ある知識の云はく、さやうに霊の來るには、経帷子を着て臥し給はば、別の仔細あるまじ(善悪報ばなし)、
にある、
知識、
は、
善知識、徳ある僧、
と注記がある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。「知識」は、多く、
智識、
とも当て(広辞苑)、
ある事項について知っていること。また、その内容(仝上)、
知ること。認識・理解すること。また、ある事柄などについて、知っている内容(大辞泉)、
知恵と見識。ある事柄に対する、明確な意識と、それに対する判断。また、それを備えた人(日本国語大辞典)、
等々と言った意味で使われる。しかし、「知と智」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/444368042.html)で触れたが、「知」と「智」は異なる。
「知」は、
会意文字。「矢+口で、矢のようにまっすぐに物事の本質を言い当てることをあらわす、
とあり(漢字源)、「知」は「識」と同じく、
生知、
學知、
と、
し(識)る、
意味で(字源)、
知覚、
ともあり(大言海)、
知は識より重し、知人知道心といへば、心の底より篤と知ることなり、知己・知音と熟す。識名・識面は、一寸見覚えあるまでの意なり、相識と熟す、
とあり(字源)、「知識」は、
衆所知識(維摩経)、
と、
知恵と見識、
の意である(仝上)。また、「智」の字は、
会意兼形声。知とは「矢+口」の会意文字で、矢のようにすぱりと当てて言うこと。智は「曰(いう)+音符知」で、知と同系、すぱりと言い当てて、さといこと、
とあり(漢字源)、
とあり、
才智、
多智、
と、
ちゑ、
事理に明か、賢き人、
の意で、
愚、
闇、
の反とある(字源)。ただ、「智」は、
知の優れている意に用いる、「知(チ)」の後にできた字、
とある(角川新字源)。後世の後知恵(特に儒家の)ような気がする。
「智識」は、
日誦數千語、而智識恆出長老之上(宋史・李庭芝傳)、
と、
ちゑ、
とある(仝上)。「知と智」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/444368042.html)で触れたように、この「ちゑ」に当てる、「智慧」と「知恵」は、「知恵」は、
自身の心から生じるもの、
であり、
人がその人生においてさまざまな経験を積み重ねていく中で、否が応でも生じる弊害や苦悩、迷いを克服していく過程のなかにおいて、あらゆる学問などを通じて培った「知識」を、如何に自身の心で消化して、自分のものとする、
であり、「智慧」は、
仏様からのもの、
であり、御本尊と正面から向き合い、仏道修行する中で、仏様の命の境涯(仏界)に縁して、自身の心(命)にも在る「仏界」を認識していくこと、
であり、それが、
仏様からの答え、
であり、
御仏智、
である(http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1211290417)とされる。「智識」の、「ちゑ」とはそういうものである。
後漢末の辞典『釋名』(しゃくみょう)には、
智、知也、無所不知也、
とあるので、あまり「知」と「智」の区別はなくなっているが、儒教と仏教が区別した。あるいは、「知」と「智」は、
曰う、
の有無の差でしかなかったのかもしれない。「曰」とは、
「口+乚印」で、口の中から言葉が出てくることを示す、
とある(漢字源)。つまり、
口に出す、
あるいは、
口に出せる、
かどうかに意味があったのかもしれない。儒教では、
五常・三徳の一、
をいい、「五常」とは、
仁・義・礼・智・信、
をいい、三徳は、
智・仁・勇、
をいう(岩波古語辞典)。「禅定」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/492219327.html?1665083714)で触れたが、大乗仏教の求道者が実践すべき六種の徳目、
六波羅蜜、
つまり、
①布施波羅蜜 檀那(だんな、Dāna ダーナ)は、分け与えること、
②持戒波羅蜜 尸羅(しら、Śīla シーラ)は、戒律を守ること、
③忍辱波羅蜜 羼提(せんだい、Kṣānti クシャーンティ)は、耐え忍ぶこと、
④精進波羅蜜 毘梨耶(びりや、Vīrya ヴィーリヤ)は、努力すること、
⑤禅定波羅蜜 禅那(ぜんな、Dhyāna ディヤーナ)は、特定の対象に心を集中して、散乱する心を安定させること、
⑥智慧波羅蜜 - 般若(はんにゃ、Prajñā プラジュニャー)は、諸法に通達する智と断惑証理する慧、
の第六に「智」があり、
前五波羅蜜は、般若波羅蜜を成就するための手段、
であるとともに、
般若波羅蜜による調御によって成就される、
とされ(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%A2%E7%BE%85%E8%9C%9C)、
「慈悲」と対とされる。龍樹の、
布施・持戒 -「利他」
忍辱・精進 -「自利」
禅定・智慧 -「解脱」
の解脱の位置にある。知らざる所無し、とはまさにこれを指す。「知」とは区別される。
そういう「智」を前提に、仏教では、「智識」を、
わが朝の偏方に智識をとぶらひき(正法眼蔵)、
と、
人を仏道に導く縁となる人、
