2022年10月21日

天冠


日本にかんざしといふは、天冠(てんがん)なり。楊貴妃の能に見えたり(奇異雑談集)、

とある、

天冠、

は、

てんかん、

とも訓ませ、

能の装具。女神、天女、宮女などに用いる金色で透彫りのある輪状の冠。簪があり、左右に瓔珞を垂れる、

とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。「瓔珞」http://ppnetwork.seesaa.net/article/445068497.htmlは、もともとは、

インドの貴族男女が珠玉や貴金属に糸を通してつくった装身具。頭・首・胸にかけるもの、

であったが、それが、

仏像の装飾、

ともなり、

仏像の天蓋、また建築物の破風などにつける垂飾、

へと、意味の適用が広がった。

天冠 仏像の天蓋.jpg

(仏像の上の天蓋にある飾りが瓔珞 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%93%94%E7%8F%9Eより)

「天冠」は、確かに、

本来は仏像や皇族が被る宝冠、

を言ったが、今日では、例の、葬式のときに、近親者または死者が額に当てる、

死装束の白い三角の布、

を示す場合が多い(https://dic.pixiv.net/a/%E5%A4%A9%E5%86%A0・デジタル大辞泉)とある。類聚名義抄(11~12世紀)には、

天冠、テンクワン、

和名類聚抄(平安中期)には、

天冠、俗訛云天和、

とある。

天冠.bmp

(天冠 精選版日本国語大辞典より)

「天蓋」は、もともと、

幼帝が即位のときにつける礼冠(らいかん)、

をいい、

円頂で中央に飾りを立てる、

もので、この形が「三角の布」に似ている。それが、

宍色菩薩天冠銅弐枚(天平一九年「大安寺伽藍縁起并流記資財帳(747)」)、

と、

仏や天人などがつける宝冠。仏像がつけている冠、

をもいうようになる。また、

冠の一種、

として、

騎射または舞楽などに童が用いた金銅の飾りの額当(ひたいあて)の金物、

とも言うようになり、

角こそはへずと、せめて天冠(テングヮン)の下に瘤でもはやし(浮世草子「国姓爺明朝太平記(1717)」)、

と、広く、

高貴な人のつける冠、

もいうに至る。

能の装具、

というのは、能のかぶり物で、

金属製の輪状になった冠で、雲形や唐草模様の透かし彫りがある。中央には月や鳳凰などの立物をつけ、左右に瓔珞(ようらく)をたれ、女神、天女、官女などの役に用いる物、

を指す(精選版日本国語大辞典)。

天冠・能.jpg

(「羽衣のシテ(天人)」 天人は小面(こおもて)をつけ、長鬘、胴箔紅入鬘帯(かつらおび)をしめ天冠を戴く https://costume.iz2.or.jp/costume/580.htmlより)

この「天冠」は、舞楽の場合は、

金銅または銀銅で山形に作られ、唐草模様の透し彫があり、左右に剣形の飾りがあり、挿頭花(かざし)をさし、五彩の唐打の総角(あげまき)をつける。「迦陵頻(かりようびん)」「胡蝶」で童舞の舞人が用い、

能の天冠は、

金属製の輪状になった冠で、雲形または唐草模様の透し彫があり、中央に日輪・月輪・鳳凰(ほうおう)・白蓮・蝶・蔦紅葉などの立て物をつけ、左右に瓔珞(ようらく)を垂らす。

とあり(世界大百科事典)、

左方は金銅金具、右方は銀銅金具で、唐草の透し彫があり挿頭花をさし、童髪(どうはつ 70cmほどの黒長髪の鬘(かつら))をつける、

とある(仝上)。

「冠」 漢字.gif

(「冠」 https://kakijun.jp/page/0913200.htmlより)

「冠」(カン)は、

会意兼形声。「冖(かぶる)+寸(手)+音符元」で、頭の周りを丸く囲むかんむりのこと。まるいかんむりを手で被ることを示す、

とある(漢字源)。同趣旨だが、

会意形声。冖と、寸(手)と、元(グヱン→クワン 首(こうべ)の意)とから成り、かんむりを手で頭に着ける、また、「かんむり」の意を表す、

とも(角川新字源)、また、

会意兼形声文字です(冖+元+寸)。「おおい」の象形と「かんむりをつけた人」の象形と「右手の手首に親指をあて脈をはかる」象形から、「かんむりをつける」、「かんむり」を意味する「冠」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1616.html

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)


ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2022年10月22日

沙喝


僧廿人ばかり、沙喝(しゃかつ)あり。寺の霊宝に硯一面あり(奇異雑談集)、

とある、

沙喝、

は、

沙弥と喝食、

とあり(高田衛編・校注『江戸怪談集』)、「喝食」は、

僧になりたらば、喝食に指をさされ、法師になりたらば、児(ちご)どもに笑はれず(太平記)、

と、

禅寺の稚児、

を意味する(兵藤裕己校注『太平記』)。「喝食」は、

かつじき、
かっしき、
かしき、
かじき、

とも訓ませるが、禅宗用語で、正確には、

喝食行者(かつじきあんじゃ、かっしきあんじゃ)、

といい、「喝」とは、

称える、

意で、禅寺で規則にのっとり食事する際、

浄粥(じようしゆく)、
香飯香汁(きようはんきようじゆ)、
香菜(きようさい)、
香湯(こうとう)、
浄水、

等々と食物の種類や、

再進(再請 さいしん お替わり、食べ始めてから五分~十分くらいしたところで再び浄人が給仕にやって来る)、
出生(すいさん 「さん」は「生」の唐宋音。「出衆生食」の略。自分が受けた食事の中からご飯粒を七粒ほど(「生飯(さば)」)取り出し施食会(せじきえ)を修し、一切の衆生に施すこと)、
収生(しゆうさん 出生の生飯(さば)を集める)、
折水(せつすい 食べ終わった器にお湯を入れて器を洗い、それを回収する)、

等々と食事の進め方を唱え(http://chokokuji.jiin.com/他)、

食事の種別や進行を衆僧に知らせること、

また、

その役名、

をいい、本来は年齢とは無関係であるが、禅宗とともに中国から日本に伝わった際、

日本に以前からあった稚児の慣習が取り込まれて、幼少で禅寺に入り、まだ剃髪をせず額面の前髪を左右の肩前に垂らし、袴を着用した小童が務めるものとされた、

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%96%9D%E9%A3%9F・精選版日本国語大辞典・日本大百科全書)。庭訓往来抄」には、

故に今に至るまで鉢を行之時、喝食、唱へ物を為る也、

とあり、「雪江和尚語録」によれば、後世は有髪の童児として固定し、

7、8歳から12、13歳の小童が前髪を垂らし袴(はかま)を着けて勤めるのが一般の風習となった、

ようである(仝上)。しかし、室町時代には本来の職掌から離れて、

稚児の別称、

となり、中には禅僧や公家・武家の衆道の相手を務めるようになった(仝上)ともある。江戸時代には訛って、

がっそう、

と呼ぶ地域もあり、上方ではまだ髪を結んでいない幼児の頭を、

がっそう頭、

と称した(仝上)ともある。ただ、

沙喝、

だけでも、

勾下春屋小師度弟僧沙喝共二百三十余人名字(空華日用工夫略集)、

と、

禅家で、剃髪して沙彌となり、喝食(かっしき)の服を着ている童のこと。食堂(じきどう)で大衆に食事の案内をする者、

の意があり、

沙彌喝食(しゃみかっしき)、

という言い方もするらしい(精選版日本国語大辞典)。

なお、能面で、

喝食、

というのは、上記の「喝食」に似せて作った、

額に銀杏(いちょう)の葉形の前髪をかいた半僧半俗の少年の面、

で、「東岸居士(とうがんこじ)」「自然居士(じねんこじ)」「花月(かげつ)」などに用いるが、前髪の大きさにより大喝食、中喝食、小喝食の種類がある(精選版日本国語大辞典)。

能面 喝食(かっしき).jpg


「沙弥」は、

梵語śrāmaṇera、

の音訳、

室羅末尼羅(シラマネエラ)の略、

で、

さみ、
しゃみ、

と訓ませ、

求寂、
息慈、
息悪、

と訳し、

息惡行慈の意、

で、

初めて仏門に入り、髪を剃りし男子の称、即ち得度式のみ終わりたるもの、

を指し、女子は、

沙弥尼、

という。つまり、

為沙門者、初修十戒、沙彌(魏書・釋老志)、

と、

比丘(びく)となるまでの修行中の僧修行中の僧、

をいう(大言海)。因みに、十戒(じっかい)とは、

沙弥および沙弥尼が守るべきとされる10ヶ条の戒律をいい、

不殺生(ふせっしょう):生き物を殺してはならない、
不盗(ふとう):盗んではならない、
不婬(ふいん):性交渉をしてはならない、
不妄語(ふもうご):嘘をついてはならない、
不飲酒(ふおんじゅ):酒を飲んではならない、

