2022年11月03日

藐姑射(はこや)


修行を勤め、其の後天上にのぼり、或いは蓬莱宮、或いは藐姑射(はこや)の山、或いは玉景(ぎょくけい)崑閬(こんろう)なんどに行きて(伽婢子)、

にある、

藐姑射の山、

は、

仙人が住むという山、

とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。因みに、「蓬莱宮」とは、

中国の伝説で、東海中にあって仙人が住み、不老不死の霊地とされた、

とある(仝上)が、いわゆる、

蓬莱、

にあって仙人の住むという、黄金白金でつくった宮殿のことで、

蓬莱洞、

ともいう(精選版日本国語大辞典)。「蓬莱」http://ppnetwork.seesaa.net/article/488165402.htmlについては触れた。また、

玉景崑閬、

も、

中国の伝説で、西方にあり、仙人が住むという二つの山、

とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。

「藐姑射」は、

藐姑射之山、有神人居焉、肌膚若冰雪、淖約若處子、不食五穀、吸風飲露、乘雲氣、御飛龍、而游乎四海之外(『荘子』逍遥遊篇)、

により(字源)、

バクコヤ、

と訓ませ、『列子』第三にも、

藐姑射山在海河洲中、山上有神人焉、吸風飲露、不食五穀、心如淵泉、形如処女、不偎不愛、……、

とあるhttp://www.arc.ritsumei.ac.jp/opengadaiwiki/index.php/%E8%97%90%E5%A7%91%E5%B0%84%E7%A5%9E%E4%BA%BA。ただ、「藐姑射」の、

「藐」は「邈」と同じで遙か遠い、

意、

「姑射」は山名、

なので、従ってもともとは、

はるかなる姑射の山、

の意であるが、「荘子」の例によって、

一つの山名のように用いられるようになった、

とある(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)。

我が国にも、古くから伝わっていたらしく、

心をし無何有(ムカウ)の郷に置きたらば藐姑射能山(はこやのやま)を見まく近けむ、

と万葉集にも歌われている(「藐孤射能山」を「まこやのやま」とも訓ませるとする説もある)。この、

無何有(ムカウ)の郷、

も、

出六極之外、遊無何有(ムカイウ)之郷、

と(字源)、荘子由来で、

ムカユウ、

と訓み、

何物もなき郷、造化の自然楽しむべき地にいふ、

とある(仝上)、

自然のままで、なんらの人為もない楽土、

という、

荘子の唱えた理想郷、

の謂いである(広辞苑)。

ムカユウ、

を、

ムカウ、

と訛って訓ませる。因みに、「六極」とは、

天地四方、
上下四方、

のこと、つまり、

宇宙、

をいう(精選版日本国語大辞典)。『荘子』逍遥遊篇には、

今子有大樹、患其無用、何不樹之於無何有之郷、廣莫之野、彷徨乎無為其側、逍遙乎寢臥其下(今、子、大樹有りて、其の用無きを患(うれ)ふ、何ぞ之を無何有の郷、広莫の野に樹て、彷徨乎(ほうこうこ)として其の側に為す無く、逍遥乎(しょうようこ)として其の下に寝臥(しんが)せざる)、

とある(故事ことわざの辞典)。

なお、「藐姑射の山」は、

うごきなきなほよろづよぞ頼べきはこやの山のみねの松風(千載集・式子内親王)、

と、

上皇の御所を祝っていう語、

として、

上皇の御所、また、そこにいる人、すなわち上皇、

指し、

仙洞(せんとう)御所、
仙洞、

の意で、

はこやが峰、

という言い方もする(精選版日本国語大辞典)。

「藐」 漢字.gif


「藐」(漢音バク・ビョウ、呉音マク、ミョウ)は、

会意兼形声。「艸+音符貌(ボウ おぼろげな形、かすかな)」で、細い、かすかなの意を含む、

とある(漢字源)。「藐小」(バクショウ ちいさくてかすかな)、「藐然」(バクゼン 遠くにあっておぼろげなさま)などと使う。

「姑」 漢字.gif



「姑」 金文・西周.png

(「姑」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A7%91より)

「姑」(漢音コ、呉音ク)は、

会意兼形声。「女+音符古」。年老いて古びた女性の意から、しゅうとめやおばの称となった、

とある(漢字源)。「しゅうとめ」(夫の母)の意だが、「古姑」(ショウコ 夫の妹)、「外姑」(ガイコ 妻の母)、「姑母」(コボ 父の姉妹)などと使う。

「射」 漢字.gif

(「射」 https://kakijun.jp/page/1048200.htmより)

「射」(漢音シャ・エキ、呉音ジャ・ヤク、呉漢音ヤ)は、

会意文字。原字は、弓に矢をつがえている姿。のち、寸(手)を添えたものとなる。張った弓を弦を話して緊張を解くこと、

とある(漢字源)。別に、

甲骨・金文は、象形。矢をつがえた弓を手に持つ形にかたどる。篆文は、会意で、矢(または寸)と身とから成る。矢をいる意を表す、

とも(角川新字源)、

甲骨文は「弓に矢をつがえている」象形。篆文は、会意文字。「弓矢の変形と、右手の手首に親指をあて脈をはかる象形(「手」の意味)から、「弓をいる」を意味する「射」という漢字が成り立ちました、

ともhttps://okjiten.jp/kanji1022.htmlあるが、趣旨は同じである。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)
尚学図書編『故事ことわざの辞典』(小学館)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 04:45| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする