2022年11月01日

纏頭


感に堪へずして、唐綾の染付なる二衣を纏頭にしてき。折節に付けては興がりておぼえき(梁塵秘抄口伝集)、

にある、

纏頭、

は、

てんとう、

と訓ませるが、古くは、

てんどう、

と訓ませた(広辞苑)。

歌舞・演芸などをした者に、褒美ほうびとして与えること、及びそのもの、

のことを言い、もとは、

衣服をぬいで与え、それを受けた時、頭にまとった、

ところからいう(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。

かずけもの、
引出物、

の意である(仝上・岩波古語辞典)。これは、

出羅錦二百匹、為子儀纏頭之費(奮唐書・郭子儀傳)、

と、漢語であり、

はな、
かづけもの、

の意とある。ちなみに、「はな」は、「引出物」http://ppnetwork.seesaa.net/article/479132660.htmlで触れたが、

纏頭、

とも当て、

芸人などに出す当座の祝儀、

の意でもあり、

芸者の揚代(あげだい)の称、

つまり、

花代、

の意でもある(広辞苑)。『資治通鑑』(北宋・司馬光)後梁紀の註に、

舊俗賞歌舞人、以錦綵置之頭上、謂之纏頭、

とあり、

直截頭上に置いたもの、

だと知れ、

もと上位の人が下位の者に着物を与えるとき、頭にかぶせる風習があった、

とある(日本大百科全書)。中国伝来ということである。しかし、わが国では、少しずつ意味を転じ、

今朝召実厳纏頭、依儲事等殊致丁寧也(「高野山文書(1148)」)、

と、

当座の祝儀として与える金銭、

つまり、

はな、
ぽち(京坂方言 心づけ)、
チップ、

の意となり(で、「纏頭」を「はな」とも訓ませる)、さらに、この言葉の語感からか、

六月廿八日小所領一所雖分得候、未得秋分程、事々纏頭候了(「醍醐寺文書(1280)」)、
臨時の客人、纏頭の外他なし。卒爾の経営、周章の至り忙然たり(庭訓往来)、

などと、

いそがしいこと、
また、
あわてること、

の意でも使う(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。

「引出物」http://ppnetwork.seesaa.net/article/479132660.htmlでも触れたが、「かずけもの」は、

被け物、

と当て、

人の労をねぎらい、功を賞して与える衣服類、

をいい、

衣服類を相手の左肩にうちかけて与えた、

といい、

もらった者はこれを左肩に掛けて退く、

という(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。

纏頭(てんとう)、

ともいい、

力を尽したること少なからず、しかるにいまだ祿給はらず(竹取物語)、

と、

祿(ろく)、

ともいい、さらには、

さもしくかづけ物にはあらず(浮世草子「色里三所世帯」)、
匂ひはかづけ物(西鶴・一代男)、

などと、

ごまかし物、

の意でも使うに至る。これは「被(かづ)く」に、

頭に被る、

意からのメタファで、

病にかづけて寺へ引き込み(三体詩抄)、

と、

かこつける、

意や、

よからぬ事は皆、田舎者になづくる(仮名草子「仕方咄」)、

と、

転嫁する、

意など(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)のとの関連から来たものではあるまいか。なお、

かづけわたの事あり、衣筥(ころもばこ)の蓋に綿を入れて、簀子(すのこ)の北の方に、内持の廊下と云ひて、簾(みす)をかけて出す、蔵人、御導師の肩にかづくるなり(建武年中行事)、

とある、

被綿(かづけわた)、

は、

綿の被物、

の謂いで、

御佛名(ミブツミヤウ)を修したる僧に賜ふに云ふ、

とある(大言海)。

「纏」 漢字.gif



「纏」 漢字 説文解字.gif

(「纏」 説文解字・漢 字通より)

「纏」(漢音テン、呉音デン)は、

会意兼形声。「糸+音符廛(テン ある所にへばりつく)」。ひもや布を一か所にへばりつくようにまきつけること、

とある(漢字源)。別に、

形声文字です(糸+廛)。「より糸」の象形(「糸」の意味)と「屋根の象形と区画された耕地の象形と2つに分れているものの象形と土地の神を祭る為に柱状に固めた土の象形」(「1家族に分け与えられた村里の土地」の意味だが、ここでは、「帯」に通じ(「帯」と同じ意味を持つようになって)、「おびる」の意味)から、「糸を帯びる」、「まとう」を意味する「纏」という漢字が成り立ちました、

とあるhttps://okjiten.jp/kanji2660.html。後者の説の方が、「まとう」の意の「纏」の説明としてはわかりやすい気がする。別に、

形声。声符は廛(てん)。廛は(ふくろ)の中にものを入れてまとめ、それを建物に収納する意。説文解字に「繞(めぐ)らすなり」とあり、縄をめぐらしてまとめくくることをいう。次条に「繞(ぜう)は纏(まと)ふなり」とあって互訓。繞り歩くことを躔(てん)という、

ともある(字通)。

「頭」.gif

(「頭」 https://kakijun.jp/page/1674200.htmlより)

「頭」(漢音トウ、呉音ズ、慣用ト、唐音ジュウ)、

は、

会意兼形声。「頁(あたま)+音符豆(じっと立つ高い木)」で、まっすぐ立っているあたま、

とある(漢字源)。別に、

会意兼形声文字です(豆+頁)。脚が長く頭が膨らんだ食器(たかつき)の象形と人の頭を強調した象形から「あたま・かしら」を意味する「頭」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji21.html

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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ラベル:纏頭 引出物
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2022年11月02日

折節


感に堪へずして、唐綾の染付なる二衣を纏頭にしてき。折節に付けては興がりておぼえき(梁塵秘抄口伝集)、

にある、

折節(おりふし)、

は、

ちょうどそのときに、その場合に、

とか、

ときどき、おりにふれて、

という意味で使われるが、ここでは、

時節、時機、場合、その時、

の意とあり(馬場光子全訳注『梁塵秘抄口伝集』)、「折節につく」で、

時機にかなっている、

意で、

「興がる」は、興趣をそそられているさまを原義とし、いかにも他と違うのを積極的にほめたたえる気持ちを込める、

とあり(仝上)、

折に合って、興趣深く思われた、

と訳すが、その場、その時に叶った、

時宜を正確に読み取り機転を利かせて帝王(後白河上皇)の歓心をかった、

ということなのだろう(仝上)。

「折節(セツセツ)」は、

節を折る、

で、

以秦之強、折節而下與國、臣恐其害於東周(戦国策)、

と、

己の主持する意を屈(ま)ぐる、

意で使う(字源)が、和語では、

折れ目の節、

と、名詞として、

時の流れの変わり目の意(岩波古語辞典)、
ヲリもフシも、時限を示す語(大言海)、

の意で、

また言ひ出で給はむ折ふし、ふとかきそがむ(落窪物語)、
いと嬉しう思ひ給へられぬべきをりふしに侍りながら(源氏物語)、

と、

何かが行なわれる、また何かの状態にある時点、ちょうどその時節、場合、機会、

などと使い(精選版日本国語大辞典)、それが転じて、

この折にある人々折節につけて、からうた(漢詩)ども、時に似つかはしき、言ふ(土佐日記)、
をりふしのいらへ心得てうちしなど(源氏物語)

などと、

その場合その場合、その時々、

と(岩波古語辞典)、切れ目の時が少し繋がり、さらに、

折節のうつりかはるこそものごとに哀れなれ(徒然草)、

と、広く、

時節、季節、

の意で使う(岩波古語辞典)。また、副詞として、

心中に我を念ぜよ、とぞおしへ給ひける。折ふし相応かさねてめし有て、祈り奉るほど(九冊本宝物集)、

と、

この時機において、ちょうどその時、折から、

の意から、転じて、

私も折ふしは、文のおとづれをも致したう御ざったれども(虎寛本狂言「鈍太郎」)、

と、

時々、時折、ときたま、

の意で使う(精選版日本国語大辞典)。

折節、

の「折」のもつ、

「切れ目」のその時、

が、広く、

季節、

に転じたり、それが、点々と広がり、

ときどき、

の意に転じ、広く、

時節、

にまでなった、と見ることができる。

「折節」を、

内々御遊興の御酒宴などが、折節(ヲリセツ)始まるでござりませうね(歌舞伎「早苗鳥伊達聞書(実録先代萩)」)、

と、

おりせつ、

と訓ませる場合もある(精選版日本国語大辞典)ようだが、意味は同じである。

折節無(な)し、

というと、

をりふしなき事、思ひたつよし申す(たまきはる)、

と、

都合が悪い、

意になる(仝上)。

「折」 漢字.gif


「折」(漢音セツ、呉音セチ)は、「壺折」http://ppnetwork.seesaa.net/article/492978987.htmlでふれたように、

会意。「木を二つに切ったさま+斤(おの)」で、ざくんと中断すること、

とある(漢字源)。別に、

斤と、木が切れたさまを示す象形、

で、扌は誤り伝わった形とある(角川新字源)。また、

会意文字です(扌+斤)。「ばらばらになった草・木」の象形と「曲がった柄の先に刃をつけた手斧」の象形から、草・木をばらばらに「おる」を意味する「折」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji670.html

「節」 漢字.gif



「節」 漢字.gif


「節」(漢音セツ、呉音セチ)は、

会意。即(ソク)は「ごちそう+膝を折ってひざまずいた人」の会意文字。ここでは「卩」の部分(膝を折ること)に重点がある。節は「竹+膝を折った人」で、膝を節(ふし)として足が区切れるように、一段ずつ区切れる竹の節、

とある(漢字源)。別に、

形声。「竹」+音符「即」(旧字体:卽)、卽の「卩」(膝を折り曲げた姿)をとった会意。同系字、切、膝など、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%AF%80


会意兼形声文字です(竹+即(卽))。「竹」の象形と「食べ物の象形とひざまずく人の象形」(人が食事の座につく意味から、「つく」の意味)から、竹についている「ふし(茎にある区切り)・区切り」を意味する
「節」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji554.html

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
簡野道明『字源』(角川書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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2022年11月03日

藐姑射(はこや)


修行を勤め、其の後天上にのぼり、或いは蓬莱宮、或いは藐姑射(はこや)の山、或いは玉景(ぎょくけい)崑閬(こんろう)なんどに行きて(伽婢子)、

にある、

藐姑射の山、

は、

仙人が住むという山、

とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。因みに、「蓬莱宮」とは、

中国の伝説で、東海中にあって仙人が住み、不老不死の霊地とされた、

とある(仝上)が、いわゆる、

蓬莱、

にあって仙人の住むという、黄金白金でつくった宮殿のことで、

蓬莱洞、

ともいう(精選版日本国語大辞典)。「蓬莱」http://ppnetwork.seesaa.net/article/488165402.htmlについては触れた。また、

玉景崑閬、

も、

中国の伝説で、西方にあり、仙人が住むという二つの山、

とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。

「藐姑射」は、

藐姑射之山、有神人居焉、肌膚若冰雪、淖約若處子、不食五穀、吸風飲露、乘雲氣、御飛龍、而游乎四海之外(『荘子』逍遥遊篇)、

により(字源)、

バクコヤ、

と訓ませ、『列子』第三にも、

藐姑射山在海河洲中、山上有神人焉、吸風飲露、不食五穀、心如淵泉、形如処女、不偎不愛、……、

とあるhttp://www.arc.ritsumei.ac.jp/opengadaiwiki/index.php/%E8%97%90%E5%A7%91%E5%B0%84%E7%A5%9E%E4%BA%BA。ただ、「藐姑射」の、

