誉れ世に高きも夫婦の中の善し悪しにあり。ああ保呂乱すべからず(宿直草)、
にある、
保呂乱す、
は、
取り乱す、
意とあり(高田衛編・校注『江戸怪談集』)、
鷹が両翼の下の羽毛である保呂羽を乱す意から、
ともある(仝上)。「保呂」は、
保呂羽(ば)の略、
で、
鷹(たか)や鷲(わし)の翼の下にある羽、矢羽として珍重された、
とある(広辞苑)。「保呂羽」は、
含(ほほ)みたる羽の意、
とある(大言海)。「ほほむ」は、
ふふ(含)む、
に同じで、
ふくらむ、
意である(広辞苑)。類聚名義抄(11~12世紀)に、
含、フクム・ククム・フフム、
とあり、
鳥の両翼の下にある羽、隙を補ふものの如し、
という(大言海)。和名類聚抄(平安中期)に、
倍羅麽(麼)、鳥乃和岐乃之多乃介乎、為倍羅麽也、……今俗謂保呂羽、訛也、
とある。
(「鷹」(葛飾北斎『肉筆画帖』 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B7%B9より)
保呂乱す、
は、もと鷹匠用語で、
鷹が保呂羽を乱す、
意とあり、
前後を忘じ母衣を乱して咎を酒に塗るたぐひ(文化七年(1810)「当世七癖上戸」)、
と、
取り乱した言動をなす、
意や、
信玄の母衣を勝頼みだす也(文化五年(1808)「柳多留」)、
と、
身代をなくす、
意で使ったりする(江戸語大辞典)。この「保呂」の他に、
母衣、
保侶、
幌、
縨、
等々と当てて、
矢を防ぐために鎧(よろい)の背にかける、袋状の布製防具、
をも言う(日本国語大辞典)。
甲冑の背につけた幅の広い布で、風にはためかせたり、風をはらませるようにして、矢などを防ぐ具とした。五幅(いつの 約1.5メートル)ないし三幅(みの 約0.9メートル)程度の細長い布である、
とある(日本大百科全書)。
(母衣の付け方 武家戦陣資料事典より)
本来は、
雨湿を避けたり、防寒のために用いた、
とある(武家戦陣資料事典)が、後世、平和な江戸時代になると、
保呂は胎内の子のつつまれし胞衣(えな)なり、
などという俗説が生まれ、広く信じられたらしい。しかし、
(母衣の)母の字に付きて後に作為したる僞説、
である。どうやら、南北朝時代には、
錦や金銀襴の厚地のものもあって、一種のマント代わりと軍容を増すためのもの、
であり、
騎走したとき靡くのが格好良いのであり、また裾の方を腰に結びつけると風をはらんで丸くなり、美観と勇壮に見えるので主将とか、いわゆる洒落た武士が用いるところであった、
が、徒歩の場合や、風のないときはふくらまないので、室町時代から、
保呂串で球状につくりそれに母衣をまぶせて、いつもふくらんでいるように見せた、
とあり(仝上)、
竹籠(たけかご)を母衣串(ほろぐし)につけてこれを包み、背後の受け筒に挿した、
のである。室町時代末期からは、
指物としての母衣となり、主将、物頭、使番、剛勇で特に許されたものの用いるものとなった(仝上)。
で、「母衣」も、
保呂衣(ほろぎぬ)、
懸保呂(かけぼろ)、
保呂指物(ほろさしもの)、
矢保呂、
等々と区別して呼ばれたりするようになる(世界大百科事典)。
(平敦盛を呼び止める、大きな赤い母衣を負う熊谷直実(一の谷合戦図屏風) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%8D%E8%A1%A3より)
たとえば、使番の集団を、
母衣衆、
というのは、織田信長が創めたものだが、豊臣秀吉の黄母衣衆、赤母衣衆、腰母衣衆、大母衣衆も、
着用が許される名誉の軍装、
である。考えてみれば、矢はともかく鉄炮の時代、防具として役立ちそうもないものだから、
一種美装と誉れ、
の証しだったのではないか。
(母衣の図(和漢三才図会) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%8D%E8%A1%A3より)
この「ほろ」の語源は、「保呂」の、
含(ほほ)みたる羽の意、
と同じく、
ほ(含)ろの義(日本語源=賀茂百樹)、
でいいのではあるまいか、
ヤホロの轉、ヤホロは矢ふくろの意(塩尻)、
は、戦国期に、
背に負うた矢を包む母衣状の矢母衣(やぼろ)、
を使うようになってからのことで、先後逆で、由来とは考えにくい。
フクロの略転(燕石雑記・和訓栞)、
は、母衣を串や籠で象るようになって以降の話であるし、
胎児を守るホロ(胞衣)の意を、敵の矢から守る物に転用した(壒嚢抄)、
に至っては俗説に過ぎない。
なお、「保呂」とよばれるものに、
一番の母衣なんぞは顔ほどもあったよ、母衣とは丸髷へ入れる形(かた)さ(文化十四年(1817)「四十八癖」)、
と、
女髪の丸髷を結うとき、髷を大きくするために入れる張り子の型、最も大形なるを一番という、
とある(江戸語大辞典)。「母衣」を籠などで象ってふくらませたのに準えた、と思われる。
参考文献;
笹間良彦『武家戦陣資料事典』(第一書房)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95