只かき乱したる心も解(ほど)けて、己が糸筋素直ならば、一葉の舟の例(ため)しにも乗らなん(宿直草)、
とある、
一葉の舟、
は、
舟の起源は、中国の貨狄(かてき)が蜘蛛が柳の一葉から作った舟を皇帝に献じたことからであるとする伝説。謡曲『自然居士』など、
とあり(高田衛編・校注『江戸怪談集』)、
こがくれに浮べる秋の一葉舟(ヒトハブネ)さそふあらしを川をさにして(「廻国雑記(1487)」)、
と、
一葉の舟、
で、
ひとはのぶね、
と訓ませ、
一艘の舟、
意である(精選版日本国語大辞典)。
「一葉」は、
きりのひと葉、
の意で、
見一葉落、知歳之将暮(淮南子)、
一葉落知天下秋(文禄)、
と(『書言故事』(宋・胡継宗撰)註に、「一葉者、梧桐也」とあり、「一葉草(ひとはぐさ)」は桐の異称である)、
梧桐の一葉の落つるを見て秋の來るを知る、事物のきざしを見て大勢を察すべきに喩ふ、
と使う(字源)が、
駕一葉之扁舟(赤壁賦)、
と、
小舟に喩ふ、
とある(仝上)。
謡曲『自然居士』のあらすじは、
放下僧(ほうかぞう 大道芸の一種である放下を僧形で演ずる遊芸人)である自然居士は、ある少女が美しい着物と供養を願う書付を差し出すのを目にします。書付には両親の供養のために着物を捧げるとありました。そこへ男たちがやってきて少女を連れ去ります。着物は、少女が身を売って得たものだったのです。居士は少女が連れ去られたと聞き、説法を中止して跡を追い、舟の出る大津に急行します。居士は、着物と引き替えに少女を返すよう求めると、一度買い取った者は返さぬ掟があると断られますが、こちらにも身を売った者を見殺しにできぬ掟があり、自分も少女といっしょに行くしかないと言って舟から下りず、男たちを屈服させます。男たちは腹いせに、評判の舟の曲舞(くせまい)、ささら舞(ささらという和楽器を使った舞)、羯鼓(かっこ 鼓(つづみ)を横にしたような雅楽の打楽器「羯鼓」を身に付けて撥(ばち)で打ちながらの舞)と、次々に芸を見せることを要求しますが、居士は少女のために拒むことなく演じて見せ、ついに少女を連れ戻すことに成功します、
というものだが(http://www5.plala.or.jp/obara123/u1205jinen.htm)、「舟」の起源を語る部分は、
黄帝(こうてい)が烏江(おうこう)を隔てて攻めあぐねているとき、臣下の貨狄(かてき)が、庭の池の上に柳の葉が落ち、それに蜘蛛が乗っているのを見て舟を考案し、これによって烏江を渡って蚩尤を滅ぼしたという概要で、謡曲では、次のように語られる。
シテ さあらば舟の起を語って聞かせ申し候べし。
サシ上 ここに又蚩尤(しいう)といへる逆臣(げきしん)あり。
地謡上 彼を亡ぼさんとし給ふに。烏江(おおがう)といふ海を隔てゝ。攻むべき様もなかりしに。
クセ下 黄帝の臣下に。貨狄と云へる士卒あり。ある時貨狄・庭上(ていしやう)の。
池の面(おもて)を見渡せば。折節秋の末なるに。
寒き嵐に散る柳の一葉(ひとは)水に浮みに。又蜘蛛といふ虫。
これも虚空に落ちけるが其一葉の上に乗りつゝ。
次第々々にさゝがにのいとはかなくも柳の葉を。吹きくる風に誘はれ。
汀(みぎは)(に寄りし秋霧)の。
立ちくる蜘蛛の振舞げにもと思ひそめしよりたくみて舟を造れり。
黄帝これに召されて。烏江を漕ぎ渡りて蚩尤を安く亡ぼし。
御代を治め給ふ事。一万八千歳(いちまんはつせんざい)かや。
シテ上 然れば舟のせんの字(舩)を。
地謡上 きみにすすむと書きたり。
さて又天子の御舸(おんか)を龍舸(りようか)と名づけ奉り。
舟を一葉と云ふ事此御宇より始まれり。又君の御座舟を。
龍頭鷁首(りようどうげきしゆ)と申すも此御代(みよ)より起れり。
ワキ 我等が舟を龍頭鷁首と御祝ひ祝着申して候。
とてものことにさゝらを摺つて御(おん)見せ候へ。
とある(http://www5.plala.or.jp/obara123/u1205jinen.htm)。因みに、「クセ」とは、
能の一曲は、いくつもの小段(しょうだん)が連なって構成されている。「クセ」はその小段の名称のひとつ。シテに関する物語などが、主に地謡(じうたい)によって謡われ、一曲の中心的な重要部分をなしている。主にクセの中ほどから後半で、節目の一句か二句をシテやツレなどが謡うことが多く、これを「上ゲ端〔上羽〕(あげは)」と呼ぶ。この上ゲ端が2回出てくる長いものを二段グセ、上ゲ端のないものを片グセと呼ぶ。また、シテが舞台中央に座したまま進行するものを「居グセ」、シテが立って舞を舞うものを「舞グセ」と呼んでいる。中世に流行した「曲舞(くせまい)」という芸能を取り入れたものといわれ、名称もそこからきているという、
とあり(https://db2.the-noh.com/jdic/2008/07/post_24.html)、「さし」とは、
能・狂言の型のひとつ。扇や手で前方を指す型で頻繁に用いられる。具体的に何かを指し示す場合と、特に対象を明示せず型として行う場合がある。足の動きを加えたり、左右の手を使うなど応用の型も多く、サシをしながら数足前に出る「サシコミ/シカケ」、右手に持った扇を身体の前で大きく回してから正面にサス「巻ザシ」、左前方を左手でサシた後に右手でサシ、その右手を横一直線に線を引くように身体の向きを右前方に変える「サシ分ケ」など様々なヴァリエーションがある、
とある(https://db2.the-noh.com/jdic/2021/06/post_545.html)。ついでに、「シテ」は、
