繋念無量劫
正直に思ひ入る一念さりとは恐し。繋念無量劫(けねんむりょうこう)、いかがや贖(あがな)わん(宿直草)、
にある、
繋念無量劫、
は、
仏語、一つの事に執着した一念は、限りない罪業に等しい、
の意(高田衛編・校注『江戸怪談集』)とある。
一念無量劫(いちねんむりょうごう)、
とも、
一念五百生(いちねんごひゃくしょう)、
ともいい、
…
生きるとは 位置を見つけることだ あるいは 位置を踏み出すことだ そして 位置をつくりだすことだ
位置は一生分だ 長い呻吟の果てに たどりついた位置だ その位置を さらにずらすことは 生涯を賭すことだ それでもなおその賭けに 釣り合う 未来はあるか