一入(ひとしお)惜しみ可愛(かわゆ)くさふらへ、其れ様もなづさふ者なれば、不憫に思し候はんか(宿直草)、
にある、
なづさふ者、
は、
馴れ親しんだ者、
の意とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。
なづさふ、
は、現代表記では、
なずさう、
となるが、
三重の子が 挙(ささ)がせる美豆多麻宇岐(瑞玉盞 ミヅタマウキ)に浮きし脂落ちなづさひ(古事記)、
鵜飼が伴は行く川の清き瀬ごとに篝(かがり)さしなづさひのぼる(万葉集)、
などと、
水に浸り、もまれる
水に浮かびただよう、
意と、
懐む、
と当てたりして(大言海)、
常にまゐらまはしう、なづさひ見奉らばやとおぼえ給ふ(源氏物語)、
幣にならましものをすべ神の御手に取られて奈津佐波(ナツサハ)ましを奈津佐波(ナヅサハ)ましを(「神楽歌(9C後)」)、
などと、
(水にひたるように)相手に馴れまつわる、
なつく、
なじむ、
意とがある(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典・広辞苑)。
両者の由来を異なるとする説があり、前者を、
なづむ(泥む)と同根(岩波古語辞典)、
渋滞(なづ)むに通ずと云ふ(大言海)、
ナヅミサハフ(難狭匍匐)の略(雅言考)、
とし、後者を、
懐(なづ)き副(そ)ふの意(大言海)、
ナツキス(懐為)の義(名言通)、
なつそひ(狎着添)の義(言元梯)、
等々とするが、無理筋の気がする。
なづさふの延、
とされ、
狎れる、
馴染む、
意の、
幣帛(みてぐら)にならましものを皇神(スメカミ)の御手に取られてなづさはるべく(神楽歌)、
と、
なづさはる、
がある(大言海)。「なづさふ(なずさう)」は、
「なずさわる」「なずむ」同根。万葉集においては、船や水鳥が浮いている意として用いられており、本来は歌語であったらしい。平安朝以降慣れ親しむの意に用いられた用例が多いが、水にひたるように相手に慣れまつわるところから生じたものか、
とする(日本語源大辞典)、
水にひたる→メタファとして→水にひたるように相手に慣れまつわる、
と転化したものと見ていいようだ。字鏡(平安後期頃)に、
蹈、踐也、布彌(フミ)奈豆佐不、
とあるのは、その転化の過程のように見える。
なお、「なずむ」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/428971428.html)については触れた。
「泥」(漢音デイ、呉音ナイ)は、「なずむ」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/428971428.html)でも触れたが、
会意兼形声。尼(ニ)は、「尸(ひとのからだ)+比(ならぶ)の略体」で、人と人とが身体をよせてくっついたさまを示す会意文字(この含意は「昵懇」の昵に残る)。泥は「水+音符尼」で、ねちねちとくっつくどろ、
とある(漢字源)。ねちねちとくっついて動きが取れない、という意味を含み、「拘泥」という用例につながる(仝上)。別に、
会意兼形声文字です(氵(水)+尼)。「流れる水」の象形と「人の象形と人の象形」(「人と人とが近づき親しむ」の意味)から、「ねばりつくどろ」を意味する「泥」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji1992.html)。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
ラベル:なづさふ