僧廿人ばかり、沙喝(しゃかつ)あり。寺の霊宝に硯一面あり(奇異雑談集)、
とある、
沙喝、
は、
沙弥と喝食、
とあり(高田衛編・校注『江戸怪談集』)、「喝食」は、
僧になりたらば、喝食に指をさされ、法師になりたらば、児(ちご)どもに笑はれず(太平記)、
と、
禅寺の稚児、
を意味する(兵藤裕己校注『太平記』)。「喝食」は、
かつじき、
かっしき、
かしき、
かじき、
とも訓ませるが、禅宗用語で、正確には、
喝食行者(かつじきあんじゃ、かっしきあんじゃ)、
といい、「喝」とは、
称える、
意で、禅寺で規則にのっとり食事する際、
浄粥(じようしゆく)、
香飯香汁(きようはんきようじゆ)、
香菜(きようさい)、
香湯(こうとう)、
浄水、
等々と食物の種類や、
再進(再請 さいしん お替わり、食べ始めてから五分~十分くらいしたところで再び浄人が給仕にやって来る)、
出生(すいさん 「さん」は「生」の唐宋音。「出衆生食」の略。自分が受けた食事の中からご飯粒を七粒ほど(「生飯(さば)」)取り出し施食会(せじきえ)を修し、一切の衆生に施すこと)、
収生(しゆうさん 出生の生飯(さば)を集める)、
折水(せつすい 食べ終わった器にお湯を入れて器を洗い、それを回収する)、
等々と食事の進め方を唱え(http://chokokuji.jiin.com/他)、
食事の種別や進行を衆僧に知らせること、
また、
その役名、
をいい、本来は年齢とは無関係であるが、禅宗とともに中国から日本に伝わった際、
日本に以前からあった稚児の慣習が取り込まれて、幼少で禅寺に入り、まだ剃髪をせず額面の前髪を左右の肩前に垂らし、袴を着用した小童が務めるものとされた、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%96%9D%E9%A3%9F・精選版日本国語大辞典・日本大百科全書)。庭訓往来抄」には、
故に今に至るまで鉢を行之時、喝食、唱へ物を為る也、
とあり、「雪江和尚語録」によれば、後世は有髪の童児として固定し、
7、8歳から12、13歳の小童が前髪を垂らし袴(はかま)を着けて勤めるのが一般の風習となった、
ようである(仝上)。しかし、室町時代には本来の職掌から離れて、
稚児の別称、
となり、中には禅僧や公家・武家の衆道の相手を務めるようになった(仝上)ともある。江戸時代には訛って、
がっそう、
と呼ぶ地域もあり、上方ではまだ髪を結んでいない幼児の頭を、
がっそう頭、
と称した(仝上)ともある。ただ、
沙喝、
だけでも、
勾下春屋小師度弟僧沙喝共二百三十余人名字(空華日用工夫略集)、
と、
禅家で、剃髪して沙彌となり、喝食(かっしき)の服を着ている童のこと。食堂(じきどう)で大衆に食事の案内をする者、
の意があり、
沙彌喝食(しゃみかっしき)、
という言い方もするらしい(精選版日本国語大辞典)。
なお、能面で、
喝食、
というのは、上記の「喝食」に似せて作った、
額に銀杏(いちょう)の葉形の前髪をかいた半僧半俗の少年の面、
で、「東岸居士(とうがんこじ)」「自然居士(じねんこじ)」「花月(かげつ)」などに用いるが、前髪の大きさにより大喝食、中喝食、小喝食の種類がある(精選版日本国語大辞典)。
「沙弥」は、
梵語śrāmaṇera、
の音訳、
室羅末尼羅(シラマネエラ)の略、
で、
さみ、
しゃみ、
と訓ませ、
求寂、
息慈、
息悪、
と訳し、
息惡行慈の意、
で、
初めて仏門に入り、髪を剃りし男子の称、即ち得度式のみ終わりたるもの、
を指し、女子は、
沙弥尼、
という。つまり、
為沙門者、初修十戒、沙彌(魏書・釋老志)、
と、
比丘(びく)となるまでの修行中の僧修行中の僧、
をいう(大言海)。因みに、十戒(じっかい)とは、
沙弥および沙弥尼が守るべきとされる10ヶ条の戒律をいい、
不殺生(ふせっしょう):生き物を殺してはならない、
不盗(ふとう):盗んではならない、
不婬(ふいん):性交渉をしてはならない、
不妄語(ふもうご):嘘をついてはならない、
不飲酒(ふおんじゅ):酒を飲んではならない、
の五戒に、
不著香華鬘不香塗身(ふじゃくこうげまんふこうずしん):化粧をしたり装飾類を身に付けてはならない、
不歌舞倡妓不往観聴(ふかぶしょうぎふおうかんちょう):歌や音楽、踊りを鑑賞してはならない、
不坐高広大床(ふざこうこうだいしょう):大きく立派なベッドに寝てはいけない、
不非時食(ふひじじき):正午以降に食べ物を摂ってはならない、
不捉持生像金銀宝物(ふそくじしょうぞうこんごんほうもつ):お金や金銀・宝石類を含めて、個人の資産となる物を所有してはならない、
を加えたもの(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E6%88%92_%28%E4%BB%8F%E6%95%99%29)をいう。
「沙弥」は、年齢によって3種に分け、
7〜13歳を駆烏(くう)沙弥、
14〜19歳を応法沙弥、
20歳以上を名字沙弥、
という(百科事典マイペディア)とある。日本では、
本来、20歳未満で出家し、度牒(どちよう 出家得度の証明書、度縁)をうけ、十戒を受け、僧に従って雑用をつとめながら修行し、具足戒をうけて正式の僧侶になる以前の人、
をさす(世界大百科事典)。また、日本では、
修行未熟者、
の意味から、
形は法体でも、妻子をもち、世俗の生業に従っているもの、つまり入道とか法師とよばれる人、
をも沙弥といった。中世の沙弥には武士が多いが、
沙門、
つまり、
僧、
とは明確に区別された(百科事典マイペディア)とある。「比丘」「比丘尼」となるための「具足戒」の「具足」は、
近づくの意で、涅槃に近づくことをいう。また、教団で定められた完全円満なものの意、
であり(仝上)、「具足戒」は、
比丘、比丘尼が受持する戒律。四分律では、比丘は250戒、比丘尼は348戒、
を数える(「八百比丘尼」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/482992577.html?1629313561)で触れた)。
「沙」(漢音サ、呉音シャ)は、
会意。「水+少(小さい)」で、水に洗われて小さくばらばらになった砂、
とあるが、別に、
象形。川べりに砂のあるさまにかたどる。水べの砂地、みぎわの意を表す
とも(角川新字源)、
会意文字です(氵(水)+少)。「流れる水」の象形と「小さな点」の象形から、水の中の小さな石「すな(砂)」を意味する「沙」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji2096.html)。
「弥(彌)」(漢音ビ、呉音ミ)は、
形声。爾(ジ)は、柄のついた公用印の姿を描いた象形文字で、瓕の原字。彌は「弓+音符爾」で、弭(ビ 弓+耳)に代用したもの。弭(ゆはず)は、弓のA端からB端に弦を張ってひっかける耳(かぎ形の金具)のこと。弭・彌は、末端まで届く意を含み、端までわたる、遠くに及ぶ等々の意となった、
とある(漢字源)。別に、
「彌」は、「弓」+音符「爾(印の象形文字で「璽」の原字)」の形声文字で、「弭(弓の端にあり弦をかける金具「耳」)」に代用したもの(『韻會』)、「弓が弛む」という意味を表したもの(『説文解字』における「瓕」の解字)、
とも(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%BC%A5)、
形声。弓と、音符璽(ジ→ビ 爾は省略形)とから成る。弓がゆるむ意を表す。ひいて、長びく、「わたる」意に用いる、
とも(角川新字源)、
会意文字です(弓+日+爾)。「弓」の象形と「太陽」の象形と「美しく輝く花」の象形から、時間的にも空間的にも伸びやかに満ちわたる事を意味し、そこから、「あまねし(行き渡る)」を意味する「弥」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji2192.html)。
(「喝」 説文解字・漢 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%96%9Dより)
「喝(喝)」(漢音カツ、呉音カチ)は、
会意兼形声。曷(カツ)は口ではっとどなって、人をおしとどめる意。喝は「口+音符曷」。その語尾のtが脱落したのが、呵(カ)で、意味はきわめて近い、
とある(漢字源)。別に、
形声。口と、音符曷(カツ)とから成る。のどがかわいて水をほしがる意を表す。借りて「しかる」意に用いる、
とも(角川新字源)、
会意兼形声文字です(口+曷)。「口」の象形と「口と呼気の象形と死者の前で人が死者のよみがえる事を請い求める象形」(「高々と言う」の意味)から、「声を高くして、しかる」、「怒鳴りつける」、「さけぶ」を意味する「喝」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji1622.html)。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95