏教において、因果関係のうちに成立する現象(有為の法)が現在の一瞬間のうちに呈する、

生(しょう:生起する)、
住(じゅう:生起した状態を保つ)、
異(い:その状態が変異する)、
滅(めつ:消滅する)、

の4つの相状を「刹那の四相」といい(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E7%9B%B8・精選版日本国語大辞典)、「生住異滅」を、転じて「生老病死」と類義に、

人間が生まれ、成長し、老いて死ぬ意、または事物が生成変化して消滅する、

という衆生の生涯を生・老・病・死ととらえるのを、

一期の四相、

ともいう(精選版日本国語大辞典)。確かに、

麤四相、

は、

生相、老相、病相、死相、

を指している(大言海)が、仮に、

麁四相、

だとしても、ここから、

無常な姿を表す四相にならったものであることや、人の一生には弱い部分があふれていることから、「麁相」は軽率なさまや過ちなどの意味で使われるようになった、

として(語源由来辞典)、

失敗、
粗忽、
粗略、

の意味に転換するとみるのは無理筋ではないだろうか。それこそ、

麁相、

な解釈に思えてならない。「麁」「疏」「疎」「粗」の意味が通底することからの、当て字に過ぎない気がしてならない。

「麤」 漢字.gif



「麁」 漢字.gif

(「麁」 https://kakijun.jp/page/EA65200.htmlより)

「麁」(漢音ソ、呉音ス)は、

麤、

の俗字。「粗」と同義、「疏」(疎)と類義、「細」「密」と対義である。

本字は、鹿を三つあわせたもの、互いの間が、すけたままざっと集まっていることをあらわす、

とある(漢字源)。「麤疎」(=麤疏 ソソ)で、

王敦怒曰、君麤疎邪(晉書・謝鯤傳)、

と、

そそっかしい、

つまり、

疎忽、

の意である(字源)。

「粗」 漢字.gif



「粗」 説文解字・漢.png

(「粗」 説文解字・漢 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%B2%97より)

「粗」(漢音ソ、呉音ス)は、「精」「密」の対語、「疎」(疏)と類義語。

形声。「米+音符且(ショ・シャ)」で、もと、ばらつくまずい玄米のこと。且の意味(積重ねる)とは直接の関係はない、

とある(漢字源)。粒子のそろっていない、品質の低い穀物の意https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%B2%97ともある

「疎」  漢字.gif


「踈」 漢字.gif

(「踈」 https://kakijun.jp/page/E6F1200.htmlより)

「疎」(漢音ソ、呉音ショ)は、

会意兼形声。疋(ショ)は、あしのことで、左と右と離れて別々にあい対する足。間をあけて離れる意を含む。疎は「束(たば)+音符疋」で、たばねて合したものを、一つずつ別々に話して間をあけること、

とある(漢字源)。「踈」は「疎」の異字体。「疎」は、「疏」と同義、「密」「親」「精」の対語である。別に、

形声文字です(疋+束)。「人の胴体の象形と立ち止まる足の象形」(「足」の意味だが、ここでは、「疏(ソ)」に通じ(同じ読みを持つ「疏」と同じ意味を持つようになって)、「離す」の意味)と「たきぎを束ねた」象形(「束ねる」の意味)から、「束ねたものを離す」を意味する「疎」という漢字が成り立ちました。「疏」は「疎」の旧字です、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1968.html

「疏」 漢字.gif

(「疏」 https://kakijun.jp/page/so12200.htmlより)

「疏」(漢音ソ、呉音ショ)

会意兼形声。「流(すらすらと流す)の略体+音符疋(ショ)」

とある(漢字源)。「疏」は「疎」と同義、別に、

会意。疋と、㐬(とつ 子どもが生まれる)とから成る。子どもが生まれることから、「とおる」意を表す、

とも(角川新字源)、

会意兼形声文字です。「人の胴体の象形と立ち止まる足の象形」(「足」の意味)と「子が羊水と共に急に生れ出る象形」(「流れる」の意味)から、足のように二すじに分かれて流れ通じる事を意味し、そこから、「通る」、「空間ができて距離が遠くなる」を意味する「疏」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1968.html

「相」 漢字.gif


「相」(漢音ショウ、呉音ソウ)は、

会意。「木+目」の会意文字で、木を対象において目でみること。AとBが向き合う関係を表す、

とある(漢字源)。別に、

会意。目と、木(き)とから成り、目で木を見る、ひいて「みる」意を表す。借りて、すがた、あいたがいの意に用いる、

ともある(角川新字源)。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2022年08月24日

通底する土俗


柳田國男「伝説・木思石語他(柳田國男全集7)」を読む。

伝説・木思石語.jpg


本書には、

伝説、
木思石語、
神を助けた話、

他が収められている。「木思石語」では、伝説の分類を試みている。伝説は、

ハナシではなく、その世に伝わっているのはコトである、

として、

土地に定着し地物と不可分に伝わっているもの、

を中心として、

木の伝説(腰掛松、矢立杉、杖銀杏、逆さ榎等々)、
石の伝説(腰掛石、休石、傾城石、比丘尼石等々)、
塚の伝説(黒塚、行人塚、将門塚、七人塚、赤子塚等々)、
水部伝説(池、淵、滝、温泉等々)、
道の神の威力伝説(坂、辻、橋、渡し場等々)、
森と野の一隅、古い屋敷跡伝説(長者の故跡等々)、
社寺、堂閣、旧家、名門の伝説、

と分類している。伝説は成長し、変化し続けている。ために、モチーフ・内容からでは、そこで語られる中身、ストーリーはどんどん変わっていくのである。その意味で、今日どう整理し直されているのかは分からないが、

「通例は地形・地物について語られる限りは、たいていその目的物が伝説の要旨を名に負うている。それが名木でありまた名石であるのみで、いまだ字(あざ)の名や村の名に応用せられない間は、多くは伝説そのものの忘却とともに、名称も消えてしまうものであるから、名がある以上はその陰につつましく隠れて、まだ伝説も活きているものとみてよいので、すなわち単なる木石の呼名を書き留めることが、やがてはまた伝説の採集ともなるわけである。」

という「対象物」に限定した柳田國男の意図ははっきりしている(木思石語)。

本書で、特に面白かったのは、

神を助けた話、

の、

赤子塚の話、

である。

母の幽霊に育てられた、

という(「子育て幽霊」http://ppnetwork.seesaa.net/article/483116941.htmlについては触れた)、

頭白(ずはく)上人、

の伝説から、

その上人の父の名、

筑波の東北佐谷村の源治、

から、

(佐夜中山)夜泣石、

との関連を見(「夜泣石」http://ppnetwork.seesaa.net/article/483101232.htmlについては触れた)、及び、幽霊が団子を買いに行く婆の小屋の、