「藐」は「邈」と同じで遙か遠い、

意、

「姑射」は山名、

なので、従ってもともとは、

はるかなる姑射の山、

の意であるが、「荘子」の例によって、

一つの山名のように用いられるようになった、

とある(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)。

我が国にも、古くから伝わっていたらしく、

心をし無何有(ムカウ)の郷に置きたらば藐姑射能山(はこやのやま)を見まく近けむ、

と万葉集にも歌われている(「藐孤射能山」を「まこやのやま」とも訓ませるとする説もある)。この、

無何有(ムカウ)の郷、

も、

出六極之外、遊無何有(ムカイウ)之郷、

と(字源)、荘子由来で、

ムカユウ、

と訓み、

何物もなき郷、造化の自然楽しむべき地にいふ、

とある(仝上)、

自然のままで、なんらの人為もない楽土、

という、

荘子の唱えた理想郷、

の謂いである(広辞苑)。

ムカユウ、

を、

ムカウ、

と訛って訓ませる。因みに、「六極」とは、

天地四方、
上下四方、

のこと、つまり、

宇宙、

をいう(精選版日本国語大辞典)。『荘子』逍遥遊篇には、

今子有大樹、患其無用、何不樹之於無何有之郷、廣莫之野、彷徨乎無為其側、逍遙乎寢臥其下(今、子、大樹有りて、其の用無きを患(うれ)ふ、何ぞ之を無何有の郷、広莫の野に樹て、彷徨乎(ほうこうこ)として其の側に為す無く、逍遥乎(しょうようこ)として其の下に寝臥(しんが)せざる)、

とある(故事ことわざの辞典)。

なお、「藐姑射の山」は、

うごきなきなほよろづよぞ頼べきはこやの山のみねの松風(千載集・式子内親王)、

と、

上皇の御所を祝っていう語、

として、

上皇の御所、また、そこにいる人、すなわち上皇、

指し、

仙洞(せんとう)御所、
仙洞、

の意で、

はこやが峰、

という言い方もする(精選版日本国語大辞典)。

「藐」 漢字.gif


「藐」(漢音バク・ビョウ、呉音マク、ミョウ)は、

会意兼形声。「艸+音符貌(ボウ おぼろげな形、かすかな)」で、細い、かすかなの意を含む、

とある(漢字源)。「藐小」(バクショウ ちいさくてかすかな)、「藐然」(バクゼン 遠くにあっておぼろげなさま)などと使う。

「姑」 漢字.gif



「姑」 金文・西周.png

(「姑」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A7%91より)

「姑」(漢音コ、呉音ク)は、

会意兼形声。「女+音符古」。年老いて古びた女性の意から、しゅうとめやおばの称となった、

とある(漢字源)。「しゅうとめ」(夫の母)の意だが、「古姑」(ショウコ 夫の妹)、「外姑」(ガイコ 妻の母)、「姑母」(コボ 父の姉妹)などと使う。

「射」 漢字.gif

(「射」 https://kakijun.jp/page/1048200.htmより)

「射」(漢音シャ・エキ、呉音ジャ・ヤク、呉漢音ヤ)は、

会意文字。原字は、弓に矢をつがえている姿。のち、寸(手)を添えたものとなる。張った弓を弦を話して緊張を解くこと、

とある(漢字源)。別に、

甲骨・金文は、象形。矢をつがえた弓を手に持つ形にかたどる。篆文は、会意で、矢(または寸)と身とから成る。矢をいる意を表す、

とも(角川新字源)、

甲骨文は「弓に矢をつがえている」象形。篆文は、会意文字。「弓矢の変形と、右手の手首に親指をあて脈をはかる象形(「手」の意味)から、「弓をいる」を意味する「射」という漢字が成り立ちました、

ともhttps://okjiten.jp/kanji1022.htmlあるが、趣旨は同じである。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)
尚学図書編『故事ことわざの辞典』(小学館)

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コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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2022年11月04日

目見(まみ)


光り出づるばかりに麗はしきが、目見(まみ)気高く、容貌(かたち)たをやかに、袖の薫りの香ばしさ(伽婢子)、

にある、

目見、

は、

目の表情、

とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。「ま」は、

目(め)の古形、

で、

いづくより来りしものそまなかひ(目交)にもとなかかりて安眠(やすい)しなさぬ(山上憶良)、

などと、

まつ毛、
まな子、
まな尻、

等々、

他の語について複合語を作る、

とあり(岩波古語辞典)、「まみ」は、

目を上げて見る目色、

とある(大言海)。で、

大船を荒海(あるみ)に漕ぎ出でや船たけ吾が見し子らが目見(まみ)は著(しる)しも(万葉集)、

と、

物を見る目つき、
まなざし、

の意から、

所々うち赤み給へる御まみのわたりなど(源氏物語)、

と、

目もと、

の意であるが、

内の御めのとの吉田の前大納言定房、まみいたう時雨たるぞあはれに見ゆる(増鏡)、

と、

目、
まなこ、
ひとみ、

と、「目」そのものをも指して使われる(精選版日本国語大辞典)。

「目見」は、

めみえ、

と訓ますと、

目見得、

とも当て、

御目見(おめみえ 御目見得)を許される、

というように、

主君・長上者にお目にかかること、
謁見、

の意であり、近世になると、

めみえの間、衣類なき人は、借衣装自由なる事なり(西鶴・好色一代女)、

と、

奉公人が雇い主に初めて会い、奉公契約するまで試験的に使われる、

意で使い(岩波古語辞典)、さらに、

お玉にめみえをさせると云うことになって(鴎外「雁」)、

と、

芸者や妾めかけになること、
また、
芸者や妾として主人に初めてあいさつをすること、

の意でも使う(精選版日本国語大辞典)。

「めみえ」は、

目見(みみえ)の転、目は逢ふこと、

とあり(大言海)、

目見(まみ)ゆ、

の転訛ではあるまいか。「まみゆ」は、

「ま」(目)+「みゆ」(見ゆ)、

とあり、

見(まみ)ゆ、

と当てるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E3%81%BE%E3%81%BF%E3%82%86。この名詞形が、

まみえ、

で、

見え、
目見え、

と当て、

我東海の公にまみえて(今昔物語)、

と、

お目にかかる、

意で、さらに、

まみえ・有様、まことに賢くやんごとなき僧(元和寛永古活字本撰集抄)、

と、

目つき、
また、
顔つき、

の意でも使う(精選版日本国語大辞典)。

なお、「目見」を、

めみせ、

と訓ませると、

扨殿の御目(メ)みせよければ横平なる事あり(浮世草子「男色十寸鏡」)、

と、

かわいがり、ひいきにすること、
目をかけること、

の意や、その意味するから、当然ながら、転じて、

テカケ memixe(メミセ)(「ロドリゲス日本大文典(1604~08)」)、

と、

妾、そばめ、

の意で使う。これは、「めみえ」が、

芸者や妾めかけになること、
や、
芸者や妾として主人に初めてあいさつをすること、

の意があることと対になっているように思う。

さらに、「目見」を、

もっけん、

と訓ませる場合があり、これは、近代になってから、

其土地を目見(モクケン)するにあらでは詩文の趣興も浮みがたきと云は(「授業編(1783)」)、

と、

耳聞、

の意で使っている。これは「まみ」のもつ意味の流れとは乖離して、漢字「目見」の意味からの連想に思える。その流れの前段に、近世、「目見」を、

めみ、

と訓ませ、

勝手から人の来る目見(メミ)をしてゐるうちに(浮世草子「傾城歌三味線(1732)」)、
私が目見(めみ)を付けて置くからお前のなさる事はみんな通じますよ(滑稽本「古今百馬鹿(1814)」)、

と、

よく見ること、
見張ること、
また、
それをする人、

の意で使っていることがある(精選版日本国語大辞典)。この「めみ」は、

めしろ、

と同義で、「めしろ」は、「目代」http://ppnetwork.seesaa.net/article/492591058.html?1665863225で触れたように、

監視、
目付、

の意で使う(江戸語大辞典)。

「目」 漢字.gif

(「目」 https://kakijun.jp/page/0588200.htmlより)

「目」(漢音ボク、呉音モク)は、「尻目」http://ppnetwork.seesaa.net/article/486290088.htmlで触れたように、

象形。めを描いたもの、

であり(漢字源)、

のち、これを縦にして、「め」、ひいて、みる意を表す。転じて、小分けの意に用いる、

ともある(角川新字源)。

「見」 漢字.gif


「見」(漢音呉音ケン、呉音ゲン)は、

会意文字。「目+人」で、目立つものを人が目にとめること。また、目立って見える意から、あらわれる意ともなる、

とある(漢字源)。別に、

会意。目(め)と、儿(じん ひと)とから成る。人が目を大きくみひらいているさまにより、ものを明らかに「みる」意を表す(角川新字源)、

会意(又は、象形)。上部は「目」、下部は「人」を表わし、人が目にとめることを意味するhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%A6%8B

会意文字です(目+儿)。「人の目・人」の象形から成り立っています。「大きな目の人」を意味する文字から、「見」という漢字が成り立ちました。ものをはっきり「見る」という意味を持ちますhttps://okjiten.jp/kanji11.html

など、同じ趣旨乍ら、微妙に異なっているが、目と人の会意文字であることは変わらない。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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2022年11月05日

三神山


是はそも、人間世(にんげんせい)の外、三(みつ)の嶋、十(とお)の洲(くに)に来にけるかと、怪しみながら(伽婢子)、

とある、

三の嶋、

とは、

伝説上の、「蓬莱」「方丈」「瀛洲」の三島(神仙傳)、

とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。蓬莱(ほうらい)・方丈・瀛州(えいしゅう)の三山は、

東方絶海の中央にあって、仙人の住む、

と伝えられ、

三神山(さんしんざん)、

といい、

三山、
三島、

ともいう(広辞苑)。「十の洲」も、

同じく伝説上の「鳳麟洲」「聚窟洲」など十の「洲(くに)」、いずれも仙人、天女が住むとされる、

とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。

十洲(じつしゅう)、

は、

祖洲・瀛洲・玄洲・炎洲・長洲・元洲・流洲・生洲・鳳麟洲・聚窟洲、

とされる(字源)。

「蓬莱」http://ppnetwork.seesaa.net/article/488165402.htmlで触れたが、

蓬莱・方丈・瀛洲此三神山者、其傳在渤海中、……嘗有至者、諸僊人(仙人)及不死之薬、皆在焉、……金銀為闕(史記・封禅書)、
使人入海求蓬莱・方丈・瀛洲、此三山者相傳在渤海(漢書・郊祀志)、
海中有三山、曰蓬莱、曰方丈、曰瀛洲、謂之三島(神仙傳)、

などと、

渤海中にあって仙人が住み、不老不死の地とされ、不老不死の神薬があると信じられた霊山、

で、

三壺海中三山也、一曰方壺、則方丈也、二曰、蓬壺則蓬莱也、三曰瀛壺洲也(拾遺記)、

と、

蓬莱(ほうらい)山、
方丈(ほうじょう)山、
瀛洲(えいしゅう)山、

と、

三神山(三壺山)、

とされ(仝上・日本大百科全書)、前二世紀頃になると、

南に下って、現在の黄海の中にも想定されていたらしい、

と位置が変わった(仝上)が、

伝説によると、三神山は海岸から遠く離れてはいないが、人が近づくと風や波をおこして船を寄せつけず、建物はことごとく黄金や銀でできており、すむ鳥獣はすべて白色である、

という(仝上)。

不死の妙薬を求めて航海に出る徐福(歌川国芳画).jpg

(不死の妙薬を求めて航海に出る徐福(歌川国芳) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%90%E7%A6%8Fより)

「仙人」http://ppnetwork.seesaa.net/article/483592806.htmlで触れたように、戦国時代から漢代にかけて、燕(えん)、斉(せい)の国の方士(ほうし 神仙の術を行う人)によって説かれ、

