正直に思ひ入る一念さりとは恐し。繋念無量劫(けねんむりょうこう)、いかがや贖(あがな)わん(宿直草)、
にある、
繋念無量劫、
は、
仏語、一つの事に執着した一念は、限りない罪業に等しい、
の意(高田衛編・校注『江戸怪談集』)とある。
一念無量劫(いちねんむりょうごう)、
とも、
一念五百生(いちねんごひゃくしょう)、
ともいい、
一念五百生繋念無量劫(いちねんごひゃくしょうけねんむりょうごう)、
ともつづけ、
もし妄想に強くとらわれるときは、はかり知れない長い時間にわたってその罪を受ける、
ただ一度妄念(もうねん)を起こしても量り知れない長期にわたってその報いを受ける、
という意で(精選版日本国語大辞典)、
一ねんむりゃうがうと成る事、今にはじめざる事にて候へば(「曾我物語(南北朝)」)、
と、
男女の愛情についていうことが多い、
とある(仝上)。「無量」は、
はかりしれなく大きいこと、
限りもなく多いこと、
莫大であること、
の意で、
無量劫、
で、
ひじょうに長い時間、限りのない時間、
つまりは、
永劫、
の意で、「無量光」というと、
阿弥陀仏の光明が与えるめぐみの、過去・現在・未来にわたって限りがないこと、
をたたえた言い方になる。
「劫」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/485308852.html)で触れたように、「劫」は、慣用的に、
ゴウ、
とも訓むが、
コウ(コフ)、
が正しい(呉音)。
劫波(こうは)、
劫簸(こうは)、
ともいう(広辞苑)。「劫」は、
サンスクリット語のカルパ(kalpa)、
に、
劫波(劫簸)、
と、音写した(漢字源)ため、仏教用語として、
一世の称、
また、
極めて長い時間、
を意味し(仝上)、
刹那の反対、
だが、単に、
時間、
または、
世、
の義でも使う(字源)。インドでは、
梵天の一日、
人間の四億三千二百万年、
を、
一劫(いちごう)、
という。ために、仏教では、その長さの喩えとして、
四十四里四方の大石が三年に一度布で拭かれ、摩滅してしまうまで、
方四十里の城にケシを満たして、百年に一度、一粒ずつとり去りケシはなくなっても終わらない長い時間、
などともいわれる(仝上・精選版日本国語大辞典)。
「繋念」は、
懸念、
係念、
掛念、
とも当て(精選版日本国語大辞典)、
ケンネンの最初のンを表記しない形、
とある(広辞苑)。平安末期『色葉字類抄』に、
係念、ケネム、
とあり、仏語で、
一つのことにだけ心を集中させて、他のことを考えないこと、
一つのことに心をかけること、
の意で、転じて、
無心無事なるは、真身のあらはるる姿を、繋念の情生ずるは、本心を忘るる時也(「梵舜本沙石集(1283)」)、
と、やはり仏語で、
あることにとらわれて執着すること、
つまり、
執念、
の意でも使う。それが転じて、日葡辞書(1603~04)では、
気にかかって不安に思うこと、また、そのさま、
気がかり、
心配、
の意になり、
俺(わが)うへには眷念(ケネン)せで、とくとく帰路に赴き給へ(読本「近世説美少年録(1829~32)」)、
と使い、
拙者が懸念(ケネン)には、若君を鎌倉近処には隠し置きますまい(歌舞伎「男伊達初買曾我(1753)」)、
と、
気をまわして考えること、
推察すること、
の意でも使ったりする(精選版日本国語大辞典)。
「懸念」は、訛って、
けんね、
とも言い、更に訛って、
けんにょ、
ともいう(広辞苑)が、
懸念もない(けんにょもない)、
は、
この男けんによもなき顔して我が名は与太夫とは言はず(「懐硯(西鶴 1687)」)、
と、
思いもよらない、
意外である、
の意や、
はつたとにらむ顔附はけんによもなげにしらじらし(浄瑠璃「曾根崎」)、
と、
知らぬふりをする、
平然としている、
意で使う(精選版日本国語大辞典)。
「懸」(漢音ケン、慣用ケ、呉音ゲ)は、
会意兼形声。県は、首という字の逆形で、首を切って宙づりにぶらさげたさま。縣(けん)は「県+糸(ひも)」の会意文字で、ぶらさげる意を含み、中央政庁にぶらさがるひもつきの地方区のこと。懸は「心+音符縣」で、心が宙づりになって決まらず、気がかりなこと。また、縣(宙づり)の原義をあらわすことも多い、
