三明六通

はやく屋の内を浄め、精進を潔斎にせよ。三明六通を得て、芥毛頭のこさず三界一覧にするなり(「義殘後覚(ぎざんこうかく)」)、 に、 三明六通(さんみょうろくつう)、 とあるのは、 仏教語。三種の智と六種の自在な神通力、 の意とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。 「三明(さんみょう)」は、 婆羅門教(とヒンドゥー教)の根本聖典である三つのヴェーダ(知…

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三界

はやく屋の内を浄め、精進を潔斎にせよ。三明六通を得て、芥毛頭のこさず三界一覧にするなり(「義殘後覚(ぎざんこうかく)」)、 にある、 三界、 は、 三千世界に同じ、全ての世界、 と注記がある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。 (三界 大辞泉より 「有頂天」には、色界(しきかい)の中で最も高い天である色究竟天(しきくきょうてん)とする説、色界の上にある無…

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三千世界

「三界」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/491997710.html?1664651664)で触れたように、 はやく屋の内を浄め、精進を潔斎にせよ。三明六通を得て、芥毛頭のこさず三界一覧にするなり(「義殘後覚(ぎざんこうかく)」)、 の、 三界、 は、 三千世界に同じ、全ての世界、 とある(高田衛編・校注『江戸怪談…

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目かれ

かばかりに尋常に優しくは有るらんと、見れども見れども目かれせず。かくて舞を始めけるに、面白さ云はん方なし(「義殘後覚(ぎざんこうかく)」)、 とある、 目かれせず、 は、 見あきない、 とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。「目かれ」は、 めかる、 の、 名詞形、 だと思う。「めかる」は、 目離る、 と当て、 見る目を…

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多生曠劫

まことに渠(かれ)を討たせ給はん事は、多生曠業(たしょうこうごう)は経るとも、叶ひ給ふべからず(義殘後覚)、 にある、 多生曠業、 は、 輪廻し生を易(か)えて過ごす、きわめて長い歳月、 とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。 多生曠業をば隔つとも、浮かび上がらんこと難し(平家物語)、 も併せて引かれているが、平家物語には、 つくづくものを案…

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いかさま

いかさま人の一念によって、瞋恚のほむらと云ふものは、有るに儀定たる由(義殘後覚)、 にある、 いかさま、 は、 如何様、 と当て、「いかもの」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/484310550.html)で触れたように、 イカサマ(いかにもそうだ)と相手に思い込ませることから(ことばの事典=日置昌一)、 等々…

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禅定

不孝無残のともがらが、懺悔のこころもなき身として、禅定するこそもったいなし(善悪報ばなし)、 にある、 禅定、 は、仏教語で、 霊山に登り修行すること、 とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)が、ちょっとわかりづらい。「禅定」に、 禅定する、 という言い方があり、これは、 かくて立山禅定(ゼンヂャウ)し侍りけるに(「廻国雑記(1487)」)、 …

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善知識

ある知識の云はく、さやうに霊の來るには、経帷子を着て臥し給はば、別の仔細あるまじ(善悪報ばなし)、 にある、 知識、 は、 善知識、徳ある僧、 と注記がある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。「知識」は、多く、 智識、 とも当て(広辞苑)、 ある事項について知っていること。また、その内容(仝上)、 知ること。認識・理解すること。また、ある事柄な…

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しま

「しま」は、 島、 のほか、 嶋、 嶌、 とも当てるが、 周囲を水で囲まれた陸地、 をいい、分布の状態から、 諸島、 列島、 孤島、 などと、また、成因から、 陸島(りくとう)、 洋島(ようとう)、 に区別され、洋島には、 火山島、 珊瑚島、 などがある(広辞苑)とされる。「陸島」は、 大陸棚上に位置する…

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かしこを見れば、其の長(たけ)五尋(ひろ)ばかりもあるらんと覚しき、鰐(わに)と云ふ物、五、六十ばかり、舟の前後を打ち囲みてぞ見へにける(善悪報ばなし)、 にある、 鰐、 は、 鮫類の古名、 とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。「さめ」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/452936180.html)で触れたように、 …

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水手(かこ)