の五戒に、

不著香華鬘不香塗身(ふじゃくこうげまんふこうずしん):化粧をしたり装飾類を身に付けてはならない、
不歌舞倡妓不往観聴(ふかぶしょうぎふおうかんちょう):歌や音楽、踊りを鑑賞してはならない、
不坐高広大床(ふざこうこうだいしょう):大きく立派なベッドに寝てはいけない、
不非時食(ふひじじき):正午以降に食べ物を摂ってはならない、
不捉持生像金銀宝物(ふそくじしょうぞうこんごんほうもつ):お金や金銀・宝石類を含めて、個人の資産となる物を所有してはならない、

を加えたものhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E6%88%92_%28%E4%BB%8F%E6%95%99%29をいう。

「沙弥」は、年齢によって3種に分け、

7〜13歳を駆烏(くう)沙弥、
14〜19歳を応法沙弥、
20歳以上を名字沙弥、

という(百科事典マイペディア)とある。日本では、

本来、20歳未満で出家し、度牒(どちよう 出家得度の証明書、度縁)をうけ、十戒を受け、僧に従って雑用をつとめながら修行し、具足戒をうけて正式の僧侶になる以前の人、

をさす(世界大百科事典)。また、日本では、

修行未熟者、

の意味から、

形は法体でも、妻子をもち、世俗の生業に従っているもの、つまり入道とか法師とよばれる人、

をも沙弥といった。中世の沙弥には武士が多いが、

沙門、

つまり、

僧、

とは明確に区別された(百科事典マイペディア)とある。「比丘」「比丘尼」となるための「具足戒」の「具足」は、

近づくの意で、涅槃に近づくことをいう。また、教団で定められた完全円満なものの意、

であり(仝上)、「具足戒」は、

比丘、比丘尼が受持する戒律。四分律では、比丘は250戒、比丘尼は348戒、

を数える(「八百比丘尼」http://ppnetwork.seesaa.net/article/482992577.html?1629313561で触れた)。

「沙」 漢字.gif


「沙」(漢音サ、呉音シャ)は、

会意。「水+少(小さい)」で、水に洗われて小さくばらばらになった砂、

とあるが、別に、

象形。川べりに砂のあるさまにかたどる。水べの砂地、みぎわの意を表す

とも(角川新字源)、

会意文字です(氵(水)+少)。「流れる水」の象形と「小さな点」の象形から、水の中の小さな石「すな(砂)」を意味する「沙」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji2096.html

「彌」 漢字.gif


「弥」 漢字.gif

(「弥」 https://kakijun.jp/page/0885200.htmlより)

「弥(彌)」(漢音ビ、呉音ミ)は、

形声。爾(ジ)は、柄のついた公用印の姿を描いた象形文字で、瓕の原字。彌は「弓+音符爾」で、弭(ビ 弓+耳)に代用したもの。弭(ゆはず)は、弓のA端からB端に弦を張ってひっかける耳(かぎ形の金具)のこと。弭・彌は、末端まで届く意を含み、端までわたる、遠くに及ぶ等々の意となった、

とある(漢字源)。別に、

「彌」は、「弓」+音符「爾(印の象形文字で「璽」の原字)」の形声文字で、「弭(弓の端にあり弦をかける金具「耳」)」に代用したもの(『韻會』)、「弓が弛む」という意味を表したもの(『説文解字』における「瓕」の解字)、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%BC%A5

形声。弓と、音符璽(ジ→ビ 爾は省略形)とから成る。弓がゆるむ意を表す。ひいて、長びく、「わたる」意に用いる、

とも(角川新字源)、

会意文字です(弓+日+爾)。「弓」の象形と「太陽」の象形と「美しく輝く花」の象形から、時間的にも空間的にも伸びやかに満ちわたる事を意味し、そこから、「あまねし(行き渡る)」を意味する「弥」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji2192.html

「喝」 漢字.gif

(「喝」 https://kakijun.jp/page/1116200.htmlより)


「喝」 漢字.gif


「喝」 説文解字・漢.png

(「喝」 説文解字・漢 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%96%9Dより)

「喝(喝)」(漢音カツ、呉音カチ)は、

会意兼形声。曷(カツ)は口ではっとどなって、人をおしとどめる意。喝は「口+音符曷」。その語尾のtが脱落したのが、呵(カ)で、意味はきわめて近い、

とある(漢字源)。別に、

形声。口と、音符曷(カツ)とから成る。のどがかわいて水をほしがる意を表す。借りて「しかる」意に用いる、

とも(角川新字源)、

会意兼形声文字です(口+曷)。「口」の象形と「口と呼気の象形と死者の前で人が死者のよみがえる事を請い求める象形」(「高々と言う」の意味)から、「声を高くして、しかる」、「怒鳴りつける」、「さけぶ」を意味する「喝」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1622.html

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:沙喝 沙弥 喝食
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2022年10月23日

不肖


その身不肖なるゆへに、世に聞こえざるなり。弟子聖鎮、先師を反異するのみ(奇異雑談集)、

にある、

不肖、

は、

ここでは、めだたない、の意、

とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。因みに、「反異」は、

世評を否定し、真実を述べること、

とある(仝上)。

普通、今日、「不肖」は、

不肖、私にお命じ下さい、

と、

自分の謙称、

か、

「肖」は似る意。天に似ない、賢人に似ない、あるいは父に似ないの意、

で、

不肖の弟子、
とか、
不肖の子、

等々と、

師に似ず劣っていること、
また、
父に似ないで愚かなこと、

として用いているが、「不肖」は、漢語であり、

子曰、道之不行也、我知之矣、知者過之、愚者不及也、道之不明也、我知之矣。賢者過之、不肖者不及也(中庸)、

と、

人は天の生ずる所なり、故に天に似ざる義、人に如かざるをいふ、

とある(字源)。また、

堯知子丹朱之不肖不足授天下(史記・五帝紀)、

と、

一説、父に似ざる不才者、

の意ともあり、さらに、

自己の謙称、

としても用い、

不佞(ふねい)、

とも同義とある(仝上)。「不佞」は、

才能のないこと、
また、
そのさま、

の意と共に、

自分の謙称、

としても使い(広辞苑)、

不才、

ともいう。

「不肖」は、漢語の意味の範囲で、

肖は似る、

意で、「不肖」は、

人肖天地之貌(漢書・刑法誌)注、「庸妄之人謂之不肖、言其状䫉無所象似䫉、古貌字」、

と、

人の物に似ざること、

を意味し、さらに、上にも挙げたが、

堯知子丹朱之不肖不足授天下(史記・五帝紀)、

と、

父に似ざること、
不似、

の意、さらに、

今夫朝廷之所、不學、郷曲之所、不譽、非其人不肖也、其所以官之者、非其職也(淮南子)、

と(大言海)、

才智の劣れること、愚かであること、
また、
そのさまやその人、

の意で、

貝鞍置いて乗りたりけるが進み出で、身不肖に候へども、形のごとく系図なきにしも候はず(保元物語)

と、

諸事について、劣ること、至らないこと、未熟なこと、

等々にいう(仝上・精選版日本国語大辞典)。さらに、

身の不肖なるにつけても、又公方を憚る事なれば、竊に元服して、継父の苗字を取り、曽我十郎祐成とぞ名乗りける(曽我物語)、

と、

不運、
不幸せ、

の意でも使う。「不肖」の、

おろかもの、

の意の延長線上で、

来書乃有遇不遇之説、甚非所似安全不肖也(蘇軾・與陳傳道書)、

と、

己が身を、才鈍しと謙遜する自称の代名詞、

としても使う(大言海)。ほぼ、漢語の意味の範囲にあるが、「不肖」を、

めだたない、

と訳するのは、かなりの意訳ではないだろうか。むしろ、字義通りなら、

才智の劣れること、愚かであること、

の意でも十分意味は通じる気がする。

なお、「不肖」について、平安末期『色葉字類抄』は、

「不肖 フセウ ホエス」とは別に「不屑(モノノカスナラス) 同 フセウ」、

ともあり、室町時代の「文明本節用集」では、

「不肖」に「ニタリ」の訓と「屑同。肖ハ似也」、

の注記がある。しかし、

「屑」の字音は「セツ」であり、本来「肖」とは別字である。あるいは、「いさぎよしとせず」と訓ずる「不屑」との意味上の近似から混同したものか、

とある(精選版日本国語大辞典)。

「不」 漢字.gif

(「不」 https://kakijun.jp/page/0403200.htmlより)


「不」 甲骨文字・殷 .png

(「不」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B8%8Dより)

