一日(ひくらし)此の寺に参りしに、人目の関の閑有りて、仏前の錢二十文盗みしかば(宿直草)、
にある
一日(ひくらし)、
は、普通、
日暮、
と当て、
ひぐらし、
と訓むが、古くは、
ひくらし、
と清音で(広辞苑)、
つれづれなるままに、日くらし、硯にむかひて、こころにうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば(徒然草)、
と、
朝から夕暮れまでの一日中、
の意である(岩波古語辞典)。
ひねもす、
終日、
日がな、
と同義である。「ひねもす」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/445249637.html)、「日がな」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/438065587.html)については触れた。
また、その意味をメタファに、
その日暮らし、
の意でも使い、日光東照宮の陽明門の異称を、
日の暮れるのも気づかずに見とれてしまうほどの美しい門、
の意で、
日暮の門(ひぐらしのもん)、
といったりする(仝上)。近世初期の上方で、元祿~享保年間(1688~1736)に盛行した、
鉦(かね)を首にかけ、念仏踊、浄瑠璃、説経などの詞章を節を付けて歌い歩いた門付け芸人、
を、
日暮の歌念仏(ひぐらしのうたねんぶつ)、
というのは、「日暮」を、姓のように称し、歌念仏の、
日暮林清、
説経浄瑠璃の、
日暮小太夫などが知られていたから(精選版日本国語大辞典)とある。
(歌念仏 精選版日本国語大辞典より)
「日暮」に、
蜩、
茅蜩、
と当てると、早朝・夕方および曇天時に「カナカナ」と高い金属音をたてて鳴く、蝉の、
ヒグラシ、
である。和名類聚抄(平安中期)に、
茅蜩、比久良之、
とあり、箋注和名抄(江戸後期)には、
此蟲将暮乃鳴、故有是名、今俗、或呼加奈加奈、
とあるが、
今こんといひて別れしあしたより思ひくらしの音をのみぞなく(古今集)、
と、
日暮らし、
と掛けて使うこともある(日本語源大辞典)。
なお「日暮」を、
ひぐれ(「ひくれ」とも)、
にちぼ、
じつぼ、
などと訓み、
夕暮れ、
の意で使う。
「日」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/463232976.html)で触れたように、「日」(呉音ニチ、漢音ヅツ)の字は、
太陽の姿を描いた象形文字、
である(漢字源)。
「暮」(漢音ボ、呉音モ・ム)は、
会意兼形声。莫(マク・バク)は、「艸+日+艸」の会意文字で、草原の草むらに太陽が没するさま、莫が「ない」「見えない」との意の否定詞に専用されるようになったので、日印を加えた暮の字で、莫の原義をあらわすようになった、
とある(漢字源)。「暮」の対は、「初」「朝」「旦」、「暮」の類義語は「夕」「晩」。我が国で、
その日暮らし、
とか、
思案に暮れる、
という使い方をするが、「暮」の原義にはない。別に、
会意兼形声文字です(莫+日)。「草むらの象形と太陽の象形」(太陽が草原に沈むさまから「日暮れ」の意味)と「太陽」の象形から、「日暮れ」を意味する「暮」という漢字が成り立ちました(「莫」が原字でしたが、禁止の助詞として使われるようになった為、「日」を付し、区別しました。)、
ともある(https://okjiten.jp/kanji1065.html)。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95