睦月(むつき)に若ゆく寿きて、白馬(あをうま)の節(せち)の明けの日、子どもどち呼びて(宿直草)、
にある、
白馬の節の明けの日、
は、
正月八日、
とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。
「白馬の節」は、
白馬の節会、
白馬の宴、
といい、
あおうま、
あおばのせちえ、
ともいう(精選版日本国語大辞典)。
正月七日、左右馬寮(めりょう)から白馬(あおうま)を庭に引き出して、天皇が紫宸(ししん)殿で御覧になり、その後で群臣に宴を賜わった。この日、青馬を見れば年中の邪気を除くという中国の故事によったもので、葦毛の馬あるいは灰色系統の馬を引いたと思われる。文字は「白馬」と書くが習慣により「あおうま」という、
とある(仝上)。まず、
青馬御覧の儀式、
があり、
馬寮(めりょう)の御覧より馬の毛付(けづき)を奏聞し(あをうまの奏)、
ついで、
左右の馬寮(めりょう)の官人、あをうまの陣(春華門(しゅんかもん)内)に並び、
順次、
七匹ずつ、三度、
牽きわたす、それを、主上、
正殿に出御ありて、御覧ぜられる、
といい、
春の陽気を助くるなり、
とされる。その後、
節会、
となる、という次第のようである(大言海)。はじめは、
豊楽院(ぶらくゐん)で、後に紫宸殿で行われるようになった、
という(岩波古語辞典)。「青馬」の「青毛」とは、
黒色の、潤沢にして、青み立ちて見ゆるもの、古へに云ひし、黒緑なり、
とあり(大言海)、
あをうま、
あを、
という(仝上)とある。ただ、
古代において、アヲは、黒と白との中間的範囲の広い色名で、灰色もその範囲に含めていた、
とある(日本語源大辞典)。「あを」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/429309638.html)で触れたように、
一説に、古代日本では、固有の色名としては、アカ、クロ、シロ、アオがあるのみで、それは、明・暗・顕・漠を原義とする、
といい(広辞苑)、本来「あを」は、
灰色がかった白色を言うらしい
とある(仝上)。そのため、「青」の範囲は広く、
晴れ渡った空のような色、
緑色、
などともある。語源を見ると、
アオカ(明らか)、
される。その意味で、「あを」が、
黒と白との中間的範囲の広い色名、
なのであり、
あを→しろ、
というの変化は、色感覚としては、そんなに変わりなかったのかもしれない。
ところで、ここでの「馬」は、
陽獣にして、青は、青陽の春の色なりと云ふに起これる事なるべし、
とある(大言海)。和訓栞には、
禮記に、春を東郊に迎へて、青馬七尺を用ふと見えたり、
とある。
「白馬の節会」は、
弘仁二年(811)嵯峨天皇の時から儀式として整うようになった、
とされ(仝上)、
初めに御弓奏(みたらしのそう)、
白馬奏(あおうまのそう)、
があり、のちに諸臣に宴が設けられた(日本大百科全書)。この行事は、
平安末ごろから衰え、応仁の乱(1467~1477)で中絶、1492年(明応1)に再興して、明治初年まで行われた、
という(仝上)。当初は、馬の数は、
21頭、
とされたが、衰亡に伴って減っていった(岩波古語辞典)とあり、この儀式よりも、
五節句の一つ、
七種粥を祝う正月7日の節句である、
七草の節句、
が盛んになった、ともある(仝上)。
もとは、
青馬、
と書いていたが、村上天皇(在位946~967)のとき、
白馬、
と書き改めたが、訓みは、
あおうま、
のままという(仝上)。白馬節会が始まった当初は、中国の故事に従い、
ほかの馬よりも青み(鴨の羽の色)をおびた黒馬(「アオ」と呼ばれる)、
が行事で使用されていたが、醍醐天皇の頃になると、
白馬または葦毛の馬、
が行事に使用されるようになったが、読み方のみそのまま受け継がれたため、
白馬(あおうま)、
となったとされる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E9%A6%AC%E7%AF%80%E4%BC%9A)。しかし、これは、馬の色がとくに変わったというより、行事の日本化のため、上代の色彩感が平安時代になると、白を重んじる結果である(日本大百科全書)、とある。
「青馬」から「白馬」へと文字表記が変わったことについて、本居宣長は『玉勝間(1795~1812)』は、
貞観儀式には、青岐(あをき)馬とさへあり、初は、青馬を牽かせられたるに、後に白毛の馬となり、文には白馬(はくば)と書きながら、語には、なほ、古へのままあをうまと訓めりしなり、
と、馬が「青馬」から「白馬」にかわったから、と主張しているが、江次第鈔(室町時代)には、
七日節会……今貢葦毛馬也、
とあり、同時期の康冨記(外記局官人・中原康富の日記)にも、
貢葦毛、
とあり、やはり、「白馬」ではなく
葦毛、
とある。「葦毛」とは、
葦の芽生えの時の青白の色に基づいていう、
もので、
白い毛に黒色・濃褐色などの差し毛のあるもの、
をさし、
栗毛、青毛、鹿毛、の原毛色に後天的に白色毛が発生してくるもの。馬の年齢が進むに従い、色を変えていくので、広く、白毛に黒毛または他の色の差毛(さしげ)のあるもの、
で、
白葦毛、
黒葦毛、
赤葦毛、
山鳥葦毛、
連銭葦毛、
腹葦毛、
等々の種類がある(広辞苑・日本国語大辞典)。つまり、
馬の毛色自体の変化というよりも、灰色系統の色目範囲が青から白に移行したこと、
であり、背景には、
白馬の神聖視、
があるとみられ、
意識的に(「あをうま」に)「白馬」の文字表記を選択した、
とみられる(日本語源大辞典)、とするのが妥当のようである。
「白」(漢音ハク、呉音ビャク)は、「白毫」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/490150400.html)で触れたように、
象形。どんぐり状の実を描いたもので、下の部分は実の台座。上半は、その実。柏科の木の実のしろい中身を示す。柏(ハク このてがしわ)の原字、
とある(漢字源)が、
象形。白骨化した頭骨の形にかたどる。もと、されこうべの意を表した。転じて「しろい」、借りて、あきらか、「もうす」意に用いる、
ともあり(角川新字源)、象形説でも、
親指の爪。親指の形象(加藤道理)、
柏類の樹木のどんぐり状の木の実の形で、白の顔料をとるのに用いた(藤堂明保)、
頭蓋骨の象形(白川静)、
とわかれ、さらに、
陰を表わす「入」と陽を表わす「二」の組み合わせ、
とする会意説もある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%99%BD)。で、
象形文字です。「頭の白い骨とも、日光とも、どんぐりの実」とも言われる象形から、「しろい」を意味する「白」という漢字が成り立ちました。どんぐりの色は「茶色」になる前は「白っぽい色」をしてます、
と並べるものもある(https://okjiten.jp/kanji140.html)。
「靑(青)」(漢音セイ、呉音ショウ)は、「青鳥」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/486120021.html)で触れたように、
会意。「生(あおい草の芽生え)+丼(井戸の中に清水のたまったさま)」で、生(セイ)・丼(セイ)のどちらかを音符と考えてよい。あお草や清水のような澄み切ったあお色、
とある(漢字源)が、
会意形声。丹(井の中からとる染料)と、生(セイ は変わった形。草が生えるさま)とから成り、草色をした染料、「あお」「あおい」意を表す、
とも(角川新字源)、
会意。「生」と「丹」を合わせた字形に由来する、
とも(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%9D%91)、
会意兼形声文字です。「草・木が地上に生じてきた」象形(「青い草が生える」の意味)と「井げた中の染料(着色料)」の象形(「井げたの中の染料」の意味)から、青い草色の染料を意味し、そこから、「あおい」を意味する「青」という漢字が成り立ちました、
とも(https://okjiten.jp/kanji137.html)あり、「生」と「丹」とする説が大勢のようだ。
(「馬」 甲骨文字・殷 https://kakijun.jp/page/uma200.htmlより)
「馬」(漢音バ、呉音メ、唐音マ)は、
象形文字。「うま」をえがいたもの、
である(漢字源)。
古代中国で馬の最もたいせつな用途は戦車を弾くことであった。むこうみずに突き進むことの意を含む、
とある(仝上)。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95