「不」(漢音フツ、フウ、呉音フ、ホチ、慣用ブ)は、

象形。不は菩(フウ・ホ つぼみ)などの原字で、ふっくらとふくれた花のがくを描いたもの。丕(ヒ ふくれて大きい)・胚(ハイ ふくれた胚芽)・杯(ハイ ふくれた形のさかずき)の字の音符となる。不の音を借りて口篇をつけて、否定詞の否(ヒ)がつくられたが、不もまたその音を利用して、拒否する否定詞に転用された。意向や判定を打ち消すのに用いる。また弗(フツ 払いのけ拒否する)とも通じる、

とある(漢字源・https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B8%8D)。別に、

象形。花の萼(がく)の形にかたどる。「芣(フ 花の萼)」の原字。借りて、打消の助字に用いる、

とも(角川新字源)、

象形文字です。「花のめしべの子房」の象形から「花房(はなぶさ)」を意味する「不」という漢字が成り立ちました。(借りて(同じ読みの部分に当て字として使って)、「否定詞」の意味も表すようになりました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji729.html

「肖」  漢字.gif



「肖」 金文・戦国時代.png

(「肖」 金文・戦国時代 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%82%96より)

「肖」(ショウ)は、

会意兼形声。小は、ちいさく削った破片を描いた象形文字。肖は「肉+音符小」で、素材の肉を削って原型に似た小形のものを作ることを示す。小さい小形のものの意を含む、

とあり(漢字源)、「肖像」と、かたどる、似る意、「不肖」と、子が親に似ず愚かなことの意、「申呂肖矣」と、小さい意で使う(仝上)。別に、

会意形声。「肉」+音符「小」。「小」は細かく分けること、素材を細かく分け新たに形作ること、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%82%96

会意兼形声文字です(小+月(肉))。「小さな点」の象形(「小さい」の意味)と「切った肉」の象形から、骨肉の中の幼い小さいものを意味し、そこから、「似る」、「小さい」、「素材を細かく分け新たに形を作る」を意味する「肖」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1923.html

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:不肖
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2022年10月24日

白日に人を談ずる事なかれ


諺に曰はく、白日に人を談ずる事なかれ。人を談ずれば害を生ず。昏夜(こんや)に鬼を話(かた)る事なかれ。鬼を話れば怪いたる(「伽婢子(おとぎぼうこ)」)、

とある、

白日に人を談ずる事なかれ、

は、その由来を、

白日無談人、談人則害生、昏夜無話鬼、話鬼則怪至(竜城録)、

と注記がある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。『竜城録』は、

志怪小説、

で、唐中期の、

柳河東集(柳宗元)、

に収められている、

怪異譚、

を撰述したものである。他に、

「羆説」「李赤伝」「黔之驢」「黄渓記」「非国語・嗜芰」「羆説」「太白僊去」

が収められているhttp://www.mugyu.biz-web.jp/nikki.22.07.12zuitou.htmとある。なお、「志怪小説」については、「志怪」http://ppnetwork.seesaa.net/article/434978812.htmlで触れた。

柳宗元・『晩笑堂竹荘画傳』より.jpg

(柳宗元(晩笑堂竹荘画傳) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B3%E5%AE%97%E5%85%83より)

ここで、

鬼、

とあるのは、「日本」の「オニ」ではなく、

おぼろげな形でこの世に現れる亡霊、

つまり、

幽霊、

を指す(漢字源)。中国では、

魂がからだを離れてさまようと考え、三国・六朝以降、泰山の地下に鬼の世界(冥界)があると信じられた、

という(仝上)。

さて、この、

白日に人を談ずる事なかれ、

は、寛文六年(江戸1661年)刊行の『伽婢子』(浅井了意)に載る、

怪を話せば怪いたる、

に出てくる。鷗外にも『百物語』があるが、それは、

百物語には法式あり。月暗き夜行燈(あんどん)に火を点じ、其の行燈は青き紙にて貼りたて、百筋の灯心を点じ、一つの物語に、灯心一筋づつ引きとりぬれば、座中漸々暗くなり、青き紙の色うつろひて、何となく物凄くなり行く也。それに話(かたり)つづくれば、必ず怪しき事、怖ろしき事現はるるとかや、

というもので、

臘月(ろうげつ 陰暦十二月)の初めつ方、風烈しく雪降り、寒き事日比(ひごろ)に替はり、髪の根滲むるにぞぞっと覚え、

るほどの中、

下京辺りの人、五人集り、

「いざや百話せん」

と、法の如く火をともし、面々皆青き小袖着て、並み居て語るに、

六、七十に及ぶ、

頃、

窓の外に火の光ちらちらとして、蛍の多く飛ぶが如く、幾千万ともなく、終に座中に飛び入りて、丸く集まりて鏡の如く鞠の如く、又別れて砕け散り、変じて白くなり固まりたる形、径(わたり)五尺ばかりにて天井に着きて、畳の上にどうと落ちたる。其の音いかづちの如くにして消え失せたり、

と、あまりのことに、

五人ながら俯(うつぶ)して死に入りける、

という。つまりは、

気絶した、

のである。で、冒頭の、

白日に人を談ずる事なかれ、

という故事につながるのである。これが、『伽婢子』の掉尾で、こう締めくくられる。

物語り百条に満てずして、筆をここに留む、

と。『伽婢子』は、全六十八条である。

「白」 漢字.gif

(「白」 https://kakijun.jp/page/0595200.htmlより)

「白」(漢音ハク、呉音ビャク)は、「白毫」http://ppnetwork.seesaa.net/article/490150400.htmlで触れたように、

象形。どんぐり状の実を描いたもので、下の部分は実の台座。上半は、その実。柏科の木の実のしろい中身を示す。柏(ハク このてがしわ)の原字、

とある(漢字源)が、

象形。白骨化した頭骨の形にかたどる。もと、されこうべの意を表した。転じて「しろい」、借りて、あきらか、「もうす」意に用いる、

ともあり(角川新字源)、象形説でも、

親指の爪。親指の形象(加藤道理)、
柏類の樹木のどんぐり状の木の実の形で、白の顔料をとるのに用いた(藤堂明保)、
頭蓋骨の象形(白川静)、

とわかれ、さらに、

陰を表わす「入」と陽を表わす「二」の組み合わせ、

とする会意説もあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%99%BD。で、

象形文字です。「頭の白い骨とも、日光とも、どんぐりの実」とも言われる象形から、「しろい」を意味する「白」という漢字が成り立ちました。どんぐりの色は「茶色」になる前は「白っぽい色」をしてます、

と並べるものもあるhttps://okjiten.jp/kanji140.html

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2022年10月25日

牛王


さまざまに、弔(とぶ)らひをいたし、門(かど)にも窓にも、牛王(ごおう)を押して、防げども、さらに止まらず(平仮名本・因果物語)、

にある、

牛王(ごおう)を押して、

は、

護符を貼りつけて、

の意とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。

社寺の発行する魔除けの護符を「牛王」といった、

とある(仝上)。つまり、「牛王」は、

牛王宝印、

の意である。

熊野三社・手向山(たむけやま)八幡宮・京都八坂神社・高野山・熱田・白山・富士浅間・東大寺・東寺・法隆寺、

等々から出す、

厄除け、降魔の護符、

で、

牛王宝印、
牛玉宝印、

または、頒布の所の名を上に冠して、

〇〇宝印、

としるしてあり(広辞苑・日本国語大辞典)、図柄はきまっていないが、

七五羽の烏を図案化した熊野牛王、

が有名で、

烏(からす)の絵を用いた書体で書かれる、やや特殊なものである、

とされる(仝上)。また、略して、

牛王、
宝印、

ともいい、災難よけに、

身につける、
戸口に貼る、
木の枝に挟む、
病人に用いる、

などと用いた。中世以降は、武士は、

起請文(きしょうもん)を書くのにこの牛王宝印の裏に署す、

のに広く使用した(広辞苑・大辞林・日本大百科全書)。『吾妻鏡』元暦(げんりゃく)二年(1185)五月廿四日の源義経欸状(所謂腰越状)に、

以諸神、諸社、牛王寶印之裏、不插野心之旨、奉請驚日本國中大小神祇冥道、雖書進數通起請文、猶以無御宥免、

と、源義経が大江広元を通じて兄頼朝に対して異心なきことを、牛王宝印の裏に起請文を書いて差し出し(仝上)、また、

諸神諸社の牛王宝印の裏をもって野心をさしはさまざる旨、……数通の起請文を書き進ずといへども(平家物語)、

などともある。

熊野那智大社の牛王宝印.jpg

(熊野那智大社の牛王宝印(烏牛王、「おからすさん」などともいわれる。熊野神の使令であるカラスを配したこの護符は、古来、熊野権現の信仰を伝える) 日本大百科全書より)

