2022年10月08日

善知識


ある知識の云はく、さやうに霊の來るには、経帷子を着て臥し給はば、別の仔細あるまじ(善悪報ばなし)、

にある、

知識、

は、

善知識、徳ある僧、

と注記がある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。「知識」は、多く、

智識、

とも当て(広辞苑)、

ある事項について知っていること。また、その内容(仝上)、
知ること。認識・理解すること。また、ある事柄などについて、知っている内容(大辞泉)、
知恵と見識。ある事柄に対する、明確な意識と、それに対する判断。また、それを備えた人(日本国語大辞典)、

等々と言った意味で使われる。しかし、「知と智」http://ppnetwork.seesaa.net/article/444368042.htmlで触れたが、「知」と「智」は異なる。

「知」は、

会意文字。「矢+口で、矢のようにまっすぐに物事の本質を言い当てることをあらわす、

とあり(漢字源)、「知」は「識」と同じく、

生知、
學知、

と、

し(識)る、

意味で(字源)、

知覚、

ともあり(大言海)、

知は識より重し、知人知道心といへば、心の底より篤と知ることなり、知己・知音と熟す。識名・識面は、一寸見覚えあるまでの意なり、相識と熟す、

とあり(字源)、「知識」は、

衆所知識(維摩経)、

と、

知恵と見識、

の意である(仝上)。また、「智」の字は、

会意兼形声。知とは「矢+口」の会意文字で、矢のようにすぱりと当てて言うこと。智は「曰(いう)+音符知」で、知と同系、すぱりと言い当てて、さといこと、

とあり(漢字源)、

とあり、

才智、
多智、

と、

ちゑ、
事理に明か、賢き人、

の意で、

愚、
闇、

の反とある(字源)。ただ、「智」は、

知の優れている意に用いる、「知(チ)」の後にできた字、

とある(角川新字源)。後世の後知恵(特に儒家の)ような気がする。

「智識」は、

日誦數千語、而智識恆出長老之上(宋史・李庭芝傳)、

と、

ちゑ、

とある(仝上)。「知と智」http://ppnetwork.seesaa.net/article/444368042.htmlで触れたように、この「ちゑ」に当てる、「智慧」と「知恵」は、「知恵」は、

自身の心から生じるもの、

であり、

人がその人生においてさまざまな経験を積み重ねていく中で、否が応でも生じる弊害や苦悩、迷いを克服していく過程のなかにおいて、あらゆる学問などを通じて培った「知識」を、如何に自身の心で消化して、自分のものとする、

であり、「智慧」は、

仏様からのもの、

であり、御本尊と正面から向き合い、仏道修行する中で、仏様の命の境涯(仏界)に縁して、自身の心(命)にも在る「仏界」を認識していくこと、

であり、それが、

仏様からの答え、

であり、

御仏智、

であるhttp://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1211290417とされる。「智識」の、「ちゑ」とはそういうものである。

後漢末の辞典『釋名』(しゃくみょう)には、

智、知也、無所不知也、

とあるので、あまり「知」と「智」の区別はなくなっているが、儒教と仏教が区別した。あるいは、「知」と「智」は、

曰う、

の有無の差でしかなかったのかもしれない。「曰」とは、

「口+乚印」で、口の中から言葉が出てくることを示す、

とある(漢字源)。つまり、

口に出す、

あるいは、

口に出せる、

かどうかに意味があったのかもしれない。儒教では、

五常・三徳の一、

をいい、「五常」とは、

仁・義・礼・智・信、

をいい、三徳は、

智・仁・勇、

をいう(岩波古語辞典)。「禅定」http://ppnetwork.seesaa.net/article/492219327.html?1665083714で触れたが、大乗仏教の求道者が実践すべき六種の徳目、

六波羅蜜、

つまり、

①布施波羅蜜 檀那(だんな、Dāna ダーナ)は、分け与えること、
②持戒波羅蜜 尸羅(しら、Śīla シーラ)は、戒律を守ること、
③忍辱波羅蜜 羼提(せんだい、Kṣānti クシャーンティ)は、耐え忍ぶこと、
④精進波羅蜜 毘梨耶(びりや、Vīrya ヴィーリヤ)は、努力すること、
⑤禅定波羅蜜 禅那(ぜんな、Dhyāna ディヤーナ)は、特定の対象に心を集中して、散乱する心を安定させること、
⑥智慧波羅蜜 - 般若(はんにゃ、Prajñā プラジュニャー)は、諸法に通達する智と断惑証理する慧、

