2022年10月01日

三明六通


はやく屋の内を浄め、精進を潔斎にせよ。三明六通を得て、芥毛頭のこさず三界一覧にするなり(「義殘後覚(ぎざんこうかく)」)、

に、

三明六通(さんみょうろくつう)、

とあるのは、

仏教語。三種の智と六種の自在な神通力、

の意とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。

「三明(さんみょう)」は、

婆羅門教(とヒンドゥー教)の根本聖典である三つのヴェーダ(知識)、すなわち、

リグ・ヴェーダ(神々への韻文讃歌(リチ)集。インド・イラン共通時代にまで遡る古い神話を収録)、
サ―マ・ヴェーダ(『リグ・ヴェーダ』に材を取る詠歌(サーマン)集。インド古典音楽の源流)、
ヤジュル・ヴェーダ(散文祭詞(ヤジュス)集。神々への呼びかけなど)、

をいう、とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%80・岩波古語辞典)。それが、仏教では、

仏・阿羅漢が備えている三つの智慧、

とし、

宿命(しゅくみょう)明(パーリ語 pubbe-nivāsānussati-ñāṇa 宿命通 自他の過去世を知る能力)、
天眼(てんげん)明(同 dibba-cakkhu-ñāṇa 天眼通 自他の未来世を知る能力)、
漏盡(ろじん)明(同 āsavakkhaya-ñāṇa 漏盡通 現世の苦相を悟り煩悩を尽きさせる能力)、

の称とする(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E7%A5%9E%E9%80%9A・岩波古語辞典)。「明」は、「智」の意であり(仝上)、

三明は過去・現在・未来にかかわる智慧、

の意である。雜阿含経(漢訳四阿含のうちの一つ)に、

世尊告諸比丘、有無学三明、何等為三、無学宿命智證通、無学天眼智證通、無学漏盡智證通、

とある。で、

三明の覚路(かくろ)、

とは、

三明は仏となる近道であるところから、仏となるべき道、仏門、

をいい、

三明の月(つき)、

は、

三明の徳が円満で、一切をくまなく照らすことを月にたとえる、

意として使う(広辞苑・日本国語大辞典)。

三明六通皆自在 (2).jpg

(真隆和上の書 http://blog.baigenzan-senchoji.com/?eid=118より)

「六通」(ろくつう)は、

六神通(ろくじんずう)、

ともいい、「三明」に、

天耳通(てんにつう 六道衆生の声を聞くこと)、
他心通(たしんつう 六道衆生の心中を知ること)、
神足通(じんそくつう 種々の神変を現ずること)、

の三つを加えたものをいう(日本国語大辞典)。観無量寿経等に説かれ、仏や小乗の証果である阿羅漢が得る、

神通力、

をいい、

止観の瞑想修行において、止行(禅定)による三昧の次に、観行(ヴィパッサナー)に移行した際に得られる、自在な境地を表現したものである、

とありhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E7%A5%9E%E9%80%9A

天耳(てんに)通(同 dibba-sota-ñāṇa 世界すべての声や音を聞き取り、聞き分けることができる力)、
他心(たしん)通(同 ceto-pariya-ñāṇa 他人の心の中をすべて読み取る力)、
神足(じんそく)通(パーリ語 iddhi-vidha-ñāṇa 自由自在に自分の思う場所に思う姿で行き来でき、思いどおりに外界のものを変えることのできる力。飛行や水面歩行、壁歩き、すり抜け等をし得る力)、

で、漏尽通を除く五つを、

五通、

と呼ぶこともある(仝上)、とある。

「三」 漢字.gif

(「三」 https://kakijun.jp/page/0302200.htmlより)


「三」(サン)は、「三会」http://ppnetwork.seesaa.net/article/484736964.htmlで触れたように、

指事。三本の横線で三を示す。また、参加の參(サン)と通じていて、いくつも混じること。また杉(サン)、衫(サン)などの音符彡(サン)の原形で、いくつも並んで模様を成すの意も含む、

とある(漢字源)。また、

一をみっつ積み上げて、数詞の「みつ」、ひいて、多い意を表す、

ともある(角川新字源)。

「明」 漢字.gif



「明」 甲骨文字・殷.png

(「明」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%98%8Eより)

「明」(漢音メイ、呉音ミョウ、唐音ミン)は、

会意。「日+月」ではなく、もと冏(ケイ 窓)+月」で、あかり取りの窓から、月光が差し込んで物が見えることを示す。あかるいこと、また、人に見えないものを見分ける力を明という、

とある(漢字源)。

古くは「朙」、「冏(囧)」(ケイ まどの意)+「月」、月光が窓からさす様、

とありhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%98%8E

「日」+「月」で明るい、

と解するのは俗解とする(仝上)。しかし、

もと、明・朙の二体があり、ともに会意。明は、日と月(つき)とから成り、「あかるい」意を表す。朙は、月と囧(けい 窓の形)とから成り、窓に月光がさしこむことから、「あかるい」意を表す。のち、明の字形に統一された、

ともある(角川新字源)。

「六」 漢字.gif

(「六」 https://kakijun.jp/page/0421200.htmlより)

「六道四生」http://ppnetwork.seesaa.net/article/486172596.html?1648323250で触れたように、

「六」(漢音リク、呉音ロク)は、

象形。おおいをした穴を描いたもの。数詞の六に当てたのは仮借(カシャク 当て字)、

とある(漢字源・https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%85%AD)が、

象形。屋根の形にかたどる。借りて、数詞の「むつ」の意に用いる、

とも(角川新字源)、

象形文字です。「家屋(家)」の象形から、転じて数字の「むつ」を意味する「六」という漢字が成り立ちました、

ともhttps://okjiten.jp/kanji128.htmlあり、「穴」か「家」だが、甲骨文字を見ると、「家」に思える。

「通」 漢字.gif

(「通」 https://kakijun.jp/page/1076200.htmlより)

「通」(漢音ツ・トウ、呉音ツウ)、

は、

会意兼形声。用(ヨウ)は「卜(棒)+長方形の板」の会意文字で、棒を板に通したことを示す。それに人を加えた甬(ヨウ)の字は、人が足でとんと地板を踏み通すこと。通は「辶(足の動作)+音符甬」で、途中でつかえて止まらず、とんとつき通こと、

とあり(漢字源)、

会意形声。「辵」+音符「甬」(現代音はヨウであるが、「痛」等に見られるように「ツウ」の音もあった)。「甬」は、「勇」「踊」の原字、「人」+「用」で、人が足踏みをするの意、

ともあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%80%9A。又は、

「桶」の原字で、先が見通せること、

との説(白川静)もある(仝上)。別に、

形声。辵(または彳(てき))と、音符甬(ヨウ→トウ)とから成る。つきとおる、まっすぐにとおっている、ひいて「かよう」意を表す、

とも(角川新字源)、

会意兼形声文字です(辶(辵)+甬)。「立ち止まる足の象形と十字路の象形」(「行く」の意味)と「甬鐘(ようしょう)という筒形の柄のついた鐘」の象形(「筒のように中が空洞である」の意味)からつつのように空洞で障害物なくよく「とおる」を意味する「通」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji367.html

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2022年10月02日

三界


はやく屋の内を浄め、精進を潔斎にせよ。三明六通を得て、芥毛頭のこさず三界一覧にするなり(「義殘後覚(ぎざんこうかく)」)、

にある、

三界、

は、

三千世界に同じ、全ての世界、

と注記がある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。

三界.jpg

(三界 大辞泉より 「有頂天」には、色界(しきかい)の中で最も高い天である色究竟天(しきくきょうてん)とする説、色界の上にある無色界の中で、最上天である非想非非想天(ひそうひひそうてん)とする説の二説がある)

「三界」(さんがい)は、

三有(さんう)、

ともいい(大辞林)、

一切衆生(しゅじょう)の生死輪廻(しょうじりんね)する三種の世界、すなわち欲界(よくかい)・色界(しきかい)・無色界(むしきかい)と、衆生が活動する全世界を指す、

とある(広辞苑)。つまり、仏教の世界観で、

生きとし生けるものが生死流転する、苦しみ多き迷いの生存領域、

を、欲界(kāma‐dhātu)、色界(rūpa‐dhātu)、無色界(ārūpa‐dhātu)の3種に分類したもので(色とは物質のことである。界と訳されるサンスクリットdhātu‐はもともと層(stratum)を意味する)、「欲界」は、

もっとも下にあり、性欲・食欲・睡眠欲の三つの欲を有する生きものの住む領域、

で、ここには、

地獄(じごく)・餓鬼(がき)・畜生(ちくしょう)・修羅(しゅら)・人・天、

の六種の、

生存領域(六趣(ろくしゅ)、六道(ろくどう))、

があり、欲界の神々(天)を、

六欲天、

という。「色界」は、

性欲・食欲・睡眠欲の三欲を離れた生きものの住む清らかな領域、

をいい、

絶妙な物質(色)よりなる世界なので色界の名があり、

四禅天、

に大別される。「四禅天」(しぜんてん)は、

禅定の四段階、

その領域、とその神々をいい、「初禅天」には、

梵衆・梵輔・大梵の三天、

「第二禅天」には、

少光・無量光・光音の三天、

「第三禅天」には、

少浄・無量浄・遍浄の三天、

「第四禅天」には、

無雲・福生・広果・無想・無煩・無熱・善見・善現・色究竟の九天、

合わせて十八天がある、とされる。

「無色界」は、

最上の領域であり、物質をすべて離脱した高度に精神的な世界、

であり、

空無辺処・識無辺処・無処有処・非想非非想処、

の四天から成り、ここの最高処、非想非非想処を、

有頂天(うちょうてん)、

と称する(広辞苑・日本大百科全書・世界大百科事典)。ただ、「非想非々想天」http://ppnetwork.seesaa.net/article/485982512.htmlで触れたように、「有頂天」には、

色界(しきかい)の中で最も高い天である色究竟天(しきくきょうてん)、

とする説、

色界の上にある無色界の中で、最上天である非想非非想天(ひそうひひそうてん)

とする説の二説がある(広辞苑)。

三界図.jpg

(「三界図」(それぞれの世界の海抜、距離、住民の寿命と身長などが書き込まれている) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E7%95%8Cより)

因みに、「生死輪廻」(しょうじりんね、しょうじりんえ)は、

「生死」も「輪廻」も梵語 saṃsāra の訳語、

である(精選版日本国語大辞典)。

ところで、「三界」のもつ意味から、

三界無安、猶如火宅(法華経譬喩品)、

と、

三界火宅(苦悩の絶えない凡夫の世界を火焔の燃える居宅にたとえていう)、
三界無安(現世は苦痛に満ちていて、少しも安心ができない)、
三界の首枷(くびかせ 断ちがたいこの世の愛着や苦悩)、

とか、

三界諸天(三界にある諸種の天。欲界の六天、色界の四禅天、無色界の四天のこと)、

とか、

三界に家無し(どこにも安住の家がない)、

とか、

方々をさまよいあるく者を、

三界坊(乞食坊主、流浪人)、

とか、華厳経によって、

三界の一切存在は自分の心に映ずる現象で、自分の心の外に三界はない、

という意味の、

三界所有、唯是一心(八十華厳経)、

と、

三界唯心(さんがいゆいしん)、
三界一心(さんがいいっしん)、
三界唯一心(さんがいゆいいっしん)、

とかというが、「三界」には、仏語で、

過去・現在・未来の三世、

をいうこともあり、

島隠れ行くとは三界流転の心なり(御伽草子「小町草子」)、

と、

三世にわたって因果が連続して迷いつづける、

意の、

三界流転(さんがいるてん)、

という言い方もする(広辞苑・大辞林・精選版日本国語大辞典)。

また「三界」は、メタファとして、

遠く離れた場所、

の意で、場所の名に添えて、

親許三界、
江戸三界、
郭(くるわ)三界
唐三界、

等々と使い、

~くんだり、

の含意で、また時間を示す語に添えて、

茶は土瓶で拵(こしら)へりや一日三界余る(浮世風呂)、

と、その意味を強めて、

それが長い間である気持を表す、

意でも使う(仝上)。

「界」 漢字.gif


「界」(漢音カイ、呉音ケ)は、

会意兼形声。介(カイ)は「人+ハ印」の会意文字で、人が両側からはさまれて中に介在するさま。逆にいうと、中にわりこんで、両側にわけること。界は「田+音符介」で、田畑の中に区切りを入れて、両側にわける境目、

とある(漢字源)。別に、

会意形声。「田+音符「介」(たすける、仲立ち)で、農地を仲立ちする「さかい」、さかいで区切られた「空間」のこと、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%95%8C

会意兼形声文字です(田+介)。「区画された狩猟地・耕地」の象形と「よろいに入った人」(「区切る」の意味)の象形から「区切る・さかいめ」を意味する「界」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji465.html

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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ラベル:三界 三千世界
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2022年10月03日

三千世界


「三界」http://ppnetwork.seesaa.net/article/491997710.html?1664651664)で触れたように、

はやく屋の内を浄め、精進を潔斎にせよ。三明六通を得て、芥毛頭のこさず三界一覧にするなり(「義殘後覚(ぎざんこうかく)」)、

の、

三界、

は、

三千世界に同じ、全ての世界、

とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。しかし、「三界」の、

界と訳されるサンスクリットdhātuはもともと層(stratum)を意味する、

とあり(世界大百科事典)、仏教の世界観で、

全世界、

を示しているには違いないが、「三界」は、

心の状態を層、

として表現しているのに対して、「三千世界」は、それを、

空間的な広がり、

として表現していて、微妙に違う気がする。

須弥山の概念図.jpg

(「須弥山の一小世界」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A0%88%E5%BC%A5%E5%B1%B1より)

「三千世界」は、『釋氏要覧』(宋代)に、

須弥山有八山、遶外有大鐵圍山、周廻圍繞、幷、一日月、晝夜回轉、照四天下、名一國土、積一千國土、名小千世界、積千箇小界、名中千世界、積一千中千世界、名大千世界、以三積千、故三千大千世界、

とあるように、

三千大千世界、

の意であり、

三千界、
三千、
一大三千大千世界、
一大三千界、

という言い方もする(精選版日本国語大辞典)。

われわれの住む所は須弥山(しゅみせん)を中心とし、その周りに四大州があり、さらにその周りに九山八海があるとされ、これを一つの、

小世界、

という。小世界は、下は風輪から、上は色(しき)界の初禅天(しょぜんてん 六欲天の上にある四禅天のひとつ)まで、左右の大きさは鉄囲山(てっちせん)の囲む範囲である。「小世界」の大きさは、

直径が太陽系程の大きさの円盤が3枚重なった上に、高さ約132万Kmの山が乗っています、

とあるhttp://tobifudo.jp/newmon/betusekai/uchu.html。この層は、

三輪(さんりん)、

と呼ばれ、

虚空(空中)に「風輪(ふうりん)」という丸い筒状の層が浮かんでいて、その上に「水輪(すいりん)」の筒、またその上に同じ太さの「金輪(こんりん)」という筒が乗っている。そして「金輪」の上は海で満たされており、その中心に7つの山脈を伴う須弥山がそびえ立ち、須弥山の東西南北には島(洲)が浮かんでいて、南の方角にある瞻部洲(せんぶしゅう)が我々の住む島、

http://www.tendai.or.jp/houwashuu/kiji.php?nid=90、三つの円盤状の層からなっている。いちばん下には、

円盤状つまり輪形の周囲の長さが「無数」(というのは10の59乗に相当する単位)ヨージャナ(由旬(ゆじゅん 1ヨージャナは一説に約7キロメートル)で、厚さが160万ヨージャナの風輪が虚空(こくう)に浮かんでいる、

その上に、

同じ形の直径120万3450ヨージャナで、厚さ80万ヨージャナの水輪、

その上に、

同形の直径は水輪と同じであるが、厚さが32万ヨージャナの金でできている大地、

があり、その金輪の上に、

九山、八海、須弥四洲、

があるということになる(日本大百科全書)。

「須弥山」をとりまいて、

七つの金の山と鉄囲山(てっちさん)があり、その間に八つの海がある。これを九山八海という。

周囲の鉄囲山(てっちせん)にたたえた海水に須弥山に向かって東には半月形の毘提訶洲(びだいかしゅう、あるいは勝身洲)、南に三角形の贍部洲(南洲あるいは閻浮提)、西に満月形の牛貨洲(ごけしゅう)、北に方座形の倶盧洲(くるしゅう)、

がありhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A0%88%E5%BC%A5%E5%B1%B1、「贍部洲(せんぶしゅう)」は、インド亜大陸を示している、とされる(以上、「金輪際」http://ppnetwork.seesaa.net/article/482019842.htmlで触れた)。

この一小世界を1000集めたのが一つの、

小千世界、

であり、この小千世界を1000集めたのが一つの、

中千世界、

であり、この中千世界を1000集めたのが一つの、

大千世界、

である。この大千世界は、小・中・大の3種の千世界からできているので、

三千世界、

とよばれ、

1000の3乗(1000×1000×1000)、

すなわち、

10億の世界、

を意味する(日本大百科全書)、とある。この世界全体の中心に存在するのか、

大毘廬舍那如来(だいびるしゃなにょらい)、

つまり、

大仏、

でありhttp://tobifudo.jp/newmon/betusekai/uchu.html、この三千世界は、

一仏の教化の及ぶ範囲、

とされた(新明解四字熟語辞典)。ゆえに、1つの三千大千世界を、

1仏国土(buddhakṣetra)、

ともよぶhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%8D%83%E5%A4%A7%E5%8D%83%E4%B8%96%E7%95%8C。我々が住んでいる世界を包括している仏国土、

三千大千世界、

は、

娑婆(サハー、sahā)、

である。阿弥陀如来が教化している極楽(sukhāvatī)という名前の仏国土は、サハー世界の外側、西の方角にあるため西方極楽浄土と呼ばれる(仝上)、とある。

三千大千世界.jpg

(三千大千世界 http://tobifudo.jp/newmon/betusekai/uchu2.htmlより)

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2022年10月04日

目かれ


かばかりに尋常に優しくは有るらんと、見れども見れども目かれせず。かくて舞を始めけるに、面白さ云はん方なし(「義殘後覚(ぎざんこうかく)」)、

とある、

目かれせず、

は、

見あきない、

とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。「目かれ」は、

めかる、

の、

名詞形、

だと思う。「めかる」は、

目離る、

と当て、

見る目を離(か)るる義、

と、

目、離(はな)る、

ことで(大言海)、ラ行下二段活用、

語幹 か
未然形 れ
連用形 れ
終止形 る
連体形 るる
已然形 るれ
命令形 れよ

の、連用形の名詞化と思われる。「めかれ」は、

めかるとも、思ほえなくに、忘らるる、時し無ければ、面影に立つ(伊勢物語)、

と、

見ることを止む、

意で、そこから、

さしならびめかれず見奉り給へる年頃よりも(源氏物語)、

と、

疎遠になる、

意でも使う(岩波古語辞典)。で、名詞形でも、

思へども身をし分けねばめかれせぬ雪のつもるぞわが心なる(伊勢物語)、

と、

見る人のなくなること(大言海)、
あるいは、
関係の深い人や物から離れて、それを見ずにいること(岩波古語辞典)、
あるいは、
会わないでいること、疎遠になること(学研全訳古語辞典)、

の意で使う。その意味では、

目かれせず、

を、

見あきない、

意としたのは、

目を離さない→目を離せない→見飽きない、

とかなりの意訳になる。

ところで、「離る」は、「かる」以外に、

あかる(離る・別る 自・ラ行下ニ段 散り散りになる、別々になる)
ある(散る・離る 自・ラ行下ニ段 あらける(散ける・粗ける)、離れ離れになる。遠のく、うとくなる)、
さかる(離る・放る 自・ラ行四段 「さく(離)」に対する自動詞、離れる、へだてる、間遠くなる、遠ざかる)、
はなる(離る・放る 自ラ下二・はなれる、自ラ四下二段活用より古い活用とも、上代東国方言とも 離れる)、

等々とも読ませるが、意味は、「はなればなれ」「離れる」と、「離」の含意の内に収まっているようだ。

「離る(かる)」は、

切るると通ず(大言海)、
「か(涸・枯)れる」と同源(広辞苑・日本国語大辞典)

と、分かれるが、

空間的・心理的に、密接な関係にある相手が疎遠になり、関係が絶える意。多くの歌に使われ、「枯れ」と掛詞になる場合が多い。類義語アカルは散り散りになる意、ワカルは一体となっていたものごと・状態が、ある区切り目をもって別の者になる意、

とある(岩波古語辞典)が、原意の、

切るると通ず(大言海)、

から、「枯れる」に掛けられるに至ったのではあるまいか。で、

朝に日(け)に見まく欲(ほ)りするその玉をいかにせばかも手ゆ離(かれ)ずあらむ(万葉集)、
宿をばかれじと思ふ心深く侍るを(源氏物語)、

と、

空間的に遠くなる、離れる、

意と、それをメタファに、

珠に貫(ぬ)く楝(あふち)を家に植ゑたらば山霍公鳥(ホトトギス)可礼(カレ)ず来むかも(万葉集)、
山里は冬ぞさびしさまさりける人めも草もかれぬと思へば(古今集)、

と、

時間的、心理的に遠くなる、間遠になる。また、関係が絶える、

意で使う(日本国語大辞典)。

「離」 漢字.gif

(「離」 https://kakijun.jp/page/1916200.htmlより)

「離」(リ)は、

会意。離は「隹(とり)+大蛇(「离」は大蛇)の姿(それの絡んだ形)」で、蛇と鳥が組つ離れつ争うことを示す。ただしふつうは麗(きれいに並ぶ)に当て、二つ並んでくっつく、二つ別々になるの意をあらわす、

とある(漢字源・https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%9B%A2)。別に、

形声。隹と、音符(チ、リ)とから成る。の意を表す。借りて「はなれる」意に用いる、

とも(角川新字源)、

会意兼形声文字です(离+隹)。「頭に飾りをつけた獣」の象形と「尾の短いずんぐりした小鳥」の象形から、「チョウセンウグイス」の意味を表したが、「列・刺」に通じ(「列・刺」と同じ意味を持つようになって)、切れ目を入れて「はなす」を意味する「離」という漢字が成り立ちました、

ともhttps://okjiten.jp/kanji1304.htmlある。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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2022年10月05日

多生曠劫


まことに渠(かれ)を討たせ給はん事は、多生曠業(たしょうこうごう)は経るとも、叶ひ給ふべからず(義殘後覚)、

にある、

多生曠業、

は、

輪廻し生を易(か)えて過ごす、きわめて長い歳月、

とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。

多生曠業をば隔つとも、浮かび上がらんこと難し(平家物語)、

も併せて引かれているが、平家物語には、

つくづくものを案ずるに、娑婆の栄華は夢の夢、楽しみ栄えて何かせん。人身は受け難く、仏教には逢ひ難し。このたび泥梨(ないり 地獄)に沈みなば、多生曠劫をば隔つとも、浮かび上がらん事難かるべし、

とあり、どうやら「多生曠業」は当て字で、本来、

多生曠劫、

と表記するのが正確らしい。「多生曠劫(たしょうこうごう)」は、

多生広劫、

とも当て、

多生曠劫互に恩愛を結で、一切の男女は皆生々の父母なり(「愚迷発心集(1213頃)」)、
この一日を曠劫多生にもすぐれたるとするなり(正法眼蔵)、

などと、

長い年月多くの生死を繰り返して輪廻する、

意の仏語で、

多生劫、
広劫多生、

ともいう(精選版日本国語大辞典)。「多生」は、

何度も生をかえてこの世に生まれかわること、

つまり、

多くの生死を繰り返して輪廻する、

意(広辞苑)だが、「多生」は、

今生(こんじょう)、

に対し、

前世、また来生、

の意で(岩波古語辞典)、

来生に生まれ出づること、
今生以外の諸の世界に生まれること、

であり(大言海)、

多生に生まれ出でたる際に結びし因縁、

を、

多生の縁(えん)、

という(「他生」とするは誤用)。

草の枕の一夜の契りも、他生の縁ある上人の御法(謡曲「遊行柳」)、

と、

袖振り合うも多生の縁

も、

互いに見も知りもせぬ人に逢うて世話になるも、皆(多くの生を経る間に結ばれた)因縁による、

という意になる(仝上)。

「曠劫(こうごう)」は、

非常に長い年月、

の意の仏語。

永劫(えいごう)、

と同義。「劫」http://ppnetwork.seesaa.net/article/485308852.htmlで触れたように、「劫」は、慣用的に、

ゴウ、

とも訓むが、

コウ(コフ)、

が正しい(呉音)。

劫波(こうは)、
劫簸(こうは)、

ともいう(広辞苑)。「劫」は、

サンスクリット語のカルパ(kalpa)、

に、

劫波(劫簸)、

と、音写した(漢字源)ため、仏教用語として、

一世の称、
また、
極めて長い時間、

を意味し(仝上)、

刹那の反対、

だが、単に、

時間、
または、
世、

の義でも使う(字源)。インドでは、

梵天の一日、
人間の四億三千二百万年、

を、

一劫(いちごう)、

という。ために、仏教では、その長さの喩えとして、

四十四里四方の大石が三年に一度布で拭かれ、摩滅してしまうまで、
方四十里の城にケシを満たして、百年に一度、一粒ずつとり去りケシはなくなっても終わらない長い時間、

などともいわれる(仝上・精選版日本国語大辞典)。

「曠」 漢字.gif


「曠」(コウ)は、

会意兼形声。廣(広)は「广(部屋)+音符黄」の形声文字で、広々として何もない広間。曠は「日+音符廣」で、もと黄(輝く光)・晃(あかるい光)と同じ。廣や幌(コウ 外枠が広く中が何もない)と同系の言葉として用い、何もなくて、広くあいている意、

とある(漢字源)。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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2022年10月06日

いかさま


いかさま人の一念によって、瞋恚のほむらと云ふものは、有るに儀定たる由(義殘後覚)、

にある、

いかさま、

は、

如何様、

と当て、「いかもの」http://ppnetwork.seesaa.net/article/484310550.htmlで触れたように、

イカサマ(いかにもそうだ)と相手に思い込ませることから(ことばの事典=日置昌一)、

等々が由来として、

いかさまもの、

つまり、

いかさま博奕、

というように、

いんちき、
まがいもの、
まやかしもの、

等々の意で使うが、ここでは、

たしかに、

の意で、

発語、

として使っている(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。ちなみに、「発語」は、

はつご、
ほつご、

とも訓み、

蔵人弁為隆年号勘文三通、於内大臣可定申者、……各撰申、但新宰相依初度被免発語(「中右記(1106)」)、

と、

漢語であり、

言い出す、
言い始める、

意で、

言い出しの言葉、
言い始めの言葉、

として使い、そこから、

さて、
そもそも、
およそ、
いざ、

等々の

文句のはじめに置かれることば、
文章や談話で、最初に用いられることば、

としても用い、その延長線上で、

地口といふものも、発語(ホツゴ)の文字が同字なれば、冠(かぶり)と申て忌(いむ)げにござる(滑稽本・浮世風呂)、

と、

五七五形式の地口などの最初の五文字、

にもいい、さらには、

さ霧、か弱し、た易し、み雪、

等々語調を整えたり、ある意味を添えたりするために語のはじめに付ける「お」「か」「さ」「た」「み」等々の接頭語についても使う(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。