後生車、

から、

賽の河原の石積み、

とのつながりを探り出し、さらに、

佐夜の中山の夜泣石、

は、実は、

夜啼きの松、

が枯れた後に流布した伝説であり、

夜啼松、

は、全国に分布し、

その一片に火を点して見せると子どもの夜啼きを止める、

とする、

夜啼松、

は、たとえば、

「大昔仁聞という高僧、行脚して夜この樹(夜泣松)の側を通る時、赤子を抱いて樹蔭に野宿している婦人を見た。その赤子大いに啼いて困り切っているので、すなわち松の樹に向かい経を読んで後、その落葉松毬を集めて火を燃やし、光を赤子に見せるとたちまち啼き止んだ。」

という「夜泣松」のエピソードは、

「通例ウブメの怪と称して、人の説く話とそっくりである。」

とし(「うぶめ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/432495092.htmlについては触れた)、この、

夜啼きの願掛け、

は、

「祈禱というよりもむしろ呪術である。ただある一定の地にある松の樹などに限って用いるゆえ、次第にその樹を拝し、またはむ樹下に祠を構えるようになった」

ものであり、その場所は、

佐夜の中山の峠道、

か、

里の境、

河の岸、

橋の袂、

と推測し、

道祖神の祭場、

につながると絞っていく。そして、

賽の河原、

が、

才の河原、
西の河原、
道祖河原、

等々と当てられ、仏教の地獄とは関係なく、

道祖神(サエノカミ)、

とつながり(「道祖神」については「さえの神」http://ppnetwork.seesaa.net/article/489642973.htmlで触れた)、それは、

地蔵、

とつながる(「地蔵」については「六道能化」http://ppnetwork.seesaa.net/article/485970447.htmlで触れた)。そして、かつての、

棄児(すてご)の儀式、

へと通じていく。それは、

健やかに育つまじないとして、

「大事な若君に棄という名を付けて、生先(おいさき)を祈った」

という例も古くからあり、

「現に江戸でも三代将軍家光生れて二歳の時、健やかに育つまじないとして、侍女これを抱いて辻に出て、通り掛かりの三人目に売った。山田長門守ちょうど三人目に来合わせ、これを買い受けた」

という話もある。その場所が、村の境、

道祖神の祭場、

だと推測していく。この推理の筋道は、壮観である。

「児捨馬場が児拾馬場であったごとく、また子売地蔵がやはり子買いであったごとく、死んだ児の行く処とのみ認められた賽河原が、子なき者子を求め、弱い子を丈夫な子と引き換え、あるいは世に出ようとしてなお彷徨う者に、安々と産声を揚げしめるために、数百千年間凡人の父母が、来ては祈った道祖神の祭場と、根元一つである」

とする推論が是か非かは分からないが、民間俗信に通底する深く、広い土俗が流れていることだけは良く見えてくる。

なお、柳田國男の『遠野物語・山の人生』http://ppnetwork.seesaa.net/article/488108139.html、『妖怪談義』http://ppnetwork.seesaa.net/article/488382412.html、柳田國男『海上の道』http://ppnetwork.seesaa.net/article/488194207.html、『一目小僧その他』http://ppnetwork.seesaa.net/article/488774326.html、『桃太郎の誕生』http://ppnetwork.seesaa.net/article/489581643.html、『不幸なる芸術・笑の本願』http://ppnetwork.seesaa.net/article/489906303.htmlについては別に触れた。

参考文献;
柳田國男「伝説・木思石語他(柳田國男全集7)」(ちくま文庫)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2022年08月25日

依怙


昨日の商ひに油二合五勺の依怙(えこ)あるによりて(宿直草)、

にある、

依怙、

は、

不正なもうけ、

の意とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。

「依怙」は、中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)に、

依、倚也、
怙、恃成、

とあり、

依(よりかかる、頼る)+怙(頼む)、

で(日本語源広辞典)、

哀しい哉、王土の民 瞻仰するも依怙するところ無し(魏・明帝・櫂歌行)、

と、

依りかかり、頼りにする

意であり(字通)、仏教で、

観世音の浄聖は、苦悩と死厄とに於て、能く為に依怙と作(な)らん(法華経普門品)、
厥友邪必其人邪也。厥友正必其人正。依怙心相移故(法華経譬喩品)、

と、

依りたのむこと、

の意で使い、中世頃から、転じて、

頼りとする者を支援する、

という意味でも使われ、

庁の下部(しもべ)の習ひ、かやうの事につゐてこそ、自らの依怙も候へ(平家物語)、
依怙なくすみやかに決断すれば、世間にほまれ有て、立身することあり(「集義和書(1676頃)」)、

と、

愛する方へのみ私すること、

つまり、

一方にかたよってひいきすること、

かたびいき、
えこひいき、
かたちはひ(カタは片、チハヒは力をふるって仕合せを与えること ひいきにすること)、

の意で使い、その実利が、私される意へと広がり、

たばかつてするはかりことは一旦のゑこにはなれども(天草本伊曾保物語)、

と、

私利、

あるいは、

わがまま、

の意で使う(広辞苑・精選版日本国語大辞典・大言海)。で、「贔屓(ひいき)」も、本来は、

巨靈贔屓(張衡・西京賦)、

と、

盛んに力を用いる貌、
大いに力を入れること、

の意であった(仝上・字源)が、

対象が限定されることによって、

自分の気に入った者に特に力添えすること、

の意に転じ、「依怙」「贔屓」がほぼ同じ意になり、

依怙贔屓、

と、重ねて用いる用法も生じたと思われる(仝上)、とある。

江戸時代初期から、

と思われる(語源由来辞典)。

なお、「依怙」は、

ただ儒者の依怙(イコ)甚しきを笑のみ(随筆「孔雀楼筆記(1768)」)、

と、

いこ、

とも訓ませ、

公平でないこと、

の意で使う(仝上)。

「依」 漢字.gif

(「依」 https://kakijun.jp/page/0805200.htmlより)


「衣」 甲骨文字・殷.png

(「衣」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%A1%A3より)