仕手、
為手、
とあて、
能の主役、
であり、
一曲のなかで絶対的な重さをもつ演者であると同時に、演出、監督の権限を有する。つねに現実の男性の役であるワキに対し、シテは女・老人・神・鬼・霊などにも扮し、能面をつける特権をもつ。前後2段に分かれ、シテがいったん楽屋などに退場(中入)する能では、中入前を前シテ、中入後を後(のち)ジテとよぶ、
とある(日本大百科全書)。伝説では、
舟を一葉といふこと、この御宇より始まり、
とあるが、蚩尤は黄帝から王座を奪わんと乱を起こし、
兄弟の他に無数の魑魅魍魎を味方にし、風・雨・煙・霧などを巻き起こして黄帝と涿鹿の野で戦った(涿鹿の戦い)。濃霧を起こして視界を悪くしたり魑魅魍魎たちを駆使して黄帝の軍勢を苦しめたが、黄帝は指南車を使って方位を示して霧を突破し、妖怪たちのおそれる龍の鳴き声に似た音を角笛などを使って響かせてひるませ、軍を押し進めて遂にこれを捕え殺した、
とあり(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9A%A9%E5%B0%A4)、また、中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)では、
篆形作「□(金文文字)」、船也。象形、
と字様説明し、注釈書『大徐本(986)』も、
「□(金文文字)」、舩(船)也。古者共鼓、貨狄刳木為舟、剡木為楫、以濟不通。象形。凡舟之屬皆从舟。(職流切)、
『段注本(1815)』も、
「□(金文文字)」、船也。古者共(鼓)、貨狄刳木為舟、剡木為楫、以濟不通。象形。凡舟之屬皆从舟。(職流切)、
とあり(「□」の部分は、後述の「舟」の金文(青銅器の表面に鋳込む、乃至刻まれた文字)文字が入る)、『自然居士』の伝説とは異なるようだ。
「葉」(ヨウ・ショウ)は、
会意兼形声。枼(エフ 木にはがしげるさま)は、三枚の葉が木の上にある姿を描いた象形文字。葉はそれを音符とし、艸を加えた字で、薄く平らな葉っぱのこと、薄っぺらなの意を含む、
とあり(漢字源)、蝶、牒、喋、諜の同系語(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%91%89)とある。原字は「世」で木に新しい葉が3枚のびている様子(「sh-」音が共通)、「枼」はそれが木から伸びることを示したもの(仝上)、とある。だから、借りて、よ(世)の意に用いる(角川新字源)ということになる。
(「舟」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%88%9Fより)
(「舟」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%88%9Fより)
「舟」(漢音シュウ、呉音シュ)は、
象形。中国の小舟は長方形の形で、その姿を描いたものが舟。周・週と同系のことばで、まわりをとりまいたふね。服・兪・朕・前・朝などの月印は、舟の変形したもの、
とある(漢字源)。
「船」(漢音セン、呉音ゼン)は、
会意兼形声。㕣(エン)は、「ハ(水が流れる)+口(あな)」からなり、くぼみにそって水が流れるさま。船はそれを音符とし、舟を加えた字で、水流にしたがって進むふね、
とある(漢字源)。なお、「舩」は「船」の俗字。別に、
会意形声。「舟」+音符「㕣」。「㕣(エン)」は「ハ(水が流れる様)」+「口(穴)」で水が穴に向かって流れる様で「沿(水流に沿う)」や「鉛(柔らかく流れる金属)」の同系語で、舟が水の流れに従うことを言う、
とも(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%88%B9)、
会意兼形声文字です(舟+㕣)。「渡し舟」の象形と「2つに分かれている物の象形と谷の口の象形」(「川が低い所に流れる」の意味)から、川に沿って下る「ふね」を意味する「船」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji187.html)。
「舟」と「船」の区別は、「ふね」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/463391028.html)で触れたように、
小形のふねを「舟」、やや大型のふねを「船」、
とするが、「船」と「舟」の違いは、あまりなく、
千鈞得船則浮(千鈞も船を得ればすなはち浮かぶ)(韓非子)、
と、
漢代には、東方では舟、西方では船といった、
とある(漢字源)。今日は、
動力を用いる大型のものを「船」、手で漕ぐ小型のものを「舟」、
と表記する(http://gogen-allguide.com/hu/fune.html)とし、
「舟」や「艇」は、いかだ以外の水上を移動する手漕ぎの乗り物を指し、「船」は「舟」よりも大きく手漕ぎ以外の移動力を備えたものを指す。「船舶」は船全般を指す。「艦」は軍艦の意味である。(中略)つまり、民生用のフネは「船」、軍事用のフネは「艦」、小型のフネは「艇」または「舟」の字、
を当てる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%B9)とある。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95