インチキの意の「いかさま」は、

欺罔、

と当て、

いかがわしき情態の意なるか、語彙、イカサマ「人を欺きて、何(いか)さま尤もと承引かしむることに云へり」、イリホガなるべし。いかさま師は、いかさま為(し)なり、イカモノは、イカサマモノの中略なり(つばくらめ、つばめ。きざはし柿、きざがき)、

とある(大言海)。「いりほが」は、

鑿、
入穿、

と当て、

和歌などで、巧み過ぎて嫌味に落ちること、
穿鑿しすぎて的を外すこと、

とある(広辞苑)。いかにも、という感じが過ぎると、いかがわしくなるという意であろうか。しかし、

如何様、

は、本来、名詞としては、

磯城島(しきしま)の大和の国にいかさまに思ほしめせか(万葉集)、
この女君、いみじくわななき惑ひて、いかさまにせむと思へり(源氏物語)、

などと、

不審・困惑の気持をこめて使うことが多い(岩波古語辞典)、
状態、方法などについて疑問の意を表わす(精選版日本国語大辞典)、

と、

どのように、
どんなふう、

の意で、あるいは、副詞として、

「いかさまにも」の略から(精選版日本国語大辞典)、
何方(いかさま)に思ひても然りと云ふ意にてもあるか(大言海)、

と、

何様(いかさま)、事の出来るべきことこそ(保元物語)、

と、

自分の考えや叙述、推測などのたしかさを表わす語、

として(精選版日本国語大辞典)、

いかにも、
しかり、
てっきり、
きっと、
たしかに、
どう見ても、

という意や、

常の衣にあらず、いか様とりて帰り古き人にも見せ、家のたからとなさばやと(謡曲「羽衣(1548頃)」)、

と、

意志の強さを表わす語、

として(精選版日本国語大辞典)、

ぜひとも、
なんとしても、
なんとかして、

という意で使い(仝上・岩波古語辞典)、さらに、感嘆詞としても、

さりとも、きらるるまでは有まじ。誰々も、よきやうに申なしたまはば、いかさま、とほき国にながしおかれぬとおぼえたり(「曾我物語(南北朝頃)」)、

と、

相手の意見を肯定して感動的に応答することば、

としても、

いかにも、
そのとおり、
ほんとに、
なるほど、
ごもっとも、

の意で使い(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)、冒頭の「発語」は、この感嘆詞の意味とも、副詞の意味とも取れる。

ともかく、このような使い方の「いかさま」という言葉だから、

いかがなものか、

という解釈が生まれてくると思われる。「如何様」を「インチキ」の意の「イカサマ」に当てたのは、当て字と思え、この派生で「如何物」という「いかがわしいものという意味にも広がったと思える。

イカガの略にサマ(様)を継ぎ合わせた語(両京俚言考)、

とまでいくと、「インチキ」の意に当てた「如何様」という言葉を前提の解釈でしかない。

「如何様」は、

いかよう、

とも訓ませるが、この意味は、

抑(そもそも)、いかやうなる心ざしあらん人にか、あはんとおぼす(竹取物語)、

と、

物事の状態、程度、方法などを疑い問う意、

を表わし、

いかなるさま、
どのよう、
どんなこと、
どのくらい、
どれほど、

という意や、

あなおほけな。又いかやうに限りなき御心ならむ(源氏物語)、

と、

物事の状態、程度などのはなはだしさを強調する、

意を表わし、

どのよう、
どれほど、

の意や、

何様(いかやう)にても我が子は被噉(くらはれ)なむずるにこそ有けれ(今昔物語集)、

と、

物事の状態を不定のままにいう、

ことから、

どういうさま、
どのよう、

の意で使い、どうやら、「いかよう」と訓むときは、

たしかに、
とか
ぜひとも、

の含意はない。これは、漢語、

如何(いかん)、

の、

如之何(コレヲイカンセン)、
如其仁(ソノ仁をイカンセン)、

と、

いかんせん、
どうしようか、

の意で使う意味の範囲を出でいないためと思われる(字源・漢字源)。

「如」 漢字.gif

(「如」 https://kakijun.jp/page/0662200.htmlより)


「如」 甲骨文字・殷.png

(「如」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A6%82より)

「如」(漢音ジョ、呉音ニョ)は、

会意兼形声。「口+音符女」。もと、しなやかにいう、柔和に従うの意。ただし、一般には、若とともに、近くもなく遠くもないものを指す指示詞に当てる。「A是B」とは、AはとりもなおさずBだの意で、近称の是を用い、「A如B(AはほぼBに同じ、似ている)」という不則不離の意を示すには中称の如を用いる。仮定の条件を指示する「如(もし)」も、現場にないものをさす働きの一用法である、

とある(漢字源)。別に、

会意形声。「口」+音符「女」。「女」は「若」「弱」に共通した「しなやかな」の意を有し、いうことに柔和に従う(ごとし)の意を生じた。一説に、「口(神器)」+音符「女」、で神託を得る巫女(「若」も同源)を意味し、神託に従う(ごとし)の意を生じた、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A6%82)、

会意。女と、口(くち)とから成り、女が男のことばに従う、ひいて、したがう意を表す。借りて、助字に用いる、

とも(角川新字源)、

会意兼形声文字です(女+口)。「両手をしなやかに重ねひざまずく女性」の象形(「従順な女性」の意味)と「口」の象形(「神に祈る」の意味)から、「神に祈って従順になる」を意味する「如」という漢字が成り立ちました、

ともhttps://okjiten.jp/kanji1519.htmlある。

「何」  漢字.gif

(「何」 https://kakijun.jp/page/nani200.htmlより)

「何」(漢音カ、呉音ガ)は、

象形。人が肩に荷をかつぐさまを描いたもので、後世の負荷の荷(になう)の原字。しかし普通は、一喝(いっかつ)するの喝と同系のことばに当て、のどをかすらせてはあっとどなって、いく人を押し止めるの意で用いる。「誰何(スイカ)する」という用例が原義に近い。転じて、広く相手に尋問することばとなった、

とある(漢字源)。

象形。甲骨文字や金文から見ると物を担いだ人を象ったものと判断される、「荷」の原字。のちに、形声文字として「人」+音符「可」と解されるようになった。喉を詰まらせて出す音(「呵」→「歌」、同系:「喝」)で、人を呼びとめたりすることを表し(誰何)、そこから、対象に関する疑問詞の用法となる、

https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%BD%95同趣旨である。

「様」 漢字.gif

(「様」 https://kakijun.jp/page/1448200.htmlより)


「樣」 漢字.gif


「様」(ヨウ)は、

形声。羕は、「永(水がながく流れる)+音符羊」の形声文字(意味を表す部分と音を表す部分を組み合わせて作られた文字)で、漾(ヨウ ただよう)の原字。様はそれを音符としてそえた字で、もと橡(ショウ)と同じく、クヌギの木のこと。のち、もっぱら象(すがた)の意に転用された、

とある(漢字源)。もと、橡(シヤウ)の異体字。借りて、かたち、ようすの意に用いる(角川新字源)ともある。別に、

会意兼形声文字です。「大地を覆う木の象形」と「羊の首の象形と支流を引き込む長い川の象形」(「相」に通じ、「姿・ありさま」の意味または、「長い羊の角」の意味)から、木や羊の角が目立つ姿をしている事から「ありさま」を意味する「様」という漢字が成り立ちました、

とあるhttps://okjiten.jp/kanji424.html

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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2022年10月07日

禅定


不孝無残のともがらが、懺悔のこころもなき身として、禅定するこそもったいなし(善悪報ばなし)、

にある、

禅定、

は、仏教語で、

霊山に登り修行すること、

とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)が、ちょっとわかりづらい。「禅定」に、

禅定する、

という言い方があり、これは、

かくて立山禅定(ゼンヂャウ)し侍りけるに(「廻国雑記(1487)」)、

と、

修験(しゅげん)道で、富士山・白山・立山などの霊山に登って修行すること、

の意で使い(広辞苑)、この背景に、

高い山が信仰登山の対象となったところから、「禅定」が、

客人宮は、十一面観音の応作、白山禅(セン)定の霊神也(太平記)、

と、

高い山の頂上、
霊山の頂上、

の意を持ったためと思われる。もっとも、この場合、

ぜっちょうの訛音ならむ(和訓栞)、

と、絶頂の転訛とする説もあるが(大言海)。

「禅定」は、本来、

禅に同じ、

とある(岩波古語辞典)。「禅」は、

梵語dhyānaの音写、

とされ、その音訳、

禅那の略、

で(大言海)、

静慮、定・禅定などと訳す、

とある(岩波古語辞典)。つまり、「禅定」には、

禅と定、

の意味が重なっているらしく、

「禅」と「定」の合成語、

とあり(精選版日本国語大辞典)、「禅定」は、

dhyānaの訳語であるが、また、dhyāna を音訳した「禅那」を略した「禅」を「定」と合成したもので、「定」はもとsamādhi の訳語で、心を一つの対象に注いで、心の散乱をしずめるのが「定」、その上で、対象を正しくはっきりとらえて考えるのが「禅」、

とある(仝上)。「定」と訳すSamādhiは、「三昧」http://ppnetwork.seesaa.net/article/491525087.html?1663354987で触れたように、「三昧」とも訳されたりする。「禅定」は、

心を一点に集中し、雑念を退け、絶対の境地に達するための瞑想、また、その心の状態、

をいい(広辞苑・精選版日本国語大辞典)、

禅定に入る、

という言い方をする(仝上)が、

如来。無礙力無畏禅定解脱三昧諸法皆深成就故。云広大甚深無量(法華義疏)、

と、

散乱する心を統一し、煩悩の境界を離れて、静かに真理を考えること、

である(岩波古語辞典)。

入定(にゅうじょう)三昧、

ともいう(大言海)。「入定」は、

禅定(ぜんじょう)の境地にはいること、

をいう。

これは、大乗仏教の修行法である、

六波羅蜜の第五、

また、

三学(さんがく 戒・定・慧)の一つ、

である(精選版日本国語大辞典)とされ、仏道修行の、

三学、
六波羅蜜、

の一つとされる。「三学(さんがく)」は、

仏道修行者が修すべき三つの基本的な道、

つまり、

戒学(戒学は戒律を護持すること)、
定学(精神を集中して心を散乱させないこと)、
慧学(煩悩を離れ真実を知る智慧を獲得するように努めること)

をいう。この戒、定、慧の三学は互いに補い合って修すべきものであるとし、

戒あれば慧あり、慧あれば戒あり、

などという(仝上・ブリタニカ国際大百科事典)。この三学が、大乗仏教では、基本的実践道である六波羅蜜に発展する。「波羅蜜(はらみつ)」は、

サンスクリット語のパーラミター pāramitāの音写、

で、「六波羅蜜(ろくはらみつ)」は、

大乗仏教の求道者が実践すべき六種の完全な徳目、

布施波羅蜜(施しという完全な徳)、
持戒波羅蜜(戒律を守るという完全な徳)、
忍辱波羅蜜(にんにくはらみつ 忍耐という完全な徳)、
精進波羅蜜(努力を行うという完全な徳)、
禅定波羅蜜(精神統一という完全な徳)、
般若波羅蜜(仏教の究極目的である悟りの智慧という完全な徳)、

を指し、般若波羅蜜は、他の波羅蜜のよりどころとなるもの、とされる(仝上)。

なお、禅定の四段階については、「三界」http://ppnetwork.seesaa.net/article/491997710.html?1664651664で触れた。なお、「三昧」http://ppnetwork.seesaa.net/article/491525087.html?1663354987で触れたように、「三昧」は、

梵語samādhiの音訳、

で、

定(ジョウ)・正定(セイジョウ)・等持・寂静(大言海)、

と訳し、

心を一所に住(とど)めて、動かざること、妄念を離れて、心を寂静にし、我が心鏡に映じ来る諸法の実相を、諦観する、

意で、

禅定(ゼンジョウ)、

ともいう(大言海)。

「禪」 漢字.gif


「禪」 説文解字・漢.png

(「禪」 説文解字・漢 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%A6%AAより)

「禪(禅)」(漢音セン、呉音ゼン)は、

会意兼形声。「示(祭壇)+音符單(たいら)」で、たいらな土の壇の上で天をまつる儀式、

とある(漢字源)。別に、

形声。示と、音符單(セン、ゼン)とから成る。天子が行う天の祭り、転じて、天子の位をゆずる意を表す。借りて、梵語 dhyānaの音訳字に用いる、

とも(角川新字源)、

形声文字です(ネ(示)+単(單))。「神にいけにえを捧げる台」の象形と「先端が両またになっているはじき弓」の象形(「ひとつ」の意味だが、ここでは、「壇(タン)」に通じ(同じ読みを持つ「壇」と同じ意味を持つようになって)、「土を盛り上げて築いた高い所」の意味)から、「壇を設けて天に祭る」を意味する「禅」という漢字が成り立ちました、

ともhttps://okjiten.jp/kanji1666.htmlある。

「定」 漢字.gif

(「定」 https://kakijun.jp/page/0869200.htmlより)

「定」(漢音テイ、呉音ジョウ)は、「定力」http://ppnetwork.seesaa.net/article/485898873.htmlで触れたように、

会意兼形声。「宀(やね)+音符正」で、足をまっすぐ家の中に立ててとまるさまを示す。ひと所に落ち着いて動かないこと、

とある(漢字源)が、

形声。宀と、音符正(セイ)→(テイ)(𤴓は誤り伝わった形)とから成り、物を整えて落ち着かせる、ひいて「さだめる」意を表す、

とも(角川新字源)、

会意形声。「宀」+音符「正」、「正」は「一」+「止(=足)」で目標に向け進むこと、それが、屋内にとどまるの意。「亭」「停」「鼎」「釘」と同系、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%AE%9A