蓬萊、方丈、瀛洲、此三神山者、其傅在勃海中、去人不遠、患且至、則船風引而去、蓋嘗有至者、諸僊人(仙人)及不死之藥皆在焉、物禽獸盡白、而黃金銀為宮闕、未至、望之如雲、及到、三神山反居水下、臨之、風輒引去、終莫能至云、世主莫不甘心焉(史記・封禅書)、

と、

(仙人の住むという東方の三神山の)蓬莱・方丈・瀛州(えいしゅう)に金銀の宮殿と不老不死の妙薬とそれを授ける者がいる、

と信ぜられ、それを渇仰する、

神仙説、

が盛んになり、『史記』秦始皇本紀に、

斉人徐市(じょふつ 徐福)、上書していう、海中に三神山あり、名づけて蓬莱(ほうらい)、方丈(ほうじょう)、瀛州(えいしゅう)という。僊人(せんにん 仙人)これにいる。請(こ)う斎戒(さいかい)して童男女とともにこれを求むることを得ん、と。ここにおいて徐をして童男女数千人を発し、海に入りて僊人(仙人)を求めしむ、

と、この薬を手に入れようとして、秦の始皇帝は方士の徐福(じょふく)を遣わした。後世、この三神山に、

岱輿(たいよ)、
員嶠(えんきよう・いんきょう)、

を加えた、

五神山説、

も唱えられ、

五山が海に浮かんでいて、15匹の大亀にささえられている、

とされたが、昔から、

蓬莱、

だけが名高い(仝上)。

蓬莱・方丈・瀛州の三山は

蓬壺、
方壺(ほうこ)、
瀛壺、

とも称し、あわせて、

三壺、

ともいう。「壺」については、

費長房者、汝南人也、曾為市掾、市中有、老翁賣薬、懸一壺於肆頭、及市罷、輒跳入壺中、市人莫之見、唯長房於楼上覩、異焉、因往再拝、翁乃與倶入壺中、唯見玉堂厳麗、旨酒甘肴盈衍其中、共飲畢而出(漢書・方術傳)、

とある、

壺中天(こちゅうてん)、

は、

仙人壺公の故事によりて別世界の義に用ふ、

とあり(字源)、また、

壺中天地乾坤外、夢裏身名且暮閒(元稹・幽栖詩)、

と、

壺中之天、

ともいい、さらに、

壺天、

ともいう(仝上)。「壺公(ここう)」とは、上記、

費長房者、汝南人也、曾為市掾、市中有、老翁賣薬、懸一壺於肆頭、及市罷、輒跳入壺中、市人莫之見、唯長房於楼上覩、異焉、因往再拝、翁乃與倶入壺中、唯見玉堂厳麗、旨酒甘肴盈衍其中、共飲畢而出(漢書・方術傳)、

で、後漢の時代、汝南(じょなん)の市場で薬を売る老人が、

店先に1個の壺(つぼ)をぶら下げておき、日が暮れるとともにその壺の中に入り、そこを住まいとしていた。これが壺公で、彼は天界で罪を犯した罰として、俗界に落とされていたのである。市場の役人費長房(ひちょうぼう)は、彼に誘われて壺の中に入ったが、そこは宮殿や何重もの門が建ち並ぶ別世界であり、費長房はこの壺公に仕えて仙人の道を学んだ、

とある(日本大百科全書)のを指す。

なお、「瀛洲」は、転じて、日本を指し、

東瀛(とうえい)、

ともいい、日本の雅称とされるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%80%9B%E5%B7%9E

船に乗る徐福.jpg

(「船に乗る徐福」(任熊『列仙酒牌』) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%90%E7%A6%8Fより)

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
簡野道明『字源』(角川書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2022年11月06日

縹(はなだ)


桜の枝一つ築地より外に差し出でて、縹(はなだ)の打ち帯一筋、縄の様なるを懸け置きたり(伽婢子)、

とある、

縹の打ち帯、

は、

薄い藍色の紐で組んだ帯、

とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。「打帯」は、

糸で組んだ紐の帯、

で、

丸打ち、または、平打ちの太い紐を用いる、

とある。

組み帯、

のことである(精選版日本国語大辞典)。

真紅の撃帯(ウチオビ)ひとつ娘にとらせたり(伽婢子)、

と、

撃帯、

と当てたりする(仝上)。「打帯」と呼ぶのは、

糸の組目をへらで打って固く組んだ紐の帯、

だからである(広辞苑)。

 条帯(平組帯)(長さ132.2cm 幅4.7cm).jpg

(「条帯」(平組帯)(正倉院 長さ132.2cm 幅4.7cm) https://kimono-kitai.info/15204.htmlより)

「縹色」は、

花田色、

と当てたりする、

藍染めの紺に近い色、

とあり(日本国語大辞典)、

薄い藍色、

である(広辞苑)。新撰字鏡(898~901)は、

碧、波奈太、

類聚名義抄(11~12世紀)は、

縹、アヲシ・ハナダ、

武家名目抄(江戸時代後期)は、

花田、浅木色也、

とする。

縹色.png


後漢時代の辞典には、

「縹」は「漂」(薄青色)と同義、

とありhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B8%B9、漢和辞典には、

そらいろ、
薄き藍色、
ほんのりした青色(淡青色)、
浅葱色、

などとある(字源・漢字源)。別名、

月草色、
千草色、
露草色、
花色、

ともあり(「月草」は露草の古名、千草は鴨頭草(つきくさ)の転訛で露草のこと)、これら全てが、

ツユクサ、

を表しhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B8%B9、本来、

露草の花弁から搾り取った汁を染料として染めていた色、

を指すが、

この青は非常に褪せ易く水に遭うと消えてしまうので、普通ははるかに堅牢な藍で染めた色を指し、古くは青色系統一般の総括的な呼称として用いられたようだ、

とある(仝上)。

ツユクサの花.jpg

(ツユクサの花 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B8%B9より)

つき草、うつろひやすなるこそうたてあれ(枕草子)、

と(ツユクサは古くは「つきくさ」と呼ぶ)、花色といえば移ろい易いことの代名詞であったので、「縹色」は、

露草の花の色から名づけられた、

とされるが、冠位十二階制などの古代の服制では、

藍染、

であったし、

『延喜式』(平安中期)も、

縹色は藍で染める、

とし、

深縹(ふかきはなだ、こきはなだ)、
中縹(なかのはなだ、なかはなだ)、
次縹(つぎのはなだ、つぐはなだ)、
浅縹(あさきはなだ、あさはなだ)、

の四種類にわけ(浅縹よりも淡く染めたものとして白縹(しろきはなだ、しろはなだ)がある)、紺色が深縹に相当し、中縹が「つよい青」の縹色とされ(色名がわかる辞典)、

古代に位を示す服色の当色(とうじき)として、持統天皇4年(690)に、

追位の朝服を深(ふか)縹、進位を浅(あさ)縹、

と定め、養老の衣服令(りょう)(大宝元年(701)制定、養老二年(718)改撰)で、

八位を深縹、初位(しょい)を浅縹、

としている(日本大百科全書)。しかし平安時代後期になると、七位以下はほとんど叙せられることがなく、名目のみになったため、六位以下の地下(じげ)といわれる下級官人は、みな緑を用いた。そこで縹は当色から外されたが、12世紀より緑袍(りょくほう)と称しても縹色のものを着ている。縹は当色ではなくなったため、日常も用いられる色となった(仝上)のである。

古事記伝に仁徳天皇からの使者が皇后に拒絶され、使命を果たそうと地下で嘆願し続けたために、

水溜りに漬かった衣服から青色が流れ出した、

という逸話があるが、下級官人はこのような脆弱な染色を用いていたhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B8%B9ことがわかる。

「縹」 漢字.gif


「縹」(ヒョウ)は、

会意兼形声。「糸+音符票(軽い、浮き上がる)」、

とある。

薄い藍色、

の意の他に、

縹渺(ひょうびょう ほのかに見えるさま)、

と、

薄く軽い、ほんのりと浮かぶ、

意もある(漢字源)。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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2022年11月07日

さざれ石


俗にさざれ石と呼ぶ、この石の上に清水いりて常に水たえず、白龍石中にすむなり(梁塵秘抄口伝集)、

にある、

さざれ石、

の「さざ」は、

細、

あるいは、

小、
細小

と当て(広辞苑・岩波古語辞典)、

「わずかな」「小さい」「こまかい」、

の意で、

ささ蟹、
ささ濁り、
ささ浪(波)、

等々、接頭語的に用い、

細かいもの、小さいものを賞美していう、

とあり、

形容詞の狭(さ)しの語根を重ねたる語、

とあり(大言海)、

近江の狭狭波(ささなみ)(孝徳紀)とあるは、細波(ささなみ)なり、狭狭貧鈎(ささまぢて)(神代紀)とあり、又、陵墓を、狭狭城(ささき)と云ふも同じ、いささかのササも、サとのみも云ふ、狭布(さふ)の狭布(さぬの)、細波(ささなみ)、さなみ。又、ささやか、ささめく、ささやく、など云ふも同じ、

とある(仝上)。

ただ、「ささやか」(細やか)は別として、「ささやく」http://ppnetwork.seesaa.net/article/449925050.html、「さざめく」http://ppnetwork.seesaa.net/article/450667068.htmlの「ささ」「さざ」は擬声語である旨は触れた。

後世濁ってサザとも、

とある(岩波古語辞典)。

さざれ、

は、

ささらの転、

で、「ささら」は、

妹なろが使ふ川津のささら萩葦と人言(ひとごと)語りよらしも(万葉集)、

と、

ササは細小の意、ラは接尾語、

で(岩波古語辞典)、「さざれ」は、

細、

と当て、

さざれ水、そと流るる水なり(匠材集)、

と、

さざれ(細)波、
さざれ(細)水、
さざれ(細)石、
さざれ(細)砂、

と、名詞に付いて、

「わずかな」「小さい」「こまかい」などの意、

を添える(日本国語大辞典)。

「さざれ石」は、

細石、

と当て、

小さな石、こまかい石、小石、

の意で、

さざれ、
さざれし、

とも約め(大言海・広辞苑)、「さざれし(細れ石)」も、

レシ[r(es)i]が縮約をとげたためサザリになり、語頭を落としてざり・ジャリ(砂利)、

となる(日本語の語源)が、

わが君は千世に八千世にさざれ石の巌となりて苔こけのむすまで(古今和歌集)、

とある、

「さざれ石」は、

細(さざれ)石の巌(いわお)となる、
砂子(いさご)長じて巌となる、

というように、

小石、

の意ではあるが、

長い年月をかけて小石の欠片の隙間を炭酸カルシウム(CaCO3)や水酸化鉄が埋めることによって、一つの大きな岩の塊に変化した、

石灰質角礫岩(せっかいしつかくれきがん)、

を、「君が代」の歌詞にある、

巌(いわお)、

であるとして、この岩を指して、

さざれ石、

と呼ぶことが少なくないhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%95%E3%81%96%E3%82%8C%E7%9F%B3とある。

さざれ石 (2).jpg

(「さざれ石」(千鳥ケ淵戦没者墓苑) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%95%E3%81%96%E3%82%8C%E7%9F%B3より)

小石が巌(いわお)となり、さらにその上に苔が生えるまでの過程、

が、非常に長い歳月を表す比喩表現として用いられ(仝上)、「さざれ石」は、

神々の魂が宿る石、

として、古くから信仰の対象になっている。

さざれ石(籠神社).jpg

(籠神社(このじんじゃ 京都府宮津市)にあるさざれ石 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%95%E3%81%96%E3%82%8C%E7%9F%B3より)

「細」(漢音セイ、呉音サイ)は、

会意兼形声。「田」は小児の頭にある小さいすき間の泉門を描いた象形文字「囟」(シン)、細は「糸(ほそい)+音符囟(シン・セイ)」で、小さく細かく分離していること、

とあり(漢字源)、

田は誤り変わった形、

とある(角川新字源)。また、

隙間がわずかであるの意、

ともあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%B4%B0。別に、

「細」 漢字.gif


会意兼形声文字です(糸+田(囟)。「より糸」の象形(「糸」の意味)と、「乳児の脳の蓋(ふた)の骨が、まだつかない状態」の象形(「ひよめき(乳児の頭のはちの、ぴくぴく動く所)」の意味)から、ひよめきのように微か、糸のように「ほそい」を意味する「細」という漢字が成り立ちました、

とあるのが分かりやすいhttps://okjiten.jp/kanji165.html

「石」 漢字.gif

(「石」 https://kakijun.jp/page/ishi200.htmlより)

「石」http://ppnetwork.seesaa.net/article/482824936.htmlで触れたように、「石」(漢音セキ、呉音ジャク、慣用シャク・コク)は、

象形。崖の下に口型のいしはのあるさまを描いたもの、

とある(漢字源)。

象形、「厂」(カン 崖)+「口」(いしの形)、山のふもとに石が転がっているさまを象る(『説文解字』他通説)。会意、「厂」(崖)+「口」(祭祀に用いる器)(白川)、

ともあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%9F%B3

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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2022年11月08日

ひわ


桜の花綻(ほころ)び、金翅雀(ひわ)、小雀(こがら)、争い囀づり(伽婢子)、

金翅雀(ひわ)、

とあるのは、

鶸、

とも当て、

鳥はこと所の物なれど、鸚鵡(あうむ)、いとあはれなり。人のいふらんことをまねぶらんよ。ほととぎす。くひな。しぎ。都鳥。ひわ。ひたき(枕草子)、

と挙げられている、

スズメ目アトリ科ヒワ亜科に属する鳥の総称、

で(日本大百科全書・広辞苑)、

ヒワ(鶸)とも総称されるが、狭義にはその一部をヒワと呼ぶ(ヒワという種はいない)、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%AF%E4%BA%9C%E7%A7%91

穀食型の嘴を持つ小形の鳥、

で、村落周辺や疎林に群をなしてすみ、小さな木の実や草の種子を食う。広義には、

マシコ・ウソ・シメなども含み、世界に約120種、

あるが、普通には村落近くで見られる、

マヒワ・カワラヒワ・ベニヒワ、

などを指す(広辞苑)。別に、

日本産のアトリ科の鳥のうち、マヒワ、ベニヒワ、カワラヒワの三種の総称、

であり、普通には、

マヒワ、

をさす(日本国語大辞典・デジタル大辞泉)とするものもある。で、

金翅雀、

は、

マヒワの別名、

とするものもある(季語・季題辞典)。

一般に雌雄異色で、雄は赤色または黄色の羽色をもつ種が多く、日本の伝統色である、

鶸(ひわ)色、

は、

マヒワの雄の緑黄色、

に由来する(日本大百科全書)。

ヒワの種類.jpg

(ヒワのおもな種類(標本画) 日本大百科全書より)


マヒワ(オス).jpg


ただ、

鶸、

の字は、

弱鳥の合字、

とあり、漢名は、

金翅雀、

とあり(大言海)、

飼育するとすぐに落ちる(死ぬ)ので弱い鳥として「鶸」(ヒワ)を充てています、

とする説https://www.suntory.co.jp/eco/birds/encyclopedia/detail/1494.htmlもあるが、

非なり、……鶸は弱きにあらず、その形繊小(ひはやか)なる意なり。ひはやかに、ひはづに、と云ふ語は、細くたをやかなる、又、弱弱しき意なり。栄花物語、十七、音楽「宮いみじうひはやかにめでたういらせたまふ」、源氏物語、三十一、槙柱、「いとささやかなる人の、常の御なやみに痩せ衰へひはづにて」と見ゆ、

とあり(大言海)、

よく囀りて、清滑なり、

とし、

ひゅんちゅんちゅん、

と聞ゆ、とある(仝上)。「ひはづ」は、

繊弱、
怯弱、

と当て、

ヒハはヒハボソ、ヒハヤカのヒハと同じ、

とあり(岩波古語辞典)、

ひはづなる僧の経袋、頸にかけて(宇治拾遺物語)、

と、

きゃしゃ、
ひよわ、

の意、「ひはぼそ」も、

繊弱、

と当て、

ヒハは、ヒハヤカニ・ヒハヅのヒハと同じ、

で、

ひはぼそたわや(タワヤカナ)腕(かひな)(記紀歌謡)、

と、

か弱く細いこと、

で、「ひはやか」も、

繊弱、

と当て、

ヒハは、ヒハヅ・ヒハボソのヒハと同じ、

で、

いみじうをかしう、ひはやかに美しげにおはします(源氏物語)、

と、

見るからにひ弱なさま、
きゃしゃなさま、

の意とある(岩波古語辞典・大言海)。確かに、単純に、

弱弱しい、

というよりは、

はかなげ、

という含意なのかもしれない。「ひは」は、この、

ひはやかに、
ひはづ、
ひはぼそ、

の「ひは」を語源としていると思われ、

弱いことをヒワヒワシというところから、弱鳥の合字(和訓栞)、
ヒワヅの義(和句解)、
ヒヨワ(弱)の義(俚言集覧・名言通)、
ひわやかに弱弱しい義、また、ヒは鳴き声からか(音幻論=幸田露伴)、

等々諸説あるが、単純に、

弱い、

と見るのはいかがなものか。ただ、歴史的仮名遣いは、

ひは、

ではなく、

ひわ、

だとする説がある(日本語源大辞典)。だとすると、語源は、全く解釈が変わってくる可能性がある。

また、

鶸、

の字は、「漢字」由来ではなく、後述の漢字「鶸」の意味との乖離からみると、

和製漢語、

の可能性がある。

なお「ひわ」は、

ひわ色、

の「ひわ」でもあるが、その「ひわ」色は、

ヒワの羽のような黄緑色、

特に、

まひわ、

のそれを指す。

鶸色.jpg

(鶸色 デジタル大辞泉より)

「鶸」(漢音ジャク、呉音ニャク)は、

会意兼形声。「鳥+音符弱(肉や羽が柔らかい)」、

とあり、漢字「鶸」は、

鶏の一種で、大型のもの、

とあり(漢字源)、

とうまる(仝上)、
とうまるの一種(字源)、

とある。

しゃもよりも大、性猛くしてよく闘ふ、

とある(仝上)。「とうまる」は、

鶤鶏、
唐丸、

等々と当てる。

「鶸」 漢字.gif

(「鶸」 https://kakijun.jp/page/EA53200.htmlより)

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2022年11月09日

こがら


春来ても見よかし人の山里にこがら群ゐる梅の立ち枝を(拾遺和歌集)、

にある、

こがら、

は、

小雀、

と当て、

並びゐて友を離れぬこがらめの塒(ねぐら)にたのむ椎の下枝(山家集)、

にある、

こがらめ(小雀目)、

に同じ、

とあり(岩波古語辞典)、

ズメ目シジュウカラ科、

の鳥、

全長12.5cm。シジュウカラより小さく、ヒガラより少し大きいほどの小鳥、

https://www.suntory.co.jp/eco/birds/encyclopedia/detail/1424.html

頭は黒色で、

鍋かむり、

と呼ぶ地方もあり、

背は灰褐色で、頬と喉は白色、喉に小さな黒色の斑、

があり(仝上)、

シジュウカラに似て、

十二雀(じゅうにから)、

ともいう(広辞苑)。ただ、シジュウカラと比べ、

腹面には黒帯がない、

ので、区別できる(日本語源大辞典)。

ツツニーニーニー、

と甘えた感じの声を出し、

さえずりは高い声で、

チーツーチー チーツーチー、

を繰り返しhttps://www.suntory.co.jp/eco/birds/encyclopedia/detail/1424.html

ユーラシア大陸中・北部に分布し、亜高山帯の林に繁殖。冬は他のカラ類の群れに混じる、

とある(仝上)。

コガラ.jpg



シジュウカラ.jpg



ヒガラ.jpg


「から類」は、

ユーラシア大陸中・北部に分布し、亜高山帯の林に繁殖。冬は他のカラ類の群れに混じる、

とある(仝上)。「から類」は、

シジュウカラを始めとする山野の小鳥類の総称、

で、

シジュウカラ科のシジュウカラ、ヤマガラ、ヒガラ、コガラ、

等々をいう。

ゴジュウカラ、エナガ、

を含めることもある。大きさは、

ほぼスズメ大、

で、梢の間を活発に動き回り、

コガラやヒガラなどは山地、

で見られ、

シジュウカラは市街地、

でも見られhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%A9%E9%A1%9E、「から類」は、

様々な種類の野鳥で「混群」を作る習性、

があるhttps://www.nature-engineer.com/entry/2019/03/05/090000とされる。

「こがら」は、

コガラメ(小雀目)の略、カラメはカロムレ(軽群)の約轉で、群れをなして飛ぶ小鳥にいう接尾語、略してカラとのみも云ふ、

とあり(大言海)、

四十からめ、
五十からめ、
山がら、
ひがら、
小がら、

などあり、

つばくらめ、

の、

くらめ、

も、

此の轉ならむか、

としている。「つばめ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/458420611.htmlで触れたように、「つばめ」は、和名類聚抄(931~38年)で、

燕、豆波久良米、

本草和名(ほんぞうわみょう)(918年編纂)で、

燕、玄鳥、都波久良米、

字鏡(平安後期頃)で、

乙鳥、豆波比良古、

と、

つばくら、
つばくろ、
つばくらめ、

などとも呼び、

ツバメの古名はツバクラメ。ツバクラになり、ツバメとなった。ツバクラメは土喰黒女(ツバクラメ)となるが、この呼び名は光沢のある黒い鳥を意味するともいわれている。
「ツバ」「クラ」「メ」の三語よりなっている。
「ツバ」・・・光沢のあること。
「クラ」…黒
「メ」・・・ススメやカモメなど群れる鳥を指す。
姿の黒い照り輝くところからの命名。また、「土」「喰」「黒」・・・ルバメクロ(メ)とも解する、

という説もあり(日本語語源大辞典・語源大事典)、そうなると、「こがらめ」の「め」は、

すずめ、
かもめ、

などの鳥類共通の接尾語ということになる。

その上で、「シジュウカラ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/460260840.htmlで触れた、「シジュウカラ」の「カラ」を見直すと、

シジュウ(多く集まる)+から(鳴く鳥)(日本語源広辞典)
四十カル(軽)の義。多く群れるところから・カルはカルク翻るところから(名言通)、
四十は群がる意という(大言海)、
雀四十を以てこの鳥一羽に代える意という(大言海)、
鳴き声チンチンカラカラの略転(名語記)、
シジウと鳴くカラの意。カラはヤマガラのガラ、ツバクロのクロと同じで、小鳥全体の総称(野鳥雑記=柳田國男)

などと、

鳴く鳥、
あるいは、
群れる鳥、

といった、

小鳥の総称、

らしいということがわかる。

雀は、種スズメではなく、小鳥一般を示す言葉です、

とする考えhttp://yaplog.jp/komawari/archive/619もあるから、そう考えると、「カラ」に、

雀、

と当てた意味が分かる。「コガラ」の、

小雀、

ハシブトガラの、

嘴太雀、

ヤマガラの、

山雀、

ヒガラの、

日雀、

ゴジュウカラの、

五十雀、

の共通項が見える。とすると、

ヤマガラ、
ツバクラメ、

の、

カラ、
クラ、

ともども、

鳥類を表す語、

であり、

「メ」も、

鳥を表す接尾語、

と考えると、

コガラメ、

の「カラメ」と、

ツバクラメ、

の「クラメ」は、重なって来るのではあるまいか(語源由来辞典)。

「雀」 漢字.gif


「雀」(慣音ジャク、漢音シャク、呉音サク)は、「スズメ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/458447405.htmlで触れたように、

会意兼形声文字。もとは、上部が少ではなくて小。「隹(とり)+音符小」で、小さい小鳥のこと、

とあり(漢字源)、

燕雀、

というと、小さい鳥の代表、である(仝上)。

とある。別に、

会意文字です(小+隹)。「小さな点」の象形と「尾の短いずんぐりした小鳥」の象形から、小さい鳥「すずめ」、「すずめ色(赤黒色、茶褐色)」を意味する「雀」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1699.html

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2022年11月10日

遊びをせんとや生まれけむ


佐々木信綱校訂『梁塵秘抄』を読む。

梁塵秘抄.jpg


『梁塵秘抄』のタイトルは、「梁塵」http://ppnetwork.seesaa.net/article/492471821.htmlで触れたように、

梁塵、

とは、文字通り、

建物の梁(はり)の上につもっている塵(ちり)、

の意だが、

虞公韓娥といひけり。こゑよく妙にして、他人のこゑおよばざりけり。きく者めで感じて、涙おさへぬばかりなり。うたひける聲のひびきにうつばりの塵たちて、三日ゐざりければ、うつばりのちりの秘抄とはいふなるべし、

と、

梁塵秘抄、

となづけた所以を書いてある(『梁塵秘抄』巻第一)通り、

舞袖留翔鶴、歌声落梁塵(「懐風藻(751)」)、

と、

梁塵を動かす、
梁(うつばり)の塵を動かす、
梁(うつばり)の塵も落ちる、

という故事を生んだ、

歌う声のすぐれていること、
素晴らしい声で歌うこと、

の意、転じて、

音楽にすぐれている、

の意で使われる(広辞苑)。これは、『文選』(もんぜん 南北朝時代の南朝梁の昭明太子蕭統によって編纂された詩文集)の成公綏「嘯賦」の李善注に引く、劉向の「七略別録」に、

劉向別録曰……漢興以来善雅歌者、魯人虞公、発声清哀、遠動梁塵(文選)、

と、みえる故事に由来する(故事ことわざの辞典)。

本書は、

梁塵秘抄巻一(断簡)、
梁塵秘抄巻二(全巻)、
梁塵秘抄口傳集巻一(断簡)、
梁塵秘抄口傳集巻十(全巻)、
梁塵秘抄口傳集巻十一(全巻)、
梁塵秘抄口傳集巻十二(全巻)、
梁塵秘抄口傳集巻十三(全巻)、
梁塵秘抄口傳集巻十四(全巻)、

が収められているが、

梁塵秘抄巻一(断簡)、
梁塵秘抄巻二(全巻)、
梁塵秘抄口傳集巻一(断簡)、
梁塵秘抄口傳集巻十(全巻)、

のみが、巻十に、

大方詩を作り、和哥をよみ、手をかくともがらは、かきとめつれば、末のよ迄もくつる事なし。こゑのわざの悲しき事は、我身かくれぬる後とどまる事のなき也。其故に、なからむあとに人見よとて、未だ世になき今様の口傳をつくりおく所なり、

と、後白河法皇自身が記している通り、

後白河法皇の御撰、

であり、『梁塵秘抄』はもと、

本編10巻、
口伝集10巻、

だったと見られている。もし揃っていれば、

五千首を数えて『万葉集』にも匹敵する大歌謡集であった、

と推測されている(馬場光子『梁塵秘抄口伝集 全訳注』)。しかし現存するのはわずかな部分のみである。本編は、巻第一の断簡と、巻第二しか知られていないが、歌の数は、

巻第一が21首、
巻第二が545首、

の、あわせて、

566首、

であが(ただし重複があるので、もう少し少ない)。巻第一の最初に、

長唄10首、古柳34首、今様265首、

とあるので、完本であれば巻第一に、

309首、

が収められていたhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%81%E5%A1%B5%E7%A7%98%E6%8A%84ことになる。

また、口伝集の巻第十一以降については謎があり、御撰ではなく、後白河法皇の近辺者によって書かれたものと推測されている。

『梁塵秘抄』というと、

遊びをせんとや生(う)まれけむ、戯(たはぶ)れせんとや生(むま)れけん、遊ぶ子供の聲きけば、我が身さへこそ動(ゆる)がされ、

舞え舞え蝸牛(かたつぶり)、舞はぬものならば、馬(むま)の子や牛の子に蹴(くゑ)させてん、踏破(ふみわら)せてん、真(まこと)に美しく舞うたらば、華の園まで遊ばせん、

といった、

雜八十六首、

に入る歌が有名だが、

広義今様には内容・旋律様式から分類された「部」、

があり、

A 教の流行を反映して経典を歌謡化した法文歌(娑羅林 しゃらりん)をはじめ、これと似た曲節の「只の今様」、 また片下、早歌など、
B 東国をはじめ新たに地方から都に入った祭祀関連歌謡の神歌。中でも足柄十首・黒鳥子・旧河・伊地古は大曲(秘曲)とされた、
C 長歌・旧古柳・権現・御幣・十二所の心の今様・高砂・双六などの様々な旋律様式の「様の歌(物様)」、
D 農耕神事・儀礼を出自とする歌謡(田歌。あるいは臼歌・杵歌なども含まれるか)、

の、四グループに分かれる(馬場光子『梁塵秘抄口伝集 全訳注』)。しかし、今日の我々にとっては、

仏は常にいませども、現(うつつ)ならぬぞあわれなる、人の音せぬ暁に、ほのかに夢に見え給ふ、

四大聲聞(しだいしょうもん)いかばかり、喜(よろこび)身(み)よりも餘るらむ、我等が後生の佛ぞと、たしかに聞きつる今日なれば、

我等は何して老いぬらん、思へばいとこそあはれなれ、、今は西方極楽の、彌陀の誓(ちかひ)を念ずべし、

などといった法文歌よりも、

わが子は二十(はたち)に成りぬらん、博打(ばくち)してこそ歩くなれ、國々の博黨(ばくたう)に、さすが子なれば憎かなし、負(まか)いたまふな、王子の住吉西宮、

媼(をうな)が子供は唯二人、一人の女子(ご)は二位中将殿の厨雜仕(くりやざうし)に召ししかば、奉(たてま)てき、弟(をとと)の男子(をのこ)は、宇佐の大宮司(ぐし)が、早船舟子(ふなこ)に乞ひしかば、奉(また)いてき、神も仏も御覧ぜよ、何に祟りたまふ若宮の御前ぞ、

冠者は妻設(めまうけ)に來んけるは、かまへて二夜(ふたよ)は寝にけるは、三夜(みよ)といふ夜の夜半(よなか)ばかりの暁に、袴取(はかまと)りして逃げけるは、

わが子は十餘に成りぬらん、巫(かうなぎ)してこそ歩くなれ、田子の浦に汐ふむと、いかに海(あま)人集(つど)ふらん、正(まさ)しとて、問いみ問はずみ嬲るらん、いとをしや、

といった、「雑首」にある、庶民の息吹の聞こえる歌が、やはりいいし、

聖(ひじり)の好む物、樹の節(ふし)鹿角(わさづの)鹿(しか)の皮、蓑笠錫杖木欒子(もくれんじ 木槵子)、火打笥(け)岩屋の苔の衣(ころも)、

此の頃京(みやこ)に流行(はや)るもの、肩當(あて)腰當烏帽子止(えぼうしとどめ)、襟の立つかた、錆烏帽子、布打(ぬのうち)の下の袴、四幅(よの)の指貫、

此の頃京(みやこ)にはやるもの、わうたいかみかみゑせかつら、しほゆき近江女(あふみめ)女冠者、長刀(なぎなた)持たぬ尼ぞなき、

遊女(あそび)の好むもの、雜藝鼓(つづみ)小端舟(こはしぶね)、簦(おほがさ)翳(かざし)艫取女(ともとりめ)、男の愛祈る百大夫(ももだゆう、ひゃくだゆう 傀儡師(子)や遊女が信仰する神)、

凄き山伏の好むものは、あぢきないくたかやまかかも、山葵(わさび)こし米(よね)水雫(みづしづく)、澤(さは)には根芹(ねぜり)とか、

聖の好むもの、比良の山をこそ尋(たづ)ぬなれ、弟子遣りて、松茸平茸滑薄(なめすすき)、さては池に宿る蓮(はす)の這根(はいね)、芹根(せりね)蓴菜(ぬなは 蓴菜(じゅんさい))牛蒡(ごんぼう)河骨(かはほね こうほね)うち蕨(わらび)土筆(つくつくし)、

武者(むさ)の好むもの、紺(こむ)よ紅(くれなゐ)山吹濃き蘇芳(すわう)、茜(あかね)寄生樹(ほや)の摺(すり)、良き弓胡簶(やなぐひ)馬(むま)鞍太刀腰刀(こしがたな)、鎧冑(よろひかぶと)に、脇立(わきだて)籠手(こて)具して、

心凄きもの、夜道船道(ふなみち)旅の空、旅の宿、木闇(こぐら)き山寺の経の聲、思ふや仲らひの飽かで退く、

隣の大子(おほいご)のまつる神、頭(かしら)の縮(しじ)け髪、ます髪額髪(ひたひがみ)、指の先なる拙神(てづつがみ)、足の裏なる歩きがみ、

池の澄めばこそ、空なる月影も宿るらめ、沖よりこなみ(前妻)の立て来て打てばこそ、岸も後妻(うはなり)打たんとて崩るらめ、

等々といった、当時の風俗が垣間見える歌がいい。

梁塵秘抄口伝集.jpg

(『梁塵秘抄口伝集』巻十 日本大百科全書より)

参考文献;
佐々木信綱校訂『梁塵秘抄』(岩波文庫)
馬場光子『梁塵秘抄口伝集』(講談社学術文庫)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2022年11月11日

こげら


「こげら」は、

小啄木鳥、

と当てる。

キツツキの一種、

で、

全長約15センチ、

ほど、

日本のキツツキ類中最小でスズメぐらい、

で、

背面は暗褐色で、白い横縞があり、腹面は汚白色で、褐色の縦斑がある。雄は後頭の両側に小さな赤い線状の羽がある、

という特色(日本国語大辞典・広辞苑)だが、その耳羽の上あたりの赤色羽は、

風になびくなどしないと見えないくらい小さい羽、

とあるhttps://www.suntory.co.jp/eco/birds/encyclopedia/detail/1425.html

主に低山にすみ、冬はシジュウカラなどと群れをつくる

という(日本国語大辞典・広辞苑)。

コゲラ.jpg



こげらの雄の後頭部の羽根には赤い斑がある.jpg

(コゲラの雄の後頭部の羽根には赤い斑がある https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%82%B2%E3%83%A9より)

「こげら」の語源は、

キツツキの古名、

と関係する。

「きつつき」は、

啄木鳥、

と当て、

木突き、

がその由来だが、古名は、

テラツツキ、
テラツキ、

で(大言海)、

寺啄(広辞苑)、
啄木(大言海)、

と当て、本草和名(ほんぞうわみょう 918年編纂)は、

天良豆豆岐、

字鏡(平安後期頃)は、

啄木鳥、寺豆支、

とし、室町時代に、

啄木鳥、

と当てる(仝上)、

ケラツツキ、

の称を生じ(tera→keraと転訛か)、

両形が行われたが、江戸時代、

キツツキ、

が生まれ、

三者併用され、近世末に、

キツツキ、

標準形となった(日本語源大辞典)とある。江戸語大辞典には、

キツツキ、

の項に、

テラツツキ、
ケラツツキ、

が併記されている。江戸後期の『物類称呼』(安永四年(1775))には、

てらつつき又けらつつきといふ。江戸にて、きつつきと称す、

とあり、江戸期の『和漢三才図会』に、和名、

牙良豆豆木(ケラツツキ)、

とあり、

舌が長い鳥、

として認識されていて、

舌長、

とも記述されているhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%84%E3%83%84%E3%82%AD%E7%A7%91

タクボク、
キタタキ、

は、

キツツキ(啄木鳥)、

の派生だが、「きつつき」を、

ケラ、

と呼ぶのは、

ケラツツキ、

の略称であろう。ただ、「ケラツツキ」に転訛する前の、

テラツツキ、

の、「テラ」の意味がはっきりしない。

寺啄、

と当てる(広辞苑)が、

テラとは取(トラ)にて、虫を取らむの意、

とある(大言海)ので、

寺、

は当て字のようである。

「ごげら」は、

小啄木鳥、

と当てるように、

ちいさなキツツキ、

の意で、

こけらつつき、

と呼び、

こけら→こげら、

と転訛したと思われる(語源由来辞典)。

アオゲラ、
アカゲラ、
クマゲラ、
ヤマゲラ、

等々の、キツツキの仲間の「ゲラ」も「コゲラ」の「ケラ」「ゲラ」同趣と考えられる。

アオゲラ.jpg



アカゲラ(オス).jpg



クマゲラ(オス).jpg



コゲラ ② (2).jpg

(コゲラ デジタル大辞泉より)

なお、「キツツキ」に当てる、

啄木鳥(タクボクチョウ)、

は漢語である(字源)。

寺つつき 鳥山石燕.jpg

(「寺つつき」(鳥山石燕『今昔画図続百鬼』) 『画図百鬼夜行全画集』より)

また、

テラツツキ、

を、

寺つつき(てらつつき)、

と当て、

啄木鳥のような怪鳥、

とするのは、

物部の大連は仏法を好まず、厩戸皇子(むまやどのわうじ)にほろぼさる。その霊一つの鳥となりて、堂塔伽藍を毀(こぼ)たんと、す。これを名づけて、てらつつきといふとや、

という鳥山石燕である(今昔画図続百鬼)。

四天王寺や法隆寺に現れ、嘴で寺中をつついて破壊しようとしている、

と言われ、

古来の神々を信仰していた物部守屋が、聖徳太子と蘇我馬子に討伐された後、寺つつきという怨霊になって、仏法に障りを成すため、太子の建立した寺を破壊しようとしている、

のだとされる。「源平盛衰記」によると、

聖徳太子は鷹になって寺つつきに対抗したところ、寺つつきは二度と現れなくなった、

というhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BA%E3%81%A4%E3%81%A4%E3%81%8D。寺つつきの正体は、

アカゲラ、

とされる(仝上)。これは、

寺啄、

の「寺」の字からの連想なのではないか、という気もするが、木造建築だけに、啄木鳥の被害が現実にあったということなのかもしれない。

「啄」 漢字.gif

(「啄」 https://kakijun.jp/page/1032200.htmlより)

「啄」(漢音タク・トク、呉音タク・ツク)は、

会意兼形声。豖(タク)は、本来冢の中と同じ豕(シ)とは別字。豚の足をひもでしばってとめた姿で、一か所にじっと止まる意を含む。触(角をじっと一か所に突き当てる)と同系のことば。啄はそれを音符とし、口を添えた字で、くちばしを一か所にじっと突き当ててつつくこと、

とある(漢字源)。別に、

会意兼形声文字です(口+豕)。「口」の象形と「口の突き出ている、いのしし」の象形(「いのしし」の意味だが、ここでは、「こつこつと木をつつく音を表す擬声語」の意味)から、「鳥がくちばしでつつく」を意味する「啄」という漢字が成り立ちました、

と真逆の説もあるhttps://okjiten.jp/kanji2394.html

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
鳥山石燕『画図百鬼夜行全画集』(角川ソフィア文庫)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2022年11月12日

嘯く


負われながら月を詠(なが)めうそぶきて、時替るまで立てり(今昔物語)、

丈は上の垂木近くあるが、吹(うそぶき)をし文を頌(しょう)して廻るなむありける(仝上)、

などとある、

うそぶく、

は、

うそふく、

ともいい、

口笛をふく、

もしくは、

口吟する、

意とある(佐藤謙三校注『今昔物語集』)。あるいは、

花に愛で月にあくがれ、紅葉の秋、雪の夕べ、折にふれ事に寄そへて、歌よみ嘯きて、心を痛ましむ(伽婢子)、

香(か)を尋ねて花に嘯き、南枝向暖北枝寒、一種の春風有両般、といふ古詩を吟じける(仝上)、

などとある、

うそぶく、

は、

詩歌を吟唱する、

あるいは、

吟誦する、

意で使われている。

「うそぶく」は、

ウソ(嘯)フク(吹)の意、

とある(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)が、

ウソは、淫空(ウキソラ)の略にもあるか(引剥(ひきはぎ)、ひはぎ。そらしらぬ、そしらぬ)、虚空(コクウ)の事なるべし、ウソムクといふは、音轉なり(かたぶく、かたむく)、

とあり、

弟(おとのみこと)浜(うみべた)にましまして嘯(ウソフキ)たまふ。時に迅風(はやち)忽に起る(神代紀)

と、

虚空に向ひて、息を吹き出す(大言海)、
口をすぼめて息を強く吐き、また、音を立てる。ふうふうと息を吐き出す(精選版日本国語大辞典)、

意であり、

うそむく、
うそぶ、
うそむ、

と同じとある。「うそむく」は、

「うそぶく」の子音交替形、

だが、「うそぶく」「うそむく」は、文献的には、

うそぶ、
うそむ、

より遅れて出現するとされ、

「ぶ」から「む」への変化時期については平安中期以降である、

と言われる。中世、近世を通して使用されたが、近世の仮名遣い書に見られるように、当時、「うそふく」と書いて「うそむく」と読むということもあったらしい(精選版日本国語大辞典)、とある。

どうやら、「うそぶく」の原意は、

口をすぼめて粋を吹き出す、

であり(岩波古語辞典)、当然、

音が出る、

ので、

口笛を吹く、

につながる(大言海)。

「嘯」 漢字.gif


その漢字「嘯」(ショウ)は、

会意兼形声。「口+音符肅(ショウ ほそい、すぼむ)」、

とあり、

口をすぼめてながく声を引く、
口をすぼめて口笛を吹く、

という意(漢字源)や、

聲を長く引きて詩を歌ふ(字源)、

意で、

嘯詠気頗雄、攀躋(はんせい)力或弱(馬祖常詩)、

と、

嘯詠(ショウエイ うそぶき歌ふ)、

とか、

嘯歌傷懐、念彼碩人(小雅)、

と、

嘯歌(ショウカ 詩歌をうたふ)、

と使い(字源)、また、

虎嘯、

と、

烈しく声を出してうなる、

意でも使う(仝上)が、わが国でも、その影響で、

虎風に嘯く、

と訓ませ、

吼える、

意でも使う。その意味では、漢字「嘯」の意味の範囲で使っていたことが分かる。ただ、

「うそぶく」の「うそ」も、

嘯、
嘘、
啌、

と当て、本来は、

今は目をふさぎ、うそを吹きて、(蜂に)明き間を刺されじと、あわてて騒ぐほどに(十訓抄)、

と、

口をすぼめて息を出すこと、

で、当然、

口笛は、うその事也(言塵集)、

と、

口笛、

の意に繋がっていく(岩波古語辞典)。

ただ、それが、「うそ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/455830897.htmlで触れたように、

口をすぼめて息を吹き、音を出す→ほえる、なく→うそぶえ(嘯笛 口笛)を吹く→そらとぼける→大きなことを言う、

と、状態表現から価値表現へと転じ、「うそぶく」が、

大きなことを言う→ソラゴトを言う、

と、価値表現の意味が、大きなことから、空事、虚言、へと転じたために、「うそぶく」も、

舟のかぢとりたる男ども、舟を待つ人の数も知らぬに心おごりしたる気色にて、……とみに舟も寄せず、うそふいて見まはし(更級日記)、

と、

てれかくしにそらとぼける。また、開き直ったり得意になったりして相手を無視するような態度をとる、

という、

そらうそぶく、

意や、

天下無双と嘯く、

といったような、

強がりをいう。大きなことをいう、

で使うに至ったと思える。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
簡野道明『字源』(角川書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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ラベル:嘯く うそぶく
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2022年11月13日

響(どよ)む


大きに怒れる眼(まなこ)の光、雷光(いなびかり)の如くひらめき、口より火を吐きて立ち休らひ、力足踏みて響(どよ)みける(伽婢子)、

にある、

力足踏みて響みける、

は、

地団駄を踏んで地鳴りをさせる、

意とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。「力足」(ちからあし)は、

二人が踏(ふみ)ける力足に、山の片岸崩れて足もたまらざりければ(太平記)、

と、

力を入れた足、

また、

足に力をこめること、

の意と、

どっさりと位さだめの力足(雑俳・神酒の口)、

と、

相撲の四股(しこ)、

の意とあるので、

地団駄を踏む、

は、意訳になる。

「どよむ」は、色葉字類抄(平安末期)に、

動、とよむ、

とあり、平安時代ごろまでは、

とよむ、

と清音で、

「どよむ」に変わったのは、平安中期以後

とされ(日本語源大辞典)、

響む、
動む、
響動む、

等々と当てる(広辞苑・岩波古語辞典・日本語源大辞典・大言海)。

「とよむ」の「とよ」は、

擬声語(広辞苑)、
擬音語(岩波古語辞典)、

の、

動詞化、

とあり(広辞苑)、古くは、

雷神(なるかみ)の少しとよみて降らずとも我はとまらむ妹しとどめば(万葉集)、

と、

鳴り響く、響き渡る、

意や、

さ野つ鳥雉(きぎし)は登与牟(トヨム)(古事記・歌謡)、

と、

鳥獣の鳴き声が鳴り響く、

意のように、

人の聲よりはむしろ、鳥や獣の声や、波や地震の鳴動など自然現象が中心であったのに対して、濁音化してからは、主として人の声の騒がしく鳴り響くのに用いられるようになった、

とある(日本語源大辞典)。この「どよ」「とよ」は、

どよめく、
とよもす、

とつながる、

擬音(声)語、

である(仝上)。

「響」 漢字.gif

(「響」 https://kakijun.jp/page/2014200.htmlより)


「響」 漢字.gif


「響」(漢音キョウ、呉音コウ)は、

会意兼形声。卿(郷 ケイ)は「人の向き合った姿+皀(ごちそう)」で、向き合って会食するさま。饗(キョウ)の原字。郷は「邑(むらざと)+音符卿の略体」の会意兼形声文字で、向き合ったむらざと、視線や方向が空間をとおって先方に伝わる意を含む。響は「音+音符卿」で、音が空気に乗って向こうに伝わること、

とある(漢字源)が、

「郷(鄕)」は「邑」+音符「卿」の会意形声文字で、「邑(むらざと)」で「卿」は向かい合って会食する様を示す。向かい合って音が「ひびく」様、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%9F%BF

会意兼形声文字です(郷(鄕)+音)。「ごちそうを真ん中にして二人が向き合う」象形(「向き合う」の意味)と「取っ手のある刃物の象形と口に縦線を加えた文字」(「音(おと)」の意味)から、向き合う音、すなわち、「ひびき」、「ひびく」を意味する「響」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1325.html

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

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2022年11月14日

鳩の杖


八旬ばかりの老僧眉に八字の霜を垂れ、鳩の杖にすがり、水精(すいしょう)の数珠つまぐり、加賀守が家の戸を叩き給ふ(伽婢子)、

にある、

鳩の杖、

は、

八十歳以上の老人に高齢を祝して贈る杖。枝の握りに鳩の形がついている、

とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。

鳩の杖.bmp

(鳩の杖 精選版日本国語大辞典より)

ハトは食物をとるときにむせないということにあやかった、

ものという(広辞苑・大辞泉・岩波古語辞典他)。

80歳以上の功臣に宮中から下賜された、

ので、

宮中杖、
はとづえ、
鳩杖(きゅうじょう)

ともいう。中国由来のものである。

中秋之月、皆案戸比民、年齢七十者、授之以玉杖、餔之糜粥、八十、九十、禮有加賜、玉杖長尺、端以鳩鳥為飾、鳩者不噎(ムセ)之鳥也、欲老人不噎(後漢書・禮儀志)、

とあり、

老人は痰に咽びやすし、故にこれを以て呪すとむ云ふ、

とする(大言海)。

撞木杖の上の端に、鳩の形を作りて、つけたるもの、古来、宮廷より老人に慰労として賜りし杖、

である(仝上)。後漢末の『風俗通義(風俗通)』に、

俗説、高祖與項王戦、敗於京索、遁叢薄中、羽追求之、時鳩止鳴其上、追者以鳥在無人、遂得脱、及即位、異此鳥、故作鳩杖、以賜老者、

ともあるが、確かに俗説のようだ。

玉杖九尺。頭に鳩を飾る、

とあり(字通)、

京師に宴し、老を含元殿に侍す。九十以上に几杖を、八十以上に鳩杖を賜ふ。婦人にも亦た之(かく)の如くし、其の家に賜ふ、

ともある(唐書・玄宗紀)。これは、

鳩はむせない鳥とされ、老人がむせないようにとの意から鳩の飾りのあるはし(箸)を下賜された、

という故事による(世界大百科事典)らしい。

奈良時代には、日本では、

霊壽杖、

と呼ばれ、のちに、

80歳以上の功臣に宮中から下賜された、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A9%E6%9D%96。中国に倣ったのである。

中国戦国時代の鳩杖.jpg

(中国戦国時代の鳩杖 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A9%E6%9D%96より)

『藤原俊成卿九十賀記』建仁3年11月23日条に、

置鳩杖、以銀作之、件杖竹形也、其上居鳩也、有一枝二葉、件葉書和歌、

とある。和歌は壽算を祝う意である(仝上)とある。

なお、「撞木杖」については、「かせぎ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/488581882.htmlで触れた。

「鳩」 漢字.gif



「鳩」 説文解字・漢.png

(「鳩」 説文解字・漢 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%B3%A9より)

「鳩」(漢音キュウ、呉音ク)は、

形声、「鳥+音符九」。ひと所にあつまって群れをなす鳥。ひきしめ集める意を含む、

とある(漢字源)が、

会意兼形声文字です(九+鳥)。「屈曲(折れ曲がって)して尽きる」象形(数の尽き極(きわ)まった「九(きゅう)」の意味だが、ここでは「はとの鳴き声(クウクウ)の擬声語」)と「鳥」の象形から「はと」を意味する「鳩」という漢字が成り立ちました、

とする説もあるhttps://okjiten.jp/kanji2800.html

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
簡野道明『字源』(角川書店)

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2022年11月15日

はと


「はと」は、

鳩、
鴿、

と当てる(広辞苑)。「鳩」は、

きじばと、

「鴿」は、

家鳩(いへばと)、

とある(字源)。字鏡(平安後期頃)には、

鴀、乳鳩、鳲鳩也、伊倍波止、
鴿、也萬波止、

とあるが、和名類聚抄(平安中期)には、

鳩、夜萬八止、
鴿、以倍八止、

ので、我が国で厳密に「鴿」と「鳩」を使い分けていたわけではないようだ。

カワラバト.jpg


家鳩は、

ドバト、

と称されるが、

カワラバトを改良したもので、室町時代から、

たうばと(塔鳩)、

安土桃山時代には、

だうばと(堂鳩)、

が使われ、

ドバト(土鳩)、

が登場するのは江戸時代である。ただ、日本語の

カワラバト・家鳩・塔鳩・堂鳩・土鳩・ドバト、

の間の線引きは曖昧とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AF%E3%83%A9%E3%83%90%E3%83%88

「はと」の語源は、

羽音を以て呼ぶか、はたはたとの略(大言海・本朝辞源=宇田甘冥・日本語源=賀茂百樹)、
ハ(羽)+ト(音)、飛び立つときの羽音に特徴があるので(日本語源広辞典)、
ハタタク(羽叩)の義(名言通)、

と、羽音説か、

速鳥の義(釋日本紀)、ハト(羽迅)の義、その羽の迅速なことから(和訓栞)、

と、速さ説、あるいは、

鳴き声ハツウハツウから(松屋筆記)、
ハトッポーポーの義(日本語原学=林甕臣)、
鳴き声から(音幻論=幸田露伴)、
ポーポーと鳴くところから、ボァー鳥の意か(国語溯原=大矢徹)、

と、鳴き声説もある。

天だむ 軽の乙女 甚泣かば 人知りぬべし 波佐の山 波斗(鳩)の下泣きに泣く(古事記)、

とあるように、古くから「波斗」と呼ばれただけに、限定は難しそうである。

なお、「鳩」にまつわる諺も多い(日本国語大辞典)。

●鳩に三枝(さんし)の礼(れい)あり 子鳩は親鳩のとまっている枝より三枝下にとまって礼譲を守るということ。礼儀を重んずべきことのたとえにいう。「烏に反哺(はんぽ)の孝あり」の対。
●鳩の飼(か)い 口先で人をたぶらかして世渡りをする人。詐欺師やいかさま師などにいう。もと、山伏や占者のような恰好をして家々を回り、熊野の新宮・本宮の事を語っては、鳩の飼料と称して金をだまし取ったところからという。
●鳩の杖http://ppnetwork.seesaa.net/article/493484722.html?1668369493 頭部に鳩の形を刻みつけた架杖(かせづえ)。
●鳩を憎み豆を作らぬ 畑に豆をまけば鳩がそれをついばむので、それを憎んで豆を作らない意から、わずかな事にこだわって必要なことまでもしないために、自分にも世間にも損害を招くことのたとえにいう、

「鴿」 漢字.gif

(「鴿」 https://kakijun.jp/page/E9F9200.htmlより)


「鴿」 説文解字・漢.png

(「鴿」 説文解字・漢 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%B4%BFより)

「鴿」(コウ)は、

形声。「鳥+音符合」。こっこっという鳴き声をまねた擬声語、

とある(漢字源)。

漢字「鳩」については、「鳩の杖」http://ppnetwork.seesaa.net/article/493484722.html?1668369493で触れた。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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ラベル:はと 鴿
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2022年11月16日

餞(はなむけ)


此の者を只返しては詮なし。餞(はなむけ)すべし(伽婢子)、

にある、

餞(はなむけ)、

は、

別れに際して贈る贈り物、

とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。

「はなむけ」は、

贐、

とも当て、

「馬の鼻向け」の意、

とあり(広辞苑・大言海・日本国語大辞典・大辞泉・大辞林・岩波古語辞典)、

旅立つ人の馬の鼻を行くべき方へ向けて見送った習慣による、

とある(広辞苑)。「鼻向け」は、

その方に鼻を向けること。匂いを嗅ぐために、その方向に鼻を向けること、

とあり(広辞苑・日本国語大辞典)、

鼻向けもならぬ、

は、「匂いを嗅ぐ」意から、

臭くてたまらないさま、

にいい、転じて、

見るにたえない、

意となり、

鼻持ちならぬ、

と同義で使われる(仝上)。

馬の鼻を立て直す、

と言い方もあり、

馬の鼻先をもと来た方へ向け変える、

意となる(日本国語大辞典)。

「馬のはなむけ」は、

旅に出る人を送る時馬の鼻を行き先に向けたことからという、

とあり(岩波古語辞典)、

八木のやすのりといふ人あり。この人、国に必ずしも言ひ使ふ者にもあらざなり。これぞ、たたはしきやうにて、馬のはなむけしたる(土佐日記)
講師(かうじ)うまのはなむけしにいでませり(仝上)、

と、

旅立や門出を祝って金品や詩歌などを贈ったり、送別の宴を開いて見送ったりすること。また、その金品・詩歌・宴など、

の意で使う(日本国語大辞典・岩波古語辞典)。字鏡(平安後期頃)に、

餞、馬乃波奈牟介、

とあり、室町時代の意義分類体の辞書『下學集』には、

餞別、ハナムケ、

易林節用集(1597)には、

餞、ハナムケ、

となっている。本来、

旅立つ人を送り、其の馬の鼻へ向けて物を贈る、

ことから、転じて、

旅行く人に送る凡ての品物、又は、詩歌、

を指すようになっていく(大言海)流れが分かる。現代では、

はなむけの言葉、

というように、旅立ちや門出の「挨拶」を意味することが多い(語源由来辞典)ともある。

本来は、「馬のはなむけ」は、文字通り、

行くべき方向へ馬の鼻をむけてやる意(安斎随筆・俚言集覧)、
馬の鼻の向かう方の意(和句解)、

と、「馬の鼻を行き先へ向ける」意とする説と、

馬の鼻に向かって餞別する意(和句解・日本語源=賀茂百樹・大言海)、

と、「馬の鼻に餞別する」意とする説とに分かれるが、常識的には前者なのだろう。

「餞」  漢字.gif


「餞」(漢音セン、呉音ゼン)は、

会意兼形声。「食+音符戔(小さい)」で、こじんまりした酒食の宴のこと、

とあり(漢字源)、「餞」は、

旅立つ人を送って郊外までいき、そこで小さな宴会をし、酒食を共にして別れる、小規模なわかれの宴をもうけること、

とある(仝上)。

「贐」 漢字.gif


「贐」(漢音シン、呉音ジン)は、

会意兼形声。「貝+音符盡(シン 出し尽す)」、

とあり(仝上)、「旅立つ人に贈る品物、送別の気持を尽くす餞別」の意とある。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

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2022年11月17日

景公の夢


『左伝』には景公の夢、鄭の大夫伯有(はくゆう)が事、皆鬼神を伝へり(伽婢子)、

にある、

景公の夢、

とは、

景公が病気になると、夢の中に鬼が二人の小人になって会話したという、

という注記がある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。これだと何のことだかわかりにくいが、所謂、

病膏肓に入る、

の逸話である。なお、「伯有」についても、

春秋時代の人。貪欲な大夫だったが、殺されてから幽霊になって敵を討った、

とある(仝上)。

『左伝』には、

晋景公疾病。求医于秦(晋の景(けい)公疾病なり。医を秦に求む)
秦伯使医緩為之。未至、公夢(秦伯医の緩(かん)をして之を為(おさ)めしむ。未至に、公の夢に)、
疾為竪子曰、彼良医也。懼傷我。焉逃之(疾(やまい)竪子(じゅし 「豎」は子ども)と為りて、曰く、彼は良医なり。我を傷つけんことを懼る。焉(いづくか)に之を逃がれん)、
其一曰、居肓之上、膏之下、若我何(其一曰く、盲(こう)の上、膏下に居らば、我を若何(いかんせん))、
医至曰、疾不可為也。在肓之上、膏之下、攻之不可(医至りて曰く、疾(やまい)為(おさ)むべからざるなり。盲(こう)の上、膏(こう)の下に在あり、之を攻るは不可なり)、
達之不及、薬不至焉。不可為也(之に達せんとするも及ばずず、薬至らず。為(おさ)むべからざるなり)、
公曰、良医也、厚為之礼而帰之(公曰く、良医いなり。厚く之が礼を為して之を帰らしむ)、

