かしこを見れば、其の長(たけ)五尋(ひろ)ばかりもあるらんと覚しき、鰐(わに)と云ふ物、五、六十ばかり、舟の前後を打ち囲みてぞ見へにける(善悪報ばなし)、
にある、
鰐、
は、
鮫類の古名、
とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。「さめ」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/452936180.html)で触れたように、
ふか(鱶),
とも言い、古くは,
わに,
とも言ったのは確かだし、
山陰道にては,鮫を,和邇(わに)と云ふ、神代紀に、鰐(わに)とあるは、鮫なるべし、
とする(大言海)のが一般的なのだが、和名類聚抄(平安中期)は、
鰐、和仁、似鱉(スッポン)有四足、喙長三尺、其利歯、虎及大鹿渡水、鰐撃之、皆中断、
とし、明らかに「ワニ」を知っていたことがわかる。さらに、
鮫、佐米、
と別項を立てている。字鏡(平安後期頃)も、
鮫、佐女、
とする。そう考えると、
爬虫類のワニは日本近海では見ることがないので、上代のワニは、後代のワニザメ・ワニブカ等の名から、サメ・フカの類と考えられている、
とする(日本語源大辞典)のは如何なものだろうか。
豊玉姫説話の「古事記」で「化八尋和迩」とあるところが、「日本書紀」で「化為龍」その一書の「化為八尋大熊鰐」にあたる。また、「新撰字鏡」「和名抄」で「鰐」にワニの訓を注するが、記紀ではワニの脚については記すところがない、
ゆえに(精選版日本国語大辞典)、
おそらく強暴の水棲動物として「鰐」の字がえらばれたまま、中国伝来の四足の知識が定着し、近世に至って爬虫類としての実体に接することになったものと思われる、
とする(日本語源大辞典)のも、折口信夫ではないが、
ワニが日本にいないから和邇はサメだとするのは、短気な話で、日本人の非常に広い経験を軽蔑している、
ものではないか(古代日本文学における南方要素)。現実に、幕末の『南島雑話』(薩摩藩士・名越左源太)には、
ワニが現れた奄美大島の風俗、
を描き、
蛇龍、
として、
ワニ、
を紹介しているし、『和漢三才図会』も鰐(わに)と題してワニの絵が描かれている。また、歌川国芳が、朝比奈三郎義秀を描いた浮世絵(天保14(1843)年)にも、吾妻鏡で、朝比奈が鮫を捕らえたという伝承をもとに、鰐にして描いている。
(源頼家公鎌倉小壺ノ海遊覧 朝夷義秀雌雄鰐を捕ふ圖(歌川国芳) https://www.fujibi.or.jp/our-collection/profile-of-works.html?work_id=10152より)
古い中国語で、
イリエワニ、
指す語であった(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%83%8B)「鰐」という字・概念が日本に輸入されたものとみていいのだが、「イリエワニ」は、
インド南東部からベトナムにかけてのアジア大陸、スンダ列島からニューギニア島、及びオーストラリア北部沿岸、東はカロリン諸島辺りまでの広い範囲、
に分布し、
海水への耐性が強く、海流に乗って沖合に出て、島嶼などへ移動することもある、
とされ、海流に乗って移動する生態から、日本では、
奄美大島、
西表島、
八丈島、
等々でも発見例がある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%AF%E3%83%8B)。なお、「鰐」の「サメ」説、「ワニ」説の詳細については、「和邇」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E9%82%87)に詳しい。
では「わに」という訓の由来は何か。
その口の様子から、ワレニクキ(割醜)の義(名言通・大言海)、
ワタヌシ(海主)の約(たべもの語源辞典)、
アニ(兄)の転訛。畏敬すべきものを表わす(神代史の研究=白鳥庫吉)、
オニ(鬼)の転(和語私臆鈔)、
口を大きくあけて物を飲み込むところから、ウマノミ(熟飲)の反(名語記)、
口をワンと開くところから(言元梯)、
ツングースの一支族オロッコ族が海豹(アザラシ)をいうバーニの転(神話学概論=西村真次)、
等々をみると、どうも「サメ」を指して言っていたのではないか、という気もしてくる。確かに、
古事記・日本書紀両方にあるトヨタマヒメのお産の話にある陸上で腹ばいになり、のたうつ動物が鮫のはずはない、
という(黒沢幸三「ワニ氏の伝承その一・氏名の由来をめぐって」)ように和邇・鰐はサメでは説明できないのはたしかだが、実物をしらない哀しさ、どこかでサメと混同してしまう部分があったのかもしれない。。
「鰐(鱷)」(ガク)は、
会意兼形声。「魚+咢(ガク ガクガクとかみあわせる)」
とあり(漢字源)、なお、
「咢(ガク)」や異体字「噩(ガク)」、
は、
おどろかす、
意も表す(http://www.nihonjiten.com/data/46586.html)とある。「鰐」の異字体「鱷」は、
兪至潮、問民疾苦、皆曰、惡渓有鱷漁(ガクギョ)、食民畜産、且盡、民以是窮(唐書・韓愈傳)、
と載る(字源)。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95