さまざまに、弔(とぶ)らひをいたし、門(かど)にも窓にも、牛王(ごおう)を押して、防げども、さらに止まらず(平仮名本・因果物語)、
にある、
牛王(ごおう)を押して、
は、
護符を貼りつけて、
の意とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。
社寺の発行する魔除けの護符を「牛王」といった、
とある(仝上)。つまり、「牛王」は、
牛王宝印、
の意である。
熊野三社・手向山(たむけやま)八幡宮・京都八坂神社・高野山・熱田・白山・富士浅間・東大寺・東寺・法隆寺、
等々から出す、
厄除け、降魔の護符、
で、
牛王宝印、
牛玉宝印、
または、頒布の所の名を上に冠して、
〇〇宝印、
としるしてあり(広辞苑・日本国語大辞典)、図柄はきまっていないが、
七五羽の烏を図案化した熊野牛王、
が有名で、
烏(からす)の絵を用いた書体で書かれる、やや特殊なものである、
とされる(仝上)。また、略して、
牛王、
宝印、
ともいい、災難よけに、
身につける、
戸口に貼る、
木の枝に挟む、
病人に用いる、
などと用いた。中世以降は、武士は、
起請文(きしょうもん)を書くのにこの牛王宝印の裏に署す、
のに広く使用した(広辞苑・大辞林・日本大百科全書)。『吾妻鏡』元暦(げんりゃく)二年(1185)五月廿四日の源義経欸状(所謂腰越状)に、
以諸神、諸社、牛王寶印之裏、不插野心之旨、奉請驚日本國中大小神祇冥道、雖書進數通起請文、猶以無御宥免、
と、源義経が大江広元を通じて兄頼朝に対して異心なきことを、牛王宝印の裏に起請文を書いて差し出し(仝上)、また、
諸神諸社の牛王宝印の裏をもって野心をさしはさまざる旨、……数通の起請文を書き進ずといへども(平家物語)、
などともある。
(熊野那智大社の牛王宝印(烏牛王、「おからすさん」などともいわれる。熊野神の使令であるカラスを配したこの護符は、古来、熊野権現の信仰を伝える) 日本大百科全書より)
牛頭天王信仰に関連する護符、
とされるが、牛玉宝印の「牛玉」とは、牛の胆嚢内にできた胆石、
牛黄(ごおう)、
に由来し、その起源から、
牛頭天王と関連するものではない、
とする説がある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%9B%E9%A0%AD%E5%A4%A9%E7%8E%8B)が、牛王と牛黄とはまったく別物だという説もあり、『和漢三才図会』など江戸時代の諸書は、
牛王はウブスナ(生土)の生の字の下部の一が誤って土の字の上についたもの、
だとし、仏教では、
牛頭天王(ごずてんのう)、
に由来すると説く説もあり、はっきりしない(日本大百科全書)。大言海は、
ゴは、牛(ギュウ)の呉音(牛蒡(ごばう)、牛頭(ゴヅ))、ホウも寶の呉音、牛王とは、阿弥陀如来の一称、寶印とは、如来の紇哩(キリク 種子)の梵字、共に印に刻して押すに因りて云ふ、此物、天竺、支那にては聞かず、わが国にて出す佛寺は、華厳宗、真言宗なるが多し、或は、牛王寶命とも記す、生土寶印の字畫の、上下に離合したるにて、生土(ウブスナ)の神の寶命なりなど云ふ説は、論ずるに足らず、又、牛黄(ゴワウ)と混じて説くも、謂れなし、
としている。合類節用集(元禄三(1690)年)にも、
寶印、刻如来種子(しゅじ)梵字印之、故名、蓋、据十一面神呪経説、
とあり、さらに、
牛王、据釋氏説、則牛王者、如来之一称也、見涅槃経、智度論、
ともある。また寂照堂谷響集(元禄二(1689)年)には、
諸寺、諸社、牛王寶印者、西竺、中華、不聞此事、……今謂牛王者、佛之異名、故、涅槃経第十七云、如来、名大沙門、人中牛王、人中丈夫、……寶印者、刻佛種子梵字印之、……本由十一面呪経而起、十一面頂上佛面、即、阿弥陀也、彼佛種子、梵書紇哩(キリク)字、有禳災除疫之功能、
ともある。江戸時代の説だが、牛王寶印の代表である、「熊野午王宝印」について、
三所権現と申すのは、証誠殿(しょうじょうでん)、中の宮、西の宮の三所のことである。証誠殿と申すのは、本地は阿弥陀如来、昔の喜見聖人がこれである。また、中の宮と申すのは、昔の善財王のことである。西の宮と申すのは、本地は千手観音、昔の五衰殿の女御がこれである、
と(https://www.mikumano.net/setsuwa/honnji6.html)、阿弥陀如来を本地とする、としている。
牛王とは、阿弥陀如来の一称、
を、まんざらの異説ともしがたい気がする。
なお、「牛頭天王」については、「祇園」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/489081573.html)で触れたように、牛頭天王(ごずてんのう)は、もともと、
祇園精舎(しょうじゃ)の守護神、
であったが、
蘇民将来説話の武塔天神と同一視され薬師如来の垂迹であるとともにスサノオの本地ともされた、
とあり(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%9B%E9%A0%AD%E5%A4%A9%E7%8E%8B)、
武塔天神(むとうてんじん)、
あるいは、京都八坂(やさか)神社(祇園(ぎおん)社)の祭神として、
祇園天神、
ともいう(日本大百科全書)。
(牛頭天王と素戔嗚尊の習合神である祇園大明神(仏像図彙) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%9B%E9%A0%AD%E5%A4%A9%E7%8E%8Bより)
「ごづ」は、
牛頭(ぎゅうとう)の呉音、此の神の梵名は、Gavagriva(瞿摩掲利婆)なり、瞿摩は、牛と訳し、掲利婆は、頭と訳す、圖する所の像、頂に牛頭を戴けり、
とあり(大言海)、
忿怒鬼神の類、
とし、
縛撃癘鬼禳除疫難(『天刑星秘密気儀軌』)、
とある(大言海)。
その裏面は起請文を記す用紙、
とされた(仝上・大辞泉・日本国語大辞典)。京都東山祇園や播磨国広峰山に鎮座して祇園信仰の神(祇園神)ともされ現在の八坂神社にあたる感神院祇園社から勧請されて全国の祇園社、天王社で祀られた。また陰陽道では天道神と同一視された(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%9B%E9%A0%AD%E5%A4%A9%E7%8E%8B)とある。
(「牛」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%89%9Bより)
(「羊」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%BE%8Aより)
「牛」(漢音ギュウ、呉音グ、慣用ゴ)は、
象形、牛の頭部を描いたもの。ンゴウという鳴き声をまねた擬声語でもあろう、
とある(漢字源)。別に、
象形。羊と区別し、前方に湾曲して突き出たつののあるうしの頭の形にかたどり、「うし」の意を表す、
ともある(角川新字源)。
(「王」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%8E%8Bより)
(「王」 金文・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%8E%8Bより)
「王」(オウ)は、諸説あり、
会意。「大+-印(天)+-印(地)」で、天と地の間に立つさまを示す(漢字源)、
「大」(人が立った様)の上下に線を引いたもの(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%8E%8B)、
あるいは、
下が大きく広がった斧の形を描いた象形文字(漢字源)、
象形、王権を示す斧/鉞の象形(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%8E%8B)、
象形。大きなおのを立てた形にかたどり、威力の象徴としての、かしらの意を表す(角川新字源)、
古代中国で、支配の象徴として用いられたまさかり(が正義(制裁)を取り行う道具)の象形(https://okjiten.jp/kanji189.html)、
等々とあり、
もと偉大な人の意、
とある(漢字源)。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95