禅定
不孝無残のともがらが、懺悔のこころもなき身として、禅定するこそもったいなし(善悪報ばなし)、
にある、
禅定、
は、仏教語で、
霊山に登り修行すること、
とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)が、ちょっとわかりづらい。「禅定」に、
禅定する、
という言い方があり、これは、
かくて立山禅定(ゼンヂャウ)し侍りけるに(「廻国雑記(1487)」)、
…
生きるとは 位置を見つけることだ あるいは 位置を踏み出すことだ そして 位置をつくりだすことだ
位置は一生分だ 長い呻吟の果てに たどりついた位置だ その位置を さらにずらすことは 生涯を賭すことだ それでもなおその賭けに 釣り合う 未来はあるか