会意兼形声文字です(宀+正)。「屋根・家屋」の象形と「国や村の象形と立ち止まる足の象形」(敵国へまっすぐ突き進むさまから、「まっすぐ」の意味)から、家屋がまっすぐ建つ、すなわち、「さだまる」を意味する「定」という漢字が成り立ちました、

ともhttps://okjiten.jp/kanji520.htmlある。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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2022年10月08日

善知識


ある知識の云はく、さやうに霊の來るには、経帷子を着て臥し給はば、別の仔細あるまじ(善悪報ばなし)、

にある、

知識、

は、

善知識、徳ある僧、

と注記がある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。「知識」は、多く、

智識、

とも当て(広辞苑)、

ある事項について知っていること。また、その内容(仝上)、
知ること。認識・理解すること。また、ある事柄などについて、知っている内容(大辞泉)、
知恵と見識。ある事柄に対する、明確な意識と、それに対する判断。また、それを備えた人(日本国語大辞典)、

等々と言った意味で使われる。しかし、「知と智」http://ppnetwork.seesaa.net/article/444368042.htmlで触れたが、「知」と「智」は異なる。

「知」は、

会意文字。「矢+口で、矢のようにまっすぐに物事の本質を言い当てることをあらわす、

とあり(漢字源)、「知」は「識」と同じく、

生知、
學知、

と、

し(識)る、

意味で(字源)、

知覚、

ともあり(大言海)、

知は識より重し、知人知道心といへば、心の底より篤と知ることなり、知己・知音と熟す。識名・識面は、一寸見覚えあるまでの意なり、相識と熟す、

とあり(字源)、「知識」は、

衆所知識(維摩経)、

と、

知恵と見識、

の意である(仝上)。また、「智」の字は、

会意兼形声。知とは「矢+口」の会意文字で、矢のようにすぱりと当てて言うこと。智は「曰(いう)+音符知」で、知と同系、すぱりと言い当てて、さといこと、

とあり(漢字源)、

とあり、

才智、
多智、

と、

ちゑ、
事理に明か、賢き人、

の意で、

愚、
闇、

の反とある(字源)。ただ、「智」は、

知の優れている意に用いる、「知(チ)」の後にできた字、

とある(角川新字源)。後世の後知恵(特に儒家の)ような気がする。

「智識」は、

日誦數千語、而智識恆出長老之上(宋史・李庭芝傳)、

と、

ちゑ、

とある(仝上)。「知と智」http://ppnetwork.seesaa.net/article/444368042.htmlで触れたように、この「ちゑ」に当てる、「智慧」と「知恵」は、「知恵」は、

自身の心から生じるもの、

であり、

人がその人生においてさまざまな経験を積み重ねていく中で、否が応でも生じる弊害や苦悩、迷いを克服していく過程のなかにおいて、あらゆる学問などを通じて培った「知識」を、如何に自身の心で消化して、自分のものとする、

であり、「智慧」は、

仏様からのもの、

であり、御本尊と正面から向き合い、仏道修行する中で、仏様の命の境涯(仏界)に縁して、自身の心(命)にも在る「仏界」を認識していくこと、

であり、それが、

仏様からの答え、

であり、

御仏智、

であるhttp://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1211290417とされる。「智識」の、「ちゑ」とはそういうものである。

後漢末の辞典『釋名』(しゃくみょう)には、

智、知也、無所不知也、

とあるので、あまり「知」と「智」の区別はなくなっているが、儒教と仏教が区別した。あるいは、「知」と「智」は、

曰う、

の有無の差でしかなかったのかもしれない。「曰」とは、

「口+乚印」で、口の中から言葉が出てくることを示す、

とある(漢字源)。つまり、

口に出す、

あるいは、

口に出せる、

かどうかに意味があったのかもしれない。儒教では、

五常・三徳の一、

をいい、「五常」とは、

仁・義・礼・智・信、

をいい、三徳は、

智・仁・勇、

をいう(岩波古語辞典)。「禅定」http://ppnetwork.seesaa.net/article/492219327.html?1665083714で触れたが、大乗仏教の求道者が実践すべき六種の徳目、

六波羅蜜、

つまり、

①布施波羅蜜 檀那(だんな、Dāna ダーナ)は、分け与えること、
②持戒波羅蜜 尸羅(しら、Śīla シーラ)は、戒律を守ること、
③忍辱波羅蜜 羼提(せんだい、Kṣānti クシャーンティ)は、耐え忍ぶこと、
④精進波羅蜜 毘梨耶(びりや、Vīrya ヴィーリヤ)は、努力すること、
⑤禅定波羅蜜 禅那(ぜんな、Dhyāna ディヤーナ)は、特定の対象に心を集中して、散乱する心を安定させること、
⑥智慧波羅蜜 - 般若(はんにゃ、Prajñā プラジュニャー)は、諸法に通達する智と断惑証理する慧、

の第六に「智」があり、

前五波羅蜜は、般若波羅蜜を成就するための手段、

であるとともに、

般若波羅蜜による調御によって成就される、

とされhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%A2%E7%BE%85%E8%9C%9C

「慈悲」と対とされる。龍樹の、

布施・持戒 -「利他」
忍辱・精進 -「自利」
禅定・智慧 -「解脱」

の解脱の位置にある。知らざる所無し、とはまさにこれを指す。「知」とは区別される。

そういう「智」を前提に、仏教では、「智識」を、

わが朝の偏方に智識をとぶらひき(正法眼蔵)、

と、

人を仏道に導く縁となる人、
仏法の指導者、

をいい、これを、

善智識、

という(岩波古語辞典)。またその意味の外延から、

結縁のために、堂塔や仏像などの建立に私財を寄進すること。また、その人や金品、知識物、

の意でも使う(岩波古語辞典)。

だから、「善智識」は、

ぜんちしき、

あるいは

ぜんぢしき、

とも訓ませるが、

善法、正法を説いて人を仏道にはいらせる人。外から護る外護、行動を共にする同行、教え導く教導の三種がある、

とあり(日本国語大辞典)、

高徳の僧のこと、

をいい、

真宗では法主(ほっす)、
禅宗では師僧(師家)、

を尊んでいう(仝上)。摩訶止観(まかしかん)は三種の善知識を説き、

一は外護(げご)の善知識でパトロンとなるもの、
二は同行(どうぎよう)の善知識で友人のこと、
三は教授の善知識で指導者をさす、

とある(仝上)。この反対が、

惡智識、

で、

悪法、邪法を説いて人を悪に誘い入れる邪悪な人、また、悪い師友、

をいう。

「譱」 漢字.gif

(「譱」 https://kakijun.jp/page/E3BF200.htmlより)


「善」 漢字.gif

(「善」 https://kakijun.jp/page/zen200.htmlより)


「善」 金文・西周.png

(「善」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%96%84より)

「善」(漢音セン、呉音ゼン)は、

会意。羊は、義(よい)や祥(めでたい)に含まれ、おいしくみごとな供え物の代表。言は、かどある明白なものの言い方。善は「羊+言二つ」で、たっぷりとみごとである意を表わす。のちひろく「よい」意となる、

とある(漢字源)。別に、

本字は、会意。誩(けい 多くのことば)と、羊(ひつじ。神にささげるいけにえ)とから成る。神にささげるめでたいことば、ひいて「よい」意を表す。善は、その省略形、

とあり(角川新字源)、

会意文字です(羊+言+言)。「ひつじの首」の象形と「2つの取っ手のある刃物の象形と口の象形」(「原告と被告の発言」の意味)から、羊を神のいけにえとして、両者がよい結論を求める事を意味し、そこから、「よい」を意味する「善」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1003.html

「智」 漢字.gif


「知」 漢字.gif


「知」(チ)は、上述したように、

「矢+口」で、矢のようにまっすぐに物事の本質を言い当てることをあらわす、

とあり(漢字源)、別に、

会意。「矢」(まっすぐ射抜くの意、又は神器)と「口」(「言う」又は祝詞を入れる神器)で物事をまっすぐに言い当てることなど、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%9F%A5

会意。矢(すばやい)と、口(ことば)とから成る。ことばを即座に理解する、「しる」意を表す、

とも(角川新字源)、

会意文字です(矢+口)。「矢の象形」と「口の象形」から矢をそえて祈り、神意を知る事から「しる」を意味する「知」という漢字が成り立ちました、

ともhttps://okjiten.jp/kanji376.htmlある。

「智」(チ)は、

会意兼形声。知は「矢+口」の会意文字で、矢のようにすぱりと当てて言うこと。智は「曰(いう)+音符知」で、知と同系、すぱりと言い当てて、さといこと、

とあり(漢字源)、別に、

会意形声。口・白(ことば、いう。曰は変わった形)と、𥎿(チ 知は省略形。しる)とから成る。知恵の意を表す。また、知の優れている意に用いる。「知(チ)」の後にできた字、

とも(角川新字源)、

会意文字です(知+日)。「矢の象形と口の象形」(矢をそえて祈り、神意を知る事から「知る」の意味)と「太陽」の象形から、「知恵のある人、賢い人」を意味する「智」という漢字が成り立ちました。また、太陽の象形ではなく、「口と呼気の象形」(「発言する」の意味)という説もある、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji2490.html。「智」のほうが「知」の後からできたというのが面白い。

「識」 漢字.gif

(「識」 https://kakijun.jp/page/1913200.htmlより)

「識」(漢音ショク、呉音シキ、漢音・呉音シ)は、「八識」http://ppnetwork.seesaa.net/article/491238963.htmlで触れたように、

会意兼形声。戠の原字は「弋(棒ぐい)+Y型のくい」で、目印のくいをあらわす。のち、口または音を揃えた字となった。識はそれを音符とし、言を加えた字で、目印や名によって、いちいち区別して、その名をしるすこと、

とある(漢字源)が、

会意形声。「言」+音符「戠」、「戠」は「幟・織」の原字で「戈」に飾りをつけたもので、標識を意味する、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%AD%98

形声。言と、音符戠(シヨク)とから成る。意味をよく知る、記憶する意を表す。ひいて「しるし」の意に用いる、

とも(角川新字源)、

会意兼形声文字です(言+戠)。「取っ手のある刃物・口の象形」(「(つつしん)で言う」の意味)と「枝のある木に支柱を添えた象形とはた織り器具の象形」(はたを「おる」の意味)から、言葉を縦横にして織り出して、物事を「見分ける」、「知る」を意味する「識」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji787.html

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2022年10月09日

しま


「しま」は、

島、

のほか、

嶋、
嶌、

とも当てるが、

周囲を水で囲まれた陸地、

をいい、分布の状態から、

諸島、
列島、
孤島、

などと、また、成因から、

陸島(りくとう)、
洋島(ようとう)、

に区別され、洋島には、

火山島、
珊瑚島、

などがある(広辞苑)とされる。「陸島」は、

大陸棚上に位置する島、

をいい、

大陸島、

ともいう。「陸島」に対するのが、

洋島、

で、

大洋底からそそり立っている島、

をいい、

海洋島、

ともいう(日本大百科全書)。

三宅島.jpg

(「三宅島」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B6より)

この「しま」の語源には、

四面、局(かぎ)られて、狭(せま)、又は、縞(しま)の義、梵語にも四摩と云ふとぞ、朝鮮語に、しむ(大言海)、
朝鮮語siem(島)と同源(岩波古語辞典)、
セマ・セバ(狭)の義(日本釈名・箋注和名抄)、
シマ(締)の義(日本声母伝・類聚名物考・名言通・本朝辞源=宇田甘冥・国語の語根とその分類=大島正健)、
水中にスムベキ(居可)所の意で、スミの転語(東雅・言葉の根しらべの=鈴木潔子)、
シはス(洲)の転で、マはムラ(村)の反(日本釈名)、
スマ(洲間)の義(和語私臆鈔・言元梯)、
シホウ(四方)から見えるヤマ(山)の義(和句解)、
本来は邑落(ゆうらく)を意味する語(島の人生=柳田國男)、
本来は宮廷領を意味する語(万葉びとの生活=折口信夫)、
シマ(独立した所)の意(日本語源広辞典)、

等々様々な説があるが、

「しま」の「ま」は、「浜」「沼」「隈」「まま(崖)」など、ある地勢・地形を表す語の第二音節に共通し、それは地名「有馬・入間・笠間・勝間・群馬・相馬・志摩・但馬・筑摩・野間・播磨・三間」などにも多く認められるところから、地形を表す形態素、

とみる説がある(日本語源大辞典)。この方が説得力がある気がする。

simaが水と陸の境を意味していた、

とする説http://www.jojikanehira.com/archives/15258565.htmlも、その流れでみると意味深い。

「島」には、

島物の略、

として、

織柄の一種、二種以上の色糸を用いて、たて・よこに種々の筋をあらわした模様、織物、

の意があるか、これは、

戦国末期から安土桃山時代に、ポルトガル等から伝わり、「南蛮諸島のもの」と呼ばれた、

ことからくるものhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E3%81%97%E3%81%BEで、近世前期までは、

縞、

ではなく、

島、

と書いた(岩波古語辞典)による。いまひとつ、

(美濃では)民居の集合、……部落または大字のことらしい(島の人生)、

と、柳田國男が言っているのは、折口信夫の、

本来は宮廷領を意味する語、

とする説とも関わる気がするが、はっきりしない。「しま」の意味に、

このしまはよその者には渡せない
此のしま初めての祝儀とて先づ嚊が手元へ二両投げければ(浮世草子「諸艶大鑑」)、

などと、

ある限られた地域、

をいい、それが、

やくざの縄張り、

などをいう「しま」と繋がっているのかもしれない。また、

取り付く島もない、

というように(「けんもほろろ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/420594101.htmlで触れた)、「しま」には、