「依」(漢音イ、呉音エ)は、

会意兼形声。衣は、両脇と後ろの三方から首を隠す衿(エリ)を描いた象形文字。依は「人+音符衣(イ)」で、何かのかげをたよりにして、姿を隠す意を含む。のち、もっぱら頼りにする意に傾いた、

とある(漢字源)。別に、形声とする説もある(角川新字源)。他に、

会意。人と衣を組み合わせた(人に衣を添えた)形。衣には人の霊が取り憑くと考えられたので、霊を授かる・引き継ぐときに、霊が取り憑いている衣を人により添えて、霊を移す儀式をした。それで「よる、よりそう」の意味になる、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%BE%9D

会意兼形声文字です(人+衣)。「横から見た人」の象形と「衣服のえりもと」の象形から、人にまとわりつく衣服を意味し、そこから、「よる」、「もたれかかる」を意味する「依」という漢字が成り立ちました、

ともhttps://okjiten.jp/kanji1101.htmlある。

「怙」 漢字.gif


「怙」 説文解字・漢.png

(「怙」 説文解字・漢 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%80%99より)


「古」 甲骨文字・殷.png

(「古」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%8F%A4より)

「怙」(漢音コ、呉音ゴ)は、

会意兼形声。古は、固く枯れた骸骨を描いた象形文字。固い意を含む。怙は「心+音符古」で、心中に固いよりどころがあること、

とある(漢字源)。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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2022年08月26日

依怙地


「依怙地」は、

いこじ、

とも、

えこじ、

とも訓み、

意固地、

とも当て(広辞苑)、

そんなにたのんできたものを、かさねへといってはいこじのよふだ(洒落本「婦身嘘(1820)」)、

と、

意地を張ってつまらないことに頑固なこと、また、そういう性質、

をいい、

かたいじ(片意地)、

ともいう。「依怙地(いこじ)」は、

依怙地(えこじ)の音変化(江戸語大辞典・精選版日本国語大辞典)、
意気地(いきじ)」の変化(大辞林・日本国語大辞典・日本語源広辞典・江戸語大辞典)、
依怙意地の略、偏意地(カタイヂ)の意(大言海)、

と、

意気地→依怙地(いこじ)、
依怙地(えこじ)→依怙地(いこじ)、

二説があることになる。「意気地(いきじ)」は、

自分の意志や面目などをどこまでも守り通そうとする気持、
自分自身や他人に対する面目から、自分の意志をあくまで通そうとする気構え、

の意、つまり、

意地、

だが、この、

いきじ(意気地)、

が転訛して、

いくじ、

と訓み、

物事をなしとげようとする気力、態度、意地、
心の張り、

の意で使う。「意気」は、

一以意気許知己、死亡不相負(後漢書・江表傳)、

と、

こころもち、
意気込み、

の意であり、

吏士皆人色、而廣意気自如、益治軍事(史記・李将軍傳)、

と、

意気自如(=自若)、

とか、

擁大蓋、策駟馬、意気揚揚、甚自得也(史記・晏嬰傳)、

と、

意気揚々、

と使う(字源)。

意地を張る、

というように、我が国で、

我意を通そうとする、

意で使う、

意地、

は、漢語では、

意地有喜有憂(俱舎論頌釋)、

と、単なる、

こころ、

の意で、

地は心の在る場所、

の意味になる(仝上)。しかし、この「意気」「意地」を、

「意気」「意地」はともに自分の意志をどうしても通そうとする気持ち、「強情」という意味の漢語である。これを重ねた「意気意地」は、語中の「意」を落としてイキヂ(意気地)になった。「物事をやりとげようとする気の張り、気力」という意味である。さらに、キが母交(母音交替)[iu]をとげてイクジ(意気地)に転音した。「気力に掻けて苦に立たない人、ふがいない人」をイクヂナシ(意気地無し)という。「壹岐判官知康と申すイクヂナシ」(承久記)。さらに、クが母交をとげてイコヂ(依怙地)になった。「がんこに意地を張ること、堅(片)意地」の意である。土佐ではこの……イコヂショウ(依怙地性)がイゴッソウに転音している。(中略)イコヂ(依怙地)はエコヂ(依怙地)に転音して、「片意地、意地っぱり」をいう、

と、音韻変化から、

意気地、
依怙地、

の関係を見る説もある(日本語の語源)。しかし、「意気意地」を端緒とするのは如何であろうか。むしろ、

意気地、

は当て字で、「依怙」(えこ・いこ)の、

一方に偏って贔屓する、

という意味から、

かたくなな意地っ張り、

を、

依怙地、

といったのではあるまいか。その意味で、

依怙意地の略、偏意地(カタイヂ)の意(大言海)、

と見る説が妥当に思えてならない。

なお、「依怙」http://ppnetwork.seesaa.net/article/490986646.html?1661367536については触れた。また、「意地」http://ppnetwork.seesaa.net/article/388163489.htmlについても触れた。

「意」 漢字.gif

(「意」 https://kakijun.jp/page/1343200.htmlより)


「意」 金文・西周.png

(「意」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%84%8Fより)

「意」(イ)は、

会意。音とは、口の中に物を含むさま。意は「音(含む)+心」で、心中に考えめぐらし、おもいを胸中に含んで外へ出さないことを示す、

とある(漢字源)。別に、

会意。心と、音(おと、ことば)とから成り、ことばを耳にして、気持ちを心で察する意を表す。ひいて、知・情のもとになる意識の意に用いる、

とも(角川新字源)、

会意文字です(音+心)。「刃物と口の象形に線を一本加え、弦や管楽器の音を示す文字」(「音」の意味)と「心臓の象形」から言葉(音)で表せない「こころ・おもい」を意味する「意」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji435.html

「氣」 漢字.gif

(「氣」 https://kakijun.jp/page/ke10200.htmlより)

「気」http://ppnetwork.seesaa.net/article/412309183.htmlでも触れたが、「氣(気)」(漢音キ、呉音ケ)は、

会意兼形声。气(キ)は、息が屈折しながら出て来るさま。氣は「米+音符气」で、米をふかすとき出る蒸気のこと、

とあり(漢字源)、

食物・まぐさなどを他人に贈る意を表す。「餼(キ)」の原字。転じて、气の意に用いられる、

とある(角川新字源)。

「氣」は「气」の代用字、

とあるのはその意味であるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%B0%97。別に、

会意兼形声文字です(米+气)。「湧き上がる雲」の象形(「湧き上がる上昇気流」の意味)と「穀物の穂の枝の部分とその実」の象形(「米粒のように小さい物」の意味)から「蒸気・水蒸気」を意味する「気」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji98.html。「气」(漢音キ、呉音ケ)は、