牛頭天王信仰に関連する護符、

とされるが、牛玉宝印の「牛玉」とは、牛の胆嚢内にできた胆石、

牛黄(ごおう)、

に由来し、その起源から、

牛頭天王と関連するものではない、

とする説があるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%9B%E9%A0%AD%E5%A4%A9%E7%8E%8Bが、牛王と牛黄とはまったく別物だという説もあり、『和漢三才図会』など江戸時代の諸書は、

牛王はウブスナ(生土)の生の字の下部の一が誤って土の字の上についたもの、

だとし、仏教では、

牛頭天王(ごずてんのう)、

に由来すると説く説もあり、はっきりしない(日本大百科全書)。大言海は、

ゴは、牛(ギュウ)の呉音(牛蒡(ごばう)、牛頭(ゴヅ))、ホウも寶の呉音、牛王とは、阿弥陀如来の一称、寶印とは、如来の紇哩(キリク 種子)の梵字、共に印に刻して押すに因りて云ふ、此物、天竺、支那にては聞かず、わが国にて出す佛寺は、華厳宗、真言宗なるが多し、或は、牛王寶命とも記す、生土寶印の字畫の、上下に離合したるにて、生土(ウブスナ)の神の寶命なりなど云ふ説は、論ずるに足らず、又、牛黄(ゴワウ)と混じて説くも、謂れなし、

としている。合類節用集(元禄三(1690)年)にも、

寶印、刻如来種子(しゅじ)梵字印之、故名、蓋、据十一面神呪経説、

とあり、さらに、

牛王、据釋氏説、則牛王者、如来之一称也、見涅槃経、智度論、

ともある。また寂照堂谷響集(元禄二(1689)年)には、

諸寺、諸社、牛王寶印者、西竺、中華、不聞此事、……今謂牛王者、佛之異名、故、涅槃経第十七云、如来、名大沙門、人中牛王、人中丈夫、……寶印者、刻佛種子梵字印之、……本由十一面呪経而起、十一面頂上佛面、即、阿弥陀也、彼佛種子、梵書紇哩(キリク)字、有禳災除疫之功能、

ともある。江戸時代の説だが、牛王寶印の代表である、「熊野午王宝印」について、

三所権現と申すのは、証誠殿(しょうじょうでん)、中の宮、西の宮の三所のことである。証誠殿と申すのは、本地は阿弥陀如来、昔の喜見聖人がこれである。また、中の宮と申すのは、昔の善財王のことである。西の宮と申すのは、本地は千手観音、昔の五衰殿の女御がこれである、

https://www.mikumano.net/setsuwa/honnji6.html、阿弥陀如来を本地とする、としている。

牛王とは、阿弥陀如来の一称、

を、まんざらの異説ともしがたい気がする。

法界寺の牛玉宝印.jpg

(京都・法界寺の牛玉宝印 http://www.haseodou.com/my_diary/user/index.cgi?mode=view&num=333より)

なお、「牛頭天王」については、「祇園」http://ppnetwork.seesaa.net/article/489081573.htmlで触れたように、牛頭天王(ごずてんのう)は、もともと、

祇園精舎(しょうじゃ)の守護神、

であったが、

蘇民将来説話の武塔天神と同一視され薬師如来の垂迹であるとともにスサノオの本地ともされた、

とありhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%9B%E9%A0%AD%E5%A4%A9%E7%8E%8B

武塔天神(むとうてんじん)、

あるいは、京都八坂(やさか)神社(祇園(ぎおん)社)の祭神として、

祇園天神、

ともいう(日本大百科全書)。

牛頭天王と素戔嗚尊の習合神である祇園大明神(仏像図彙 1783年).png

(牛頭天王と素戔嗚尊の習合神である祇園大明神(仏像図彙) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%9B%E9%A0%AD%E5%A4%A9%E7%8E%8Bより)

「ごづ」は、

牛頭(ぎゅうとう)の呉音、此の神の梵名は、Gavagriva(瞿摩掲利婆)なり、瞿摩は、牛と訳し、掲利婆は、頭と訳す、圖する所の像、頂に牛頭を戴けり、

とあり(大言海)、

忿怒鬼神の類、

とし、

縛撃癘鬼禳除疫難(『天刑星秘密気儀軌』)、

とある(大言海)。

その裏面は起請文を記す用紙、

とされた(仝上・大辞泉・日本国語大辞典)。京都東山祇園や播磨国広峰山に鎮座して祇園信仰の神(祇園神)ともされ現在の八坂神社にあたる感神院祇園社から勧請されて全国の祇園社、天王社で祀られた。また陰陽道では天道神と同一視されたhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%9B%E9%A0%AD%E5%A4%A9%E7%8E%8Bとある。

「牛」 漢字.gif

(「牛」 https://kakijun.jp/page/0471200.htmlより)


「牛」 甲骨文字・殷.png

(「牛」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%89%9Bより)


「羊」 甲骨文字・殷.png

(「羊」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%BE%8Aより)

「牛」(漢音ギュウ、呉音グ、慣用ゴ)は、

象形、牛の頭部を描いたもの。ンゴウという鳴き声をまねた擬声語でもあろう、

とある(漢字源)。別に、

象形。羊と区別し、前方に湾曲して突き出たつののあるうしの頭の形にかたどり、「うし」の意を表す、

ともある(角川新字源)。

「王」 漢字.gif

(「王」 https://kakijun.jp/page/0473200.htmlより)

「王」 甲骨文字・殷.png

(「王」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%8E%8Bより)

「王」 金文・殷.png

(「王」 金文・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%8E%8Bより)

「王」(オウ)は、諸説あり、

会意。「大+-印(天)+-印(地)」で、天と地の間に立つさまを示す(漢字源)、
「大」(人が立った様)の上下に線を引いたものhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%8E%8B

あるいは、

下が大きく広がった斧の形を描いた象形文字(漢字源)、
象形、王権を示す斧/鉞の象形https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%8E%8B
象形。大きなおのを立てた形にかたどり、威力の象徴としての、かしらの意を表す(角川新字源)、
古代中国で、支配の象徴として用いられたまさかり(が正義(制裁)を取り行う道具)の象形https://okjiten.jp/kanji189.html

等々とあり、

もと偉大な人の意、

とある(漢字源)。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2022年10月26日

小袿(こうちぎ)


年のころ廿(はたち)ばかりと見ゆ。白き小袿(こうちぎ)に紅梅の下襲(したがさね)、匂ひ世の常ならず(伽婢子)、

とある、

小袿、

は、

女房装束の上着、高貴な女性の平常着、

とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。古くは、

こうちき、

と清音(精選版日本国語大辞典)で、

婦人の礼服、裳、唐衣(からぎぬ)など着ぬ上に、打掛けて着るものにて、小袖の如く、廣袖にて、裏あり、地は、綾にて、色、種々なりと云ふ、

とある(大言海)。

小袿姿(法然上人絵伝).jpg

(「小袿姿」(法然上人絵伝)有職故実図典より)


小袿.jpg

(「小袿」(近世) 有職故実図典より)

これだとわかりにくいが、「小袿」は、

女房装束の略装、

で、高貴の女子が、

内々に用いた、

とある(有職故実図典)。女房装束のうち、

唐衣(からぎぬ)、
裳(も)、

を除いた、いわゆる、

重袿(かさねうちき)、

に、

袿、

の姿で、

上衣の袿が、下の重袿をおめらかす(ずらす。特に、衣装などの表の端に下襲(したがさね)の端をのぞかせる)ために、特に小袿に仕立てられた、

ので、

小袿、

と呼ばれた(仝上)、とある。

垂領(たりくび)、広袖(ひろそで)形式で、袿(うちき)より袖幅がやや少なく、身丈が短い。袿を数領重ねた上に着て、改まったときには唐衣(からぎぬ)のかわりに小袿を着て裳(も)を腰につける、

ともある(日本大百科全書)。ために、実体は、

表着(うわぎ)、

と変わらず、

表着の時はどこまでも唐衣の下着として用いられたのに対し、小袿は褻の際ではあるが、唐衣と同様、最上の料、

として用いられ、仕立・地質・文様・色目などにも、最上着としての体裁を整え、

表着とは別個の存在、

となり、

袖口・襟・衽(おくみ 着物の左右の前身頃(まえみごろ)に縫いつけた、襟から裾までの細長い半幅(はんはば)の布)・裾回しに裏地を返しておめらかす他、「おめり」(衣服などの表地の周縁に裏地をずらしてのぞかせる部分)と表地との間に、さらに今一色裂地を挟んで中部(なかべ)とし、重ねの飾りを副えて、小袿の特色とした、