仏法の指導者、
をいい、これを、
善智識、
という(岩波古語辞典)。またその意味の外延から、
結縁のために、堂塔や仏像などの建立に私財を寄進すること。また、その人や金品、知識物、
の意でも使う(岩波古語辞典)。
だから、「善智識」は、
ぜんちしき、
あるいは
ぜんぢしき、
とも訓ませるが、
善法、正法を説いて人を仏道にはいらせる人。外から護る外護、行動を共にする同行、教え導く教導の三種がある、
とあり(日本国語大辞典)、
高徳の僧のこと、
をいい、
真宗では法主(ほっす)、
禅宗では師僧(師家)、
を尊んでいう(仝上)。摩訶止観(まかしかん)は三種の善知識を説き、
一は外護(げご)の善知識でパトロンとなるもの、
二は同行(どうぎよう)の善知識で友人のこと、
三は教授の善知識で指導者をさす、
とある(仝上)。この反対が、
惡智識、
で、
悪法、邪法を説いて人を悪に誘い入れる邪悪な人、また、悪い師友、
をいう。
(「善」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%96%84より)
「善」(漢音セン、呉音ゼン)は、
会意。羊は、義(よい)や祥(めでたい)に含まれ、おいしくみごとな供え物の代表。言は、かどある明白なものの言い方。善は「羊+言二つ」で、たっぷりとみごとである意を表わす。のちひろく「よい」意となる、
とある(漢字源)。別に、
本字は、会意。誩(けい 多くのことば)と、羊(ひつじ。神にささげるいけにえ)とから成る。神にささげるめでたいことば、ひいて「よい」意を表す。善は、その省略形、
とあり(角川新字源)、
会意文字です(羊+言+言)。「ひつじの首」の象形と「2つの取っ手のある刃物の象形と口の象形」(「原告と被告の発言」の意味)から、羊を神のいけにえとして、両者がよい結論を求める事を意味し、そこから、「よい」を意味する「善」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji1003.html)。
「知」(チ)は、上述したように、
「矢+口」で、矢のようにまっすぐに物事の本質を言い当てることをあらわす、
とあり(漢字源)、別に、
会意。「矢」(まっすぐ射抜くの意、又は神器)と「口」(「言う」又は祝詞を入れる神器)で物事をまっすぐに言い当てることなど、
とも(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%9F%A5)、
会意。矢(すばやい)と、口(ことば)とから成る。ことばを即座に理解する、「しる」意を表す、
とも(角川新字源)、
会意文字です(矢+口)。「矢の象形」と「口の象形」から矢をそえて祈り、神意を知る事から「しる」を意味する「知」という漢字が成り立ちました、
とも(https://okjiten.jp/kanji376.html)ある。
「智」(チ)は、
会意兼形声。知は「矢+口」の会意文字で、矢のようにすぱりと当てて言うこと。智は「曰(いう)+音符知」で、知と同系、すぱりと言い当てて、さといこと、
とあり(漢字源)、別に、
会意形声。口・白(ことば、いう。曰は変わった形)と、𥎿(チ 知は省略形。しる)とから成る。知恵の意を表す。また、知の優れている意に用いる。「知(チ)」の後にできた字、
とも(角川新字源)、
会意文字です(知+日)。「矢の象形と口の象形」(矢をそえて祈り、神意を知る事から「知る」の意味)と「太陽」の象形から、「知恵のある人、賢い人」を意味する「智」という漢字が成り立ちました。また、太陽の象形ではなく、「口と呼気の象形」(「発言する」の意味)という説もある、
ともある(https://okjiten.jp/kanji2490.html)。「智」のほうが「知」の後からできたというのが面白い。
「識」(漢音ショク、呉音シキ、漢音・呉音シ)は、「八識」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/491238963.html)で触れたように、
会意兼形声。戠の原字は「弋(棒ぐい)+Y型のくい」で、目印のくいをあらわす。のち、口または音を揃えた字となった。識はそれを音符とし、言を加えた字で、目印や名によって、いちいち区別して、その名をしるすこと、
とある(漢字源)が、
会意形声。「言」+音符「戠」、「戠」は「幟・織」の原字で「戈」に飾りをつけたもので、標識を意味する、
とも(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%AD%98)、
形声。言と、音符戠(シヨク)とから成る。意味をよく知る、記憶する意を表す。ひいて「しるし」の意に用いる、
とも(角川新字源)、
会意兼形声文字です(言+戠)。「取っ手のある刃物・口の象形」(「(つつしん)で言う」の意味)と「枝のある木に支柱を添えた象形とはた織り器具の象形」(はたを「おる」の意味)から、言葉を縦横にして織り出して、物事を「見分ける」、「知る」を意味する「識」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji787.html)。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95