象形。乙形に屈曲しつつ、いきや雲気の上ってくるさまを描いたもの。氣(米をふかして出る蒸気)や汽(ふかして出る蒸気)の原字。また語尾がつまれば乞(キツ のどを屈曲させて、切ない息を出す)ということばとなる、

とあり(漢字源)、

後世「氣」となったが、簡体字化の際に元に戻された。乞はその入声で、同字源だが一画少ない字、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%B0%94

「固」 漢字.gif

(「固」 https://kakijun.jp/page/0846200.htmlより)

「固」(漢音コ、呉音ク)は、「闘諍堅固」http://ppnetwork.seesaa.net/article/486212308.htmlで触れたように、

会意兼形声。古くは、かたくひからびた頭蓋骨を描いた象形文字。固は「囗(かこい)+音符古」で、周囲からかっちりと囲まれて動きの取れないこと、

とあり(漢字源)、似た説に、

会意形声。「囗(囲い)」+音符「古」、「古」は、頭蓋骨などで、古くてかちかちになったものの意。それを囲んで効果を確実にしたもの、

ともあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%9B%BAが、別に、

形声。囗(城壁)と、音符古(コ)とから成る。城をかたく守る、ひいて「かたい」意を表す、

とか(角川新字源)、

(囗+古)。「周辺を取り巻く線(城壁)」の象形と「固いかぶと」の象形(「かたい」の意味)から城壁の固い守り、すなわち、「かたい」を意味する「固」という漢字が成り立ちました、

ともありhttps://okjiten.jp/kanji598.html、説がわかれている。

「地」 漢字.gif

(「地」 https://kakijun.jp/page/0658200.htmlより)

「地」 金文・西周.png

(「地」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%9C%B0より)


「也」 金文・春秋時代.png

(「也」 金文・春秋時代 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B9%9Fより)

「地」(漢音チ、呉音ジ)は、

会意兼形声。也(ヤ)は、うすいからだののびた蠍を描いた象形文字。地は「土+音符也」で、平らに伸びた土地を示す、

とある(漢字源)。別に、

会意兼形声文字です(土+也)。「土の神を祭る為に柱状に固めた土」の象形(「土」の意味)と「蛇」の象形(「うねうねしたさま」を表す)から、「うねうねと連なる土地」を意味する「地」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji81.html

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2022年08月27日

方人


関の東に幽霊の方人(かたうど)して命を失う者あり(宿直草)、

にある、

方人して、

は、

味方して、

の意とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。

「かたうど」は、

かたひとの転(岩波古語辞典)、
かたびとの音便(広辞苑)、
かたひとの音便(大言海)、
かたひとのウ音便(学研全訳古語辞典)、

などとある。

なぞなぞ合せしける、かたうどにはあらで、さやうのことにりやうりやうじ(らうらうじ 巧みである)かりけるが(枕草子)、

と、

左右に分かれてする競技で、一方の組に属する人、

の意で、

歌読、是則・貫之、かたひと、兼覧(かねみ)の大君・きよみちの朝臣(二十巻本「延喜十三年亭子院歌合(913)」)、

と、

歌合わせでは、初め一方の組の応援者をさしたが、のちにはそれぞれの組の歌人をさすようになった、

とある(学研全訳古語辞典)。その意から転じて、

あはや、此国にも平家のかたうどする人ありけりと、力付きぬ(平家物語)、

と、

ひいきすること、
味方をすること、

の意でも使う(精選版日本国語大辞典・広辞苑)。「歌合」は、

当座歌合、
兼日歌合、
撰歌合、
時代不同歌合、
自歌合、
擬人歌合、

等々種々あるらしいが、その構成は、人的構成にのみ限っていうと、王朝晴儀の典型的な歌合にあっては、

方人(かたうど 左右の競技者)、
念人(おもいびと 左右の応援者)、
方人の頭(とう 左右の指導者)、
読師(とくし 左右に属し、各番の歌を順次講師に渡す者)、
講師(こうじ 左右に属し、各番の歌を朗読する者)、
員刺(かずさし 左右に属し、勝点を数える少年)、
歌人(うたよみ 和歌の作者)、
判者(はんじや 左右の歌の優劣を判定する者。当代歌壇の権威者または地位の高い者が任じる)、

などのほか、

主催者、
和歌の清書人、
歌題の撰者、

などが含まれる(世界大百科事典)、とある。

なお、「方人(ホウジン)」は、

子貢方人(ヒトヲクラブ)、子曰、賜也賢乎哉、夫我則不暇(論語)、

と、漢語である(字源)。

人と己を引き比べる、

意とある(仝上)。

人を方(ただ)す(貝塚茂樹)、
人を方(たくら)ぶhttps://kanbun.info/keibu/rongo1431.html

等々の訓があるが、

人を比較し、論評する、

意である(貝塚茂樹訳注『論語』)。

「方」 漢字.gif

(「方」 https://kakijun.jp/page/0458200.htmlより)


「方」 甲骨文字・殷.png

(「方」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%96%B9より)

「方」(ホウ)は、

象形、左右に柄の張り出た鋤を描いたもので、⇆のように左右に直線状に伸びる意を含み、東←→西、南←→北のような方向の意となる。また、方向や筋道のことから、方法の意が生じた、

とある(漢字源)が、中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)は、

舟をつなぐ様、

とし、

死体をつるした様、

とする説(白川静)もあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%96%B9。ために、

角川新字源
象形。二艘(そう)の舟の舳先(へさき 舟の先の部分)をつないだ形にかたどる。借りて、「ならべる」「かた」「くらべる」などの意に用いる、

とも(角川新字源)、

象形文字です。「両方に突き出た柄のある農具:すきの象形」で人と並んで耕す事から「ならぶ」、「かたわら」を意味する「方」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji379.html

「人」 金文・殷.png

(「人」 金文・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%BA%BAより)

「人」(漢音ジン、呉音ニン)は、

象形。ひとの立った姿を描いたもので、もと身近な同族や隣人仲間を意味した、

とある(漢字源)。別に、

象形。人が立って身体を屈伸させるさまを横から見た形にかたどり、「ひと」の意を表す、

とも(角川新字源)、

象形文字です。「横から見たひと」の象形から「ひと」を意味する「人」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji16.html

参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
貝塚茂樹訳注『論語』(中公文庫)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2022年08月28日

