はやく屋の内を浄め、精進を潔斎にせよ。三明六通を得て、芥毛頭のこさず三界一覧にするなり(「義殘後覚(ぎざんこうかく)」)、
に、
三明六通(さんみょうろくつう)、
とあるのは、
仏教語。三種の智と六種の自在な神通力、
の意とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。
「三明(さんみょう)」は、
婆羅門教(とヒンドゥー教)の根本聖典である三つのヴェーダ(知識)、すなわち、
リグ・ヴェーダ(神々への韻文讃歌(リチ)集。インド・イラン共通時代にまで遡る古い神話を収録)、
サ―マ・ヴェーダ(『リグ・ヴェーダ』に材を取る詠歌(サーマン)集。インド古典音楽の源流)、
ヤジュル・ヴェーダ(散文祭詞(ヤジュス)集。神々への呼びかけなど)、
をいう、とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%80・岩波古語辞典)。それが、仏教では、
仏・阿羅漢が備えている三つの智慧、
とし、
宿命(しゅくみょう)明(パーリ語 pubbe-nivāsānussati-ñāṇa 宿命通 自他の過去世を知る能力)、
天眼(てんげん)明(同 dibba-cakkhu-ñāṇa 天眼通 自他の未来世を知る能力)、
漏盡(ろじん)明(同 āsavakkhaya-ñāṇa 漏盡通 現世の苦相を悟り煩悩を尽きさせる能力)、
の称とする(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E7%A5%9E%E9%80%9A・岩波古語辞典)。「明」は、「智」の意であり(仝上)、
三明は過去・現在・未来にかかわる智慧、
の意である。雜阿含経(漢訳四阿含のうちの一つ)に、
世尊告諸比丘、有無学三明、何等為三、無学宿命智證通、無学天眼智證通、無学漏盡智證通、
とある。で、
三明の覚路(かくろ)、
とは、
三明は仏となる近道であるところから、仏となるべき道、仏門、
をいい、
三明の月(つき)、
は、
三明の徳が円満で、一切をくまなく照らすことを月にたとえる、
意として使う(広辞苑・日本国語大辞典)。
(真隆和上の書 http://blog.baigenzan-senchoji.com/?eid=118より)
「六通」(ろくつう)は、
六神通(ろくじんずう)、
ともいい、「三明」に、
天耳通(てんにつう 六道衆生の声を聞くこと)、
他心通(たしんつう 六道衆生の心中を知ること)、
神足通(じんそくつう 種々の神変を現ずること)、
の三つを加えたものをいう(日本国語大辞典)。観無量寿経等に説かれ、仏や小乗の証果である阿羅漢が得る、
神通力、
をいい、
止観の瞑想修行において、止行(禅定)による三昧の次に、観行(ヴィパッサナー)に移行した際に得られる、自在な境地を表現したものである、
とあり(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E7%A5%9E%E9%80%9A)、
天耳(てんに)通(同 dibba-sota-ñāṇa 世界すべての声や音を聞き取り、聞き分けることができる力)、
他心(たしん)通(同 ceto-pariya-ñāṇa 他人の心の中をすべて読み取る力)、
神足(じんそく)通(パーリ語 iddhi-vidha-ñāṇa 自由自在に自分の思う場所に思う姿で行き来でき、思いどおりに外界のものを変えることのできる力。飛行や水面歩行、壁歩き、すり抜け等をし得る力)、
で、漏尽通を除く五つを、
五通、
と呼ぶこともある(仝上)、とある。
「三」(サン)は、「三会」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/484736964.html)で触れたように、
指事。三本の横線で三を示す。また、参加の參(サン)と通じていて、いくつも混じること。また杉(サン)、衫(サン)などの音符彡(サン)の原形で、いくつも並んで模様を成すの意も含む、
とある(漢字源)。また、
一をみっつ積み上げて、数詞の「みつ」、ひいて、多い意を表す、
ともある(角川新字源)。
(「明」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%98%8Eより)
「明」(漢音メイ、呉音ミョウ、唐音ミン)は、
会意。「日+月」ではなく、もと冏(ケイ 窓)+月」で、あかり取りの窓から、月光が差し込んで物が見えることを示す。あかるいこと、また、人に見えないものを見分ける力を明という、
とある(漢字源)。
古くは「朙」、「冏(囧)」(ケイ まどの意)+「月」、月光が窓からさす様、
とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%98%8E)、
「日」+「月」で明るい、
と解するのは俗解とする(仝上)。しかし、
もと、明・朙の二体があり、ともに会意。明は、日と月(つき)とから成り、「あかるい」意を表す。朙は、月と囧(けい 窓の形)とから成り、窓に月光がさしこむことから、「あかるい」意を表す。のち、明の字形に統一された、
ともある(角川新字源)。
「六道四生」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/486172596.html?1648323250)で触れたように、
「六」(漢音リク、呉音ロク)は、
象形。おおいをした穴を描いたもの。数詞の六に当てたのは仮借(カシャク 当て字)、
とある(漢字源・https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%85%AD)が、
象形。屋根の形にかたどる。借りて、数詞の「むつ」の意に用いる、
とも(角川新字源)、
象形文字です。「家屋(家)」の象形から、転じて数字の「むつ」を意味する「六」という漢字が成り立ちました、
とも(https://okjiten.jp/kanji128.html)あり、「穴」か「家」だが、甲骨文字を見ると、「家」に思える。
「通」(漢音ツ・トウ、呉音ツウ)、
は、
会意兼形声。用(ヨウ)は「卜(棒)+長方形の板」の会意文字で、棒を板に通したことを示す。それに人を加えた甬(ヨウ)の字は、人が足でとんと地板を踏み通すこと。通は「辶(足の動作)+音符甬」で、途中でつかえて止まらず、とんとつき通こと、
とあり(漢字源)、
会意形声。「辵」+音符「甬」(現代音はヨウであるが、「痛」等に見られるように「ツウ」の音もあった)。「甬」は、「勇」「踊」の原字、「人」+「用」で、人が足踏みをするの意、
ともある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%80%9A)。又は、
「桶」の原字で、先が見通せること、
との説(白川静)もある(仝上)。別に、
形声。辵(または彳(てき))と、音符甬(ヨウ→トウ)とから成る。つきとおる、まっすぐにとおっている、ひいて「かよう」意を表す、
とも(角川新字源)、
会意兼形声文字です(辶(辵)+甬)。「立ち止まる足の象形と十字路の象形」(「行く」の意味)と「甬鐘(ようしょう)という筒形の柄のついた鐘」の象形(「筒のように中が空洞である」の意味)からつつのように空洞で障害物なくよく「とおる」を意味する「通」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji367.html)。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
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