という独特の着方に発展した(有職故実図典)。「小袿」が、こうして、

略儀の最上着、

となることによって、

唐衣、

を略して、代わりに裳を付ける例もあり、『枕草子』に、

裳の上に小袿をぞ著給へる、

と、関白藤原道隆の北の方の着方を載せているが、これは特例のようで、本来は、

五衣(いつつぎぬ 袿を五枚重ねて着る)、

の上に着用するのが本義で、改まった時には、

表着、

をも内に着籠めるのを例にした(仝上)とある。因みに、「五衣」は、

五領襲(かさ)ねて組み合わせた袿、

のことだが、元来、襲ねる枚数に規定はなかったが、平安時代末ごろより五領が適当となり、それを、

五衣、

と呼ぶようになった。五領の配色に趣向をこらし、

五領同色にしたもの、
襲ねる袿の上から順次、色目を濃くしたり淡くしたりした「匂(にお)い」、
うち二領を白にした「薄様(うすよう)」、
五領各異色の組合せにしたもの、

等々いろいろな襲(かさね)色目のものが用いられた(日本大百科全書)らしい。

春日権現霊験記』にみる小袿.jpg

(小袿は重々しい女房装束にかわって用いられる日常着で、上着の丈の短いのが特色(『春日権現霊験記』(部分)) 日本大百科全書より)

「小袿」姿のよく知られているのは、『春日権現霊験記』第一巻第三段にみえる、

竹林上の貴女の姿、

で、これは藤原吉兼が夢中に拝した春日大明神の神影とされる(仝上)。

なお、近世になると、小袿は袿とまったく同形で、中倍(なかべ)といわれる絹地を、表地と裏地の間に挟んで仕立てたものを称している(日本大百科全書)という。

小袿.bmp

(「こうちぎ」 精選版日本国語大辞典より)

ちなみに、女房装束(十二単)は、

唐衣(からぎぬ 男性の束帯に相当する女性の第一正装。唐衣はその一番上に着る衣。唐服を模したところから唐衣と言われる。上半身を羽織るだけの短い衣で、背身頃は前身頃の約三分の二の長さ、袖丈より短い)、
表着(うはぎ・うえのきぬ 唐衣の下に着る。袿であるが、多くの袿の一番上に着るのでこの名があり、下に着る五衣(いつつぎぬ)の襲(かさね)を見せるため少し小さめに作られている)、
打衣(うちぎぬ 表着の下に着る袿で、打衣の名称はもと紅の綾を砧でうって光沢を出したことからつけられたが、のちには打つ代わりに「板引き」といって布地に糊をつけ、漆塗りの板に張り、よく干して引きはがして光沢を出すようになった)、
五衣(いつつぎぬ 袿を五枚重ねて着るので五衣とよばれるが、形や大きさは表着と変わらない)、
単衣(ひとえ 形は袿と同じだが、裄と丈が他の袿より大きく長く仕立てられている。常に単衣仕立て)、
長袴(ながばかま 筒形で、裾は後ろに長く引く。表裏とも緋色の精好地(せいこうじ 地合いが緻密で精美な織物の精好織の略称))、
裳(も 奈良時代には腰に巻いたものだったが、平安時代になって衣服を数多く重ね着するようになり、腰に巻くことができなくなったため、腰に当てて結び、後ろに垂れて引くものになった)、

からなりhttp://www.wagokoro.com/12hitoe/、髪型は大垂髪(おすべらかし 下げ髪。髻(もとどり)から先のほうの髪を背側にすべらせ,長く垂れ下げたもの)が基本とある。

「袿」は、

打着の義、上に打掛けて着る服の意、褂とも書くは、掛衣の合字、

とあり(大言海)、類聚名義抄(11~12世紀)に、

ウチキと清音の指示がある。アクセントによると、内着の意ではなく、打ち着(ちょっと着る)の意、

とある(岩波古語辞典)。和名類聚抄(平安中期)も、

袿、宇知岐、布陣の上衣也、

とある。

女房装束姿(佐竹本三十六歌仙絵).jpg

(女房装束姿(佐竹本三十六歌仙絵) 有職故実図典より)

儀式の時は、この上に唐衣、及び裳を着る。三領、五領、七領と重ねて着る。其の下なるをかさねうちぎと云ひ(これも略してうちぎと云ふ)、最も上なるうちぎは、紅の打衣(うちぎぬ)にて、下に重ぬるに、次第に上なるを短くす、のちに云ふ、五衣(いつつぎぬ)、是なり、

とある(大言海)。

盛夏には、単物(ひとえもの)を数領襲ねる、

単襲(ひとえがさね)、

5月と9月には、

ひねり襲、

といって、表地、中陪地、裏地をそれぞれ縁をよりぐけ仕立てで単物とし、3枚あわせて一領としたものも用いた、

とある(日本大百科全書)。

「袿」 漢字.gif

(「袿」 https://kakijun.jp/page/E5DD200.htmlより)

「袿」(漢音ケイ、呉音ケ)は、

会意兼形声。「衣+音符圭(ケイ=掛 ひっかける)」、

とあり、「うちかけ」の意だが、我が国では、

襲(かさね)の上に来た衣服、

をいい、男子の場合も、

直衣、狩衣の下に着た、

とある(漢字源)。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
鈴木敬三『有職故実図典』(吉川弘文館)

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2022年10月27日

匂ひ


年のころ廿(はたち)ばかりと見ゆ。白き小袿(こうちぎ)に紅梅の下襲(したがさね)、匂ひ世の常ならず、月にえいじ、花に向かひて(伽婢子)、

にある、

匂ひ、

は、

かさねの色目が美しく取りあわされている様子、

とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。これだとわかりにくいが、「匂ひ」は、いわゆる、

襲(かさね)の色目、

のうち、

同系色のグラデーション、

を指すhttp://www.kariginu.jp/kikata/5-2.htm

襲の色目.jpg

(襲の色目 大辞泉より)

「襲の色目」は、

女房装束の袿の重ね(五衣)に用いられた襲色目の一覧、

をいうhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%B2%E3%81%AE%E8%89%B2%E7%9B%AE

「小袿」http://ppnetwork.seesaa.net/article/492871391.html?1666725543で触れたように、

正式の女房装束はこの上に「表着」や「小袿」、さらに「唐衣」を着用しますから、表面に表れる面積では「五衣」は少ないのですが、袖などに表れるこの部分の美しさを女房たちは競いました、

とあるhttp://www.kariginu.jp/kikata/5-2.htm。平安時代は、グラデーションを好んだようで、その配色の方法で、「匂ひ」の他、

薄様(うすよう グラデーションで淡色になり、ついには白にまでなる配色)
村濃(むらご ところどころに濃淡がある配色です。「村」は「斑」のこと)
単重(ひとえがさね 夏物の、裏地のない衣の重ねです。下の色が透けるので微妙な色合いになる)、

等々がある(仝上)。なお、「村濃」については、「すそご」http://ppnetwork.seesaa.net/article/484482055.htmlで触れた。冒頭の、

紅梅の下襲(したがさね)、

は、

紅梅色から朱色に戻る袿を濃淡に従ってそろえたもの、

をいい、これに対して、

柿(かき)、桜、山吹、紅梅、萌黄(もえぎ)の五色をとり交わしつつ云々(いい)。三色着たるは十五ずつ……、多く着たるは十八、二十にてでありける(栄花物語)、

というのは、濃淡を含めた異系統の数色による襲色目になる(日本大百科全書)。

「卯の花」http://ppnetwork.seesaa.net/article/472739320.htmlで触れたように、十二単などにおける色の組み合わせを、

色目、

といい、襲(かさね)装束における色づかいについていわれることが多いので、

かさね色目、

などともいいhttp://www.kariginu.jp/kikata/kasane-irome.htm

衣を表裏に重ねるもの(合わせ色目、表裏の色目)、
複数の衣を重ねるもの(襲色目)、
経糸と緯糸の違いによるもの(織り色目)、

の三種類ある(http://www.kariginu.jp/kikata/kasane-irome.htm・日本大百科全書)。「重色目」は、

表の色と裏の色の組み合わせ、

で、

当時の絹は薄かったので裏地が透けたため複雑な色彩、

になったhttps://costume.iz2.or.jp/color/

男性の直衣(のうし)などでも「桜の直衣」などというように、衣服の表地と裏地の二色の配合によるもので、袷(あわせ)仕立ての場合当然現れる色目、

になる(日本大百科全書)。春夏秋冬のシーズン色と雑(四季通用)がある。「織り色目」は、

織物の経糸(たていと)と緯糸(よこいと)の違い、

によるもので、経緯の糸の太さと密度を同じにして織った場合には、いわゆる、

玉虫、

になって、光線のぐあいでひだの高低にしたがって、2色が交錯して見える。また経緯(たてよこ)の太さを変え、そのいずれかを浮かせて文様を織り出せば、いわゆる、

二色の綾(あや)、

になって、地と文様の色が相対する。紫、縹(はなだ)などの経綾地に緯に白を配して文様を表した、

緯白(ぬきじろ)の綾、

などが、男性の指貫(さしぬき)などに多くみられる。また緯糸に数色の色を入れて、これを、

浮織、

に織ったものが、男性の狩衣(かりぎぬ)や女性の表着(うわぎ)や唐衣(からぎぬ)、袿(うちき)などに用いられた、とある(仝上)。

「襲」 漢字.gif

(「襲」 https://kakijun.jp/page/2201200.htmlより)