なづさふ


一入(ひとしお)惜しみ可愛(かわゆ)くさふらへ、其れ様もなづさふ者なれば、不憫に思し候はんか(宿直草)、

にある、

なづさふ者、

は、

馴れ親しんだ者、

の意とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。

なづさふ、

は、現代表記では、

なずさう、

となるが、

三重の子が 挙(ささ)がせる美豆多麻宇岐(瑞玉盞 ミヅタマウキ)に浮きし脂落ちなづさひ(古事記)、
鵜飼が伴は行く川の清き瀬ごとに篝(かがり)さしなづさひのぼる(万葉集)、

などと、

水に浸り、もまれる
水に浮かびただよう、

意と、

懐む、

と当てたりして(大言海)、

常にまゐらまはしう、なづさひ見奉らばやとおぼえ給ふ(源氏物語)、
幣にならましものをすべ神の御手に取られて奈津佐波(ナツサハ)ましを奈津佐波(ナヅサハ)ましを(「神楽歌(9C後)」)、

などと、

(水にひたるように)相手に馴れまつわる、
なつく、
なじむ、

意とがある(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典・広辞苑)。

両者の由来を異なるとする説があり、前者を、

なづむ(泥む)と同根(岩波古語辞典)、
渋滞(なづ)むに通ずと云ふ(大言海)、
ナヅミサハフ(難狭匍匐)の略(雅言考)、

とし、後者を、

懐(なづ)き副(そ)ふの意(大言海)、
ナツキス(懐為)の義(名言通)、
なつそひ(狎着添)の義(言元梯)、

等々とするが、無理筋の気がする。

なづさふの延、

とされ、

狎れる、
馴染む、

意の、

幣帛(みてぐら)にならましものを皇神(スメカミ)の御手に取られてなづさはるべく(神楽歌)、

と、

なづさはる、

がある(大言海)。「なづさふ(なずさう)」は、

「なずさわる」「なずむ」同根。万葉集においては、船や水鳥が浮いている意として用いられており、本来は歌語であったらしい。平安朝以降慣れ親しむの意に用いられた用例が多いが、水にひたるように相手に慣れまつわるところから生じたものか、

とする(日本語源大辞典)、

水にひたる→メタファとして→水にひたるように相手に慣れまつわる、

と転化したものと見ていいようだ。字鏡(平安後期頃)に、

蹈、踐也、布彌(フミ)奈豆佐不、

とあるのは、その転化の過程のように見える。

なお、「なずむ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/428971428.htmlについては触れた。

「泥」 漢字.gif


「泥」(漢音デイ、呉音ナイ)は、「なずむ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/428971428.htmlでも触れたが、

会意兼形声。尼(ニ)は、「尸(ひとのからだ)+比(ならぶ)の略体」で、人と人とが身体をよせてくっついたさまを示す会意文字(この含意は「昵懇」の昵に残る)。泥は「水+音符尼」で、ねちねちとくっつくどろ、

とある(漢字源)。ねちねちとくっついて動きが取れない、という意味を含み、「拘泥」という用例につながる(仝上)。別に、

会意兼形声文字です(氵(水)+尼)。「流れる水」の象形と「人の象形と人の象形」(「人と人とが近づき親しむ」の意味)から、「ねばりつくどろ」を意味する「泥」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1992.html

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

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ラベル:なづさふ
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2022年08月29日

白馬(あをうま)の節


睦月(むつき)に若ゆく寿きて、白馬(あをうま)の節(せち)の明けの日、子どもどち呼びて(宿直草)、

にある、

白馬の節の明けの日、

は、

正月八日、

とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。

「白馬の節」は、

白馬の節会、
白馬の宴、

といい、

あおうま、
あおばのせちえ、

ともいう(精選版日本国語大辞典)。

正月七日、左右馬寮(めりょう)から白馬(あおうま)を庭に引き出して、天皇が紫宸(ししん)殿で御覧になり、その後で群臣に宴を賜わった。この日、青馬を見れば年中の邪気を除くという中国の故事によったもので、葦毛の馬あるいは灰色系統の馬を引いたと思われる。文字は「白馬」と書くが習慣により「あおうま」という、