水手(かこ)をはじめ舟中の人々、こはいかなる事やらんと慌てためく所に(善悪報ばなし)、 に、 水手、 とあるのは、 船頭、 の意とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)が、あまり正確ではない。 「水手」は、 加子、 水夫、 楫子、 とも当て(広辞苑・岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)、和名類聚抄(平安中期)に、 水手、加古、 と…

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肝胆

其の時、僧肝胆を砕き、祈らるるとき、かの女房の口より、赤き蛇一すぢ這い出て(善悪報ばなし)、 にある、 肝胆を砕く、 は、 精魂こめて、 の意とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。 摧肝胆、住悪心、偏忘他事、有御念願(『玉葉(1186)』)、 山王大師に百日肝胆(カンタン)を摧(クタイ)て祈申ければ(平家物語)、 などと、 肝胆を摧く …

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梁塵

梁塵、 とは、文字通り、 建物の梁(はり)の上につもっている塵(ちり)、 の意だが、 虞公韓娥といひけり。こゑよく妙にして、他人のこゑおよばざりけり。きく者めで感じて、涙おさへぬばかりなり。うたひける聲のひびきにうつばりの塵たちて、三日ゐざりければ、うつばりのちりの秘抄とはいふなるべし、 と、 梁塵秘抄、 となづけた所以を書いている(梁塵秘抄)通り、…

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村雨

ひとつ神鳴とどろきて稲妻ひかり、村雨おびただしくして眼(まなこ)も眩むばかりなりけるが(善悪報ばなし)、 にある、 村雨、 は、 叢雨、 群雨、 とも当て、 群になって降る雨、 群がって降る雨、 の意で、 激しくなったり弱くなったりして降る雨(日本国語大辞典)、 ひとしきり強く降ってやむ雨、強くなったり弱くなったりを繰り返して降る雨(大辞…

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炭焼小五郎伝説

柳田國男『海南小記(柳田国男全集1)』を読む。 本書には、 海上の海、 海南小記、 島の人生、 が載っているが、『海上の道』(http://ppnetwork.seesaa.net/article/488194207.html)は別に触れた。『海南小記』は、官吏を辞した後、宮崎、鹿児島、沖縄、宮古、八重山を訪れた紀行文である。それだけに気楽に読めそうなものだが、…

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目代

女、ありのままに申しける。其のまま目代へ訴たへ、、やがて死罪に行ひけり(善悪報ばなし)、 にある、 目代、 は、 代官、 と注記がある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。「目代(もくだい)」を、 代官、 の意で使うのは、室町時代以降で(広辞苑)、江戸時代は、むしろ、 目付(めつけ)の称、 とある(仝上)。「目代」は、 めしろ(目代・眼…

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虚空無性

虚空無法に山をめがけて走りゆく(善庵報ばなし)、 とある、 虚空無法、 は、 めったやたら、 の意とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。「めったやたら」は、 滅多矢鱈、 と当て、 無闇矢鱈(むやみやたら)、 と同義で、そのことは「むやみやたら」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/468093147.…

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窈窕

双頭の牡丹灯を肩にかかげて先に行けば、後に窈窕(ようじょう)たる美女一人従つて、西に行く(奇異雑談集)、 にある、 窈窕、 は、 美しくたおやかなさま、原字左訓「みやびめ」、 とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。 「窈窕」は、ふつう、 ようちょう、 と訓ませる(広辞苑)。「窈窕」を、 ヨウジョウ、 と訓ませるのは、「窕」の呉音で…

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丫鬟(あかん)

月のあきらかなるに、丫鬟(あかん)の童女一人あり、双頭の牡丹灯を肩にかかげて先に行けば、後に窈窕(ようじょう)たる美女一人従つて、西に行く(奇異雑談集)、 にある、 丫鬟、 は、 丫環、 とも当て(https://kokugo.jitenon.jp/word/p60790)、 丫頭(アトウ)、 丫髻(アケイ)、 鴉鬟(アカン)、 ともいい(字源)…

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上元

是は三元下降の日といふて、一年に三度天帝あまくだりて、人間の善業悪業を記する日也。正月十五日を上元(じょうげん)といふ。此の夜を元宵(げんしょう)とも元夕(げんせき)ともいふなり。七月十五日を中元といふ。十月十五日を下元といふなり(奇異雑談集)、 とある、 上元の夜、 は、「元宵」「元夕」の他に、 灯節(とうせつ)、 三元三看、 ともいう(高田衛編・校注『江戸…

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