頼りや助けとなる物事。よすが、

の意があり、

航海に出たものの、近くに立ち寄れるような島はなく、休息すら取れない、

といった状況を指し、

困り果てる様子にたとえていっている。なお、

律令制時代の8世紀から9世紀にかけて、国(令制国)と同格の行政機関として「島(嶋)」が置かれていた。長を「島司」、役所を「島府」と言い、国分寺に相当する「島分寺」が建立された。島司は国司に相当する官職であり、中央から派遣された官吏である、

とありhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B6、701年制定の大宝律令では、

壹伎島・対馬島・多褹島、

の3島が置かれていた(仝上)という。

「嶋」 漢字.gif



「嶌」 漢字.gif

(「嶌」 https://kakijun.jp/page/9BB8200.htmlより)

「島」 漢字.gif

(「島」 https://kakijun.jp/page/1052200.htmlより)

「島」 説文解字・漢.png

(「島」 説文解字・漢 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B3%B6より)

「嶋」(トウ)は、

会意兼形声。「山+音符鳥(チョウ)」で、渡り鳥が休む海の小さい山、

のこと、

とある(漢字源)。元の形は、

㠀、

で、まさに、

渡り鳥が止まる場所の意から、波のあいだにうかぶ山、

となる(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B3%B6・角川新字源)。

なお、「島」は「島台の略」という意もあるが、「島台」については「すはま」http://ppnetwork.seesaa.net/article/473834956.html、「蓬莱」http://ppnetwork.seesaa.net/article/488165402.htmlで触れた。

参考文献;
柳田國男「海南小記(柳田国男全集1)」(ちくま文庫)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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ラベル:しま
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2022年10月10日


かしこを見れば、其の長(たけ)五尋(ひろ)ばかりもあるらんと覚しき、鰐(わに)と云ふ物、五、六十ばかり、舟の前後を打ち囲みてぞ見へにける(善悪報ばなし)、

にある、

鰐、

は、

鮫類の古名、

とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。「さめ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/452936180.htmlで触れたように、

ふか(鱶),

とも言い、古くは,

わに,

とも言ったのは確かだし、

山陰道にては,鮫を,和邇(わに)と云ふ、神代紀に、鰐(わに)とあるは、鮫なるべし、

とする(大言海)のが一般的なのだが、和名類聚抄(平安中期)は、

鰐、和仁、似鱉(スッポン)有四足、喙長三尺、其利歯、虎及大鹿渡水、鰐撃之、皆中断、

とし、明らかに「ワニ」を知っていたことがわかる。さらに、

鮫、佐米、

と別項を立てている。字鏡(平安後期頃)も、

鮫、佐女、

とする。そう考えると、

爬虫類のワニは日本近海では見ることがないので、上代のワニは、後代のワニザメ・ワニブカ等の名から、サメ・フカの類と考えられている、

とする(日本語源大辞典)のは如何なものだろうか。

豊玉姫説話の「古事記」で「化八尋和迩」とあるところが、「日本書紀」で「化為龍」その一書の「化為八尋大熊鰐」にあたる。また、「新撰字鏡」「和名抄」で「鰐」にワニの訓を注するが、記紀ではワニの脚については記すところがない、

ゆえに(精選版日本国語大辞典)、


おそらく強暴の水棲動物として「鰐」の字がえらばれたまま、中国伝来の四足の知識が定着し、近世に至って爬虫類としての実体に接することになったものと思われる、

とする(日本語源大辞典)のも、折口信夫ではないが、

ワニが日本にいないから和邇はサメだとするのは、短気な話で、日本人の非常に広い経験を軽蔑している、

ものではないか(古代日本文学における南方要素)。現実に、幕末の『南島雑話』(薩摩藩士・名越左源太)には、

ワニが現れた奄美大島の風俗、

を描き、

蛇龍、

として、

ワニ、

を紹介しているし、『和漢三才図会』も鰐(わに)と題してワニの絵が描かれている。また、歌川国芳が、朝比奈三郎義秀を描いた浮世絵(天保14(1843)年)にも、吾妻鏡で、朝比奈が鮫を捕らえたという伝承をもとに、鰐にして描いている。

歌川国芳 朝比奈三郎義秀  ワニ.jpg

(源頼家公鎌倉小壺ノ海遊覧 朝夷義秀雌雄鰐を捕ふ圖(歌川国芳) https://www.fujibi.or.jp/our-collection/profile-of-works.html?work_id=10152より)

古い中国語で、

イリエワニ、

指す語であったhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%83%8B「鰐」という字・概念が日本に輸入されたものとみていいのだが、「イリエワニ」は、

インド南東部からベトナムにかけてのアジア大陸、スンダ列島からニューギニア島、及びオーストラリア北部沿岸、東はカロリン諸島辺りまでの広い範囲、

に分布し、

海水への耐性が強く、海流に乗って沖合に出て、島嶼などへ移動することもある、

とされ、海流に乗って移動する生態から、日本では、

奄美大島、
西表島、
八丈島、

等々でも発見例があるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%AF%E3%83%8B。なお、「鰐」の「サメ」説、「ワニ」説の詳細については、「和邇」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E9%82%87に詳しい。

イリエワニ.jpg


では「わに」という訓の由来は何か。

その口の様子から、ワレニクキ(割醜)の義(名言通・大言海)、
ワタヌシ(海主)の約(たべもの語源辞典)、
アニ(兄)の転訛。畏敬すべきものを表わす(神代史の研究=白鳥庫吉)、
オニ(鬼)の転(和語私臆鈔)、
口を大きくあけて物を飲み込むところから、ウマノミ(熟飲)の反(名語記)、
口をワンと開くところから(言元梯)、
ツングースの一支族オロッコ族が海豹(アザラシ)をいうバーニの転(神話学概論=西村真次)、

等々をみると、どうも「サメ」を指して言っていたのではないか、という気もしてくる。確かに、

古事記・日本書紀両方にあるトヨタマヒメのお産の話にある陸上で腹ばいになり、のたうつ動物が鮫のはずはない、

という(黒沢幸三「ワニ氏の伝承その一・氏名の由来をめぐって」)ように和邇・鰐はサメでは説明できないのはたしかだが、実物をしらない哀しさ、どこかでサメと混同してしまう部分があったのかもしれない。。

「鰐」.gif



「鱷」 漢字.gif


「鰐(鱷)」(ガク)は、

会意兼形声。「魚+咢(ガク ガクガクとかみあわせる)」

とあり(漢字源)、なお、

「咢(ガク)」や異体字「噩(ガク)」、

は、

おどろかす、

意も表すhttp://www.nihonjiten.com/data/46586.htmlとある。「鰐」の異字体「鱷」は、

兪至潮、問民疾苦、皆曰、惡渓有鱷漁(ガクギョ)、食民畜産、且盡、民以是窮(唐書・韓愈傳)、

と載る(字源)。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2022年10月11日

水手(かこ)


水手(かこ)をはじめ舟中の人々、こはいかなる事やらんと慌てためく所に(善悪報ばなし)、

に、

水手、

とあるのは、

船頭、

の意とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)が、あまり正確ではない。

「水手」は、

加子、
水夫、
楫子、

とも当て(広辞苑・岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)、和名類聚抄(平安中期)に、

水手、加古、

とあり、

ふなのり、
舟を操る人、

の意である(広辞苑)が、「かこ」は、

「か」は楫(かじ)、「こ」は人の意(広辞苑・大辞林・大辞泉・日本国語大辞典)、
「か」は「かぢ(楫)」の古形、「こ」は人の意(学研全訳古語辞典)、
檝子(カヂコ)の略(大言海)、
櫂の原語カにコ(子)のついたもの(日本古語大辞典=松岡静雄)、

と、どうやら、

楫(舵)を取る人、

の意で、「か」は、

八十楫(やそか)懸け島隠(しまかく)りなば吾妹子(わぎもこ)が留まれと振らむ袖見えじかも(万葉集)、

と、

楫、

と当て、

かぢの古形、

であり、

櫓(ろ)、

の意で、

楫子、
楫取り、

等々、複合語の中にのみ見える(岩波古語辞典)とある。「水手」(すいしゅ)は、

便合與官充水手、此生何止略知津(蘇軾)、

と、

漢語で、

船乗り、

の意である。ために、

水手・水主、

は、

水手(すいしゅ)梶取(かんど)り申しけるは、此の風は追風(おひて)にて候へども(平家物語)、

と、

すいしゅ、

とも訓ませる。

船頭.bmp

(船頭 精選版日本国語大辞典より)

「船頭」というと、文字通り、

船の長(おさ)、
船乗りの頭(かしら)、

つまり、

船長、

になるが、今日の一般通念では、

小さい漕(こ)ぎ船の漕ぎ手や船乗り、

をさす。しかし古くは、

梶取(かじと)り、

とよばれ、南北朝時代からしだいに、

船頭、

が並称され始め、室町時代には、船頭といえばもっぱら、

商船の長、

をさし、船の運航指揮をとる一方で自ら積み荷の荷さばきや売買も行う、

船主、

であり、

商人、

であった。近世になって、廻船業でも漁業でも、上は千石船から下は小型の「はしけ」に至るまで、すべて船の長を、

船頭、

と呼ぶに至った。船頭のなかでも、船持ちの者を、

船主船頭、
とか、
直(じき)船頭、

とよんだが、経営規模や商取引の機構が拡大・複雑化するとともに1人の船頭が海上作業と商売とを兼ねることが困難となり、役割の分化がおこった。その結果、船主は陸上で経営の指揮をとり、船頭は船主に雇われて航海や海上作業の指揮を専門とするようになった(日本大百科全書)とある。

そうした役割分担は、船内でもあり、北前船を例にとると、

船頭(船長)、
表仕(おもてし 舵取り 航海長)、
親仁(おやじ 水夫長)、
賄い(まかない 事務長、日本海側では知工(ちく))、
片表(かたおもて 副航海長)、
楫子(かじこ 操舵手)、
炊(かしき 炊事係)、

と分かれるhttp://www.oceandictionary.jp/subject_1/je-bunya/wasen-je.htmlより)

其節の儀は当時船中表役・知工・親父役・水主の者共追々出代り私壱人の外存候もの無御座候(「異船探微(江戸末)」)、

とあるように、

表役・親父(仁)・知工、

は、

船方三役、

と呼び、

ばれて船頭を補佐する首脳部になる。

和船(弁才船).jpg

(和船(弁才船)の艤装と乗組員の配置 http://www.oceandictionary.jp/subject_1/je-bunya/wasen-je.htmlより)

「親仁(おやじ)」は、

親父、

とも当て、

舵取り、

を担当し、船内取締りや船務の監督指揮をも務め、「表仕(おもてし)」は、

舳仕(おもてし)、

とも当て、

表、
表役、

ともいい、

船首にあって目標の山などを見通し、また、磁石を使うなどして針路を定める役で、現在の航海長に相当する。

「知工(ちく)」は、積荷の出入りや運航経費の帳簿づけなど船内会計事務をとりしきる役で、一般に日本海側で使われ、太平洋側では、

賄(まかない)、

と称し、廻船問屋などの交渉で上陸する仕事が多いため、

岡廻り、
岡使い、

とも呼ばれた(精選版日本国語大辞典)。

こうした役割分担に伴って、「水手」は、かつては、

凡(すべ)て水手(ふなこ)を鹿子(カコ)と曰ふこと、蓋し始め是(か)の時に起れり(日本書紀)、

と、

船を操る人、
楫(かじ)取り、
船乗り、
船頭、

広く使っていたが、近世になると、

御城米相廻候時、送状御城米員数之儀は不及申、粮米并船頭水主何人乗、何年造之船荒増之船道具、俵口合数等可書付(「財政経済史料(1673)」)、

と、

船頭以外の船員、

または、

船頭、楫(かじ)取り、知工(ちく)、親仁(おやじ)など幹部を除く一般船員、

意で使うようになる。要は、

船乗り、

の意であり、

櫓櫂を漕ぎ、帆をあやつり、碇、伝馬、荷物の上げ下ろしなど諸作業をする、

ものである。ただ、「船頭」も、明治期以降、大型船から小型漁船まで船の長は一般に、

船長、

とよび、船頭といえば、

渡し船やその他の小舟を操作する人、

限られるようになった(精選版日本国語大辞典)。その意味では、「水手」が、

舟を漕ぐ人、

の意で、

船頭、

でも間違いではないが。

なお「水手」を、

みずて、

と訓むと、文字の書き方の一つの、

文字の尾を長くひいて水の流れたように書くもの、

の意となる(仝上)。

「水」 漢字.gif

(「水」 https://kakijun.jp/page/0467200.htmlより)

「水」(スイ)は、「曲水」http://ppnetwork.seesaa.net/article/486925604.htmlで触れたように、

象形。水の流れの姿を描いたもの、

である(漢字源)。

「手」 漢字.gif

(「手」 https://kakijun.jp/page/0453200.htmlより)

「てづつ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/489491846.htmlで触れたように、「手」(漢音シュウ、呉音シュ・ス)は、

象形。五本の指ある手首を描いたもの、

で(漢字源)、また、手に取る意を表す(角川新字源)。「手写」「手植」というように「手」ないし「てずから」の意だが、「下手(手ヲ下ス)」「着手」のように仕事の意、「名手」「能手」というように「技芸や細工のうまい人」の意、「技手」「画手」と、「技芸や仕事を習得した人」の意でも使う。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
簡野道明『字源』(角川書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2022年10月12日