「襲」(漢音シュウ、呉音ジュウ)は、

会意兼形声。「龍」は、もと龍を二つならべた字(トウ)で、重ねる意を表わす。襲はそれを音符とし、衣を加えた字で、衣服を重ねること、

とある(漢字源)。

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2022年10月28日

定業(じょうごう)


我不慮に、木の枝にかかる事、定業未だ来たらぬ故なるべし(諸国百物語)、

にある、

定業、

は、

じょうごう(ぢやうごふ)、

と訓ませ(「ていぎょう」と訓むと、定職の意になる)、

与えられた寿命、

と注記がある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)のは、意訳で、正確には、

苦楽の果報を受けることが決定している業、

また、

果報を受ける時期が決定している業、

をいい(広辞苑)、この意味で、「寿命」の意が出てくるし、

この業によってもたらされた果報、

についてもいう(広辞苑)とある。

決定業(けつじようごう)、

の略とある(日本国語大辞典)。「業」は、「一業所感」http://ppnetwork.seesaa.net/article/485653172.htmlで触れたように、

サンスクリット語のカルマンkarmanの訳語、

で、

羯磨(かつま)、

とも当てられる(広辞苑)。

もともとクル(為(な)す)という動詞からつくられた名詞であり、行為を示す、

が、しかし、

一つの行為は、原因がなければおこらないし、また、いったんおこった行為は、かならずなにかの結果を残し、さらにその結果は次の行為に大きく影響する。その原因・行為・結果・影響(この系列はどこまでも続く)を総称して、

業、

という、とある(日本大百科全書)。それはまず素朴な形では、

いわゆる輪廻思想とともに、インド哲学の初期ウパニシャッド思想に生まれ、のち仏教にも取り入れられて、人間の行為を律し、また生あるものの輪廻の軸となる重要な術語、

となり、

善因善果・悪因悪果、さらには善因楽果・悪因苦果の系列は業によって支えられ、人格の向上はもとより、悟りも業が導くとされ、さらに業の届く範囲はいっそう拡大されて、前世から来世にまで延長された、

とある(仝上)。

現在の行為の責任を将来自ら引き受ける、という意味に考えてよいであろう。確かに行為そのものは無常であり、永続することはありえないけれども、いったんなした行為は消すことができず、ここに一種の「非連続の連続」があって、それを業が担うところから、「不失法」と術語される例もある、

との解釈(仝上)は、「業」を身に受けるという主体的解釈に思える。仏教では、

三業(身・口・意の三つで起こす「身業」(しんごう)・「口業」(くごう)・「意業」(いごう)をいう)、

といい、

その行為が未来の苦楽の結果を導く働きを成す、

とし、

善悪の行為は因果の道理によって後に必ずその結果を生む、

としている(広辞苑)。だから、業による報いを、

業果(ごうか)や業報(ごうほう)、

業によって報いを受けることを、

業感(ごうかん)、

業による苦である報いを、

業苦(ごうく)、

過去世に造った業を、

宿業(しゅくごう・すくごう)または前業(ぜんごう)、

宿業による災いを、

業厄(ごうやく)、

宿業による脱れることのできない重い病気を、

業病(ごうびょう)、

というhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%AD。で、自分のつくった業の報いは自分が受けなければならないゆえに、

自業自得、

ということになる。

だから、「定業」は、

善悪の報いを受ける時期が定まっている行為、

をいい、『往生要集(984~985)』に、

造五逆不定業、得往生、造五逆定業、不往生(五逆の不定業(果報を受ける時期が決まっていない業)を造れるものは往生することを得るも、五逆定業を造れるものは往生せず)、

とあり、

定業亦能転(じょうごうやくのうてん)、

といい、

その報いを受ける時期が定まっている行為でさえも、よく転じて報いを免れることができるという、

意味で、これを、

菩薩の願い、

とされる(仝上)とある。業を受ける時期の遅速によって、

生きているうちに果を受ける順現業(じゅんげんごう)、
次に生まれかわって果を受ける順生業(じゅんしょうごう)、
第三回目の生以後に果を受ける順後業(じゅんごごう)、

の三種があり、、

三時業、
または、
三時、

という(精選版日本国語大辞典)。「定業」の対になるのが、

すくひ助けたるに、定業の命のびたるは、此の童子に雲泥のちがひあり。助くる迄こそなからめ、非業(ひごう)の命をとらぬ迄のこころ、大人は自らも弁え(伽婢子)、

にある、

非業、

で、

前世の業因によらないこと、

つまり、

業因によって定まっていない果のこと、

で、

非命業、

をいい、

非業の死、
非業の最期、

というように、特に、

前世から定められた業因による寿命の終わらないうちに死ぬこと、
災難などで尋常でない死にかたをすること、

の意で使う。また、

非命、

も同義で、

天の命ずるところでないこと、

特に、

病死、老死、

あるいは、

災害、事故、戦いなどで不慮の死をとげること、

をいい、

横死、

という言い方もする(精選版日本国語大辞典)。

「業」 漢字.gif

(「業」 https://kakijun.jp/page/1366200.htmlより)

「業」(漢音ギョウ、呉音ゴウ)は、「一業所感」http://ppnetwork.seesaa.net/article/485653172.htmlで触れたように、

象形。ぎざぎざのとめ木のついた台を描いたもの。でこぼこがあってつかえる意を含み、すらりとはいかない仕事の意となる。厳(ガン いかつい)・岩(ごつごつしたいわ)などと縁が近い、

とある(漢字源)が、別に、

象形。楽器などをかけるぎざぎざのついた台を象る。苦労して仕事をするの意か、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%A5%AD

象形。かざりを付けた、楽器を掛けるための大きな台の形にかたどる。ひいて、文字を書く板、転じて、学びのわざ、仕事の意に用いる、

とも(角川新字源)、

象形文字です。「のこぎり状のぎざぎざの装飾を施した楽器を掛ける為の飾り板」の象形から「わざ・しごと・いた」を意味する「業」という漢字が成り立ちました、

ともありhttps://okjiten.jp/kanji474.html

ぎざぎざのとめ木のついた台、

が、

のこぎり状のぎざぎざの装飾を施した楽器を掛ける為の飾り板、

と特定されたものだということがわかる。

参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2022年10月29日

つぼ折


其の様、地白の帷子(かたびら)をつぼ折り、杖を突きて山の頂に登る(伽婢子)、

にある、

つぼ折り、

は、

着物の褄を折って前の帯にはさむ、

意とあり(高田衛編・校注『江戸怪談集』)、

かいどる(搔い取る)、

と同義とある(仝上)が、「かいどる」は、

小袖(こそで)の、しほしほとあるをかいどって(太平記)、

と、日葡辞書(1603~04)にも、

イシャウノスソヲカイトル、

とあり、

カキトルの音便、

なので、

着物の裾や褄などを手でつまんで持ち上げる、
手でからげる、
手で引き上げる、

意で(広辞苑・学研全訳古語辞典)、「つぼ折り」とは微妙に差がある気がする。「つぼをる」は、

窄折、

と当て、

つぼめ折るの義、

ともある(大言海)。なお、

帷子、

は、「帷子」http://ppnetwork.seesaa.net/article/470519897.htmlで触れたように、

裏をつけない衣服、

つまり、

ひとえもの、

の意である。

「つぼおり」は、

壺折、

と当て、

小袖、打掛などの着物の両褄を折りつぼめ、前の帯にはさみ合わせて、歩きやすいように着る、

意で(精選版日本国語大辞典)、これは、

壺装束(つぼそうぞく・つぼしょうぞく)

からきており、

「つぼ」は「つぼおり(壺折)」の意、

とあり(精選版日本国語大辞典)、

平安時代から鎌倉時代頃にかけて、中流以上の女性が徒歩(かち)で旅行または外出するときの服装。小袖の上に、小袿(こうちぎ)、または袿を頭からかぶって着(「かずき」という)、紐で腰に結び、衣の裾を歩きやすいように、折りつぼめて手に持ったり、手でからげて持ったりして歩く。垂髪を衣の中に入れ、市女笠(いちめがさ)を目深くかぶる、

とある(仝上)。「小袿」http://ppnetwork.seesaa.net/article/492871391.html?1666725543については触れた。