とある(仝上)。まず、

青馬御覧の儀式、

があり、

馬寮(めりょう)の御覧より馬の毛付(けづき)を奏聞し(あをうまの奏)、

ついで、

左右の馬寮(めりょう)の官人、あをうまの陣(春華門(しゅんかもん)内)に並び、

順次、

七匹ずつ、三度、

牽きわたす、それを、主上、

正殿に出御ありて、御覧ぜられる、

といい、

春の陽気を助くるなり、

とされる。その後、

節会、

となる、という次第のようである(大言海)。はじめは、

豊楽院(ぶらくゐん)で、後に紫宸殿で行われるようになった、

という(岩波古語辞典)。「青馬」の「青毛」とは、

黒色の、潤沢にして、青み立ちて見ゆるもの、古へに云ひし、黒緑なり、

とあり(大言海)、

あをうま、
あを、

という(仝上)とある。ただ、

古代において、アヲは、黒と白との中間的範囲の広い色名で、灰色もその範囲に含めていた、

とある(日本語源大辞典)。「あを」http://ppnetwork.seesaa.net/article/429309638.htmlで触れたように、

一説に、古代日本では、固有の色名としては、アカ、クロ、シロ、アオがあるのみで、それは、明・暗・顕・漠を原義とする、

といい(広辞苑)、本来「あを」は、

灰色がかった白色を言うらしい

とある(仝上)。そのため、「青」の範囲は広く、

晴れ渡った空のような色、
緑色、

などともある。語源を見ると、

アオカ(明らか)、

される。その意味で、「あを」が、

黒と白との中間的範囲の広い色名、

なのであり、

あを→しろ、

というの変化は、色感覚としては、そんなに変わりなかったのかもしれない。

ところで、ここでの「馬」は、

陽獣にして、青は、青陽の春の色なりと云ふに起これる事なるべし、

とある(大言海)。和訓栞には、

禮記に、春を東郊に迎へて、青馬七尺を用ふと見えたり、

とある。

「白馬の節会」は、

弘仁二年(811)嵯峨天皇の時から儀式として整うようになった、

とされ(仝上)、

初めに御弓奏(みたらしのそう)、
白馬奏(あおうまのそう)、

があり、のちに諸臣に宴が設けられた(日本大百科全書)。この行事は、

平安末ごろから衰え、応仁の乱(1467~1477)で中絶、1492年(明応1)に再興して、明治初年まで行われた、

という(仝上)。当初は、馬の数は、

21頭、

とされたが、衰亡に伴って減っていった(岩波古語辞典)とあり、この儀式よりも、

五節句の一つ、

七種粥を祝う正月7日の節句である、

七草の節句、

が盛んになった、ともある(仝上)。

もとは、

青馬、

と書いていたが、村上天皇(在位946~967)のとき、

白馬、

と書き改めたが、訓みは、

あおうま、

のままという(仝上)。白馬節会が始まった当初は、中国の故事に従い、

ほかの馬よりも青み(鴨の羽の色)をおびた黒馬(「アオ」と呼ばれる)、

が行事で使用されていたが、醍醐天皇の頃になると、

白馬または葦毛の馬、

が行事に使用されるようになったが、読み方のみそのまま受け継がれたため、

白馬(あおうま)、

となったとされるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E9%A6%AC%E7%AF%80%E4%BC%9A。しかし、これは、馬の色がとくに変わったというより、行事の日本化のため、上代の色彩感が平安時代になると、白を重んじる結果である(日本大百科全書)、とある。

「青馬」から「白馬」へと文字表記が変わったことについて、本居宣長は『玉勝間(1795~1812)』は、

貞観儀式には、青岐(あをき)馬とさへあり、初は、青馬を牽かせられたるに、後に白毛の馬となり、文には白馬(はくば)と書きながら、語には、なほ、古へのままあをうまと訓めりしなり、

と、馬が「青馬」から「白馬」にかわったから、と主張しているが、江次第鈔(室町時代)には、

七日節会……今貢葦毛馬也、

とあり、同時期の康冨記(外記局官人・中原康富の日記)にも、

貢葦毛、

とあり、やはり、「白馬」ではなく

葦毛、

とある。「葦毛」とは、

葦の芽生えの時の青白の色に基づいていう、

もので、

白い毛に黒色・濃褐色などの差し毛のあるもの、

をさし、

栗毛、青毛、鹿毛、の原毛色に後天的に白色毛が発生してくるもの。馬の年齢が進むに従い、色を変えていくので、広く、白毛に黒毛または他の色の差毛(さしげ)のあるもの、

で、

白葦毛、
黒葦毛、
赤葦毛、
山鳥葦毛、
連銭葦毛、
腹葦毛、

等々の種類がある(広辞苑・日本国語大辞典)。つまり、

馬の毛色自体の変化というよりも、灰色系統の色目範囲が青から白に移行したこと、

であり、背景には、

白馬の神聖視、

があるとみられ、

意識的に(「あをうま」に)「白馬」の文字表記を選択した、

とみられる(日本語源大辞典)、とするのが妥当のようである。

「白」 漢字.gif

(「白」 https://kakijun.jp/page/0595200.htmlより)

「白」(漢音ハク、呉音ビャク)は、「白毫」http://ppnetwork.seesaa.net/article/490150400.htmlで触れたように、

象形。どんぐり状の実を描いたもので、下の部分は実の台座。上半は、その実。柏科の木の実のしろい中身を示す。柏(ハク このてがしわ)の原字、

とある(漢字源)が、

象形。白骨化した頭骨の形にかたどる。もと、されこうべの意を表した。転じて「しろい」、借りて、あきらか、「もうす」意に用いる、

ともあり(角川新字源)、象形説でも、

親指の爪。親指の形象(加藤道理)、
柏類の樹木のどんぐり状の木の実の形で、白の顔料をとるのに用いた(藤堂明保)、
頭蓋骨の象形(白川静)、

とわかれ、さらに、

陰を表わす「入」と陽を表わす「二」の組み合わせ、

とする会意説もあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%99%BD。で、

象形文字です。「頭の白い骨とも、日光とも、どんぐりの実」とも言われる象形から、「しろい」を意味する「白」という漢字が成り立ちました。どんぐりの色は「茶色」になる前は「白っぽい色」をしてます、

と並べるものもあるhttps://okjiten.jp/kanji140.html

「青」 漢字.gif


「靑(青)」(漢音セイ、呉音ショウ)は、「青鳥」http://ppnetwork.seesaa.net/article/486120021.htmlで触れたように、

会意。「生(あおい草の芽生え)+丼(井戸の中に清水のたまったさま)」で、生(セイ)・丼(セイ)のどちらかを音符と考えてよい。あお草や清水のような澄み切ったあお色、

とある(漢字源)が、

会意形声。丹(井の中からとる染料)と、生(セイ は変わった形。草が生えるさま)とから成り、草色をした染料、「あお」「あおい」意を表す、

とも(角川新字源)、

会意。「生」と「丹」を合わせた字形に由来する、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%9D%91

会意兼形声文字です。「草・木が地上に生じてきた」象形(「青い草が生える」の意味)と「井げた中の染料(着色料)」の象形(「井げたの中の染料」の意味)から、青い草色の染料を意味し、そこから、「あおい」を意味する「青」という漢字が成り立ちました、

ともhttps://okjiten.jp/kanji137.htmlあり、「生」と「丹」とする説が大勢のようだ。

「馬」 漢字.gif

(「馬」 https://kakijun.jp/page/uma200.htmlより)


「馬」 甲骨文字・殷.png

(「馬」 甲骨文字・殷 https://kakijun.jp/page/uma200.htmlより)

「馬」(漢音バ、呉音メ、唐音マ)は、

象形文字。「うま」をえがいたもの、

である(漢字源)。

古代中国で馬の最もたいせつな用途は戦車を弾くことであった。むこうみずに突き進むことの意を含む、

とある(仝上)。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2022年08月30日

保呂乱す


誉れ世に高きも夫婦の中の善し悪しにあり。ああ保呂乱すべからず(宿直草)、

にある、

保呂乱す、

は、

取り乱す、

意とあり(高田衛編・校注『江戸怪談集』)、

鷹が両翼の下の羽毛である保呂羽を乱す意から、

ともある(仝上)。「保呂」は、

保呂羽(ば)の略、

で、

鷹(たか)や鷲(わし)の翼の下にある羽、矢羽として珍重された、

とある(広辞苑)。「保呂羽」は、

含(ほほ)みたる羽の意、

とある(大言海)。「ほほむ」は、

ふふ(含)む、

に同じで、

ふくらむ、

意である(広辞苑)。類聚名義抄(11~12世紀)に、

含、フクム・ククム・フフム、

とあり、

鳥の両翼の下にある羽、隙を補ふものの如し、

という(大言海)。和名類聚抄(平安中期)に、

倍羅麽(麼)、鳥乃和岐乃之多乃介乎、為倍羅麽也、……今俗謂保呂羽、訛也、

とある。

葛飾北斎『肉筆画帖 鷹』.jpg

(「鷹」(葛飾北斎『肉筆画帖』 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B7%B9より)