とあるhttps://frkoten.jp/2016/03/03/post-1044/

病入膏肓(病膏肓に入る)、

は、

ここからきている。

居肓之上、膏之下、

とある、「膏」は、

心臓の下の微脂部分、

「肓」は、

膈(かく)の上の薄膜部分、

とされる(精選版日本国語大辞典・大辞林)。本来は、「膏肓」は、

こうこう、

と訓むが、誤って、

こうもう、

と訓まれている。また、

疾為竪子、

とあるところから、

二豎(にじゅ)、
二豎に侵される、
二豎子、

ともいう(広辞苑)。

この由来から、「病膏肓に入る」は、

不治の病にかかる、

また、

病気が重くなってなおる見込みが立たないようになる、

意で使うが、転じて、

悪癖や弊害などが手のつけられないほどになる、

また、

物事に熱中してどうしようもないほどの状態になる、

意でも使う(広辞苑)。

ただ、「二豎」(にじゅ)は、

病魔、

の意、転じて、

病気、疾病、

の意で使うが、悪癖に転じた使い方はない。

なお、晋の景公については、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%AF%E5%85%AC_%28%E6%99%8B%29に詳しい。

「膏」 漢字.gif


「膏」(コウ)は、

形声。「肉+音符高」、

とのみある(漢字源)が、「あぶらの乗った肉」の意である。別に、

形声。肉と、音符高(カウ)とから成る。「あぶら」の意を表す、

とも(角川新字源)、

会意兼形声文字です(高+月(肉))。「高大な門の上の高い建物」の象形(「高い」の意味)と「切った肉」の象形(「肉」の意味)から高く大きい肉「こえる」を意味する「膏」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji2674.html

「肓」 漢字.gif

(「肓」 https://kakijun.jp/page/E3E9200.htmlより)

「肓」(コウ)は、

会意兼形声。「肉+音符亡(見えない)」で、心臓の下、横隔膜の上にあって深く隠れて見えない所をいう。膜(マク)の語尾の転じたことば、

とある(漢字源)。

参考文献;
尚学図書編『故事ことわざの辞典』(小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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2022年11月18日

九尾の狐


汝知らずや。九尾誅せられて千載にも許し無き事を。誰か汝が妖媚を厭ひ憎まざらん(伽婢子)、

にある、

九尾、

とは、

九尾の狐の故事、天竺では班足(はんそく)太子の塚の神、唐土では周の幽王の后褒姒(ほうじ)、また殷の紂王の妲己(だっき)、日本に渡来して鳥羽院の寵姫玉藻前(たまものまえ)となって、院を悩ました妖狐は九つの尾をもっていたという伝説。那須野で射殺されて殺生石となったとする、

とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。

九尾狐(『山海経』より).jpg

(九尾狐(『山海経』) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E5%B0%BE%E3%81%AE%E7%8B%90より)

「九尾の狐」は、

九尾の狐(きゅうびのきつね)、

または、

九尾狐(きゅうびこ)、
九尾狐狸(きゅうびこり)、

と呼ばれる、中国に伝わる伝説上の、

9本の尾をもつキツネの霊獣、

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E5%B0%BE%E3%81%AE%E7%8B%90、中国の各王朝の史書では、九尾の狐はその姿が確認されることが、泰平の世や明君のいる代を示す、

瑞獣、

とされ、『周書』や『太平広記』など一部の伝承では天界より遣わされた、

神獣、

とされる(世界大百科事典)。伝説時代から戦国時代の魏の襄王に至るまでを著述した、史記と並ぶ中国の編年体の歴史書『竹書紀年』(ちくしょきねん)には、

夏(か)の伯杼子が東征して〈狐の九尾なる〉を得た、

とあり(仝上)、戦国時代から秦朝・漢代にかけて徐々に付加執筆されて成立した『山海経』「大荒東経」には、

有青丘之國、有狐而九尾、

とあり、

東方の霊獣、

と考えたらしい。西晋・東晋の文学者・卜者、郭璞は、

太平則出而為瑞也、

と言っている。また、後漢の『白虎通(白虎通義)』(班固・編集)にも、

徳至鳥獣、則九尾狐見、九者子孫繁息也、於尾者後當盛也、

とあり、後漢初期の『呉越春秋』(趙曄)には、

禹(う)は九尾狐を見て塗山氏の娘をめとった、

とあるように、こうした祥瑞の観念の背後には、

婚姻と子孫の多産などの生命力に関する信仰があった、

と考えられる(仝上)。九尾を瑞祥とする考えは、我が国の、「延喜治部省式」祥瑞上瑞に、

九尾狐、神獣也、其形、赤色、或白色、音如嬰児、

とあり、やはり同じ考え方が伝来したものと見ていい。

これが後世、

元の時代の『武王伐紂平話』や明の時代の『春秋列国志伝』などで、殷王朝を傾けたとされる美女・妲己の正体が九尾の狐(九尾狐、九尾狐狸)であるとされている

などhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E5%B0%BE%E3%81%AE%E7%8B%90、九尾狐は、

千年修行すると尾が一本増え、一万年修行をすると黒かった毛が白くなる、

などと妖獣とされていくことになる。

日本でも、上述のように、『延喜式』の治部省式祥瑞に、

神獣なり、その形赤色、或いはいわく白色、音嬰児の如し、

と同様の受け止め方であったものが、中国志怪小説の影響で、

邪悪な妖怪、

とされ、玉藻前の正体が狐であるとされることになる。室町時代の意義分類体の辞書『下學集』では、

狐、多疑之獣也、古之淫婦也、其名紫紫(しし)、化為狐也、

とあり、

支那の小説に、九尾狐、化して妲己となり、殷の紂王を蠱惑せしことを云へり、

とある(大言海)。「紫紫」は、

狐の別名、中国で紫という昔の淫婦が化して狐になったという、

とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。日本の「九尾狐」つまり、玉藻前は、

陰陽師の安倍泰成に見破られて東国に逃れ、上総介広常と三浦介義純が狐を追いつめ退治すると狐は石に姿を変えた、

という伝説がある。その石は毒を発して人々や生き物の命を奪い続けたため、

殺生石、

と呼ばれるが、玄翁和尚によって打ち砕かれたhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%89%E8%97%BB%E5%89%8Dとされる

玉藻前(鳥山石燕著『今昔画図続百鬼』).jpg

(玉藻前(鳥山石燕著『今昔画図続百鬼』) その姿の後ろには狐の尾が見える 『画図百鬼夜行全画集』より)

参考文献;
鳥山石燕『画図百鬼夜行全画集』(角川ソフィア文庫)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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2022年11月19日

せこめる


勝れて慳貪なる者にて、恒に婦(よめ)をせこめること限りなし(片仮名本・因果物語)、

にある、

せこめる、

は、

いじめる、

意とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。

せごめる、

ともいい、

近世語、

とある(大辞林)。

いつかに高名したきとて、科なき女をせこむること、兄ながらも広綱は侍には似合ず(浄瑠璃「佐々木先陣(1686)」)、

と、

苦しめる、
いじめる、
責める、

意だ(江戸語大辞典)が、もう少しきつく、

虐待する、
ひどい目にあわせる、

という含意に近い気がする(精選版日本国語大辞典)。勝手な憶説だが、

責め+込める、

ではあるまいか。

semekomeru→se[me]komeru→sekomeru、

といった縮約なのではあるまいか。「込む」は、

籠む、

とも当て、

混む、

とも当てるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E3%81%93%E3%82%80

平安仮名文では複合動詞の中で使われることが多い、

とある(岩波古語辞典)が、複合動詞としての「込む」には、

飛び込む、押しこむ、

のように、

~(場所、領域)に、~(方法・様態)して入る、入れる、

という、

方向性を添加する用法、

と、

考え込む、買い込む、

のように、

すっかり~する、十分~する、

というように、

複合している動詞の状態や動作の程度を深めていく用法、

とがあり、後者の

程度深化、

の用法としては、さらに、

ふさぎこむ、だまりこむ、しょげこむ、弱り込む、話し込む、

などのように、

固着化(動作・作用の結果、ある状態に至ったまま固定化している)、

のタイプと、

ふけこむ、やつれこむ、冷え込む、めかしこむ、だましこむ、

などのように、

濃密化(程度が高まり、状態が亢進していくもの)、

のタイプと、

歌い込む、泳ぎ込む、漬け込む、使い込む、練り込む、

などといった、

累積化(何かの目的のため、人が動作や行為の積み重ねよりその技や対象とするものの質の向上を図る)、

のタイプの三つに分ける説がある(甲斐朋子「複合動詞『〜こむ』の程度深化の用法」)らしい。この場合、

責め込む、

は、「込む」の付加によって、

責め苛む、

と、単に「責める」のではなく、それを倍化される含意が強まる。「責める」よりも強める発話の意とがある、と考えていい。

「込」 漢字.gif

(「込」 https://kakijun.jp/page/0566200.htmlより)

「込」は、

国字である。

会意。「辵」(すすむ)+「入」、進んで中にはいること、

https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%BE%BC

混雑する、

意では、

混む、

を当てる。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
甲斐朋子「複合動詞『〜こむ』の程度深化の用法」https://www.apu.ac.jp/rcaps/uploads/fckeditor/publications/polyglossia/Polyglossia_V2_Kai.pdf

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ラベル:せこめる
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2022年11月20日

責む


「責む」は、口語でいえば、

責める、

である。「せむ」は、

責む、
迫む、
攻む、

と当てる(岩波古語辞典)。

セシ・セバシ(狭)と同根、

とある(仝上)。たとえば、

攻める、

は、

迫むの転、

とあり(広辞苑)、

責める、

は、

攻めると同根、

とある(仝上)。「せし」は、

狭し、

と当て、

御勢まさりて斯かる御住ひも所せしければ(源氏物語)、

と、

ゆとりがない、
窮屈である、

意であり、「せばし」は、

狭し、
陝し、

と当て、

セシ(狭し)・セム(攻む)と同根、

で、

三蔵の中の修多羅(経)は竪(たたさま)には長く横さまにはせばし(法華義疏)、

と、

(窮屈に感じるほどに)面積や幅が小さい、せまい、

意で使う(岩波古語辞典)。

迫む、
逼む、

と当てる「せむ」由来かと思われるが、

狭(セ)を活用す、

とあり(大言海)、

せまる、
せばまる、

意で、

責む、

は、

迫むの他動、狭(セバ)むる、

意で、

迫りて、苦しめる、

意とある(仝上)。その延長線上に、

攻む、

が来ることになる。

物理的に距離を狭める

(相手との距離を詰める、はげしく迫る)

心理的に距離を狭める、

(追い詰める、窮地に追い込む)

といった、「距離」をメタファに転じて意味の外延を広げていった感じである。

「責」 漢字.gif


「責」(慣用セキ、漢音サク、呉音シャク)は、

会意兼形声。朿(シ 束(ソク)ではない)は、先のとがったとげや針を描いた象形文字で、刺(シ さす)の原字。責は「貝(財貨)+音符朿」で、貸借について、とげでさすように、せめさいなむこと。債の原字、

とある(漢字源)。

負債が、だんだんと重なることから「つむ」の意が生じた、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%B2%AC

人から金銭をむしり取る、ひいて「せめる」「せめ」の意を表す、

ともある(角川新字源)。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

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コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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