とある(漢字源)。別に、
会意兼形声文字です(縣+心)。「大地を覆う木の象形と糸の象形と目の象形」(木から髪または、ひもで首をさかさまにかけたさまから、「かける」の意味)と「心臓」の象形から、「心にかける」、「つり下げる」を意味する「懸」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji1856.html)。
「繋(繫)」(漢音ケイ、呉音ケ・ゲ)は、
形声、𣪠(毄)が音を表す、
とあり(漢字源)、
「糸」+音符「𣪠(毄 ケキ→ケイ」の形声。「系」「係」「継」と同系、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%B9%8B・角川新字源)。別に、
会意兼形声文字です。「車の象形と手に木のつえを持つ象形」(「車がぶつかりあう」の意味)と「より糸」の象形(「糸」の意味)から「つなぐ」、「つながる」を意味する「繋」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji2657.html)。
「掛」(慣用カ、漢音カイ、呉音ケ)は、
会意兼形声。圭(けい)は、△型に高く土を盛るさま。転じて、∧型に高くかけること。卦(カ)は、卜(うらない)のしるしをかけること。掛は「手+音符卦」で、∧型にぶらさげておくこと、
とある(漢字源)が、別に、
形声。手と、音符卦(クワ→クワイ)とから成る。手で物をひっかける意を表す。もと、挂(クワイ)の俗字、
とも(角川新字源)、
形声文字です(扌(手)+卦)。「5本の指のある手」の象形と「縦横の線を重ね幾何学的な製図の象形と占いの為に亀の甲羅や牛の骨を焼いて得られた割れ目の象形」(「占いの時に現れる割れ目の形」の意味だが、ここでは、「系」に通じ(「系」と同じ意味を持つようになって)、「かける」の意味)から、「手で物をひっかける」を意味する「掛」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji1604.html)。
「係」(漢音ケイ、呉音ケ)は、
会意兼形声。系は、ずるずる引くさまと、糸の会意文字。係は「人+音符系」で、ひもでつなぐこと、系の後出の字、
とある(漢字源)。
「系」は「糸(紐など)」でつないでずるずると引く様(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%BF%82)、
人と、系(ケイ つなぐ)とから成り、人の「つながり」の意を表す。「系」の後にできた字(角川新字源)、
ともあり、
会意兼形声文字です(人+系)。「横から見た人の象形」と「つながる糸を手でかける象形」(「つながり」の意味)から「人と人とをつなぐ・つながり」を意味する「係」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji394.html)。
(「念」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%BF%B5より)
「念」(漢音デン、呉音ネン)は、
会意兼形声。今は「ふさぐしるし+-印」からなり、中に入れて含むことをあらわす会意文字。念は「心+音符今」で、心中深く含んで考えること。また吟(ギン 口を動かさず含み声でうなる)とも近く、経をよむように、口を大きく開かず、うなるように含み声でよむこと、
とある(漢字源)。別に、
形声。心と、音符今(キム、コム)→(デム、ネム)から成る。心にかたくとめておく意を表す、
とも(角川新字源)、
会意文字です(今+心)。「ある物をすっぽり覆い含む」事を示す文字(「ふくむ」の意味)と「心臓」の象形から、心の中にふくむ事を意味し、そこから、「いつもおもう」を意味する「念」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji664.html)。
参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95