2022年08月06日

一殺多生


さりながら興隆仏法のため、一殺多生の善とはこれらをや申すべき。退治し給へ申さん(宿直草)、

とある、

一殺多生、

は、

仏教で一人を殺すことによって多くの人を助けること、

と注記がある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。

「一殺多生」は、

いっせつたしょう、

あるいは、

いっさつたしょう、

と訓ませる(日本国語大辞典)。元は大乗仏教経典の一つ、

瑜伽師地論、

の漢訳文に記された四字熟語であった。

瑜伽師地論(ゆがしじろん)、

は、

ヨーガ行者の階梯についての論、

の意で、

唐・玄奘漢訳(全100巻)、

は、

瑜伽行(ゆがぎょう)派(唯識(ゆいしき)学派)の主要文献の一つ、

とされ、

瑜伽行者の境(きょう)・行(ぎょう)・果(か)を17地に分けて説明する本地分(ほんじぶん 漢訳1~50巻)、
その要義を解明する摂決択分(しょうけっちゃくぶん 同51~80巻)、

など五部に分かれ、阿頼耶識(あらやしき)、三性説(さんしょうせつ)、その他あらゆる問題を詳細に論究している、

いわば、

大乗仏教の百科全書、

とされる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%91%9C%E4%BC%BD%E5%B8%AB%E5%9C%B0%E8%AB%96・日本大百科全書)。

謡曲『鵜飼(うかい)』に、

ある夜忍び上って鵜を使ふ。狙ふ人々ばっと寄り、一殺多生の理にまかせ、かれを殺せと言ひあへり、

とあるのは、

一人を殺して多くの鮎を助くる意、

とある(大言海)。本来、仏教において殺生(せっしょう)は罪悪であるが、出典では、

菩薩が大盗賊を殺す事例、

をあげて功徳を説いている(新明解四字熟語辞典)。しかし、日本では戦前の右翼団体「血盟団」の指導者である井上日召が、

一人一殺、

を説き、「一殺多生の大慈大慈の心に通ずる」と、テロ正当化に使ったために、ひどくイメージが悪い。

危険思想につながりかねないので現代では疑問視される、

とある(世界宗教用語大事典)。

「一」 漢字.gif


「一」(漢音イツ、呉音イチ)は、「一業所感」http://ppnetwork.seesaa.net/article/485653172.htmlで触れたように、

指事。一本の横線で、一つを示す意のほか、全部をひとまとめにする、一杯に詰めるなどの意を含む。壱(イチ)の原字壹は、壺に一杯詰めて口をくびったたま、

とある(漢字源)。

「殺」  「殺」の旧字.gif



「殺」  漢字.gif



「殺」 甲骨文字.gif

(「殺」甲骨文字 https://asia-allinone.blogspot.com/2021/05/p152.htmlより)

「殺」(漢音サツ・サイ、呉音セツ・セチ・セイ、慣用サツ)は、

会意文字。「乂(刃物で刈り取る)+朮(もちあわ)+殳(動詞の記号 行為)」で、もちあわの穂を刈り取り、その実を殺ぎ取ることを示す、

とある(漢字源・https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%AE%BA・角川新字源)。別に、

会意文字です。「猪(いのしし)などの獣」の象形と「手に木の杖を持つ」象形から「ころす・いけにえ」を意味する「殺」という漢字が成り立ちました、

ともhttps://okjiten.jp/kanji201.html

会意 㣇(たたり)をなす獣の形と殳(しゅ)とを組み合わせた形。殳は杖(つえ)のように長い戈(ほこ)。㣇をひきおこす獣を戈で殴(う)って殺す形で、これによって祟(たたり)を殺(そ)ぎ(へらし)、無効とする行為を殺といい、減殺(げんさい・へらすこと)がもとの意味である。「殺」の左偏の小点は㣇をなす獣の耳の形。甲骨文字と金文はその獣の形だけをかき、のちの蔡(さい・ころす)の字にあたる用法である。殺は「ころす」の意味に用いた、

ともhttps://jyouyoukanji.stars.ne.jp/j/4/4-075-satsu-korosu.htmlあり、

甲骨文の当時は、単に木の枝をとってくるだけのものであったが、次第に祭祀を伴う殺戮を示すようになりそれと共に字形も複雑さを増すようになったが、現代中国の漢字の簡体化で「杀」となり、甲骨文字の字形に接近してきました、

とあるhttps://asia-allinone.blogspot.com/2021/05/p152.html

「多」 漢字.gif

(「多」 https://kakijun.jp/page/0660200.htmlより)


「多」 甲骨文字・殷.png

(「多」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A4%9Aより)

「多」(タ)は、

会意文字。夕、または肉を重ねて、たっぷりと存在することを示す、

とある(漢字源)。つまり、

会意文字。夕の字を二つ重ねて、日数が積もり重なる、ひいて「おおい」意を表す、

説(https://okjiten.jp/kanji156.htmlhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A4%9A・角川新字源)と、

象形で、二切れの肉を並べた形にかたどり、物が多くある意を表す、

説とがある(角川新字源・https://okjiten.jp/kanji156.html)。

「生」  漢字.gif

(「生」 https://kakijun.jp/page/0589200.htmlより)

「生」(漢音セイ、呉音ショウ)は、「なま」http://ppnetwork.seesaa.net/article/484932208.htmlで触れたように、

会意。「若芽の形+土」で、地上に若芽の生えたさまを示す。生き生きとして新しい意を含む、

とある(漢字源)。

ただ、中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)には、

土の上に生え出た草木に象る、

とあり、現代の漢語多功能字庫(香港中文大學・2016年)には、

屮(草の象形)+一(地面の象形)で、草のはえ出る形、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%94%9Fため、

象形説。草のはえ出る形(白川静説)、
会意説。草のはえ出る形+土(藤堂明保説)、

と別れるが、

象形。地上にめばえる草木のさまにかたどり、「うまれる」「いきる」「いのち」などの意を表す(角川新字源)、
象形。「草・木が地上に生じてきた」象形から「はえる」、「いきる」を意味する「生」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji33.html

とする説が目についた。甲骨文字を見る限り、どちらとも取れる。

「生」 甲骨文字・殷.png

(「生」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%94%9Fより)

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 03:39| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする