沙喝
僧廿人ばかり、沙喝(しゃかつ)あり。寺の霊宝に硯一面あり(奇異雑談集)、
とある、
沙喝、
は、
沙弥と喝食、
とあり(高田衛編・校注『江戸怪談集』)、「喝食」は、
僧になりたらば、喝食に指をさされ、法師になりたらば、児(ちご)どもに笑はれず(太平記)、
と、
禅寺の稚児、
を意味する(兵藤裕己校注『太平記』)。「喝食」は、
かつじ…
生きるとは 位置を見つけることだ あるいは 位置を踏み出すことだ そして 位置をつくりだすことだ
位置は一生分だ 長い呻吟の果てに たどりついた位置だ その位置を さらにずらすことは 生涯を賭すことだ それでもなおその賭けに 釣り合う 未来はあるか