の第六に「智」があり、

前五波羅蜜は、般若波羅蜜を成就するための手段、

であるとともに、

般若波羅蜜による調御によって成就される、

とされhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%A2%E7%BE%85%E8%9C%9C

「慈悲」と対とされる。龍樹の、

布施・持戒 -「利他」
忍辱・精進 -「自利」
禅定・智慧 -「解脱」

の解脱の位置にある。知らざる所無し、とはまさにこれを指す。「知」とは区別される。

そういう「智」を前提に、仏教では、「智識」を、

わが朝の偏方に智識をとぶらひき(正法眼蔵)、

と、

人を仏道に導く縁となる人、
仏法の指導者、

をいい、これを、

善智識、

という(岩波古語辞典)。またその意味の外延から、

結縁のために、堂塔や仏像などの建立に私財を寄進すること。また、その人や金品、知識物、

の意でも使う(岩波古語辞典)。

だから、「善智識」は、

ぜんちしき、

あるいは

ぜんぢしき、

とも訓ませるが、

善法、正法を説いて人を仏道にはいらせる人。外から護る外護、行動を共にする同行、教え導く教導の三種がある、

とあり(日本国語大辞典)、

高徳の僧のこと、

をいい、

真宗では法主(ほっす)、
禅宗では師僧(師家)、

を尊んでいう(仝上)。摩訶止観(まかしかん)は三種の善知識を説き、

一は外護(げご)の善知識でパトロンとなるもの、
二は同行(どうぎよう)の善知識で友人のこと、
三は教授の善知識で指導者をさす、

とある(仝上)。この反対が、

惡智識、

で、

悪法、邪法を説いて人を悪に誘い入れる邪悪な人、また、悪い師友、

をいう。

「譱」 漢字.gif

(「譱」 https://kakijun.jp/page/E3BF200.htmlより)


「善」 漢字.gif

(「善」 https://kakijun.jp/page/zen200.htmlより)


「善」 金文・西周.png

(「善」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%96%84より)

「善」(漢音セン、呉音ゼン)は、

会意。羊は、義(よい)や祥(めでたい)に含まれ、おいしくみごとな供え物の代表。言は、かどある明白なものの言い方。善は「羊+言二つ」で、たっぷりとみごとである意を表わす。のちひろく「よい」意となる、

とある(漢字源)。別に、

本字は、会意。誩(けい 多くのことば)と、羊(ひつじ。神にささげるいけにえ)とから成る。神にささげるめでたいことば、ひいて「よい」意を表す。善は、その省略形、

とあり(角川新字源)、

会意文字です(羊+言+言)。「ひつじの首」の象形と「2つの取っ手のある刃物の象形と口の象形」(「原告と被告の発言」の意味)から、羊を神のいけにえとして、両者がよい結論を求める事を意味し、そこから、「よい」を意味する「善」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1003.html

「智」 漢字.gif


「知」 漢字.gif


「知」(チ)は、上述したように、

「矢+口」で、矢のようにまっすぐに物事の本質を言い当てることをあらわす、

とあり(漢字源)、別に、

会意。「矢」(まっすぐ射抜くの意、又は神器)と「口」(「言う」又は祝詞を入れる神器)で物事をまっすぐに言い当てることなど、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%9F%A5

会意。矢(すばやい)と、口(ことば)とから成る。ことばを即座に理解する、「しる」意を表す、

とも(角川新字源)、

会意文字です(矢+口)。「矢の象形」と「口の象形」から矢をそえて祈り、神意を知る事から「しる」を意味する「知」という漢字が成り立ちました、

ともhttps://okjiten.jp/kanji376.htmlある。

「智」(チ)は、

会意兼形声。知は「矢+口」の会意文字で、矢のようにすぱりと当てて言うこと。智は「曰(いう)+音符知」で、知と同系、すぱりと言い当てて、さといこと、

とあり(漢字源)、別に、

会意形声。口・白(ことば、いう。曰は変わった形)と、𥎿(チ 知は省略形。しる)とから成る。知恵の意を表す。また、知の優れている意に用いる。「知(チ)」の後にできた字、

とも(角川新字源)、

会意文字です(知+日)。「矢の象形と口の象形」(矢をそえて祈り、神意を知る事から「知る」の意味)と「太陽」の象形から、「知恵のある人、賢い人」を意味する「智」という漢字が成り立ちました。また、太陽の象形ではなく、「口と呼気の象形」(「発言する」の意味)という説もある、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji2490.html。「智」のほうが「知」の後からできたというのが面白い。

「識」 漢字.gif

(「識」 https://kakijun.jp/page/1913200.htmlより)

「識」(漢音ショク、呉音シキ、漢音・呉音シ)は、「八識」http://ppnetwork.seesaa.net/article/491238963.htmlで触れたように、

会意兼形声。戠の原字は「弋(棒ぐい)+Y型のくい」で、目印のくいをあらわす。のち、口または音を揃えた字となった。識はそれを音符とし、言を加えた字で、目印や名によって、いちいち区別して、その名をしるすこと、

とある(漢字源)が、

会意形声。「言」+音符「戠」、「戠」は「幟・織」の原字で「戈」に飾りをつけたもので、標識を意味する、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%AD%98

形声。言と、音符戠(シヨク)とから成る。意味をよく知る、記憶する意を表す。ひいて「しるし」の意に用いる、

とも(角川新字源)、

会意兼形声文字です(言+戠)。「取っ手のある刃物・口の象形」(「(つつしん)で言う」の意味)と「枝のある木に支柱を添えた象形とはた織り器具の象形」(はたを「おる」の意味)から、言葉を縦横にして織り出して、物事を「見分ける」、「知る」を意味する「識」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji787.html

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 04:17| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする