2022年08月24日

通底する土俗


柳田國男「伝説・木思石語他(柳田國男全集7)」を読む。

伝説・木思石語.jpg


本書には、

伝説、
木思石語、
神を助けた話、

他が収められている。「木思石語」では、伝説の分類を試みている。伝説は、

ハナシではなく、その世に伝わっているのはコトである、

として、

土地に定着し地物と不可分に伝わっているもの、

を中心として、

木の伝説(腰掛松、矢立杉、杖銀杏、逆さ榎等々)、
石の伝説(腰掛石、休石、傾城石、比丘尼石等々)、
塚の伝説(黒塚、行人塚、将門塚、七人塚、赤子塚等々)、
水部伝説(池、淵、滝、温泉等々)、
道の神の威力伝説(坂、辻、橋、渡し場等々)、
森と野の一隅、古い屋敷跡伝説(長者の故跡等々)、
社寺、堂閣、旧家、名門の伝説、

と分類している。伝説は成長し、変化し続けている。ために、モチーフ・内容からでは、そこで語られる中身、ストーリーはどんどん変わっていくのである。その意味で、今日どう整理し直されているのかは分からないが、

「通例は地形・地物について語られる限りは、たいていその目的物が伝説の要旨を名に負うている。それが名木でありまた名石であるのみで、いまだ字(あざ)の名や村の名に応用せられない間は、多くは伝説そのものの忘却とともに、名称も消えてしまうものであるから、名がある以上はその陰につつましく隠れて、まだ伝説も活きているものとみてよいので、すなわち単なる木石の呼名を書き留めることが、やがてはまた伝説の採集ともなるわけである。」

という「対象物」に限定した柳田國男の意図ははっきりしている(木思石語)。

本書で、特に面白かったのは、

神を助けた話、

の、

赤子塚の話、

である。

母の幽霊に育てられた、

という(「子育て幽霊」http://ppnetwork.seesaa.net/article/483116941.htmlについては触れた)、

頭白(ずはく)上人、

の伝説から、

その上人の父の名、

筑波の東北佐谷村の源治、

から、

(佐夜中山)夜泣石、

との関連を見(「夜泣石」http://ppnetwork.seesaa.net/article/483101232.htmlについては触れた)、及び、幽霊が団子を買いに行く婆の小屋の、

後生車、

から、

賽の河原の石積み、

とのつながりを探り出し、さらに、

佐夜の中山の夜泣石、

は、実は、

夜啼きの松、

が枯れた後に流布した伝説であり、

夜啼松、

は、全国に分布し、

その一片に火を点して見せると子どもの夜啼きを止める、

とする、

夜啼松、

は、たとえば、

「大昔仁聞という高僧、行脚して夜この樹(夜泣松)の側を通る時、赤子を抱いて樹蔭に野宿している婦人を見た。その赤子大いに啼いて困り切っているので、すなわち松の樹に向かい経を読んで後、その落葉松毬を集めて火を燃やし、光を赤子に見せるとたちまち啼き止んだ。」

という「夜泣松」のエピソードは、

「通例ウブメの怪と称して、人の説く話とそっくりである。」

とし(「うぶめ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/432495092.htmlについては触れた)、この、

夜啼きの願掛け、

は、

「祈禱というよりもむしろ呪術である。ただある一定の地にある松の樹などに限って用いるゆえ、次第にその樹を拝し、またはむ樹下に祠を構えるようになった」

ものであり、その場所は、

佐夜の中山の峠道、

か、

里の境、

河の岸、

橋の袂、

と推測し、

道祖神の祭場、

につながると絞っていく。そして、

賽の河原、

が、

才の河原、
西の河原、
道祖河原、

等々と当てられ、仏教の地獄とは関係なく、

道祖神(サエノカミ)、

とつながり(「道祖神」については「さえの神」http://ppnetwork.seesaa.net/article/489642973.htmlで触れた)、それは、

地蔵、

とつながる(「地蔵」については「六道能化」http://ppnetwork.seesaa.net/article/485970447.htmlで触れた)。そして、かつての、

棄児(すてご)の儀式、

へと通じていく。それは、

健やかに育つまじないとして、

「大事な若君に棄という名を付けて、生先(おいさき)を祈った」

という例も古くからあり、

「現に江戸でも三代将軍家光生れて二歳の時、健やかに育つまじないとして、侍女これを抱いて辻に出て、通り掛かりの三人目に売った。山田長門守ちょうど三人目に来合わせ、これを買い受けた」

という話もある。その場所が、村の境、

道祖神の祭場、

だと推測していく。この推理の筋道は、壮観である。

「児捨馬場が児拾馬場であったごとく、また子売地蔵がやはり子買いであったごとく、死んだ児の行く処とのみ認められた賽河原が、子なき者子を求め、弱い子を丈夫な子と引き換え、あるいは世に出ようとしてなお彷徨う者に、安々と産声を揚げしめるために、数百千年間凡人の父母が、来ては祈った道祖神の祭場と、根元一つである」

とする推論が是か非かは分からないが、民間俗信に通底する深く、広い土俗が流れていることだけは良く見えてくる。

なお、柳田國男の『遠野物語・山の人生』http://ppnetwork.seesaa.net/article/488108139.html、『妖怪談義』http://ppnetwork.seesaa.net/article/488382412.html、柳田國男『海上の道』http://ppnetwork.seesaa.net/article/488194207.html、『一目小僧その他』http://ppnetwork.seesaa.net/article/488774326.html、『桃太郎の誕生』http://ppnetwork.seesaa.net/article/489581643.html、『不幸なる芸術・笑の本願』http://ppnetwork.seesaa.net/article/489906303.htmlについては別に触れた。

参考文献;
柳田國男「伝説・木思石語他(柳田國男全集7)」(ちくま文庫)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 04:06| Comment(0) | 書評 | 更新情報をチェックする