腰帯で中結(なかゆい)し、余りを腰に折り下げる。腰部が広く、裾のすぼんだ形状から、

壺装束、

といい、このようなたくし方を、

壺折(つぼおり)、

という(広辞苑)とある。

つぼ装束.jpg



壺装束(春日権現靈験記) (2).jpg

(壺折装束(春日権現霊験記) 大辞泉より)


壺装束  市女笠.bmp

(壺装束 精選版日本国語大辞典より)

壺装束のとき、普通、

袴(はかま)は履かないが、乗馬の際は指貫(さしぬき)か狩袴(かりばかま)を履いた。履き物は緒太(おぶと)という草履(ぞうり)か、草鞋(わらじ)を履き、乗馬には深沓(ふかぐつ)の一種の半靴(ほうか)を履いた、

とある(日本大百科全書)。「緒太(おぶと)」は「水干」http://ppnetwork.seesaa.net/article/485691809.htmlで触れたように、

裏の付いていない、鼻緒の太い草履、

である(精選版日本国語大辞典)。

なお、「かづき」は、

被衣、

と当て、

女子が外出に頭に被(かづ)く(かぶる)衣服、

のことだが、

平安時代から鎌倉時代にかけて女子は素顔で外出しない風習があり、袿(うちき)、衣の場合を、

衣(きぬ)かづき(被)、

といった。室町時代から小袖(こそで)を用いるようになると、これを、

小袖かづき、

といい、武家における婚礼衣装にも用いられた(仝上)とある。

被衣(春日権現霊験記).jpg

(「被衣」(『春日権現霊験記』) 小袖の被衣をはおった女(中央) 日本大百科全書より)

吉野山の花を雲と見給ひ、立田川の紅葉を錦と見しは万葉の古風、市女笠着てつぼほり出立の世もありしとかや(浮世草子「紅白源氏物語(1709)」)、

とある、

「市女笠(いちめがさ)」は、

縫い笠の一種。縁(ふち)の張った形に縫い、頂部に巾子(こじ)という高い突起をつくった菅笠(すげがさ)、

をいい、初め市に物売りに出る女がかぶったところからこの名がある。しかし、平安時代も中期以後には上流婦人の外出に着装されるようになり、旅装としての壺装束(つぼしょうぞく)を構成するようになった、

とある(仝上)。また、雨天の行幸供奉(ぐぶ)には公卿(くぎょう)にも着用されるようになり、

局笠(つぼねがさ)、
窄笠(つぼみがさ)、

等々ともよばれた。当時のものは周縁部が大きく深いので肩や背を覆うほどであったが、鎌倉時代以後のものはそれが小さく浅くなり、安土桃山時代では、その先端をとがらせ装飾を施すようになり、江戸時代になると黒漆の塗り笠になって、やがて廃れていった(仝上)、とある

また、市女笠の周縁に薄い麻布(カラムシ(苧麻)の衣)をたらし、これを、

虫の垂衣(たれぎぬ)、
葈(むし)の垂絹(たれぎぬ)、

といった(仝上)。この服装が後に変化して、

被衣(かつぎ)風俗、

となったともある(ブリタニカ国際大百科事典)

市女笠.bmp

(市女笠 精選版日本国語大辞典より)

なお「壺折」は、能では、

ざひ人のやうにとりつくらふて下され……ツボ折作物コシラヱル内ニ(波形本狂言・鬮罪人)、

と、

能の女装の衣装のつけ方の名称、

をいい、

唐織り(花鳥などを美しく織出した小袖)や舞衣などの裾を腰まであげをしたようにくくり上げて、内側にたくしこんで着ること、

の意である(精選版日本国語大辞典)。

壺折(能装束) (2).jpg

(上着は「壺折(つぼおり)」という襟(えり)をゆったりさせた着方をする https://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/contents/learn/edc9/kouzou/mask_custome/custome/idetachi_women.htmlより)

たとえば王妃の役なら、天竺の旋陀夫人(《一角仙人》のツレ)も、唐の楊貴妃(《楊貴妃》のシテ)も、日本の白河院の女御(「恋重荷(こいのおもに)」のツレ)も、みな、かぶり物は天冠、着付は摺箔、袴は大口、上衣は唐織を壺折(つぼおり)に着るという扮装になる、

とある(世界大百科事典)。「天冠」http://ppnetwork.seesaa.net/article/492730251.html?1666293816については触れた。

また、歌舞伎では、

時代狂言の貴人や武将が上着の上に着る衣装、

で、

打掛のように丈長(たけなが)で、広袖の羽織状をなした華麗なもの、

をいい、

壺折衣装、

ともいう(精選版日本国語大辞典)。

壺折衣装.bmp

(壺折衣装 精選版日本国語大辞典より)

表着である唐織などの裾を膝上ほどの高さにし、両衿を胸の前でゆったり湾曲させた着方、

で、

丈の余分は腰の部分で折り込む。壺折には2種類あり、ひとつは、

腰巻の上に着て女性の外出着姿を表わす、

もうひとつは、

高貴な女性の正装などにも用いられる着方で、大口袴の上に着る優美なものである、

とあるhttps://db2.the-noh.com/jdic/2010/04/post_187.html

「壺」 漢字.gif

(「壺」 https://kakijun.jp/page/ko12200.htmlより)

「壺」 甲骨文字・殷.png

(「壺」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A3%BAより)

「壺」(漢音コ、呉音グ・ゴ)は、

象形。壺を描いたもの。上部の士は蓋の形、腹が丸くふくれて、瓠(コ うり)と同じ形をしているので、コという、

とあり、壼(コン)は別字、

とある(漢字源)。

「折」 漢字.gif



「折」 甲骨文字・殷.png

(「折」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%8A%98より)


「折」 金文・西周.png

(「折」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%8A%98より)

「折」(漢音セツ、呉音セチ)は、

会意。「木を二つに切ったさま+斤(おの)」で、ざくんと中断すること、

とある(漢字源)。別に、

斤と、木が切れたさまを示す象形、

で、扌は誤り伝わった形とある(角川新字源)。また、

会意文字です(扌+斤)。「ばらばらになった草・木」の象形と「曲がった柄の先に刃をつけた手斧」の象形から、草・木をばらばらに「おる」を意味する「折」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji670.html

参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2022年10月30日

面(おも)なし


知康、昨日今日の者にてあれども、声悪しからぬうへに、面なく歌ふほどに、習ひたるほどよりは上手めかしき所ありて、悪しくもなし(佐々木信綱校訂『梁塵秘抄』)、

にある、

面(おも)な(無)し、

は、

恥じる様子がないさま、
あつかましい、
押しが強く平気である、

意とある(馬場光子全訳注『梁塵秘抄口伝集』)。

顔の意味の「おも」と形容詞「なし」とが結び付いてできた語、

とあり(精選版日本国語大辞典)、

臣未だ勅の旨を成さずして、京郷(みやこ)に還(まてこ)ば、労(ねぎら)へられて往きて、虚しくして帰れるなり。慚(はつか)しく悪(オモナイ)こと安(いずく)にか措(お)かむ(「日本書紀(前田本訓)」)、
はしたなかるべきやつれをおもなく御らんじとがめられぬべきさまなれば(源氏物語)、

などと、

(自分自身の事柄に関して)恥ずかしく、人に合わせる顔がない、
面目ない、
おもはゆい、

という意味である。上代では、すべてこの意であったが、中古になると、この意の例はまれになり、一般に第三者の立場からの、

おもなき事をば、はぢを捨つるとは言ひける(竹取物語)、
すこし老いて、物の例知り、おもなきさまなるも、いとつきづきしくめやすし(枕草子)、

と、

(他人の言動に関して)恥ずべきさまである、
恥知らずである、
あつかましい、
臆面(おくめん)もない、

また、

物怖じしない、

の意を表わすものとなった(精選版日本国語大辞典)。ただし、

中世、近世の擬古的文章では、再び、

(自分自身の事柄に関して)恥ずかしく、人に合わせる顔がない、

意にも用いられるようにもなっている(仝上)、ともある。つまり、自分自身の、

自責(自己評価)の価値表現、

から、

他責(他者評価)の価値表現、

へと180度転換したことになる。その意味で、上述の引用の「面なし」について、

例えば『今昔物語集』に「はかばかしくもなからむ言を、面無くうち出でたらむは」と使われるように、否定的な語感を拭い切ることはできない。それによる「上手めかしきところ」も、あくまで「めかす」のである。選び取られたこれらの言葉のニュアンスは、実質とは別の押しの強さで己の位置を築いた知康(平知康 北面、左衛門尉)の本質と通底するところである、