肝胆


其の時、僧肝胆を砕き、祈らるるとき、かの女房の口より、赤き蛇一すぢ這い出て(善悪報ばなし)、

にある、

肝胆を砕く、

は、

精魂こめて、

の意とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。

摧肝胆、住悪心、偏忘他事、有御念願(『玉葉(1186)』)、
山王大師に百日肝胆(カンタン)を摧(クタイ)て祈申ければ(平家物語)、

などと、

肝胆を摧く

とも当てるが、

懸命になって物事をする、
心を尽くす、

意である(精選版日本国語大辞典)。あるいは、

真心を尽くす、

意ともある(大言海)。

「肝胆」は、

肝(きも)と胆(い)、

つまり、

肝臓と胆嚢、

の意で、転じて、

心の中、
心の底、

また、

誠の心、

の意で使う(日本国語大辞典)。

肝腎、

も、

肝臓と腎臓、

の意で、転じて、

心を云ふ、

とあり(字源)、

肝心(かんじん)、

と同義で、

揚雄平生學、肝腎困雕鐫(チョウセン 彫り刻む)(陳與義)、

と、

肝要、

の意で、

物事の主要なるに喩ふ、

とある(仝上)。

(肝腎は)肝心(きもこころ)の音読みか、人体の至要なるものなれば、挙げて云ふにか、肝胆、肺肝など云ふも同じ、

とある(大言海)。

「肝胆」を使った成句は多く、

肝胆相照(肝胆相照らす)、

は、

握手出肝胆相示(韓愈・柳子厚墓誌銘)、

と、

互いに心を示して隠す所なし、

の意である(字源)。

肝胆傾(肝胆傾く)、

は、

江湖一見十年舊、談笑相逢肝胆傾(曾鞏詩)、

と、

まごころを傾け尽す、

意である(仝上)。

披肝胆(肝胆を披(ひら)く)、

は、

披肝胆、決大計(漢書・路温舒傳)、

と、

まごころを打ち明ける、

意で、

披肝(肝を披(ひら)く)、

と同義である。

肝胆楚越(肝胆も楚越)、

は、

自其異者視之、肝胆楚越也。自其同者視之、万物皆一也(荘子)、

に由来し、

物は見方によりて、肝胆の如く密接せるものも、楚越の如くに遠く隔たる、

意で、

見方によっては近い関係にあるものも遠く、遠いものも近く見える、

に喩える(仝上・日本国語大辞典)。

肝胆地塗(肝胆地(ち)に塗(まみ)る)、

は、

使天下之民肝脳地塗、父子暴骨中野(史記・劉敬傳)、

と、

肝脳地塗(肝脳地(ち)に塗(まみ)る)、

と同義で、

惨殺せられて肝臓や脳が地にまみれる、

意である(字源・精選版日本国語大辞典)。

肝胆寒し、

は、

敵の肝胆を寒からしむ、

などと使い、

怖れてぞっとする、

意である(広辞苑)。

肝胆を砕く、

は、

肝胆を出(い)だす、

ともいい、

心労のかぎりをつくす、
心を尽くす、

意である(仝上)。

「肝」 漢字.gif


「肝」(カン)は、

会意兼形声。干(カン)は、太い棒を描いた象形文字。幹(カン みき)の原字。肝は「肉+音符干」で、身体の中心となる幹(みき)の役目をする肝臓。樹木で、枝と幹が相対するごとく、身体では、肢(シ 枝のようにからだに生えた手や足)と肝とが相対する、

とある(漢字源)。

形声文字です(月(肉)+干)。「切った肉」の象形と「先がふたまたになっている武器」の象形(「おかす・ふせぐ」の意味だが、ここでは「幹」に通じ、「みき」の意味)から、肉体の中の幹(みき)に当たる重要な部分、「きも」を意味する「肝」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji291.html

「胆」 漢字.gif



「膽」 漢字.gif

(「膽」 https://kakijun.jp/page/E45B200.htmlより)

「胆(膽)」(タン)は、

形声。詹(セン・タン)は、「高いがけ+八印(発散する)+言」の会意文字。瞻(セン 高い崖の上から見る)、譫(セン 上ずったでたらめを言う)などの原字。膽は、それを単なる音符として加えた字で、ずっしり重く落ち着かせる役目をもつ内臓。胆は、もとあぶら・口紅の意だが、今は、膽に代用する、

とあり(漢字源)、別に、

会意兼形声文字です(月(肉)+旦(詹))。 「切った肉」の象形と「屋根の棟(最も高い所)から、ひさし(屋根の下端で、建物の壁面より外に突出している部分)に流れる線の象形と音響の分散を表した文字と取っ手のある刃物の象形と口の象形」(「くどくど言う」の意味だが、ここでは、「ひさし」の意味)から、肝臓をひさしのようにして位置する器官、「きも」を意味する「膽」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji292.htmlが、「胆」と「膽」の由来を区別し、「胆」は、

形声。肉と、音符旦(タン)とから成る。はだぬぐ意を表す。もと、但(タン)の別体字。一説に、膻(タン)の俗字という、

とし、「膽」は、

形声。肉と、音符詹(セム→タム)とから成る。「きも」の意を表す。古くから、膽の俗字として胆が用いられていた、常用漢字はこれによる、

と説明するものもある(角川新字源)。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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2022年10月13日

梁塵


梁塵、

とは、文字通り、

建物の梁(はり)の上につもっている塵(ちり)、

の意だが、

虞公韓娥といひけり。こゑよく妙にして、他人のこゑおよばざりけり。きく者めで感じて、涙おさへぬばかりなり。うたひける聲のひびきにうつばりの塵たちて、三日ゐざりければ、うつばりのちりの秘抄とはいふなるべし、

と、

梁塵秘抄、

となづけた所以を書いている(梁塵秘抄)通り、

舞袖留翔鶴、歌声落梁塵(「懐風藻(751)」)、

と、

梁塵を動かす、
梁(うつばり)の塵を動かす、
梁(うつばり)の塵も落ちる、

という故事を生んだ、

歌う声のすぐれていること、
素晴らしい声で歌うこと、

の意、転じて、

音楽にすぐれている、

の意で使われる(広辞苑)。これは、『文選』(もんぜん 南北朝時代の南朝梁の昭明太子蕭統によって編纂された詩文集)の成公綏「嘯賦」の李善注に引く、劉向の「七略別録」に、

劉向別録曰……漢興以来善雅歌者、魯人虞公、発声清哀、遠動梁塵(文選)、

と、みえる故事に由来する(故事ことわざの辞典)。

虞公(ぐこう)、

は、

善く歌するに魯人あり。發聲哀、歌梁塵を動かす、

と評されるほど、中国漢代、美声で知られたらしい。

虞公韓娥、

と併記される美声が、

韓娥(かんが)、

という人で、

昔韓娥東之齊、匱糧、過雍門、鬻歌假食、既去、而餘音繞梁欐、三日不絶(列子)、

と、虞公の上を行き、

既に去りて、餘音梁欐を繞(めぐ)り、三日絶えず、

とあるほどの、

古の歌伎の名、

とある(字源・字通)。

余音(よいん)、梁欐(りょうれい)を繞(めぐ)りて三日絶えず、

もまた、故事となっており、ここから、

繞梁(ぎょうりょう)、

という言葉も、

歌声のすぐれて妙なるに云ふ、

意で使う(字源)。

似た故事に、

遏雲(あつうん)、

がある。これも、

薛譚(せつたん)學謳於秦靑(しんせい)、未窮靑之技、自謂蓋之矣、遂辭歸、秦靑弗止、餞於郊衢撫節悲歌、聲振林木、響遏行雲、薛譚乃謝、求反、終身不敢言歸(列子)、

の、

餞於郊衢撫節悲歌、聲振林木、響遏行雲(郊衢に餞(はなむけ)し、節を撫して悲歌す。聲は林木に振ひ、聲は行雲を遏(とど)む)、

と、秦靑の餞けの歌声が、

響遏行雲、

に依っている(字源・故事ことわざの辞典)。

流れる雲もとどまるほどの妙曲、

の意で、

遏雲(あつうん)の曲、
雲を遏(とど)め梁を遶(めぐ)る、

という言い方もするようだ。

「梁」 漢字.gif



「梁」 金文・西周.png

(「梁」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%A2%81より)

「梁」(漢音リョウ、呉音ロウ)は、

会意。もと「水+両側に刃のついた刀の形」からなる会意文字。のちさらに木を加えた。左右の両岸に支柱を立て、その上にかけた木の橋である。両岸にわたるからリョウといい、両と同系、

とある(漢字源)。別に、

会意文字です(氵(水)+刅+木)。「流れる水」の象形と「水の流れを石でせきとめた」象形と「大地を覆う木」の象形から、「やな(木や石で水流をせきとめて、一か所だけ流れるようにして魚を捕える仕掛け)」を意味する「梁」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji2515.html

「塵」  漢字.gif


「塵」(漢音チン、呉音ジン)は、

会意文字。「鹿+土」で、鹿の群れの走り去った後に土ぼこりが立つことを示す。下にたまる、ごく小さい粉のこと、

とある(漢字源)。

参考文献;
尚学図書編『故事ことわざの辞典』(小学館)
簡野道明『字源』(角川書店)

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2022年10月14日

村雨


ひとつ神鳴とどろきて稲妻ひかり、村雨おびただしくして眼(まなこ)も眩むばかりなりけるが(善悪報ばなし)、

にある、

村雨、

は、

叢雨、
群雨、

とも当て、

群になって降る雨、
群がって降る雨、

の意で、

激しくなったり弱くなったりして降る雨(日本国語大辞典)、
ひとしきり強く降ってやむ雨、強くなったり弱くなったりを繰り返して降る雨(大辞林)、
一しきり強く降って来る雨(広辞苑)、

などとあり、

にわか雨、
驟雨(しゅうう)、
白雨、
繁雨(しばあめ)、
過雨(かう)、
通り雨、

等々ともいう(広辞苑・大言海)。万葉集にも、

庭草(にはくさ)に村雨降りてこほろぎの鳴く声(こゑ)聞けば秋づきにけり、

とあるように古くから使われる。

不等雨(むらさめ)、

とも書かれるように、

降り方が激しかったり、弱くなったりする雨、

をいうようである。

庄野 白雨(歌川広重『東海道五十三次』).jpg

(「庄野 白雨」(歌川広重『東海道五十三次』) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E9%9B%A8より)

ひとしきり強く降ってはやみ、また降り出す雨、

ともある(雨のことば辞典)。和名類聚抄(平安中期)には、

暴雨、白雨、無良左女、

類聚名義抄(11~12世紀)には、

白雨、むらさめ、

とある。

人しれずもの思ふ夏の村雨は身よりふりぬるものにぞ有りける(古今集)、

と、夏のイメージが強く、地方によっては夕立の意味とするところもあり、

秋に俄に降り出す雨(類語大辞典)、

としたりするが、「村雨」の名は、むしろ降り方なのではないか。語源を見ると、

「群がって降る雨」の意(広辞苑・日本国語大辞典)、
ムラサメ(群雨)の義(箋注和名抄・言元梯・大言海)、
ムラムラに降って、降らぬところもあるところから(日本釈名・東雅・大言海)、

とあり、

ざっと群がって降る、

意と、

不等雨、

と当てたように、

激しくなったり弱くなったりして降る、

意の両義がある。

「村消え」http://ppnetwork.seesaa.net/article/485321558.htmlで触れたように、

村消ゆ、

は、

斑消ゆ、
叢消ゆ、
群消ゆ、

とも当て(広辞苑・大言海・岩波古語辞典)、

(雪などが)あちこちとまばらに消えている、
一方は消え、一方は残る、

意である(広辞苑・岩波古語辞典)。

同じ使い方は、「すそご」http://ppnetwork.seesaa.net/article/484482055.htmlで触れた、縅(おどし)や染色に、

同じ色で、所々に濃い所と薄い所のあるもの、

を、

村濃(むらご)、

というが、これも、

斑濃、
叢濃、

とも当て、

むら(斑)、

の意、

ここかしこに叢(むら)をなすこと(大言海)、

つまり、

色の濃淡、物の厚薄などがあって、不揃い、

の意である(広辞苑)。「村」自体が、

群(ムレ)と同根、

とされるところからも、

ひとつところに集まる、

意があるが、それとともに、

斑、

の字も当てるところから、

まだら、

の含意もある。「村雨」に、両義があるのも当然かもしれない。なお、

パラパラと降ってすぐにやむにわか雨、

は、

小村雨、

という(雨のことば辞典言葉)とある。また、「雨」を、

ハルサメ(春雨)・コサメ(小雨)・ムラサメ(叢雨)・キリサメ(霧雨)・ヒサメ(氷雨)、

等々、サメと訓むについては、

アメ(雨)に[s]が添加されてサメという、

とある。同様の音韻変化は、

あまねし(遍し)→サマネシ(万葉集)、
ミイネ(御稲)→ミシネ(神楽歌)、

がある(日本語の語源)とする。

なお、「白雨」http://ppnetwork.seesaa.net/article/482287636.htmlについては触れた。

「村」 漢字.gif


「村」(ソン)は、「村消え」http://ppnetwork.seesaa.net/article/485321558.htmlで触れたように、

会意兼形声。寸は、手の指をしばしおし当てること。村は「木+音符寸」で、人々がしばし腰を落ち着けた木のある所をあらわす、

とある(漢字源)が、

会意兼形声文字です(木+寸)。「大地を覆う木」の象形(「木」の意味)と「右手の手首に親指をあて、脈を測(はか)る事を示す文字」(脈を「測る」の意味だが、ここでは、「人」の意味)から、木材・人が多く集まる「むら」を意味する「村」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji173.html

「雨」 漢字.gif

(「雨」 https://kakijun.jp/page/ame200.htmlより)