保呂乱す、

は、もと鷹匠用語で、

鷹が保呂羽を乱す、

意とあり、

前後を忘じ母衣を乱して咎を酒に塗るたぐひ(文化七年(1810)「当世七癖上戸」)、

と、

取り乱した言動をなす、

意や、

信玄の母衣を勝頼みだす也(文化五年(1808)「柳多留」)、

と、

身代をなくす、

意で使ったりする(江戸語大辞典)。この「保呂」の他に、

母衣、
保侶、
幌、
縨、

等々と当てて、

矢を防ぐために鎧(よろい)の背にかける、袋状の布製防具、

をも言う(日本国語大辞典)。

甲冑の背につけた幅の広い布で、風にはためかせたり、風をはらませるようにして、矢などを防ぐ具とした。五幅(いつの 約1.5メートル)ないし三幅(みの 約0.9メートル)程度の細長い布である、

とある(日本大百科全書)。

母衣の付け方.jpg

(母衣の付け方 武家戦陣資料事典より)

本来は、

雨湿を避けたり、防寒のために用いた、

とある(武家戦陣資料事典)が、後世、平和な江戸時代になると、

保呂は胎内の子のつつまれし胞衣(えな)なり、

などという俗説が生まれ、広く信じられたらしい。しかし、

(母衣の)母の字に付きて後に作為したる僞説、

である。どうやら、南北朝時代には、

錦や金銀襴の厚地のものもあって、一種のマント代わりと軍容を増すためのもの、

であり、

騎走したとき靡くのが格好良いのであり、また裾の方を腰に結びつけると風をはらんで丸くなり、美観と勇壮に見えるので主将とか、いわゆる洒落た武士が用いるところであった、

が、徒歩の場合や、風のないときはふくらまないので、室町時代から、

保呂串で球状につくりそれに母衣をまぶせて、いつもふくらんでいるように見せた、

とあり(仝上)、

竹籠(たけかご)を母衣串(ほろぐし)につけてこれを包み、背後の受け筒に挿した、

のである。室町時代末期からは、

指物としての母衣となり、主将、物頭、使番、剛勇で特に許されたものの用いるものとなった(仝上)。

で、「母衣」も、

保呂衣(ほろぎぬ)、
懸保呂(かけぼろ)、
保呂指物(ほろさしもの)、
矢保呂、

等々と区別して呼ばれたりするようになる(世界大百科事典)。

熊谷直実。その背中に大きな赤い母衣を負う.jpg

(平敦盛を呼び止める、大きな赤い母衣を負う熊谷直実(一の谷合戦図屏風) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%8D%E8%A1%A3より)

たとえば、使番の集団を、

母衣衆、

というのは、織田信長が創めたものだが、豊臣秀吉の黄母衣衆、赤母衣衆、腰母衣衆、大母衣衆も、

着用が許される名誉の軍装、

である。考えてみれば、矢はともかく鉄炮の時代、防具として役立ちそうもないものだから、

一種美装と誉れ、

の証しだったのではないか。

母衣の図。『和漢三才図会』より。.jpg

(母衣の図(和漢三才図会) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%8D%E8%A1%A3より)

この「ほろ」の語源は、「保呂」の、

含(ほほ)みたる羽の意、

と同じく、

ほ(含)ろの義(日本語源=賀茂百樹)、

でいいのではあるまいか、

ヤホロの轉、ヤホロは矢ふくろの意(塩尻)、

は、戦国期に、

背に負うた矢を包む母衣状の矢母衣(やぼろ)、

を使うようになってからのことで、先後逆で、由来とは考えにくい。

フクロの略転(燕石雑記・和訓栞)、

は、母衣を串や籠で象るようになって以降の話であるし、

胎児を守るホロ(胞衣)の意を、敵の矢から守る物に転用した(壒嚢抄)、

に至っては俗説に過ぎない。

なお、「保呂」とよばれるものに、

一番の母衣なんぞは顔ほどもあったよ、母衣とは丸髷へ入れる形(かた)さ(文化十四年(1817)「四十八癖」)、

と、

女髪の丸髷を結うとき、髷を大きくするために入れる張り子の型、最も大形なるを一番という、

とある(江戸語大辞典)。「母衣」を籠などで象ってふくらませたのに準えた、と思われる。

参考文献;
笹間良彦『武家戦陣資料事典』(第一書房)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)

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2022年08月31日

繋念無量劫


正直に思ひ入る一念さりとは恐し。繋念無量劫(けねんむりょうこう)、いかがや贖(あがな)わん(宿直草)、

にある、

繋念無量劫、

は、

仏語、一つの事に執着した一念は、限りない罪業に等しい、

の意(高田衛編・校注『江戸怪談集』)とある。

一念無量劫(いちねんむりょうごう)、

とも、

一念五百生(いちねんごひゃくしょう)、

ともいい、

一念五百生繋念無量劫(いちねんごひゃくしょうけねんむりょうごう)、

ともつづけ、

もし妄想に強くとらわれるときは、はかり知れない長い時間にわたってその罪を受ける、
ただ一度妄念(もうねん)を起こしても量り知れない長期にわたってその報いを受ける、