と、

押しが強く平気である、

との含意を補足している(馬場光子全訳注『梁塵秘抄口伝集』)。

この、

(自分自身の事柄に関して)恥ずかしく、人に合わせる顔がない、

の意の、

面なし、

の対になるのは、

面立(おもだた)し、

になる。「おもだたし」は、

おもたたし、

ともいい、

世間に対して顔が立つように感じる、

意とあり(岩波古語辞典)、

面目の意か、目ダタシキと同意(河海抄)、

とも、

面立(オモタテ)しの轉(轉(ウタテ)、うたた)にて、オモテオコシなどとも同意の語なるか、或は、重立つの未然形の、オモダタを活用させたる語か、うらやむ、うらやまし(大言海)、

ともあるが、いずれも、主体の、

面目が立つ、

意と重なり、

大すにまじらはんに、をもたたしく侍るべきもなく(宇津保物語)、

と、

身の光栄に思う、
面目が立つ、
はれがましい、

意で、主体的感情という意味で、

面なし、

と対になる。さらに、それが、

おもたたしき腹にむすめかしづきてげにきずなからむとおもひやりめでたきがものし給はぬは(源氏物語)、

と、客体評価へと転じていくのも「面なし」の意味変化と似ている。

「面」 漢字.gif


「面」(漢音ベン、呉音メン)は、「面桶」http://ppnetwork.seesaa.net/article/491684942.htmlで触れたように、

会意。「首(あたま)+外側をかこむ線」。頭の外側を線でかこんだその平面を表す、

とあり(漢字源)、

指事。𦣻(しゆ=首。あたま)と、それを包む線とにより、顔の意を表す(角川新字源)、
指事文字です。「人の頭部」の象形と「顔の輪郭をあらわす囲い」から、人の「かお・おもて」を意味する「面」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji541.html

も、漢字の造字法は、指事文字としているが、字源の解釈は同趣旨。別に、

仮面から目がのぞいている様を象る(白川静)、

との説https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%9D%A2もある。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2022年10月31日

声聞(しょうもん)


四大声聞(しだいしょうもん)いかばかり、喜び身よりも余るらむ、我らは後世の仏ぞと、たしかに聞きつる今日なれば(梁塵秘抄)、

とある、

声聞、

は、

教えを受ける者、
修行者、
弟子、

の意とある(馬場光子全訳注『梁塵秘抄口伝集』)。「四大声聞」とは、

記別(釈迦が、未来における成仏を予言し、その成仏の次第、名号、仏国土や劫などを告げ知らせること)、

をあたえた(『法華経』授記品)、

摩訶迦葉(まかかしょう)、
須菩提(しゅぼだい)、
迦旃延(かせんねん)、
目連(摩訶目犍連(まかもっけんれん) もくれん)、

の4人のすぐれた仏弟子をいう(仝上・https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A3%B0%E8%81%9E)ので、「声聞」は、元来は、

仏在世の弟子のこと、

をさす(広辞苑)。

摩訶迦葉.jpg



須菩提.jpeg


「声聞」は、

梵語śrāvaka(シュラーヴァカ)、

の訳語、

声を聞くもの、

の意で、

弟子、

とも訳す(精選版日本国語大辞典)。

縁覚、
菩薩、

と共に、

三乗、

の一つとされる(仝上)。「声聞」が、

釈迦の説法する声を聞いて悟る弟子、

であるのに対して、

縁覚(えんがく)、

は、

梵語pratyeka-buddhaの訳語、

で、

各自にさとった者、

の意、

独覚(どっかく)、

とも訳し、

仏の教えによらず、師なく、自ら独りで覚り、他に教えを説こうとしない孤高の聖者、

をいう(仝上・日本大百科全書)。

「菩薩」は、

サンスクリット語ボーディサットバbodhisattva、

の音訳、

菩提薩埵(ぼだいさった)、


の省略語であり、

bodhi(菩提、悟り)+sattva(薩埵、人)、

より、

悟りを求める人、

の意であり、元来は、

釈尊の成道(じょうどう)以前の修行の姿、

をさしている(仝上)とされる(「薩埵」http://ppnetwork.seesaa.net/article/485883879.htmlについては触れた)。つまり、部派仏教(小乗)では、

菩薩はつねに単数で示され、成仏(じょうぶつ)以前の修行中の釈尊、

だけを意味する。そして他の修行者は、

釈尊の説いた四諦(したい)などの法を修習して「阿羅漢(あらかん)」になることを目標にした(仝上)。

「阿羅漢」とは、

サンスクリット語アルハトarhatのアルハンarhanの音写語、

で、

尊敬を受けるに値する者、

の意。

究極の悟りを得て、尊敬し供養される人、

をいう。部派仏教(小乗仏教)では、

仏弟子(声聞)の到達しうる最高の位、

をさし、仏とは区別して使い、これ以上学修すべきものがないので、

無学(むがく)、

ともいう(仝上)。ただ、大乗仏教の立場からは、

個人的な解脱を目的とする者、

とみなされ、

声聞を独覚(縁覚)と並べて、この2つを二乗・小乗として貶している、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A3%B0%E8%81%9E。ちなみに、「乗」とは、

「乗」は乗物

の意で、

世のすべてのものを救って、悟りにと運んでいく教え、

を指し、「三乗」とは、

悟りに至るに3種の方法、

をいい、

声聞乗(しょうもんじょう 教えを聞いて初めて悟る声聞 小乗)、
縁覚乗(えんがくじょう 自ら悟るが人に教えない縁覚 中乗)、
菩薩乗(ぼさつじょう 一切衆生のために仏道を実践する菩薩 大乗)、

の三つをいう(仝上)。大乗仏教では、

菩薩、

を、

修行を経た未来に仏になる者、

の意で用いている。

悟りを求め修行するとともに、他の者も悟りに到達させようと努める者、

また、仏の後継者としての、

観世音、
彌勒、
地蔵、

等々をさすようになっている(精選版日本国語大辞典)。で、大乗仏教では、「阿羅漢」も、

小乗の聖者をさし、大乗の求道者(菩薩)には及ばない、

とされた。つまり、「声聞」の意味は、

縁覚・菩薩と並べて二乗や三乗の一つに数える、

ときには、

仏陀の教えを聞く者、

という本来の意ではなく、

仏の教説に従って修行しても自己の解脱のみを目的とする出家の聖者のことを指し、四諦の教えによって修行し四沙門果を悟って身も心も滅した無余涅槃(むよねはん 生理的欲求さえも完全になくしてしまうこと、つまり肉体を滅してしまって心身ともに全ての束縛を離れた状態。)に入ることを目的とする人、

のことを意味するhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A3%B0%E8%81%9E

因みに、「四諦(したい)」は、

「諦」はsatyaの訳。真理の意、

で、迷いと悟りの両方にわたって因と果とを明らかにした四つの真理、

苦諦、
集諦(じったい)、
滅諦、
道諦、

の四つで、

四聖諦(ししょうたい)、

ともよばれる。苦諦(くたい)は、

人生の現実は自己を含めて自己の思うとおりにはならず、苦であるという真実、

集諦(じったい)は、

その苦はすべて自己の煩悩(ぼんのウ)や妄執など広義の欲望から生ずるという真実、

滅諦(めったい)は、

それらの欲望を断じ滅して、それから解脱(げだつ)し、涅槃(ねはん ニルバーナ)の安らぎに達して悟りが開かれるという真実、

道諦(どうたい)は、

この悟りに導く実践を示す真実で、つねに八正道(はっしょうどう 正見(しょうけん)、正思(しょうし)、正語(しょうご)、正業(しょうごう)、正命(しょうみょう)、正精進(しょうしょうじん)、正念(しょうねん)、正定(しょうじょう))による、

とするもの(精選版日本国語大辞典・日本大百科全書)。

「聲」 漢字.gif

(「聲」 https://kakijun.jp/page/E3DF200.htmlより)


「声」 漢字.gif

(「声」 https://kakijun.jp/page/0762200.htmlより)


「聲」1 甲骨文字・殷.png

(「聲」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%81%B2より)


「聲」2 甲骨文字・殷.png

(「聲」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%81%B2より)

「聲(声)」(漢音セイ、呉音ショウ)は、磬(ケイ)という楽器を描いた象形文字。殳は、磬をたたく棒を手に持つ姿。聲は「磬の略体+耳」で、耳で磬の音を聞くさまを示す。広く、耳をうつ音響や音声をいう、

とある(漢字源)。

「聞」 漢字.gif

(「聞」 https://kakijun.jp/page/1497200.htmlより)

「聞」(漢音ブン、呉音モン)は、

会意兼形声。門は、とじて中を隠すもんを描いた象形文字。中がよく分からない意を含む。聞は「耳+音符門」で、よくわからないこと、隔たっていることが耳にはいること、

とある(漢字源)。

「ききわける意を表す」(角川新字源)、
「隔たりを通して耳をそばだて聞く」https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%81%9E

意とあり、「問」と同系で反対の動作を表す(仝上)とある。

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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