2022年08月16日

万里一空


宮本武蔵『五輪書』を読む。

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「武士の兵法を行ふ道は、何事に於ても人にすぐるゝ所を本とし、或は一身の切合に勝ち、或は数人の戦に勝ち、主君の為、名をあげ身をたてんと思ふ。是兵法の徳を以てなり。又世の中に、兵法の道をならひても、実の時の役にはたつまじきと思ふ心あるべし。其儀に於ては、何時にても、役にたつやうに稽古し、万事に至り、役にたつやうにおしゆる事、是兵法の実の道也。」

とあるように、武蔵の兵法は、徹頭徹尾相手に勝つこと、端的に言えば、

皆人をきらん爲也、

を目指す。だから、

「剣術一通の理、さだかに見分け、一人の敵に自由に勝つ時は、世界の人に皆勝つ所也。一人に勝つと云い心は千万の敵にも同意也。将たるものの兵法、ちいさきを大きになす事、尺のかたを以て大仏をたつるに同じ。」

と、

一人と一人との戦ひも、万と万とのたたかひも同じ道なり、

と言い切り

一対一の戦い(小分の兵法)、

多数の合戦(大分の兵法)、

も同じこととして展開する。この姿勢は、いわゆる、

兵法者、

とは少し異なる気がする。それは、武蔵が、

山水三千世界を万里一空に入れ、満天地とも挈(と)る、

という心を題として、

乾坤を其儘庭に見る時は、我は天地の外にこそ住め、

と、仏者や禅者の謂いとは異なる、

天地を俯瞰する、

かの如き境地と無縁ではない(鎌田茂雄『五輪書』)。本書で、武蔵は、兵法に、

我に師なし、

と言い切るように、本書も、

「今此書を作るといへども、仏法・儒道の古語をもからず、軍記・軍法の古きことをもちひず、此一流の見たて、実の心を顕す事、天道と観世音を鏡として、十月十日の夜寅の一てんに、筆をとって書初るもの也。」

と、自分の言葉で書いたと宣言しているのである。ここにも、武蔵の強い意志がある。

本書は、

五つの道をわかつ、

ため、

地、
水、
火、
風、
空、

の五巻に別つ。地の巻では、

「兵法の道の大躰、我が一流の見立、剣術一通りにしては、誠の道を得がたし。大きなる所よりちいさき所を知り、浅きより深きに至る。直なる道の地形を引きならすによって、初を地の巻と名付く也。」

水の巻では、

「水を本として、心を水になる也。水は方円のうつわものに随ひ、一滴となり、滄海となる。水に碧潭の色あり、清き所をもちひて、一流の事を此巻に書顕す也。剣術一通の理、さだかに見分け、一人の敵に自由に勝つ時は、世界の人に皆勝つ所也。一人に勝つと云い心は千万の敵にも同意也。将たるものの兵法、ちいさきを大きになす事、尺のかたを以て大仏をたつるに同じ。か様の儀、こまやかには書分けがたし。一を以て万と知る事、兵法の利也。一流の事、此水の巻に書記す也。」

火の巻では、

「戦ひの事を書記す也。火は大小となり、けやけき心なるによって、合戦の事を書く也。合戦の道、一人と一人との戦ひも、万と万との戦も、同じ道也。心を大きなる事になし、心をちいさくなして、能く吟味して見るべし。大きなる所は見えやすし、ちいさき所は見えがたし。其仔細、大人数の事は即坐にもとをりがたし。一人の事は心一つにて変る事はやきによつて、ちいさき所しる事得がたし。此火の巻の事、はやき間の事なるによつて、日々に手馴れ、常のごとく思ひ、心のかはらぬ所、兵法の肝要也。然るによつて、戦ひ勝負の所を火の巻に書顕す也。」

風の巻は、

「風の巻としるす事、我一流の事にはあらず、世中の兵法、其流々の事を書のする所也。風といふに於ては、昔の風、今の風、其家々の風などとあれば、世間の兵法、其流々のしわざを、さだかに書顕はす、是風の巻也。他の事を能く知らずしては、自らのわきまへ成りがたし。道々事々をおこなふに、外道と云ふ心あり。日々に其道を勤むるといふとも、心のそむけば、其身はよき道と思ふとも、直ぐ成る所より見れば、実の道にはあらず。実の道を極めざれば、始めし心のゆがみに付けて、後には大きにゆがむもの也。吟味すべし。他の兵法、剣術ばかりと世に思ふ事、尤也。我兵法の利わざに於ても、各別の儀也。世間の兵法を知らしめん為に、風の巻として、他流の事を書顕す也。」

空の巻では、

「空と云出すよりしては、何をか奥と云ひ、何をか口といはん。道理を得ては道理をはなれ、兵法の道に、おのれと自由有りて、おのれと奇特を得、時にあひては拍子を知り、おのづから打ち、おのづからあたる、是皆空の道也。おのれと実の道に入る事を、空の巻にして書きとゞむるもの也。」

吉川英治の『宮本武蔵』の影響で、武蔵にも、

剣禅一如、

のイメージが強いが、実像はちょっと違う。柳生宗矩などに禅の臭みが伴うが、武蔵にはない。たとえば、火の巻、

けんをふむと云ふ事、

に、

「敵の打出す太刀は、足にてふみ付くる心にして、打出す所を勝ち、二度目を敵の打得ざるやうにすべし。踏むと云ふは、足には限るべからず、身にても踏み、心にても踏み、勿論太刀にて踏み付けて、二のめを敵によくさせざるやうに心得べし。是則ち物毎の先の心也。」

という一節がある。ここでは、

身にても踏み、心にても踏み、勿論太刀にて踏み付けて、

とあり、まるで、

身心一如、

と、

心と体と刀が一体化した動きを強調して、相手が、

二度目の打出す、

のを妨げようとしている。ここにあるのは、実利的な考えである。本書でも、随所にあるには、いかにして、

相手との流れを崩すか、

を、徹頭徹尾説く、

先手を取る、
拍子を崩す、
間合いを変ずる、
相手の心を乱す、
変調する、

など、諸々の具体的工夫は、武蔵が、

十三歳にして初而勝負、

をして以来、

廿八、九迄、

「国々所々に至り、諸流の兵法者に行合ひ、六十余度まで勝負をすといへども、一度も其利をうしなはず。」

という命がけの実践の中で、いかにして勝つか、のみに収斂させた結果に見える。

参考文献;
宮本武蔵『五輪書』(Kindle版)
鎌田茂雄『五輪書』(講談社学術文庫)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 03:53| Comment(0) | 書評 | 更新情報をチェックする