2022年08月10日

夫子


慕虎馮河して死すとも悔ゆる事なき者は与せじ、と夫子(ふうし)の戒めしもひとりこの人の爲にや(宿直草)、

にある、

夫子、

は、

孔子、

を指す(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。ちなみに、「慕虎馮河」は、ただしくは、

暴虎馮河、死而無悔者、吾不与也(論語・述而篇)、

である(仝上)。

「夫子」は、

孤實貪以禍夫子、夫子何罪(左伝)、

と、

先生、長者の尊称、

として使ったり、

夫子温良恭謙譲(論語)、

と、

師を尊び称す、単に子と云ふに同じ、

意に使ったり、

勖哉夫子(書・秦誓)、

と、

将士を指して云ふ、

意に使ったり、

信乎夫子不言不笑不取乎(論語)、

と、

大夫の位に在る者を呼ぶ敬称、

の意や、

必敬必戒、無違夫子(孟子)、

と、

妻、その夫を指す、

意など、意味の幅がある(字源)。我が国でもそれに準じた使い方になるが、

夫子自身、

という言い方で、

僕の事を丸行灯(まるあんどん)だといつたが、夫子自身は偉大な暗闇(クラヤミ)だ(夏目漱石・三四郎)、

と、

あなた・あの方などの意で、その当人をさす語、

としても使う。しかし、

夫(フウ)子とよめば孔子にまぎれてわるいぞ(「土井本周易抄(1477)」)、

とあるように、冒頭に上げた例もそうだが、

孔子の敬称、

として使われることが多い。

ところで「夫子」を、我が国では、

せこ、

とも訓ませ、

兄子、
背子、

とも当てる(広辞苑)。

コは親愛の情を表す接尾語、

とある(岩波古語辞典)。「せ」は、

兄、
夫、
背、

等々と当て(仝上)、

いも(妹)の対、

で(仝上)、

兄(エ)の転か、朝鮮語にもセと云ふ(大言海・和訓栞)、
セ(背)の高いところから(名言通)、
セ(兄)はエ(甲)の義、セ(夫)はテ(手)の義(言元梯)、

など、諸説あるが、「背」だとすれば、「背」の語源は、

ソ(背)の転(岩波古語辞典)、
反(ソレ)の約、背(ソ)と通ず(大言海)、

とあり、

本来「せ」は外側、工法を意味する「そ」の転じたもので、身長とは結びつかなかった。ところが、今昔物語に、「身の勢、極て大き也」とあるように、身体つき・体格を意味する「勢(せい)」が存在するところから、音韻上の近似によって、「せ(背)」と「せい(勢)」とが混同するようになった、

とある(日本語源大辞典)のが注目される。「せこ」に、

吾が勢(セコ)を大和へ遣るとさ夜深けて暁露に吾が立ち濡れし(万葉集)
我が勢故(セコ)が来べき宵なり(書紀)、

と、

女性が夫、兄弟、恋人など広く男性を親しんでいう語、

として使うとき、

勢、

を当てている(日本国語大辞典・精選版日本国語大辞典)。「せ」は、この、

身体つき・体格、

を意味する、

勢(せい)、

由来なのではないか、という気がする。勿論憶説だが。このいみの「せこ」は、

せな、
せなな、
せのきみ、
せろ、

等々という言い方もする。ただ、対の、

いも、

が、中古以降、

いもうと、

に変化したのに対応して、

せうと、

に変化し、

せ、

単独では使われなくなった(日本語源大辞典)、とある。「せこ」は、

沖つ波辺波立つともわが世故(セコ)が御船(みふね)の泊り波立ためやも(万葉集)、

と、

男性が他の親しい男性に対して用いる語、

としても使う(仝上)。

背子(はいし).jpg

(「背子(はいし)」 デジタル大辞泉より)

ちなみに「背子」を、

はいし、

と訓ませると、

奈良時代から平安時代初期に着用された女子朝服の内衣で、冬期に袍(ほう 朝服の上衣)の下、衣(きぬ)の上に着た袖(そで)なしの短衣。しかし袍はほとんど用いられなかったため、背子が最上衣として使われた、

とある(日本大百科全書)。

唐衣.jpg

(「唐衣」 デジタル大辞泉より)

唐衣(からぎぬ)の前身、

であるため、

唐衣の異称、

の意もある(デジタル大辞泉)。「唐衣」は、背子(はいし)が変化し、

十二単(じゅうにひとえ)の最も外側に裳(も)とともに着用した袖(そで)幅の狭い短衣、

で、

袖が大きく、丈が長くて、上前・下前を深く合わせて着る、

とある(仝上)。

「夫」 漢字.gif

(「夫」 https://kakijun.jp/page/0442200.htmlより)


「夫」 甲骨文字・殷.png

(「夫」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A4%ABより)

「夫」(漢音呉音フ、慣用フウ)は、

象形。大の字に立った人の頭に、まげ、または冠のしるしをつけた姿を描いたもので、成年に達した男をあらわす、

とある(漢字源)。別に、

象形。髷に簪を挿した人の姿https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A4%AB

象形。頭部にかんざしをさして、正面を向いて立った人の形にかたどる。一人まえの男の意を表す。借りて、助字に用いる(角川新字源)、

とあるが、

指事文字です。「成人を表す象形に冠のかんざしを表す「一」を付けて、「成人の男子、おっと」を意味する「夫」という漢字が成り立ちました、

とあるので、意味が分かるhttps://okjiten.jp/kanji41.html

「子」 漢字.gif

(「子」 https://kakijun.jp/page/0323200.htmlより)


「子」 甲骨文字・殷.png

(「子」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%AD%90より)


「子」 金文・西周.png

(「子」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%AD%90より)

「子」(漢音・呉音シ、唐音ス)は、

象形。子の原字に二つあり、一つは、小さい子どもを描いたもの、もう一つは子どもの頭髪がどんどん伸びるさまを示し、おもに十二支の子(シ)の場合に用いた。後この二つは混同して子と書かれる、

とある(漢字源)。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
簡野道明『字源』(角川書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:夫子 ふうし
posted by Toshi at 03:45| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする