2022年11月21日

いぶせし


永春も、少しいぶせく思ひ、何かと陳じけれども、女房聞きもいれず(片仮名本・因果物語)、

にある、

いぶせく思ひ、

は、

気づまりに思い、

とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。「いぶせく」は、形容詞「いぶせし」のク活用の、

未然形 いぶせ・(く){ズ}
      いぶせ・から
連用形 いぶせ・く{ナル/ケリ}
      いぶせ・かり
終止形 いぶせ・し{。}
連体形 いぶせ・き{トキ}
      いぶせ・かる
已然形 いぶせ・けれ{ドモ・バ}
命令形 いぶせ・かれ{。}

と活用する「いぶせし」の連用形になる(広辞苑)。日葡辞書(1603~04)には、

いぶせい、

とあり、

中世、近世には口語形「いぶせい」も見られる、

とある(精選版日本国語大辞典)。「いぶせし」は、

鬱悒し、

と当て、

セシは狭しの意、憂鬱な気持ちの晴らしどころがなく、胸のふさがる思いである、

意とあるが(岩波古語辞典)、

「何らかの障害があって、対象の様子が不分明なところから来る不安感・不快感」を示すのが原義、

と見られる(精選版日本国語大辞典)ともある。だから、

たらちねの母がかふ蚕(こ)の眉(まよ)ごもり馬声蜂音石花蜘蟵(いぶせくも)あるか妹にあはずして(万葉集)、

と、

心がはればれとしないで、うっとうしい、
気がふさぐ、
気づまりだ、

という意味になる。そこから、

いかで、いとにはかなりける事にかはとのみ、いぶせければ(源氏物語)、

と、

気がかりでおぼつかない、
心にかかる、
気にかかる、

と少し気がかりの焦点が合い、さらに、

いぶせくなどはあらで、いとらうらうじく恥づかしげなる気色も添ひて(源氏物語)、

と、

(対象となる人や事物が)いとわしくていやだ、
不快だ、
不愉快だ、

と、状態表現から、明らかな価値表現へと転じ、

是を見かける万人、まことに目覚ましくいぶせきこと限りなし(室町殿日記)、

と、

(胸が苦しくなるほど)怖ろしい、
気味がわるい。
恐ろしく、危険にみえる、

と、感情表現が極まる(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。

これが中世になると、「いぶかし」と混用して、

さやうの人のいかなる事にてか(越後へ)出で給ふらめと、いぶせくはべりしかば(選集抄)、

と、

気がかりである、
不審である、

意で使うに至り、

いぶせき事も忘られて、あさましげなるかたはうどにまじはって(平家物語)、

と、

きたならしい、
むさくるしい、
貧しく、みすぼらしい、

意で使い、また、

気味がわるい、
恐ろしい、

の意に用いられるが、現在では方言として残存するのみである(精選版日本国語大辞典)とある。因みに、

いぶせし、

と、

いぶかし、

の違いは、

「いぶせし」は、どうしようもなくて気が晴れない。「いぶかし」はようすがわからないので明らかにしたいという気持ちが強い、

とある(学研全訳古語辞典)。

なお、「いぶせし」の由来は、

鬱悒狭(いぶせ)し、

とある(大言海)ように、「せし」は、

狭し、

のようだが、「イブ」については、

動詞イブス(燻)と同根か(角川古語大辞典)、
イブカル・イブカシのイブ、オホ(オボ)ロカのオボと同源(古代日本語文法の成立の研究=山口佳紀)、

などとあるがはっきりしない。

「鬱」 漢字.gif

(「鬱」 https://kakijun.jp/page/utsu200.htmlより)


「鬱」 甲骨文字・殷.png

(「鬱」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%AC%B1より)

「鬱」 金文・西周.png

(「鬱」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%AC%B1より)

「鬱」(漢音ウツ、呉音ウチ)は、字源について説が分かれていて、一つは、

甲骨文字・金文は「林」+「勹」(かがんだ人)+「大」(立った人)、人が生い茂った草木の中に隠れる様子を象る。「茂る」を意味する漢語{鬱 /*ʔut/}を表す字。「爵」の略体を加えて「鬱」となる、

とするもの、いまひとつは、

会意形声。「林」+音符「𩰪」(ウツ:「臼」+「缶」+「鬯」+「冖+「彡」)。音符の文字は、瓶にこもらせ酒に香草でにおいをつけることを意味する会意文字。木に囲まれ、ふさがった様子、

とするものとがあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%AC%B1、とする。漢字源は、

会意兼形声。鬱の原字は、「臼(両手)+缶(かめ)+鬯(香草で匂いを付けた酒)」の会意文字で、かめにとじこめて酒ににおいをつける草。鬱はその略体を音符とし、林を添えた字で、木々が一定の場所にとじこめられて、こんもりと茂ることをあらわす。中に香りや空気がこもる意を含む、

とするが、

この記述は甲骨文字や金文などの資料と一致していない記述が含まれていたり根拠のない憶測に基づいていたりするためコンセンサスを得られていない、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%AC%B1。別に、

会意兼形声文字です。「大地を覆う木の象形と酒などの飲み物を入れる腹部の膨らんだふたつき土器の象形」(「柱と柱の間にある器」の意味)と「穀物の粒と容器の象形とさじの象形と長く流れる豊かでつややかな髪の象形」(「におい草」の意味)から、「立ち込めるよい香り」、「(よい香りが)ふさがる」
を意味する「鬱」という漢字が成り立ちました、

とあるのもhttps://okjiten.jp/kanji2081.html、漢字源と同趣旨である。「鬱蒼」「憂鬱」などと、「こもる」「ふさがる」という意である。

「悒」 漢字.gif


「悒」(漢音ユウ、呉音オウ)は、

会意兼形声。邑(ユウ)とは「口(一定のわく内の場所)+人の服従した姿」からなり、配下の人民が服従している領地のこと。枠の中に押し込めて屈服させる意を含む。「悒」は、「心+音符邑」で、心が狭い枠の中に押し込められて伸びないこと、

とあり(漢字源)、「悒悒」「悁悒(エンユウ)」「悒鬱(ユウウツ)」と「うれえる」「うっとおしい」意である。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

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ラベル:いぶせし 鬱悒し
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2022年11月22日

徧参(へんさん)


其の後、徧参(へんさん)して歩きけるが、蛇守誾(しゅざん)と人々云ふ也(片仮名本・因果物語)、

にある、

徧参、

は、辞書になく、

遍参、

と当て、

あそこへここへ遍参し回って(蓬左文庫本臨済録抄)、

と、

禅僧が諸寺を行脚歴訪して参學する、

意で使うのの、当て字ではあるまいか。

「徧」 漢字.png

(「徧」 https://glyphwiki.org/wiki/u5fa7より)

「遍」(ヘン)は、

会意兼形声。「辶+音符扁(ヘン 平らかにひろがる)」、

で、「あまねく」「まんべんなくひろがる」意であり、「徧」(ヘン)は、あまり辞書に載らないが、やはり「あまねく」の意で、「周」が、

徧也、至也、密也と註す、十分に行き届く義、

に対して、「徧」は、

周と略々同じく、意やや軽し、

とあり、「遍」は、

徧に同じ、

とある(字源)。その意味では、漢字から見て、

徧参、



遍参、

は、同義と考えられる。

ところで、「徧参」との絡みで、同じく、

へんさん、

と訓み、

上半身を覆う法衣。インドの衣に由来し、左前に着る、

という(広辞苑)、

偏衫、
褊衫、

と当て、

へんざん、

とも訓ませる

左肩から右脇にかけて上半身を覆う僧衣、

がある(岩波古語辞典)。

偏衫.gif

(「褊衫」(1 褊衫、2 如法衣(にょほうえ)、3 数珠、4裙(くん 裙子くんず)https://costume.iz2.or.jp/costume/14.htmlより)

北宋初の『僧史略(大宋僧史略 だいそうそうしりゃく)』に、

後魏宮人、見僧自恣偏袒右肩、乃一施肩衣、號曰偏衫、全其両肩両袖、失祇支之體、自魏始也、

とあり、「僧祇支(そうぎし)」については、戦国時代の、『林逸(りんいつ)節用集』に、

此名、覆膊。亦なお、掩腋衣、

と注記している。

saṃkakṣikā の音訳、

で、

袈裟の下に着る腋をおおう長方形の衣。袈裟が汗などでよごれるのを防ぐ。肩にかけ、両端で左右の腋や胸・乳をおおって着る、

とある(精選版日本国語大辞典)。

覆腋衣(ふくえきえ)、
覆肩衣(ふくけんえ)、

ともいう。

インドで成立した袈裟に、さらにその下につける法衣として中国において形成された、

もので、

左肩を覆う僧支(掩腋衣)に右肩に覆肩衣が合一して、襟や袖がつけられたもの、

といわれているhttps://costume.iz2.or.jp/costume/14.html。日本では、仏教伝来当初より用いられ、

色は壊色(えじき)、背は襟下で割れ左前に着ける、

とある(仝上)。これはその成立当時の原形を留めていて、日本の服装として、

左衽(さじん)、

つまり、

衣服の右の衽(おくみ)を、左の衽の上に重ねて着る、

ひだりまえ、
ひだりえり、

のものはこれだけである(仝上)。なお、

下半身には同色の裙(くん)をつけるのが通常で、袈裟は同じく壊色(えじき)の如法衣(にょほうえ)、

で、これは、

中国伝来後吊り紐が附加されているが、この服装がインド古制に近いものと考えられていた。「律」及びこれを含む宗派に用いられ、現在もほぼ同様の形状がうけつがれている、

とあるhttps://costume.iz2.or.jp/costume/14.html

「偏」 漢字.gif

(「偏」 https://kakijun.jp/page/1109200.htmlより)

「偏」(ヘン)は、

会意兼形声。扁は「戸(平らな板)+冊(薄いたんざく)」の会意文字で、薄く平らに伸びたの意を含む。平らに伸びれば行き渡る(遍)、また周辺に行き渡ると、周辺は中央から離れるの意を派生する。偏は「人+音符扁」で、おもに扁の派生義、つまり中央から離れてかたよった意をあらわす、

とある(漢字源)。別に、

形声文字です(人+扁)。「横から見た人」の象形と「片開きの戸の象形と文字をしるしたふだをひもで編んだ象形」(「門戸に書き記した札」の意味だが、ここでは「辺(邊 ヘン)」に通じ(同じ読みを持つ「辺(邊)」と同じ意味を持つようになって)、「中心にない」の意味)から、中正でない人、すなわち、「かたよる」を意味する「偏」という漢字が成り立ちました、

との説もあるhttps://okjiten.jp/kanji2016.html

「褊」 漢字.gif

(「褊」 https://kakijun.jp/page/E5ED200.htmlより)

「褊」(ヘン)は、

会意兼形声。「衣+音符扁(ヘン うすっぺらな)」、

とあり(漢字源)、

形声文字。「衣」と音符「扁」を合わせた字で、衣服がきつく「せまい」という意味、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%A4%8A

「衫」 漢字.gif

(「衫」 https://kakijun.jp/page/E5CC200.htmlより)

「衫」(漢音サン、呉音セン)は、「かざみ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/491822373.htmlで触れたように、

会意兼形声。「衣+音符彡(サン 三。こまごまといくつもある)」、

とあり、「汗衫」(カンサン)の下着、「衫子」(サンシ)と、婦人用のツーピースの上着、「半衣」ともいう、とある(漢字源)。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
簡野道明『字源』(角川書店)

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2022年11月23日

馬口労(ばくろう)


馬口労(ばくろう)を業(わざ)として、世を渡りけり(片仮名・因果物語)、

にある、

馬口労、

は、

博労、
馬喰、

あるいは、

伯楽、

とも当て(岩波古語辞典・デジタル大辞泉)、

馬の売買をする人、

の意であり(高田衛編・校注『江戸怪談集』)、文明本節用集には、

博労、バクラウ、馬商人、

とあるが、必ずしも馬だけではなく、

牛や馬のことに詳しく、またその売買の仲介などを業とする者、また、馬や牛の病気を治したり、調教をしたりする者、転じて、牛馬の売買をすること、また広く物と物とを交易すること、

ともあり(日本語源大辞典)、「ばくろう」は、

伯楽の転、

とある(岩波古語辞典)。「伯楽」(ばくろう)は、

古代中国の馬の鑑定の達人とも、また馬を守護する星の名ともされ、転じて村々を回って農家から牛馬を買い集め、各地の牛馬市などでこれを売りさばく者をさして呼んだ。また、獣医の普及以前、馬の血取りや治療、あるいは牛の治療などを業とした者にも伯楽の字があてられたが、この場合は「はくらく」と呼ばれた。両者とも馬相鑑定の技術にすぐれていることが必要で、もともと両者は兼ね行われたらしく、その分化はきわめて曖昧である、

とある(ブリタニカ国際大百科事典)。日本では、史料上は鎌倉中期から登場し、『北条九代記』の中に、弘安三年(1280)
11月の鎌倉の火災について、

柳厨子より博労坐に至る、

と記されているのが初見で(世界大百科事典)、

牛馬の仲買人の称、

として、

当時から座を形成し、

大馬喰・子方馬喰(地馬喰)・牛追い(牛回し)・旅馬喰、

の4種に分けられ、縄張りを定めて自己の営業区域とし、域内の家畜の売買、交換、斡旋(あっせん)を行う、

とある(マイペディア)。京都では『庭訓往来』に、

室町伯楽、

とあるように五条室町の馬市が有名であり、この馬市で活躍する伯楽は、室町座を形成し、石清水八幡宮駒形神人の支配を受けていた(世界大百科事典)。現在は、家畜商と呼ばれ家畜商法に基づき免許を要する(仝上)とある。

天王寺の牛市.jpg

(天王寺の牛市(『日本山海名物図絵』) https://intojapanwaraku.com/culture/126004/より)

「ばくらう(ばくろう)」の由来は、

伯楽の転、

ということになるが、

唐の韓愈の書いた「雑説」に、「世に伯楽ありて、然る後に千里の馬あり」の文があり、ハクラク(伯楽)は馬の鑑定人の名であった。
わが国では、牛馬を売買する商人のことを伯楽といった。〈長五郎宗政、伯楽の事を奉行すべき旨、仰せ付けらる〉(東鑑)。東北地方では「獣医」のことをハクラクといっている。
語尾の「ク」のウ音便でハクラウ・バクラウ(馬喰・博労)に転音した。〈身どもは牛の善悪を存ぜぬ。ここに身どもの存じたバクラウがござる〉(狂言・横座)。さらに転音して、バクロウ・バクロ・ハゲクラといい、牛馬の売買・周旋人のことをいう、

とある(日本語の語源)。「鉏雨亭随筆(嘉永五年(1852))」にも

俗謂互市馬曰博労、初余不詳其義、偶閲韻書、伯楽一作博労、乃知互市之際、能相馬者、或称之曰博労、後訛為互市之義、

とある。

「博」 漢字.gif

(「博」 https://kakijun.jp/page/1213200.htmlより)

「博」(漢音呉音ハク、慣用バク)は、

会意兼形声。甫は圃の原字で、平らで、広い苗床。それに寸を加えた字(フ・ハク)は、平らに広げること。博はそれを音符とし、十(集める)を添えた字で、多くのものが平らにひろがること。また拍(ハク うつ)や搏(ハク うつ)に当て、ずぼしにぴたりとうちあてる意をあらわす、

とある(漢字源)。別に、

形声文字です(十+尃)。「針」の象形(「針」の意味だが、借りて(同じ読みの部分に当て字として使って)、「多い」の意味)と「田んぼの象形と苗の象形と手の象形」(「田の苗を広く植える」の意味)から「ひろい」を意味する「博」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji684.html

「勞」 漢字.gif


「勞(労)」(ロウ)は、

会意文字。勞の上部は、火を周囲に激しく燃やすこと。勞はそれに力を加えた字で、火を燃やし尽すように、力を出し尽すこと。激しくエネルギーを消耗する仕事や、その疲れの意、

とある(漢字源)。別に、

会意。力と、熒(けい)(𤇾は省略形。家が燃える意)とから成る。消火に力をつくすことから、ひいて「つかれる」、転じて「ねぎらう」意を表す、

とも(角川新字源)、

会意文字です(熒の省略形+力)。「たいまつを組み合わせたかがり火」の象形と「力強い腕」の象形から、かがり火が燃焼するように力を燃焼させて「疲れる」、また、その疲れを「ねぎらう」を意味する「労」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji719.html

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)

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2022年11月24日

払子(ほっす)


牛の尾切れ落ちて、再び僧の貌(かたち)となる。其の牛の尾払子(ほっす)と作して、今に至る也(片仮名本・因果物語)、

にある、

払子、

は、

獣毛、麻などを束ね、柄を付けたもの、法会や葬儀などの時の、導師の装身具とする、

と注記がある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。「払子」は、

唐音、

とある(大言海・岩波古語辞典)。「払」は、

漢音フツ、
呉音ホチ、

だが、唐音、

ホツ、

「子」は、漢音、呉音共に、

シ、

だが、唐音、

ス、

である(漢字源)。

払子2.jpg

(「払子」 広辞苑より)