「雨」(ウ)は、「雨乞い」http://ppnetwork.seesaa.net/article/482692535.htmlで触れたように、

象形。天から雨の降るさまを描いたもので、上から地表を覆って降る雨、

とある(漢字源)。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2022年10月15日

炭焼小五郎伝説


柳田國男『海南小記(柳田国男全集1)』を読む。

海南小記.jpg


本書には、

海上の海、
海南小記、
島の人生、

が載っているが、『海上の道』http://ppnetwork.seesaa.net/article/488194207.htmlは別に触れた。『海南小記』は、官吏を辞した後、宮崎、鹿児島、沖縄、宮古、八重山を訪れた紀行文である。それだけに気楽に読めそうなものだが、文中随所に出てくる蘊蓄、学識に基づく含意のある意味が、とうてい追い切れず、おそらく筆者が書こうとしたことの半分くらいしか追いきれない気がする。たとえば、

「伊座敷の町からこの島泊まで、元はいちばん高い山の八分まで登って越えるのが、近いゆえに唯一の通路であった。しかるに隣の西方区を通って、最近に一間幅の路を一建立で開いた人がある。それが豊後から来た炭焼だと聞いたときは、何だか古い物語のようで嬉しかった。炭焼は十何年の勤倹でこしらえた家屋敷を売り払い、まだ入費が足らぬのでわざわざ国へ金を取りに行って来た。そうしてできあがった新道の片端に、かの小五郎の小屋のごときものを建てて住んでいる。どうしたこんな志を立てたのか、また末にはいかなる果報が来るものやら、自分などには分からずに終りそうである。」

とある「小五郎」とは、本書で後に出でくる『炭焼小五郎が事』の、豊後の炭焼き小五郎という民話の主人公のことである。地元の人はともかく、このことを知らないと、この一文は、ただ素通りするしかない。こんな文章が頻繁にある。

この紀行は、1919年に行われているので、その当時の風俗がよく描かれているのもまた面白い。例えば、入墨について、

「沖縄県では一般にハチジというようである。慶長の初めにできた『琉球神道記』にも、入墨の風俗を述べて針突(はりつき)と書いているから、ハッツキの転音であることがよく分る。(奄美)大島では釘突(くぎつき)というと『南島雑記』にあるのは、これも針突の誤写ではなかろうか。何にしても二島分立の以前から、弘く行われていた風俗であって、それが時を経るうちにわずかずつの変化を見た。大島の方では、もう珍しいというほどに、針突をした人が少なくなっている。」

といった一文には、入墨禁止の布令のあとの名残がみられている。そうした興味は尽きない紀行だが、やはり僕には柳田國男の真骨頂は、『海南小記』に収められている、

炭焼小五郎が事、

と題された、全国にある、

小五郎長者、

という民話の追跡であると思える。安芸・賀茂郡の盆踊りで、

筑紫豊後は臼杵の城下、
藁で髪ゆた炭焼小ごろ、

と歌われるように、

山中で一人炭を焼いていた男(豊後では小五郎)がいて、
都から貴族の娘が観世音のお告げで押しかけ嫁にやってきて、
炭焼きは花嫁から小判または砂金をもらって市へ買い物に行く途中、水鳥を見つけて、それに黄金を投げつけてしまう、
なぜ大事な黄金を投げつけたかと戒められると、

あんな小石が宝になれば、
わしが炭焼く谷々に、
およそ小笊で山ほど御座る、

と、山にごろごろある金塊を拾ってきて長者になる、

という話である。この話の四つの要点のうち、三つまで具備した話が、

「北は津軽の岩木山の麓から、南は大隅半島の、佐多からさして遠くない鹿屋の大窪村にわたって、自分の知る限りでもすでに十幾つかの例を算え、さらに南に進んでは沖縄の諸島、ことには宮古島の一隅にまで、若干の変化をもって、疑いもなき類話を留めている。」

という。こうした「炭焼」伝承の背景に、

鋳懸(いかけ)、

と称する人たちを想定し、

鋳物師、
あるいは
鍛冶、

つまり、

金屋、

と称する人々がいたと考え、こうひとつの仮説を立てる。

「炭焼小五郎の物語の起源が、もし自分の想像するこどく、宇佐の大神の最も古い神話であったとすれば、ここに始めて小倉の峰の菱形池の畔に、鍛冶の翁が神と顕れた理由もわかり、西に隣した筑前竈門山の姫神が、八幡の御伯母君とまで信じ伝えられた事情が、やや明らかになって來るのである。(中略)播磨の『古風土記』の一例において、父の御神を天目一箇(あめのまひとつ)命と伝えてすなわち鍛冶の祖神の名と同じであったことは、おそらくこの神話を大切に保管していた階級が、昔の金屋であったと認むべき一つの証拠であろう。」

そしてこの炭焼民話は、

竈神の由来、

にまでつなげていくのである。この一連の流れは、いつも見る、柳田手法ではあるが。

本書の中で、もう一つ、八丈島からは南へ約60km程度離れている、

青ヶ島、

が、天明の大噴火で327人のうち八丈島への避難が間に合わなかった130人余りが死亡した噴火から、帰還を果たすまでの約40年間の、

青ヶ島還住記、

の住民の奮闘記は、今日の同島のことを思うと、なかなか感慨深い。以降、噴火はなく、現在、

人口は170人、113世帯、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E3%83%B6%E5%B3%B6

青ヶ島.jpg


なお、柳田國男の『遠野物語・山の人生』http://ppnetwork.seesaa.net/article/488108139.html、『妖怪談義』http://ppnetwork.seesaa.net/article/488382412.html、柳田國男『海上の道』http://ppnetwork.seesaa.net/article/488194207.html、『一目小僧その他』http://ppnetwork.seesaa.net/article/488774326.html、『桃太郎の誕生』http://ppnetwork.seesaa.net/article/489581643.html、『不幸なる芸術・笑の本願』http://ppnetwork.seesaa.net/article/489906303.html、『伝説・木思石語』http://ppnetwork.seesaa.net/article/490961642.htmlについては別に触れた。

参考文献;
柳田國男『海南小記(柳田国男全集1)』(ちくま文庫)

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2022年10月16日

目代


女、ありのままに申しける。其のまま目代へ訴たへ、、やがて死罪に行ひけり(善悪報ばなし)、

にある、

目代、

は、

代官、

と注記がある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。「目代(もくだい)」を、

代官、

の意で使うのは、室町時代以降で(広辞苑)、江戸時代は、むしろ、

目付(めつけ)の称、

とある(仝上)。「目代」は、

めしろ(目代・眼代)、

とも言い、

眼代(がんだい)、

ともいう(デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典)。もともと「目代」は、

日本の古代末・中世において、地方官たる国守の代官として任国に下向(げこう)し、在庁官人を指揮して国務を行う人、

を指す(日本大百科全書)とあり、

本来は国守が私的に設けた政務補助者の総称であり、11世紀前半までは人数も1人とは限らず、

分配(ぶはい)目代、
公文(くもん)目代、

等々と称して国務を分掌していた。それが、11世紀後半に各国に留守所(るすどころ)ができ、その国の在地の領主である在庁官人が実質的に国務を切り回し、国守が遙任(ようにん)と称して任国に下向しなくなると、留守所の統轄者たる庁目代だけが目代といわれるようになる(仝上)とある。だから、平安・鎌倉時代の

国守の代理人。任国に下向しない国守の代わりに在国して執務する私的な代官(精選版日本国語大辞典)
地方官の代理人。遥任(ようにん)や知行国の制が盛んになると、国司・知行国主はその子弟や家人(けにん)を目代として任国に派遣、国務を代行させた。目代は在庁官人を率い地方で実権を振るった(百科事典マイペディア)、

等々と説明され、

鎌倉時代以降、国司制度の衰退とともに消滅した、

とある(旺文社日本史事典)。鎌倉時代の法制解説書『沙汰未練書』に、

目代トハ、国司代官也、

とある。つまり、「目代」は元来、国司の四等官の、

守(かみ)、介(すけ)、掾(じよう)、目(さかん)、

のうち第四等官の目の代官の意味ともいわれる。で、「目代」の由来を、

目は佐官(岩波古語辞典)、
「めしろ(目代)」の音読か。「目」は「佐官」の意とも(日本国語大辞典)、
律令制下の地方官の代官。もともと人の耳目に代る意味(ブリタニカ国際大百科事典)、
人の目に代わる意(デジタル大辞泉・大辞林)、
主人の耳目のかわりをする者の意(日本国語大辞典)、
目は見守る意、後の目付の如し、国司の目(サクワン)の代、の意とするはあらず(大言海)、

とするのは、多く、

代理人、
身代わり、

の意で、本来は、

その子弟や家人(けにん)を目代として任国に派遣、国務を代行させた、

が、転じて、

本来なら役職上、現地に下向して執務しなければならない人物の代理として派遣された代官、

どの役人を指すようになるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%AE%E4%BB%A3。そうなると、「目代」はその事務能力によって登用されたので、たとえば、伊豆守小野五友(いつとも)は、目代に、傀儡子(くぐつ)出身のものをつけ、

傀儡子目代、

と言われたとある(今昔物語)。つまり、その職の正員(しょういん)の代わりに、

現地で執務する人、

を目代と称するようになっている。当然ながら、

この者を目代にして庫裏に置き使はれ候へ(咄本「醒睡笑」)、

と、広く、

代理人、
代理、

の意味でも使われるようになり、

父御様母御様はござらず。目代になるこの乳母はぐるなり(浄瑠璃「鑓の権三重帷子」)、

と、

監督、
後見、
目付、

の意味にも使われていく。

「目」 漢字.gif

(「目」 https://kakijun.jp/page/0588200.htmlより)

「目」(漢音ボク、呉音モク)は、「尻目」http://ppnetwork.seesaa.net/article/486290088.htmlで触れたように、

象形。めを描いたもの、

であり(漢字源)、

のち、これを縦にして、「め」、ひいて、みる意を表す。転じて、小分けの意に用いる、

ともある(角川新字源)。

「代」 漢字.gif

(「代」 https://kakijun.jp/page/0511200.htmlより)

「代」(漢音タイ、呉音ダイ)は、

形声。弋(ヨク)は、くいの形を描いた象形文字で、杙(ヨク 棒ぐい)の原字。代は「人+弋(ヨク)」で、同じポストに入るべき者が互い違いに入れ替わること、

とある(漢字源)。別に、

会意兼形声文字です(人+弋)。「横から見た人の象形」と「2本の木を交差させて作ったくいの象形」から人がたがいちがいになる、すなわち「かわる」を意味する「代」という漢字が成り立ちました、

とあるhttps://okjiten.jp/kanji387.html

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2022年10月17日

虚空無性


虚空無法に山をめがけて走りゆく(善庵報ばなし)、

とある、

虚空無法、

は、

めったやたら、

の意とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。「めったやたら」は、

滅多矢鱈、

と当て、

無闇矢鱈(むやみやたら)、

と同義で、そのことは「むやみやたら」http://ppnetwork.seesaa.net/article/468093147.htmlで触れた。

ここに、

虚空(こくう)無法、

とあるのは、普通、

虚空無性、

あるいは、

虚空無天、

といい、

虚空無量、
虚空無意気、

とも(岩波古語辞典)、

虚空やたら、

という言い方もする(精選版日本国語大辞典)。

むやみやたら、
むちゃくちゃ、

の意である(「むちゃくちゃ」は、「めちゃくちゃ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/475079100.html))で触れた)。「虚空」は、

きょくう、

とも訓むが、

こくう、

と訓ませるのは、「こ」は、

「虚」の呉音、

だからで、「虚空」は、もともと、

サンスクリットのアーカーシャākāśaの漢訳、

で(世界大百科事典)、

古来インド哲学では万物が存在する空間、

あるいは、

世界を構成する要素、実体として重要な概念の一つ、

とされるが、一般には、

三密遍刹土、虚空厳道場(「性霊集(835頃)」)、
われらこそ虚空へもえとばね鳥は空をとぶことをえたり(「百座法談(1110)」)、

などと、

天と地の間、
空、
空間、

という意とされ、また仏語の、

借虚空譬喩。以釈此義也(法華義疏)、
此経の一字の中に十方法界の一切経を納めたり、……虚空の万象を含めるが如し(日蓮遺文)、

と、

一切のものの存在する場所としての空間、

の意や、

過ぎにし秋の頃、虚空に失ひ候つるを(御伽草子「花世の姫」)、

と、

不確かでつかみどころのないこと、
事実無根であること、
むなしく実体のないこと、

の意や、

ええ汝は虚空の事と思ひ、この事いなとならば七代まだその家を亡ぼし(御伽草子「七夕」)、

と、

途方もないこと、
常識はずれ、

の意の他に、

一向人も不付して虚空に駄を付は(「大乗院寺社雑事記(1475)」)、

と、

思慮分別のないこと、
むやみ、
やたら、
むてっぽう、

の意でも使った(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)ので、「虚空無性」は、その意の、

虚空に「無性」を重ねて意味を強めた語、

として使われたとみられる(仝上)。江戸時代、

ぶざ、こくうとしがみつく(「寸南破良意(1781)」)、

と、「虚空と」で、

やたらと、
むやみに、
めちゃくちゃに、

の意で使い、「虚空に」でも、

客をくるめる事上手なり、こくうにはまる人おほし(「擲錢青楼占(1774)」)、

と、ほぼ同義で使っている(江戸語大辞典)。それを強調する意味で、

こくうむせうにありがたい事はり(イかり)なり(「真女意題(1781)」)、

と、「無性」をつけて強めた言い方もある。だから、

是よりらんちきの大さはぎとなり、ざしきのしやれにはあごのかけがねもはずし、こくうむてんのお先まつくらとなる(仲街)、

の「無天」も同趣旨と見ていい。

時平がたこくうむてんにびくびくし(「柳多留(1808)」)、
さきはいづく虚空むてんに帰る雁(俳諧「小町踊(1665)」)、

と、「虚空無天」に「に」を付けて、副詞としても使う(江戸語大辞典)。冒頭の、

虚空無法に、

も、

虚空無天、
虚空無性、

に倣った使い方なのかもしれない。

「虛」 漢字.gif



「虚」 漢字.gif


「虚(虛)」(漢音キョ、呉音コ)は、

形声。丘(キュウ)は、両側におかがあり、中央にくぼんだ空地のあるさま。虚(キョ)は「丘の原字(くぼみ)+音符虍(コ)」。虍(とら)とは直接関係がない、

とあり(漢字源)、呉音コは「虚空」「虚無僧」のような場合にしか用いない、ともある。別に、

形声。意符丘(=。おか)と、音符虍(コ→キヨ)とから成る。神霊が舞い降りる大きなおかの意を表す。「墟(キヨ)」の原字。借りて「むなしい」意に用いる、

とも(角川新字源)、

形声文字です。「虎(とら)の頭」の象形(「虎」の意味だが、ここでは「巨」に通じ(「巨」と同じ意味を持つようになって)、「大きい」の意味)と「丘」の象形(「荒れ果てた都の跡、または墓地」の意味)から、「大きな丘」、「むなしい」を意味する「虚」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1322.html

「空」 漢字.gif


「空がらくる」http://ppnetwork.seesaa.net/article/487876311.htmlで触れたように、「空」(漢音コウ、呉音クウ)は、

会意兼形声。工は、尽きぬく意を含む。「穴+音符工(コウ・クウ)」で、突き抜けて穴があき、中に何もないことを示す、

とある(漢字源)。転じて、「そら」の意を表す(角川新字源)。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2022年10月18日

窈窕


双頭の牡丹灯を肩にかかげて先に行けば、後に窈窕(ようじょう)たる美女一人従つて、西に行く(奇異雑談集)、

にある、

窈窕、

は、

美しくたおやかなさま、原字左訓「みやびめ」、

とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。

「窈窕」は、ふつう、

ようちょう、

と訓ませる(広辞苑)。「窈窕」を、

ヨウジョウ、

と訓ませるのは、「窕」の呉音である。

「嬋娟」http://ppnetwork.seesaa.net/article/486699363.htmlで触れたように、

白楽天の詩に、

嬋娟雨鬢秋蝉翼
宛轉雙我遠山色
笑随戯伴後園中
此時興君未相識(新楽府・井底引銀瓶)、

とある、

「嬋娟」と併記して、

嬋娟窈窕(嬋妍窈窕)、

と使う。「窈窕」の「窈」は、「奥深し」「静香」「うるわし」「しとやか」、「窕」は、「美しい」「器量が良い」「奥ゆかしい」「静か」「ふかい」といった意味(漢字源・https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%AA%88%E7%AA%95)なので、

窈窕淑女、君子好逑(詩経)、

と、

美しく嫋(たお)やかなさま、

の意だが、これは、

云有第三郎、窈窕世無雙(古詩)、

と、

男子のしとやかなるさま、

にもいい(字源)、

入則亂髪壊形、出即窈窕作態(入りては則ち髮を亂し形を壞(やぶ)り、出でては則ち窈窕として態を爲す)(後漢書・列女傳)、

と、

艶めきたる貌、

に特定しても使う(仝上)が、

既窈窕以尋壑、亦崎嶇而経丘(陶淵明・帰去来辞)

と、

山水などの奥深いさま、

にもいう(仝上)。その漢語の意味のまま、

三千の美人君の命に依て戦ひを習はす戦場へ出たれども、窈窕(ようてう)たる婉嫋(えんじゃく)、羅綺(らき)にだもたへざる体(てい)なれば(太平記)、

と、

しとやかで奥ゆかしいさま、
美しくたおやかなさま、
上品なさま、
また、
そのような美女、

の意や、

詩のこころは、松桂の、しげりたる中に、ある寺なれば、窈窕と、をくふかふして、一点の塵埃をも、ひくことは、ないぞ(「三体詩素隠抄(1622)」)、

と、

山水などの奥深いさま、

の意でも使う(精選版日本国語大辞典)。

なお、

窈窕ぶ、

を、

時に彼の妻紅の襴染(すそぞめ)の裳を著て窈窕(サビ)(日本霊異記)、

と、

さふ、

と訓ませ、

しなやかで美しくふるまう、
奥ゆかしくふるまう、

意で使う例がある(精選版日本国語大辞典)が、

「古び、さびれる」の「さびる(寂)」から、(古びて)しっとりとした味わいを持つのように変化した語か、

とある(仝上)。で、そこから、

此ほとりなるさぶるこ(遊女)にたはれて(「こがねぐさ(1830頃)」)、

と、

さぶる児、

という使い方もあるらしい。

動詞「さぶ」は「霊異記」の「窈窕」について興福寺本訓釈に二字あわせて「佐備」とあるところから「しなやかで美しくふるまう」の意とされる、

とあり、

「さぶる」は、上二段動詞「さぶ」の連体形。しなやかな美女の意、

で、

うかれめ、
遊女、
さぶるおとめ、

の意とされる(仝上)。

南風(みなみ)吹き雪消溢(はふ)りて射水川(いみづかは)流る水沫(みなわ)の寄る辺(へ)なみ左夫流其児(さぶるそのこ)に(万葉集)、

には、

言佐夫流者遊行女婦之字也、

と注があり、その反歌の一首、

里人の見る目恥づかし左夫流児(さぶるこ)にさどはす君が宮出(みやで)後風(しりぶり)、

と、

遊女の名、

として用いられている(仝上)。どうも、

窈窕ぶ、

と、

さぶる児、

の「さぶ」とは、意味から見ても、得んがりそうにも見えるが、由来が違う気がしてならない。

「窈」 漢字.gif


「幺」 漢字.gif



「幺」 金文・西周.png

(「幺」 金文・ https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B9%BAより)

「窈」(ヨウ)は、

会意兼形声。幺(ヨウ)は、細くしなやかな糸を描いた象形文字。幼はそれに力を加え、力のか細いことを示す。窈は「穴(あな)+音符幼」で、穴が奥深くて、かすかなこと、

とある(漢字源)。「ふかし」「おくぶかし」「しずか」「深く遠し」「うるはし」「ウルハシキ心」といった意味を持つ(字源)。

「窕」 漢字.gif


「窕」(漢音チョウ、呉音ジョウ)は、

形声。兆は、二つにわかれることで、この場合は、単なる音符。窕は「穴+音符兆」、

とあり(漢字源)、「うつくしく、よし」「おくゆかし」「しとやか」「しずか」「ほそし」「ものさびし」「遥かに遠き貌」(杳窕)といった意味がある(字源)。

参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2022年10月19日

丫鬟(あかん)


月のあきらかなるに、丫鬟(あかん)の童女一人あり、双頭の牡丹灯を肩にかかげて先に行けば、後に窈窕(ようじょう)たる美女一人従つて、西に行く(奇異雑談集)、

にある、

丫鬟、

は、

丫環、

とも当てhttps://kokugo.jitenon.jp/word/p60790

丫頭(アトウ)、
丫髻(アケイ)、
鴉鬟(アカン)、

ともいい(字源)、

頭髪を両脇にまとめた少女の髪型、転じて、少女をいうことがある、

とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。「丫」は、

あげまき(総角・揚巻)、

の意とあり、転じて、

頭をあげまきにした幼女、

また、

年少の侍女、
腰元、
婢、

とある(精選版日本国語大辞典)。中国語では、清末から中華人民共和国成立以前のいわゆる旧社会の言葉で、

小間使い、
侍女、

の意で、

腰元、

の意の、

小鬟、

と同義とある(中日辞典)。

「あげまき」については、「みずら」http://ppnetwork.seesaa.net/article/484777081.htmlで触れたが、

上代の幼童の髪の結い方の名。髪を中央から左右に分け、両耳の上に巻いて輪をつくり、角のように突き出したもの。成人男子の「みずら」と似ているが、「みずら」は耳のあたりに垂らしたもの。中国の髪形「総角(そうかく)」がとり入れられたものか、

とある(日本国語大辞典)。

みずら.jpg

(「みずら」 デジタル大辞泉より)


揚巻.jpg

(「揚巻」 デジタル大辞泉より)

「丫鬟」の「丫」は、

また(叉)、

の意で、

物の先の分かれて上に出るもの、

の意である(字源)。

きのまた(歧枝)、

の意の、

草木の枝のごときものに喩えて、

つのがみ(角髪)、
あげまき(総角・揚巻)、

にも言う(仝上)。

「丫」 漢字.gif


「丫」(ア)については、

象形。木の枝分れを象る、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B8%AB

「鬟」 漢字.gif

(「鬟」 https://kakijun.jp/page/E9A3200.htmlより)

「鬟」 説文解字・漢.png

(「鬟」 説文解字・漢 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%AC%9Fより)

「鬟」(漢音カン、呉音ゲン)は、

会意兼形声。下部の字(カン)は、まるい、取り巻くの意を含む。鬟は、それを音符と四、髟(髪の毛)を加えた字、

で(漢字源)、みずらの意である、

参考文献;
簡野道明『字源』(角川書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2022年10月20日

上元


是は三元下降の日といふて、一年に三度天帝あまくだりて、人間の善業悪業を記する日也。正月十五日を上元(じょうげん)といふ。此の夜を元宵(げんしょう)とも元夕(げんせき)ともいふなり。七月十五日を中元といふ。十月十五日を下元といふなり(奇異雑談集)、

とある、

上元の夜、

は、「元宵」「元夕」の他に、

灯節(とうせつ)、
三元三看、

ともいう(高田衛編・校注『江戸怪談集』・字源)。「灯節」(とうせつ)は、

元宵節(げんしょうせつ)、

ともいい、

十三より以て十七に至る、

とある(字通)。

上元の夕に燈を張り夜を照らす、

のを、

燈夕(とうせき)、

という(字源)とある。「元宵節」は、

元月(正月)の最初の宵(夜)であること、

からと命名されたhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E5%AE%B5%E7%AF%80とある。

上元、
中元、
下元、

を、

三元、

というが、「元」というのは、

暦の見方の1つ、

で、

各年月日時を干支で表した干支暦において、六十干支が一周した期間を一元として、上元・中元・下元と繰り返される。合わせて三元となるが、上元はその最初の期間のこと、

をいう(占い用語集)とある。で、「三元」は、本来、

歳・日・時の始め(元は始の意)である正月1日、

を指したが、六朝末期には道教の祭日である、

上元・中元・下元、

を意味し、それぞれ正月・7月・10月の15日を指すようになった(世界大百科事典)。三元は、

天官・地官・水官のいわゆる三官(本来、天曹(てんそう)すなわち天上の役所を意味したが、しだいにいっさいの衆生とすべての諸神を支配する天上最高の神となる)、

つまり、

三元大帝、

を意味し、それぞれの日にすべての人間の善悪・功過を調査し、それに基づいて応報したという(仝上)。「上元」は、

天官(人に福を賜う神)の誕生日、

とみなし、北魏以来、祭日となる。この夜(元宵)に灯籠を飾る(張灯)ようになったのは、ほぼ隋代以後と考えられ、灯節、元宵節とも呼ばれる。張灯の期間は、唐代では前後3日間、宋以後は一般に5日間となり、清末・民国以後、急速に衰えた、とある(仝上)。

「中元」は、道教では、

善悪を判別し人間の罪を許す神(地宮)を祭る贖罪(しょくざい)の日、

とみなし、道士が経典を読んで亡者を済度した。また仏教では、盂蘭盆経(うらぼんきよう)等に見える目連(もくれん)尊者の孝行譚(たん)により、六朝後期以来、寺院では盛大な、

盂蘭盆会(うらぼんえ)、

が開かれ、迷える亡者を済度した。このため後世、

鬼節(鬼は亡霊の意)、

とも呼ばれ、六朝の終りには、中元はすでに道教・仏教共通の祭日となり、家々では墓参に出かけ、各寺院では、供養を受けに訪れる諸霊の乗る法船を作り、夜それを焼いた(仝上)、とある。日本ではこれが、

お盆、

の行事となり、さらに、目上の人やお世話になった人等に贈り物をする、

お中元、

が派生した(仝上・https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%85%83)。

「下元」は、古代中国では、

先祖の霊を祀る行事、

だったが、後に、

物忌みを行い経典を読み、災厄を逃れるよう祈る日、

となった(仝上)。

日本では、

下元、

は取入れられなかったが、上元は、中元とともに定着し、

小正月、
女正月、

の名称もあり、

左義長(さぎちょう)、
ドンド焼き、

等々種々の民間行事が行われ、特に、この日は、

小正月、

に当たり、

小豆粥、

を食べると、一年中の災難が避けられるという「あずき粥」の習俗は全国的な広がりをもった(ブリタニカ国際大百科事典)。なお、「あずき粥」http://ppnetwork.seesaa.net/article/473475996.html、「小豆」http://ppnetwork.seesaa.net/article/477537850.htmlについては触れた。

「下元」は、日本では取りいれられなかったが、

この前後の日に、収獲を感謝する、

十日夜(とおかんや)、
亥の子、

などが行われ、日本に伝わった、

下元、

が各地の収獲祭と結び付いたhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%85%83と考えられている。

なお、「亥の子」については「亥の子餅」http://ppnetwork.seesaa.net/article/481713055.htmlで触れた。

「元」 漢字.gif

(「元」 https://kakijun.jp/page/0419200.htmlより)


「元」 甲骨文字・殷.png

(「元」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%85%83より)

「元」(漢音ゲン、呉音ゴン、慣用ガン)は、

象形。兀(人体)の上に丸い●印を描いたもので、人間のまるい頭のこと。頭は上部の端にあるので、転じて、先端、始めの意となる(漢字源)。別に、

指事。儿と、二(頭部を示す)とから成り、人の頭、ひいて、おさ、「もと」などの意を表す、

とも(角川新字源)、

象形文字です。「かんむりをつけた人の象形」で「かしら・もと」を意味する「元」という漢字が成り立ちました、

ともhttps://okjiten.jp/kanji355.htmlある。

参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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