という意で(精選版日本国語大辞典)、

一ねんむりゃうがうと成る事、今にはじめざる事にて候へば(「曾我物語(南北朝)」)、

と、

男女の愛情についていうことが多い、

とある(仝上)。「無量」は、

はかりしれなく大きいこと、
限りもなく多いこと、
莫大であること、

の意で、

無量劫、

で、

ひじょうに長い時間、限りのない時間、

つまりは、

永劫、

の意で、「無量光」というと、

阿弥陀仏の光明が与えるめぐみの、過去・現在・未来にわたって限りがないこと、

をたたえた言い方になる。

「劫」http://ppnetwork.seesaa.net/article/485308852.htmlで触れたように、「劫」は、慣用的に、

ゴウ、

とも訓むが、

コウ(コフ)、

が正しい(呉音)。

劫波(こうは)、
劫簸(こうは)、

ともいう(広辞苑)。「劫」は、

サンスクリット語のカルパ(kalpa)、

に、

劫波(劫簸)、

と、音写した(漢字源)ため、仏教用語として、

一世の称、
また、
極めて長い時間、

を意味し(仝上)、

刹那の反対、

だが、単に、

時間、
または、
世、

の義でも使う(字源)。インドでは、

梵天の一日、
人間の四億三千二百万年、

を、

一劫(いちごう)、

という。ために、仏教では、その長さの喩えとして、

四十四里四方の大石が三年に一度布で拭かれ、摩滅してしまうまで、
方四十里の城にケシを満たして、百年に一度、一粒ずつとり去りケシはなくなっても終わらない長い時間、

などともいわれる(仝上・精選版日本国語大辞典)。

「繋念」は、

懸念、
係念、
掛念、

とも当て(精選版日本国語大辞典)、

ケンネンの最初のンを表記しない形、

とある(広辞苑)。平安末期『色葉字類抄』に、

係念、ケネム、

とあり、仏語で、

一つのことにだけ心を集中させて、他のことを考えないこと、
一つのことに心をかけること、

の意で、転じて、

無心無事なるは、真身のあらはるる姿を、繋念の情生ずるは、本心を忘るる時也(「梵舜本沙石集(1283)」)、

と、やはり仏語で、

あることにとらわれて執着すること、

つまり、

執念、

の意でも使う。それが転じて、日葡辞書(1603~04)では、

気にかかって不安に思うこと、また、そのさま、
気がかり、
心配、

の意になり、


俺(わが)うへには眷念(ケネン)せで、とくとく帰路に赴き給へ(読本「近世説美少年録(1829~32)」)、

と使い、

拙者が懸念(ケネン)には、若君を鎌倉近処には隠し置きますまい(歌舞伎「男伊達初買曾我(1753)」)、

と、

気をまわして考えること、
推察すること、

の意でも使ったりする(精選版日本国語大辞典)。

「懸念」は、訛って、

けんね、

とも言い、更に訛って、

けんにょ、

ともいう(広辞苑)が、

懸念もない(けんにょもない)、

は、

この男けんによもなき顔して我が名は与太夫とは言はず(「懐硯(西鶴 1687)」)、

と、

思いもよらない、
意外である、

の意や、

はつたとにらむ顔附はけんによもなげにしらじらし(浄瑠璃「曾根崎」)、

と、

知らぬふりをする、
平然としている、

意で使う(精選版日本国語大辞典)。

「懸」 漢字.gif

(「懸」 https://kakijun.jp/page/2002200.htmlより)

「懸」(漢音ケン、慣用ケ、呉音ゲ)は、

会意兼形声。県は、首という字の逆形で、首を切って宙づりにぶらさげたさま。縣(けん)は「県+糸(ひも)」の会意文字で、ぶらさげる意を含み、中央政庁にぶらさがるひもつきの地方区のこと。懸は「心+音符縣」で、心が宙づりになって決まらず、気がかりなこと。また、縣(宙づり)の原義をあらわすことも多い、

とある(漢字源)。別に、

会意兼形声文字です(縣+心)。「大地を覆う木の象形と糸の象形と目の象形」(木から髪または、ひもで首をさかさまにかけたさまから、「かける」の意味)と「心臓」の象形から、「心にかける」、「つり下げる」を意味する「懸」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1856.html

「繋」  漢字.gif


「繋(繫)」(漢音ケイ、呉音ケ・ゲ)は、

形声、𣪠(毄)が音を表す、

とあり(漢字源)、

「糸」+音符「𣪠(毄 ケキ→ケイ」の形声。「系」「係」「継」と同系、

とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%B9%8B・角川新字源)。別に、

会意兼形声文字です。「車の象形と手に木のつえを持つ象形」(「車がぶつかりあう」の意味)と「より糸」の象形(「糸」の意味)から「つなぐ」、「つながる」を意味する「繋」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji2657.html

「掛」 漢字.gif

(「掛」 https://kakijun.jp/page/1195200.htmlより)

「掛」(慣用カ、漢音カイ、呉音ケ)は、

会意兼形声。圭(けい)は、△型に高く土を盛るさま。転じて、∧型に高くかけること。卦(カ)は、卜(うらない)のしるしをかけること。掛は「手+音符卦」で、∧型にぶらさげておくこと、

とある(漢字源)が、別に、

形声。手と、音符卦(クワ→クワイ)とから成る。手で物をひっかける意を表す。もと、挂(クワイ)の俗字、

とも(角川新字源)、

形声文字です(扌(手)+卦)。「5本の指のある手」の象形と「縦横の線を重ね幾何学的な製図の象形と占いの為に亀の甲羅や牛の骨を焼いて得られた割れ目の象形」(「占いの時に現れる割れ目の形」の意味だが、ここでは、「系」に通じ(「系」と同じ意味を持つようになって)、「かける」の意味)から、「手で物をひっかける」を意味する「掛」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1604.html

「係」 漢字.gif

(「係」 https://kakijun.jp/page/0904200.htmlより)

「係」(漢音ケイ、呉音ケ)は、

会意兼形声。系は、ずるずる引くさまと、糸の会意文字。係は「人+音符系」で、ひもでつなぐこと、系の後出の字、

とある(漢字源)。

「系」は「糸(紐など)」でつないでずるずると引く様https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%BF%82
人と、系(ケイ つなぐ)とから成り、人の「つながり」の意を表す。「系」の後にできた字(角川新字源)、

ともあり、

会意兼形声文字です(人+系)。「横から見た人の象形」と「つながる糸を手でかける象形」(「つながり」の意味)から「人と人とをつなぐ・つながり」を意味する「係」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji394.html

「念」 漢字.gif


「念」 甲骨文字・殷.png

(「念」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%BF%B5より)

「念」(漢音デン、呉音ネン)は、

会意兼形声。今は「ふさぐしるし+-印」からなり、中に入れて含むことをあらわす会意文字。念は「心+音符今」で、心中深く含んで考えること。また吟(ギン 口を動かさず含み声でうなる)とも近く、経をよむように、口を大きく開かず、うなるように含み声でよむこと、

とある(漢字源)。別に、

形声。心と、音符今(キム、コム)→(デム、ネム)から成る。心にかたくとめておく意を表す、

とも(角川新字源)、

会意文字です(今+心)。「ある物をすっぽり覆い含む」事を示す文字(「ふくむ」の意味)と「心臓」の象形から、心の中にふくむ事を意味し、そこから、「いつもおもう」を意味する「念」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji664.html

参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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