もとインドで蚊や蠅を追うのに用いたが、のち法具となり、日本では禅僧が煩悩・障碍を払う標識として用いる、

とあり、和漢三才図絵には、

拂子、ホッス、ハヘハラヒ……禅僧之所重、如有得道者、師授與之拂子、以為法門之規模矣、今多用羆毛作、

とあり、

サンスクリット語のビヤジャナvyajanaの訳、

で、単に、

払(ほつ)、

あるいは、

払麈(ほっす)、

と呼び(日本大百科全書)、

白払(はくふつ・びゃくほつ)、
払塵(ふつじん)、
麈尾(しゅび・しゅみ)、

ともいう(広辞苑・デジタル大辞泉)。「麈尾」は、

「麈」は大きな鹿の意、

で、

大鹿の尾の動きに従って、他の鹿の群れが動くところから、他が従うという意を寓して、その尾にかたどって作られたという、

とある(デジタル大辞泉)。

払子3 (2).jpg

(「払子」 大辞泉より)

後世、中国・日本で、

僧が説法などで威儀を正すために用いる法具。真宗以外の各派で高僧が用いる、

とある(大辞林)。日本へは、鎌倉時代に禅宗とともに伝わった。

律云、比丘患草蟲、佛聴作拂洲子、

とあり(釋氏要覧)、。『摩訶僧祇律(まかそうぎりつ)』に、

比丘が蚊虫に悩まされているのを知った釈尊は、羊毛を撚(よ)ったもの、麻を使ったもの、布を裂いたもの、破れ物、木の枝を使ったものなどに柄をつけて、払子とすることを許したという、

とある(日本大百科全書)。

払子.bmp

(「払子」 精選版日本国語大辞典より)

元来の実用具から、

邪悪を払う功徳あるもの、

とされるようになり、中国では禅僧が盛んに用いて、

一種の荘厳具(しようごんぐ)、

とされたという流れになる。運歩色葉集(室町時代編纂の国語辞典)には、

払子、ホッス、禅家説法之時持之、

とある。

「拂」 漢字.gif



「払」 漢字.gif

(「払」 https://kakijun.jp/page/0570200.htmlより)

「払(拂)」(漢音フツ、呉音ホチ、唐音ホツ)は、

会意兼形声。弗(フツ)は「弓(たれたつる)+八印(左右にはねる)」からなり、たれたつるを左右に払って切るさま。拂は「手+音符弗」で、左右にはらいのける動作を示す。手を左右に振るのは拒否し、否定する表現でもある、

とある(漢字源)。別に、

会意兼形声文字です(扌(手)+弗)。「5本の指のある手」の象形と「からまるひもを2本の棒でふりはらう」象形(「はらいのける」の意味)から、「手ではらいのける」を意味する「払」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1114.html

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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2022年11月25日

算用


紀州、勇士某(なにがし)と云ふ人の祖父、賄ひ為(し)ける時、算用を遂げず病死す(片仮名本・因果物語)、
手代どもを喚(よ)ぶべし、急度(きっと)算用遂げん(仝上)、
我は算用に来たり、後世の沙汰、無益(むやく)なりと云ふて(仝上)、

などとある、

算用、

は、古くは、

さんにょう、

とも訓ませたが、普通、

算用合って銭(ぜに)足らず、

というように、

金銭の額や物の数量を計算すること、
勘定、

の意(この場合、「散用」とも当てる)や、その意の関連で、

色茶屋の算用(浮・好色旅日記)、

と、

支払うこと、
決済すること、
清算すること、

の意で使ったり、それをメタファに、

筭用(サンヨウ)して合点のゆかぬ女(浮・西鶴織留)、

と、

考え合わせてよしあしや過不足をきめること、

と、考えの決算を付ける意や、

是はさんようの外也(浮・真実伊勢物語)、

と、

見積りを立てること、また、その見積り、
予想、

の意で使ったりする。しかし、上記引用の「算用」は、どの意味にも合わない。むしろ、

現世は長者と悦んで閻魔の前で算用せいと(浄・大経師昔暦)、

にある、

きまりをつけること、
決着をつけること、

の意味が合う。

決算する、

という意味の流れと見れば、

決着をつける、

も、意味の外延にはいるとはいえる(日本国語大辞典)。「算用」は、漢語にはなく、

算木(さんぎ)にて計るなり、

とあり(大言海)、「算木」は、

十界十如は法算ぎ、法界唯心覚りなば、一文一偈を聞く人の、仏に成らぬは一人なし(梁塵秘抄)、

とある、

和算で使われた中国伝来の計算用具、

を指す。

木製の小さな角棒で、赤は加、黒は減を示す。これを方眼を引いた厚紙ないしは木製の盤上に並べて数を表わし、配列を変えることによって四則・開平・開立などの計算を行なう、

とある(精選版日本国語大辞典)。中国では、

算・策・籌などと呼ばれ、宋・元時代以降はこれを用いて高次方程式が解かれたが、日本でも江戸時代にはこの目的のために使用された、

とある(仝上)。

算、
算籌(さんちゅう)、

ともいう。「算木」はhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AE%97%E6%9C%A8に詳しい。「算用」は、文字通り、

算を用いる、

という「計算」の意である。

「算用」は、熟語化されていて、

算用合(あひ)、

といえば、

いかに親子の中でも、たがひの算用合はきつとしたがよい(浮世草子・胸算用)、

と、

計算して数を合わせること、帳合、
勘定、

の意だし、

算用(散用)状、

は、

中世、荘園年貢の収支計算書、

の意、

算用立(だて)、

は、

前髪もある私が親ほどな山城屋、算用立も申しにくし(浄・淀鯉)、

と、

帳簿などを計算しなおして収支を検査すること、
算用の吟味、

算用尽(づ)く、

は、

損得ばかり考えて物事をする、
勘定づく、

算用詰、

は、

決算、

算用場、

は、

商家の帳場、

算用高い、

は、

勘定高い、
けちである、

算用違い、

は、

計算ちがい、
考え違い、誤った考え、

算用無し、

は、

俄かに金銀を費し、算用無しの色遊び(日本永代蔵)、

と、

金銭に関して、向うみずなこと、

算用酒、

は、

江戸時代、商取引の支払い勘定の後、双方で飲む祝い酒。えびす神に供え、商売繁盛を祈った、

等々と使われる(広辞苑・大辞泉・日本国語大辞典)。

「算」 漢字.gif

(「算」 https://kakijun.jp/page/1479200.htmlより)


「算」 説文解字・漢 .png

(「算」 説文解字・漢 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%AE%97より)

「算」(漢音呉音サン、唐音ソン)は、

会意文字。「竹+具(そろえる)」で、揃えて数える意、

とある(漢字源)。これだとわかりにくいが、

竹と、具(ぐ そろえる。𥃲は変わった形)とから成り、数取りの竹をそろえて「かぞえる」意を表す、

とある(角川新字源)。別に、

会意文字です(竹+具)。「竹」の象形(「竹」の意味)と「子安貝(貨幣)の象形と両手の象形」(「両手で備える(準備する)」の意味)から、「竹の棒を両手で揃(そろ)える、数(かぞ)える」を意味する「算」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji229.html

「用」 漢字.gif

(「用」 https://kakijun.jp/page/0590200.htmlより)


「用」 金文・殷.png

(「用」 金文・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%94%A8より)

「用」(漢音ヨウ、呉音ユウ)は、

会意文字。「長方形の板+ト印(棒)」で、板に棒で穴をあけ通すことで、つらぬき通すはたらきをいう。転じて、通用の意となり、力や道具の働きを他の面にまで通し使うこと、

とある(漢字源)が、別に、

象形、柵を象ったもので、そこに動物を飼い、犠牲に用いたことによる(白川静)、

とする説https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%94%A8

象形。材木を組んで造ったかきねの形にかたどる。借りて「もちいる」意に用いる、

とする説(角川新字源)、

象形文字です。「甬鐘(ようしょう)という鐘の象形」で、甬鐘は柄を持って持ち上げて使う事から、「とりあげる」、「もちいる」を意味する「用」という漢字が成り立ちました、

とする説https://okjiten.jp/kanji372.htmlもある。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
簡野道明『字源』(角川書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2022年11月26日

贓物(ぞうもつ)


盗人聞いて、贓物(ぞうもつ)捨てて去りにけり(片仮名本・因果物語)、

の、

贓物、

は、

盗物、

の意で、室町時代の意義分類体の辞書『下學集』に、

贓物 注「盗物(ヌスミモノ)也」、

とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。

玉篇(南朝梁の顧野王によって編纂された部首別漢字字典)に、

贓、蔵(カクス)也、

とあり、廣韻(北宋期、『切韻』『唐韻』を増訂して作った韻書(漢字を韻によって分類した書物))には、

納賄曰贓、

とあり、「贓物」の「贓」は、

其羞辱、基於貪汗坐贓(漢書・賞尹傳)、

と、

賄賂(マヒナヒ)、盗賊(ヌスミ)などにて、取りたる財物(シナモノ)、

とある(大言海)。

贓品、

ともいい、漢語では、

ぞうぶつ、

と訓ます(字源)。

窃盗など財産に対する罪に当たる行為によって得た財物で、被害者が法律上の回復追求権をもつもの、

とある(広辞苑)。で、1995年刑法改正前には、

盗品など(贓物)の無償での譲り受け(収受)・運搬・保管(寄蔵)・有償での譲り受け(故買)・有償の処分についての斡旋(牙保)をすることにより成立する罪。盗品等に関する罪、

を、

贓物罪、

呼んだ(仝上)。この場合、

ぞうぶつ、

と訓ます。

「贓」 漢字.gif


「贓」(慣用ゾウ、漢音呉音ソウ)は、

会意兼形声。臧(ソウ)は、強いどれいのこと。藏(蔵)は、その音を借りた形声文字で、倉という意味を表わす。贓は「貝+音符臧(ソウ 藏・倉)」で、財貨を取り込んで、ひそかにしまいこむこと、

とある(漢字源)。その意味で、

今夜、香雲庵へ盗人入り、塗籠の贓物これをとらる(看聞御記)、

と、

蔵にしまってある物品、

の意で使うのも、「贓」の意から離れているわけではない。

「物」 漢字.gif


「物」(漢音ブツ、呉音モツ・モチ)は、

会意兼形声。勿(ブツ・モツ)とは、いろいろな布でつくった吹き流しを描いた象形文字また、水中に沈めて隠すさまともいう。はっきりとみわけられない意を含む。物は「牛+音符勿」で、色合いの定かでない牛。一定の特色がない意から、いろいろなものをあらわす意となる。牛は、ものの代表として選んだに過ぎない、

とある(漢字源)が、

勿は「特定できない」→「『もの』の集合」の意(藤堂明保)、

説以外に、

犂で耕す様(白川静)、

とする説もありhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%89%A9

古い字体がなく由来が確定的ではない、

とある(仝上)。牛説は、

形声。牛と、音符勿(ブツ)とから成る。毛が雑色の牛の意から、転じて、さまざまのものの意を表す、

とも(角川新字源)、

会意兼形声文字です(牜(牛)+勿)。「角のある牛」の象形と「弓の両端にはる糸をはじく」象形(「悪い物を払い清める」の意味)から、清められたいけにえの牛を意味し、それが転じて(派生して・新しい意味が分かれ出て)、「もの」を意味する「物」という漢字が成り立ちました、

ともhttps://okjiten.jp/kanji537.htmlある。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2022年11月27日

車軸を流す


俄に大雨降りて車軸を流し、雷電轟て、四方黒闇(くらやみ)と成り、東西を失す(片仮名本・因果物語)、

にある、

車軸を流す、

は、

激しい大雨が降る、

の意(高田衛編・校注『江戸怪談集』)で、

折節降る雨車軸(シャヂク)を下(クダ)して、鈴鹿川に洪水漲(みなぎ)り下りて(源平盛衰記)、

と、

車軸を下す、

とも言い、

車軸のような太い雨脚の雨が降る、

という、

大雨の形容、

である(雨のことば辞典)。

大はしあたけの夕立.jpg

(「名所江戸百景 大はしあたけの夕立」(歌川広重) https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hiroshige167/より)

「車軸」は、漢語で、

吾馬病、車軸折(史記・范睢傳)、

と、

車の軸、
車の心棒、

の意で、

しんぎ(心木)、

ともいうが、

漸降大雨、滴如車軸(長阿含経)、

と、

大雨の形容、

としても使う(字源・大言海)。で、

折ふし降る雨、車軸の如し(平家物語)、

と、

大雨の形容として使う。

大降り、
本降り、
ざあざあ降り、
土砂降り、
横殴り、
天の底が抜けたよう、

という言い方と重なる。

「車」 漢字.gif



「車」 金文・殷.png

(「車」 金文・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%BB%8Aより)

「車」(シャ)は、

象形。車輪を軸止めでとめた二輪車を描いたもので、その上に尻を据えて告る、または乗せるものの意。もと、居(キョ)と同系。キョの音に読むことがあるのは、上古音ののこったもの、

とある(漢字源)。別に、

象形。馬に引かせるくるまの形にかたどり、「くるま」の意を表す。ひいて、軸を中心にして回転するしかけの意に用いる、

ともある(角川新字源)。

「軸」 漢字.gif


「軸」(漢音チク、呉音ジク)は、

会意兼形声。「車+音符由(仲から抜け出る)で、車輪の中心の穴を通して外へ抜け出ている心棒、

とある(漢字源)。別に、

会意兼形声文字です(車+由)。「車」の象形と「底の深い酒ツボ」の象形(「よる(もとづく)」の意味)から、回転する車のよりどころとなる部分「じく」を意味する「軸」という漢字が成り立ちました、

とあるhttps://okjiten.jp/kanji1305.html

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
簡野道明『字源』(角川書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2022年11月28日

正念に往生す


母、程なく煩ひ付きて、正念往生す(片仮名本・因果物語)、

の、

正念に往生す、

は、

安らかな死を迎えた、

と注記がある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。別に、

臨終正念(りんじゅうしょうねん)、

という言葉がありhttp://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E8%87%A8%E7%B5%82%E6%AD%A3%E5%BF%B5

臨終のときに心が乱れることなく、執着心に苛まれることのない状態のこと、

とあるのに重なるのだろう。

願わくは弟子等、命終の時に臨んで心顚倒せず、心錯乱(しゃくらん)せず、心失念せず、身心に諸の苦痛なく、身心快楽(けらく)にして禅定に入るが如く、聖衆現前したまい、仏の本願に乗じて阿弥陀仏国に上品往生せしめたまえ、

とある(善導『往生礼讃』発願文)のが、

臨終正念のありさまを示したもの、

とされる(仝上)。これは、

臨終正念なるが故に来迎したまうにはあらず、来迎したまうが故に臨終正念なりという義明(あきらか)なり、

とある(法然『逆修説法』)ことや、

念仏もうさんごとに、つみをほろぼさんと信ぜば、すでに、われとつみをけして、往生せんとはげむにてこそそうろうなれ。もししからば、一生のあいだ、おもいとおもうこと、みな生死のきずなにあらざることなければ、いのちつきんまで念仏退転せずして往生すべし。ただし業報かぎりあることなれば、いかなる不思議のことにもあい、また病悩苦痛せめて、正念に住せずしておわらん。念仏もうすことかたし、

という(歎異抄)の、

他力本願、

からいえば、

念仏申す毎に罪を滅ぼして下さると信じて「念仏」申すのは、自分の力で罪を消して往生しようと励んでいること、

となり、

一心に阿弥陀如来を頼むこと、

に通じていくhttp://www.vows.jp/tanni/tanni29.htm

「正念」は、「正念場」http://ppnetwork.seesaa.net/article/464644622.htmlで触れたように、

八正道(はっしょうどう)、

の一つとされ(詳しくは、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E6%AD%A3%E9%81%93に譲る)、

八聖道、

とも書く、仏教において涅槃に至るための8つの実践徳目、

正見(しょうけん 正しい見解、人生観、世界観)、
正思(しょうし 正しい思惟、意欲)、
正語(しょうご 正しいことば)、
正業(しょうごう 正しい行い、責任負担、主体的行為)、
正命(しょうみょう 正しい生活)、
正精進(しょうしょうじん 正しい努力、修養)、
正念(しょうねん 正しい気遣い、思慮)、
正定(しょうじょう 正しい精神統一、集注、禅定)、

の1つで(日本大百科全書)、釈迦は、

それまでインドで行われていた苦行を否定し、苦行主義にも快楽主義にも走らない、中なる生き方、すなわち中道を主張したが、その具体的内容として説かれたのがこの八正道である、

とされ(世界大百科事典)、釈迦の教説のうち、おそらく最初にこの、

八正道、

が確立し、それに基づいて、

四諦(したい)、

説が成立し、その第四の、

道諦(どうたい 苦の滅を実現する道に関する真理)、

はかならず「八正道」を内容とした。逆にいえば、八正道から道諦へ、そして四諦説が導かれた、

とある(日本大百科全書)。「四諦(したい)」は、

四聖諦(ししょうたい)、

ともよばれ、「諦(たい) サティヤsatya、サッチャsacca)」は真理、真実をいい、

迷いと悟りの両方にわたって因と果とを明らかにした四つの真理、

とされ(精選版日本国語大辞典)、

苦諦(くたい 人生の現実は自己を含めて自己の思うとおりにはならず、苦であるという真実)、
集諦(じったい その苦はすべて自己の煩悩や妄執など広義の欲望から生ずるという真実)、
滅諦(めったい それらの欲望を断じ滅して、それから解脱し、涅槃の安らぎに達して悟りが開かれるという真実)、
道諦(どうたい この悟りに導く実践を示す真実)

で、この、

苦集滅道(くじゅうめつどう)、

の四諦は原始仏教経典にかなり古くから説かれ、とくに初期から中期にかけてのインド仏教において、もっとも重要視されており、その代表的教説とされた(日本大百科全書)、とある。

要は、「正念」とは、

四念処(身、受、心、法)に注意を向けて、常に今現在の内外の状況に気づいた状態(マインドフルネス)でいること、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E6%AD%A3%E9%81%93

意識が常に注がれている状態、

である。しかし、他力本願では、

自分の力で罪を消して往生しようと励んでいること、

ではなく、

一心に阿弥陀如来を頼み、命の終わる最後まで、怠ることなく念仏し続けること、

を指すと思われる。この、

正念、

と、

正念場・性念場、

との関係については、「正念場」http://ppnetwork.seesaa.net/article/464644622.htmlで触れた。

「正」 漢字.gif

(「正」 https://kakijun.jp/page/sei200.htmlより)

「正」(漢音セイ、呉音ショウ)は、

会意。「一+止(あし)」で、足が目標の線めがけてまっすぐに進むさまを示す。征(真っ直ぐに進む)の原字、

とある(漢字源)が、

「止」が意符、「丁」が声符の形声字で、本義は{征(討伐する)}。従来は、「-」(目標となる線)+「止」からなり「目標に向けてまっすぐ進むこと」を表すとされたが、甲骨文・金文中でこの字の上部は円形もしくは長方形で書かれ、それらの部分(すなわち「丁」字)が後に簡略化されて棒線となったに過ぎないことから、この仮説は誤りである、

とする説があるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%AD%A3。別に、

会意。止と、囗(こく=国。城壁の形。一は省略形)とから成り、他国に攻めて行く意を表す。「征(セイ)」の原字。ひいて、「ただす」「ただしい」意に用い、また、借りて、まむかいの意に用いる、

とも(角川新字源)、

会意文字です(囗+止)。「国や村」の象形と「立ち止まる足」の象形から、国にまっすぐ進撃する意味します(「征」の原字)。それが転じて(派生して・新しい意味が分かれ出て)、「ただしい・まっすぐ」を意味する「正」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji184.html

「念」 漢字.gif


「念」(漢音デン、呉音ネン)は、「繋念無量劫」http://ppnetwork.seesaa.net/article/491112345.htmlで触れたように、

会意兼形声。今は「ふさぐしるし+-印」からなり、中に入れて含むことをあらわす会意文字。念は「心+音符今」で、心中深く含んで考えること。また吟(ギン 口を動かさず含み声でうなる)とも近く、経をよむように、口を大きく開かず、うなるように含み声でよむこと、

とある(漢字源)。別に、

形声。心と、音符今(キム、コム)→(デム、ネム)から成る。心にかたくとめておく意を表す、

とも(角川新字源)、

会意文字です(今+心)。「ある物をすっぽり覆い含む」事を示す文字(「ふくむ」の意味)と「心臓」の象形から、心の中にふくむ事を意味し、そこから、「いつもおもう」を意味する「念」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji664.html

参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2022年11月29日

剰(あまつさ)へ


六歳まで物言ふこと契(かな)はず。剰(あまつさ)へ、親をも見知らず(片仮名本・因果物語)、

の、

剰(あまつさ)へ、

は、

前文をうけて、それだけでも並大抵でないのに、その上にさらに(悪いことが)加わる意を表す、
その上、
おまけに、

の意とある(広辞苑)。さらに、状態表現から、

amassaye(アマッサエ)フウジヲモトカイデ(天草本平家)、

と、価値表現を強めて、

(事態の異状なことなどに直面して)驚いたことに、あろうことか、

の意でも使う(日本国語大辞典)。

「あまつさへ(え)」は、

アマリサエの音便アマッサエの転、

とあり(仝上)、「あまっさへ」は、

余り+さへの音便、

ということになる(日本語源広辞典)。

奈良時代に伝来した、唐初の伝奇小説『遊仙窟』(ゆうせんくつ)では、

剰、アマッサヘ、

とし、

類聚名義抄(11~12世紀)には、

剰、アマリサヘ、

色葉字類抄(1177~81)には、

剰、アマサヘ、アマッサヘ、

室町時代の文明年間以降に成立した『文明本節用集』には、

剰、アマッサヘ、

日葡辞書(1603~04)にも、

アマッサエ、

とあり、

近年はアマツサエが多いが、転ずる前の形のアマッサエも使う、

とある(広辞苑)。

あまりさへ→あまさへ→あまっさへ→あまつさへ→あまつさえ、

と転訛してきたことになる。

「剰」は、

唐の時代に行われた助字で、わが国では「あまりさへ」と訓読された。中世まで一般に、

あまさへ、

と表記されるが、これは「あまっさへ」の促音無表記、「落窪物語」には、

子三人、婿取りたれど、今に、我れにかかりてこそはありつれ、アマサヘ、憂き恥の限りこそ見せつれ、

と、

落窪の公の父の言葉に「あまさへ」の語が見えるところから、「あまっさへ」は平安時代にはすでに男子の日常語になっていたと考えられる、

とあり(日本語源大辞典)、近世には、

あまっさへ、

と表記されるようになり、近代以降は文字に引かれて「あまつさへ」となった、

とある(仝上・岩波古語辞典)。つまり、

「あまっさへ」の「っ」を、促音でなく読んでできた語、

である(大辞泉)。

「あまさへ」の「さへ」は、

辞(テニハ)のサヘなり、

とあり、

「あまさへ」は、

(あまりさへの)中略なり(わたりまし、わたまし)、

「あまっさへ」は、

急呼なり(のりとる、のっとる。ほりす、ほっす)、

とある(大言海)。

「剰」 漢字.gif

(「剰」 https://kakijun.jp/page/1111200.htmlより)


「剩」 漢字.gif


「剰」(漢音ショウ、呉音ジョウ)は、

会意兼形声。乘(乗)は、人が木の上に登ったさまを示す会意文字で、登・昇(のぼる)と同系の言葉。剩は「刀+乘」。予定分を刀で切り取っても、なおその上に残った余分のあることを示す。上に出た分、つまり、あまりのこと、

とある(漢字源)。別に、

会意兼形声文字です(乗(乘)+刂(刀))。「両手両足を開いた人の象形と木の象形」(木にはりつけになってのせられた人の意味から、「のる」の意味)と「刀」の象形(「中国古代の、刀の形をした貨幣」の意味)から、「利益が上乗せされる」を意味する「剰」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1935.html

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2022年11月30日

血脈


木を切り、塔婆を立て、血脈(けちみゃく)を収め、七日弔へば(片仮名本・因果物語)、

の、

血脈(けちみゃく)、

は、

在家の俗人に与える仏法の法門相承の系譜。これを受けると出家と同じ功徳があると言われる、

とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。

「血脈」は、

ケツミャク、

とも訓み、漢語で、

血脈欲其通也、筋骨欲其固也(呂覧(呂氏春秋))、

と、

血液の通ふ脈管、

つまり、

血管、

の意である(字源)。それをメタファに、

訪査血脈所(梁書・劉杳傳)、

と、

血筋、
血統、

の意でも使う(仝上)。そのメタファで、仏語で、

法脈、
法統、

の意で、

仏法の奥義を師から弟子へへと代々承け伝える、

意としても使う(仝上・岩波古語辞典)。

父祖、子孫の血脈相続の如く、法脈を相続する意也、

という意味である(大言海)。で、

仏祖より授かりたる法門に、外道を混ぜず、正しく、師弟の間に、代々、相傳すること、

で、

師資相承、
法門伝承、

ともいう(仝上)。

自己の継承した法門の正統性と由緒正しさとを証明するものとして、とくに中国、日本で重要視された、

とある(日本大百科全書)。系譜は朱線で示されることが多く、宗派の教理を伝えた系譜を、

宗脈、
または、
法脈、

といい、戒を伝えた系譜を、

戒脈、

という(世界大百科事典)。教法の相承を、

血脈を白骨にとどめ、口伝を耳底に納む、

などと表現し、天台宗、真言宗では師弟の面授口訣を重んじ、その付法のあかしとして血脈系譜を授けた(仝上)という。この始まりは、

仏陀の滅後、特定の弟子に教法や戒律を伝えた、

ことかららしく、中国で宗派が成立すると、各派それぞれに列祖の相承を説くようになる。天台では、

金口、今師、九師の三種相承、

経典によらない禅は、

西天二十八祖と唐土の六祖を立て、相承の物証として、衣や鉢の伝授、

を主張し、別に真理の言葉としての伝法偈や、正法眼蔵の相承を説いて、

伝灯、
血脈、
または
逓代伝法、

とよぶ(仝上)。この意味の派生として、

僧都は、血脈を賜りて、法衣の袖に褱みつつ(源平盛衰記)、

と、

相承の次第を記した系図そのもの、

も意味するようになり(仝上)、師は法を授けた証(あかし)として弟子にその系図を与えた。日本では仏教以外に芸道や連歌、俳諧などでも同様の意で用いる(仝上)という。

その系図を入れるものを、

血脈袋、

という(岩波古語辞典)。また、その応用編のように、上記引用同様、

汝が十念血脈(ケチミャク)受たるもうじゃは、往生疑ひ有べからず(浄瑠璃・賀古教信七墓廻)、

と、

在家(ざいけ)の俗人に与える仏法の法門相承の系譜。これを受けると出家と同じ功徳があるといわれ、生きている間は身からはなさず、死後は遺骸とともに棺に納める、

意ともなる。

「血」 漢字.gif


「血」 甲骨文字・殷.png

(「血」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%A1%80より)

「血」(漢音ケツ、呉音ケチ)は、

象形。深い皿に、祭礼にささげる血のかたまりをいれたさまを描いたもので、ぬるぬるしてなめらかに全身を回る血、

とある(漢字源)、別に、

血は体中を勢いよくめぐるので「強く、活気のある」意味にも使われる、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%A1%80ある。

「脈」 漢字.gif


「脈」(漢音バク、呉音ミャク)は、

会意兼形声。𠂢(ハイ)は、水流の細くわかれて通じるさま。脈はそれを音符とし、肉を加えた字で、細く分かれて通じる血管、

とある(漢字源)。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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